黒いペガサス

黒のペガサス 2012/08/23

[サルフォリクス]

 黒いペガサスの幻想に連れ去られる為に<サルフォリクスの間>を訪れる女、美花。
彼女はそのペガサスの化身に愛を寄せていた。

美花。二十七歳。日本人。
マダムシャナ。五十二歳。北欧人。
貴子。マダムシャナの娘。二十七歳。北欧人ハーフ。
サルファル。黒のペガサス。
カルデン。二十八歳。北欧系の青年。


 広大な森に囲まれたマダムシャナの館。
<サルフォリクスの間>で美花は一点の絵画の前で佇んでいた。
金の額縁に彩られるその油彩の世界を見つめ続ける彼女を今に体毎連れ去る黒馬のペガサス。夜の帳は青い星が渦巻き、そして白く光る瞳で静かに誘ってきているみたいだ。
もしこの黒ペガサスが優雅であって勇猛な黒い騎士ならば、彼女は手をとられ絵画の世界へ鏡を通り抜けるが如く浸り、夢を見る。
ふとした白昼夢、彼女は意識を戻し視野に銀のロケットペンダントが光った。黒く緩いVネックのアンゴラセーターから、柔らかな白い肌に乗っているそのペンダントは、五芒星を描く彫刻だが彼女から見つめれば逆五芒星を描いている。
艶めく黒髪が視野から肩を装飾し、それらも彼女の美的な一部として成り立っている。
一筋の薫り高さ。彼女は紅茶の香りに視線を背後へ向けた。
「美花様。お紅茶の用意が」
「はい。どうもありがとう」
彼女は小さく微笑み、ローヒールを響かせ歩いて行く。
アームチェアのセットにすわり、グレーのスカートを調えた。華奢な黒オーストリッチベルトがとまり、銀の小さなバックルが彼女のローヒール先の飾りと連動して光った。一瞬、腹部から巡らされた力が足の裏から地へと流れて行った風で。
もう一つのチェアには、毛足の長い黒猫が眠っていた目を開き、青い目で美花を見ると彼女はそっと腰を曲げ手腕を伸ばし、毛並みを撫でる。猫は心地良さげに首を反ると小さな赤い舌で彼女のマニキュアの爪を嘗めた。
横目で再び、あの美しいペガサスを見る。
黒いビロードが下がり淡い青空の覗く縦長の窓からは広がる森を住処とする美しい声の鳥達が囀っていた。
その窓から駆け出して行く姿に思えて、夜から抜け出し彼は何処へ行くつもりか、誰に聞けば分かるというのだろうか? 暗い波を軽やかに乗り越えてどこへ行くのだろうか。
彼女は見つめてから、ポットのフタを持ち上げ静かに置き、薔薇の花びらが香る砂糖を銀のスプーンから落す。滑るように沈んでいき、銀粒子の砕け散り方でさらりと溶けていく。徐々に。
いつも、マダムシャナの令嬢である貴子は薔薇砂糖を入れる美花に「貴女は、紅茶の香りさえも……」と上目で言う。ヨーロッパ系ハーフの貴子はマダムシャナにとてもよく似た特徴だ。金髪と緑の瞳を持ち、厚い唇は上品だ。なので、小学時代から共にいると白人の大人に笑顔で声を掛けられとまどう貴子は可愛らしかった。マダムはその頃の九歳の彼女に母国語と日本語以外には覚えさせなかった。
薔薇が香り始め、美花は微笑みそっと唇をつけた。
藍色地に銀でボタンダウンのペイントされたカップは銀河の絵が額の中にはいり、彼女はそれを時間も関係無く使用することを好む。貴子の時間を楽しむこだわりなどは毎回聞かない。
長い睫を伏せ、湯気が撫でて行く。
「美花」
彼女は顔を上げ、扉を見た。
長い黒髪を翻させて白馬に乗る女の絵画と、悪魔に見つめられる花の乙女の絵画の間にある扉から、貴子が颯爽と進んできている。
「貴子」
飼い主が来て猫は顔を上げ短く鳴いた。
「きっと、<サルフォリクスの間>にいると思っていたわ」
チェアに座ると黒猫は細い彼女の腰横から膝に乗った。
「またね。紅茶が薔薇の香りになっている」
「ええ」
「母が貴女を呼んでいた」
美花は頷き、また絵画を見る。
ここはマダムの館で、主にはある目的の時に訪れた。
それは秘密の時間であり、全てをその時へと注ぎ込める儀式だった。

 廊下を進んでいき、飾られる絵画を見て行く。
黒の割合が強い絵画が実に多い。レズビアンであるマダムは体外受精で父の契約先の息子と婚姻を結んだ後に貴子を出産し、自然的な物か貴子はバイセクシャルになった。マダムの趣味で黒髪の乙女達が黒い色彩の中に妖しげに描かれた物が多く、美花が心でペガサスの精悍な男を当て嵌めた事など知ればどうなるだろうと、よく思う。
透き通るほど神聖な物を感じる絵画の中の女達は、誰もが瞳で誘って来るかに思われた。
軽やかに進んでいかせる力がこの廊下にはあり、徐々に黒いペガサスの幻想が廊下を駈けて行った。黒の温かそうな羽根を艶めかせ、そして優美な目で……。
美花は流れる視線でペガサスを見つめ、揺らめく黒の尾は段をつけて一瞬を、姿を変えさせた。
黒のマントが夜の幕として翻りなびいて、顔を上げ彼を見た。
黒い甲冑の男は長い黒髪が幻想の風で流れては青の瞳で彼女を見つめて、微笑した。
「サルファル……」
密かに思いつづける男に手腕を掲げていた。
一瞬でその白い手がとられ、一気に気を失って行く。頬を当てた黒の甲冑が繊細な浅彫で艶めき、その後は闇に落ちる。
目を開くと闇で、何処なのかが分からずに美花は見回した。
「マダムシャナ……。貴子さん」
彼女の声だけがむなしく闇に木霊していき、返らなかった。
男であるサルファルの禁じられた名を、呼んでいいことか躊躇いの表情で見回し、ふと身が軽くなって見上げた。
「サルファル」
「今の時を私が連れ去ったことは、マダムには内緒で」
深い声で彼は微笑み薄い唇に指を当てた。
彼は身を返し、ふっと、一瞬で黒ペガサスに変わった。その瞬間、上方に星が渦巻き、一気に彼女を背に乗せ天を掛けて行く。
視線を落とすと、マダムの館が森に囲まれ小さくなって行く。
「マダムに呼ばれているの」
「ああ。分かっているさ。彼女とは夜に夢の中で話したよ」
「彼女が覚えていたら呼び出さなかったでしょうね」
どんどん上へ上がって行くと、鋭い風が頬を掠めて海の上に出た。
空は淡い色で時間を追うように地球を駈け、淡い白と桃色の夕焼け空までやってくると、空に黒い渦巻きがあいて青の星が煌いている。
徐々に天の穴へ近付く毎にクリスタルの扉が光る。音も無く巨大な扉が左右に開かれピンクの夕陽を映し透かし、黒ペガサスを受け入れて彼女は耳が痛くなって目を閉じた。
空気が詰まった感覚で鬣を掴む手を片方離し、顔を覆って目を開けた。
「どうしたのよ」
「………」
白昼夢が途切れ、貴子が廊下で彼女を覗き見ていた。鋭いつくりの彼女の目がきょとんと彼女を見ている。
まただわ。サルファルに連れ去られる夢。また続きをこの脳裏で感じたいというものを、いつそれが訪れるかは不明だった。
「時々貴女、佇んでいるわ」
「大丈夫よ」
微笑んでから歩いていき、それでも背後に彼を感じていた。すぐそこにいることを。
マダムの部屋の前に来ると、貴子がノックをした。
「連行してきたわ」
美花は可笑しくて笑い、おちゃめな目で貴子はウインクすると彼女の頬にキスを寄せまたもとの道を歩いて行った。
「お入りになって」
「失礼します。マダム」
「ええ」
扉を開け、室内に進む。
思わず彼女は一瞬肩越しにサルファルを振り返った。やはり彼はいた。真っ直ぐを向き歩いていて、彼女は顔を戻した。
「どうかなさって」
「いいえ」
「さあ。こちらへ」
「はい」
彼女が進むとマダムシャナは美しいベージュシルバーのシルクに身を包ませて脚を解き、すっと立ち上がって美花の前に来た。
黒いグローブの指で顎を上げさせ、また顔を左右へ軽く向けさせ彼女の麗しい顔立ちを確認する為に見つめた。
「もうそろそろね。貴女の絵画を描かせる時期」
マダムは微笑み、そっと指を顎から外しては歩いて行った。
「実はね、殿方を館へ呼ぶのよ。貴女の絵画には、殿方が必要だと思うの」
「何故ですか?」
以前、赤のワインを飲みながらハープを奏でる美花の演奏を聴くマダムは言った。裸体に黒シルクを肩から斜めに片脚まで掛け床におろさせ、カウチに肘を付き横たわる美花を描かせたいのだと。金のハープにその手腕を伸ばし指をあてさせ、こちらを見つめる絵画だ。
「だって、貴女がわたくしには内緒で殿方を愛する事、知っている。今の時期に言っておいて上げなければ貴女が苦しいでしょう?」
「マダム」
柔和な声でマダムは言い、一瞬で安堵しかけた美花は目を見開き頬を押さえた。顔を戻し、鋭く冷めたマダムの目を見る。うなじを掴まれ蛇みたいな口付けをされきつく離された。
「わたくしが与えた男以外は、認めなくてよ」
低い声で彼女は言い、美花は静かに頷いた。
部屋から退室し、廊下を落ち込んだまま歩いて行く。手が伸び、見上げた。
サルファルがマントで彼女を包み、彼女は甲冑に頬を寄せ、中庭の美しく蒸せる緑を見つめる。
幻想の中でなら会える。儀式の時間、いつだって彼女はトリップしては黒のペガサスに浚われて、意識を無くす。それまでの時間が余りに尊くて儀式の時間をやめることなど出来ない。
五つの力を崇める彼女はマダムと貴子と共に儀式を開いた。また、その時間の中で白昼夢の時みたいには覚えていなくても彼に会いたい。

 いつからサルファルは彼女の前に現れただろうか。貴子と友人になり八歳の時にこの舘へ招かれ、貴子の事が好きだった美花はその後十年間貴子のものだった。だが、貴子は母国の高校へ行ってしまい美花は寂しい中をそれでもマダムがいるので舘にきていた。
二年目でサルファルクスの間にペガサスの絵画が飾られ始めた。ずっと美しい馬が男に見える事も無かったし、男が好きだ何てまさか自分が思ってもみなかった。だが、一年前からではないだろうか。二十四の誕生日を迎えた翌日に館へ訪れた彼女は、お気に入りの黒ペガサスの絵画を観る為に訪れた間で、微かな蹄を聴いた気がした。それでも何か見えた輪毛では無く、舘を歩けば葵星が闇が掠める場所を迫ってきたり、それや儀式のさなか馬の嘶きが耳を掠めることが増えていった。
その頃から、マダムと共に行なう儀式に貴子がいない寂しさを紛らわせる為に脳内はコントロールしていたのかもしれない。寂しさで彼女がどこかへ心を落としてしまわない為に。
いつからか、舘で彼女はサルファルに連れ去られる白昼夢を見始めた。
地下。
黒い石床のホールは柱の支えられ、五芒星が描かれている。
黒い衣裳のマダムは静かな目を開き美しい腕を伸ばしてはキャンドルに火を灯した。
「闇の安堵と」
流れるように歩いていき、また灯す。五つの星の芒先に。
「地の落ち着き」
黒の床にヒールを響かせ歩く彼女の姿とキャンドルが揺れる。黒蛇の様に歩いて行くマダムは魔的な美貌だ。
「天の怒りを鎮め」
徐々に明るさは増して行く。闇自体は音は無く、生命の音は彼女達の存在。
「炎が恵みを分ち」
白い線で描かれる五芒の最後のキャンドルに火が灯された。
「魔は神聖なる偉大な力ゆえに」
ふうっと、ルージュの唇が鉄棒先の火を吹き消し、キャンドルが彼女達を照らす。
台の上、黒いビロードの上には儀式の為のハーブやすり鉢、清水、ペンタグラムのペンダントや薔薇の花、短剣、時を占う振子が置かれていた。
貴子は台の向うに立ち、左右のキャンドルに火を藻とした。
「精神の静寂と自然神へのたゆまぬ愛を」
儀式が執り行なわれはじめた。
夜の儀式は朝、森で行なう儀式と、昼中庭で行なう儀式とは異なる。心の静寂を願った。
彼女は振られる振り子を見つめてた。視線で静かに追い、そしてまた聴こえる。蹄の音……。徐々にいななきが聴こえ始め、いつでも彼女はサルファルの姿を探した。半年前に貴子が帰って来たときは一時期聴かなくなったのだが、貴子が実はヨーロッパで新しい、しかも男をつくっていたと知った瞬間から現実逃避の技を身につけ美花は心を無視してサルファルに居場所を求めた。それも、この舘以外では会えない。
柱の先から現れたペガサスは静かに彼女をさらい、意識は遠のいていく。
視野に、昼から見ていたサルファルはいなかった。どこにも……。
目を開くと、宇宙に巻かれていた。白昼夢の続きに美花はマダムの言葉が思い出されて木霊する。
「サルファル。私ね、男を紹介されるのよ」
黒いペガサスは何も言わず、掛けさせていく。群青になって行き天は宵へと成って黒い毛並みに彼女は寂しくて頬を預けた。
城が見えてきて、ペガサスはテラスへ滑り込み青い月光と影を鮮明に落とさせた。ゆっくりとまり、瞬間サルファルになって彼女は彼に包括された。
「お前は私のものだ」
ええ。分かっているわ。美花は今度こそは貴子の様には彼女の元を心去っては行かないサルファルの背に手を回した。
二人の世界の砦はいつでも、柔らかな風が彼等を包んだ。失恋に傷心した彼女を癒した彼の存在がこんなにも現実から離れても大きくなるだなんて、想像できただろうか。彼は彼女の為に現れてくれる。この夢を忘れてしまっても、癒されに来る。心を安静にさせてくれた。
銀のペンダントが黒の甲冑に音を立て、彼女は顔を上げた。
いつでもいてくれる。優しい青の瞳が彼女を見つめ、微笑した。
ふと吾に返り、キャンドルを見つめた。
先ほどまでの夢が忘れ闇に飲まれていく。いつでも足掻いて記憶の単子を繋ぎとめたくても悉く、無情に消えて行く。彼との幻想。
ハーブが香り、すられたそれが額に一筋縦に塗られていく。
「心が乱れているわね。また眠っていらして?」
マダムに見透かされ、不特定に訪れる幻想への誘拐は時として彼女をマダムの鋭い視線の餌食にさせる。
両鎖骨にもすっと塗られていき、胡座の膝左右にも塗られる。手の平に五芒星が描かれ、ハーブの香りが心を徐々に落ち着かせた。腹部にすっと縦に塗られ、頭の天辺から力が地へと巡らせる感覚で目を閉じる。真っ直ぐの背骨に髪が掛かり、いつでも腹の底から、背筋にこの瞑想の時温かさを感じる。貴子によってクリスタルが鳴らされ覚醒を促す。
五つの力を巡らせた。
日没から夜明けまで、繰り返される自然は。

 美花は目の前の男にどう挨拶をするべきか、何語を話せるのかも分からずにいた。白人の男は彼女に気を使ってあまり近付いた場所にはいない。
マダムは彼等を二人にして去って行った。
スペイン語と日本語は分かるのだが、黒髪の男は目の色が明るい水色でラテン系には見え無い。スパニッシュが通じないとなると、彼女はお手上げだった。
「君は……美しい花と聞いた」
思わず日本語が彼の唇から滑り、彼を見た。
「マダムはあなたに紹介を?」
「ああ」
美花は安心して初めて彼に近付き手を差し伸べ彼も男らしく微笑み握手を交わした。
「あなたの人種が分からなかったから、途惑ってしまったの。ごめんなさい」
「僕は元々日本生まれでね。金髪は黒く染めている。父がフィンランド人で母がアイルランド人なんだ」
「どうりで」
「美しい花は、ミカで良いかな」
「ええ。あなたは?」
「カルデンだ」
名前を得てから、美花ははにかんでローヒールの先を見た。マダムに紹介された方は優しくいい人だが、いきなり唐突過ぎる。今は絵画モデルのパートナーに留まる話だとわかっているのだが。
「リラックスして。あまり緊張すると画家が気を使うからね。薔薇が好きだと貴子から聞いたから」
彼が背後を振り返る横顔を見て、貴子の名前にもしかしたら彼女の以前の彼氏だろうかと思った。自然な名の出し方で、彼は大輪で純白と淡い桃色の中間色の薔薇を彼女に差し出した。
「まあ! なんて愛らしいのかしら!」
彼女は笑顔になって薔薇を引き寄せ、柔らかなロゼット咲きの中核から香る薔薇の清い甘さに彼を見上げた。
「私に?」
「ああ。とても似合う。肌も白くて」
引き寄せられ、サルファルの腕に似通って柔らかな黒シャツの胸部に頬をつけた。髪を撫でられ、そっと解放されると彼は一歩下がり、薔薇を抱え俯き佇む美花を見た。
「シャナ夫人が無理を言うものだから、悪い事をしているみたいでね」
「まさか。いいのよ」
「だが、夫人の愛する君に罰を与える真似はあまり好きじゃ無いんだ」
やはり分かってしまったのだ。男に包括される違和感が身体を硬直させ、何らかの寒さが背を伝った事は変えがたかった。恋人がヨーロッパへ行ってしまった悲しさをサルファルは慰めてくれたが、現実の鍛えられた胸部に頬をつけ、長い腕に巻かれると甘い香りで柔らかな貴子の体とは違う感覚は初めてだった。自分が男を気にしていると悟られた事はどうやらカルデンは知らされてはいなく、マダムと同じ性癖のままだと紹介したのだろう、そのままの印象を与えたらしい。
美花は黒マニキュアで愛らしい薔薇を撫で、顔を上げた。
「来ていただいてどうもありがとう。薔薇もとっても可愛いわ。とても嬉しいのよ。でも……」
水色の瞳を見上げていたが、彼女は目をそらして向うへ歩いて行った。
「無理はさせない。シャナ夫人も嫌がる君には何もさせないだろう」
「そんな失礼な意味では無いの」
慌てて美花は顔を向けると、押し黙って男と並ぶサルファルを見た。彼は円卓に手を掛け横顔は表情が無く、やはりカルデンには見えていない。
彼はマントの身を返し、黒のペガサスになって床を蹴った。
「サルファル!」
途端に黒の羽根を大きくはばたかせ、広い間口から天へと掛けていってしまった。
「待って!」
「美花?」
淡い紫の夕暮の中は優しげな神秘で、その天を黒ペガサスが駈けて行ってしまう。
テラスの欄干を掴んだ途端に手首を引かれ小さくなって行くペガサスが黒色の星になりかけて銀に光り、見えなくなった。
「突然どうした」
体を向けられ、ハッとしてカルデンを見た。
「無理よ……、やっぱり、無理なんだわ」
「美花」
彼女は冷たい声に身を凍らせ、カルデンの背後のフレンチ窓にいるマダムを見た。
「マダム」
彼女は進み、煙管の手を下げるとここまで来て美花から目を反らさなかった。
「貴女は絵画を完成させる為に彼といなければならないわ」
「何故ですか?」
「サルファルって……、貴女の心を惹きつけるサルフォリクスの間の事かしら?」
「………」
「夫人」
「いいのよ。何を素晴らしい絵画に重ねてもね。貴女が心の浮遊していた時期、わたくしに会いに来ていたわけでは無く絵画の幻想を求めてきていたなんて侮辱に他ならないけれど」
「違うわ」
「それでも嬉しくてよ。良い作品が多いでしょう? その素晴らしさの中に貴女も加えることになんの不思議もありはしないの」
手首を強く掴まれ、美花は震えて腕を解かせ走って行った。

 他意を含む声音は舘の白い壁まで薄紫色に染め上げる夕暮の中、マダムの鋭い顔つきを悪魔に思わせた。この広大な森を守っている彼女は自然をこよなく愛する女性だ。共に、恋愛感情にだけは蛇の性格で時に眼力という毒で麻痺させて来る。
絵画に描かれた美しい女達は誰だというのか、確かに一時は深い嫉妬を覚えたものだ。美しいマダムシャナに愛される絵画の中の女達は、それでも空想の中の人物達か一度も会った事はもちろん無く、描かれた時代も不明なコレクション廊下、階段、部屋の様々な場所に飾られ、彼女達の目は時に美花の心を苦しめた。その中で黒のペガサスだけは違ったことを覚えている。まさかマダムを大切に思っていないわけでは無い。
だが覚えた不安は絵画の中の彼女達の運命だ。以前、部屋で見た短剣は自棄に生々しかった。新しい絵画が加わった夜の事で、美花は二十一歳の年齢の時だった。どこか恐怖を覚えたのは幸せなマダムの声で、短剣を気にもとめずに美花にピアノを弾かせ、ワインに酔っていた。滅多に酔わないマダムは酔うと人が変わって猫撫で声になる。その対比が危険を感じた。
絵画に収めるですって? 昨夜、精神を穏やかにさせる儀式とはうらはらにマダムは怒っていた。心を鎮めるために行なった儀式だろうか。
二ヶ月に一回一週間の期間を訪れる美花は、一時期三年間をマダムのもとこの館にいた。その間、貴子がヨーロッパにいた事で二人だけに近かったが、稀に他の女達を多く引き入れる日もあった。その彼女達が絵画に描かれた事は一度も無かったが、誰もが黒髪の美しい女達だった。中には確かに染められた子もいたかもしれない。いずれもヨーロッパから来た者達で、一部が日本語かスパニッシュを喋れた。
美花はマダムに愛される絵画達を見回し、そして走った。
サルフォリクスの間にやってきた。
扉を開け放ち、一瞬安心して黒のペガサスを見た。進んでいき、今は鎖された黒ビロードの幕を引いて夕焼けを見た。優しい淡い紫に薄いピンクの染みる風景は森の上に広がり、サルファルはいない……。
引き返し、黒のペガサスの絵画を見上げた。
「………」
ふと、心配になった彼女は眉をひそめ、他に大小五点ある女達の絵画を見回した。
白馬にまたがる女、悪魔に魅入られた女、他には、剣を持つ黒い騎士の女、森の中で踊る裸体の女、雲の上で微笑む女の絵画だった。
恐る恐る歩き、いつも貴子が座るアームチェアの背後に飾られた森の中で踊る裸体の女の絵画額縁に手をかけた。
「止めておきなさい」
びくっとして振り返り、サルファルを見た。
「何故? 貴方は知っているの? マダムのコレクションは、どれも」
サルファルは背後に馬車を置かせてあった。馬車を取りにあの城へ向かったらしかった。おかしなもので、幻想なのか白昼夢なのか、しっかり段取りが決められて天の先の城に揃った物はいきなり館に現われはしない。
「お前を連れ去る」
「でも」
貴方は幻想であって、それは美花の最後を意味しないだろうか?
初めてサルファルに不安を覚えた事だった。彼は彼女のコレクションであって、マダムは何かの威圧感を示していたのだ。朝や昼、夜の儀式で何か暗示に掛けられてきた様子も無く彼女は来たというのに、まさか絵画の世界に閉じ込める為に彼等はいるのだろうかと思うと、悲しくてサルファルを見つめた。
「私は貴方を愛しているわ」
サルファルは深く頷き、彼女が絵画の裏を見る前に引き寄せた。永遠に連れ去る為に。
「信じているからこそ確かめたいの」
美花が腕を逃れ絵画の額を斜めにずらし、視線を上げ見上げた。
彼女は面を食らって白石で彫刻される女の顔を見た。絵画と同じ顔で、微笑んでいる顔はカメオでよく見かける感じで髪が広がっている。そしてレリーフの浮き出る深さが下がって壁はその石がはめ込まれていた。
「………」
美花は雲の上の女の絵画に駆けより、同じ様にその裏のレリーフを見た。微笑む女の顔の彫刻を。静かに戻し、サルファルを振り返った。
「貴方はどこから現れたの?」
佇むサルファルは堅い唇を開かずに、黒のペガサスに変わる事も無く、唯一壁に飾られずに三脚に掛けられている絵画だ。
ドンドンッ
「!」
いきなりの音に美花は短く悲鳴をあげ絵画を振り返った。
ドンドンッ
黒い騎士の女の絵画に駆けより、耳をそばだてた。
「いるの……?」
それがフレンチだろうか、その響きで聴こえ、絵画をずらしてレリーフを見た。
「あの、もしもし」
「マダム?」
「マダムシャナではないわ……」
美花は見回し、部屋を出た。廊下に来て、絵画に手をかけた。それが開いたのだ。
「ドア?」
今気付いたが、様々な絵画は一部室内と廊下と表裏一体に飾られていて、そしてよく思えば裏にある絵画同士の顔が同じだった。廊下の絵画は黒い騎士の女の場合、海を泳ぐ黒い尾の人魚だった。
ドアを開け、驚いて声を失いかけた。黒髪の女が裸体で縄で吊るされている。
鉄の横棒で両腕を、脚を枷で拘束され、その真っ白い背に黒髪は垂れ、また女は揃った両足で向うの壁を蹴った。
「あの」
女は黒シルクの目隠しで振り返った。鎖が傾ぎ、揺れている。
見回すと廊下から射す白い明りでレバーが見え、それを回した。徐々に女が降ろされて行き、彼女はフレンチの早口で何かを言った。
「スペイン語なら分かるんだけれど」
「あたしもよ」
「あなたはマダムシャナの?」
「彼女から買われたのよ。二年前に、一人恋人が居なくなったからと言われて」
暗がりに白く浮く体は純白の花の美しさで床に崩れる彼女が言い、鉄の棒に拘束されたままなので美花は目隠しを取ってあげた。
食事は与えられているのだろう、体は痩せていなくいい香りもする。髪も綺麗だった。
影が射し、振り返ると暗がりと光の間際にサルファルが居た。
こうされる前に美花を連れて行こうとしたのだろう事が分かった。
その背後を見て、硬直した。
「マダム。彼女を解放してあげてください」
「駄目。九十九人の恋人達の続きの夢をわたくしはこの舘で完成させるのよ。貴女の成長を待ちわびた甲斐があったというのに」
サルファルの身体をすり抜けてマダムが進んできて、美花の顎を引き上げた。
途端に、甘い香りがして強制的な眠りへ入って行った。

 五つの力の夢を見ていた。闇に五芒星が浮き、神聖な空気が流れている。
五つの自然の力で宇宙を巡り、戻って行く。巨大な安心に包まれる為に。
目を覚ますと、自分はカウチの上だった。裸体に黒シルクが斜めにかけられ、視線を上げるとカルデンが同様に半裸で腰にシルクを掛け黒豹の様に彼女の胴を四肢で挟み、あちらを鋭い目で見ていた。
暗がりに目を向けると、画家がキャンバスの向かっている。
動いた美花にカルデンは視線を向け彼女を見た。
これから自分も拘束されるのかもしれない。画家の横にある円卓上には、以前見た短剣が鈍く光っていた。
マダムはアームチェアに腰掛けている。
「………」
ここは、サルフォリクスの間だと気付いた。黒のペガサスは夜空をバックにした場所に移動され、今にも飛び立つ。今更連れ去られることは無理なのだろうか。このまま絵画も完成すれば壁の中に?
貴子はいない。奔放な性格の彼女は館にずっといる事も少なく、すぐに出かけていく。
「肘をついて、画家をご覧なさい」
静かなマダムの声に従い、彼を見た。
時間が静かに経過していく。無性に貴子のハープで気を紛らわせたくなり恐怖を脱ぎ去りたくなった。気が狂い掛けるこの瞬間は、絵画の中の彼女達の微笑みなど感じなかった。いつの時代に描かれたかは不明な絵画達は、その時代はそれは名誉なことだったかもしれない。コレクションにあわせた女達がマダムに壁に詰められて来たのだろう。
だが、新しく加わった絵画は黒のペガサス以外には無かった。マダムが何を今考えているのかは見透かせない。
疲れ始め、それをカルデンが察してマダムに言った。
「休憩を挟んでも?」
「ええ。お飲み物を持ってきて差し上げて」
陰の中にいた執事が動き、出て行った。
肘を崩して美花は口のクッションに頬を乗せ目を閉じた。
「モデルは疲れるでしょう。もうすこしリラックスして構えてもよろしいのよ。カルデンは慣れてるから良いのだけれど」
「彼は絵画モデルで?」
「ああ」
「貴子さんの恋人だとばかり」
「え? いや」
「あの子は殿方も愛するけれど、毎回不倫の関係ばかりよ。十も離れた年上の者達とね」
「初めて知りました」
首からペンダントだけが掛けられたまま、夢で見た安心の気配が無かったら取り乱していただろう。あの安堵の中で自然に朦朧としたまま過ごせた。心の中は今にも波にもまれかけたのだが、それも静かな感情だった。
彼女が五芒星を祀り始めたのは十五の年齢からで、この舘を囲む広い森を出歩いている朝方に彼女達の儀式を見たからだった。彼女は森を歩く事が好きで、緑を愛していた。鉢合わせる動物達はいつしか彼女を受け入れるかの如く見かけても自然に歩いて行った。十五の年齢は心にいろいろな感覚を浮ばせていた。これから先レズビアンとしての自分が社会に出て認められるのか、貴子との恋仲がずっと続く事は可能なのか。
精神を落ち着かせるためにも、マダムシャナは彼女に五芒星のペンダントをわたし、そして悩みがある毎に彼女は振り子で美花を占ってあげて来た。恋人の優しい母親であって、森のことに詳しくて、そこに住む動物達の生態も詳しく教えてくれた魅力的なマダムで、娘にハープを教える時のマダムは厳しく恐かったが、それ以外は本当に仲が良かった。
彼女はいつしか崇拝に夢中になり、貴子との精神の愛情も深めて行ったのだった。
彼女達の五芒星崇拝は自然界の力を強くする為の崇拝だ。自然を愛する心は貴子への精神愛情と共に高まっていた。
なので、貴子が日本へ帰って来た時再び愛し合えると思っていたのだが。
「さあ、三時間ほど休んで」
マダムは出て行き、彼女は追った。
廊下で引き止める。
「私も拘束を?」
「ええ」
「カルデンは」
「いいえ。彼は一モデルよ」
「サルファルが許さないわ」
「ペガサスね。夢で言って来たわ。閉じ込めるならば貴女を浚いに来るとね。安心なさって。絵画は大切にするわ」
マダムは歩いていき、美花は視線を落とし佇んだ。
身を返し、サルフォリクスの間に戻って円卓上の短剣を手にした。
「美花!」
走って行き、廊下に出た彼女は絵画に短剣を振りかざした。その手をきつく背後から止めたのが、サルファルだった。
肩越しに涙の目で振り返り、今まで自分が一時期でも深い嫉妬を覚えた彼女達自身が苦しんでいたことをしり呪縛を解いてあげたい願いと、はやり深い嫉妬が入り混じって流れた涙が溢れ、貴子を遠い地へ行かせたマダムへの怒りもあった。少女の時から貴子に惚れさせて、そして離れさせ、初めからマダムは美花を手に入れるつもりだったのだ。
サルファルが一瞬でカルデンの姿に変わり、短剣を奪われて引き寄せられた。
肩の先にマダムがいる。微笑んでいた。

 天井から吊るされ床に座り、掲げ拘束される手首があまり動かせずに美花は暗がりの中にいた。
サルファルはいてくれている。ずっと、静かに佇んでいた。
この狭い中で彼は黒のペガサスになることは無いが、目を閉じれば幻想は始まり彼女を天の先の城へと連れて行ってくれる。これからもずっと、彼女が待ちわびつづけたその時間が続くのだろう。
自分にはサルファルがいてくれて、黒のペガサスがいてくれて良かった。
ドアが開けられ、執事が入って来た。
「美花様。お食事のお時間です。その後、入浴も」
彼女は頷き、吊るされる鎖だけを外され連れて行かれた。
拘束が続けば、それを強いて来るマダム以外には見えなくなっていくのだろうか。ダルファるを失いたく無い。
初めて見た扉が開けられる。
多くの女達がそこにはいた。あの絵画の女達だろう。三名、顔に包帯が巻かれた女がいる。もしかしたら、絵画の女に似せて手術されたのかもしれない。
彼女達は思いのほか、様々な会話をしながら食事を進めている。互いに微笑みけしかけあったりする子達もいた。自由な時は自由なのかもしれない。マダムは好きにさせている風であちらで煙管をくゆらせレコードを聴いていた。
サルファルはどこだろうか。白昼夢は拘束されてから闇の中でよく見ていたが、離れれば見なくなった。
食事を用意され、三十人ほどが日本人だったので彼女達を見た。一様に他の白人の子達ほどはしゃぐ性質は無いのは分かっている。誰もがレズビアンである雰囲気を嗅ぎ取れた。手首に枷の痣が見受けられ、鎖の痕がついている。
「あなたは名前は」
「美花というの」
「あたしは麻貴。レズビアンの集いで声をかけられたわ。今は幸せな時。マダムが愛してくれるから」
陶酔した麻貴の目に、やはり美花はどこか嫉妬を覚える。絵画に重ねたものと同じだ。それは、やはりマダムから愛されるが為に強いられる拘束を幸せに思う女もいるだろう。
「あなたはどこで?」
「貴子さんの友人だったわ」
「恋人の言い間違いでしょう?」
少し離れた場所の日本人が言い、彼女が「私は理紗よ」と自己紹介した。
「私は貴子の恋愛遍歴知っているわ。よく教えてくれるから。ずっと美花という子と付き合っていたけれど、ヨーロッパで殿方を知って彼女を焦らす事にしたとね」
「まあ、マダムも貴子さんも意地悪だわ!」
美花が怒り、麻貴が笑った。
「今に至福の拘束に変るわよ」
食事の後は美しい大浴場で彼女達は泳ぎ始めた。今日は疲れた美花は湯の中でウトウトし始め、眠りに落ちていく。
また始まる。黒いペガサスへと変わるサルファルとの幻想の時間が……。それが、彼女の至福の時間だった。
ゆらゆらとゆらめく中、女達のはしゃぐ声が石の空間に響き、徐々に遠ざかっていく。
蹄が近付き、ペガサスが現れ美花を連れ去っていき、天へと駈けていく。
もう、離さないでもらいたい。サルファル。揺れ動きつづける心を一筋であるサルファルだけのものにされたい。優しげなペガサスの瞳を見つめ、背を折って振り向いた頬にキスを寄せた。
鬣に頬を預け、再び宇宙に取り巻かれ城へと向かって行く。
もうこの夢を忘れることなくいればいいのに。目覚めても、闇の中でも、サルファルがいてくれる。
「起きて。森を散策する週の日だわ」
「眠っていたいのに」
まだ起きたくは無い。それでも女に起こされ、幻想が仕舞われて行く。
「言われているの。あなたは放っておくとすぐに絵画のペガサスに逢いに行くんだって」
従って目を開き彼女は頷き、湯船を出て歩いて行った。
森をサルファルと歩きたい。今に現れるだろう。黒ペガサスの姿でも、サルファルの姿でも。
薄い衣を着て彼女達は歩き、森を歩いて行く。中には元気に玉を蹴りながら走っていったり、テニスのラケットを振っていたり、まさかのシャドーイングをしながら歩く子もいた。新体操でもしていたのか、側転で進んだりと様々で運動をここぞと求めている。
太陽が透かす森の中はどこまでも続く。サルファルはいた。少し離れた所を歩いている。緑の木漏れ日を受ける横顔は美しく、陰が射しては指先に葉を触れ合わせ光っている。
彼女は嬉しくて微笑んだ。
向うにある泉は近くに儀式の場所があるが、そちらには向かわないらしい。それと違って石で出来た小さな建物があるのだが、そこには儀式に使う品が置かれている。
白く薄い衣の袷から覗く五芒星を理紗が見た。
「あなたは元々貴子と崇拝をしているのね。彼女は今回舘を訪れたのかしら」
「儀式を行なったわ。でも、見ないわね」
「またあなたが舘の女になったから、他の恋人を探すのかしら。でもね、マダムの女達は貴子の女でもあるから」
「まあ、それで知っていたのね」
「娘は母に似るのよ」
彼女達も二ヶ月に一度、崇拝に加わると言う。この森に連れてこられて美しさに魅了され、今更逃げる気が無いらしく拘束されていた事は覗えなく伸び伸びした風だ。
「今に楽器を教わるのではないかしら」
麻貴が踊りながらやってきた。歌を歌う子もいて幸せな顔で緑を見ている。
「半年に一度舘から演奏の為の出るわ。それや皆で草原に乗馬へ向かったり、舞台での踊りの為に出るの。年に二度の大きな崇拝の時期もね」
「安心したわ。貴女達、閉じ込められてばかりでも無いのね」
「マダムは優しいの。何か言えば車でどこかに連れて行ってくれる。時々はね」
それでも普段の拘束はやはりきついのだろう。
向うを歩くサルファルはマントを外して腕に掛け、長い髪をまとめていた。岩のある所で立ち止まり座って彼女は彼を見ていた。なにやら甲冑を外して枝にかけていっている。思いのほか逞しい腕が現れ黒の墨でケルティックな入墨が綺麗に彫られていた。身体に密着する黒い革のノースリーブは深いVの肌に鍛えられた胴を覗かせ、群青色の石のペンダントが下がっている。それは黒いペガサスであって、目がサファイアで光っていた。
腰からも甲冑を外すと鉄の脚当ても幹に立てかけ、黒いパンツの腰に剣を挿し戻した。
彼が振り返ると美花を見て言った。
「甲冑は昼は暑くてね」
美花は思わず吹き出した。もしかしたら、ペガサスに戻ると羽根が無い黒馬になっているのだろうか。
彼は歩いていき、甲冑はすうっと白銀の粉になり消えて行った。
小鳥達が囀る中、デートをする感覚だった。彼がいてくれる。彼の幻想と居られて森を出歩けるのなら良い……。

黒いペガサス

黒いペガサス

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-25

Copyrighted
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