久遠彼方の手記
これはオフラインで行われた改変クトゥルフ神話TRPGに登場した久遠在処の兄、久遠彼方の残した最後の手記である。
これを読んでいる人へ。もしも妹と、久遠在処と関わる機会があれば。この事をよく頭に入れておいてほしい。
昨日、妹の黎明私立学園への入学が決まった。特待生だそうだ。
同じ道に進み、同じ学校に同じ特待生として入学してくる妹を僕は誇りに思う反面恐ろしくも思う。本当に彼女を入学させてもいいのだろうか。僕には判断がつきかねない。
けれど。一応、あくまで念のため来年以降の入学生のため。および妹と関わることになる人間のためこのメモを残そうと思う。
これを読んでいる人へ。もしも妹と、久遠在処と関わる機会があれば。この事をよく頭に入れておいてほしい。妹は昔から普通じゃなかった。きっとあの子は人間の枠に収まりそうにない。あれは本物の魔女だ。
出来ればあなたが彼女に関わらないことを祈ってる。
20××年 黎明私立第二学園 3年2組 久遠彼方
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あんまり言っても信じてもらえないけれど、妹は昔から普通じゃなかった。どう普通じゃないのかと聞かれれば返答に困るけれど、何処かが周りとずれていたんだ。
妹は昔から天才肌で、大抵のことは人並み以上に出来た。勿論僕にとってもそんな妹は誇りだったし、時折変なことを口走ったとしても可愛い妹には変わりがなかった。
だけど、妹はやっぱり変だった。昔からみんなと遊ぶより一人の方が好きで4つ歳の離れた僕ですら読むのに難儀する本を読んでいたり、大人ですら知らないことをよく知っていたり。母親はそんな妹をどこか不気味に思いつつ、邪険に扱えないので苦労していたみたいだ。
……そもそも、うちの両親はもともと女の子が欲しかったらしい。理由なんて知らないが、特に母親の性格を鑑みるに娘と一緒にお洒落な喫茶店を巡ったり服を選んだりする知り合いのお母さんが羨ましかったとかそんな理由だろう。だけど在処はそういったものとは無縁で、ことあるごとに僕でも読む気の失せるような本ばかり欲しがった。理想通りに育たない娘。思い通りにならないたびに、うっ積する嫉妬と不満。想像するには簡単だ。そうして、僕ら一家は疲弊して徐々に壊れて行ったんだ。
妹は時折「なんで私だけ違うの?」と問いかけた。母親も父親も、僕もそれを聞くたびに「人はみんな違うんだよ」と諭し教えた。妹はその答えに不思議そうに首を傾げるばかりで。僕らはそれに違和感すら覚えようとしなかった。だって僕らはもう妹に疲れていたのだから。
僕が中学校に進学したある夏。僕は美術部に入部し、それなりに普通の日常を送っていた。妹の事はそれなりに歳が離れていることもあって学校の連中に知られることはなかったし。そんなある日、僕は顧問の先生から本を渡されこの中から何枚か模写をしてくるようにと言われた。
家について開いてみると本はドールの写真集だった。凍り付いたような表情の少女たち。人間らしい滑らかな曲線を描く四肢と豪奢な衣装。ただ硝子の瞳には生き物としての色は無く、どこか死体のような雰囲気すら漂う。ゾッとするほど静謐な美しさに、僕は息を止めて本のページをめくった。……だからこそ、気づいていなかったのか。
不意に背後の人の気配に気づいて振り返ると、そこには在処がいた。愛らしい丸い瞳が大きく見開かれ、まるでドールたちのガラス玉の瞳のように無感動に本をじっと凝視している。小学生の妹には刺激が強すぎたか、と慌てて本を隠そうとしたが在処は腕を掴んでそれを止める。9歳の女児と思えないほど、強い力。困惑する僕を置き去りに、妹は呼吸すら止めてじっと写真を凝視していた。
「アリカ……?」
妹の名前を呼ぶ声は震えていた。妹は答えず、ただじっと写真を、少女を凝視する。
「……やっと、見つけた」
そう妹は呟くとつかんでいた手を放して視線を外し、どこかへと歩いて行った。僕はしばらくその後姿を目で追い、慌てて本をカバンの中にしまい込んだ。
たぶんそれが悪夢の始まり。
1時間ほど時間を潰して。恐る恐るリビングに行くと、妹は庭に面した大きな窓から外を眺めながら背後の両親に向かって呼びかけていた。
「パパ、ママ、おうちが燃えてる。燃えてるよ」
その呼びかけに、父親も母親もテレビの画面を凝視したまま動かない。振り返ろうともしない両親に、妹は同じ言葉を繰り返し訴えている。
……今思えば、それが初めて聞いた妹の女の子らしい声だった。もしかしたら精一杯助けを求めていたのかもしれないが、今となってはもう遅い。みんな疲れていたんだ。大人を振り回す知識量と自分が子供と言う群体に歓迎されないと悟ってしまう聡明さ。妹は子供と言う小さな枠に収まりきらない。大人になるのが早すぎた。
だからこそごく普通の無邪気な年相応の娘の理想像を追っていた両親は早くに疲弊していったのだろう。在処は人懐っこく気さくではあったが、昔から無邪気さとは無縁だったし。
もしもこの時。家族の誰かが、彼女を窓から引き離していれば。歯車は狂わずの済んだのかもしれないけれど。
その日の晩。僕は火災警報器の甲高い音に叩き起こされた。鼓膜が破裂しそうな大音量に思わず耳をふさぐ。慌てて身を起こすと、部屋はうっすらと白く煙って視界が濁っていた。
火事だ。寝起きの混乱した思考のまま、慌てて机の横のスクールバッグを掴む。どうしてこんな行動に出たかは覚えてないけど、結果的にその中に保険証だとかの入った財布もあったのだし間違っては無かったと思う。
そんな時、部屋の扉が開く。廊下はすでに黒い煙と炎の海で、開いた扉から熱気がなだれ込む。そんな地獄の中に寝巻の在処がいて、僕の姿を見て笑ったんだ。
「お兄ちゃん。パパとママ、燃えちゃった」
あっけらかんと。大したことじゃないと言わんばかりの表情で。在処はそう言って、花のように笑ったんだ。
そう言って彼女は僕に手を差し伸べて「逃げよ?」と笑う。まるで地獄など視界に入っていない。炎も煙も何も彼女に触れられない。だって半袖の寝巻の裾から覗く白く細い手足も、長く伸ばされた綺麗な髪の毛先すら焼けた形跡がないのだから。
そこでやっと、愚かにも僕はようやく理解するんだ。僕たち家族の過ちを。
恐る恐る差しのべられた手を掴む。華奢で、小さな手。同年代の子供たちと比べれば背こそ高いものの、何故か妹は華奢だった。そんな僕よりはるかに小さな妹は、炎に包まれた廊下を平然と歩き始める。あろうことか、裸足で。焼け落ちた天井の未だ火のついている瓦礫も何も気にすることは無く、まるで学校にでも行くような非常に気楽な足取りで。
そうして僕らは当然のように救助された。だが両親は妹の言った通り救助隊が到着した段階ですでに焼死していたらしい。……こうして、僕らは二人っきりになった。
たぶん僕たち家族は致命的に失敗していたんだ。でも、もし仮に誰かが動けていたらここまで狂わなかった。その誰かに責任を押し付けて、僕らは逃げるんだ。
……おそらく。僕はきっとそう言うものに巻き込まれて近い内に命を落とすと思う。だから僕はこうやって最後に書き残す。
妹を知る誰かへ。妹の見る世界は僕らのそれとは絶対に違うだろう。そして妹の住む世界も、僕らと違う。きっと理解もできない境界線の向こうだ。
だからこそ。どうかこれを読んだ誰かへ。彼女の王国を壊さないでほしい。逃げ場を失ったら、恐らくあの子はすべてを壊してしまう。
どうか無力な僕と、狂わされたあの子を許してほしい。
久遠彼方の手記
この手記の執筆者は3カ月前に事件に巻き込まれ、命を落とした。
真実を知る者はもうどこにもいない。