魔王と魔王

某所某設定のスピンオフです。

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守衛隊が修復中の城門を潜り、くたびれた旅の外套はそのまま大通りを行く。
通りに面した幾つかの建物は半壊し、煤を纏い、中には明らかに無人のそれもあったが、町の中心部へ進むにつれそういった姿もなりを潜め、代わりに活気が満ち溢れてきた。
中空の太陽からは暖かな陽射しが降り注いでいたが、とにかく寒い。
それでも路上の笛吹きが奏でる湧くようなメロディに合わせ子どもたちが笑顔で歌い、さらにお世辞にも巧いとは言い難い程度で朗々と歌い続く酔眼の老戦士がいた。
春告げの祭りにはまだ日が遠く、生々しい戦の残り香を嗅ぎ取れる限りでは御触れが出てのことでも無さそうだが、如何せん地方であれば些細なことでも盛り上がりはするものだ。
外套はそう思い--戦の残り香と同時に嗅ぎつけた酒の香に吸い寄せられるように大通りの脇へ身を寄せる。
酒場の店先に簡素なテーブルと椅子が出され、その一つで大柄な主人が酒を振る舞っていた。
外套が前に立つだけでなみなみと注がれた杯が差し出される。それを間髪入れず手に取り、小気味のいい音を立てて喉を一際鳴らした後、空の杯を差し戻しながら外套が返した。
「いいの?」
「いけなかったらこれから何がどうなるんだ」
「いいんだったらもう一杯頂戴」
「……そうか」
納得はしなかったのだろうが、空気に飲まれたらしい主人はそれ以上何も言わずもう一杯注いで手渡してきた。
ありがと、と外套の女が明るい声で受け取る。
さすがに外套を被りっぱなしで二杯目を空けるのは躊躇したのだろう。フード部分をはだけ、女がその漆黒の髪を陽光に晒した。
エルフと呼ばれる種族の特徴である少し尖った耳を覆い隠すような髪型ではない。
むしろ耳は大きな金環の飾りによって余計人目を引いていた。
珍しい種族でもないが、むしろ美しさに目を奪われ酒場の主人が少し呆ける。
「で、この昼間っからの乱痴気フェスティバルは何なの?」
すぐに奪われた目は口の悪さと一緒に返却された。
ああ、と喉の奥から返事をし、差し出されていた空の杯を受け取り樽の口に宛がう。
「魔物らに攫われていた奴らが帰って来たのさ。さらに聞けば魔物の王は倒れ、もうこの町が脅かされる危険は無くなったというんだ」
「ふうん……それで振る舞い酒ってわけね」
「一人二杯までだからな」
「はあい、じゃあ次から有料ね。次持ってきて」
「ん……おお」
何か不思議な感じを覚えたが、気にせず杯に注ぎ込み始める。途中で樽が空になった。
「振る舞い用の安酒じゃ埒があかないわ。この店の一番高くてキッツイの持ってきて」
「豪気だな、結構うちの酒は値が張るぞ」
「大丈夫よ」
ジャッ、と音を立てて革袋を揺する女。フェイクでわざわざ旅のエルフがこんな重い小細工を持ち歩くとは思えず、主人は頷いて店の奥へ姿を消した。そしてすぐに仰々しいラベルの貼られた大きな瓶を片手に戻ってくる。
黴と煤で浸食されたそのラベルに書かれた文字と、瓶に浮き上がる刻印を見て女が満足そうな笑顔を浮かべた。
「確かに値が張るいいのあるじゃない……じゃあそれをまずは私と、あなた用に一杯頂戴」
主人も笑って杯を並べ、注ぎ込む。薄く色づいた半透明の液体には申し訳なさそうに太陽が浮かんでいた。
「エルフってのは皆そんな金のあるもんかね」
杯を打ちつけながら軽口。乾杯の名の通り、高い酒だろうがお構いなしに空けた女がその問いに先に手を振って否定する。
「たまたまよ。数日前に近くで調薬材料の花畑を見つけてね。それを売っ払ったばかりでまとまった金があるの」
「へえ、羨ましいな……どこにあるんだ?」
「普通の人間じゃただの綺麗な花にしか見えないわよ。調薬も無理」
「そうか……」
残念そうな主人の返事を押し流すように、派手な軽業師が目の前を行く。衣装は女の外套に負けず劣らずくたびれていた。倉庫の奥から引っ張り出してきたのであろう。
空の杯を手の中で転がしながら何となくそんな一連の様子を見ていると、通りの流れを明らかに逆流している小さな羽根つき帽子が一瞬女の目に留まった。
不思議と目で追う。甲冑の戦士や花で飾られた馬車などで何度もその姿が消えては現れる。逆流しているだけではない、まさに右往左往の言葉が相応しいほど羽根つき帽子は必死に揺れていた。
またその姿がフッと斜め前の戦士の脇から消えたかと思うと、
「もし」
声が女の右下から聞こえた。
見やると羽根つき帽子から二本の栗色のおさげを生やした少女が杯越しに立っている。特に変な種族でもない限り年の頃はまだ11、12歳くらいだろうか。
ただ、続く声はその見た目より遥かにしっかりしたものだった。
「旅の方、どちらからいらっしゃいましたか。私と同じ栗色の髪をした兄を見ませんでしたか」
「西の方から来たわ。栗色の男の子は記憶にないけど」
女の答えに肩を落としながらも、少女は握っていた紙を拡げて見せてきた。
「兄はこんな風貌です」
「……似たのを見たかもしれないわ」
「本当ですか!」
「数日前の」
「はい!」
「沼にいた泥の魔物がちょうどこんなぐちゃぐちゃな感じで」
「酷くないですか!?」
少女は歓喜の声から一転糾弾するような声をあげた。
確かに紙に書かれたそれは、かろうじて人型と分かる程度で……まさに程度が知れていた。意図されている兄と違うのは一目で分かったが、似ている以上は少しでも情報を与えてあげようと、女は続ける。
「いい?世の中には姿を魔物に変える魔法を使うエルフだっているの……お兄さんの面影があるなら、それはひょっとして魔法をかけられたお兄さんかもしれないでしょ?」
「そ、そんな……」
「ありえるわ」
「……そ、そうですか……ところでその魔物は今は?」
「一撃で葬ってきたわ」
「わああああああああ!」
うるさいなあ……と女は本気で思い--どうやら周りもそうだったらしい。騒がしい宴の渦中にありながらそこそこ人目を引いているのが分かる。
「お勘定」
酒代としては十分ある量の金貨をテーブルに置き、再びフードをかぶり直して女はその場を去ろうとした。
その、外套の端を小さな手が握った。
「待ってください、旅の方」
「魔物の最期を聞きたいのね。その人型の頭が一撃で吹き飛んだ後、何かを探すように両手の部分が頭のあった空間で空振りして、それが力なく垂れ下がったと思うと前のめりに」
「違う違うそうじゃないです!」
喋りながらも進んでいたので、少女は小走りでついて来る形になる。
「私、リューアって言います!」
「その泥の魔物は……リュートって聞こえなくもないうめき声をあげていた気が」
「今思いっきりめんどくさがって兄っぽい事にしてやろうと考えついた設定ですよねそれ!?しかもうちの兄の名前はフォレスです!」
「そう、その泥の魔物はフォレスってうめき声を」
「ちょっと話聞いてください!」
明らかにあしらおうとする態度に業を煮やし、女の外套を無理矢理引っ張って路地へリューアが引き摺りこんだ。
薄暗い路地には、多数の瓦礫や家財道具が投げ捨ててあった。この宴を急ぎで行うために、大通りにあったものを適当に放り込んだのだろう。
その中では幾分マシに見えた椅子に、女はため息をつきながら腰かけた。
「積極的ね……で、何を待てばいいのかしら」
「お願いがあります」
「あと十数年後で美しく育ってたら物凄い真面目に涎垂らしながら聞いてあげられたのに」
「……」
「聞く聞く」
リューアの露骨に不満げな顔を見て、女はとりあえず聞くことにしたようだ。恐らく茶化し続けるといつまでも終わらない。
一応聞く態度が見れた事にリューアは安心したのか、女の対面側、倉庫か何からしい建物の壁にもたれかかり、"お願い"を始めた。


城下町の東、大きな岩でできた山のその向こう側に大きな洋館がある。
翁に聞いたところ、数十年もの昔、風変りな夫婦がそこに住んでいたという。
食料や生活資材の類をどこで調達していたか等、今も昔も定かにはなっていない事は多いが、とにかくその人里離れた荒野に囲まれた土地で夫婦はずっと暮らしていたそうだ。
月日が流れ、その時点は今から遡った方が近い、そう遠くない頃。
城下町を魔物が襲うようになった。
遥か大陸の東側で魔物との交戦があるとの話は折から流れてきていたが、まさかその個体がここまで侵出しているとは考えづらい。
ある時、町を襲って手負いとなった魔物を勇気ある男が追跡し、彼は東の山の洞窟の存在を知る。
男の報告を受け、防戦一方であった城下の守衛隊は師団を組み洞窟を調査した。
洞窟は最奥部から山の向こう側に抜けており、進んだ守衛隊がその先で目にしたものは、面妖な木々と異様な色の花が並ぶ古ぼけた洋館。
そしてその周りを跋扈する無数の魔物の姿であった。


「あるある」
そこまで聞いて女が軽い相槌を打った。
あまり珍しい話ではない。放置されていた家や町、さらに遺跡や城に魔物が居を構え、手近な町を襲う。
その後は絵に描いたような英雄譚で終わる場合もあれば、逆のケースとして近隣の人間の生息地域が全て壊滅したというものも珍しくは無い。
魔物はどこから来るのか?という、根本的な解決を計る問いは都度挙がっているが、そこまで考えるのは結局エルフや人間の発生を探るのと同じで詮無い事ではないのか……と少なくとも女は考えていた。
大きな個体の口で次から次へと魔物が生み出されているなんて都合のいい発生は無いだろう。
ともかく今回はこの町の様子を見るに、先の話が英雄譚で終わったばかりに違いなかった。
「その魔物の群れは、この町から沢山の人間をさらって行きました……」
「そこまで言ってもらった上であなたの兄を探す様子見てたら成り行きは分かるわよ」
「そうなんです……さらわれた兄が……兄が戻ってきていないんです……」
リューアは感極まり、持っていた紙をぐしゃっと握りつぶした。兄の似顔絵だったはずだが、女の反応を見る限りもう使わなくてもいいだろうとどこかで悟っていたからかもしれない。
「もう死んでるんじゃない?」
追い打ちするつもりではないが、女はため息交じりで率直な意見を投げかけた。
大きくお下げを左右に揺らしながらリューアがそれを否定する。
「兄と共にさらわれた人たちは今回帰ってきてるんです。皆兄を見ていました。そして、脱出する直前まで一緒にいたと言うんです……いつの間にかいなくなってしまったのだと……」
「犯人はその中にいるわね」
「犯人?」
「有事に紛れてショタへの欲望を満たそうとする屈強な男が……」
「ちょっと何言ってるか分かりません」
「犯人は屈強な10代から20代、もしくは屈強な30代から40代の男性ね。一部の屈折した性癖を持つ屈強な50代の可能性も否めないわ」
リューアがゴッ!と椅子の足に鋭さのある蹴りを放ち、間髪入れず女が地面に頭から着地した。
「屈強屈強言ってないで真面目にお願いを聞いてください!」
「ちょっともうそのお願い、何か強制力伴わせてない?」
「お願いです、屈強の、違う!兄を一緒に探して下さい!」
立ち上がりながら外套の埃を払い、ついでに顔面からいったので何となくフードも外して髪も整える女。切れ長で形の良い目は露骨に面倒くささを物語っていた。
埃を払った割には他に座る場所が無かったのか、女は地面の上にそのまま腰を下ろす。
「第一何で私なの?好意的な態度とか見せたつもり全くないんだけど……何かそんなに私から淫靡な匂いしてる?」
「何でここでお姉さんの淫靡さが関係してくるのか分かりませんけど……」
会話にしては難易度の高い単語のはずだったが、何故か少女は易々と理解した。
「守衛隊の方々は今復興に勤しんでおられます。ここで……それこそ、死、死んでいるかもしれない兄一人を探しに動いてくれる人がいるでしょうか。
それに、この町の人は長年魔物に怯え、沢山の絶望の中で暮らしてきたんです。幾ら平和になったからと聞いても、その本拠地に向かって一緒に行ってくれる人なんてもう居ません」
「だから旅人に……そして中でも一目見た感じ眉目秀麗・最強絶倫な私にお願いしようと思ったのね」
「……まあ解釈の通りでもいいですけど」
「何よ」
目をそらしたリューアに対し、口をとがらす女。
正直なところいよいよ兄を探しに行けそうなこの時機になり、旅人を待っていたらその一番目がこの女であったという点も大いにあるのだが、それは言わない事にしたようだ。
だが、女の疑問は別のところに湧いた。
「そもそも今回、魔物の王が倒れたとか酒場で聞いたんだけど。その『勇者様』みたいな人がいるんじゃないの?そこに頼んだら一番間違いないじゃない」
「その勇者様も帰ってきてないそうなんです。これもまた脱出してきた人が言うには、生き残っていた皆が出た後で再び洋館に戻って行ったと…しかもそもそもこの町に戻らず、安全を確認した後別の町へ向かった可能性だってあります」
「犯人は屈強なその勇者ね」
「いやだから」
いい加減こうしている間に別の旅人でも来てくれないものかとリューアは思ったが、とらわれていた人々が解放されてから丸一日経ってやっときた旅人のがこの女である。次を待っていたらいつになるか分からないし、そして"これより"悪いのに当たってしまう可能性がある。
この町の西は、深い森と霧に覆われた谷がある。少なくともこのエルフは、そこを女一人で踏破して来ているのだ。そこそこ腕に自信がある事は少女のリューアでも容易に想像がついた。
エルフであるから何か魔法を使い…………
「……そうだ」
「ん?」
「お姉さんが手伝ってくれたら、父と母が育ててきた大切な花畑へご案内します」
「秘密の花園?」
「良く聞いて、仮に聞こえてるなら頭でちゃんと理解して下さい」
酷ェ……とかいう声を無視してリューアは続けた。
「その花畑は、エルフたちが使う高級な薬の原料になると言われてきました」
「へえ、奇遇ね。私もつい数日前高級な薬の原料になる花を摘んできたばかりよ」
「花畑は西の深い森の一角にあります」
「そう、奇遇ね。私が見た花畑も西の森の外れだったわ」
「……」
「……」
「花畑は盗人防止用に、お父さんが作ったバリケードがあり」
「木製が為燃やし尽くされて」
「花畑の通路には罠が点在して」
「私にかかれば突破はたやすく」
「なかなか育たない花なので、その年一番の綺麗な一株だけを厳選して」
「調薬に使う以上は見た目もつぼみも関係ないから片っ端から千切るわ抜くわのウハウハ大収穫祭」
顔面に振り下ろされそうになったリューアの短刀を女は寸前のところで止めることに成功した。
短刀を持った右手を左手で押さえ、もう片方の手も追撃で殴ろうとしてきたのを掴んで止めて、完全に組み合った形となる。
「て、つ、だ、って、く、れ、ま、す、よ、ね、タ、ダ、で」
「し、ょ、う、が、な、い、に、ゃ、あ……」
くたびれた短刀が僅かに差し込む光を浴びて鈍い輝きを放つ。
大通りの喧騒はやけに遠くで聞こえている気がした。


「そう言えばお姉さんの名前を聞いていませんでした」
町を出てからすぐに街道を外れ、一路東へ。
目的の洋館までは件の洞窟を通れば日が沈む頃には着けると言うので、身支度は最小限に留めた。
とは言え実際に身支度を整えたのは女だけで、リューアはくしゃくしゃの似顔絵すら持ったそのままで町を出たのである。
洋館でフォレスとやらがいなければその時点で諦めて町に帰る腹か、あるいは『間違いなくいるから』と言う信念の顕れか。
最悪の結果だとしても『いれば』いいわね、と女は口にこそ出さないが思っていた。
「?どうしたんです?」
「ああ、いや。最悪でも遺体が見つかったら諦めがつくって思っててね」
「…………」
口に出すほど思っていた。
リューアがまた自らの懐ーー確か短刀が出てきたであろう懐に手を入れたのを見て、話を元に戻す。
「ああ、私の名前ね。今だってお姉さんって呼んでるんだしそれでも構わないんだけど」
「何かあった時にお姉さんの名前知っておいた方がいいかなと思って」
「察するにあなた私を信頼してないでしょ」
「ええ」
「うわーお早」
魔物こそいるが城があり、ある程度統治されているこの地方ではそれなりに情報も価値を持つ。
旅の者の名前は、やはり同じ旅の者から語り継がれ、町から町へと広まっていく。兎角悪名は、それなりに広く伝播するものだ。
旅に出た後ではあるが、リューアはこの女の名前が所謂"厄介者"ではないか……そう考えて聞いてみたのだ。
女は立ち止まり、何故か鼻をフンスと鳴らした後で答える。
「まっくろくろいこ、よ」
「偽名ですね」
「うわーおさらに早」
「だってそんな響きの名称聞いたことないですよ!しかもエルフで!東の方の果てにあると言われる離れ島国の人ならともかく!」
「いや、東の人でもこんな響きの人いないでしょ」
「自分で!?」
横に長く連なる森の木々と、切り立った岩肌は既に近付いてきている。その上街道を外れたこんなところで絶叫ツッコミを繰り返していれば野良の魔物なりが気づいて襲ってきそうではあったが、それも来ないところを見ると確かにこの辺り一帯はひとまず平和を取り戻しているようだった。
「しょうがないでしょ。本名くっそ長いんだから。マリア・アーク・クル……とかなんとか、とにかく世の聖人の名前がずらずら連なってるのよ。頭文字だけとってったら大体まっくろくろいこって響きになるからそれでいいの」
マリアでいいじゃないですかとリューアは一瞬思ったが、同時にこれまでの立ち居振る舞いから見て、この女を古より謳われた聖人と同じ名前で呼ぶことにはかなり躊躇いが生じるのにも気付いた。
そして立ち居振る舞いもあるが、その格好もまた聖人とはかけ離れている。
上半身は半裸と呼んで異論はないほど露出が大きく、腕や首の装飾具を除くと胸の部分にのみ申し訳ない程度の布が巻かれているだけだ。
腰回りこそ大きな布を巻いてはいるが、その下は恐らく胸の部分と似たような……ともすれば下着に見えかねない被服だろう。
女を武器にしているのだとしたらやはり相当の厄介者だろうと、同性でしかもまだ幼いリューアにも何となく感じ取れた。
「それじゃくろいこさんですね」
「それも呼びづらくない?」
「大丈夫ですよ。あ、お姉さん。森の道はもう少し北の方から入った方がしっかりしてるそうです」
「…………おう」
リューアは相当の厄介者だろうと、くろいこもまた何となく思っていた。

森に入ってからは思ったよりも早く山--というよりは岩壁に到達し、リューアの手引きですぐに洞窟を見つけた。
洞窟の入口周りには大量の土砂や板などの木材が山積しており、それはリューア曰く、町の者が魔物が通れないようにする為何度も入口を塞ごうと試みた跡だという。
「全て魔物の襲撃にあい、作業は結局できませんでしたけどね」
「まあそうでしょうね」
くろいこが頷き……辺りを見渡した。
分かっていた話なのだが日は大分傾いており、そのせいで洞窟も入り口から深い闇に覆われている。
洞窟の向こう側は洋館まで続いているとの事だが光なども見えない。途中で入り組んででもいるのだろうか。
「これだけ材料転がってるなら野営の準備もできそうだけど?どうする?」
「行きます」
聞くまでも無いと言わんばかり、液体を染み込ませた紙を近くに落ちてあった棒に巻き付け、火を灯すリューア。
棒はたちまち松明となり、
「熱!」
棒全体を瞬く間に燃やし尽くす火球となり、たまらず洞窟内にぶん投げるリューア。
「凄いわ……古の魔法ファイヤーボール……?まさかあなたのような少女が使えるなん、」
「おちょくるならもっとストレートにおちょくってください!!」
ちょっと怖かったのか涙目で叫ぶリューアを余所に、くろいこも棒を拾い上げた。
事もなげに一振りすると、その一振りの途中から赤い軌跡を描きながら炎がまとわりつく。
燃えるものも何一つ付いていない、ただの棒がたいまつになっていた。
「洋館とやらに行ったらすぐ帰っても真夜中になるわよ。もう一回言っておくけどお兄さんが見つからなかったらさっさと諦めて帰るからね」
エルフの魔法を目の当たりにして、一瞬呆然としてしまったリューアがその言葉に慌てて大きく首を振った。
「見つからなければ洋館で一泊します!そこで朝になってもう一度探します」
「……魔物が住んでいた場所なのよ?怖くないの?」
「大丈夫です」
即答するリューア。
考えてみれば旅人を捕まえて一緒に魔物の根城だった所へ行こうとしていたぐらいだ。
怖いわけがないか……と、同時に
また言っても聞かないんだろうなあ……とくろいこは推測する。
幸いな事に自分は夜に強い。色んな意味で。魔物が来てもまあ何とかなるだろう。
くろいこは一通り考えを楽観的にまとめて、洞窟への一歩を踏み出した。
「じゃ、行くわよリューア」
「はい!」
「……待って!気を付けて!」
「!?」
「目の前に誰かが古の魔法ファイヤーボールを使った痕跡の火球があるわ!」
小さな女の子の怒号が、エルフのあざ笑い声を追うように洞窟の奥へと消えていった。

古の魔法ファイヤーボール以外は洞窟に魔物の陰もなく、そもそも洞窟も決して深いものではなく、小一時間もしない程度で反対側の出口に到着する。
洞窟は自然のものにしてはしっかりと道が作りこんであるので、恐らく大昔に交通の便を考えて作られたものだろうと、リューアは途中から話していた。
「それだから扉も冗談程度についてるんでしょうね」
その反対側の出口についた不釣り合いな木の扉を押して、外に出る。
既にすっかり日も暮れていたが、松明の心もとない光だけで進んできた洞窟の暗さに目が慣れていると外は明るく感じた。
反対側の入り口とは異なり、こちらは洞窟を出たすぐから見渡す限りの荒野が広がっている。
春先にしては冷たい、だがどことなく湿った風が荒野を均していた。
くろいこは何となく伸びをしながらその光景を180度眺め視界の端に見えた黒い塊で目を留める。
黒い塊に見えたようなのは一瞬、それが異様な風体をした木々が重なっていることに気づく。。
妙に背の高い枯れ木は先端に進むにつれ太くなり、それぞれが重なって天を覆うように枝を伸ばしていた。
「あの木、上で良く寝れそう」
「これだけ一通り見て出てきたのがその感想だけって凄いですよね……」
「私、自然と共に生きるエルフだから」
「はい」
「お布団とお酒大好き!」
「行きますよ」
リューアは完全に無視してその黒い塊に向かって歩き始めた。
さらによく見れば、黒い塊の木々の下には明らかに人工的な建物が鎮座していた。
「待ってて……兄さん。魔物なんかにやられてないでね……!」
洋館の方から吹く風に答えるようにリューアが呟く。
くろいこはそのセリフとは対照に、気だるそうに後頭部をかきながら再び洞窟の扉を振り返っていた……


近付けば洋館は大分立派なものであることが分かった。
城を持たない小国であればそれこそ領主クラスが住んでいてもおかしくない規模である。
門構えのような場所を通過しても、洋館自体は少し心が折れそうになるほど大分道の先にあった。
そして話に聞いていた通り、その道も含め洋館を飲み込むように覆っている、妙な色の花。紫のような赤のような、綺麗と言うよりは禍々しいと言った方がしっくりくる花。
洋館の周り、洋館へと続く道、庭園と覚しき場所など、至る所に花が咲き乱れている。
さすがに二人が進む館へと続く道の花は大部分踏み固められていたが。
その上をさらに踏みしめながら、リューアが呟く。
「悪趣味ですね……父と母の花畑を見せてやりたいです」
「ああ、今そこも何も生えてないクソ花畑になってるけどね。おっと待って待って入口の前に何かいるからほらあっち見てほら短剣しまってマジで」
慣れた手つきで短剣を引き抜いたリューアの手を押さえながら、くろいこが顎で洋館の方を指す。
確かにそこには人影が見えた。遠目のせいなのか、小さな影。
「ね、見えるでしょ?魔物じゃないみたいだけど、あの影。逃げ遅れた人間かし……」
リューアがその瞬間くろいこの手を振り払い、入り口に向かって走り出した。
一瞬ヤッベェマジで刺してきやがったと身を引いたくろいこも、遅れて後をついていく。
リューアは花を散らしながら一目散に影に向かいながら、今までにない大きな声で叫んだ。
「兄さん!!!」
影が振り向く。
もうくろいこにもはっきり見えた。まだ幼さを残した顔立ちの少年。
そして凛々しい目は、気のせいだろうか今まで一緒に来たリューアのその面影を纏っていた。
「兄さん!!!」
もう一度リューアの絶叫。
少年が口を開くより早く、一直線にその胸へリューアが飛び込み、
その勢いに耐え切れずよろけた少年もろとも扉に突っ込んで、ドオン!と轟音を立て館の内側に扉が倒れていった。
何あれ超激しい一発、と呟きながらくろいこも近付くと、倒れた少年の胸の上に馬乗りになったリューアが涙をためて叫んでいた。
「兄さん!無事!?良かった!無事だったのね!!」
「ああリューア……でもちょっと後頭部が痛いよ……」
「まさか魔物にやられて……!?」
とりあえず少年がまともに喋れているのを確認して、くろいこは洋館の中を見渡す。
入り口を抜けるとすぐに大きなエントランスホールとなっており、左右へ続く扉の他、正面にはいかにも何かが転がり落ちてきそうな二階へ続く大きな階段を備えていた。階段のバラスターもいちいち何か動物の形が模してあるようで、やはり住人は領主か、そうでもないなら悪趣味な好事家がぴったりと言った雰囲気である。そして、これだけ細部が見通せるほど月明かりが入ってくる大きな窓が階段の中二階に位置していた。
そんな風景に加えて、明らかに左右や上から"面倒くさそうな"気配を感じながらも、くろいこは感動の再会を果たしている兄妹へ向き直った。
「で、フォレスとか言った?あんたがさっさと帰らなかったから私がこうしてここにいるんだけど何で帰ってこなかったのよ?どこにそんな帰りたくなくなるような美女とかいるの?早く」
「リューア、この非常識半裸美女さんは……?」
「なおショタは絶世の美形でもない限り私は容赦しません」
くろいこの言葉で慌ててリューアをどかし、起き上がるフォレス。
リューアも少し落ち着きを取り戻したのか、起き上がったフォレスの手を握りくろいこの台詞を要点だけ繰り返した。
「そうよ、兄さん。何で帰ってこなかったの?どうしてまだあんなところにいたの?」
「それは……」
フォレスを遮り、地鳴りを伴うような重い足音が響く。
--右が動いた。
くろいこが先ほど見た右の扉を、今度は三人で見る。
一歩一歩大きくなりながら、つまりは近づいてくる重い足音。それに併せて微かに聞こえてくる獣のような荒々しい息遣い。
「お、お姉さん、魔物です。ここにいる、魔物の一匹です」
暗い中でもはっきりとフォレスの顔が青ざめているのが分かったのは、その声が震えているせいだったのか。
だがくろいこは事もなげに呟いた。
「そんな誰でも分かるような報告いいからさっさと私の問いに答えなさい。あなた何で帰ってこなかったの?だから私今こんな面倒くさい事になってるでしょう?それに値する絶世の美女はどこなの?早く」
「そ、そんな場合じゃなくて魔物が!」
重い足音が、止まった。
消えたのではない。明らかに進行を阻む物が目の前にあって、止まった。
それはすなわちあの扉の……
リューアとフォレスがそちらに気を取られていると、フッと視界が黒くなった--ように見えた。
中二階、月の光を背負っていつの間にか人が立っている。
いち早くそちらを見たくろいこが、事もなげに手の上で作った古の魔法とやらのファイヤーボールを問答無用で投げつけたが、炎はその人物の手前で何かに弾かれるように霧散した。
ただ、その際の火花で一瞬人物の顔が映り、くろいこがニヤアと音がするほどいい笑顔に顔を歪ませる。
「やっぱり居るじゃないの……とびっきりの上玉が……」
「……エルフ?また新手ね?」
一声だけで分かる気丈な声。どうやらファイヤーボールを打ち払ったらしく、構えていたその笏杖をゆっくりと下ろし、人物は……金髪のエルフはくろいこ達を冷たい瞳で見下ろした。
もう一度くろいこの不意打ちファイヤーボール。
簡単に笏杖で弾かれる。
もう一度ファイヤーボール。
それでも弾かれる。
「人の話とか聞くつもりないの?」
強気の声にややイライラが帯びていた。
くろいこはそれに答えずもう一発ファイヤーボール。
やはり弾かれる。
リューアも無言でファイヤーボールばかり打ち続けるくろいこが流石に心配になり、中二階には聞こえないように耳元でささやいてきた。
「ちょっとお姉さん、全く通じてないのに何やってるんですか」
「私にちょっとした考えがあるの。見てなさい。特にあのエルフの腰の下辺り」
……あの一瞬で何かに気づいて、狙っている?
リューアは驚き、またしてもファイヤーボールを繰り出すくろいこの手先から、放たれた火球、笏杖で弾かれる瞬間までを目で追い、最後にエルフの腰の辺りを見た。
火球を弾いた勢いで、女が肩からかけている青い衣がはためき、さらにその下のスカートも大きく揺れている。階下のここからだと今にもそのスカートの下が見えそうな……
「ファイヤーボール!」
「お姉さん」
よく見ると物凄くギラギラした目つきでひたすら腰の辺りだけを見ながらファイヤーボールを唱えるくろいこに、リューアが問いかける。
「ファイヤーボール!!」
「私、まさかね、と思ってることがあるんですけど」
「何?やっぱりノーパンの可能性ワンチャンと思うの?そうよね。見た目淑女の露出狂ド淫乱って説も外しがたいわよね。分かる分かる。あの青い衣だって薄い素材だし、胸元は大きくはだけてビブネックレスなんてつけてるもんだから自然と視線もあそこに集まるし、あんな冷たい面して絶対夜はアヘアヘアンアン言って、」
くろいこがそこまで言って急に横に飛びのいた。
一瞬前までくろいこが立っていたその場所に、渦を巻く業火の柱が立ち上る。
目の前に沸き起こったそれに、リューアも驚き尻餅をつく。フォレスがその肩に手を置き、横にしゃがみ込んだ。
「リューア、あの人だよ。あの人が僕たちを救ってくれた勇者様なんだ」
「……え?」
「魔物たちにさらわれて、裏の納屋みたいなところにずっと幽閉されてたとこをあの人が開けてくれたんだ。それで皆逃げられた」
「そんな!じゃああの人が勇者様!」
「ファイヤーボール!!ファイヤーボール!!!」
『聞いとけよ今の話!!』
各所で巻き起こる炎の柱を軽やかに避けつつ未だにファイヤーボールを放つくろいこに兄妹がツッコミを入れる。
「何よ!うるさいわね!もうちょっとなの!何か本当にもう少しで見えそうなの!私は、この世の全てを知りたい!」
「下劣な情欲に凄い大義名分でっち上げないで下さい!あの人が勇者様なんですよ!お兄ちゃんの恩人なんです!撃つ必要ないですからやめて下さい!一旦ちゃんと話してください!」
リューアの説得を聞き、一瞬きょとんとしたくろいこが何やらポン、と手を打った。焦げた床を進み、再びホールの中央まで戻ってきて金髪のエルフを見上げる。そして毅然とした声で言い放った。
「あなた、下着は」
「…………」
「そうね、人に下着の色を聞く時はまず自分からよね。黒よ。夜中脱いだら結構探すの苦労して下半身すっぽんぽんで探し回る羽目になるんだけど、イメージカラーだから外せないのよ。さああなたは?」
「あれだけ人に鬱陶しい事しといて答えると思う?」
「鬱陶しい事してなかったら初対面でいきなり下着の色答えるのね!?痴女!痴女がいます!」
「それで兄さん、何で帰ってこなかったの?」
再び始まった炎の渦モグラ叩きを見、もうあっちは一回放っておこうと決めたリューアが先ほどの話に戻した。一瞬右の扉の魔物とやらも気になったが、もう物音もしないし、例え出てきたとしてもこのタイミングであれば火あぶり間違いないだろう。
フォレスはそれを聞いてやや目を伏せてこう言った。
「……綺麗だったから」
「は?」
「勇者様が、凄く綺麗で、それでこの洋館から出る時どうせなら一緒に帰ろうと思って途中から僕だけ引き返してきて」
「ファイヤーボール!!」
別にファイヤーボールでも何でもなかったが、リューアの拳が見事にフォレスの腹にめり込んだ。くの字に曲がったまま吹っ飛んだフォレスが、ちょうど横転していたくろいこに命中して、二人して床に叩き付けられる。
「いつつ……でも今の話聞いたわフォレス。あなたが最後にさらわれたのは心で、しかもそれをした淫猥なエロティック魔物があの金髪エルフ……と言う事ね」
「え?そこだけそう言う解釈します?」
「下着とか魔物呼ばわりとか、いきなりロクでもない事ばかり言うわねあなた」
中二階からゆっくりと降りてくるエルフ。くろいこの顔が絶望の色に染まった。
上に立っていた時はその態度と口調から大きく見えたが、実際に一階で並んでみると、そんなにくろいことの身長差がない事に気づく。
起き上がったくろいこがその姿を足の先から頭の先まで、文字通り舐めるように見渡した。
「プロポーションも最高ね……それで、何でこんな洋館にこんな天使ちゃんだけが残ったのかしら?ハハアン?急に劣情を堪えきれなくなって一人で楽しんでた?」
「話がブレるからもう少し素直に聞いてくれない?」
くろいこを除いてその場の誰しもが思っている事を金髪が代弁する。
くろいこが大きく頷いてオーケー、と前置きして再開した。
「急に劣情を堪え」
「残党征伐って言えばいいかしら」
もう話が進まないと判断したのか、金髪があっさりと理由を喋る。
確かに、とリューアは右の扉を何となく見ながら思った。しかし未だにそちらが開かれる雰囲気はない。
「町の人を逃がしたまでは良かったけども、まだ魔物の気配を感じたのよ」
「へえ?で、丸一日もかけてまだここに?こんなすぐ魔物が出そうな状態で?随分仲がいいのね」
無表情のまま、しかし金髪の女がわずかに身じろぎした。
くろいこが笑顔の、決して爽やかではないねっとりとした目つきの笑顔で続ける。
「町に続く洞窟の扉は壊れてない。洋館も壁に傷一つないし、この建物の中の扉も無事。花だって道以外はほとんど荒らされた形跡は無かったわ。随分と礼儀正しい魔物じゃない?」
リューアが驚いた。言われてみればどれも当然の事なのに、全く意識していなかった。
フォレスが独り言のように続ける。
「……捕まっていた町の皆は、結局一か所に幽閉されて、食事の野菜やパン、水が上から投げ込まれてたんだ。きっとそれは町から奪ってきた物だったんだろうけど、何でそんなことをされるかも分からなかったし、魔物がどうしてそんな気遣いをしてるかも分からなかった」
金髪の女は何も言わない。
「ちなみに水は何度もバシャーバシャーって天窓から流し込まれる配給方法だったから寝てたトレストさんが溺れかけて……」
フォレスも大概どうでもいい話を始めたので、くろいこは金髪の女にゆっくり近づきながら続けた。
「あの扉の向こう側にも魔物が潜んでいるでしょ?貴女の来るタイミングで出てくるの止めたわよね?何で止めたのかしら?」
「…………」
「分かったんでしょ貴女、私がそこそこ強いって。魔物を殺されでもしたら困るのかしら?」
手が触れそうな程に近づく。
すっかり暗闇に慣れて、そうでもなくともさっきからくろいこは凝視していたが、はっきりと金髪エルフの姿が見えた。
確かにフォレスでなくとも心奪われるのは良く分かる。囚われの人の目から見ればそれこそ勇者様ではなく女神様に映ったのではないか。
「そして胸もなかなかある。はだけた胸元は手をつっこみたい衝動に駆られる。むしろ突っ込むならそう、そのスカートの」
「溢れ出るのは強さだけじゃなくて節操の無さも出てるみたいねあなた」
「おっと。声に出てたかしら私としたことが。大丈夫よ、床じゃ結構声を殺して喘ぐの大好き」
笏状が、ごく普通に振り下ろされる。咄嗟にくろいこもブレスレットでそれを受けた。予想以上に重い一撃に、足を踏ん張って何とか耐え、連撃が来る前にその受けた手を滑らせて笏状を掴んだ。
金髪の開いたもう片方の手から放たれようとしていた物騒な魔力を、自分の魔力を纏わりつかせた手で掴んで封じ込む。完全に組み合った形になった。
「馬鹿でどうしようもなく愚劣だけど、読みだけは鋭いわねあなた」
「やっぱり二階でお仲間の魔物に火照る体を慰めてもらってたのかし……らぁっ」
金髪が両手を引き寄せ、前のめりになったくろいこの体に膝を刺す。くろいこも身をよじったが、そのせいでバランスを崩し床につんのめった。
思わず笏杖から離した手を床につき、目の前から放たれる強烈な殺気にそのまま床を転がる。
笏杖の先端、驚くほど鋭利にされていた部分が一瞬遅れて堅そうな床を突きさした。
「お仲間じゃないわ。一緒にしないで欲しいわね」
「へえ、性奴隷?」
「何であなたの返事はそう一回一回殺したくなるレベルを簡単に越えて来るのかしらね……」
金髪がリューアとフォレスを見た。二人とも立ち尽くしたままだったが、その視線に驚きお互いがギュッと手を握る。
その様子に金髪は深くため息をついた。
「魔物と仲間じゃないのは本当だし、町の人を助けに来たのも本当よ。安心しなさい」
「じゃあ何でこんなイタイケなくろいこちゃんに先に手を出したのかしら!意味分かんない!」
「お姉さんが問答無用でスカートめくる為にファイヤーボール先制してたじゃないですか……」
リューアの呟きに、くろいこは真顔で首を横に振った。その辺りはもう忘れるらしい。
金髪の女はくろいこの予想より大分深く刺さっていた笏杖を引き抜き、小競り合いの中でやや乱れた上着を正しながらもう一度ため息をつく。
「エルフは本当に身勝手が多くて困るわ。あなたもそう。ここに居る連中もそう」
「ここに居る……?魔物……?エルフ……?」
鸚鵡返しのフォレスの言葉に金髪は頷いた。
「エルフは長い生を過ごすわ。自然の代弁者とか、歴史の語り部だとか、聞こえのいい二つ名がはびこってはいるものの、それはごく一部の、本当に実績を残したエルフ達が謳われているだけ。
中にはその長い生に退屈を持て余し、馬鹿な事を考える存在だってごろごろ出てくるのよ……そう、」
一度言葉を区切って扉の方を鋭い眼光で睨む。
「魔物に姿を変え、人間を弄び、脅かす下らない愉快犯とかね」
気のせいか、扉の向こう側で大きな足音が出来る限り静かに遠ざかった気がした。
(いい?世の中には姿を魔物に変える魔法を使うエルフだっているの)
リューアは、つい昼に聞いたばかりのそんなくろいこの言葉を思い出す。
当のくろいこは腕組みをして、少しうつむいたまま何かを考えている様子だった。
「エルフだと分かったのは町の人を助けに来てからだけどね。
私は長の命で、世のこういった邪なエルフを、種を浄化する為に旅を続けているの」
くろいこの尖った耳がぴくっ、と反応した。
「魔の種族と交わったダークエルフはもちろん怨敵として、こういう下らない事や奸計を弄してエルフの名を貶める者。そして品性劣悪で、エルフにそぐわない異端の者……それらは種の清廉を保つ為、正していかなければならない。
ここの魔物に身を窶したエルフはたっぷり反省してもらった後で、二度と人間に接触しないようにさせるわ」
「あーはいはい凄い凄い」
一際大きくくろいこが言い、パンパンと手を叩く。
金髪はその軽げで、全く理解できていない半裸エルフの反応に、眉を顰めながら何度目か分からない殺気を向けた。
くろいこがもう一度腕組みをする。
「貴女のそのお里の長とやらは聖人ね。いやホント最高の叡智をお持ちで。善悪正誤、全てを天秤にかけて適正にお裁きができる訳ね、立派立派」
「……とてもそうは思ってないみたいな口ぶりだけど」
「当たり前じゃない」
否定も、物怖じもせずくろいこは返す。
「長い生なら退屈しても当然。自然の代弁者なら摂理も弁えていてまた当然。
皆が皆欲求や、生きる為の競争をしている中で強者が弱者を組み伏せるのはこれが摂理と思うわけよ」
「人間を弄ぶのも?」
「極端な話そうなるんじゃない?」
リューアとフォレスを見るくろいこ。楽しむようなその眼が、しかし燃え盛る色に染まっているのにリューアが気づいた。
ただ、それと同時にくろいこが小さくこちらに手を振っているのにも気づく。
行け、と。
リューアは小さくお辞儀をし、「あ」という口の形をしたフォレスの手を引っ張る形で洋館の外に飛び出していった。
それを見送ったくろいこがまた金髪に向き直り、改めてゆっくりと近付きながら続ける。
月が段々登ってきたのか、窓から入る明かりは一際強くなり、黒と金、二人のエルフをホールに浮かび上がらせていた。
「裁きなんて出来るほど大層なエルフは、いないわ。あなた達の浄化は、あくまであなた達の正義に基づく浄化でしかない。
それは私の正義とは異なるわ。だからあなた達の行動は、私からすれば悪」
先ほどの、手が届く距離すら超えて金髪に歩み寄る。
自分と同じくらいの高さにあるその美しい顔に、くろいこはまるで口づけるかのように自らの顔を近づけた。
「勇者や魔王って誰が決めると思う?」
「何言いだすの?」
金髪も引かない。だがくろいこを少し押し戻そうと上げた手は、またそっと掴まれた。
動作こそ先程組んだ時より遥かにゆっくりしているはずなのに、力は恐ろしく強い気がした。
「勇者も魔王も時代と評価する他人が作るものよ。
魔王から見れば、その意に背く行動をする勇者は魔王に見えるんじゃないかしら?
あなたの行為もその浄化とやらをされるエルフから見れば、大魔王に見えるじゃないかしら?
種の浄化?正す?ふふっ……大きなお世話」
空いた方の手で、殴りにかかる金髪。
くろいこがそれを止める。
まるで再現の様に続いて繰り出された金髪の膝も、今度はくろいこの膝が正面から受け止めた。
完全に手も足も使えなくなった状態になり、弾かれるように二人が再び距離を取る。
「私は私の生きたいように生きるわ。それが私の正義」
「……全く相いれ無さそうね、驚いたわ。まだこんな志の低いエルフがいたなんて」
「そうかしら?」
もう言いたいことは言った。後は挑発に乗らない。
くろいこの瞳の色が、燃え盛る炎からまるで濁ったワインのような色に戻る。
「朝まで身体を重ねてみたら相性ぐらいは解り合えるかもよ?」
「……本当に貴女のようなエルフは初めて見たわ」
向こうが気合を削いだのを感じ、金髪もまた警戒を解いた。但し笏杖は構えて外さない。
「黒い髪のエルフ。名前は」
「まっくろくろいこ」
「偽名ね」
「うわーお早」
「旅してきた中でそんな変な響きの名前聞いたことが無いわ」
「世界を創った聖人の名前から、世界を組み立てていった聖人の名前を順に並べて頭文字を取ると漆黒みたいな名前になるの。素敵でしょ」
悪趣味よと金髪が言う。
くろいこもそこで、まだ相手の名前を聞いていないのに気付いた。
あなたは、と問おうとした矢先、金髪が名前を言いだす。
くろいこに負けず劣らず長い名前であった。
美しいその声が一通り奏でた呪文のようなその名前を、口の中で途中まで転がしたくろいこが呼ぶ。
「……それじゃあそろそろどっちの正義がまかり通るか決めましょうか、魔王ナガセ」
「本当にあだ名をつけるセンスも学んだ方がいいと思うわ」
「省略したらそう聞こえるでしょ?」
「無いわよ」
ため息交じりで否定した後、ナガセと呼ばれた金髪のエルフは
「魔王くろいこ」
とやや口元を歪ませて、続けた。
くろいこも笑う。
勝ったら、あの冷たそうなお口にワインでも注いでそこから飲んでやろう……
下劣な魔王は、もう一人の高貴な魔王に向かって、まるで踊りに誘うかのようにゆっくりと手を掲げた--


「……って言う夢を見たの」
布団の手触りが心地良い。特に半裸や全裸で入ってるとなお肌への触り心地は格別だ。
この感触を初めに考え付き、具現化したのは神か、そうでもなければ勇者に違いないとくろいこは本気で考えていた。
まだ太陽も顔を出す直前で、宿の窓もうっすらとした明かりを取り込んでいるだけ。
そんな薄暗い状況で、長い語りを終えたくろいこの横に並んでいるナガセの顔は、満面の笑顔だった。
額に青筋を携えて。
幾重も魔法の障壁を作り、物理的にテーブルや椅子まで移動して扉や窓を埋めているはずなのに、毎晩毎晩毎晩毎晩、この顔はいずこからか侵入して来て、そして目覚める時には真横に居る。
それも普通に朝目覚める時ならいいが、今日は物凄いテンションで朝焼けの大分前から突撃してきて、眠さで瞼が下がりかけるナガセをつついたり熱い口づけをかわそうとしたりで強制的に自分が見たばかりの夢を聞かせていたのだ。
「……オチも無いのね?」
「ここで起きたんだもん」
「……それじゃああなたの感想ぐらいは聞かせてくれるかしら?」
「そうそう、この後ね!私勝ったと思うのきっと!それでね、組み伏せられて動けないあなたに『嫌らしい女ね。こんな先の太い笏杖をどこで使っているのかしら?』から始まってね!」
「……リューアとフォレスとかいう子たちのその後は?」
「ああマジどうでもいい知らない知らない幸せに近親相姦に目覚めて暮らしましたとさ」
「……」
青筋が増える。
少しくらい立派な英雄譚や、心温まる話があるのではと考えた自分にも腹が立つ。
くろいこは気づいてか気づかずか、その半裸のまま身もだえしながらやたらとこちらにテンション高く引っ付いてくる……
「そこでね、『ほらほら!とらわれていた人が味わったみたいにあなたも魔物に辱められるがいいわ!』って私が魔物に化したエルフを味方に引き込んだらあなたが『くっ……殺せ!』ってね!」
そうだ、焼こう。
もう焼いてしまおう。
いつもちょっとは迷うけど、たどり着くのは同じなのだから。
結構色んな宿がそのせいで出禁になっているが、この世界は広いし、きっと死なないこの女とまだまだ旅が続いていくのだ。
ナガセがゆっくりと三つ目の青筋を立てたタイミングで朝日が昇ってくる。
そして今日もまたこの町で、謎の大火から全てが始まる--



(了)

魔王と魔王

無理矢理途中で構成縮めたら物凄い駆け足の一日話。
素敵な発想と書きたさをくれた人々へ超感謝。

魔王と魔王

某所某設定のスピンオフです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-03-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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