現代の祈り
現代の寓話シリーズ、3作目。
藤上憂華、登場編。
後悔など、あるはずもない。誰がなんといおうと、これは、私が選びとった人生だ。母に与えられし幾多の運命の中から、自身の選んだ一つの道なのだ。
そして、今。私は新たな岐路に前にしている。
時の流れから取り残された三階建てのアパート。父の部屋がある、二階へと続く手摺は、所々メッキが剥がれ赤茶の錆が、白い塗装との暗示的な紋様を成している。
憂華が鉄製の階段を一段、踏み込んだ時の、建物全体が震えるかのような激しい軋み。その音は、母のヒステリックな話し方が、周囲に与える不協和音と同じ不快感を、憂華にもたらした。
やはり、やめようか。第一今さら何を話せばいいのだろう?話して、何かが変わるのだろうか?
あまりに永い時の隔たりが、彼女と父の間にあったので、今、物理的には、すぐ近くにいるであろう父の存在がとても希薄に感じられる。
右足を一段目にかけた状態で、彼女は静止した。
叔母に言われて此処に来るまで、憂華は父に言いたい事が山ほどあった。どんな言葉が彼の心を抉るだろう。責任を放棄した人間に、相応の罰を自らの手で下す。娘としての権利と義務が、彼女の嗜虐的な感興を肯定していた。
しかし、階段に足を掛けた瞬間、憂華の脳裏に映ったのは、幼い日に行った遊園地の情景だった。
深々と降り続く雨のため、客は母と父、その背におぶさる私の三人だけだ。どのアトラクションも、動いていないなか、私たちは静かな園内を散策していた。それはそれで楽しかった。父の不手際に文句を言う母も、どこか嬉しそうな表情をして、乗れるものがないか探している。
でも、これは夢。現実にはなかった出来事。祈りみたいなものなのだ。
憂華は階段を登り始める。
やがて、私たちは、ただ一つ動いていた観覧車の固いシートに落ち着いた。向かいあった座席の一方に、並んで座る。私を父と母が挟む格好だ。
雨足は強まり、空は黒い雨雲に覆われ、外の世界は、夜のように暗くなった。
空に浮かぶ密室の明かり。光の輪が静かに廻りだす。
我に返って顔をあげる。階段の上に達し、もう一段と上げた左足が空を踏んだ。よろけた彼女は、何とか持ちこたえて体勢を立て直す。そして、ポケットからメモを取りだし、示された部屋の番号に向かう。
青色に塗装された扉が目の前に現れた。父の部屋には表札はなかった。
ドアノブに手を掛けた瞬間、忘れかけていた幾つもの想いが、去来する。
夕暮れ、遊びは五時のチャイムを境に、終局へと向かう。友達と別れて一人家路ついた彼女の心は、不安のすきま風で凍えていく。
暗く、誰もいない部屋。鍵を開けて帰宅した彼女を包むであろう静けさ。
母が帰ってくるまで、此処で待っていよう。
近所の公園。ブランコの軋む音。
周囲の家々からは、夕飯の匂いと、話し声、そして光。
あの光の中にも悲劇、苦悩、失望がある。しかし、そこには人生が。誰かが、生きたという証がある。
私と母の、空虚な祈りは叶わなかった。
憂華は小さく息を吐くと、ドアを開いた。
現代の祈り
多分、憂華はまた登場してくれると思います。ミステリー物で。どんな役割かは、今回の選択次第です。