終焉の森
死闘の果て
とんとんとんと3つづつを2回繰り返しマンションのドアをノックするのは表の合図だ。
外には誰もいないらしい。仲間の一人が情報を伝えにやって来たのだ。
「ニャニャン。ネコちゃん解放クラブ会員番号012への命令を伝える。7丁目の猫を解放せよ。飼い主はセーラー服を着た初老の男。至急007と連携し作戦を練るのニャ!」
招き猫の面を被った男が、手をにゃんこの形に動かす。
裏の合図だ!
会員番号016はどうやら寝返ったらしい。またたび同盟を乗っ取るつもりだ。
7丁目の猫が危ない。とっさに小判型トランシーバーを用意して007からの連絡を待った。
俺たちは、嫌な飼い主から逃れたい猫から依頼を受けて活動する組織のエージェントだ。
3桁のコードナンバーで呼ばれ、本名は秘密だ。
007から送られてきた情報は7丁目の猫の写真と名前とそして、悲しい知らせだった。
名はカトリーヌ、ビロードの毛並みをもつ、なかなかの美猫だ。
俺はと言えば、さえないトラ猫だ。だが俺は、囚われの身でもなければ、不治の病に冒され余命幾ばくもないというほどツキがないわけでもない。月に一度はサンマの尾頭付きにもありついている。人間で言えば冴えない中年のサラリーマンというところか。
「しかし、なぜ、カトリーヌの件を担当していた016が裏切ったのか。彼女の病状と関係があるのか・・・」
俺は016を探しだし袋小路に追い込んだ。そして、問い詰めた。
「なぜ、クラブを裏切り、またたび同盟を狙う?俺たちの任務は猫の解放だけでなく、同盟の秘密を守ること
も任務だったはずだ。」
「カトリーヌの為だ!俺は彼女の為に、あれを持ち帰るつもりだ!」そう叫びながら、016は反撃してきた。
互の体がすれ違った瞬間には勝負は決していた。
016は喉から血を吹き出し地面に倒れた。
「カトリーヌを助けてやってくれ、彼女には協力者が必要だ」、016は喘ぎながら俺に懇願した。
「彼女は今どこだ?」俺は016の耳元で叫び、016の口元に耳を寄せると「・・・」
なるほど、あそこなら猫の隠し場所に最適かもしれない。
俺は016から聞いた場所に出かけた。
そこには、覆面で目隠しをされ足を縛られている一匹の猫がいた。
俺は周囲に気を配りながらその猫に近づき覆面と取り去ろうとした瞬間、三本の閃光が俺の喉元をかすめた。
爪だ。どうやら俺をおびきよせる罠だったらしい。
覆面をした猫は大きく鋭く光る爪を出して構え、体制を整えた。
限りない憎悪をたたえた目で呪うように言う。「誰にも邪魔はさせない。ここで死んでもらうわ」
空間に、二匹が激しい緊張感を漂わしながら対峙した。
互いの出方を探っていたそのとき、一瞬覆面の下の顔が苦痛にゆがんだように見えた。
俺は、その隙を見逃さず一撃を見舞い、ボスの覆面をはぎとった。覆面の下に隠されていた素顔を見た。
「やはり君かカトリーヌ」
俺は彼女に、同盟の秘密であった森への入り口は閉鎖し、彼女の企みが失敗したことを、そして016が彼女を
愛していたという遺言を伝えた。
「そう016も逝ったの。もうなにもかもおしまい」カトリーヌは疲れたように言うと、寂しげな笑みを零し、
何処となく去っていった。
俺は組織の本部に帰り報告書をまとめた。
カトリーヌがクラブに解放を依頼してきた事実とカトリーヌ=ボスであり、謎の組織が同盟を乗っ取ろうとし
た事実。これら相反する事実に妥当な説明があるとすれば、ただ一つしか考えられない。
彼女は主人であったあの人の思い出が残る家を離れたくなかった。
あの人の匂いが残る家で、あの人の膝の上で最後の刻を迎えたかったのだ。
死期が近づくにつれその想いは一層強くなっていくばかりだった。
猫の世界において、終焉の森の掟は絶対だ。終焉の森に入った猫は二度と出てくることはない。例外を許せば
終焉の森自体が崩壊する。だが彼女は、終焉の森にだけ咲くというまたたびを手に入れたかった。どんなことを
しても。組織に依頼してきたのは、自分が姿をくらましても不自然にみえないようにする為と、彼女が同盟乗っ取り
の首謀者であることを悟られない為だったのだ。
カトリーヌの計略は全てが水泡に帰した。
結局、彼女は終焉の森に行くことを拒み、あの人の思い出が残る家に戻った。
ある暖かい日の午後。
初老の男は亡くなった孫のセーラ服を膝の上に置き、その上で息を引き取ったカトリーヌをなでていた。
一匹のトラ猫が庭先にゆっくりと入ってきて、男の膝の上に、一本のまたたびを置いて、『にゃー』と鳴いて、庭を出て行った。
終焉の森