ゴーインにカラメテ。
―『清家~きよや~』に強引に絡めてしまう、メンバー亜紀子による、ただの散文―
あんぱん。
あんぱん。
それは、上級生が下級生に、牛乳とともに買ってこいとパシらせるモノ。
私的には、フランスアンパンが香ばしくて好き。
でも、上級生が下級生に『あんぱんと牛乳買ってこいや』というネタは、どの地域のどの年齢にまで有効なのか。
私の周りにいる同世代は、まぁ通じる。
でも、隣市の同い年の人には通じなかった。
不思議。
だけど、そんな話ではなくて。
あんぱんと言えば、アンパンマン。
愛と勇気だけがお友達のアンパンマン。
甥っ子をアンパンマンショーに連れて行ったとき、どのヒーローショーよりもアンパンマンのキックが素晴らしくカッコ良かった。
――との、姉のお言葉。
そんなかっこいいアンパンマンですが、私が小学校低学年のころ、子ども会のイベントでアンパンマンの着ぐるみのお芝居を見に行きました。
よく覚えてる。
長崎市公会堂での公演。
舞台には、大きなパンを焼く窯のセット。
アンパンマンが、そこから誕生するのだ。
誕生する瞬間、照明が薄暗くなり、色が変わり、大音量のなかでアンパンマン登場。
こ…………
こわかった。
マジで怖かった。
そして、自分より大きなアンパンマンが、ガチで
『ボクの頭を食べなよ』
的な行動をとるのだ。
ホラーかスプラッタか。
記憶が定かではないが、頭を食べて頂いたあと、ジャムおじさんが新しい頭を焼いたような気がする。
あの、おどろおどろしい大きな窯で。
この流れであっているならば、そのあと頭のすげ替え作業があったわけで。
こえぇよ、アンパンマンこえぇよ……!
という、私の幼少時のアンパンマンの記憶でした。
さて、時は流れて今。
われらがキヨヤには、アンパンマンショーを見に行く年齢をとっくに過ぎた子どもを持つパパママがいたり、アンパンマンショーも行うホールで働く妙齢の今が旬! な独身女性がいたりします。
みな、わくわくして舞台をみていた子どもだったと思う。
それが今や、舞台に立って人をわくわくさせてるなんて、ほんとに素敵。みんな、素敵だよ。
ありがとう、キヨヤメンバー。
だから、きっとみんななら、どんな内容の台本でも、どんなに台本が遅くても、舞台でキラキラ輝いて人を楽しませてくれると信じてる。
ありがとう、キヨヤメンバー。
フォーエバー、キヨヤメンバー。
愛について
愛とは、なんぞや。
そんな悩みを日々考えている(うそ)キヨヤ作家のアキコです。
いやしかし、考えようが考えまいが、『愛』は欲しいかもしれない。だって、『愛』って、なんかスゴそうじゃないですか?
『愛』って言葉自体が、なんか深そうだから。
どんな形容がついても、スゴそうじゃないですか?
だって『愛』だもの!
時を超えた『愛』……
運命の『愛』……
魂を揺さぶる『愛』……
脆く崩れ去る『愛』……
見せかけの『愛』……
わりと軽い『愛』……
笑っちゃうような『愛』……
豆粒程度の『愛』……
……そんなスゴくもないか。
見せかけの愛も、軽い愛も、豆粒程度の愛も、そんないらないかも。
でも、10代、20代のころは『愛』よりは『恋』を欲していたなー。『愛』って重たそうで。
親子愛とか、家族愛とかはね、別だけど。
男と女に関しては、『愛』はまだいらなかった。
だから映画とかでも、
「愛してるよ」
ってセリフが嫌いだった。「けっ」ってなってた。
だからと言って、今「愛してるよ」って言われたいわけでも、そのセリフが好きなわけでもないけど。
場合によっては、大事な言葉だなーと思う程度には大人になりました。よよよ。
でも、『愛』ってどっしりしてそうじゃない? ねぇ。
『恋』みたいに、ふわふわしたものじゃなくて、どっしりしてて、落ちつけそうな気がする。
そう、落ちつけそう。
て、落ち着きたいのか自分。
いや、落ち着きたいだろう自分。
むしろ落ち着け自分。
しかしなー。
一応、アラフォーの星と言われる(うそ)キヨヤ作家アキコ。それなりに世の中見てるけどさ。
揺るぎなく見える『愛』にも、経年劣化というものがある事も知っている。
経年劣化。
恐ろしい言葉。
さてここで問題。
『愛』を手に入れることと『結婚すること』は、イコールでしょうか。
答え、否。
だってー、政略結婚とかだってあるじゃなーい。
イコールの人もいれば、違う人もいるのは当然だけど、世の中的には結婚したら当然のように愛を手に入れられると思う人も少なからずいる。
結婚した時は愛を手に入れたかもしれなくても、経年劣化するかもしれない。
じゃぁ、死ぬまで…いや死んでも続く安定した愛を手に入れるには?
――と、考えると、なんか結構面倒くさくなるアラフォーの星、アキコ。
いやなんか、『愛』を探すとか、そんなんより。
自分の胸元をびしっと指さして、
「 『愛』は、ここにあるぜ!」
と、叫んでみようではないか。
みんなー、ここにー、愛がー、ありますよーーー。
愛ー、愛だよー、はやくー、こないとー、いっちゃうよーーー。
そんな愛の押し売りをしているキヨヤ作家アキコ、そろそろキヨヤ作家として活動開始です(絡めた)。
呼び名。
私は『あっきー』と呼ばれています。
主に甥っ子たちから。
事の始まりは、現在小学5年生になる甥っ子が、まだ言葉を発し始めたころに遡ります。
かたくなに「おばちゃん」と呼ばせない私。
周りの人は、私のことを「あきちゃん」「あっこちゃん」「あきこ」と呼ぶので、適当にそのあたりで呼んでもらえれば……と思っていたのですが、そこはそれ、子ども。
「あきちゃん」「あっこちゃん」「あきこ」……どれも言いにくい。
ウチの甥っ子は、年齢のわりに言葉がしっかりしていたのだけど、その分、
「あちちゃん」などと『言えてない自分』がいやだったのだろうか……。彼もかたくなに私の名前を呼ばなかった。
まだおむつして「まんま」「ばぁば」とか言っているころ、かたくなに私のことを呼ばなかった……。
呼ぼうとするけど、一瞬考えて、飲み込むんです。おむつ小僧が。
兄は「おばちゃんでいいやろ…」という感じだったのですが、私の一つ下の姉……兄のお嫁さんが、気遣いをしてくれました。
そう……「あっきー」ならこの子言えるわ……! と。
難なく「あっきー」という言葉を発することができた甥っ子は、それからいっぱい「あっきー」と呼んでくれるようになりました。
……小学5年になった今も。
まだ保育所のころから、ふと心配にはなったのですよ。
――この子、いつまで「あっきー」て呼ぶのかしら。
だけど、すぐ思い直しました。この子が(……あれ、俺、あっきーって呼んでるの、変じゃね?)と気づくまで、私はあっきーでいよう。
それから数年して二人目の甥っ子も誕生し、ごく自然にあっきーと呼ばれ、家のなかでもごく自然に私は「あっきー」としての存在を確立していき、友人知人の間でも、時おり「あっきー」と呼ばれるほど立派な「あっきー」になりました。
でも、いつか甥っ子たちが
(あれ、俺ら、あっきーって呼んでるの、変じゃね?)
と思い出すのを楽しみにもしているのでした。
そんな喜怒哀楽がこもる呼び名問題。
清家~きよや~でも、呼び名問題はあります。
親方は、今は私のことを「あきちゃん」「あっきー」と呼びますが、親方の携帯のアドレス帳では、私は『苗字+さん』。
出会ったころからしばらく、そんな呼ばれたなぁ。
それから、『ちゃん付け・さん付け・呼び捨て』問題。
メンバーそれぞれ、呼ばれ方の好みもあって面白い。
以外と、落ち着くまでに時間かかるよね、呼び方。
春~別れ~
春。出会いと別れの季節です。
とりあえず、出会う前に別れるケースが多いかと思われます。
なんとなく終わった小学校。いつの間にか終わった中学校。あっという間に終わった高校。
この時は、そんなに出会いと別れという意識はなかったなぁ。
一応、高校では同じ中学から進学したのは、ほんの数人だったから、それなりの出会いと別れもあったんだけど。
結局のところ、地元。
私は、高校を卒業してから県外の短大に進学。
いやほんと、親不孝だったなぁ。
学費に生活費。
今考えたら、申し訳なくて土下座で穴掘りそう。
その短大では寮での生活。
入寮日、JR長崎駅から特急かもめで一人、出発しました。
駅まで母が見送りに来てくれて、遠ざかる私を一生懸命見ていてくれて……思い出しても涙、涙。
まぁ、今考えたら本当にわずかな距離なんだけどさ、長崎と福岡。
あれからほぼ20年。
昨年の話だけれど、この時期に佐世保から長崎の高速バスの最終便に乗ったことがあります。
車内はほぼ満席で、私はある女性の隣に座りました。
バスが出発し、バスのターミナルビルの角を曲がるとき、その女性は小さく何度も手を振っていました。
ターミナルビルの角では、大きく手を振る若い女の子。
年のころは、10代後半。
バスが進み、ターミナルビルも見えなくなっても、その女性はずっと窓の外を見続けていました。
窓にちらりと映る、涙をぬぐう姿。
必死でこらえても、すんすんと小さく鼻をすする音は隠せず……。
きっと、長崎から佐世保の大学に娘さんが進学し、引っ越しなどの手伝いをすませて長崎に戻るお母さんなんだなと、その時気が付きました。
バスは最終バスで、ぎりぎりまで娘さんと一緒にいたんだなって。
20年前の、私の母の姿と重なり……私も隣で涙を拭った1年前。
ああ、この女性の隣に座らず、ほかの席にすればよかったと、とても後悔したなぁ。
隣に私がいては、泣くに泣けなかっただろうな。
そんな思い出が読みがる、別れの春。
『清家~きよや~』には、いくつかの出会いと別れの物語を書きました(再会含む)。
大切な人との別れ、これからの人生に向かうための出会い。
よし、なんとか『清家~きよや~』に絡めた。
そんな、ゴーインにカラメテ。
一発目から別れの章でした。
ゴーインにカラメテ。