喪失を思案する葦


 失ったものの数だけ、強くなれると信じていた。

 雪が融けて川に流れ始める。
 それは自然の摂理で、誰も変えることはできない。できるとしたら、それは神だけだ。
 この世界は誰のために存在するのか、誰でも一度は考えるはずだ。いないかもしれないが、僕はそんなことを考えている。
 何のために生きて、何のために死んでいくのか。
 この世界は、優しくもないし、綺麗なものばかりでもない。けれど、人も動物も植物でさえも、短い一生を謳歌せんとばかりに生きている。息をしている。
 僕はバグなのだろうか、と思う時がある。
 世界のシステムに突然現れる、システムに沿わないプログラム。
 何のために。
 本当のところ、誰も知らないんだろうけれど。僕がまだ幼かった頃、純粋に「世界は美しい」と信じていた頃、幼いことも、無知なことも、罪に成り得るのだと知った。
 疑問だらけの青春時代を終えて、僕は考えた。
 生きる意味を。死ぬ意味を。
 答えはまだ出ない。
 春が巡ってくるたびに、僕は思い出してしまう。
 この腕から落ちていった温もりを。
 誰かが死んだわけではない。どちらかと言えば、何も起こってはいない。しかし、僕の胸には、ぽっかりと穴が開いてしまった。
 何を失ったのか、当事者である僕にもわからない。おかしな話だ。
 ただ、何を得るでもなく喪失した『何か』はおそらく、僕の大切なものだったのだろう。世界のシステムに存在するバグにも、そういうものがあったらしい。
 大切なものと言っても、間違っても『愛』なんて陳腐なものではないのは確かだ。『愛』なんてものは、最初から僕にはなかったのだから。
 僕は考える。無になる。闇に同化する。思考は深く、深く、誰にも触れられないところまで潜っていく。
 考えるという行為は苦ではない。
 昔から考えることばかりしてきたからかもしれない。
 考え続ければ、いつかは答えが見えてくる。例えそれが十年後だとしても。
 思考の中で、僕は何度も自分で自分を殺すことを考える。生きる意味だとか、死ぬ意味だとかは、もう考えることに飽きてしまった。
 生きる時は生きるしかないのだし、どうやったって死ぬ時は死ぬのだ。
 僕は生きるしかないことを知っている。希望が見えなくても、絶望しかなくても。
 自ら命を絶つことに、恐怖がないと言えば嘘になる。だから、考えるだけ。
 いつか、軽く背中を押されたら、そのまま落下してしまう。そんなところに立っているのが僕だ。
 涙の数だけ強くなれると、どこかの歌手が歌っていた。
 それは、失ったものの数だけ強くなれるのと、どう違うのだろうか。
 失ったものは還らない。同じようなものは手に入れられるのかもしれないが、それはまったくの別物だ。
 例えば、誰かが死んだとする。その体は炎に焼かれて灰になり、小さな壺に入れられて更に墓に入れられる。灰になった人間が元に戻るなんて、誰も思いはしない。
 喪失とはそんなことだと、僕は勝手に考えている。
 だから、いつか失った僕の大切なものはこの先ずっと喪失したままなのだろうし、万が一、還ってきたとしても、それはきっとどこかに違和感があるはずだ。
 胸の穴は、塞がらない。
 これは事実だ。
 失ったものの代わりなんてものは存在しないのだ。だから、僕たちは失うことを恐れている。
 巨大な喪失感に負けたくないから。自分をなくしたくないから。理由は様々あるだろうが、共通しているのは、『恐怖』。
 失うということは、自分を自分にしている要素が抜けるということだ。いい例が、自我だと僕は考える。
 自我が喪失してしまえば、自分が何者かもわからなくなる。喪失感は最早感じられないだろうけれど。
 とにかく、僕は失うことが怖いという話だ。
 失ったものの数だけ強くなれる。そんな幻想を打ち砕こうとする、愚か者なのだ。
 喪失したものは還らない。そんな事実だけを知る、臆病者なのだ。
 大きく空いた穴に、誰かが何かを嵌め込んでくれるのを、ただ待っている。
 ハリボテでもいい。何かを嵌め込んでくれ。
 あわよくば、『愛』を教えてくれないか。
 考えることは苦ではないが、いつまでも考えてばかりでは始まらない。時代が移ろうように、僕の中もまた、移ろわねばならない。
 失ったものの代わりも見つけなければならないが、何を失ったかもわからないのでは話が進まないが。
 それでも。
 前に進める足があるのだから、歩かなければならないのだろう。
 終わりのない喪失感を抱えて、僕は今日も生きていく。
 甘い幻想に愛想を尽かし、臆病風に吹かれながら。それでも、生きていくのだろう。
 意味もわからない、この長い旅路を。ゴールテープを切る、その瞬間まで。
 なんだか、あの曲が聴きたくなった。涙の数だけ強くなれると歌った、あの曲が。
 泣いて強くなれるのなら、失っても強くなれるのかもしれない。
 失って、泣いて、その後に希望が待っているのかもしれない。
 昔の僕に会えるのなら、言いたい。
「キミは将来、強い人になるよ。何もかもを諦めないで」と。
 考える葦は、生きている。何を失おうと、僕は、生きることを選んだ。

END

喪失を思案する葦

喪失を思案する葦

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-08

Copyrighted
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