月見里夕月の暗夜行路

月見里夕月の暗夜行路

・これは実際にあったクトゥルフ神話TRPGの後日談を小説として書き起こしたものです。何卒。

自らに魔女であることを課し、奇跡は起こすものだと歌い続けた王女。あの輝かしい王国のかすかな残滓。


 ある秋のこと。僕らはみこけさまにまつわる事件に巻き込まれ、部外者なのか関係者なのかわからない立ち位置のまま事件は幕を閉じた。のは、まぁよかったんだけど。
 あらかた後日談も片付き、無事終わりが見えるかと思った矢先に双子の姉に渾身の拳でぶん殴られた。まぁ理由は簡単で、以前にも同じように馬鹿と言うか無茶をして怒られていたからだ。いやまぁ確かに僕も悪かったけど、目の前が真っ暗になる力でぶん殴る姉さんはちょっと本気で怖かった。
 瞬間筋力だけなら絶対凛さん超えてたって。アレ。

 そんな感じでまぁ僕は話し相手とか諸々がいなくなって、寂しさ半分なのだろう。当分会いも話しもしていなかった友人に会うことにしたのだけど。
 様子をうかがうように訪れた学校の美術室は嫌に静まり返っていた。まぁうちの学校の美術専攻は歴史何かの方がテストでは重要視されるらしい。個々人のセンスに点数をつけない考え方は割と同意できるけれどね。
 そんな静まり返った美術室の中の、いちばん日当りのいい窓際。窓の淵に沿うように設えれられた棚に彼女は横になっていた。黒いイヤホンを付け、本で目元を覆うようにして眠っている。授業はおそらくすべてボイコット中なのだろう。
 ……不意に、彼女は起き上がって目元の本をずらすと僕を認識して少し驚いた顔を見せた。

「……夕月か。久しぶり」
「うん……ひさしぶり」

 いつ以来だっけ、と言って笑みのようなものを浮かべるアリカの目を直視できずに視線を落とす。
 ……僕らは幼いころからの友人だ。でも中学校2年生のいつだったか、くだらないことで仲違いして僕らは長いこと話はおろか顔すら見ていなかった。

「……あの時は、その……ごめん」
「ああ……いいって。気にすんな」

 怒ってない?
 まるで子供のような問いかけ。……何故だろう、頭が痛む。キリキリと突き刺さるような痛みのせいで、思考が簡単に霧散する。もう少しうまい言葉が言えればいいのに、麻痺したように言葉が出ない。
 アリカはそんな僕の様子に、少しだけ。笑って、怒ってない、と返した。

 痛みは徐々にひどくなる一方だ。こんなこと、今までなかったはずなのに。大丈夫。存在しない痛みなんて、そんなもの幻なんだ。殺せばいい。向き合わなければいい。
 恐る恐る彼女に近づき、適当な机に腰を掛ける。彼女は昔と何ら変わっていない。

 アリカと会うのも話すのも、ずいぶんと久しぶりだった。昔と同じように無言で促されるまま、僕は今まであったこと。見たこと。聞いたこと。そして、間違えてしまったことも。全部洗いざらい話した。
 異世界に囚われたあの修学旅行のこと。頭の中で鳴る歯車の音に追われるようにして、人を殺めてしまったこと。両目を失ったこと。全部。
 頭痛はだんだん激しくなるばかり。視界も音もノイズだらけで。それらを振り切るように、僕は不細工な言葉を並べて拙い感情を吐き出し続ける。
 アリカは何も言わず、ただ頷いて全部聞いてくれた。そして僕が話し尽くして、言葉を見失ってから。アリカは吐息とともに吐き出すように、小さく「馬鹿野郎」と呟いた。

「本当、馬鹿だろお前。自分が一番傷つく方法ばっかり選んで、いつまで引きこもってるんだこの大馬鹿」

 そこまで一気に言って、アリカは言い掛けた言葉を飲み込んでため息をついた。昔からの、怒っているときのお決まりの仕草だ。正直怖い。

「正座しろ」
「……え?」
「正座」

 円を水平に切ったような半眼の目に睨まれあわてて床に正座する。怖すぎる。
 そんな僕の姿を数秒見下ろし。アリカは、思い切り僕の頭頂部に読んでいた本を振り下ろした。ごすっ、という鈍い音が頭蓋に響き目の前に星が飛び散る。

「これで昔のことは全部チャラだ。また仲良くしようぜ、もう少し楽な生き方教えてやるから」

 殴られた場所を押さえて涙目になる僕に、アリカはニッと猫のように笑いながら手をさしのべる。
 頭が痛すぎて正直上手く笑えたかはわからない。それでも、アリカは赦してくれたんだ。

 ……でもなぜか。思い出さなければならないことがある気がして。思い出そうと記憶を手繰れば手繰るほど頭痛もノイズもひどくなるばかりで。
 かわりに思い出すのは昔のことばかりだ。アリカと初めて会った凍えるような冬の日。二人で夜遅くまで何かを探した春。そして。歯車の狂ってしまったあの日。
 あの日のことがなぜかまったく思い出せない。

 あの日は。あの日は確か、ええと。血の海と人、じゃない。それはその少しあと。じゃなくて、どうしてそうなったんだっけ。
 くたりと折れた首と手足。割れた顔。つぶれた眼球。ぬめる手の中の凶器の重たさと生ぬるく塗れた身体。恨みがましく開きっぱなしの口から聞こえる罵倒。それは幻聴だったのか本当に聞こえていたのか。
 ただ残るのは言いようのない不快感と吐き気。後頭部から背筋にかけて冷水を浴びたように冷たい。あの日は炎天下だったのに、部屋は恐ろしく冷え込んでいた。奥歯がガチガチと鳴っていたのをよく覚えている。きっとそれほど寒かったのだろう。

 違う、きっとそれじゃない。一体どうして、あの日の事だけ思い出せないんだろう。


――――――――――


 放課後、僕はアリカと分かれて一人で行く宛もなく歩いていた。空は既に仄かに赤く、夕暮れの訪れを告げている。もうそろそろ秋だ。夕焼けが短くなる。境界線が曖昧な夕暮れが昔から好きだった。
 相変わらず頭痛も耳鳴りも止まない。歯車の音はいっそう大きく耳奥で鳴り響いている。頭の中に虫が住んでいるみたいだ。
 夕焼けに染まり始めたコンクリートの街並みは昔と同じ顔をして佇んでいる。昔は大きな迷路のように見えていた街も今見渡せば何てことはない。アリカが昔、幻想と現実を取り替えることで人は大人になるんだといっていた気がする。
 人は夢を見なくなったとき。奇跡の存在を忘れたとき。そんなことを無邪気に信じた過去を忘れたとき。そうやって大人になっていくのだ。

 僕はあのちっぽけな公園の中ですべてを知ったような顔をしてふてくされていたんだ。まるで空を知らない雛鳥。飛べない理由を周りに押しつけて現実から逃げるんだ。風の読み方も知らない自分の無知さを棚に上げ、僕はすねたような目で斜に構えて満足していた。
 でもアリカは違った。一度たりとも満足しなかったし、人に何も渡さなかった。彼女ははじめから一人で完結していたんだ。アリカは生まれつきそういう存在。一人だとしても独りじゃない。アリカの世界は生まれつきひとりぼっちではあったけれど孤独ではなかった。だからきっと誰も必要としない。必要とされれば応じるけれど、永久機関のように何もかもが自己完結したアリカに渡せるものは何もない。

 ふとそこまで考えて、いっそう激しく頭が痛んだ。こめかみからまっすぐ刃物を突き立てられるような鋭い痛みに思わず足を止める。
 考えれば考えるほど、思い出せば思い出すほど頭痛はひどくなっていく。今までこんなこと無かったはずなのに。
 しばらくその場に立ち止まり、頭痛の波が引くのを待つ。がちがちがちがち、と頭蓋にひどくこもった音が響き、思考にタールがからみつく。さすがに帰った方がいいかもしれない。そんなことを考え、のろのろと顔を上げると。目の前に、あの廃墟の公園があった。

 それは無意識か、あるいは偶然か。何年も続いた悲しい癖の通りに、僕はこんなところにきてしまったらしい。ふらふらと吸い寄せられるように公園に一歩踏み込むと、警鐘を鳴らすように頭痛の密度が増す。でも、あと少しで何か思い出せそうなんだ。
 ……あの日。あの日、僕はアリカに。アリカになんて言ったんだっけ。
 公園は何も変わっていなかった。塗装の剥げた滑り台と割れて板の抜けた椅子型のブランコ。場違いな掃除用具入れのような小屋とほこらが一つ。足下には何年分もの枯れ葉が積もり、ここが本当に誰からも忘れられた場所であると実感する。
 適当な場所に鞄を起き、小さな滑り台を見上げる。昔々の、小さな炎の王女の玉座。自らに魔女であることを課し、奇跡は起こすものだと歌い続けた王女。あの輝かしい王国のかすかな残滓。

『    、      ?           !       !!』

 何かを叫んだ気がするんだ。どうしても思い出せない。
 さらに記憶を手繰ろうと深くへ手を伸ばす。瞬間、いろいろ欠けた。

 視界が焦点を失い、吸い込まれるように地面に倒れこむ。思考回路が焼けつくような白に塗り潰され、意識が点滅した。
 ひどいありさまだ。気を抜けば霧散しそうな意識を呼吸だけに集中させ、ただじっと耐える。あと少しで掴めそうなのに、思い出せそうなのに。

『アリカは、魔女なんだよね?』

 そう、言った。言ったんだ。ああ、そうか。そう言う事、か。
 あの王国を壊したのも。王女を否定したのも。居場所を葬ったのも。全部、僕で。


――――――――――


 そう。奇跡を望んでしまったんだ。願ったって叶わない。祈ったって届かない。奇跡なんて起こらない。そう知っていたはずなのに。そして愚かにも、その奇跡を他人に望んでしまったんだ。
 確かにアリカは魔女だった。奇跡を起こせる魔女。永遠の炎の王女。
 だけれど彼女は、あっさりと外界に適応してしまったんだ。僕も驚くほどあっさりと。従順に。僕にとってはアリカしかいなくて二人ぼっちだったのに、アリカはあっさりと僕を置き去りにした。
 
 願っても叶わない。祈ったって届かない。そんな簡単なこと、よく知っていたはずなんだ。知っていたけれど理解していなかった。ほんの少し、期待してしまったんだ。そして勝手に裏切られた気分になって、彼女も何もかも否定した。僕はそれを都合よく忘れて、アリカは勝手に赦して。何もなかったことになって、それでおしまい。


――――――――――


 結局。思い出せはしたけれど、頭痛も耳鳴りも消えなかった。でもそれでいい。

 夕暮れはいつだって燃えるような赤。陰り始めた空の紫と乱反射する緋色が街を彩る。秋の日暮れはすぐに夜に塗り潰されるだろう。そんな曖昧な時間。
 音を立てながら不自然なほど大きなキャリーケースを引くアリカの背中を目で追い、後を無言でついて歩く。我ながら家来か犬の様だとも思うけれど。

 アリカは時々取り留めもない話をし、すぐに思考に埋没するように口を閉ざす。僕もそれを聞いて、時々肯定して。ただ黙って歩く。王国にはもう二度と戻れないだろうけど。彼女は王女であることすらきっとあの日に捨ててしまって、手を汚した僕はもう戻る資格を失っていたんだ。

 きっとたったそれだけの話。

月見里夕月の暗夜行路

月見里夕月:NPC
久遠在処:NPC

収録日:無し

月見里夕月の暗夜行路

たそがれまいり、その後にて。 月見里夕月は久遠在処と再び邂逅する。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-05

Copyrighted
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