直立した愛
完全無欠の彼女。 そして、彼女が衝突すべくして、衝突した僕らという「障壁」の物語。
彼女はある会員制高級クラブのコールガールをしていた。つまり、そこらの娼婦とはわけが違う。限られた人間しか彼女とは寝ることができないのだ。それは金銭的な問題もあるかもしれない。けれど、それ以上にもっと大きな障害のような、否、障壁のようなものが存在していた。それは世間的には抑止力と言われ、またあるときには権力と呼ばれた。そして時代の移り変わりと共に格差として世間に認識されていった。詰まるところ、彼女のコールガールとしての位置づけが政治家クラスに匹敵するくらいのものなのだ。そういう人間を相手に仕事をしているから。必然的に彼女の地位も上がる。地位も、名誉も、権力さえも彼女は手に入れた。けれど、もちろんそれは表だったものではない。何せ、彼女はコールガールだから。彼女が手に入れたのは、そういった裏での力に過ぎなかった。
「ねえ、だから、私はあなたとは寝てあげられないの」
からかうように彼女は言った。けれど僕にもそれはわかる。彼女は御墨付きとして僕よりも遥か上位の人間に抱かれる存在なのだから。彼女は有無も言わずに彼らに忠実に従う。それが彼女の仕事であるから。
「君は、どうしてそんな仕事をしているの?お金がもらえるから?」僕は訊ねてみた。別に彼女に今更コールガールをやめろなんてことは言わない。ただ、彼女がどうしてその道を選んだのかが知りたかったのだ。彼女は実に美しいし、綺麗な身体のラインを有していた。そして、何よりも明晰であった。きちんとした一流の大学だって出ている。資格だって沢山もっている。きっと僕よりも頭がいい。きっとではないか。確実に、だ。彼女は何においても僕より秀でた人間だった。そして、コールガール。
「どうしてかしらね」
彼女はウォッカトニックのグラスに入った丸い氷を指でつるつると転がした。
土曜日のバーにはどこか浮き足立った客がまばらにいたが、それでも彼女の姿を見ると誰もが気の落ち着きを取り戻した。否、それは落ち着きではないか。籠絡と言うべきか。彼らには彼女の座ったカウンターさえも艶かしく見えてしまうのだ。きっとこれはバーのカウンターだけの話ではない。彼女さえいればそれで、舞台は整ってしまう。そこがたとえゴミ捨て場であろうと、猫の死骸が転がるアスファルトの上であっても、彼女の出現によってハリウッド映画のワンシーンみたいになるのだ。それは舞台の変容ではない。ずっと前からそこに潜んでいた潜在的な起源。彼女はそういった起源を開花させる才能に長けていた。僕は彼女を見つめる。瞳や鼻筋といった身体の一部分ではない、情調的な彼女の内面を熱心に見つめる。そこに答えが埋まっていそうな気がしたから。
「そうね、確かにお金はもらえるわ。溢れんばかりにね。ひょっとしたらあなたよりも稼いでいるかもしれないわ」
彼女はそう言って、微笑んだ。少し悪びれるように。彼女の収入が僕より多いのはわかっている。彼女の細い首にかかった趣味のいいネックレスが僅かに揺れる。彼女によく似合っていた。ネックレスが彼女に似合っているのか、彼女がネックレスに似合っているのか。その点に関してはわからない。彼女は続ける。
「それに、何もかも手に入るわ。不思議よね、私は身体しか売っていないのに、それ以上のものが手に入る。それはお金という代価とはまた違ったもの。お金よりももっと絶対的な力。そうね、言うなれば地位や名誉、権力かしら」彼女はくすりと笑ってみせた。誰にでも、見せてきた完璧な笑顔を。
僕はそんな彼女を哀れむことも羨むこともせず、じっと見つめた。僕が知りたいのはそういったテンプレート的な言葉ではない。もっと彼女自身に迫った言葉が聞きたいのだ。知りたいのだ。
「君は、完璧な人間だと思うよ。それは君がわかっている通り、何に関しても、だ。君は恐らく現実に存在するものに関してなら全てに干渉できる力を持つことができる。その身体だけで」
「身体だけじゃあないわよ、テクニックだって持ってるわ。経験に見合うだけのね」彼女は自慢気に言った。その言葉はどこか艶かしい表情に映えていた。
「・・・とにかく、君は恐らく万物に対して干渉できる存在だ。それはわかっている。だから、僕はそれをわかった上で訊いているんだ」
彼女は何から何まで完璧だ。その人格に対しても。彼女はどんな人間にも合わせられる。それだけの豊富なパーソナリティと切り替えの効く鋭い演技力を有していた。だから、どんな相手にも嫌な顔一つせず、身体を寄せることができる。さらけ出すことができる。
「・・・そうね、真剣に考えてしまえば、私には答えることができないわね」
彼女はあっさりとそう言って、グラスをあおった。そこに嘘はない。彼女には嘘をつく必要がないのだから。そして、それが真実であるから。
「わからないから」彼女は言う。
僕と彼女の出会いは高校時代にまで遡る。高校時代。何故だろう。とても青い匂いがする。柏の木と静けさを讃えた小さな湖。途切れることのない深々とした森林。生命を宿す雨雲の一群。そして、群青。とても綺麗な群青。鳥のさえずり。夏草のざわめき。全てが収束して何か一つのものをつくりあげる。そんな情景がひとしきり浮上してきた。けれど、それはとても変なようにも思える。僕は高校時代について考えていたからだ。普通の人間だったらきっとこんな風な情景は浮かばないだろうに。けれど、とにかく今は、彼女の過去について言及したい。
彼女は僕と同じ高校に所属していた。裏を返せば僕は彼女と同じ高校に所属していたとも言えるがまあ、今はそこにおもきを置く必要はないだろう。大まかなことはどうでもいいことだから。とにかく、僕と彼女は同じ高校に属していたのだ。
僕らが籍をおいていたのは至って普通の県立高校だった。どこにでもあるような教室、体育館、グラウンド、プール。何もかもがありふれた存在であって、そして確固たる形を有していた。それは長い年月を費やすことでやっと体現されたようにも見えた。個々の三年間が費やされた形。断続的に続く誰かの三年間とはあっというまのようだ。誰にも平等に与えられるはずの三年という歳月。けれど、今回はそんな名前も顔もわからないような誰かにささげるための思考ではない。考えるのは僕らの三年間だけでいい。僕にとっての三年間と、彼女にとっての三年間。フォーカスするのはそれだけで良い。僕は思考を巡らす。
高校時代、僕が見ていた彼女というのは今と比べると随分違ったように思う。けれど、それは通り一遍、当たり前のことなのかもしれない。誰しも、歳をとることによってそれだけ時間を費やし、擦り減らし、そして死んでいく。そんな永遠に続くような時間の中の一コマに過ぎないのだ。だから、彼女が今と違うということも理解が早い。僕も随分と擦り減った証拠だ。しかし、それでも彼女には変わらない点があった。
彼女は美貌という点で擦り減るということを知らなかった。当時の彼女もずば抜けて美しかった。美しいというより、綺麗だったと表現するべきか。とにかく、端正であった。
もちろん、彼女はクラスの人気者であった。皆、彼女に惹かれるから。どこにも欠点がない彼女に魅了されてしまう。それは男子に限ったわけではない。女子からの人気も絶大であった。中には彼女のことを好ましく思わない輩もいたのかもしれない。けれど、それでも彼女に対しての周囲の憧れ、みたいなものはそれを易々と黙らせた。彼女はそのころからそういう類の力を持っていたのだ。そして、それを彼女は知っていた。何もかもを易々と制圧できてしまうことを。彼女には誰も勝てないことを。彼女自身で自覚し、揺るぎない自信としていた。
けれど、それは同時に彼女を酷く退屈にさせた。彼女は飽き飽きしていたのだ。完璧であって、不具合が生じない彼女自身に対して。そういった意味では彼女は充実という言葉から無縁であったのかもしれない。充実という言葉を切り離して、生きていた。彼女はきっとこれまでもそうしてきたのであろう。彼女の容姿がいつから通用するようになったのかはわからない。けれど、とにかくそういう人生を送ってきた。何不自由ない、女王のようなスクールライフを。「女王のスクールライフ」変な表現だ。
そこで、僕の登場。イレギュラーである、僕の存在に行き当たる。彼女が恐らく初めて衝突したであろう障壁第一号の記念すべき登場である。僕と彼女の起源。
当時の彼女にとって僕はどんな風に見えただろうか。超えること=死を意味する難攻不落の「ベルリンの壁」のように見えただろうか。それとも「セヴァストーポリ要塞」か。まあ、なんでもいい。とにかく、僕が彼女の歯車を狂わせた。
その日は丁度、綺麗な夕焼け空が見えていた日であった。僕は誰もいなくなった教室からそれを熱心に眺めていた。憧れにも似た眼差しを夕焼けに向けていた。当時の僕はちょっと詩人のような感傷的心境の持ち主であった。要するに、かなり地味だった。その上、かなりの変わり者であったように思う。僕自身でそう認識していたのだから、きっとそれは間違っていなかったのだろう。地味で、変人だった。しかし、それは今にして思えば素晴らしいことであるように思う。誇らしいように思う。下手に自分のことをアピールしている人間よりはよっぽどマシだったからだ。生き恥を晒すくらいならうわべだけの自分を構築するのに徹する。そうした思考の一貫性からしてみれば当時の僕は実に利口であった。そして、大人びていた。少なくとも、内面だけは。
そんな内面だけ大人びた僕に彼女は話しかけた。
「何を見ているの?」
それが、彼女が僕に語りかけた最初の言葉だった。僕にとってのファーストコンタクトであり、彼女にとってのワーストコンタクト。
「夕焼けを見ているんだ」僕は言った。
彼女は僕の言葉を聞くと馬鹿にするように鼻で笑った。完成された嘲笑。当時から彼女は完成された笑顔を使い分けることができた。それも反射的に。
「ねえ」彼女が僕を見つめる。
「何?」僕が彼女を見つめる。
「私と、どっちが綺麗?」彼女はそう言った。それもさも自信あり気に。
やれやれ。本当に、やれやれ。
しかし無理もないだろう。何せ当時の彼女は女王だったから。完成に完成を積み重ねた女王。彼女は自分に陶酔し、誰もが彼女にひれ伏す。そこに例外はない。少なくとも彼女が今まで生きてきた世界秩序においては。だから、彼女のそういった発言は仕方のないことだった。僕が障壁として彼女を更正しなければならないのだ。
「君はここから見える夕焼けの美しさを知らないの?」
「・・・え」
どこか間の抜けた彼女の声は確かにそこにぽとりと落ちた。彼女にはきっと何が起きたのかわからないのだ。その証拠に彼女の表情は凍りついたように動かなかった。今までその質問に対して誰もそんな返答をしてこなかったから。誰もが彼女を「美しい、綺麗だ、可愛い」と褒めてきた。そしてそれが彼女にとって当たり前の世界で、彼女は生きてきた。だから、彼女は対応できないのだ。僕の答えに。
「僕は夕焼けが好きだ。どこか儚げで、切ないから」僕は言う。
「・・・あなたって変わってない?」
「そうかな?僕からしたら君のほうが変わりもののように思うけれど」
彼女はやはり僕の言葉に詰まっていた。きっとこれまでこんな会話すらしたことがなかったのだろう。何故だろうか。僕はそんな彼女を想像して、少しだけ、ほんの少しだけ感情移入してしまった。彼女のことを可哀想だと思ってしまった。そのことを考えると僕にも少なからずある種の転機は訪れていたのかもしれない。
それから彼女は僕の隣で夕焼けを眺めた。僕と同じように、どこか儚げで、切ない夕焼けを見た。そんな風に誰かと夕焼けを見るなんてお互いに初めてだった。・・・少なくとも僕は。
「・・・綺麗」夕焼けに照らされた彼女はそう言った。
それが、僕と彼女の最初の出会い。短絡的で、ストンと収まりがいい感情の伴わない出会い。僕は彼女のことを決して好きにはならない。それは決め事のようなものだから。秘め事のような決め事であったから。
障壁という括りで言えば、彼女にはもう一人の障壁が存在していた。それもやはり高校生の頃であった。だから、それを思うと彼女は聊か不憫であったようにも思う。何せたった三年の間にこれまで味わったことのない挫折を二度も経験したのだから。そう考えると今の彼女がコールガールとして働いているのは「僕ら」のせいなのかもしれない。彼女は「僕ら」に遭遇していなければ、否、たとえ出会っていたとしても乗り越えようとせずに大きくぐるりと外側を回っていれば彼女の人生は順風満帆であったはずなのだ。どこかの医者か、弁護士か、資産家か、銀行員か、次期社長か。とにかく彼女はいずれの男も易々と落としてしまう。それは彼女にとって大して手間ではない。彼女が何もしなくても大抵の男は寄ってくるから。そうして、選り好みに選り好みを重ね、まるで珈琲豆を厳選するかのように選ばれた、何から何まで完璧な男と結婚する。彼女はここでも決して間違った選択をしない。なぜなら彼女は賢いから、男を見極める慧眼があるから。そこには絶対的幸せな家庭が築かれるのだ。約束された幸せ。そして子供が生まれる。それも二人だ。父に似た理知的な男の子と、母に似た殺傷的美しさを有した女の子。どちらもすくすくと育って、そのうち海外の大学に渡る。理知的な息子はケンブッリジ大学へ、殺傷的美しさを持つ娘は石油王の息子か英国王室の息子を籠絡する。母よりも更なる高みを目指して。
このように僕が想像するだけでも彼女の人生はこれほどまでに充実したものになるはずなのだ。しかし、ここで予想を上回るのもまた彼女なのだ。
超えなくて良い壁だって越えないと気が済まない。彼女は「僕ら」に衝突するまで完全無欠の女王であったから。彼女は自身が絶対であると考えていたから。だから、だからそこで「僕ら」を乗り越えようした。そして、失敗した。
きっと僕だけであったなら彼女は超えようとしなかっただろう。何せ僕と彼女の間には拮抗するような事はなかったから。いつも僕がいて、そこに彼女がいただけだから。その局地的関係においては、問題は起こらなかった。故に問題はこれから紹介する第三者によって発生したと言える。けれど、その第三者が彼女に何かした、というわけでもまたないのだが。どちらかというと彼女が一人で踊っていただけ、と言うほうが正解だろう。しかし、彼女はそんなときでも優雅にステップを運んで、踊っていたのだろうけれど。まあ、とにかく第三者である彼を紹介したい。
彼女にとっての障壁第二号。第三者である彼は、とにかく女の子から人気があった。彼女が女としての完璧な美貌を兼ね備えているのなら、彼は男としての完璧なルックスを誇っていた。要するに一目でわかる好青年なのだ。通りを歩けば、道行く女の子たちが彼に釘付けになり、近くによれば彼女達は彼の完璧さに耐えられず失神してしまう。それほどまでに女性に受けるのが彼だ。髪型から靴まで全てが洗練された彼はまさに非の打ち所がなかった。少なくとも、外見に関しては。そこが彼女とは違うところであり、彼女にとっての最大の障壁となったものだった。彼はゲイだったのだ。
彼が自身をゲイだと認識したのは女性と関係をもつに至った際だった。
「僕はなぜか知らないけどよく女の子から告白されたんだ」
彼は悪びれる様子もなく、飄々と語る。彼は自分がどんなに整った身なりをしているか自覚していないのだ。その点、彼女と違って気取らないところが僕は気に入っていた。・・・好印象であった。僕は女の子が好きだし、女の子を好きになる。コールガールをしている完全無欠の彼女以外の女性を好きになる。
「高校に入ってからもその勢いは一向に止まらなくてね。本当に困った。だって、考えてもみろよ、毎日のように知らない女の子が「あなたのことが好きです」って言いにくるんだぜ?正直、勘弁してほしかったよ」
彼は心底、困っていたのだ。何せ彼はゲイだから。
「でも、まあ、そのときはまだ自分がゲイであることを自覚していなかったから。前向きに考えることにしたんだ、これは好機なんだって」
「要するに君はその山ほどいる女の子の一人と付き合うことにしたんだね?」
「ああ、告白にきてくれた子の中で一番、可愛い子にしたよ」中身なんて見えない、と彼は言う。どこか遠くを見るように言葉を吐き出した。
「僕は、その子とすぐに仲良くなれた。その子はとても魅力的だったし、僕のことを本当に好きでいてくれたから。仲良くなるのは時間の問題だった。今までは煩わしくて付き合うのは断っていたんだけど、初めてその子と付き合ってみて楽しく感じたね」
「へえ」と女の子と付き合ったことのない僕は言った。ゲイである彼が女の子と付き合えて、女の子が好きである僕は女の子と付き合えない。実に世の中はうまくできているなと僕は感心した。
「それから半年くらい付き合った頃かな。その子の家に呼ばれたんだ。しかも、よりによって親御さんのいないときに」彼の声が少し上ずった。
「親御さんがいない家に呼ばれるなんてことになったら、やることは一つしかないだろう?」
僕は黙る。女の子と付き合ったことのない僕であっても、そういう知識なら持っている。僕はなんだか自分が恥ずかしくなった。
「案の定、その子はそういうつもりだった。もちろん、僕もそのつもりだった。彼女は魅力的だったから。でも、いざとなったら駄目だった。そういう気分にならなかった。女性が行為に及ぶ際に身体から発する匂い、フェロモンとでも言うのかな?あの匂いがどうしても駄目だったんだ。もちろん、それでも僕らはいろいろと試したさ。でも結局、僕はその子を抱けなかった」
「・・・それで、その子は?」僕は訊いてみた。
「泣いていた。とても傷ついたって。きっと彼女だって素敵な日にしたかったんだ」
彼はそう言った。そこまで遠くもない記憶について感情を少し高ぶらせながら。
「その子を抱けなかったとき。その子に「別れよう」と言われた。そのときが、僕自身がゲイである、ということを認識したときだったね」
僕は彼の話を聞いて黙った。それは彼に対しての申し訳なさもあったのかもしれないし、素直にどう反応していいかわからなかったからかもしれない。僕にとっての彼の存在は特異な人種であったし、もちろんそんな人物に今までの僕の浅すぎる人生では出会えていなかった。彼の見ている世界は少なからず僕よりも違った観点から成されていたのだ。
「つまるところ、僕は最低の人間さ」彼は言う。
「僕は彼女達から好意を寄せられる。それは偶然ではない。必然だ。必然的に彼女達は僕の周りに集まってきて、求愛する。艶かしいポーズをとったり、イタリア製の高価な下着を身に着けたりする。僕に選ばれたいがために。でも僕は彼女達に決して応えてあげることができない。僕は、彼女達を望んでいないから。求めていないから。だから、そういうこと。彼女達が僕のために何かしてくれているのに、僕は彼女達に何もしてあげることができないんだ。いつも一方通行でしかない。そして、それが僕には耐え難い。他人の想いを拒否して踏みにじるようで、気分が悪い。最悪なんだ」
完全無欠の彼女と彼が違う点は探せばいくらでもでてくるだろう。けれど、中には目立った差異だってある。その一つが、これ。彼が非常にネガティブであるということ。彼は優しすぎるのだ。
とにかく、彼はこういった人間であった。何かに恵まれているようで、実質、恵まれていない。そういった人間。彼のことを知らない人間からしたら彼は実に羨ましがられるだろう。嫉妬されるだろう。よくわからない奴だと想われるだろう。けれど、ほんの少しでも彼の本質的なものを知ることができれば少なくともそんな感情は抱かないだろう。彼は彼なりに苦労をしているのだから。僕には経験がない、他人に期待を抱かせること、そして、その期待に応えられないこと、というのは実に気分が優れないのではないかと想われた。だから、そういった意味では彼に対して同情した。してはいけない同情。彼女と同じような孤独を抱えた彼に対する同情。彼女にも投げかけた感情移入。その点に関して言えば彼と彼女は僕から見れば同位の人間だった。二人とも儚い存在であった。
ここまでが彼の根本的部分。彼の秀でた部分と特異な部分。そして、ここからが、彼が完全無欠の彼女にとって本質的な障壁二号となる部分。彼女と彼の接触である。
まず僕が彼女にとっての障壁第一号となった所以は当時からの絶対的美貌を誇る彼女を好きにならなかったからである。変な話それだけだ。言うなれば、彼女が出会った初めて自分に興味を抱かなかった人間。籠絡できなかった人間、と言ったところか。
「ねえ、私のことが好きではないの?」彼女は言う。自信に満ちた眼差しで僕を見つめる。
「好きじゃないね。僕は君のことを好きにはならない。今も、そしてこれからも」僕は言う。根拠のない眼差しで見つめ返す。そこには、情調的感情の高まりみたいなものが一切ない。僕は決して彼女に恋心を抱かない。決して生じない。それだけ。
続いて彼が障壁第二号となった所以。彼の場合は僕とは違う。彼女が拒絶されたことに変わりはないのかもしれない。けれど、それでも彼女にとっての心情的ショックは彼からの拒絶のほうが大きかったのだろう。そこが僕とは違う点。
僕が彼女にとって「初めての例外」であるなら、彼は彼女にとって「初めての失恋」であった。つまり、そういうこと。完全無欠で絶対的な彼女が初めて恋をした相手は、道ゆく女性全てを魅了し、失神させるルックスのゲイだった。
僕はそのことを考えるたびにやはり感心する。
世の中、実にうまくできているな、と。
彼女は実に完璧である。それはここまで記述してきた通りだ。殺傷的なまでに鋭く磨きぬかれた美貌に、切れ味のある頭脳。彼女は何においても完璧であった。
けれど、そんな彼女も例外なく、難なく、ごくごく自然に彼に魅了され、失神した。そういうところからすると、やはり彼の男としての完成度は本物なのだと想う。何せ、女王であった彼女を陥落させたのだから。それはもはや賞賛に値するものだ。素晴らしい。
しかし、僕はそんな風に彼に感心する一方で彼女に対しては失望していた。失望というか、失念していた。それは少なからず僕が彼女に期待していたと言ってもいいのかもしれない。彼女もまた完璧さという点では原則・規範からはみ出た存在であると考えていたから。彼女があっさりと彼に籠絡されたのはなんだか裏切られた気分であった。
しかし、それでも彼女にも言い分はあるらしい。言い分というか言い訳に近いものであることに変わりはないが。
「私が誰かを好きになってはいけない理由があるのかしら。あなたは私のことを絶対無比の女王だと祀り上げて、随分高く評価しているようだけど、それでも私は年齢相応の女の子なのよ。恋の一つや二つ、当たり前のことよ」
当時の角々しい彼女はそう言った。彼女の言い分には多少勘違いしている点もあったが、それでも問題はそこではない。僕に関しての誤った見識など微々たるものでしかない。些細な話でしかない。そんな話は誰も好き好んで訂正しようとは思わない。どうでもいいのだ。話の根幹部分はそこではない。問題となるのは、彼女の恐らく初恋であろうものが儚く、とりつく島もなしに散ってしまうということだ。彼女が恋をした相手がゲイであるから。彼女がどんなに完璧であろうとも性別的に彼女が彼に受け入れられることは決してない。彼女が直面し、そして衝突する第二の障壁。それは彼女がどんなに策を練っても打ち砕くことはできない。それは彼の根幹、起源に近しいものであるから。彼にとってゲイであることは一種のアイデンティティーなのだから。彼女がそれを否定し、捻じ曲げることは到底不可能だし、彼はそれを進んで更正しようとも思わないだろう。だから、彼女に与えられるのは絶対的な拒否しかない。彼女の初恋には一パーセントの可能性さえ存在していなかった。慈悲さえ存在しないのではないかと思ってしまうほどに、哀れな初恋であった。何もかもが始まる前から完結してしまっていた。絶対的な絶望しか用意されていなかった。
そうして、結局彼女は難なく、極々自然に、何の脈絡もなく、何のドラマもなく、他の女の子と同様に彼に振られた。拒否された。全てにおいて変化と呼べるようなものはなかった。ただ単純に予定調和が完遂されただけだった。彼女の生まれて初めての失恋も何一つ違えることなく、訪れた。唯一、予期しなかったことと言えば、彼女が思いのほか涙していたことであった。誰もいない教室。彼女は夕焼けが綺麗に見える窓際で声を殺して、ひそかに泣いていた。僕は彼女の涙を見たとき、何かが自分の中で顫動するのを確かに感じた。心が打ち震えた。けれど、僕にはわかっていた。それもまた、恋ではないのだと。
「私は何故、拒否されてしまったのかしら」
僕は彼女の隣から夕焼けを眺めた。彼女の様子からすれば、彼は自分がゲイであることを彼女に教えなかったらしい。けれど、その選択は間違ってはいないのだろう。彼が幾度も口にしてきたテンプレートで、洗練された拒否の言葉。それは決して辛辣なものではない。ずっと優しい言葉。彼は、優しい人間だから。誰よりも傷ついているから。
「きっと君につりあわないと、思ったんじゃないかな」
「馬鹿言わないで。彼はそんなこと考えていないわ」
「・・・そうだね、ごめん」
僕らは夕焼けを見つめる。還元されることのない時間の流れにおいて、僕らは一時を共有していた。
「きっと彼には、何か秘密があるのよ」彼女は言う。
「・・・どうして、そう思うの?」
僕は彼女のほうに顔を向ける。それと同時に彼女は泣きはらした顔をすっと近づけてきた。ほんの一瞬のできごとに僕は反応することができなかった。彼女の唇が僕の唇に重なる。
彼女が僅かに吐息を洩らす。
僕の鼓動が跳ね上がる。それはある意味で約束された反射的なもの。そうしてゆっくりとした時間の中で彼女が徐々に離れていく。
「私は魅力的でしょ?」
そこには有無を言わせないだけの力があった。何に対しても恐れというものを彼女は決して抱かない。絶対的な自信を有しているから。
「八つ当たりみたいなものだから気にしないで。別に深い意味はないの」
「・・・・」僕は何も言えなかった。
「・・・ありがとう、彼のことを教えてくれて」
彼女はそう言うと、踵を返して教室から出て行った。彼女は何がしかの情報を僕から引き出したらしい。何から得たといえば、それはあの行為からなのかもしれないけれど。
それでも、僕には何もわからなかった。ただ、彼女の儚げな顔だけがぼんやりと頭の中を支配し続けていた。しかし、それもまた恋ではないのだけれど。
とにかく、こうして彼女は二つの障壁に出会ったのだ。出会って、そして何かを知った。それは自分が絶対的でないこと。それは特異な人種の存在。或いは挫折。
彼女は躓いた。それが今、コールガールとして働いていることに関係があるかどうかはわからない。けれど、影響していないと言えば、それは嘘か。あのまま生きていけば彼女はコールガールなんて間違いなくしていないだろう。どこかの高級マンションで家族と共に平穏に暮らしていただろう。だから、「僕ら」にはやはり責任みたいなものがあるのかもしれない。青い匂いと確かな情景が続く限り。
そうして、現在に至る。何故だろう、彼女との縁は未だに断ち切られていないのだ。僕と彼女とはまるっきり別の道を歩んでいるのに、それでも縁はしぶとく、未練がましく繋がったままだった。ただし、時間の変遷はある。僕らはもうあの青い匂いを嗅ぐ事ができないし、一緒に夕焼けを見ることもできない。それだけは確かだった。
「彼は元気?」
「ああ、今は確かピアノの調律師をしているよ」
「本当に彼は器用よね」
我々は毎週、土曜にバーで酒を酌み交わす仲になっていた。それがいつから始まった習慣なのかはわからない。ただ、生活の一部、みたいになっているのは確かであった。
「相変わらずいい男なのかしら?」
「ああ、彼は老いとは無縁のようにも思えるよ。まあ、それは君にしたってそうなんだろうけれど」
彼女は今でも完璧であった。その完成された美しさが陰ることは当分なさそうだ。
「けれど、あなただって変わらないわよ」
彼女はそう言うと、にっこりと微笑んだ。その微笑が何よりも彼女のこれまで時間の経過を伴っているように思えた。それは彼女がコールガールとしてのキャリアを積み重ねた証拠だから。そのことに関して言えば、やはり僕は負い目を感じざるを得なかった。彼はどう思っているのだろうか。彼女がコールガールをしていることに関して。きっと、何も思わないのだろう。いくら優しい彼にしたってそれは既に過去の出来事なのだから。今更彼女に対して同情するような野暮な真似はしないだろう。それは、彼女に対しての侮辱であるから。
「訊いてもいいかな」
「私がコールガールをしている理由?」今度は挑発的な笑み。
それは幾度も繰り返した問答であるからか。彼女は聊かうんざりしている様にも見えた。
「君はあまり本当のことを喋ってくれないからね」
「そうかしら。本当のことを言っているのに、あなたが否定するからじゃないかしら」
「君は地位や金のために身体を売るような人間じゃないだろう?」
「・・・どうかしら」
僕がどう問いただしても彼女は結局はぐらかした。僕には彼女のことがやはり、わからなかった。ただただグラスが空になっていく。じんわりと酒が身体を温めていく感覚が断続的に続いた。だいたいいつもこうだった。我々の会話は酒がある程度入らなければ成立しないのだ。それが会話と呼べるかはわからないが。
「あなたは私がコールガールをしていることに負い目を感じているの?」
「少しは、ね」
「どうして?どうして、あなたは私が自分の意志で選んだ職種に対して負い目を感じているの?それって考えようによっては傲慢よ?」
「・・・そうかもしれない。僕は少なからず君に対して何らかの影響を及ぼしたと思っているんだ」
僕はぼんやりとした頭でそう彼女に言った。彼女はまだグラスを傾けていた。彼女は酒にも強いのだろう。グラスの縁から水滴がぽたりとカウンターに垂れた。
「それは違うわ。あなたのせいじゃないわ。言ったでしょう、自分の意志で選んだって。あなたは確かに私が出会った人達とは違っていたわ。でもね、だからと言ってあなたのせいでこの道を選んだわけではないのよ。当然、彼にしたってそう」
「つまり、君は誰にも左右されていないと?」
「ええ、そうよ。その通り。私は誰にも左右されていない。誰からも影響を受けていない。私の人生の局面は全て私の意志のままに全うされたわ。そこに他者はいないの。だって、他の人がいたらそれは私の人生じゃないもの」
僕は黙ったまま、彼女が並べていく言葉の一つ一つをゆっくりと吟味した上で反芻していった。機械的なまでに緻密に。いくらか彼女の言葉は僕の頭の中を流れていった。ベルトコンベアの上を流れてゆくように。そして、僕はそれを注意深く見ていた。その作業は酒が聊か回った頭には結構な労力を要した。
「私は何に関しても必ず私自信の判断をものさしとして考えてきたわ。それが私の価値観にそぐわないものであれば、それは私の中から消去されるし、私の価値観に合えば選択肢として残される。基本的にそれの繰り返しよ」
酒の回った彼女もまた饒舌になっていた。酒が入ると彼女は普段よりも頭がきれて、さらに饒舌になる。彼女は今、自分が思っていることを誰かに伝えたくて仕方がないのだ。
「けれど」
その言葉の強さに僕の程よく弛緩した脳がきゅっと締め付けられた。僕は少し酔いがさめた。
「けれど、いつだって私が下す選択には覚悟というものがある。私自身の強い思いがある。だから、あなた達に感化されるなんてことは決してないのよ。他でもない、私の人生そのものに関することなんだから」
気づけば真っ直ぐに彼女は僕の目を見据えていた。そこに、嘘なんて微塵も隠されてはいなかった。本当の彼女がそこにはいた。
「つまり、君がコールガールになったことには、君自身の確固たる覚悟があるわけなんだね」
「・・・ええ、そうよ。その通り」
今の彼女は僕という脇役を介してとても輝いている。映画のワンシーンにしか見えなかった。丸く削られた氷ががらんと音を立てて、グラスが空であることを知らせた。
「私は誰かに感化されるほど弱い人間ではないの」
彼女は言った。
数時間後、僕はいつも通りに酔いつぶれた彼女を連れて、趣味の悪い金持ちしか泊まっていないような五十階建ての高級ホテルのロビーに居た。どこのホテルもやはりそこの客層に合わせた仕上がりになるものだ。それが僕の言わんとするところの「趣味」である。言い換えるなら、ここを訪れるような客、僕の隣で半ば泥酔状態の彼女は「趣味」が悪い。金銭感覚が狂っている、とでも言えばよいのだろうか。とにかく、何のためかもわからずに経済を回そうと必死で金を使う者だ。しかしそれは同時に、彼女の収入の絶大さも如実に示している。そういった観点からすると結局のところ「趣味」の良し悪しが判別される者は必然的に金持ちということになる。僕からすれば、そこには良し悪しなんてもう存在すらしていないんじゃないかとも思う。終わりが見えなくなった。
閑話休題。
とにかく、彼女と酒を飲むといつもこうなった。途中で僕がセーブして、彼女は酔いつぶれるまで飲み続ける。そして、彼女を抱えて高級ホテルにやってくる。彼女の介抱に至るまで全てが一貫した習慣の中に含まれていた。ここの真紅の上質な絨毯はいつ来てもその不可解な柔らかさを失うことはなかった。
「君は確かに価値観を揺さぶられるような弱い人間ではないかもね。でも、さすがに酒には弱い」
「・・・なんかいった?」深く酔った状態の彼女はうな垂れたままそう言った。シャンプーと香水が混じった奇妙な匂いが鼻先まで流れてきて、それから酒のきつい吐息がそれを一掃していった。やれやれ、酒の飲み方ぐらいもう少しマシにはならないものか。僕は毎回、ここでそんなことを思いながら、ロビーのソファに彼女を横たえる。
「今日は何階にするんだい?」僕が訊ねる。
「・・・三十二階、がいい」彼女が答える。
「うん、了解」了承。
彼女はこのようにして宿泊する階数を指定する。恐らく深い意味はない、ただの気分みたいなものによってこれは決定される。まあ、何にせよ宿泊するのは彼女であるのだから僕には関係のないことだった。
フロントまで行って、三十二階で空いている部屋を探してもらう。フロントには黒縁眼鏡を掛けた背の高い男がいた。深夜ということもあってか男は眠そうな顔でパソコンの画面を睨んでいた。聊か睡眠不足なのだろうか、目の下がほんのりと腫れていた。それでも僕の姿を認めると男は業務上の笑顔を貼り付けて、応対してくれた。
「なるべく、角部屋がいいな。あとは朝食なしで」
「了承しました」男は礼儀正しく頭を下げた。
どうせ、彼女は翌日の昼まで寝ているのだろうからほとんどのオプションはいらないだろう。今晩の寝床さえ確保できればそれでよいのだから。そんなことを考えているうちに男は硝子のキーホルダーがついた鍵を用意してきた。支払い名義に彼女の名前を書いて、鍵を受け取る。鍵は恐ろしく冷たかった。
彼女の元に戻ると、彼女は既に寝息をたてて眠っていた。彼女の呼吸に合わせて、身体に相応しい胸が上下する。いつも通りだ。
「・・・部屋に行こうか」僕はそんな風に彼女に向かって優しく言葉をかける。
「・・・あ、ええ」僅かに目を開けた彼女はそう言った。
どこかまだ寝ぼけた様子ではあったが、それでももう一度眠りに戻っていくことはなかった。よろよろと立ち上がり、エレベーターのほうへ歩きだす。「千鳥足」というか、乱れた歩。「乱歩」であった。酒が回っている頭にしてはユニークな発想に僕は一人で笑みを浮かべた。彼女の足取りにはどこか文学的な匂いがした。
「早くいきましょう?」
よろよろと先を歩いていた彼女が振り返って僕に言う。振り返った彼女の表情は冷静に吐かれた言葉に反して、ゆるゆると崩れていた。そんな情けない表情で、一体どこへ行こうと言うのか。けれど、その間にも僕を通して映される彼女の姿はどこか風情に溢れ、幻想的であった。緩く巻かれたショートヘア、瑞々しい瞳、ダークブルーのドレスに、黒いエナメルのヒール。そして足元に敷かれた真紅の絨毯、煌びやかな照明。この空間において彼女は、その全ての潜在的可能性を具現化させていた。どこか妖艶で、美しい。そういった光景を彼女は見事に表現していた。彼女を通して見てしまえば先ほどまで毛嫌いしていたこのホテルさえも一流のホテルのように見えてしまうのだ。そこには品性さえも感じられるのだから、奇妙な話だ。
「そうだね。行こう」僕は彼女に応える。
やはり彼女は本物なのだ。
僕らは三十二階の部屋を目指して、エレベーターに乗った。その間、隣に立っていた彼女は何も喋らなかった。ただ規則正しい息遣いだけが繰り返された。きっと酒が回り過ぎていて、話をするのも面倒なのだろう。特に何かを考えているようにも見えない。彼女の視線は上がるに従ってゆっくりと点滅するエレベーターの階数に注がれていた。ぼんやりとした彼女の視線。綺麗に伸びた鼻筋。薄い紅を差した唇。はっきりと浮かぶ顎のライン。そこから伸びる白く艶やかな首。女性らしい鎖骨。
3・・・5・・・。
エレベーターのゆっくりとした点滅。静まり返った空間。
12・・・21・・・。
僕の鼓動。背後の鏡に映った彼女と僕の背中。
24・・・27・・・30。
彼女のか細く、白い腕。握られた冷たい鍵。
・・・32。
ドアがゆっくりと開く。誰もいない三十二階。ロビーに敷かれていたものと同じ真紅の絨毯。そして、明るい照明。
「行きましょうか?」
「・・・そうだね」
ほんの一瞬の間だけでも、僕の心が彼女に支配されていたのは、これが初めてであった。そして、僕は知っている。こんな不安定な平静が二度と訪れないことを。だって、僕は決して彼女のことを好きにならないのだから。好きにならないから、彼女を愛することもない。彼女と交わることもないのだ。彼女は抱かれるべき相手に抱かれる存在だから。
僕はそんなことを考えながら彼女の隣を歩いた。僕とは対照的に彼女は陽気に鼻歌まじりにヒールを響かせていた。気分がいいのだろうか。
「ねえ、それなんて歌?」
「知らないの?」
「曲は知っているんだけれど、名前が思い出せない」
「Don’t stop my loveよ」
彼女は言った。
彼女は部屋に着くなり、ベッドに身を投げた。やはり限界だったのだろう。
彼女が言うにはこの瞬間が一番、心地いいらしい。少なくとも僕には持ち合わせていない、否、持ち合わせたくない感性であった。
僕は部屋の冷蔵庫を開け、中を一通り確認してから閉めた。酒とソフトドリンクしかなかった。僕は洗面所で、プラスチックのコップに水を注いで飲んだ。水道水はどこか生ぬるかった。ベッドに沈んだままの彼女がこちらに声をかける。
「私にもお水くれる?」
「水道水でいい?」
「ええ」
蛇口の隣に伏せられていたもう一つのコップに水を注いで、彼女のもとへ運ぶ。彼女はまだベッドの上に横になっていた。それは僕に綺麗な凍死体を連想させた。とても美しい死に方、凍死。そこには温かみがない。あるのは確固たる寒色のみ。死に方にだって醜い死に方はある。例えば、轢死や溺死。あの類の死に方は本当に見るに耐えない。けれど、目の前にいる彼女ならば、そんな醜い役だって主役クラスに引き上げるのではないのだろうか。たとえばスクリーン上で彼女が殺されると観客がそれに対して非難する。ある者は涙を流し、ある者は監督を憎む。ある者は犯人役に憤慨するかもしれない。
「何見てるのよ?」
「ああ、ごめん」
さっきまで凍っていた彼女は怪訝そうな顔をして、さっと起き上がった。ドレスの肩紐が片方、外れていた。
「私に見蕩れていたの?」彼女はなんの感情もなしにそう言った。
「違うよ、ドレスに皺がつくんじゃないかと考えていたんだよ」
彼女は僕の反応を窺っていたが、僕がそう言うと「へえ」とだけ息を吐いて、肩紐を掛け直した。僕の手からコップを静かに受け取る。
「別にどうでもいいのよ。ドレスなんて。私にとってはほとんど意味がないものだから」
「意味がない?」
「ええ、私の仕事にドレスはいらない。ヒールもいらない。大事なのは、ドレスの下の中身。私の、身体よ」
僕は黙る。別に不快というわけではない。ただ単純に彼女に返すべき返答が見つからないだけだ。そして、そんな僕の反応を見て彼女は薄く冷笑を浮かべる。いくら酒が回っても捻じ曲がった性根みたいなものは消えなかった。逆に、酒が入ることで活性化されているような印象のほうが強かった。
「それに」彼女は続ける。
「たとえ、皺になったってまた新しいのを買えばいいのよ。もっともこれは貰いものなんだけどね」
「君は・・・」
僕が口を開く。そこには彼女に向けての言葉がのるはずだ。けれど、それでも踏み込んだ言葉が出てこない。理由なんてない。けれど、言葉に詰まる。そして、その続きの言葉は彼女によって紡がれる。彼女は僕よりも鋭い感性を有しているから。それは酒がいくら回っていようと関係ない。
「間違っている?」彼女が言う。
「・・・わからない」僕には応えることができない。そこに潜む本質的なものを僕は見極めることができないから。
「・・・あなたはいつも私が間違っていると言う。けれど、あなたにはそれを言う資格はないのよ。何度も言うように、私の人生だから。私自身の覚悟の上に成り立っている人生だから。それに、私はあなたの恋人でも、家族でもない。ただの他人なの。私とあなたとの間には何もない。それはあなただってわかっていることでしょう。本来なら、私達が再会することはない。それは必然でも、偶然でもない、他ならぬ現実そのものがそのように構成されているから」
彼女は水をゆっくりと飲み干すとベッド横のサイドボードの上にコップを置いた。それが、恐らくその話の終着を告げる合図だったのだろう。或いは、諦め。彼女は深く溜息をついた。それは一瞬の切り取られた情景。
「ねえ、どうして私がコールガールになったかわかる?」
「わからないな」
「・・・誰かと繋がることができるからよ」彼女は言った。
「・・・君は、繋がることで何を得るのかな?」
「そうね、うまくは言えないのだけれど、その人の記憶や未来、みたいなものかしら」
「記憶や未来?」
「そう、あのとき、あなたにキスしたように」
彼女に言われて、僕は再び記憶を遡った。夕焼けに染まる教室を。もう二度と、僕らは戻れないのに。それでも記憶だけは鮮明であった。あのとき、彼女は僕から情報を引き出していた。唇を重ねることで僕と繋がった。僕の深層心理に優しく触れた。
「あのときはさすがに驚いたわ。彼がまさか、女の子を好きになれないなんて」
「つまり、君は身体に触れることでその人の記憶や未来を見ることができる。そういうこと?」僕は要点を整理して彼女に言葉を投げかける。彼女はあらかじめ用意された答えにしか応えない。
「まあ、早い話、そうね。けれど、未来を見るには触れるだけでは駄目なの。未来を見るには直接その人と繋がらないといけない。だから、わかるでしょう?私が上位の人間を相手に仕事をしている理由が」
「君を通して、未来が見たいから」
「そう、彼らは皆、私を通して未来が見たいのよ。未来の自分の姿が見たいの。政界に残れるか、出世できるか、みたいなことをね。そして、彼らは絶えることなく、未来を欲しがる。だから、私は必然的に上位の人間になった。それだけのことなの」
室内には空調の音が静かに流れていた。機械的で、規則的な音。それはどこへ行こうと変わりはしない。感情を有していないから。
彼女の細い手が僕の頬にそっと寄せられる。僕に、触れる。
「あなたは、未来が知りたくない?」
何故だろう、そのときの彼女はとてつもなく恐ろしかった。恐ろしいほどに、美しかった。そこには僕の全てを擲ってでも手に入れたい、欲望や快楽があった。今まで彼女が決して見せてこなかった本心みたいなものがあったからだ。僕がここできっと揺らいでしまえば、あとは単純に崩れていくだけだろう。春の雪崩のように、僕らは交わるだろう。
僕は確実に本能的な何かに支配されつつあった。それはまさしく彼女に対する欲望そのものであるように思われた。けれど、そこにはもう一つ、本能的な感覚が介在していた。
彼女に対する圧倒的な怖れだった。僕は彼女を抱きたいという本能的な欲望の裏に、彼女に僕の全てを知られるのが怖かった。それは彼女に触れられている状態であるからこそ、わかることなのかもしれない。確実に僕は、彼女から何かを抜き取られている。否、抜き取られているというか、共有させている。僕だけが持っているアイデンティティみたいなものが彼女によって書き換えられている。ゆっくりと、しかし、確かに彼女の存在は僕の存在の上に塗られていった。外見として、皮膚として、仮面として、嘘として、壁として。彼女の存在は僕の存在の上に着実に敷き詰められていた。そして、それは僕が彼女を抱くことによって完遂される。彼女と繋がることで、僕は「僕」を失う。
「・・・ねえ」
彼女のか細く、白い両腕が僕の首にゆっくりと掛けられる。首の後ろで腕を組むようにして。彼女の顔が寄ってくる。彼女の完成された顔から僕は目を離すことができない。黒く澄んだ瞳、整った鼻筋、絹のように白い肌、艶めく唇、微かな彼女の吐息。
僕は確実に、彼女によって支配されようとしている。
「私を、抱いて」
そう言うと彼女は唇を静かに重ねた。とても静かな接吻。それは、僕に穏やかな水底を想わせた。どこか遠くの湖の水底。僕はきっと覗き込みすぎて、落ちてしまったんだ。とても静かな水底に。音すら聞こえない水底に。僕は誰からもサルベージされないことを知っている。僕は茶色く錆びた碇のように沈んでいくだけだから。だって、それは他でもない、僕の。僕の。
「あなたのせい、だから?」彼女がそっと唇を離す。
ああ、そうか。彼女はもう僕を、知ってしまっているのか。
「あなたが悲しむ必要はないのよ」彼女は言う。
「あなたは、知りたくないの?あなた自身のこと。私のこと。誰かのこと」
「僕は、そんなこと、知りたくない」
若干、彼女の両腕に力がかかるのがわかった。僕の首に巻きついた白蛇のような彼女の腕が首を圧迫した。
「どうして?」彼女が静かに言った。僕らの瞳はお互いの姿を捉えていた。
「君が、君が言ったことと同じさ。これは、君のものでもない、誰のものでもない、他ならぬ僕自身の人生、なんだ」
僕がそう言うと、彼女は僅かに微笑んだ。それは温かみに溢れた彼女自身の微笑みだった。何の影響も受けす、訓練もされていない微笑だった。彼女は美しい女だった。
「それに、僕は君を抱けない。君は限られた人間に抱かれるべき存在だから。僕は君とは寝てあげられない」僕は言葉を搾り出した。それは彼女によって既に知られていようが、関係なかった。僕が彼女に伝えることに、意味があるのだから。
「そう」
僕の言葉を聞いたあとで彼女は静かに腕を解いた。
「あなたは、私のことを好きになってはくれないのね」
そうだ、僕は彼女を好きにならない。それは決定事項だから。曖昧なラインの上に確立された想いだから。揺らいでも、崩れることがあってはならない想い。
「たとえば、「直立した愛」でも?」
「直立した愛?」
「そう、交わることのない愛。セックスのない愛」
「・・・そんなものがあるの?」
「ええ、価値観として、ね。確かフランスの映画監督が言っていたのかしら。でも、とても素敵な愛だと想わない?」
僕には正直、そんなものがあるとは思えなかった。だって、そこには本能的な愛情がないのだから。もちろん、彼女にだってそれぐらいのことはわかるのだろうけれど。僕は黙って、じっと「直立した愛」について考えてみた。何故だろう、在り得はしない価値観なのに、それはとても素敵なもののように感じられた。ある種の信頼の上に成り立った愛の形であったから。
「ねえ」
彼女の呼びかけに僕は顔を上げる。案の定、彼女は唇を重ねてきた。
「あなたって、キスが上手よね」
彼女は僕の耳元でそう囁くと静かに離れた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
僕は彼女の部屋を出て行った。趣味の悪い高級ホテルをあとにした。
土曜日の彼女は聊か慰めるのに苦労する。
それから僕は水曜日に久しぶりに彼に会った。完全無欠でゲイの彼である。その日の彼は昨夜から降り続いている雨にうんざりしながら、バス停に並んでいた。雨の日の人々はとても感傷的だと想う。それはきっと雨の日の独特の雰囲気みたいなものによって引き起こされるのだろう。だから皆、少し気持ちが沈む。僕もそうだし、彼女も、彼もそうなのかもしれない。けれど、それでも彼はそういった気持ちが決して器から溢れることがない。別段気取っているわけではないのだけれど、それでも必然的にスマートに見えてしまう。彼が僕と同じ年齢の男だと想うと、やはり違和感があった。確かな違和感。日本人でここまでアルマーニのスーツを着こなすことができる人間がいるのだろうか。
「やあ」
彼は僕の姿を認めるとゆっくりと手を上げた。その様子に周りの女性達からは半ば朦朧としたような溜息が漏れた。やはり、健在であるらしい。
「何度も言うように、君は自分の行動に自覚を持ったほうがいいんじゃないかな?」
「おいおい、久しぶりに会っていきなりそれかよ。随分なご挨拶じゃないか」
「どこかへ行くところなのかい?」
僕より頭一つ分大きい彼を見上げて僕は言う。なるべく、隣に立ちたくない。僕が惨めに見えてしまうから。
「ちょっと音大に用があってね」
「音大」僕は口に出して言ってみた。僕には無縁の存在だった。
「この時期の調律師は大忙しさ。ちょっと放っておくと、すぐに音色が変わっちゃうんだ」
「へえ」
「ところで、今晩空いてるかい?久々に飲みたい気分なんだ」
「構わないさ」僕は言った。
「なら決まりだ。どこで飲もうか?」
僕は彼女と会っているバーと時間を指定した。彼はそれを難なく了承してから、やってきたバスに乗った。実に華麗な身のこなしであった。ただ、バスに乗っただけなのに。
きっとこれから彼が行く、音大でももう一悶着あるのだろう。しかし、それは彼が意図したことではないのだから、誰も責めようがない。彼もいろいろと大変なのだ。
僕はバス停を後にした。
午後九時。
バーに現れた彼は昼とは打って変わって、随分と疲弊しているようだった。きっと音大でのあった一悶着のものなのだろうとすぐに察しはついた。無理もない。音大の女の子達に彼は刺激的すぎる。彼は僕の隣に座るとスコッチの水割りを注文した。スマートな注文。
「随分と疲れているようだね。調律師ってのはそんなに大変なのかい?」
「あ、ああ。きっと僕の場合は特別なんだろうけれど」
彼の言葉は大方の事情を物語っているようであった。僕が問いただす必要もない。
彼は出されたグラスを美味そうにあおった。
「それで、彼女とはどうなったんだい?」彼はそう切り出した。
「彼女?誰のことだい?」僕は少し驚きながらそう返した。
「あの、角々しい彼女のことだよ。完全無欠の女王様」
「驚いたな。君が未だに彼女のことを覚えているなんて」
「・・・僕は女の子を好きにはならない。女の子と寝ることもない。だから、彼女達には何一つ応えることできない。でも、その代わりに告白してきた子の顔は全員覚えている」
「・・・何だい?その趣味の悪い冗談は」
僕がそう言うと彼は笑った。
「まあ、本当のところ、彼女が僕に告白してきた中で一番綺麗だったからね。それは今でも変わらない。」
「それはまたそれで、趣味の悪い言い方だね」
しかしそれは改めて彼女の美貌が秀でていることを示していた。何せ、彼に告白する女の子の中でも一番綺麗だと、彼が言うのだから。
「それで、君と彼女はどういう関係なんだい?」
彼は品のいい笑顔を浮かべてこちらを見た。
「どういう関係、とは?」
「付き合っているのかい?」
「いいや、そういう関係じゃない。ただ、週に一回酒を酌み交わす程度の仲さ」
僕がそう言うと彼はピスタチオの殻を剥いていた手を止めた。
「驚いた。君は未だに彼女と交流しているのかい?」
僕は彼が彼女との関係を訊いてくることからして、彼は既に僕らの仲を知っているのだと想っていたが。どうやら彼は知らなかったらしい。彼は最初から鎌掛けようとしていたらしい。結局そういった展開にはならなかったが。
「なら、彼女の仕事についても知っているのかい?」彼は言った。
「ああ、彼女はコールガールをしているね」僕は言った。
「・・・やめろとは言わなかったのかい?」彼はまた意外そうな顔をした。
「ああ、彼女のことだからね。それに、彼女は自身の覚悟を持って仕事をしている。だから、僕には彼女の人生観に関してとやかく言う資格はないんだ」
僕が話している間、彼はどこか冷めた視線を僕に送っていた。それから
「君は彼女が他の男に抱かれているところを想像したことがあるかい?」と言った。
その冷めた口調に僕は少しだけ酔いが覚めた。
「ないな」僕の言葉は自分でもわかるくらいに奇妙に響いていた。
彼はそんな僕の表情を見てから「そうか」とだけ言った。
「なあ、もう彼女を傷つけるような意地を張るのは・・・・」
彼はそれから先を続けなかった。そして、ただ「済まない」とだけ言った。
「いいんだ」
きっと彼は僕らが年齢を重ねた大人であることを再認識したのだろう。だから、そこで言葉を止めた。続きは聞かなくてもわかる。彼女の想いをたとえ僕が知っていたとしても、それで彼女と歩み寄るということはない。たとえ、僕が彼女のことを、いや、やめよう。そういった取り留めのない思考は正直、馬鹿馬鹿しい。ただの時間の浪費でしかない。僕は今の彼女との関係を望んでいるし、それ以上のことを望みはしない。今はそれでいいのだから。
「なあ、それで君は彼女の何になりたいんだい?」彼は言った。
「彼女との間には何も求めないさ。だから、彼女の何になりたいとも想わない。第一それは、僕には不可能な役回りだからね」
「君にはその気がないと?」
「そうだね、そのつもりだ。僕はこのままの関係でいい」
僕はこのままの関係を彼女と続ける。それはいつ破綻するかわからない。けれど、それでも彼女が僕を必要としなくなるまで僕は彼女との関係を断ち切るつもりはなかった。そして、僕は誰とも結ばれることはない。そこが過去の青い匂いを知っていた僕とは違う点だ。あのころの僕は完全無欠の彼女以外と結ばれることを望んでいた。しかし、それは時を経ることによって変容していった。僕はもう誰とも結ばれなくていいのだ。
ただ、彼女と週に一回酒を酌み交わし、介抱してやる。他愛無い会話をする。それだけで今の僕は満たされるから。けれど、それを彼に言うと彼は不思議そうな顔をした。
「君のそれは、恋ではないのかな?」
「ああ、恋ではないよ」
僕はきっぱりと彼に言うことができた。それは彼女に対してだって同じことだった。
僕は彼女を決して好きにはならない。恋心を抱かない。彼女を愛さないし、彼女を抱きたいとも想わない。他の男に抱かれても、それをなんとも想わない。それが、彼女のこの世界秩序においての仕事だから。彼女は未来を見続けるべき女だから。
彼女はコールガールであってしかるべきだ。そして、僕はそんな彼女が痛みを抱えたときには捌け口をやってやる。それが、脇役である僕の役回りだから。
愚痴を聞いて、酒を飲み交わして、彼女が望むなら唇を重ねる。それが、彼女にとってのささやかな慰めになるのなら。
「やっぱり、君達は変わり者なんだね」
彼はそう言う。けれど、それはお互い様のようにも思える。
「君だって十分、変わっているさ」
彼は否定しない。否定の代わりにグラスをあおった。行き場を残った氷が音を立てて、崩れた。
僕は彼女が言っていた「直立した愛」を思い出す。
交わりのない愛。セックスのない愛。
けれど、そんな価値観でしか構築できない愛なんて、存在しない。ただの誰かの価値観でしかないのだから。なら、僕と彼女の間に生じているこの奇妙な感情は何なのだろうか。終着のない、先の見えない気持ち。そこに永遠はない。あるのはいつ途絶えるかもしれない、か細い光のような想い。僕らの間にある曖昧な感情。もつれる様な指先だけの感覚。時に心の水底から湧き上がる様な本能。すべてが介在していた。
続くことのない、価値観でしかない「直立した愛」を僕らは体現する。
直立した愛