苺の灯り
主人公に幼なじみの女の子がいる
王道だけど、こんなラブコメ主人公が羨ましいと思ったことはないですか?
俺も幼なじみの女の子がいます。
今も昔も仲良しです。
羨ましいですか?
羨ましいでしょう。
よく言われます。
幼なじみのおっとり系女子
「竜君、おはよう」
毎日毎朝、低血圧で寝起きが悪い俺を起こしに来てくれる。そのおかげで俺は目覚まし時計よりも、この子の声に反応するようになった。俺が覚醒したことを確認すると、春希は手際よく布団をたたみ、部屋を出ていった。
彼女は斉藤 春希。身長が小さいせいで集団でいると埋もれてしまう。特別美人ってわけでもないが、かわいらしい方だと思う。俺的には好みだ。
幼なじみがいて、しかも女の子で、しかも世話を焼いてくれて、しかも毎朝起こしにきてくれる、しかもそれなりに可愛い。友達には「お前はラブコメの主人公みたいだな」と言われ参考に小説やら漫画やらを貸してもらって読むと、なるほど主人公の境遇が俺と同じだった。冒頭でヒロインの幼なじみに起こしてもらうところとか、そのまま今朝の出来事だ。ただ、俺はラブコメ主人公みたいに「やれやれ勘弁してくれよ」とクールな表情はできない。春希に世話を焼いてもらうことが嬉しくて嬉しくて、「勘弁してくれよ」なんてまったく思わない。
制服に着替え、リビングに行くと、俺の分の朝食が用意してあった。慣れると焦げてきつね色を通り越したトーストも香ばしくて美味い。
「あんた、また春希ちゃんに起こしてもらったの?そろそろ一人で起きられるようになりなさいよ」
この口うるさい人は木村千秋。俺の母方の叔母さん。俺と千秋は顔が似ているから、よく姉弟に間違えられる。まぁ、姉貴みたいなものだから特に気にしてない。
「千秋、あまり説教してると竜がグレるよ」
奥のソファーで読んでいた新聞を片手でたたみながらコーヒーに口をつける男性。二ノ宮稜輔。俺の父方の叔父さん。
俺の親はずっと前に不幸があっていないので叔父の稜輔が俺を引き取ってくれた。母さんの友達の都子さんは俺が寂しくないようにと娘の春希を連れて来てくれ、春希が遅くまで俺の家にいてもそれを良しとした。春希はいつも近くにいて味方になってくれた。なので俺は愛に飢えた孤独な主人公ではなかった。常に誰かが近くにいて寂しいなんて思ったことがない。むしろ人より恵まれているのではないだろうか。
「竜君、早くしないと遅刻しちゃうよ」
春希が玄関で急かしてくる。急いで身支度を終えて外に出る。家から学校までは歩いて三十分。だけど眠たくてかったるくて、だらだら歩くとまた春希に急かされる。学校の前まで来ると、授業開始のチャイムが鳴った。それを聞いた春希は焦って俺の腕を引っ張りながら走り出したおかげでなんとか間に合った。
「やぁ、おはよう。今日もギリギリだね。記録はかってあげようか」
彼は山本渚。ずっとヘラヘラしているので勘違いされやすいが、フレンドリーで顔もいい方なので女の子によくモテる。成績は俺と同じくらいの落第予備軍だ。
「春希ちゃんも大変だよね」
俺はなにかと春希に甘えてしまうし、春希はなにかと世話を焼いてくれる。あまり良くないバランスがとれてしまっているのだ。
そうだな、どうしたものかと考えていると、教室のドアが開き、担任が入ってきた。
「竜はもう少ししっかりしなさい。春希も世話をしすぎるのもよくないと思うよ」
三年四組の担任、小林実琴。教師歴3年の若い先生だ。
「ほら、チャイムが鳴ったんだから席に座る」
小林に促されて席に着くと、途端に眠気に襲われて欠伸が出た。じっとしていると眠たくなるんだよな。体育以外眠たくなるんだから学生としては致命的だ。いや、しかし春眠暁を覚えずとは言ったものだ。春は眠たくなる。あ、この漢詩こないだ授業でならったやつだ。ちゃんと覚えてる。実は俺頭いいんじゃないか。そんなことを考えていると、本当に眠ってしまった。いつ眠りについたか分からないくらい、ぐっすりと。
「こら!いつまで寝てんだ。授業終わったぞ」
小林に名簿帳で叩かれて目が覚めた。周りを見渡すと、みんなは次の授業の準備をしている。
「起こしてくれたらよかったのに」
「何回も起こした」
「あ、そうなの?ごめん」
「最初から最後まで寝てたから放課後は居残り」
「えぇー・・・」
この学校は、進学校でわりとレベルが高い。だから、俺みたいな輩は授業を聞いていないと完全についていけなくなる。完全に自業自得なのだが、小林は救済策として放課後の補習を開いてくれている。
なんでそんな学校に俺が受かったのかは、ひとえに春希のおかげだ。
「お前もいい加減起きろ」
小林は俺の席の隣で爆睡している生徒も叩き起こす。生徒は叩かれたところをさすりながら、むくりと起き上がった。
「次の授業は?」
「英語」
「もうひと眠り」
「こら」
彼は伍能海里。見た目は地味な方だが、知り合いが多く信頼されている。渚とは幼なじみでよく一緒にいる。身長が男子で一番低く、そのことに触れると鬼の形相で睨んでくる。もともと頭はいい方だが全く勉強しないせいで落第予備軍と一緒にされている。
「あと、渚にも補習に来いって言っておいてくれ」
渚の席の方を見ると、渚の姿はなく、散乱した教科書や脱ぎ捨てられたジャージがあるだけだった。
「分かんない」
「小林ちゃん、俺も分かんない」
俺と渚は同時に手を挙げた。
放課後、俺と渚と海里は空き教室で今日の補習を受ける。授業を真面目に受ければ問題ないのだが、大人数で大人しく席に座り真面目に先生の話を聞くという空気に耐えられない。むしろ俺は放課後の補習の方が勉強しやすいのだ。さっぱり分からないけど。
「なんでこの3は移動するの?なんでカッコから出しちゃうの?なんで?」
「共通因数が3だからだよ」
「なんで何も悪くないのに3は仲間外れにされたの?」
「3に感情移入するな」
何度も同じ説明をした小林は、だんだん元気がなくなってきた。この補習は小林が自主的にやってくれているので教師は小林しかいないのだ。
「海里は何してんだ」
さっきから黙々と作業に打ち込んでいるが、勉強しているわけではなさそうだ。渡されたプリントは机の隅に追いやられている。
「鶴折ってる」
誰かのお見舞いにでも行くのかというほどの鶴が量産されて机の上を占領していた。暇なんだな。
「解き終わったし」
小林は海里のプリントを取り、目を通すと、小さな声で「出来てる・・・」と呟いた。
「もう帰っていいぞ」
「バイバイ」
海里が鞄を持って席を立とうとすると、渚が不満をもらした。
「ちょっと待ってよ。一緒に帰ろうよ」
「じゃあ早くしてよ」
「じゃあ海里も教えてよ」
「嫌」
海里にばっさりと切り捨てられた渚は、しょんぼりしながらプリントに向き直った。海里は何事もなかったかのように鞄から本を取り出して読み始める。
「あれで仲いいんだから不思議だよな」
自分もプリントに向き直り、書いては間違え書いては間違えを繰り返していると、コンコンとノック音がして少しだけ教室のドアが開けられた。
「あの、すいません」
少し開けたドアの隙間から顔をのぞかせて様子を伺う女の子。
「春希、どうしたの?」
「提出物をもってきたんですけど・・・」
疲れきった小林を見て、春希はタイミングが悪かったと申し訳なさそうに後退る。
「いいよ。入っておいで」
春希は時間があるからと俺達の補習課題に付き合ってくれることになった。
「海里とは大違いだよね」
「口動かす暇あるなら手を動かせよ」
渚が海里を横目に呟くと、海里は本から目をそらさずに言い返した。
「あともうちょっとだよ!頑張ろうね」
冷たく言い返され、しょんぼりする渚に春希が応援する。
「女の子から応援されると俄然やる気が出るよね!」
生き生きとした顔で問題に向き合う渚。分かりやすい奴だ。だけど、そのおかげで補習は早く終わった。やっぱり女の子に応援されると違うのかもしれない。
幼なじみの根暗系男子
二ノ宮竜は前二ノ宮家当主、株式会社二ノ宮社長の孫だった。
そう、何事もなければ、俺は金持ちの坊っちゃんだったのだ。
俺の父さんと当時の二ノ宮家当主だった祖父さんの仲は最悪だった。父さんは二ノ宮家を出ていき、死ぬまで二ノ宮の門をくぐることはなかった。そして現在、広い広い二ノ宮本家には、同い年の親戚が住んでいる。血縁的には俺の従兄弟叔父らしい。同世代の子供は彼しかいなかったから、親戚行事の時なんかはずっと一緒にいた。
日曜日の午後。
絶好のお出かけ日和でも、あいつは家から一歩も出ない。引きこもっているわけではないのだが、用事がないと動かない。しょうがないから俺が遊びに誘ってやる。
「あーそーぼ」
インターホンを鳴らしてしばらく経っても音沙汰なし。この時間帯はだいたい家にいると思ったんだが。
「あーそーぼ!」
自分の家でやられたら鬱陶しいだろうなと思いつつインターホンを連打する。
「うるさい」
ガラリとドアが開き、不機嫌そうに眉間にシワを寄せた彼がそこにいた。二ノ宮郁留。すらりと背が高く、頭も良くて運動もできる。それだけなら人気者になったのだろうが、無口で仏頂面、目付きが悪いので人が寄り付かないのだ。
「遊びに行こう!暇だろ?」
「暇じゃない」
「用事あるのか?」
「明日、模試があるから勉強しないと」
「模試?そんなのあった?」
「あるよ。基準に満たないと奨学生から外されるんだ」
入試の際に合計点数が上位の数名は、奨学生として授業料が一部免除されるらしい。ギリギリ合格した俺には関係ない制度だ。
春希も奨学生に入っているので、そういえば今日はずっと勉強していたなと思い出した。
「お前、金持ちだから別にいいじゃん」
「そういう問題じゃない」
「頭良いんだから勉強しなくても大丈夫だって」
「そういう問題でもない」
模試で勉強したことがないので、どういう問題なのか分からない。
「行っといでよ、郁留」
郁留の背後からひょっこりと男が現れた。玄関のドアから顔をのぞかせ、俺に向かって手を振っている。
郁留の兄貴、二ノ宮伸太郎。二ノ宮家当主にして株式会社二ノ宮の社長。顔は郁留と瓜二つだが、性格は正反対で親しみやすい人だ。
「朝から勉強ばっかりして、ちょっと休めば?あれだけやれば十分だよ」
「そうですか?」
兄貴の言うことは素直に聞くらしい。その素直さをもう少しこっちに向けてくれたらいいのに。
伸太郎さんに押されてしぶしぶ外に出る郁留。
「それで、何なの?」
「何が?」
「わざわざ来たんだから何か用事があるんじゃないの?」
「ないよ?」
友達の家に行くのに理由がいるのだろうか。遊びに来ただけじゃ理由にならないのだろうか。
「俺の家来いよ。ゲームあるし。春希もいるぞ」
こんな性格だから女の子にも慣れていない郁留。だけど、春希だけは昔から俺と郁留と3人でいたので普通に接することができるらしい。
半ば引きずるように家に連れて行く。
「ただいま!」
「・・・お邪魔します」
最早このテンションの差は気にしない。
「おかえり」
奥の部屋から春希がパタパタと駆け寄って出迎え、下駄箱から郁留用にスリッパを出し手際よく並べる。
「ありがとう」
郁留は春希に優しく微笑みかけお礼を言う。
「なんか俺と態度違う気がするんだけど」
「俺が竜に対する態度を春希ちゃんにもしたら馴れ馴れしいだろ」
郁留はどんなに仲良くなっても女の子とは一定の距離を保つ。春希でこの距離なんだから、他の女の子との距離はだいぶ遠いな。
「お茶いれてくるね」
パタパタと奥の部屋に戻る春希。いい奥さんになりそうだな。
「竜、ニヤニヤして気持ち悪い」
「いやだって可愛いだろ?」
「本人に言えば?」
「そういうことをさらっと言える人って、やっぱり尊敬する」
簡単に誰にでも可愛いカッコいいって言うのじゃなくて、思ったことをいかにスマートに言えるかだな。
郁留は「ふーん」と不愛想に返事をし、先に部屋に向かった。興味なさそうなのが腹立つ。
「えっと、コントローラどこだっけな」
「雑に片付けるからそうなるんだよ」
俺がゲームの準備をしていると、春希がキッチンからお茶を持ってきた。
「はい、熱いから気をつけてね」
春希はテーブルに俺と郁留の分のお茶を置き、俺が探していたコントローラのありかを教えてくれたのでやっとゲームを起動できた。普段ゲームなんて滅多にやらないが、みんなで遊べるように対戦ゲームを買ってみた。
「お菓子もいる?」
「うん」
「ちょっと待っててね」
再びキッチンに戻ろうとした春希を郁留が優しい声で呼び止める。
「春希ちゃん、ちょっと休んだら?ソファーに座りなよ」
さらっと春希を気づかう郁留。俺が思い描いていたスマートさだ。
「あ、ありがとう」
春希は嬉しそうにすとんとソファーに座る。
「竜の家なんだから春希ちゃんがそんなに働かなくていいんじゃない?」
「でも、これが慣れちゃったっていうか・・・」
なんか悔しい。人見知りするくせに。
「やっぱりお菓子、持ってくるね」
優しくされることになれていない春希は耐えきれず立ち上がりキッチンに向かった。隠しきれない嬉しさを顔に出したまま。
「なんでそんなさらっと言えるんだよ」
「でも、春希ちゃん以外の子だったら話すこともできないよ」
あんな風に口説かれると女の子は惚れちゃうんじゃないだろうか。仏頂面だけど本当は優しいとかいうギャップが女の子は好きだってテレビで言ってた。
「竜、よそ見してると俺が勝っちゃうよ」
いつの間にか始まっていたゲーム画面を見ると「K.O.」の文字、そして倒れていくキャラクター。
「あ」
僕は根暗男子
目立つことが苦手。人前が苦手。人と話すのも苦手。視線を浴びると脂汗が出てくる。
初対面の人とまともに話せないので友達と呼べるほど気楽でいられる人は幼なじみの竜と春希ちゃんくらいしかいなかった。
「郁留、体操着かしてー」
「はいはい」
「こういう時だけはクラスが違うっていいよね」
「こっちは全然よくない」
「一緒のクラスがいいの?寂しいの?」
「違う」
授業が始まる直前に渚は急いでいる様子もなく俺のクラスに体操着を借りに来る。来るならもっと早めに来いよなんで急いでないんだよ。といろいろ言いたかったが、早く行けと急かした。
中学以来、渚と海里はなぜか俺に関わってくる。明るくて友達が多い渚、思慮深くて信頼されている海里。数少ない友人。友人とよんでいいのか、気まぐれで俺のところに来るのかなんて思っていたけど、2人はそんなことお構い無しに寄って来る。
高校に入り、同じ学校だけど違うクラスになった。俺は特進科、2人は普通科。クラス替えをしても一緒になることはない。
2人は高校で新しい友達ができた。俺の幼なじみの竜と春希ちゃんだった。
普通科の体育を3階の窓から眺める。男子はサッカー、女子はバトミントン。体育の時だけ生き生きする竜と渚。極力体力を使わないように動く海里。春希ちゃんは女子友達と楽しそうだ。
「二ノ宮君、二ノ宮君。あてられてるよ」
後ろの名簿の野原さんに背中をつつかれる。
先生は黒板の方を向いていて、俺が授業を聞かずに外を見ていたことに気づいていない。
「どうした?分かんないか?」
分からないのはどの問題をあてられたかなんだけど。とりあえず、黒板に書かれた問題を解いてみる。
「はい、正解」
あ、あたった。
「ありがとう、野原さん」
お礼を言うのも声がか細くなり、顔をまともに見れない。なんとか直さないといけないとは思っているんだけど、人見知りはどうにも直る見込みがない。
授業が終わると渚はすぐに俺のクラスに来た。まだ制服に着替えきれていない。目の前でボタンをとめている。更衣室でやれよ。
「郁留、体操着ありがとう。洗って返すね」
「いや、いい。渚が洗うとすごく臭う」
「柔軟剤でしょ?ローズのやつね。母ちゃんが入れるんだよ」
「くさい」
「ひどい!」
そんなに?と心配になったのか自分の服をにおう渚。
「まぁいいか。それより飯食いに行こうよ」
毎日こうして渚が誘いに来てくれるので1人で昼飯を食べることはない。
購買部でパンを買い、普通科のクラスに行く。竜と海里は先に食べていた。春希ちゃんはたまに竜が引っ張って来るが今日は女子友達のところらしい。
会話はほとんど渚と竜で、気が向いたら海里が入り、たまに俺も口を挟む。
渚は自分とペースが似ている竜と出会い、前より饒舌になった。それまで俺と海里に冷めた対応しかしてもらえなかったから一緒に盛り上がれる竜がいて嬉しいのだろう。類は友を呼ぶというか、大きな声で笑ったり、思ったことを言えたり、誰とでも仲良くできるところはよく似ている。そんな2人を見ていると羨ましくなる。あんな風に振る舞えたらと思ったりもするが、性格がそうはさせない。
性格とは幼い頃の環境や経験でだいたいは形成されるらしい。幼い頃に特別何かあったというわけではないが、兄が鬼のように怖かった。今は演技ではないかと疑うくらい穏やかだが、昔は兄の前では常に縮こまりながら生活していたので、いまだに怖い時があるし逆らえないし敬語も抜けない。食事のマナーが悪かったり、悪戯なんてした日には叩かれた。マナーや悪戯はまだ納得できたが、テストでケアレスミスをしただけで何時間も正座をさせられたのは辛かった。
今は怒られることはなくなった。そのきっかけというのは、兄が当主になって数年後に兄はストレスで胃潰瘍を患った。若くして大きな責任を背負い弱音も吐かずに頑張っていたのは知っている。一番近くにいる人間が1人じゃなにもできない年の離れた弟だったら厳しくもなるだろう。
兄が当主になってから俺を連れて2人だけで本家に移り住んだので両親とは別居している。兄が病気になってからは両親も頻繁に会いに来ていたが、看病は基本的に俺がしていた。その間の兄は弱々しく幼い弟に甘えてくることもあった。あの厳しかった兄が。
両親も仕事があるので仕方がないが、他に誰かいてくれたなら昔の兄ももう少し優しかったのではないかと思う時がある。
「帰りました」
「おかえり」
家に帰ると兄が振り返り迎えてくれる、その顔を見て時の流れに気づいた。
「しわ増えましたね」
「うそ!?」
なんてこんなこと言い合える仲になれたのは嬉しいのだ。
優しくしなさい
春希と郁留は俺の幼なじみである。小さい頃からよく3人で遊んでいた。だけど男2女1だと、やっぱり男子がやるような遊びばかりになってしまう。
当時の俺は手加減や気遣いなんかが出来なくて、体力がない春希を連れまわしていた。だから春希は俺と遊ぶ度にヘトヘトになり傷もたくさんできていた。
「ねぇ、稜輔。春希が転んじゃった」
俺に引っ張られて転んでしまった春希は涙を必死に我慢していた。膝を擦りむいてしまい血が出ている。
「引っ張ってごめんね」
自分ではそこまで強く引っ張ったつもりはなかった。転かそうと思ってないし悪気があったわけでもない。怒られると覚悟をして稜輔に手当てをしてほしいと言いに行った。
「あのね、竜」
稜輔は春希の手当てを千秋に任せ、話があると少し離れた所に連れて行かれた。
「春希ちゃんのことは好きだよね」
「うん」
「春希ちゃんにも好きでいてほしいよね」
「うん」
「じゃあ優しくしないとね。竜も優しい春希ちゃんが好きでしょ?」
「うん」
「春希ちゃんも優しい竜が好きだと思うなぁ」
「俺、優しくないの?」
「竜は心が優しいから、力も優しくしなさい」
優しくってどうすればいいのが分からなかった。壊れ物を扱うようにすればいいのだろうか。でも俺はだいたいの物は壊すからなぁ。
今でもあんまり分かってないけど、昔より力の差があるので早く手加減できるようにならないと、また怪我をさせてしまうかもしれない。怪我で済まないかもしれない。
「あ、ちょっと待って」
春希は教科書を持って次の授業の教室に行こうとしていた。ちょっと呼び止めるつもりで腕を引っ張ると、春希はバランスを崩して教科書を落としてしまった。春希の体が後ろに倒れそうになり、急いで支えたから転倒はしなかったが、周りにいた女子からは非難轟々。なんで引っ張るんだ。なに触ってるんだ。危ないだろ。等々。
「大丈夫だから」
春希が女子をなだめるが、納得いかない女子達。女子怖い。
「ごめん」
「大丈夫だよ。びっくりさせちゃったね」
女の子には優しくしなさい。稜輔から何度も言われていたのに、まだ学習できていない。春希はそれでも優しく許してくれる。
対して春希の友達は俺に厳しい。確かに、さっきみたいなことは日常茶飯事なので、端から見てると心配になるのも分かる。
「春希は竜を甘やかしすぎ!」
「そうかなぁ」
稜輔は優しくしなさいと言うけど、春希は俺が全力で向かっても嫌な顔をしないから手加減を忘れてしまう。
でも忘れたらダメなんだろうな。春希は小柄で細身だから、すぐに吹っ飛ぶ。また怪我させるのも泣かせるのも嫌だ。
「次からは気をつける」
「大丈夫よ。私、頑丈だもの」
反省した直後に大丈夫と言われて力が抜ける。
「ほらまた大丈夫とか言うから!」
「そうやって甘やかすから!」
今度は春希が女子から注意されている。
なんというか、俺がちゃんとしなきゃと思った。
大人の事情
稜輔と千秋は付き合って同棲状態で15年。
若くして子供を引き取った彼らは息つく間もなかった。当時、稜輔は20歳、千秋は高校生。
ただでさえ大変なのに、俺の聞き分けの悪さには苦労したと思う。早く2人を落ち着いて幸せにしてあげたいけど、そうするにはまだ俺は頭が悪すぎる。何も知らないし。何も持ってない。もう少しだけお世話になるしかなかった。
「大丈夫か?痛くないか?タクシー呼ぶか?」
「もう大丈夫だよ」
あまりにも俺が心配して質問責めをするので、春希は笑いながら大丈夫と繰り返していた。
今日の体育は跳び箱だった。春希は足を引っかけ転倒してしまった。平気な顔をしていたが、歩くたびに痛みが伴うようなので帰りに近所の総合病院に付き添ったのだ。
「竜君」
「何?痛むのか?」
「違うよ。あの人、千秋さんだよね?どうしたのかな」
待合室で一人、暗い顔した女性。叔母の千秋だ。平日の夕方だからまだ仕事の時間のはずだが、具合でも悪いのだろうか。病院にいるのだからそうなのだろうが。
「千秋!」
名前を呼ぶと千秋は驚いて飛び上がり、周りを見渡して俺達を見つけると駆け足で寄ってきた。
「うるさいわね!病院で大声出すんじゃないわよ!」
「千秋も声大きいよ」
口答えすると、小さな声でうるさいわねと呟いていた。
「千秋さん、体調が悪いんですか?」
春希が心配そうに尋ねる。
「ん?うーん・・・検診?そう!定期検診なの」
「嘘くさ」
明らかに今考えただろ。春希は素直に信じたが、俺は騙されない。
「千秋さん、それ」
春希が千秋の鞄の中を指さす。
「母子手帳」
「あ、いやこれは・・・」
慌てて鞄を隠しているが、もう見てしまった。
そっか、赤ちゃんができたのか。俺に従兄弟ができるのか。
「本当はずっと前に分かってて、今日は検診なの」
定期検診はとっさの嘘じゃなかったのか。
「稜輔も知ってるの?」
「ええ、まぁ」
稜輔は子供好きだし、きっといいお父さんになるだろうし、千秋もしっかりしてるから頼もしいお母さんになるだろう。普通の父母のように悪いことをしたら叱り飛ばしてくれることもあるし、頑張ったら思い切り褒めてくれた。2人の子供はきっといい子に育つだろう。
「私は会社に寄って帰るから、先に帰ってなさい」
千秋は病院の入り口でタクシーに乗り、窓を開けて早く帰りなさいよと言い残して行ってしまった。
嬉しいけど、なぜか心から喜べない。稜輔と千秋と二人の子供の中に入り込めない気がする。ここまで自分勝手な思考がすごく嫌だ。
「今まで、知らなかった」
どうして俺に隠すようなこと。
花嫁修業
うちの人間は全員料理ができない。俺は食材をダメにするし、千秋は必ず怪我をするし、稜輔にいたっては論外。なのでほぼ毎晩、春希が作ってくれる料理を食べている。千秋も春希の横で頑張って作ろうとしているのだが、どうしても不器用さが出てしまう。
稜輔が俺を引き取ってすぐの頃、母さんの友達の都子さんが春希を連れてやってきた。それからは稜輔と千秋が仕事で家にいない時は都子さんが春希を連れて家事をしに来てくれるという日常が続いたが、しばらくして都子さんは仕事を始め、この家の家事は春希に引き継がれた。
都子さんが働き始めたのは、旦那さんの勤め先の経営が傾き、人件費削減でリストラされてしまったからだそうだ。春希は家で1人になることが多かったので、都子さんとしても春希と俺が一緒にいるほうが安心なんだそうだ。
別に家事なんかしなくても来てくれたら嬉しいのだけど、都子さんに言われているのかせっせと働く春希。最近は無意識に働いているみたいで、これは俺がするからと言っておかないと既に終わっていることが多い。
今日だってそうだ。
食器を洗いながら手をさすっているから何だろうと思って見てみると、
「こら」
水仕事のしすぎで手にあかぎれができていた。
手首をつかみ食器洗いを止めさせたが、少々乱暴に掴んでしまったので春希は驚いて俺を見上げた。
女の子には優しくしろと常々言われていたのにまたやってしまった。
「あーあ、綺麗だったのに」
白くて細かった手はあかぎれで真っ赤になり痛々しい。もはや女子高校生の手ではない。主婦の手だ。
「え、えっと、ありがとう」
「うん?」
なんのお礼だ?
大人しくなった春希の背中を押しリビングに連れて行った。テレビでも見てろとリモコンを渡し、残りの食器を洗う。雑に洗いすぎてガチャガチャと音をたてたもんだから、春希は俺の様子を気にしてそわそわしている。言われたとおりテレビをつけたらしいが全く見ていない。
「そんな心配しなくても俺だって出来るよ家事くらい・・・料理以外は」
「あ、うん。ごめんね」
自分の役割だと思っているのだろうか。たしかに「出来ない春希お願い」とか言って頼んでいたが。春希がいなければ今頃家の中はひどいことになっていただろう。さっき洗った食器だって昨日の夕食のものだ。
「いや、次から自分でちゃんとするよ」
本来は俺がしなければいけないことなのに春希にしてもらっている俺が悪い。
だが、これは俺と春希だけの問題ではない。もう一人問題の人物がいる。
「ただいま」
千秋が仕事から帰ってきた。最近は早めに帰ってくるようにしているらしい。
俺は玄関まで出迎え、さっきのことを千秋に耳打ちした。
「大事な春希ちゃんの手が傷だらけなのね」
千秋は上着と鞄を俺に渡し、春希がいるリビングに入っていった。
「千秋さん、おかえりなさい」
「うん、ただいま」
「あの、今日夕方から雨が降るそうなので洗濯物をとりえたほうがいいと思います」
春希は俺の言ったことを守り、何もせずにテレビを見ている。天気の悪い空と洗濯物が気になって仕方ないようだ。
「ありがとう。そうするわ」
千秋はベランダに出て洗濯物をとりえようとするが、
「痛!」
洗濯物に絡まって転んでいた。
「なにしてるの?コント?」
「うるさい」
千秋は家事ができないというより単純に不器用なだけかもしれない。
「ねぇ、竜、春希ちゃん。相談があるのだけど」
洗濯物を取り入れ終わると、千秋は俺を春希の横に座らせた。
「私ね、仕事を辞めることにしたのよ」
千秋は今でさえ、くたくたになった身体を引きずって帰ってくる。これからもっと忙しくなるなら今のうちに辞めておいたほうがいいかもな。
「この家のこと春希ちゃんに任せっぱなしじゃない?大変だったよね。私も、いくら仕事が忙しくても出来ることはすればよかったんだわ」
「千秋の場合出来ることがないんじゃない?むしろやること増やすんじゃない?」
事実を言っただけなのに、千秋にちょっと黙ってなさいと睨まれた。
「すいません。人の家で図々しかったですよね」
ネガティブな受け取り方をしてしまい、しゅんとしてしまった春希。
「そんなことないわ。もともと竜に頼んだのに竜がやらないから春希ちゃんが気を利かせてやってくれてたんでしょ」
「ごめんなさい」
まったくその通りでございます。何も言い訳できない。でも、俺だけじゃない。春希に任せっぱなしにしていたのは俺だけじゃないのだ。
「千秋だって毎回失敗して、結局は春希にしてもらってるじゃん」
「そうね」
千秋は薬箱から薬用クリームを出し、春希の手を包み込むようにマッサージをした。
「春希ちゃん、頼みがあるの」
なんでもどうぞと頷く春希。
「私に家事を教えてほしいのよ」
不器用な花嫁の修行が始まった。
苺の灯り