上を向いて歩こう
第1話
5月5日月曜日 御領小学校5年3組
五十嵐祐太は絵を描いていた。
授業中であっても、休み時間でも、ノートはもちろん落書きだらけ。
教科書の挿絵に歴史上の人物などがあれば、決まって変な顔にしてしまう。
当然のように、彼の机の上は落書きでびっしりだった。
このあいだまで、五十嵐祐太は、ごく普通の小学生だった。
突然何かにとり憑かれたかのように絵を描き始めたのは、つい2か月ほど前のことである。以降、毎日ずっと休まず絵を描き続けている。
最近は、テレビアニメで子供の間で流行っている、仮面のヒーロー「ムサシ」がお気に入りで、毎日「ムサシ」の絵を描いては、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返していた。
毎日の努力の甲斐あって、「ムサシ」が正面を向いている絵を描くのは上手くなったが、ムサシが横を向いた絵や、馬に乗ったりする絵を描くと、なんとも変なポーズになってしまう。
「あかん こんなんやない」
五十嵐祐太は、誰に言うでもなく、ブツブツとつぶやきながら、朝から机の上の落書きの一部を消しては描き、描いては消して、馬に乗った「ムサシ」の絵を描き続けていた。
「せんせえきたでえ」
「起立」「礼」「ちゃくせきっ」
普段なら全員着席したぐらいのタイミングで、ワイワイと生徒の声が始まるはずなのに、今日の朝礼はザワザワしている。
最初に、クラス一番おしゃべりで有名な女子、塚本佳代が、「ちっちゃーい」と言った。
「低学年の子かなぁ?」女子の誰かが言った。
絵に集中していた祐太も、いつもと雰囲気が違う朝礼の異変に気づき、黒板のほうに目を向けた。
見ると、市島順子先生の右隣に、見慣れない男の子が立っていた。
塚本佳代が言っていた通り、男の子はたしかに、背がすごく小さかった。
祐太は、小5にしては大きいほうで、身長が160センチあるが、この男の子は、クラス一番小さい事で有名な女子、内本直美の身長133センチよりも小さく感じられた。
カッターシャツにネクタイを付けてブレザーという、いかにもお金持ちそうな服装で、日焼けを一度もしたことがないような真っ白な顔と、ごぼうのような細い手足をしていた。
おぼっちゃまタイプだなあというのが、祐太から見た、男の子に対する第一印象だった。
「ちょっとまてまてーい!」
クラスで一番あほで有名な男子、末吉かおるが立ち上がった。
かおるは男の子に近づいたかと思うと、男の子の名札をまじまじと覗き込んだ。
「なるほど、ふむふむ。わかったで!」
かおるはクラスメイトに向けて振りかえり、腕組みしながらつかつかと歩いて話し出した。
「名札に5年A組 たけないみちるって書いてるやろ」
「5年ってことは同じ学年、ずばり彼は転校生や!」
まるで名探偵になったような口調だった。
「おお~転校生か~」
「さすが名推理!」
何人かの男子が乗っかってきた。
「ざーんねん。探偵さん、おしい」先生が言った。
「なんやて?この名探偵の推理は間違ってるっていいはるんですか?」
かおるが大げさに慌てふためいた。
「転校生というのは正解です」先生が言った。
「ほらやっぱりそうでしょそうでしょ?」かおるが声を張り上げる。
「ですが、たけないみちるというのは間違いです。正しくは、たけうちみちるくんです」
市島先生の先生らしい丁寧な指摘だった。
「おーまいがっ!」
末吉かおるはまるで外国人のようなオーバーリアクションをした。
「間違えおったー」
「かおるあほや!」
「漢字ドリルやりなおせ~」
クラス全員が大笑いした。末吉かおるは満足そうだった。
「はいはい、みなさん、まだみちるくんの自己紹介が終わってないでしょ」市島先生が言った。
クラスメイト全員が竹内みちるを見た。
武内みちるは、みんなの視線を浴びて、急にきょろきょろ落ち着きがなくなった。
しまいには、陸に上がった魚のように、口をパクパクさせていた。
市島先生が竹内みちるの肩をポンとたたいて言った。
「大丈夫、そんなに緊張せんでも、ゆっくりでいいのよ」
竹内みちるはうなずいた。しかし、口を開こうとしても声を出せないでいた。
「趣味とか好きなものはありますか?」
クラスで2番目にかわいい女子で有名な、学級委員長の井上みゆきが笑顔で言った。何人かの男子生徒の注目がみゆきに集まった。
「しゅ……趣味は……漫画です」自分への注目が少なくなったので、みちるは何とか答えることが出来た。
「へーどんな漫画を読むの?」休むまもなく次の質問が飛んできた。
「あ……え……えっと……」竹内みちるは慌てふためいた。
「俺、女の子に告白するのが趣味でーす!」末吉かおるがここぞとばかり立ち上がった。
「お前に聞いてないわ!」永野ゆうじが、かおるへ平手でツッコミを入れた。
「かおる最低~!」女子も一斉にかおるに批難の声を浴びせかけた。
「こりゃ~手厳しい!」かおるの渾身のギャグがさく裂した。
クラスの全員が「どっ」と笑った。
末吉かおるは満足そうだ。
クラスメイトの注目が、かおるに集まっている今しかない。
みちるは決心した。
「みなさん宜しくお願いします!」
竹内みちるは、精一杯声を張り上げて自己紹介をした。
パチパチパチと、先生が手をたたいた。
クラスメイトもそれに習って手をたたいた。
武内みちるは、末吉かおるにちいさくお辞儀をした。
末吉かおるは、鼻をかくようなしぐさをしながら一瞬手をあげて笑った。
「席は、えーとそうね。あそこが空いてるわね」
市島先生は、後ろの席を指差した。
「では、授業を始めますのでみなさん席についてください」先生が言った。
第2話
朝礼が終わっても、五十嵐祐太は絵を描いていた。
やっぱり「ムサシ」が馬に乗った絵を描くのは難しい。
自分では疾走感のある馬に乗ったムサシをイメージして描いてるつもりなのに、これは疾走感がまるでない。そもそも馬というよりネズミに見える。
ネズミに乗ってるムサシはさすがに強そうじゃない。これは馬の絵を描く特訓をしなければ……。
「あの……ちょっといいかな?」
祐太が必死に悩んでいるときに、祐太の右肩を誰かがたたいた。
見ると右隣の席にあの転校生が座っており、申し訳なさそうな顔をしている。
「転向したばっかりで教科書がまだないんだ。」みちるが言った。
五十嵐祐太は、机の中をゴソゴソ漁り、落書きだらけの教科書を取り出してみちるに渡した。
「あ……ありがとう。でも、これだと君が教科書みれなくなるんじゃ……。」みちるが言った。「いいよべつに」祐太は絵を描き始めた。
「それはだめだよ!」みちるの声は、つい大きくなってしまった。
「そうですね。しばらく2人で教科書を使ってくださいね。」
みちるの声が、市島先生に聞こえてしまったようだ。
「あ……はい」祐太は仕方なく、2人の机の間に教科書を開いて置いた。
教科書はびっしりと落書きされていた。
「すごい、絵でいっぱいだね!」
みちるの言葉に、祐太は反応しなかった。
「次のページをめくってください」先生が言った。
次のページをめくると、歴史上の人物の写真にも落書きがされていた。
眉毛がくっついているまではまだ良かった。鼻から生えた鼻毛が両穴から伸びて、真ん中でちょうちょ結びされ、吹き出しには「わたしをもらって」と書かれていた。
みちるは反射的に「ぶへっ!」と変な声をだして笑ってしまった。
そんなみちるを祐太はちらっと見て「にやっ」と笑った。
みちる「これ面白いね」
祐太は「ふっ」と笑って、また絵を描き始めた。
みちる「……あの……さっきはごめん」
祐太「……なにが?」
みちる「さっき大声だしちゃったから」
祐太「ああ……別にいいよ」
祐太は絵を描き続けている。
みちる「えっと……絵……好きなんだね」
祐太は首をひねっている。自分の絵に納得いかないようだ。
みちる「僕も絵が好きなんだ」
祐太「……」
みちる「僕は漫画を描くのが好きなんだ。」
祐太「……漫画?」
祐太の鉛筆がとまった。
祐太「漫画……描けるの?」
みちる「うん。まだ全然面白くないけどね」
みちるはカバンから1冊のノートを取り出して、祐太に渡した。
祐太「これは?」
みちる「いつも描いてる4コマ漫画だよ」
祐太がみちるのノートを開いてみると4コマ漫画がびっしりと描かれていた。
祐太「……これ……君が描いたの?」
みちる「うん、人に見せたのはこれが初めてなんだ」
祐太「す……すごい、上手くて面白くてびっくりしたわ」
みちる「そういわれるとちょっと恥ずかしいな……ありがとう」
祐太はすこし考え、何やら自分で納得したかのようにうなずいた。
祐太「これかも知れん……」
みちる「え?」
祐太「俺……俺も……これ、描いてみたい。俺にもできるかな……」
みちる「もちろんだよ。きっと出来ると思うよ」
祐太「じゃあちょっと描いてみる。あ……えっと、名前はなんていうんやっけ?」
みちる「竹内みちる。みちるでいいよ」
祐太「みちる、あとで俺が描いた4コマ漫画、見てもらってええかな?」
みちる「うん!もちろん!」
祐太「俺は五十嵐祐太。祐太でええよ」
みちる「わかった!祐太よろしく!」
祐太の目が輝き始めた。
放課後
「うーん あかんなあ……」
祐太は自分の4コマ漫画を見ながら頭を抱え込んだ。
「やっぱ難しいなあ。ちょっと見てくれへんか?」
題「火事だ!」作「五十嵐祐太」
1コマ目 子供「わぁ!火事だ!」
2コマ目 子供「家もえてる!」
3コマ目 子供「消防車いっぱいきた」
4コマ目 子供「よかった消えた」
「自分で描いてて何やけど、この4コマ漫画全然おもろないわ。あかんのはわかるんやけど、どこがあかんのか、自分ではようわからへん……みちるどう思う?どこが悪いと思う?」
「え?えっと……自分の漫画じゃないから、どこがいいのかわからないなあ……」
「じゃあ、みちるやったらどんな4コマにする?」
「僕だったら?そ……そうだなぁ」
みちるは少し考えたかと思うと、ノートを取り出して4コマ漫画を描きはじめた。
「こんな感じかな」
題「火事だ!」作「竹内みちる」
1コマ目 子供「わっ!火事だ 消火器がない!」
2コマ目 子供「仕方ない!オシッコで火を消そう!」
3コマ目 子供「ふう火が消えた」「あっ!あれ?夢だったの?」
4コマ目 母「なさけない子ね?」子供「だって消火器がなかったんだもん!」
「ぷっ オネショかよ!」
「ごめん あんまりいい例じゃないねこれ」みちるは照れ笑いをした。
「あはは、さすがやなあ。同じ4コマやのに面白さが全然違うわ。俺は、まだまだ修行が足らんなあ」
「誰も最初からうまい人なんていないと思うよ」
「そやなあ、ちょっとずつでも上達していかんとあかん!」
「そうだね。毎日コツコツ頑張ろうよ」
「そうや、これから毎日放課後に、4コマ漫画を見せ合うようにせえへんか?」
「あ、いいねそれ」
「きまりや!今度はもっと面白いの描いてくるわ」
「うん、楽しみにしてるよ!また明日ね」
みちるはすごいやつや。
でも、こんな近くにこんなうまい奴がいるのは嬉しいことや。
よし、やってやる。
いつかこのみちるに追いついてやる。
第3話
5月6日火曜日 朝 五十嵐祐太の家
祐太の母、美智子が祐太を起こしに来た。
「もう、まだ寝てる!朝やで、はよ起きなさい!」
「う……ねむ……ふわぁ……」
「おねえちゃんにおはようのあいさつ言うたの?」
「あ……まだやった」
「はよ起きて、おはよう言ってきいや」
「う……うん」
祐太はまだ半分開いていない目をこすりながら、のそのそと姉のもとへ向かう。
祐太は正面をむいて座り直し、目を閉じた。
おねえちゃんおはよう。
とても優しいおねえちゃん。
何よりも俺を好きでいてくれたおねえちゃん。
俺も大好きやで。
絵がすごい上手やったお姉ちゃん。
おねえちゃんの絵は特別やったんや。
お世辞とちゃうで、ほんまに見てるだけで幸せな気分になれたんや。
俺もおねえちゃんみたいに絵がうまくなれるかな。
おねえちゃんみたいに、絵で人を幸せな気分にできるやろか。
俺な、あれからずっと頑張って絵を描いてるんやで。
でも全然うまく描けへんねん。
このままやったら俺は、いつまでたっても
おねえちゃんみたいに人を幸せにさせる絵は描けへんかなあって思ってたんや。
昨日な、ちっちゃい転校生がやってきてな。
4コマ漫画ってやつ描いてやったんやけど、これがすごかったんや。
4つの絵に文章をのせるだけで、ただの絵がめっちゃ面白くなるんや。
漫画やったら、人を幸せにすることが出来るかも知れへん。
俺しばらく漫画やってみようと思うんや。
おねえちゃん見とってや。
俺、頑張るからな。
伝え終わると、祐太は目を開いた。
「祐太、おねえちゃんにあいさつ出来たんか?」母の美智子が祐太を見ていた。
「うん」
「今日は報告することが多かったんやね。朝ごはん作ってるからはよたべや」
「はーい」
今日の朝ごはんは、ごはんと鮭と味噌汁だった。
「いただきまーす」
「むしゃむしゃ……パクパク……むにゃむにゃ…………」
「あんたちょっと、食べながら寝てるんやないの?」
「あ、ごめん……」
「なんか帰ってからずっと部屋にこもってたけど、何かあったのかい?」
「なんでもないよ」
昨日の晩、祐太は夜遅くまで漫画を描いていた。
そのせいで今日は本当に眠いのだ。
眠気と戦いながら、なんとか朝ごはんを食べきることが出来た。
「祐太、時間大丈夫なの?」
「げ、もうこんな時間や!いってきまあす!」
半年前、祐太の両親が離婚し、姉は父親、祐太は母親のもとに引き取られた。
2か月前、祐太の姉は、いじめと父親の暴力で精神的に追い詰められ、死んでしまった。
それ以降、祐太の心には大きな傷を負ってしまった。
以前は友達が多く、明るい子だったのに、誰とも話さずに絵ばっかり描いている子になってしまった。
ところが、昨日学校から帰ってきた祐太の目は輝いていた。
「なにか良いことがあったんやね」
美智子は祐太の姿が見えなくなるまで見送った。
5月6日火曜日 朝 御領小学校5年3組
「せんせえきたでえ」
「起立」「礼」「ちゃくせきっ」
「ふう、あぶなかった!ぎりぎりセーフ」みちるはなんとか始業時間に間に合った。
「やあ祐太、ほふぁよう」みちるも祐太と同じように寝不足だっだ。
「みちる……お前も眠れへんかったみたいやな」
「う……うん。ちょっと張り切って描いちゃったからね」
朝礼が終わり、祐太とみちるがぐったりしていると、
「やあ、お二人さん元気?」末吉かおるが話しかけてきた。
「かおる……何の用や?」
「わお!ユータンが俺に声をかけてくれたのは2か月ぶりやなあ、ホンマうれしいわぁ。君たち2人はお友達になったみたいやねえ。うんうん良かった良かった」
かおるはニコニコと笑っている。
祐太とかおるの付き合いは長く、小1から小5までの腐れ縁だった。
「『何の用や』なんて、悲しい事言わんとって!一緒に漫才コンビ組んでた仲やないの♪
「誰もお前とコンビ組んだ覚えはないわ」
「うーん、手厳しい!そのツッコミ、久しぶりやなあ。やっぱ祐太やなあ、うんうん」
来るなと言ってもニコニコついてくる。そんなかおるを、祐太は口では「めんどくさい」と言っているものの、何故だか憎めない奴だとも思っていた。
「あ、昨日は有難うございました。えっと、名前は……」
「おお、たけないみちるくんやね」
「たけうちです」
「おーそうやったそうやった、俺の名前は末吉かおるって言うねん。カー君でもかおたんでも好きなように呼んでや。みっちーよろしくねえ」
初対面なのになんて馴れ馴れしいんだろう。でも悪い人じゃなさそうだ。
「だから何やねん、用事をはよ言えよ」祐太が言うと、
「おおそうやった」と思い出したかのようにニコニコ笑いながらこう言った。
「実はねぇ、昨日二人の会話聞いてたのよねぇ。それでねぇ、2人が漫画を見せ合うっていってたのを聞いてねぇ、是非このわたくしにも見せてもらいたいなあと思ったわけよ」
「は?なんでお前に見せなあかんねん!」
「いやいや、そこはほら、聞いてよ~ユータン♪」
かおるのあーだこーだという説明は、長すぎるので大幅にカットする。
どうやら、かおるの主張はこういうことらしい。
2人だけで見せ合うだけでは、考えが凝り固まってしまう。
本当に漫画を上達したいと考えているなら、第3者の意見も取り入れたほうがいいというのである。
悔しいけど、確かにかおるの言うことにも一理あると思った。
みちると相談した結果、「うん、悪い人じゃなさそうだし、いいんじゃないかな」
ということで、漫画を見せても良いということになった。
第4話
放課後、俺とかおるとみちるだけが残って、3人で机を向かい合わせて座った。
「よし、じゃあはじめよう!まずユータンから」
なぜか、かおるが司会者みたいなことになってるけど、まあいいか。
題「無人島」作「五十嵐祐太」
1コマ目 女「無人島に遭難して2カ月になるわ」男「おなか減った……もう限界だ」
2コマ目 男「あ!船だ!助かった」女「ここにいます!たすけて!」
3コマ目 女「あれ?船じゃないわ」男「なんだあれは」
4コマ目 男「おじいさんが水の上に立ってる!」
「よーし、じゃあ感想を言い合おう。できればいい感想じゃなくて意見をガンガン言いあうほうが参考になるやろ」
しばらくの沈黙のあと、意を決したかのように、みちるが手を挙げた。
「うーん。4コマ目でおじいさんが出てくるけど、なんでおじいさんがでてくるのか、ちょっと意味がわからないかも……」
「えと、なんでって言われてもなあ、なんとなく、無人島やのにおじいちゃんが出てきたら面白いやん」
「ん~おじいさんが出てくるのは意外性があって面白いと思うけど、もう少し何か理由や説明があってもいい気がする」かおるが言った。
「あと、全体にセリフがちょっと長いかな~たとえば『無人島に遭難しちゃった』だけでいいんじゃない?」みちるが言った。
「あんまりセリフが長いと説明的な感じになってまうなあ」かおるが言った。
自信作だっただけに、意見を言われてちょっとショックだった。
でも、確かに言われてみればその通りかもと、気になってきた。
「そうや、おじいさんが立ってる理由も盛り込んでオチにしてみたら?」かおるが言った。
「なるほど~おじいさんが何でここにいるか……」
(そうか!実は……お、こうか……ここをこうして……こうやれば……)
祐太はブツブツといいながら、消しては描いて、4コマ漫画を描きなおした。
「よしできた!これでどうかな」
題「無人島」作「五十嵐祐太」
1コマ目 女「無人島に遭難したわ」男「……もうだめだ」
2コマ目 男「あ、船だ!助けて!」女「あれ?船じゃないわ」
3コマ目 男「おじいさんが水の上に立ってる!」女「なんで立てるの?」
4コマ目 おじいさん「ここすごく浅いし歩いてきたよ」男女「えー!」
「なるほど、無人島かと思ったら、実は水が浅かったっていうオチになってる」
「うん。面白い!だいぶよくなった」みちるが褒めてくれた。
「これならおじいさんが出てきた意外性をそのままに、おじいさんがどうやってここに来れたのがわかるね」と、かおるも納得したみたいだ。
かおるはいつもお笑い芸人みたいなことをやってるだけに、笑いに関してはなかなかするどい観察力をもっているなあと感心した。
何よりも、みちるに誉めてもらえたのはすごくうれしかった。がんばって描いた甲斐があったなあと思う。
「うん、いいねぇ、いいねぇ。じゃあ次はみっちーいってみよう!」
司会者気取りのかおるが言うと、みちるがノートを見せてくれた。
題「泥棒!」作「竹内みちる」
1コマ目 男「泥棒待て~!」泥棒「簡単に捕まるかよ」
2コマ目 泥棒「車で逃げよう」男「くそ~タクシー!」
3コマ目 男「運転手さんあの車を追ってください」運転手「まかせてください」
4コマ目 (車を降りて走って追いかける運転手)運転手「まてぇ!」男と泥棒「走って追いかけるんかい!」
さすがにみちるの4コマ漫画は面白かった。
俺とかおるも意見を言う隙がない完璧な4コマ漫画だった。
みちるも、昨日帰って一生懸命描いたんだなあっていうのがよくわかった。
「うひひひ、4コマ漫画って初めて見たけど面白いんやねぇ。明日も楽しみやねぇ」
「え?明日もくるの?」
「何いってますのん。毎日見させてもらいまっせぇ」かおるが、わざと大げさにニセ関西弁で答えた。
その日から、俺とみちるとかおるは、毎日、放課後に漫画を見せ合った。
4コマ漫画の見せ合いは毎日続いた。
3人はあーでもないこーでもないと、切磋琢磨して次々に4コマ漫画を完成させていった。1日に1作品のはずが、2作品、3作品と次第に描ける数が増えていった。
そんな日々が1か月続いた。
五十嵐祐太は、今日も漫画を描いていた。
祐太の右隣には、竹内みちるが漫画を描いていた。
祐太が1日うんうんと考えて、やっと1つの4コマ漫画を完成させたときには、みちるはすでに2~3作品完成させていた。しかも、それがすべて面白いからすごい。
末吉かおるも、笑いのテクニックやコツなんかを、自分は絵が描けないからと言って、手取り足取り、時には振付けをしながら意見してくれた。
1か月漫画を描いてみて、だいぶコツがわかってきた。
以前と比べたら意見されることも少なくなってきた。
みちるにはさすがにかなわないけれど、自分で言うのもなんだけど、かなり上達したんじゃないかと思う。
末吉かおるは、2人が描いた4コマ漫画を見返して、何度もうなずいていた。
「うんうん、そろそろやなぁ」と、ひとりごとを言ったかと思うと、
「2人に今日は話があるんやけどぉ」突然かおるが話をきりだしてきた。
「こうやって毎日漫画を見せ合ってるわけやけど、僕たちもそろそろ次のステップへ進まんとアカンと思うんよぉ」
「次のステップって?」みちるが聞き返した。
「例えばこの4コマ漫画を学級新聞に載せるっていうのはどうやろか?」
「えええ!」みちるが大きな声を出して、飛び上がって驚いた。
祐太には、なんとなく予感があった。
目立ちたがり屋のかおるなら、いつかこう言うことを言うような気がしていた。
でも、俺とみちるはかおるとは違って、目立った事は出来ない性格なのだ。
俺はこのまま3人で漫画を描いているだけでいい。
このまま卒業まで、目立たずひっそりと静かな小学生でいたいと思っている。
みちるは転校してきたときと同じように、きょろきょろと落ち着きがなくなり、口をパクパクさせている。
みちるが人前で目立つのが苦手だというのは、転校してきたときになんとなくわかっていた。
「あのなあ、かおる。俺たちはおまえと違ってそういうことは出来へんのや、これからも3人で見せ合うだけじゃあかんのかな」
「うーん。あかんわけじゃないんやけど、こんなに面白い4コマ漫画がいっぱいできたのに、このまま3人で見せ合うだけじゃ、もったいない気がするんよねぇ」
「かおるが言いたいこともわかる。俺も、たくさんの人にこの漫画を見てもらいたいって言う気持ちもないわけじゃない。でも、今は無理や。ゆっくり少しずつ考えていけばええんちゃうか」
「ゆっくりねぇ、うーん」かおるは腕を組んで座り込んだ。
少し間が出来たその時、信じられないみちるの発言に、俺もかおるも驚いた。
「あ……あの……あのね……僕……やってみたい……みんなに……僕の漫画、見て……もらいたい」
まさかみちるが、あの人前で話すのが苦手なみちるの口から、やりたいって言う言葉が出てくるとは夢にも思わなかった。
みちるはずっと考えていた。
今までずっと、親の都合で転校を繰り返していた。
友達を作る前に転校をしてしまうので、なかなか友達が出来ないでいた。
そしていつしか、友達を作る方法がわからなくなった。
1人で籠る時間が増えて、漫画を描くようになった。
漫画を描いても、今まで誰にも見せたことが無かった。
本当はもっとみんなと仲良く話したい。もっといろんな人と話したい。
「今までの自分のままじゃいけない。変わらなくちゃいけない」そう思っていた。
必死な顔をしているみちるを見ながら、祐太も考えていた。
みちるは頑張ってやろうとしている。
それやのに俺は、ゆっくり少しずつ考えていけばいいって言ってしまった。
けど、それは逃げてるだけや。前に進まんとあかんのや。
「……そうやな……わかった!みちる、かおるやろうぜ!」
「おお。さすがユータンやで!明日、学級委員に話つけにいこう。まあこの俺にまかせてくれたらええでぇ」
かおるの話を聞いたときは、正直、そんなこと出来るわけないと思ってたけど、
勝手に決めつけていただけや。
逃げているだけや。
俺だって、変わらんとあかんのや。
俺の夢は、「絵で人を幸せにすること」なんや。
このままじゃあかん……俺も、今の自分を変えんとあかん……。
……変わらんとあかん……。
第5話
6月9日月曜日 御領小学校5年3組 朝礼後
学級新聞に自分たちの描いた4コマ漫画を掲載してもらうために、俺たちはまず、学級委員長の「井上みゆきと話そう」ということになった。
ところが、「俺にまかせてよ」と、かおるが井上みゆきに話しかけたところ、いきなり、おもっきりビンタが飛んできたのである。
末吉かおるは、目をぱちくりさせたまま、しばらく何があったかわからないでいた。
なぜ、井上みゆきが、かおるに怒っているのか、まずそれを調べるところから始めるしかなかった。
かおるが男子生徒を呼び集めて聞いて回ったところ、
男子生徒たちからは、「え?まじで言ってるの?」「あのことに決まってるやん」という返答が帰ってきた。
詳しく聞いてみると、とんでもない事実が分かった。
井上みゆきは、成績優秀、顔がかわいい、スポーツ万能、やさしいという、非の打ちどころがないクラス一番の優等生である。
井上みゆき本人も、かなり意識しているらしく、自分はいかに良く見られるか、しぐさや言葉などを日常から研究している努力の人だった。
女子には絶大な人気を誇っていた井上みゆきだが、
何でもできる女子というのは、必ずしも、すべての男子に好かれるわけではなかった。
2か月前に、男子のあいだだけで秘密で行われた、「クラスナンバーワンかわいい女子コンテスト」において、
井上みゆきは「ちょっと頭が悪いけど小悪魔的なかわいさで有名な、工藤めぐみ」に敗れ、ナンバーワンの座を奪われてしまったのだ。
しかも、そのコンテストのことが、誰が言ったのか、女子達に知れ渡ってしまったのである。
井上みゆきは、自分が2位という屈辱と、普段から「こんな子に負けるわけがない」と思っていた「工藤めぐみに負けてしまった」というショックで号泣してしまったらしい。
プライドの高い井上みゆきにとって「クラスナンバーワンかわいい女子コンテスト」事件は、唯一の汚点だった。
そんなコンテストを主催したのが、何を隠そう、末吉かおるだったのだ。
それ以降、井上みゆきは、末吉かおるに対して怒りを覚えているのだが、当の末吉かおる本人は、その事には何も気づいていなかったのである。
「どうすんねん、かおる」
「これは学級新聞は厳しいんじゃないかな」
「うわぁ、困ったなぁ、どうしよう」
さすがのかおるも、演技ではなく本気で困っているようだった。
「そんなこと言っても、今さらやめるなんてできへんやないか」祐太が言った。
「そうだね。でも、かおるくんが話しかけるのはやめておくほうがいいかも」
「そうやなあ、状況を悪化させるだけやなぁ……」
「問題は誰がやるかだけど……」みちるが言うと、
「それはもう決まってるやん」かおると祐太が口をそろえて言った。
かおるも祐太も、2人そろってみちる見てニヤニヤ笑っている。
「えええ!僕が!」
みちるは、やっぱりきょろきょろ落ち着きがなくなり、口をパクパクさせていた。
6月9日月曜日 御領小学校5年3組 昼休み
「俺も前までかおると一緒におったから、ヘタしたらビンタ飛んでくるかも知らんねん。ここは、みちるしかおらへん……たのむわ……」
「みっちーがんばってぇ」
「2人とも他人事だと思って……僕だってビンタ嫌だよ!」
「大丈夫、みちるは転校生やし、嫌われてないと思うから、ビンタはないと思う。たぶん……」
「自分に負けないで~ふぁいとぉ♪」
祐太の根拠のない励ましと、無意味にテンションの高いかおるに見送られて、みちるは井上みゆきを説得するはめになってしまった。
「たぶんって……はぁ……」
井上みゆきの後ろ姿がだんだん大きくなっていく。
転校早々に話しかけてくれた井上みゆきは、大人しそうな子だと思ったのに、まさかいきなりビンタしてくるような凶暴な子だったとは……。
「あ……あのぅ……ちょっといいでしょうか」
みちるがビクビクしながら話しかけた。
「あら、竹内くんどうしたの?何か用事?」
井上みゆきは、さっき末吉かおるをビンタした人とは思えないような、満点の笑顔で振り返った。
よし、ビンタされなかった……よかった……。
「井上みゆきさんって……学級委員長だよね……」
「うん、それがどうしたの?」
「学級新聞って誰が書いてるのかな?」
「学級新聞に興味があるの?」
「あ……いや……うん、どんなこと書いてるのかなあって、ちょっと興味があって……」
「学級新聞に興味があるなんて変わってるね」
「あは、そうかなあ」
「いいよ、見せてあげるね」
井上みゆきは机の中からファイルを取り出して見せてくれた。
ファイルには、これまでの学級新聞がきれいにファイルされていた。
見るとすべての記事が文章で埋め尽くされており、記入者が井上みゆきになっていた。
「すごい、これ全部、井上さんが書いた記事なの?」
「うん、学校行事とか、クラスのみんながどんなクラブ活動をしてるとか、みんなに伝えなきゃいけないことがたくさんあるから」
「学級新聞を1人で書いてるなんて大変じゃない?すごいなあ」
「そんなことないよぉ。日記みたいに書いてるようなものだからそんな大変じゃないよ」
ここまではいい感じで話すことが出来たと思う。
女の子と話したことなんて、今まで全然なかったのに、これだけ話せてるのは奇跡だ。
自分で自分をほめてやりたいと、みちるは思った。
「えっと……新聞の記事、ちょっと読ませてもらったけど……えっと、漫画とか、のせたりしないのかな?」
「え?漫画?」
「あ、いや……うん、よく新聞には4コマ漫画みたいなのあるじゃん」
「ああ、4コマ漫画ね」
「そうそう、4コマ漫画」
「うーん。たしかに、読んでる人も、文字ばっかりの記事よりは、4コマ漫画とかイラストがあってもいいかも……でも、私はあんまり絵が得意じゃないからなあ……」
「あ……そっかあ……へえ、そうなのかあ」
「うん?どうかしたの?」
「あ、いや……えっと、今ね、僕と友達で4コマ漫画を描いてるんだけど、もしよかったら、それを学級新聞に載せてもらうことは出来ないかなあと思って……」
「へー竹内くん、漫画描けるんだぁ」
うん、ちょっと待ってね、こういうのなんだけど。
みちるが4コマ漫画を描いたノートをとり出して、井上みゆきに見せた。
「へえ、これはみちるくんが全部描いたの?……へえ、すごいじゃない。なかなかいいじゃない」
「そ……そう?あ、ありがとう!」
「友達と一緒に描いてるって聞いたけど、友達って誰のことなの?」
「えっと、五十嵐と、す……いや、五十嵐だよ……うん」
五十嵐と末吉って言おうとしたけど、やっぱりやめておいた。
かおるくんには悪いけど、もしここでかおるくんの名前を出してしまうと、いきなり僕までビンタが飛んでくるかも知れないからだ……。
ここはとにかくオッケーをもらうことが大事だと思った。
「へえ!五十嵐くんが一緒に漫画を描いてるなんて意外だなあ」
「そ、そうかな?」
「彼は最近ずっと誰とも話さなくなってたから……っと、ごめんなさい、あは、何でもない」
「あの……4コマ漫画の件だけど……どうかな?」
「もちろんいいに決まってるじゃないの!じゃあ、締め切りは毎週金曜日だからそれまでに持ってきてね」
「本当に!?よかった!ありがとう!」
みちるは、後ろの席で寝たフリをしているかおると、漫画を描いたフリをしている祐太にわかるように、後ろに手をまわしてVサインを送った。
祐太とかおるは机の下で小さくガッツポーズした。
第6話
学級新聞のために渡す4コマ漫画が完成した。
「誰が渡しに行くか」という相談もなく、結局みちるが渡しにいくことが決まった。
「い……井上さん……お……おはよう」
「あら、竹内くんおはよう」
「こ……これ、もってきました……」
「学級新聞に載せる4コマ漫画ね。へー良く出来てる。確かに預かりました。
学級新聞は月曜と木曜の週2回だけど、月曜と木曜両方描いてもらっても大丈夫?」
「そ、それは大丈夫、僕たち2人で描いてるから……月曜と木曜で担当わけようかと思ってるんだ……」
「そっか、五十嵐君と2人で描いてるんだったね。じゃあ、来週の月曜と木曜にこの4コマ漫画を載せることにするね」
「うん、ありがとう……じゃあ」
「じゃあね~」
井上さんは、僕が転校してはじめて声をかけてくれた女の子だ。
かおるくんにいきなりビンタしたときは、もしかして怖い人なのかと思ったけど、話してみると、いつも笑顔で話しかけてくれた。
とてもかわいくて、素敵な人だと思った。
「クラスナンバーワンかわいい女子コンテスト」の2位になったと聞いたけど、僕の中では一番だなあとみちるは思った。
6月16日月曜日 御領小学校5年3組 朝礼後
学級新聞に、4コマ漫画が掲載されるようになった。
学級新聞は、毎週2回、生徒たちに配られる連絡や、クラスの出来事などの記事が主な内容になっているが、なぜか、生徒はほとんど読む人がいなかった。
まともに読んでいる人は、担任の市島先生と、一部の井上みゆきの熱狂的ファンクラブ「みゆきお嬢会」のメンバーぐらいしかいなかった。
ところが、学級新聞の4コマ漫画が掲載されるようになってから、今までにない事件がおきた。
クラスの目安箱に「4コマ漫画が面白かった」という1通の感想文が書かれていたのである。
井上みゆきは、4コマ漫画が自分の作った学級新聞が多くの人に見てもらえるキッカケになったと、みちると祐太に感謝の気持ちを伝えた。
自分たちの描いた4コマ漫画をみて、喜んでくれている人がいる。
みちると祐太は、努力が認められたことの喜びを噛みしめた。
みちると祐太、そして、かおるは、前にもまして熱心に4コマ漫画のネタを考えるようになった。
小学生の興味があるものや、今、流行しているものは何なのか、生徒に聞き込み調査をしたり、
末吉かおるのアイデアで、クラスメイトの身内ネタも漫画に取り入れるようになった。
木曜ぶんの学級新聞が配られた、次の日の朝。
今度は、クラスの目安箱では、4コマ漫画の感想文が5通届いていた。
次の週、さらに次の週と、週をかさねるごとに、「学級新聞の4コマ漫画が面白い」というクチコミが広がり、
気が付けば、クラスの生徒のほとんどが学級新聞を読むようになっていた。
クラスの目安箱には、井上みゆきの記事に関しては一言も書かれていないのに、4コマ漫画についての感想が日に日に増えていった。
始めは「新聞の宣伝になる」としか思っていなかった4コマ漫画なのに、今となっては自分の書いた新聞の記事よりも、必要とされている。
井上みゆきは、本当は自分の新聞は、必要とされていないのではないかと思うようになった。
仕舞いには、自分は必要ないのではないかと思うようになった。
井上みゆきは、何でも出来る天才美少女だった。
負けることは絶対に許せなかった。
小学5年生ながら小6を含む全学年トップの成績だった。
習い事は、剣道、空手、合気道、乗馬、ピアノ、クラシックバレエをこなし、いずれも全国一位になるほどの実力だった。
親は小さいころから井上みゆきを厳しく育てた。
何をやっても一番になりなさい。人の上に立つ人間になりなさいと、子供のころから毎日のように言い聞かされた。
井上みゆきは毎日休まずに必死に努力した。
「自分が一番じゃなければいけない」親に教えられたことを必死に頑張った。
学校においても、厳しい教えを守らなければならなかった。
井上みゆきはまず学級委員になった。
さらに風紀委員の仕事も兼任し、すべての管理を井上みゆき1人で行った。
仕事に対する責任感も非常に強く、いままで作業が遅れてしまうなどという事は一度もなかったので、担任の市島先生も、生徒たちも、井上みゆきに対しては全幅の信頼を寄せた。
ところが、井上みゆきは、自身の能力があまりにも高すぎる為に、他人に合わせて自分の力を加減するという事が出来なかった。
そのために、井上みゆき本人が、簡単だと思っていることでも、普通の小学生からすれば難しくてわからない事が多かった。
「学級新聞」は、まさにその良い例だった。
記事の内容は、大人でも理解するのが難解な世界情勢の話題などが、小学生で習ったことのない漢字はもちろん、時には英語を使って書かれていた。
そんな文章がびっしり埋め尽くされた新聞を、普通の小学生が読めるわけがなかった。
この記事が高校や大学生の新聞の記事であれば、この記事は優れた文章として脚光を浴びていたのかもしれない。
しかし、この記事を読んでいるのは小学生なのだ。
小学生が読めるように工夫をしなければならなかった。
「勝ちなさい」「一番になりなさい」生まれてから今まで、そう教えられてきた。
自分のレベルを下げて、相手のレベルに合わせるという、そんな簡単なことを、井上みゆきは、今まで一度も教えられたことが無かった。
どうして負けたのかわからなかった。
どうすればいいのか、わからなくなってしまった。
井上みゆきは、急にぽろぽろと涙が出て止まらなくなった。
どうして私はこんなにみじめなんだろう。
自分でもどうすればいいかわからず、ただ泣くしかなかった。
第7話
4コマ漫画は、作者名に「ムサシ」というペンネームで書かれていたが、
生徒のほとんどは、祐太が、仮面のヒーロー「ムサシ」の大ファンであることを知っていたので、月曜の作者が祐太であることはすぐにばれた。
木曜の4コマ漫画については、かおるがクチをすべらせて、ばれてしまった。
「ばれちゃったからには、サインを頼まれちゃうかもしれないねえ」と、かおるが言っていたが、
4コマ漫画の作者が2人であるという事がばれても、2人に話しかけてくる人もあまりいなかった。
結局、普段とあまり変わらない日常となり、祐太の考えたサインはお蔵入りになった。
「よし!今週の4コマ漫画はこれで行こう!」
「いや~2人とも慣れたものだねぇ。現場監督の私も鼻が高いよぉ」
「誰が現場監督やねん」祐太とみちるが、かおるにツッコミをいれた。
「いや~手厳しい!みっちーまでツッコミしてくるとは、お母さん嬉しいよ」
「君から生まれたくないわ」
「いいね!いいねぇ!みっちー腕をあげたねぇ」
最近は、かおるがボケて、2人でつっこむのが日課になっていた。
みちるも、かおるの扱いが、だいぶ慣れてきたなあと、祐太は思った。
今回も当然のように、4コマ漫画を井上みゆきに渡す役は、みちるだった。
みちるも特に嫌がることもなく、むしろ自分から渡しに行くようになっていた。
「じゃあいってくるね~」
みちるはニコニコしながら、井上みゆきのもとへと向かった。
「井上さん!原稿出来ました。お願いします」
「……」
井上みゆきは背を向けたまま、振り向いてくれなかった。
「あれ?井上さん?」
良く見ると井上みゆきは肩を震わせていた。
みちるは、井上みゆきの正面に回り込んだ。
「あっ!」
井上みゆきの大きな瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれていた。
「井上さん……どうしたんですか……何かあったんですか?」
「みちるくん……ごめんなさい……なんでもないの……」
「ぼ……僕……こんな僕でも、手伝えることあったら言ってください!」
みちるの声を聞いて、少し気持ちが落ち着いた井上みゆきは、みちるにニッコリ微笑んで、「ありがとう」と言い、原稿を受け取ってくれた。
自分の席に戻ったみちるは、もう一度、遠くから井上みゆきの背中を見た。
さっきは、いつもの井上みゆきじゃなかった。
「どうしたんだろう……」
「ん?何か言った?」
祐太に聞かれたが、「うん、何でもない」と言って席に座った。
授業中もみちるは時々井上みゆきを見ていたが、3時間目あたりから、いつもの井上みゆきに戻って、隣の席の女子と笑いながら話していた。
放課後……
今日は漫画の原稿も提出し終わったので、早めに帰ることになった。
みちるがランドセルに教科書を入れて、帰宅の準備をしていると、なんと、井上みゆきがみちるのほうに近づいてきた。
「みちるくん。話があるの。ちょっといいかな」
みちるは驚いたが、井上みゆきの真剣な表情を察して、「うん、わかった」と、井上みゆきについて行った。
祐太とかおるは2人とも、クチをあんぐり開いたまま、2人のやりとりを見ていた。
「なにあれぇ、あの2人もしかして!」
「何か真剣な顔してたな」
「ユータンどうする?」
「もちろん尾行するで」
「よしきた!まっかせとけぇ!」
「あほか!そんなでかい声出したらばれるやろ」
「手厳しい!」
そんなことを言ってる間に、かおると祐太は2人を見失ってしまった。
新体育館から、ちょっと歩いた先に、旧体育館がある。
今はもう使われていないため、近々取り壊される予定になっており、扉には鍵がかけられていた。
みちるがふと、旧体育館の片隅を見てみると、小さな庭があった。
手入れをされており、きれいな花が咲いていた。
「へえ、こんなところに庭があったんだ」
「そうなの。ここ、お気に入りだったんだ……ここも一緒に壊されちゃうんだって……」
「そうなんだ。こんなに花が咲いて綺麗なのにね」
「うん。私は毎朝、ここの花に水をあげるのが好きなの」
井上みゆきは、寂しそうに花を眺めていた。
みちるは花を眺めてる井上みゆきを見て、「本当に綺麗だねえ」と言った。
「私ね、本当は、習い事あるからすぐに帰らないといけないのよ」
「そうなんだ。じゃあまた明日にする?」
「うーん。いいの。今日さぼっちゃうんだ」
「え?そんな……大丈夫なの?」
「いいのいいのー」
井上みゆきがいたずらっ子のように、みちるに笑った。
みちるは井上みゆきを見て、「あはは」と笑った。
「なに笑ってるのよ~」
「え?だって、井上さんって、そんな顔するんだなと思って……」
「え~どういう意味よ~」
「井上さんって、すごくまじめな人なんだなと思ってたんだ。でも、今はなんだかいつもと違う感じがする」
「まじめ……かぁ……」
「いや、真面目が悪いとかじゃないんだ。でも、今の井上さんは、何というか……いい感じだよ」
「いい感じ?」
「そうそう。いい感じ」
「そっかぁ。ありがと~」
何か言いたいけど言いたくない。そんな感じがした。
でも、僕を呼んでくれたんだから、最後まで聞き役になろうと思った。
「私のウチ、親が厳しくて、たくさん習い事してるの。週に7回よ」
「えっ?7回って毎日じゃない?」
「うん。毎日習い事」
「うわぁ、大変だなぁ」
「勉強もスポーツも1番じゃないとダメだって」
「1番に?」
「うん。何やっても負けるなって、そう教えられてきたの」
「そうなんだ……でも、井上さん実際、何でも出来るしすごいと思うよ」
「私も……何でも出来るって思ってたの。でも、ダメなのよね~」
「ダメ?」
「どうしてもできない事があるのよ」
「そっかぁ。まあでも得意と不得意はあるものだから仕方ないよね」
「えっ?」
「人間だから、出来ない事があるのは当たり前だと思うよ」
「出来ない事があるのは当たり前……?」
「そうそう。僕だって出来ない事ばっかりだけど、いつも祐太や、かおるくんに助けてもらってる」
「五十嵐くんと末吉くん?」
「あ……うん。友達なんだ……」
「友達……かぁ」
「かおるくん……ちょっと変だけど……話せばいいやつだよ」
「うん。そうね。まえに引っぱたいちゃったけどね」
「あはは」
「4コマ漫画人気すごいね。私びっくりしちゃった」
「あ~うん。僕もあんなになると思ってなかった。あの2人のおかげだよ」
「私は竹内くんの漫画すごいと思うけどなあ」
「いや、僕だけじゃあんな人気が出るものは出来なかったと思う。あの2人がいたから出来たんだ」
「そうなんだ~」
「うん。祐太がいないとあれだけたくさんの漫画は描けなかったと思う。漫画を一緒に描ける、同じ趣味がある友達。僕、ずっと友達いなかったんだ……」
「同じ趣味がある友達かぁ、いいね~」
「うん。あと、僕も祐太もあんまり前に出て話せないけど、かおるくんが盛り上げてくれるんだ。学級新聞に載せようって言ったのも、かおるくんなんだよ」
「そうなんだ~」
「井上さんの説得は俺に任せろ~って言ってた」
「それって、前に引っぱたいちゃったときの?」
「あはは。そうそう。その時だよ」
「そっか~そうなんだ~」
「私の学級新聞の記事……君たちの4コマ漫画に負けちゃった~」
「え?」
「あんなの……私、勝てないよ~ずるいよ~3人で」
「あ……ごめんなさい……」
「うそうそ~冗談よ」
「でも、あのとき、泣いてたのって、もしかして、僕たちのせい……?」
「うーん……」
「……本当にごめんなさい。あの4コマ漫画、2人に言ってもう、やめることにするから……」
「ちがうの。さっき話してて気づいたのよ。私が勝てなかった理由」
「理由?」
「うん。3人で助け合うっていいなと思う。私、そういうところが足らないと思う。私、何でも1人でやってしまってた。でも、限界があるって気づいたの」
「五十嵐くんと末吉くんの話聞いてて、いいなあって思った。私もその中に入りたいなあって」
「え?」
「4コマ漫画にも、私を参加させて欲しいの。あと、私の書く新聞の記事にも、3人に意見してほしいの」
「ええっ!」
「だめかな?」
「もちろん!大歓迎だよ!きっと2人もわかってくれると思う。一緒にやろうよ」
「よかった!ありがとう」
「ちょっとちょっと~そんなこと勝手に決めてもらったら困るよ~みっちー!」
みちるの背後から声が聞こえた。
見ると、かおると祐太が腕組みして、仁王立ちしていた。
「かおるくん?祐太も!……いつのまにいたの……?」
「えっと……『また引っぱたいちゃったけどね』ぐらいから」祐太が答えた。
「あ……末吉くん。あの時は、ごめんなさい……」
「かおるくん。ビンタされたことで怒ってるの?」
井上みゆきとみちるの問いかけにも、かおるは答えなかった。
腕組みしたままうつむいている。
しばらくすると、かおるの肩がぴくぴく震えだした。
「……わはははは!なーんちゃって!うそうそ~うそよ~ん♪」
「…………」
庭一面に、変な空気が、あたりを包んだ。
「ほらぁ。絶対すべると思ったからやめとけ言うたやないか」祐太が言った。
「あれ?絶対ウケると思ったんやけどなぁ」かおるは悔しそうに言った。
井上みゆきが低い声で「す~え~よ~し~か~お~る~」といいながら、かおるに向かって歩み寄ってきた。
「わ!ごめんなさいごめんなさい!もうしません~」
「あははは」
「そうだ、私、みゆきでいいからね」
「わかった!みゆたん」
「かおる~!気安すぎる!」
「みゆたんいいなあ」
そのあとは、4コマ漫画の話や、かおるの1人漫才、
どうでもいいつまらない話を、4人で延々と話した。
4コマ漫画だけじゃなく、4人で学級新聞を最初から作り直すことになった。
作り方は、4コマ漫画を作るときと同じ、4人で助け合って意見を出し合う。
とにかくやってみないとわからないけど、4人いればもっと良いものが出来るはずだ。
いつのまにか空がだんだん赤くなってきた。
「ああ、もう6時かぁ。そろそろ帰ろうか」と、祐太が言うと、
「習い事の時間は何時から?」と、みちるが言った。
「5時!」と、みゆきが答えると、
「おー!まいがっ!」と、かおるの声が校舎に響き渡った。
第8話
7月3日水曜日 御領小学校5年3組 放課後
4人は学級新聞を1から作り直すことになった。
まずは学級新聞を最初から読んでみることにした。
学級新聞を読んでいくにつれ、3人とも段々と表情が険しくなっていった。
「どこがダメだと思う?正直に言ってみて」と、みゆきが言った。
「そ……それは、うーん……えっと」と、みちるはなかなか言えずにいた。
「みちる。ここは言ってやらなあかんで。現状を知ってもらうためにも、全員が思ってることは全部言う。
それが俺たちの決まりやろ?」と祐太が言った。
「私もそのほうがありがたいな。はっきりと言ってほしいの」と、みゆきが言った。
「じゃあ、俺から言わせてもらう」と、祐太が言った。
「全体的に難しい文字が使われてるけど、これがまず読む気をなくすと思う。俺たちは小学五年生なんやから、小5で習う漢字までに留めとかんとアカンで。
例えば、ここは小5で習った漢字が使われてない。それに、ここ英語使われてるから読めへん。ここもそうや。ここも、ここもや」
「記事が全部まじめすぎるねんなぁ。これじゃ読者が読もうという気にならへんわ。ここらへんで笑えるようなネタが欲しいな。
あとここの世界情勢とかいう記事は、普通の新聞ちゃうんやから小学生はわからへんで、これはいらんやろ……ああ、これもいらんな……」
かおるがじっくりと新聞の記事を読み返しながら1つずつ指摘して言った。
「みちるはどう思う?」祐太が促した。
みちるはしばらくうつむいて考えていたが、意を決したかのように口を開いた。
「えっと……まず、字が多すぎると思うんだ……そうだなあ、要点を絞って文字数を減らすほうが良いと思う。
文字数を今の半分ぐらいまで削って……ここらへんのレイアウトも、もっと見やすく……」
3人は思っていることを隠さずに言った。
みゆきは、3人の言葉を聞きながら、1つ1つメモを取っては、うんうんと頷いていた。
「ありがとう。この意見を参考にして、次までに直してくるね。じゃあ、次は4コマ漫画を4人で読んで感想を言いましょう」
「あ、みゆきさんそろそろ習い事の時間じゃない?」と、みちるがみゆきを気遣って言った。
「大丈夫。学級新聞の意見だけもらって帰るなんて無責任なこと出来ないわ。4コマ漫画見せてもらっていい?」
みゆきの意志は強かったので、それ以上食い下がって言うことは出来なかった。
4コマ漫画も、同じようにそれぞれ感想や意見を出し合った。
みゆきは初めてながら、的確な指摘やアイデアをたくさん提供してくれた。
「みゆきさん、さすがだね~初めてとは思えないよ」
「あは。この日のために4コマ漫画のこと、予習してきたからね」
「おかげでいいものができそうやな」
「よっしゃ~この調子で頑張ろぉ~」
それから毎日、放課後に集まって、ああでもないこうでもないと、4人で試行錯誤を繰り返し、4人で学級新聞を作り上げていった。
木曜の学級新聞は、もうすでに印刷が終わっていたので間に合わなかったが、
月曜には、今までのものとはあきらかに違う、新生学級新聞を、クラスの全員にお披露目することが出来るだろう。
「月曜が楽しみだね」とみちるが言うと、「そうね」とみゆきも嬉しそうに答えた。
7月7日月曜日 御領小学校5年3組 朝礼
「せんせえきたでえ」
「起立」「礼」「ちゃくせきっ」
市島先生が、完成した学級新聞を生徒の人数分印刷してくれていた。
学級新聞は、小学5年生でも、わかりやすく、楽しくて見やすいものになっていた。
生徒の反応も、上々の反応だった。
いつもの4コマ3人組は嬉しい反面、少し心に引っかかるものがあった。
井上みゆきが欠席していたのだ。
先生に確認したところ、風邪のためにお休みとのことだった。
「風邪なら仕方がないね。はやく良くなるといいけど」みちるが言うと、
「慣れない事したから体調崩したんかもな」と、祐太が言った。
「そうや。お見舞いがてら。出来た学級新聞とどけに行かない?」かおるが言うと、
「それはいいね!みんなで行こうよ!」と、みちるが言った。
「うーん。ええと思うけど、渡せるかどうかわからんで」
「どういうこと?祐太はみゆきさんの家知ってるの?」
「まあな……よし、行ってみるか!」
放課後、先生から学級新聞を預かって、僕たち3人はみゆきさんの家へ向かった。
下校して20分ほど歩くと、お城みたいな建物の近くまできた。
僕たちは、その建物の塀ぞいに、さらに10分ほど歩いた。
「結構歩いたね。まだつかないのかな?ここらへんずっと同じ景色だし、塀ばっかり……」
「もうだいぶ前についてるよ。ここが井上の家や……」
「えっ?どういう事?」
「この建物全体が井上の家なんや」
「えええ!」
学校の校舎が、3つほど入るんじゃないかっていうぐらいの、大きな城のような建物。
そこが井上みゆきの家だった。
いや、家というか……すごい大豪邸だ。
「玄関ってどこにあるの?」
「わからん。いま探してるとこや」
「え?わかんないの?」
「家は知ってるけど入ったことはないからな。みちるとかおるも探してくれ」
「そんな~大変だよこれ」
「ある意味迷路やでぇ」
30分ほど探したんじゃないだろうか……。
「おーい!あったで~ここやでぇ!」
かおるが玄関を見つけてくれた。
玄関は見つけたものの、チャイムらしきものは見つからなかった。
「うーん困ったなあ。どうやって連絡すればええんや」
「誰か来るのまつ?」
「そうやなあ。待ってみるか」
それから30分待ち、40分たっても、門をくぐる人も車も、まったく見かけなかった。
赤かった夕日ももう落ちようとしていた。
「これはあかんやつや~」ついにかおるが座り込んでしまった。
「まあ、風邪って言うてるから2~3日もすれば治って学校来るやろう。今日のところは帰ろうか」祐太が言うと、
「そうだね。残念だけど今日は帰ろう……」みちるも渋々従うしかなかった。
結局、みゆきに学級新聞を渡すこともなく3人は、帰らざるを得なかった。
7月14日月曜日
一週間経っても、みゆきが学校に顔を出すことが無かった。
学級新聞の発行も先週からずっとストップしている。
生徒たちもさすがに心配していた。
「風邪で一週間休むって言うのはおかしくないか?」
「学級新聞楽しみにしてるのになぁ……」
生徒たちはそれぞれに思う事があるようだった。
「先生、井上さんは今日も休みなんですか?」塚本佳代が言うと、
「ご両親に問い合わせてみたのだけど、風邪が長引いてるらしいのよ。でもちょっと心配ね」と先生が言った。
放課後、いつもの4コマ3人組が集まった。
いつもなら、4コマ漫画のネタの打ち合わせをするのだが、みちるはもう、それどころじゃなかった。
「みゆきさんの家にもう一回行こう!」
「みちる。またこないだみたいに誰も来んでもええんか?」
「いやいや~ユータンもわかってないねえ。それでも行くのがオトコってやつやで!」
「さすがかおるくん。良い事言うねぇ」
「へへ!そうやろそうやろ!便は急げやで!」
「それを言うなら善は急げやろ」
「まあ細かい事は気にしない~いくでぇ!」
みゆきさんの顔を見るまでは帰らない。
みちるの決心は固かった。
第9話
みゆきさんの家の場所は、もうわかっている。
玄関もどこにあるのかも、もう覚えた。
このあいだは、扉が閉まったままで、誰も出入りすることがなくて帰ってしまったけど、今回は違う。何が何でも会うんだ。
みちるは何か、胸騒ぎがしてならなかった。
このままでは、井上みゆきに一生会えなくなるような、そんな気がした。
1週間も学校を休むという事は、風邪ではなく、何かの理由で学校に来れなくなっているような気がしてならなかった。
井上みゆきに一度会って、話をしなければ、納得がいかなかった。
「……ちー」
「……っちー」
「おーい!みっちー?」
「ん、なに?かおるくん?」
「なに?じゃないよぉ。何思いつめた顔してるんや」
「玄関ついたで。どうする?」祐太が大きくて頑丈な門を触りながら言った。
「もちろん待つよ。今日は絶対会わないといけない気がする」
「そっか~なるほど……みちるは井上にホレてるんやな」祐太がニヤニヤと笑いながら言った。
「なっ!何変なこと言ってるんだよ!友達だったら心配するに決まってるじゃないか……まったくもう!」
「おいおい。ゆーたんもそこは気づいてても気づかんフリしてあげるのがテレパシーってやつやで」
「テレパシー?」祐太が言うと、
「デリカシーだよ」みちるが真顔で答えた。
「それにしても、声が大きくなっちゃうところが、またかわいいねぇ」
「かおるくんまで!茶化さないでよ!」
「おっとぉ!ごめんよぉ」
「でもなあ、こないだ来たときは、誰ひとり通らんかったんやで。今回もそうやったらどうするつもりや?」祐太が言うと、
「それは……そのときだ!」みちるは何か決意したような表情で答えた。
30分待ち、さらに1時間が経った。
それでもやはり、井上邸には誰一人通ることが無かった。
「どうする?まだ誰か来るの待つんか?」祐太は門をゆすりながら言った。
「いや、塀を飛び越えてでも会いに行く!」。
「まじかー」祐太が呆れたような表情で言った。
「ゆーたんこれはもう何を言うても無駄っぽいで。オトコならヤッテヤレやで!」
「うーん。やるしかないか……おーし!俺も腹くくったで!」
3人は目の前にそびえたつ門を見上げた。
ゆうに3メートルはある。身長130センチに満たないみちるには、自分の3倍ほどの高さに見えた。
「うーん。仮に3人で肩車して、1人が一番上に登れたとしても、3メートルの高さから飛び降りるのは危険やな。さて、どうしたものか……」祐太が言うと、
「何かロープみたいなのがあればいいけど……」みちるが言った。
「ロープ?あるよ」かおるが平然と答えた。
「だって、コント漫才するならやっぱ、ロープは必需品やんか」
そう言って、かおるはランドセルからゴソゴソとロープを探した。
かおるのランドセルの中からは、はさみ、木工用ボンド、絵の具、ガムテープ、マジックなど、いろんな道具が出てきた。
「これでもない、あれでもない、お、あった。これや!デレレレッデレーン♪」
「お前は未来から来た猫型ロボットか!」
今回ばかりは、かおるのあほな考えが役に立った。
まずはロープを10センチ間隔に結び目を付けて引っ掛かりやすくした。
ロープの先端を輪にして門の上にほおり投げ、残ったロープはしっかり門の丈夫そうな柱にくくりつけた。
一番体格のいい祐太が一番下になり、祐太の肩にかおるが乗った。
その上にみちるが登り、門のてっぺんからロープをつたって降りていく。
みちるが登り切り、かおるも同じように登り切った。
かおるとみちるが門の奥から手を出して、2人の手の上に祐太が乗った。
2人は、そのまま祐太の足をささえながら、下から上にゆっくり持ち上げた。
すると、祐太が門のてっぺんに登ることが出来た。
あとはロープをつたって登り切る事が出来た。
「ふーなんとかなるもんやな」
「これで俺たちも家宅侵入罪ですなあ」
「子供だから、たぶん大丈夫……なはず……」
「こんな若くして捕まるのは嫌やなあ……」
「んなこと言っている場合じゃないよ!行くよ!」と、物に入ろうとしたところ、遠くから「ウォン」「ウォン」と、犬の鳴き声が聞こえた。
すると、建物の奥、まだだいぶ遠くにはいるけれど、全長2メートルはあろうかというドーベルマンがこちらに向かってものすごい勢いで走ってきた。
「やばい!番犬やぞ!」
「逃げろ!」
「ウォン」「ウォン」「ウォン」「ウォン」「ウォン」「ウォン」
子犬の鳴き声とは違う、大型犬の独特のうねるような低い鳴き声が、だんだんと大きくなっていく。
筋肉質なその大きな体と鋭い牙で、小学五年生の肉など、簡単に引き裂いてしまうだろう。
3人組は死に物狂いで逃げた。
「うわあああああぁ!」みちるが大声を上げながら逃げた。
ドーベルマンものすごい勢いで、ぐんぐんと距離を詰めてくる。
3人の残り30メートルまで迫ってきた。
20メートル
10メートル
……そのとき!
「デューク!来い!」
という掛け声を合図に、ドーベルマンの動きが止まり、シッポを振って緑色の建物のほうに走って行った。
3人は放心状態で緑の建物のほうに目をやった。
見ると、さっきの犬の前に人が座っていた。
「行け!」
すると、ドーベルマンは、さっきいた奥の建物のほうに戻って行った。
「人が寝とったのにやかましいのう。誰じゃあんたらは?」
見ると、80歳にもなろうかという、おじいさんだった。
「あ……すいません。ありがとうございます」
「ここに何の用じゃ?許可はとってあるのか?」
「いえ……ないです。ごめんなさい」
「なんと、無許可で入ってきたのか!門は閉まっておったじゃろう?どうやって入った?」
「えっと……ロープです」
「はっはっはっは。腕白な悪ガキがこんな時代にもいるとはのう」
「す……すみません」
「まあええわ。何しに来たんじゃ?物取りでもあるまい」
「えっと、みゆきさんのお見舞いに来ました」
「なんと、お前たちはみゆきの友達か」
「はい。風邪で一週間も休んでるのが心配で……」
「うむ……そうか……」
「あの、みゆきさんに会いたいんですが、どこに行けば会えますか?」
「……みゆきは……病院におる」
「えっ?風邪がそんなにひどいんですか?」
「……風邪ではなかったんじゃ……」
「え?」
次のおじいさんの言葉を聞いて、僕たちは衝撃のあまり、声が出なかった。
第10話
「みゆきは、井上家の次期当主として、毎日、毎晩遅くまで英才教育を強いられておった……。
じゃが、この頃みゆきは、どういうわけか学校にいる時間が長くなっての……次第に教育を拒否するようになっていったのじゃ……。
それを知った父親が、言いつけを守るまで、食事をいっさい与えないと言いつけて、みゆきを、独房に監禁してしまったのじゃ……」
「みゆきは、なにも口に入れようとせんかった。
何も口に入れず、独房から出ようとせんかった……。
一週間が経ったときに、みゆきはついに倒れてしまったのじゃ。
すぐに病院に運ばれたが、発見が少しでも遅れていたら、
命が危なかったそうじゃ」
「みゆきは、これまでずっと、親の言いなりになっておった。
反抗的な態度を一度も取る事はなかった。
みゆきが英才教育を拒否するようになったのは、
あの子の中で何か心の変化があったに違いない」
「心が変化するという事は、成長しているという事じゃ。
それはそれで喜ばしい事じゃと思っておる。
じゃが、あのような危険な真似はもうして欲しくない。
ワシの大事なかわいい孫なんじゃ。
あの子が元気でいてくれればそれでいいんじゃ。
英才教育なんぞ、どうでもいいわい……」
「あ、あの……僕ら……みゆきさんと一緒に学級新聞作ってるんです」かおるが言った。
「ほう、学級新聞か……」
「はい……最近放課後にずっと残ってたのは、4人で学級新聞を作っていたからなんです。
そのせいで、みゆきさんの帰りが遅くなってしまったんです……」と、かおるが言うと、「こういうことになってしまった原因は、僕たちにもあると思います」と、祐太が言った。
「ごめんなさい!」3人がおじいさんに頭をさげて謝った。
「なるほど、学校が遅くなったのはそういう理由があったのか……。
なになに、お前たちは悪くないわい。むしろ、みゆきの心を変えてくれたお前たちには感謝しておるよ。
そうじゃ、みゆきに会ってやってもらえるかの、あの子も喜んでもらえると思うのじゃが……」
「はい!もちろんです」と、3人は大きく頷いた。
「おい!誰かおるか」
おじいさんの声で、黒いスーツの人たちがいっぱい集まってきた。
「この子たちを、みゆきのいる病院に案内しろ。丁重に扱えよ」
黒い背広を着た人が運転をしてくれる事になった。
すごく長くて大きな黒い車だった。
みゆきさんを独房に入れたみゆきさんのお父さんはひどい人だと思ったけど、
おじいさんは、みゆきさんへの愛情が伝わってきた。
「おじいさん、いい人だったね」とみちるが言うと、
「うん。でも、よく喋るじいさんやったな」と祐太が言った。
「ちょっと話が長すぎやけど、ええ人やぁ」とかおるが言った。
病院に到着した頃には、すでに空が暗くなっていた。
面会の時間はとっくに過ぎていたけど、運転をしてくれた黒い背広の人が看護師さんに事情を話すと、特別に面会させてもらえることになった。
三階の301号室にみゆきの個室があった。
個室前の廊下には、黒い背広の人たちがずらりと並んでいた。
すでに話は通っているらしく、僕たちが来ると、道をあけてみゆきのところに案内してくれた。
みゆきは、自分で立てなくなるぐらい衰弱していた。
それでもみゆきは、黒スーツの人に起こしてもらいながらも、3人を迎えてくれた。
「みゆきさん、心配したよ……でも、無事でよかった」
「みちるくんありがとう。心配かけちゃってごめんね」
「早く良くなって戻ってこいよ。みんな待っとるで」
「うん。祐太くんもありがとう」
「ところで、学級新聞どうだったかな……」と、みゆきが聞くと、
「みんなに大人気やったで!新聞の記事も大好評やでぇ」かおるが答えた。
「そっか、よかった!」みゆきは嬉しそうだった。
「みんな次の学級新聞待ってるでぇ」かおるが言うと、
「そっかぁ……そうだよね」みゆきは悲しそうな顔をした。
「全治1か月って言われちゃったのよね。そのあいだ学級新聞どうしよう」
「1か月かぁ……」と、祐太が言うと、
「それやったら、俺たち3人がやったらええやん」とかおるが言った。
「3人じゃないよ。やっぱり4人じゃないとダメだよ。
学校が終わったらお見舞いにくるよ。それで4人でまた一緒に新聞作ろうよ」と、みちるが言うと、
「ありがとう」
みゆきの顔には、いつもの笑顔が戻っていた。
上を向いて歩こう