亡霊(まぼろしシリーズ)
亡霊
ドアを開けて入ったクレムリンの大統領執務室は、いつになく薄暗かった。
クークラ報道官は「ソチ・オリンピック」に向けた、国民への大統領メッセージを受け取るために部屋の中に入った。
そこにはVやMなど、P大統領お気に入りの側近たち数人が、テーブルを囲んで座っていた。
「クークラであります。大統領のメッセージをいただきにまいりました」クークラは一礼をして言った。
「あぁ、草稿はそこのテーブルの上に置いてある」大統領補佐官のSはそう言った。
「はっ!ではいただいてまいります。S補佐官」
クークラは大統領のメッセージの草稿をテーブルから取り、小脇に抱えると大統領執務室を出て行こうとした。
「ちょっと待ちたまえ、クークラ君」後ろからP大統領の声がした。
「はっ!何でありましょうか?大統領閣下」クークラは立ち止まって、大統領の方に向き直った
「婚約したそうだね。クークラ君」
「はい!暖かくなったら結婚式を挙げる予定でおります」
「そうか、それは良かった。何かお祝いをしなきゃならんな」
「はっ!私の様な者にお気を使っていただき、ありがとうございます。大統領閣下」
クークラは、P大統領に深々と頭を下げると、クルリと踵を返して再びドアの方に向かって歩いた。
ふと気がつくと、大統領執務室の壁に「ハーケンクロイツ」が掛かっているのが目に入った。
(ロシア国旗じゃなくて、ハーケンクロイツか…?悪趣味だな~、大統領も…)彼は苦笑いしながら部屋を出た。
数日後、P大統領の臨席の元に「ソチ・オリンピック」は華やかに開催された。
それからしばらく経ってから、クークラは部屋に鳴り響く電話のベルで眠りから覚まされた。
オリンピックが始まってから何かと忙しく、昨夜も夜勤だったので、お昼過ぎまでぐっすりと眠っていたのだった。
(誰だろう?…ワーニャかな?)眠気まなこをこすりながらベッドから出ると、彼は受話器を取った。
「はいっ、クークラですが」クークラは言った。
「ビクトル、ビクトルなの?ワーニャが…ワーニャが死んだの」それは婚約者ワーニャの母親の声だった。
「何ですって!ワーニャが死んだ?」クークラは驚きの余り、思わず受話器を落としそうになった。
「今朝早く、家の前の道に倒れて死んでいたの。てっきりあなたの所に居ると思ってたけど…」
「ワーニャがお母さんに内緒で泊りには来ないでしょう。それに昨夜は、僕は夜勤だったし…」
「そうね。おかしいな?とは思ってたんだけど…」
「今、どこにいるんです。警察ですか?」
「いぇ、病院よ。今さっきワーニャの検死が済んで、これから教会に運ぶところなの」
「死因は何だったんですか?」
「失血死ですって…体の血が半分くらいしかないって」
「そんな馬鹿な!?一昨日会った時は、血色も良くて元気だったのに…」
「ともかく、すぐに教会に来てちょうだい。ビクトル」
クークラがモスクワ郊外にある教会に行くと、すでにワーニャの家族や、知らせを受けた友人たちが集まっていた。
どうやら、ワーニャの遺体はもう棺の中に入れられ、祭壇の前に安置されているらしかった。
礼拝堂に入って来たクークラの姿を見たワーニャの母親が、涙を流しながら彼に駆け寄って来た。
「あぁ…ビクトル、ビクトル」
クークラはしっかりとワーニャの母親を抱き止めた。そして、彼女の肩を支えながら棺の前に行った。
棺の中には、白いドレスに包まれて身を横たえたワーニャの遺体があった。
顔は青白かったが、まぎれもなく、あの愛しくて可愛いワーニャだった。
「信じられない。なぜこんな事に…」クークラは呆然と立ちすくんだ。
「ねぇ、ワーニャ。貴女のビクトルが来てくれたわよ」
そう遺体に語り掛けると、母親は棺の前で泣き崩れてしまった。
クークラは愛おしそうにワーニャを見た。首筋に小さな傷がある以外は、まるで生きているように思えた。
そして、じっと彼女の遺体を見つめていた彼も、悲しみの余りとうとう頭を抱えて崩れ折れた。
その翌日、クリミア愛国自警団に化けたロシア軍は、クリミア半島を占拠した。
ワーニャの死に深いショックを受けたまま、大統領執務室に呼ばれたクークラは、ドアの前で立ち止まった。
話し声がする所をみると、どうやらP大統領と側近たちが、テーブルを囲んで何やら会議を行っているらしかった。
彼が僅かに開いたドアの隙間から覗くと、部屋の中はこの前よりも遥かに暗かったが、数人の側近たちの姿があった。
「どうやら、計画は順調に進んでいるようだな」P大統領が言った。
「しかし、ズデーテン併合の時のようにすんなりとは…早晩、アメリカやEUが横槍を入れて来るのでは…」
「思い出したよ、ズデーテンの時はチェンバレンが『遠い外国の事だ。そちらのお好きに…』と言いおった。笑ったよ」
「心配は無い。オバマは口だけの腰抜けだし、EUは烏合の衆だ。言うだけで何もしては来んよ。ヒムラー君」
「まぁ、ローゼンベルク閣下がそうおっしゃるなら…」
「この時のために時間を掛けて同士を増やし、ナショナリズムを煽って来たんだ。前回のような失敗はしない」
「そうだな。ゲッペルス君の言う通りだ。今回は、我々は充分に時間を掛けて権力体制を築いて来た」
(ヒムラー?ローゼンベルク?ゲッペルス?どこかで聞いたような名前だ。誰だろう?大統領と話しているのは…)
クークラは何か異様な雰囲気を感じて、ドアの前に立ったまま部屋の中に入れないでいた。
「アメリカやEUは口だけとして、中国はどう出て来ますかね~?」
「心配は無い。やつらもチベットやウイグルなどの民族問題を抱えている。我々の行動には賛同するだろう」
「そうそう、その民族活動家とやらの中に、我々が同士を紛れ込ませている事も知らないでな」
「クリミアやウクライナが片付いたら、次はいよいよヨーロッパですな」
「いやいや、ヨーロッパはまだ時期尚早だ。まずは中東とアジアからだな」
「中東はアメリカがのさばっている。だいぶん地元の不満が鬱積しているからな…手頃な獲物だ」
「東アジアは、もうしばらく中国にいい顔をさせておけ。アメリカへのけん制にもなるしな…」
「いずれ中東を制覇したら、飲み込んでやるさ…日本もな」
余りにも恐ろしい内容の話をドアの外で聞いていたクークラは、思わず後すざりした。
途端に、手に抱えていた書類が床の上に滑り落ちてしまった。
バサッ!と言う音が、クレムリンの廊下に鳴り響いた。
「誰だっ!外にいるのは」S大統領補佐官の威嚇するような声がした。
「はっ!クークラであります。お呼び出しを受けてまいりました」
クークラは、あわてて廊下に落ちた書類を拾い集め、冷静さを取り繕いながら言った。
「何だ、クークラ君か。入りたまえ」S補佐官が、クークラを部屋に招き入れた。
クークラが、ドアを開けて薄暗い部屋に入ると、P大統領が声を掛けて来た。
「よく来てくれたクークラ君。この度は気の毒だったねぇ~」
「はい、お気を使っていただきありがとうございます。大統領閣下」
そうは言ったものの、彼はP大統領のお悔やみの言葉を、なぜか不審に思った。
(ワーニャの事は、まだ誰にも話していないはず…なぜ、大統領はワーニャの死を知っているんだろう?)
「まぁ、遠慮せずに、そこに掛けたまえ」
P大統領が、側近の間の空いている椅子を指差して言った。
「はいっ!」
クークラは、P大統領に言われるままに、その椅子に腰掛けた。
「クークラ君。どうやら、君は我々の話を聞いてしまったようだね」P大統領が言った。
「いぇ、そのような事は…私はただ」クークラは少しばかり狼狽した。
「まぁ、いい…いずれ君にも話しておかなきゃならない事だ」
「はっ!何でありましょうか?」P大統領にそう言われて、クークラは姿勢を正した。
「1911年の事だが…ルーマニアを旅行中のオーストリアの画学生が、ある洞窟の中から一つの棺を見つけた」
「1911年ですか?…100年以上昔の話になりますね~」
「棺の中の遺体は朽ち果てていたが、中には美しい宝石が入っていた…そして、その宝石は生きていたのだよ」
「はぁ?…宝石が生きていたのでありますか?」
「美しいものに目が無い画学生は、その宝石…いや、その生き物を手に取った」
「画学生は、その宝石を盗んだのでありますか?それとも何か生き物を…私には何がなにやら?」
「分からんかね?クークラ君。その画学生が誰だったのか?」
「はぁ、私にはさっぱり…?」
「後のナチス総統、アドルフ・ヒットラーだよ」
「アドルフ・ヒットラー!…ですか?」
クークラが見上げたP大統領のデスクの背後には、高々とハーケンクロイツが掲げられていた。
「そうだ!そして、人間に寄生して生きるその美しい生物は、血液中のアミノ酸を摂取する。それも大量にだ!」
「何と恐ろしい!そんな生物がこの世に居るなんて…」
「寄生された人間は、その生物に血液中のアミノ酸を取られる。だから疲れてしまって長い間眠らなきゃならん…そうして、目が覚めたら、他の人間の血を吸うために出掛けて行くのだ」
「まるで、伝説に聞く吸血鬼みたいですね~」
「1945年、ベルリンでヒットラーの遺体を見つけたソビエトは、傍らにあったその宝石を持ち帰った」
「そんな恐ろしい生き物をロシアに持ち帰ったんですか?」
「そうだ。そして…その宝石のように美しい生き物は、今私の中にいる。ここにいる他のみんなの中にもね」
「まさか!ワーニャを殺したのはあなたか?」
「やっと気が付いたかね…ウクライナのヤヌコビッチは素材が悪すぎた。だが君は頭も良く、我々の同士にするのにとても相応しい素材だ」
そう言うと、P大統領は椅子から立ち上がって、ジワジワとクークラに近づいて来た。
「いやだっ!僕はあなたの同士なんかになるのはいやだっ!」
「不死の体になれるんだよ。金も手に入る。権力だって…私のようにね」
クークラは、差し出してくるP大統領の手を振り払って、部屋の外に逃げ出そうとした。
だが、ドアはガチャリと閉じられた。
「開けてくれっ!誰かドアを開けてくれ~!」クークラは懸命にドアを叩いた。
「無駄な事はよしたまえ。クークラ君」
ニヤニヤ笑いながらそう言ったP大統領の顔は、まさにあのファシストの顔だった。
周りに居た大統領の側近たちが、ドアを背に呆然と立っているクークラを、取り囲むようににじり寄って来た。
それは、あのナチスのゲッベルスであり、ローゼンベルクであり、ヒムラーやゲーリングやデーニッツだった。
「いやだ!いやだっ!やめてくれ~!」
意識が朦朧として行く中で、クークラは虚しい叫び声を上げた。
それから数日後、P大統領は、クリミア半島を完全にロシアに併合した。
クークラ報道官は、集まって来たロシア国内外の報道陣を前に、P大統領のメッセージを読み上げた。
「これは我が愛するロシアの正義であり、ロシア国民の愛国的勝利である」と…
遠い外国の事件だと思っているあなた。
もうすでに、何かがひたひたと道をやって来ているかも知れません。
手遅れにならない内に、何とか・・・
※ この小説は異世界の出来事であり、実在の人物・国・地域とは何ら関係はありません。
<作品の背景>
1938年、ナチスドイツがズデーデンを強引に併合した時、欧州列強はドイツの行為を黙認、アメリカは傍観いたしました。
これに勢いを得たナチスドイツは、東ヨーロッパ諸国を次々に併合し、やがてその牙をフランス・イギリスに向けたのです。
傍観していたアメリカが重い腰を上げた時は、もう遅きに失していました。さて、今回はどう言う事になるのでしょうか?
どんな時代においても、ナショナリズムを背景に台頭して来るファシストは恐ろしいものです。
今は亡き 金城哲夫先生を偲んで…
第三話(完) 第四話は(http://slib.net/30072)にて公開
あとがき 「二人の偉大な先生への思い」
<魔法少女まどか☆マギカの作者「虚淵玄氏」もくぐった異世界への門>
昭和の時代「円谷プロダクション」に在籍していた私は、企画室で行われている討議が気になって仕方なかった。
それで仕事の合間を縫っては、自分で考えた「作品のプロット」などを携えて、しばしば企画室を訪ねる様になった。
当時の企画室は「金城哲夫先生」「上原正三先生」を始め「佐々木守先生」「市川森一先生」などのそうそうたる脚本家の方々が顔を連ねていた(Wikipediaで検索すれば、どれほど凄い人達だったか分かります)
そんな方々は、恐いもの知らずの若造の話を「君の発想は斬新だね~」「そのネタもらった」などと面白がって聞いて下さった。
今でも忘れはしないその日の事を…私は金城先生の所へ、自分で作ったプロットをお見せしに行った。それはこんな話だった。
<古代の地球には、別の種族が住んでいて平和に暮していた。今の人類はその種族に侵略戦争を仕掛け、強引に地球を奪ってしまった…以下は長くなるので省略>
そんなプロットだったが、金城先生の目が急にキラキラ輝き出だしたのを、今でもはっきりと覚えている。
私は「人間の醜い欲望」を描いたつもりだったが、先生は、幼い頃体験された「日米に蹂躙された沖縄の悲劇」に重ねられた様だった。
私のプロットは、先生の手によって「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」として脚本化され、シリーズの中でも、高い評価を受けた事は嬉しかった(他にも色々あった様な気はするが、はっきり記憶に残っているのはこの作品)
「人類の側を悪役にした物語」は、当時は無かったらしく、どうやら私が最初の発案者だったようだ。
金城先生の故郷「沖縄」は古来より、度々日本人(ヤマトンチュー)の侵略を受け、太平洋戦争では本土の盾にされ、悲惨な目に遭った(今現在も、なお本土のツケ(米軍基地)を払わされている)
先生の母上は、戦争の戦火に巻き込まれて足を失われ、不自由な体で先生を育てられ、東京へ送り出された偉大な母君であられた。
後に金城先生は、その天才的な発想で「円谷プロダクション」の名を一躍世に高らしめた「ウルトラシリーズ」の原作者となられた。
そして、政府主催の「沖縄海洋博覧会」の企画委員に選ばれ、沖縄と本土の架け橋となるべく活動の最中に、若くして事故死されてしまわれた事が残念でたまらない。
一方の上原先生は、鬼才とでも呼べる様な方だった。正義感が強く、舌鋒鋭く、秀でた才能で理不尽な不正や悪を糾弾された。
胸を患っておられる中で執筆されながら、それでも、ヤマトンチューの子である私の拙い駄文に目を通して下さった。
後に「仮面ライダー」や「ゲッターロボ」など、たくさんのヒーロー物の脚本を書かれ、多くの少年・少女達に正義を教えられた。
余談だが、私の在籍中に先生は「円谷プロのマドンナ」とも言われた大変美しく可愛い女性(お名前は伏せる)と結婚された。
ご自身も日本人離れしたイケメンで、お似合いの美男・美女のカップルだった。
今にして思えば、東京の砧にある「円谷プロダクション」は「異世界への門」が開かれている様な雰囲気のする不思議な空間だった。
当時から脚本家や監督さん達を始め、スタッフの方々には、どこか浮世離れしたコアな人々が多かったのを覚えている。
一世を風靡した「魔法少女まどか☆マギカ」や「Fate/Zero」の作者「虚淵玄氏」も、若き頃「円谷プロ」に居たそうである。
「ははぁ~、貴方もあの「異世界への門」をくぐってしまった一人か」と思った。道理で妙に同族の匂いがするはずだ(笑)
待てよ?そうなると虚淵さんは、言わば円谷プロの後輩…と言う事になる(こんなだらしのない先輩が言うのも申し訳ないが)
「ならば、毒を喰らわば皿まで…一人でも多くのファンを「異世界」に引き込み、我々の同族をたくさん増やしていただきたい」(笑)
虚淵玄先生の「金城哲夫」「上原正三」両先生を超える今後のご活躍を、心からお祈りさせていただきます。
沖縄で生まれ、幼い頃に悲惨な戦争を体験された両先生ではあったが、その後の姿勢は、まったく違っていた。
権力や戦争の悪を徹底的に糾弾していく上原先生と、それでもなお、それを許し更生させようとする金城先生。
悪は斬るべきか?斬らざるべきか?許すべきか?許さざるべきか?私はいつも両先生の心の狭間で揺れ動いている。
ファンタジーあり、SFあり、ホラーあり、様々な要素を含みますが、作中にある両先生の心を汲んでいただければ幸いです(作者)
亡霊(まぼろしシリーズ)