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七十四







 親指がざらざらしている光の捉え方は端から端まで伸びるもので,第一印象は余った食材や出来上がった惣菜を保存するためのあのラップ,ただし実際に食器の上から被せたりすると中身がよく見えなくなる。眩しいからというわけでなく,ただ単にそうなのだ。この前は揚げたコロッケを見失った。緑黄色野菜をふんだんに使った山盛りサラダは容れたボールを持ち上げて,ドレッシング別に運ぶことは出来たけれど,一つは若干の温野菜化を免れなかった(水をよく切らなかったのも,悪かったかもしれない)。グリーンピース入りのオムレツはどっちがどっちかをすっかり忘れて,そうでないものとの間でテーブルの上を「あっちだよ,」と「こっちじゃないし!」として,ハンバーグは全部チーズ入りになった。サプライズには上手く使えて,誕生日とかの御馳走は食べたりするまで分からなくなった。隠れん坊に大きく使ったりするのは,そういう後の,後片付けのあと。汗をかくのは必至だった。
 お皿から洗うときに水は綺麗に零れ落ちる,それをまた上手く乗せる捉えた光。
 薄曇りの日の,小さいときにあった部屋の中でソファーの下に潜ったときに見つけたのなら,起毛するカーペットの上に沈んだりもしていなかったもの。ざらざらと一緒に摘み上げれば,小さくふわっと景色を見せない。向こうの壁に掛けたあの絵は要らないかもと,ふと思ったのか,暗に言われたのか。ぐるっとそのまま右向け右で,どうせするなら模様替えは色んなところでした方が面白い,という点検箇所はそうやって探していく。明るく,見えない。現れて見える。あんまり無いのが花柄の趣味。意外とあるのが幾何学模様。硬い素材のクッションに,午後をお休み中のキャラクターが眠る。対の陶器。小ぶりの飾り物。縦に長い写真立て。それからチックタクな目立つところの掛け時計に,一巡してきたそのソファー。片目を瞑ったこともなく(眩しいこともなく),正面の姿見で捉えた親指と摘まむ,風景。おもむろに息を吹きかけるのなら,唇ぐらいはとんがらせてもいい。
 よく晴れた日に,苦手なシソのドレッシングを手荷物に提げて,コンクリートがかかっという,伸ばして捉えたものとともに長く行く。水を切ったレタスはまた,きちんと丸く,きっと半分になる。下拵えを経て,隠し味は教えない。










 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-01

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