白昼夢。

  例えばの話だけれど。
  右の林檎を選ぶか、左の蜜柑を選ぶかで、今後の人生が大きく変わる。
  そんな可能性を考えたことがあるかと問われると、何度もある。
  あの時、一杯のコーヒーを飲んでいなければ。あるいは一本の煙草を楽しまなければ。
  そういう可能性の積み重ねが今を継続させて、現在の自分を苦しめて、未来の存在を脅かす。
  なら、『これから』をどうにか出来るのだろうか。
  今からでも可能性を熟考して選び抜いて、正しい選択を繰り返せば、それに見合う等しい未来み導けるのだろうか。
  それはきっと、難しい。
  荊で出来た糸を紡いで一本の紐を結うようなものだ。
  それでも、きっとやるだけの価値はあるはずだ。
  今を変えられるなら、意味はあるはず。
  やってみよう。
  いや、やり遂げよう。
  やるしかないのだから。


  僕は炎の中で目が覚めた。
  熱くて息苦しくて痛くて意識は朦朧として世界が無慈悲であると声高に叫びたくても息を吸うと肺がよく分からないくらいに熱いというか痛いくらいで息苦しいから酸素を吸いたいのだけれど息を吸おうと思っても、苦しいのだ。
  苦しいのだ。
  苦しくて、辛いのだ。
  誰か助けて。
  そう願う。
  でも、世界は変わらなくて。
  誰も救ってはくれない。
  せめて、目の前で消えようとしている生命だけでも救って欲しい。
  助けてあげて欲しい。
  あんなにも幸せそうで、花のように明るく可愛らしく微笑んでいたのだ。
  それが今にも焼けて散りになってしまうだなんて。
  そんな悲劇が許されるはずがない。
  そんな無慈悲を許してはならない。
  そうであっていいはずがない。
  そうだろう?
  そうさ。
  そうだ、許してはならない
  許さない。



  意識が暗転した。




  僕は目が覚めた。
  身体を起こすと、見慣れた部屋。壁にかけた時計は七時を指している。
  ケータイを手に取ると、アラームが止まっている。
  画面には『電車、7:30』と映っている。
  全身がぞわりと戦慄いた。
  身体を焼く炎の熱さ、痛み、恐怖。
  「------------!!!!!!」
  枕に顔を埋めて悲鳴を上げた。
  身体がガタガタと震え、恐怖に飲まれ、汗が不快感とともに流れる。
  これはなんだ。
  夢か。
  妄想か。
  どちらが本当で、どちらが嘘だ?
  普通に考えれば、僕は妄想で叫び喚いている狂った変人なんだろう。
  こうしている間も冷静に理性が働きながら思考している。
  それならばそうだと、認めてしまえばいい。ただの妄想だと認めて身支度をするべきだ。時間がないのだから。
  それでも。
  ただの夢ではないと認めてしまう自分がいる。
  熱さ、痛み。時間の経過も克明に憶えている。
  その証拠なのか、左の手の平に穴が空いている。
  炎で熱せられた鉄の棒で貫かれた、左手だ。傷口は焼かれて血は止まっている。
  「ーーーーーーー!!!!!!」
  痛みは、酷い。
  汗は止まらず、これをどうすればいいかわからない。病院に行けばいいのか?  そうじゃない。そうじゃないだろう。
  あの惨劇をどうにかしなければ。
  ちょっと待て。
  僕は今、何を考えた?
  止めなければと考えたのか?
  そうじゃあないだろう。
  そうじゃあない。
  傷口を見て、恐怖に駆られる。
  あの電車に乗らなければ、どうとでもなる。自分は助かる。左手に穴も空かず、焼かれず、痛まない。
  でも、目の前で消えようとしていたあの笑顔は、焼かれてしまうだろう。
  そんなこと、許せないだろう。
  許せない。
  奮い立つ。
  震える身体を起こして立ち上がる。
  酷く痛む左手を握り締めて、痛みに顔をしかめる。まるで左手を握り潰されてしまったかのようだ。
  それでも、それだけで震えていた身体は鎮まり、熱を帯びて、どうにかなってしまいそうだ。
  いや、もうなっているのだろう。どうにかしている。
  夢でみた光景で、一人騒いでいるのだから。
  これがたとえ、嘘であっても。
  しかし僕はどうにかしなければと、奮い立ってしまった。




  左手を見られないようにぐるぐると包帯を巻き付けて、ミトンをした。なんだか不恰好だけれど、まあいい。
  時間がない。
  着替えて家を飛び出した。
  持っていけるものはなかったけれど仕方が無い。ケータイと財布だけだ。家に鍵をかけたかも慌てていて記憶にない。
  走る。
  左手が熱の塊になったかのように脈動する。
  外は雨だ。
  そういえば、夢の中でも雨が降っていた気がする。
  顔に当たる飛沫が鬱陶しい。


  駅に着いた。
  切符買うのももどかしい。
  これで何もなかったら、さてどうしよう。
  謝れば済むのだろうか。
  わけを話せと言われても、どう申し開けばよいのだろう。
  そんな不安を感じながら、車両に乗り込む。
  事故の時刻は8:12だった。気がする。
  原因は?  その後は?  わからない。そもそも、僕はどうしてこんなことをしている?  動機は?  正義感?  博愛精神? わからない。
  ただ、あの子の笑顔を守りたいだけだ。
  車両の中を歩く。
  人人人人人人。
  人だらけだ。
  その中、その子を探す。実在するかどうかもわからない子を探す。
  本当、どうかしている。
  とんでもない妄想野郎だ。
  ケータイを見れば、もう8:10だ。
  鼓動の振動で気持ちが悪い。まるで自分の鼓動で酔っているようだ。
  意識はぐらついて、まともに歩けない。
  冷や汗でびっしょりに濡れていて、呼吸が難しい。空気の中で泳いでいるみたいだ。
  あと二車両。
  人の視線を掻き分けて歩く。
  目当ての車両に着く。
  いた。
  あの子だ。
  まさか、本当に?
  左手が強く痛む。
  握り締める。
  痛くて、力が入らない。


  意識が暗転した。





  熱い。
  痛い。
  苦しい。
  腕が痛い。
  助けて。




 


  目が覚めた。
  僕は身体を起こす。
  どっと、冷や汗が溢れ出た。
  左手が酷く痛んだ。
  「ーーーーーーー!!!!!」
  叫びながら思わず右手で抱えた。
  抱えられなかった。
  見ると、左手が失くなっていた。

 確信した。
   これは夢なんかじゃなくて、不思議なことだけれど現実だ。
   エスエフみたいな摩訶不思議で、よくあるフィクションのループモチーフ。それが現実に起きている。
   それとも或いは、とっくに僕は死んでいて、死後の夢を延々に繰り返し、永久に苦しみ続けるのか。それともまさに今、死にかけていて、死の直前に見る走馬灯のようなものなのかもしれない。
   現実的なのは、僕が狂っているか夢を見ているかだ。
   どれも考えたくないなぁ。
   じんじんと痛み続ける左腕を包帯で覆う。
   時刻は6:30。
   時間にゆとりが出来た。
   記憶を読み込む。
   あの時何が起きて、何を出来たのか。



 
   衝撃が身体を襲った。
  宙に浮き、全身を強打し、体内で破砕音が鳴り響いた。眼を開くと電車は横転していて、砕けた窓ガラスの上で僕は倒れている。血に池に浸かっている様相で、本人が一番驚いてしまう有様だ。少し身じろぐだけて骨に強い刺激が走る。目の奥がチカチカした。
  それでもどうにか周りを見渡す。
   横を見れば、何故かタイヤがある。ガソリン臭くて、どうやら非常に不味いようだ。身体を捩りながら抱え起こす。自由に動かなくてもどかしい。死にかけた動物の鳴き声が煩い。いや、これは僕の喉から漏れる苦悶らしい。それだけじゃないのだろう。ところどかろから呻き声が陽炎のように立ち昇っている。
   ふらふらと歩く。歩いているつもりだけれど、ただ身体を揺らしているようなものだ。そういえば、見つけたあの子は何処だ?    僕の倒れていた横にいた。静かに眠っている。僕は彼女の肩を叩いて呼びかける。でも意識は戻らなくて、抱き上げる。
   瞬間、暴力のような熱気に吹き飛ばされた。
   ただでさえボロボロだった身体が、バラバラになりそうだ。ただ痛覚で全身を包まれているような感じで、他の情報が入らない。視覚は赤く瞬いて、舌は鉄の味が染み込んでいる。鼻腔から取り込む空気は熱く沸立っているようで、皮膚はちりちりと燃えているようだ。
   目蓋を開ける。いや、既に開いていたようだ。何しろ異様なくらいに明るくて、異常なくらい赤いのだから、これが現実に見えるわけもなく。そしてこんなにも恐怖を感じるべくもない。
  恐怖よりも純粋に圧倒される。
   自分を飲み下さんばかりの炎。
  質量すら感じる雪崩のような炎。
  それが一瞬にして吹き溢れ、空気のように周囲を包み、満ち潮のように徐々に徐々に差し迫る。
   僕は鉄板のように熱くなった列車の壁を這いずって、彼女の元に近寄る。
   ずる。ずる。ずる。
   ぬるぬるとした血の轍を描きながら這い進む。なめくじになった気分だ。僕は何をしてるのだろう。さっさと逃げるべきだ、まだ死にたいだなんて思ってないんだし。それなのに、こんな無様でみっともない醜態を晒して何になるというのだろう。
  僕は、一体何をしているんだ。
   あの子が助かるだなんて思っちゃいない。さっきからぴくりとも動かない。意味があるだなんて到底思えない。
   薄っぺらい正義感か。偽善、欺瞞、自己犠牲、自己満足、自己陶酔。何を根拠にこうしているんだ。見知らぬ他人の為に命を懸けて。助かるどころか死にかけているだろうに。それどころか僕自身、半分死んでいるようなものじゃあないか。こっちが助けて欲しいくらいだ。
    それでも。
    勝手に身体が動いて。
    左手を伸ばす。
    指先が軽く触れるか、触れないか。
    爪先にひっかかる感触。 
    身体を限界まで伸ばして、掴む。
    掴もうとする。



    窓ガラスが降ってきた。
    紅い炎を反射して。
    刃物のように鋭利な縁。
    すとんと、僕の左腕は断たれた。



   僕は光景を思い出した。
 細部まで鮮明に。
 身体は感じていないはずの感触で恐怖に震えている。
   左腕はズキズキと痛んでどう仕様も無い。
  腕を抱えて立ち上がる。時刻は6:45。
   準備をしなければ。
  今度こそ、あの子を助ける。
   もしかしたら、次はないのかもしれないのだから。

 僕は走り出した。
 重たいバックパックが左右に揺れる。
 中には役に立つかもわからない物で溢れている。もしかしたら、むしろ逃げる上での邪魔になるかもしれない。
 それでも可能性は増える、かもしれない。何も準備も対策もせずに、ただがむしゃらに飛び込むよりは、よっぽどいいはずだ。
 空気は冷たく、その中を駆け進む。表皮は徐々に冷え、それでも裏側から熱せられ始める。失くなった左手がずくんずくんと脈打つ。真っ平らな手首はぐるぐると包帯で覆ってしまったけれど、感覚を鋭敏に感じる。左手のある感覚。ぎゅっと拳を握り締め、前後に腕を振る。左腕の方が右腕より幾分軽く、幾分短くて体幹がぶれる。
 今までとは、身体の感じが違う。
 四度目の身体。
 一度目は焼かれ。
 二度目は貫かれ。
 三度目は断たれ。
 四度目は何だ?
 とりあえず、走る。
 疾走とは程遠い。
 だけれど、駆け続ける。



 家には手紙を残してきた。感謝と謝罪を綴った。両親、友人にだ。それぐらいしか思いつかなかった。警察や消防に連絡をしようかと思ったけれども、どうせ相手にされないだろう。それどころか、犯人扱いされかねない。本当なら線路に細工でもして電車を止めてしまえば簡単にことは収まるのだろうけれど、しかし自分だけでなく家族に迷惑がかかる。テロリスト扱いなんてゴメンだ。
 じゃあどうすればいいのかって考えたけれど、荷物をたくさん持つぐらいしか思いつかなかった。気分はラスボスに挑む勇者の気分だ。いや、精々戦士止まりだな。身体が資本の戦士。体躯が立派で力自慢。偉丈夫の盾があればパーティは安泰だろう。けれども僕は、こんなにもな貧相な体格で、筋肉なんて身体が倒れないように必要最低限付いているくらいなものだ。重たいバックパックに身体を引っ張られながら、心許無さ気に走っている。それが現実ってものだ。
 戦士だったら、どれだけ良かっただろう。魔法が使えなくたって、一人の女の子を救うぐらい簡単に出来るのに。
 勇敢なる者。
 僕にその一欠片でもあれば、きっと戦士に1グラムでも近づけるだろう。
 この情けない身体と心を捧げて、一人の女の子を救う。
 きっとそれを為せれば、情けない僕にも一つぐらいの誇りは生まれる。



 電車が走りだした。
 雨粒が窓ガラスを打ち付ける。外はどんよりと曇っていて、雨脚は次第に強くなる。バタバタと車両を殴りつけて、こんなにも天気は悪かったのかと、今更知った。
 動悸は高鳴り嘔気が湧いて、左腕がジンジンと痛む。キリキリと頭は締め付けるているように痛みだして、冷や汗が少しずつ浮かび始める。
 準備と心構えはしてきた筈だ。万全とはもちろん言いがたいけれど、それでも。
 やるしかない。
 後ろに立っている、その子だけでも救うために。
 腕時計を見る。
 あと三分。
 僕は目を閉じて、深呼吸をする。


 8:11
 彼女をすぐに支えられるように身構える。
 
 身体がふわりと浮き上がり、次の瞬間何かが起きた。

白昼夢。

白昼夢。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-27

Copyrighted
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