フラワー・アテンション

フラワー・アテンション

「ふ、ふあ、ふぇっくしょん!!」
 あー……、まただ。
 ティッシュをいくつも重ねて年頃の乙女あるまじき音を出しながら鼻をかんだ。先ほどからくしゃみが尋常じゃないほど連続して出る。それもこれも全部、花粉の野郎のせいだ。
 3月下旬、花粉が舞い始めるこの季節は四六時中、私を悩ませる。私は教室の机に上半身を預けて倒れこんだ。外からは運動部の元気な声が聞こえてくる。
「あぁ、つらい……」
 ずるずると花をすすりながらも唯一の盾であるマスクを装着し直す。目もかゆくなってきたから、花粉防御のための眼鏡でも買おうか。
 この季節は大きなマスクに大きな眼鏡をつける人が増えるから、不審者めいた人々も増えるような気がする。頭の中で眼鏡をつける自分を想像していると後ろから肩を軽く叩かれた。
「花粉症、おつかれさん」
 つらそうな私を見て高橋は少し笑った。ちくしょう、こいつめ、花粉症じゃないからこの時期でも全然平気なのか。なんだか腹が立つ。
 高橋にはなんの罪もないが、なんとなく不満がつのって、きっと睨みつけると、ほっぺをびよんと伸ばされた。
「俺が花粉症じゃないからって睨むのやめろよな。きっと日ごろの行いが俺はいいんだよ」
 心を読まれていたか。っていうか日ごろの行いが良いって冗談だろう? 授業中は平気で居眠りするし、すぐ人をからかう。けど顔はまあ、そこらへんの奴よりちょっといいから、女子にかっこいいだなんて言われてるけど。でも、だけど
「私の方がよっぽど行いがいいわよ」
 言い返した。うん、正論だ。
「何言ってんだよ。今日の3時限目に早弁してたくせに」
 私はぎょっとした。み、見ていたのか。私の席は一番後ろだから誰も気づいていないと思ってた。
 今日はとくにお腹が空く日だったからしょうがないだろう。人間生きていればお腹が空くものだ。なんて悲しい言い訳を私は心の中でつらづら並べる。
 私の頬をのばしたり、ひょっとこみたいに潰したりする高橋の手を振り払って私は立ち上がった。
「ん? どこ行くんだ?」
「ドーナッツ食べに行く。今週でた新作の桜ドーナッツ」
「早弁してたから腹減ったんだろう」
「う、うっさい」
 図星をつかれてニヤニヤしている高橋から顔をそむけ、鞄を持つと教室の出口へ向かった。そのあとをなぜか高橋も鞄を持ってついてくる。
「……なんであんたもついてくるのよ」
「俺もドーナッツ食いたいもん。別にいいだろう」
 何がいいんだか分からない。なので半分高橋の存在を無視しながら私は廊下を早足で歩き下駄箱まで来た。するとそこで愛しい存在を見つけた。
「みーちゃん――!!」
 一瞬にして私は瞳をきらめかせながら私の親友みーちゃんこと、榊原美晴(さかきばら みはる)のもとへ一直線に駆けた。
 みーちゃんは長い黒髪のストレートヘアをなびかせながら振り返って、突進してくる私を受け止める。
「どうしたの、夏樹(なつき)?」
 いきなりのアタックに一切動揺せず問いかけた。さすが私の親友! 私を飼い慣れているね!
「今からドーナッツ食べに行くんだ。みーちゃんも行かない?」
 きっと私に尻尾が生えていたら、ぶんぶんと振っていただろう。それぐらい嬉しい。みーちゃんはちらっと奥にいる高橋を見て首を振った。
「ごめんなさい。これから委員会があるの」
 きっと尻尾はぱたりと元気をなくして(しお)れているだろう。それぐらい悲しい。
 名残惜しげに靴を履いてみーちゃんに別れを告げる私に、みーちゃんは少しだけ笑って「また今度ね」と言った。
 そのあとにみーちゃんが高橋へ「二人っきりにしてあげたんだから今度こそ上手くやりなさいよ。このへたれ」と言ったのを私は知らない。

「なあ夏樹、もう桜が咲いてんだな」
 チェーン展開されているドーナッツ屋へ向かう大通りを通りながら高橋が上を仰いだ。つられてみると確かに五分咲きくらいには達している。満開になる日もそう遠くはないだろう。けれど満開になるころには、私のバッドエンドを示していた。ああ、こんな花粉症さえなければ、もっと心中穏やかに花見ができたのに!
 悔やまれる思いを抱きながら、私はふとある名案を思い付いた。
「高橋、ちょっと勝負しない?」
「なんの?」
「落ちてくる花びらを先に手に掴んだ方が勝ち。んで負けた方がドーナッツを(おご)る勝負」
 可憐に舞い散る桜を見ながら言う。これなら運動神経がいい高橋との勝負でも十分勝ち目があるだろう。高橋も面白そうな顔をしてうなづいた。
「そんじゃあ、よーいスタート!」
 パンッと手を合わせて叩き、私は花びらが落ちて来そうな場所へ移動した。高橋も負けじと木の下へ移動する。ゆっくり風に吹かれながら落ちる花びらに手を伸ばした。だがそう簡単に花びらは手の中へ納まってくれなかった。ひらひらよけながら地上へ着地してしまう。
「ああ……」
 残念な声をあげながら、もう一度花びらを取るために上を向く。今度こそは! と格闘しながらおよそ3分が経過した。
 なかなかこいつは手ごわい。可憐な容姿をしているが容赦ならん相手だ。じっと花びらを見つめながら今だっ、と手を伸ばした。しかしまたもやふわりと花弁は手をすり抜ける。この感覚をもう何度味わったことか。絶望感に浸りながら横目で高橋を見ると、高橋も苦戦しているようだった。
 集中するんだ。一点だけに意識を集めてそれをとるイメージトレーニングをする。そしてタイミングを見計らって一気に掴む、だ!
 野性的本能を丸出しにしながら、私は体の中に残っていた集中力をかき集めて、舞い散る花びらめがけて飛び込んだ。ずざさささ、という大音量と共に地面へ思いっきりダイブする。その音にぎょっとしながら高橋が寄ってきた。
「おい! 何やってんだ、大丈夫かよ!」
 平気、こんなの痛くもかゆくもない。いや、多少肘(ひじ)のあたりがひりひりする感覚はあるが。 
 むくりと起き上がって私は恐る恐る握りしめていた手を開けた。その中にはちゃんと花びらが収まっている。
「おっしゃ! 私の勝ちだね!」
 嬉々として喜ぶ私に、高橋は少しだけ呆然とした後、ぶはっと噴出した。
「ったく、お前、動きがダイナミックすぎるんだよ。顔に傷でもついたらどうする」
 高橋は手を伸ばしてそっと私の頬についた土を払う。まるで壊れ物を扱うような優しい手つきに、私は体温が一気に上昇するのを感じた。
「へ、あ、ありひゃとう」 
 くらっとする眩暈(めまい)を受けて、まわらない舌で礼を言う。その様子に高橋はなにやら思案顔で明後日の方向を見つめると、次の瞬間私の肩をぐっと引き寄せた。
「わっ」
 バランスを崩して高橋の方へ倒れこむ。力強い腕と高橋の匂いを感じて、他の人に聞けるんじゃないかってくらい心臓が鳴いた。
「な、ななな、なにするのよ、いきなり!」
 激怒するフリをしながら、慌てて距離を取ろうと手足をばつかせて離れる私に、高橋はふっと笑いながらも手に持ったものを見せた。
「なにって頭に花びらがついてたから、取っただけだけど? 他に何があるっていうんだよ」
 あきらかに動揺している様子をわかっていながらの意地悪な質問に、顔をそむける。
「私が勝ったんだからドーナッツ、奢ってよね!」
「はいはい」
 高橋は、とんだ高飛車なお姫様だと苦笑した。

 そのあとこれでもかっていうくらい馬鹿食いをしてやった。高橋の財布の中身なんて知らん。しばらくの間、糖分がなくても大丈夫そうだ。
 胸の中に生まれたポカポカする違和感を消すように、またもう一口、桜の味がするドーナッツを口に詰め込んだ。

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花には用心を!

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  • 掌編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-04

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