Astronomical Telescope
「秋の日は釣瓶落とし」とはよく言ったもので、気づけば窓の外は次第に色彩を失い、青鈍色の空の境目を黒い物体が滑るように疾走していた。その景色の上に硝子一枚を隔てて、蛍光灯に照らされた人々の姿が映っている。彼らは皆、右に左に揺られながら目的地にたどり着くのを粛々と待っていた。その無感動な顔たちの中に私の顔もあった。久々の長休みにひと時の安息を得ようと、他の客たちと同じ顔をしてこの車両に揺られているのである。熱すぎる足元の暖房と、項を撫でる窓の冷気が私を心地よい眠りに誘う。その誘惑に負けたのだろう、うつらうつらと頭を傾ける初老の男の姿が窓に映って見えた。人々はこの鉄の箱の中でパーソナルスペースを極限まで縮めながら、決してその聖域に他者が入り込んで来ないようにと、固い表情でもって侵入を防いでいるようであった。彼らは皆、各々が手ひらの中の小さな端末に意識を没入させ、日が沈んだことにも気づいていないようであった。
と、電車の速度が緩やかに落ち、何度目かの停車をした。扉が開くと、冷気と共に新たな客たちがいそいそと乗り込んできた。独り者、親子連れ、旅行帰りの老夫婦などが、空いている席を探して車内を見回し、そして再び電車が動き出す頃には、人々はどこかの場所に収まって動かなくなった。基底状態の再来である。
そんな客達の中に、一人の少年が居るのに気付いた。齢は8つくらいだろうか、声変わりはまだであるらしい。揺れる電車の中で、おとなしく座っている。同じような年頃の子供は他にも乗っていたが、彼が一段と私の目を引いたのは、その手に持った大きな箱であった。少年は自分の背丈と同じくらいの箱を大事そうに抱えていた。よほど大事なものなのだろうか、と気になりよく見てみると、箱には「ASTRONOMICAL TELESCOPE」と書かれている。おそらくそれは、彼が今までに得た中で一番大事な宝物なのだろう。なるほど、決して肌身から離そうとしないわけである。
けれど私はそれ以上に、箱の上に載せられた彼の、美しくも少年らしい顔立ちに、いつしか心惹かれていた。
柔らかな絹を思わせるようなつやのある白い肌と、寒さで赤らむ頬。あどけなさのある口元は血色のいい赤色で、つんと小さく綺麗な形をしている。ここだけ見たならば少女とも間違えそうなものであるが、仕草は紛れもなく少年のそれであった。黒目がちの大きな目は、過ぎ行く景色をしきりに追いかけていて、好奇心旺盛な性格であることが読み取れた。眉にかかるほどの長さで梳かれた前髪は鳶色で、細く柔らかな髪質であるらしい事が見て取れた。少年らしい意志の強そうな眉の下では、ぱっちりとした目がしきりに動いている。抱きかかえた箱のてっぺんにちょこんと顎を載せ、華奢な太ももでしっかりと箱を挟み込み、あたかもその身の一部にしようとでもするかのようにして、電車の揺れから天体望遠鏡を守っているのであった。
彼があの美しい両目で星を見るとき、一体どんな顔をするのだろうか。望遠鏡を覗いた彼はどんな声をあげるだろうか。そんな他愛もない空想は、自然と私の顔をほころばせた。再び電車がゆっくりと止まり、溜息と共に扉を開ける。冷えきった夜風が、暖房ですっかり緩んでいた肌を刺した。少年は出口へ向かう母親のあとを追うようにして、大きな箱を抱えながらおぼつかない足取りで電車を降りていく。次第に遠ざかる少年の背中を見送って、私は再び窓の外へと視線を戻した。空には雲もなく、半月が冴え冴えと輝いている。
夜はまだ始まったばかりだ。
Astronomical Telescope
電車で見かけた少年についてのメモ