砂漠の幽玄
・・砂漠の幽玄・・ 1 2007.8
白の砂漠を思い描かせ、夜の静寂が月を飾り、風が古の空気を此処まで運び続け
何処までだって行ける……。
蠍は月光を受け、そっと進み、足許を流れる砂はサラサラと星の様に輝くのだ。
永遠を分つ者同士として、宇宙は空を闇にだけは留めずに、光を夜にも与える。
宇宙と共に、光も永遠に続く物。
光で存在は明らかになり、闇の中でも存在は変りはしない。
闇の神聖さは宇宙から、海の深淵から、そして清らかな心の中から産まれる。
美しさを伴って、存在する。
闇は夢見勝ちでもあり、光は全てを現すには空寂しい。
何処かに光が瞬き、どこまでも情操を冷たい風に乗せ運んで行く様だ。
黒の衣装を風に持って行かせ、大地を彼方まで吹き荒れて行き翻す。
細い足首から伸びる足にさらさらと音だけが触れる。
既に時は深夜を迎えると、一層の冷え込みが襲う。
冷たいのだ。体が寒くて仕方が無い。砂漠の灼熱の熱砂でも、熱は取り戻せはしない事を分かっている。
氷に浸り切って、この凍てつく寒さはそれでもまだ耐えられる感覚。
砂漠を旅して、馬をさっきわざとの様に失い野生に返してやり、熱の中を快適に歩いていたのだが、今はもう夜。
砂漠の夜は何かの魔物が居るのだろう。
手の中に風、砂を掴み取り、この今の感情が渦巻いた様と同調した夜空が回る。
丘の天辺に上ると蜜の様な夜空の眩しい月光を見上げて、噤んでいた口をそのままに手をかざして見回した。
ヴァイオレット掛かる濃密な黒夜は、地平線が桃色に思え金色の星々が大きく瞬く。
そのまま斜めの方向に傾き、目を閉じ背後に倒れ、ざーと音を立て砂に流れ、星影と月影に紛れては、白砂の粒子が織り成すは闇に波紋の中に描かせる。
眠りに就こうか。このまま、何も考えなくていい。今その必要は無い。
目を覚ますとあの馬が近くで様子を覗っていた。夢だろう。
また目を綴じ、ピンクの朝焼けに目を開いた。
腹に乗せていた手を差し伸べては、片足が砂に埋もれている。ざらっと、姿勢を起こした事で姿無き不可解な何かが陰となり露になった。
寝ていた事で死んでいた感情の存在が体から物体となり、フツフツと陽炎のように彼の横に在る。
感情が目覚めたしるしだ。目に見えはしない。ただの感覚上の幻。
馬はいななき、首をふるふると振ると、彼の所に来ては体温のある鼻を押し付けた。
捨てられたと思ったのか?逃げられたと思ったのだが。
観念して背に跨り乗っては、馬を引き連れ進んで行く。
首を撫でてやり、黒の艶のある馬毛は野生にしては良い毛並みだ。
朝焼けに目が焼ける……。目を細め、その瞳にローズ色の朝陽が跳ねる。艶の様にだ。
眩しく強い光を陽は方々に放ち、確固とした存在を誇示する透明な輝き。
陽炎で大きく揺らめいては、純度の高いクリスタルの様だ。まるでそれは、宝石の様だ。
不動の物を誇る。その太陽は、ピンクダイヤモンドだった。
不動な物など有りはしないというのだが……。
・・砂漠の幽玄・・ 2
目覚める前に見ていた夢は、現との間へと虜にして来た。
どこかを闇夜、ただ走らせていた。黒のオープンカーで夜の海岸線を、風を切り疾走というより多少の緩さを持ってだろうか。
海は墨壺の黒さに暗澹としては、低くくぐもる音をなびかせる。
横の人間、女と気持ち良さげに髪をゆったり指で退かし笑い合い、微笑み合った。
流れるジャズは何だったか、おぼろげに掠めるのみで風音がさらさらと記憶の中を掠めた。
横に乗る女。聴き慣れた風のジャズ。闇色の海は自分に味方してでもいるのか、何も無い。今はまだ……。
だが、生命は息づいていた。
闇に落ち、完全に落ちてはまた夢の中。
光に包まれた芝から青の美しい海が、風で全てを舞わせるかの様だ。
緑の岸辺に立つ男女を、眩しき鮮やかさの芝を、強くそよがせる。その風は流れ行き過ぎて行く。
女は長い髪に、白いドレスを疾風に持って行かせ、背後か女を抱き寄せる男を艶やかに微笑み見た。
目を太陽の陽に細め合い、共に青の海の風吹く方向を見つめた。
女は髪を白の手で押え、自らの手に持つブランデーグラスはその後の夕陽の色を煌かせるかの様だ……。
砂漠の海原は白く、そして全てを今の時間、透明の桃色に染め上げた。ローズクオーツ色に。
薄桃から薔薇色に、そして藤色の鮮明なるグラデーションの間際には、白い月が溶け入りそうだ。
まるで薔薇砂糖が消えて行く儚さかの様に。
そして、突如として悪魔がそのヴェールを一気に広げ、袂に引き寄せたかの様な澄んだ群青と、水色、紫桃色は揺らめくローズピンクを煌々と下方に沈ませ、ズン、と大地天空を鮮やかに染め上げればいい。
白の砂さえも。
そうなる事も無く……。
薄薔薇色は淡紫を迎える時刻だ。天体全てをゆらゆら揺れさせる。
明星の月は、太陽の存在を逆方向に位置付けていた。
その銀月は、太陽を照らしピンクに銀の色味を持たせようとしているかの様に感じる。
全ては、透明な火を透かしたかの様な情景だ。
消え急ぐ生命。昇り行く生命の源である太陽。海原は地球の生命を拒絶しも、そして受け入れもして来た。
熱砂。また吹き荒れはしない。
身体の全てで、全ての地球上を駆け巡る風を受け止め、一部と思い描かせる。
馬を進めさせ、そして勢いを付け掛け声と共に思い切り駈けさせる。
野生馬はいななき、前脚の筋肉を操り猛々しく上げ、砂を巻き上げ駈け始める。
・・砂漠の幽玄・・ 3
幻影はオアシスを現すと、野生馬達が群れた泉は輝き目を刺した。
それが時間の早い陽炎で無いと分かると、馬から降りて気配を探る。誰として居ない。
泉は濃い緑に縁取られ囲まれている。その緑地は鬱蒼としていた。
馬が水を飲み、彼は他所で岩に背を手を片膝に、綺麗な泉に美しき水鳥が飛び、雫の輝きを引き連れ飛び、木々や蔦が鏡の様に映る。
見つめ、見渡し、目を綴じる。
風は涼やかだ。寒さは消えないが、心地良くもあった。
光の輝き、藤色の天が全体的に陽炎で揺らめくその下の天はホワイトパール色であって、水平に何処までも続く。
その中に置かれた巨大なピンクダイヤモンドから火影を差して、泉をきらきらと光らせるのだ。
その太陽も、涙を潤ませ滴らせた宝石の様に天を装飾している。
影が消え、抜けては隠す。
気配に目を向け、泉の向こう側に人間がいる。まだ影の中に入るこちらには気づいていない。
音も無く木の枝に飛び乗り、彼はまたその場に落ち着き目を綴じた。
大きな荷を担がせるラクダを3頭ばかし連れている、何らかの商人だろう。若い男二人は何事かを話し合っていた。
関係無い事だ。
水を組んでは顔を洗い、話しつづけていた。
うつろう意識は、眠りを誘う。
その内、青年の連れた小動物、手の乗る小さな猿系なんだが、それが木の実を求めている姿を見続ける事にした。
目をきょろつかせては、野生馬に近寄らないようにしている猿は、威嚇されると主人達の元に戻りしがみつきに帰った。
青年の一人は影に入り、木を背に片足を放った。三日月型の刃物を暇そうに操る。一人は次に向かう場への地図を広げては、猿をあやしていた。
しばらく動く事はやめよう。悟られない様にしていたのだが、協力的で無い馬が木を見上げいななき揺らし続けた。
だから二人が気付いた。互いに他人と話し合う事や干渉は避けようと思ったが、片方の青年が刃物を下げ立ち上がった。
「あんた、今から何処に?」
仕方なく応えた。
「当て所も無い旅だ。」
足を下ろし、黒の衣装にピンク色の透明の陽が浮くように映写され、闇色とコントラストを透明につけ、風がかすかに低くくぐもった音として耳に霞ませた。
「あんたは白人だな。」
「ロシアンだ。」
「変ってるな。俺達は骨董品を運んで商売している。次の街には俺の故郷がある。」
「へえ。先は長いのか?」
「あとは、三日もすれば到着する。一人で砂漠に?」
「ああ。」
「変ってる。」
「よく言われるらしいな。」
青年は笑い、鳶色の瞳に高くなって来た陽を受けてから、泉と緑囲う空を見渡した。同じ色に近い。
・・砂漠の幽玄・・ 4
朝焼けも薔薇色に染まる白砂漠のオアシス。
馬で疾走した陽炎ではないオアシスで、商人の二人の青年と出会った彼は、眩しい泉から目を細め向けた。
青年の一人が彼に言った。
「街まで連れ立たないか。」
「俺は街には入らない。だがまあ……。」
口端を上げた。
「いいだろう。」
同意してから横に腰を下ろし座り、ダイスを手の中転がした。
「あんたはギャンブラーか?ダイスを持ち歩くなんて。」
「方向性の為じゃ無い。手持ち無沙汰なのさ。今まで、様々をして来たこの手が寂しがっているんだろう。」
「俺も女に触れたい。」
「街に女がいるのか?」
「ああ。」
青年は嬉しそうに笑った。「あんたは。」と聞返された。この手は随分と女の頬や唇、髪を撫でてはいなかった。
頬を伝い顎を流れる女の涙にさえも。
「母国に恋人は。」
「さあ。どうだろうな。」
岩を背に豊かな泉を見渡し、目を細めた。
泉までも、銀河を映したならいいものを。
「輝かしいこの眩しさは、生命を永年受け入れて来た。愛はそういう様な物だ。」
愛に生きる事がどんなに生命の源と受け入れる他無かろうが、ただ無秩序に繰り返される物では無い。
感情も無いものなら、地球は輝いていただろうか。
生命の間には愛情が息づくものだからこそ、瞬き、光は味方している様に感じ、そしてその実、美しいのだ。
死を分つからこその美を思えと、厳しさを身に分からせて来て、酷さの存在する中でも生誕の時だけは愛情を、尊さを置くのだ。
これから光を受ける物だから、それらがどこの場でも一秒一秒始まっている。
だから美しい。
生命が始まる瞬間に地球は充たされているという事だ。美しき悠久の中も。
「深い物は何処までも何かを秘めている。感情もそうだ。だから、俺の心の中には故郷に囚われない愛情が息づいている。安定は無いかもしれないが、いつまでも横に居て、寄り添ってくれている。そういう感覚だ。」
静かな声でそう云い、顔に表情は皆無だった。悲しい面持ちでは無い。美しさを見つめる瞳だった。
そうだ。
愛する物を失ったのだ。自分を失った事で、全ての大切な者を失ったのだ。
その事実を探していたのだ。この放浪の旅は。
毅然とする彼の白の頬を、透明なピンクが照らし細める目を、黒の衣装から流れる髪を、浚った。
自己を失った応えを探す旅は、愛する者を失った事を知る旅路だ。
「悪いな。しけた話だ。」
「いいや。」
青年は小さく微笑み、幽玄の美を、彼と共に生命の太陽を見つめた。
野生馬達は群れを成し、砂を巻き上げ疾走しゆく。
=1部 完了=
砂漠の幽玄