ミズタマリ
【餅・携帯・大地】
水溜りを数えて歩いていた。4つ目で一度雨が止んで、9つ目でまた弱く降り出した。ずいぶん経った頃に、俯いていることに気がついた。連日の大地を湿らす程度の弱い雨はただそれだけで鬱々とした気分にさせる。
幼い頃に両親が離婚して物心がつく頃に母が再婚した。中学に上がる前に双子の弟ができた。高校に上がる前に妹ができた。仕事でほとんど家にいない両親の代わりに面倒をみた。母さんは毎日、家を出る時に呪いの言葉を囁いて行く。
良い子にしているのよ。
その度に私は呪われて、鈍色の心をまぶたの裏の水溜りに沈める。
唯一、私の呪いを解いてくれるのが彼だった。小学生の頃からの同級生で、いつの間にかお互いを意識するようになっていて、中学を卒業する頃、どちらからともなく付き合うようになった。
彼は太陽のように明るい、という感じではなかったけれど、夜空が好きで、その夜空みたいに物静かでキラキラしていた。星の話になると途端に輝く瞳や、夜遅くまで星を見ているせいで授業中に居眠りばかりしている横顔が好きだった。
お互いに両親があまり家にいなかったから、流星群の夜には近所の丘で遅くまで並んで星を眺めた。そんなとき決まって彼が自販機で買う餅入りのおしるこを、2人でマズイと笑いながら飲む時間が、私の水溜りを宵闇のように丸ごと隠してくれた。一緒にいた時間が増えて、その時間の分だけいろんな彼を知っていた。
だから、彼の変化にはすぐに気が付いた。気が付いていて、見ないふりをした。
彼のおじいさんが亡くなったすぐ後だったから、初めはそれが原因だと思っていた。冬休みに天体望遠鏡を譲ってくれたばかりのおじいさんが、その直後に亡くなったのだからショックは大きかったようで、でも、そうじゃなかった。彼の変化は、もっと、大きく彼の心を波打たせる何かだった。
その「何か」に気付くのに、時間はかからなかった。彼の視線はあまりにもわかりやすく「彼女」を追っていた。
彼女がどんな人物であるかを、私が探るまでも無く彼が話してくれた。きっと無意識なのだろう、自分の感情にすら気づいていない無邪気な笑顔から、私は目を逸らすことしかできなかった。
毎晩、彼と彼女がグラウンドで並んで星を眺めている姿を想像しながら、私は自分の部屋で携帯を握りしめて過ごした。閉め忘れたカーテンから差し込む月明かりが、まぶたの裏の水溜りを照らし出す。
いやだ。置いて行かないで。一人にしないで。
そんな女々しい自分にも嫌気が差した。
星について語るときのように、輝く瞳で彼女を見る彼の中で、増えていく私の知らない時間を止める術なんて、持っていなかった。
立ち止まってアスファルトの水溜りを見下ろすと、雨粒が作った波紋が途切れた。雨が止んだのかと思ったが、私が差している傘がその水溜りに降る雨を遮断したのだと気が付いた。それでも、傘に降った小さな雨粒たちが小間を伝って露先から零れ、再び水溜りに波紋を生み出した。でも、それが雨なのか、もう私にはわからない。
まぶたの裏の水溜りが溢れて、視界を滲ませていた。まだ夜には少し遠い鉛色の空と、灯ったばかりの街灯の丸い明かりが、月のように水溜りに映って揺らめいていた。
ミズタマリ