
万花物語 掌編集
原口光陽
珠玉の超ショートストーリー集・上 #1-30
万花物語 ・上(#1 ~ #90)
~短編フィクション拾遺集~
---------------- 目次 -------------------
●自己管理できる人 ●円満な家庭
●未来のアナタ●過去に戻っても・・・・・・
●すれる靴●ところてん
●平常心で臨め ●程々の極意
●行列のできる優勝セール ●鏡の向こうの世界
●伝統の秋祭り ●松茸尽くし
●全学全入時代の生徒達 ●神様お願い
●笑いの本質●ID新システム
●どこかで誰かが●小よく大を制す一例
●風まかせの世界一周●ウキウキ一泊旅行
●相性の悪い恋人達 ●長すぎる髪の女
●スケベなオヤジ ●南の島を守れ!
●季節はずれの幽霊 ●寂しがり屋の宇宙人
●壊れたプリンター ●いじめの方程式
●井戸端会議が・・・ ●お人好し一家
●悩みなんてサヨウナラ ●テレビって・・・・・・
●朝日と共に ●輝く半月 ●光る流星群
●明るい庭の花 ●開眼(かいげん)
●着力教室 ●昆虫パラダイス ●渋滞バス
●丸いものは皆まわる ●秋よ早く来て!
●くず餅惑星 ●台風 ●調理ロボット
●早起き男 ●ラジコン網 ●快適温泉
●汗かき男の一日 ●例の癖 ●示談
●ハローワーク ●クラインのツボ
●月無し夜 ●湿気ない日本●馬鹿がなくなる
●日本歴史 ●もし税金がなかったら
●もし訛りがなかったら●もし毛が伸びなかったら
●醤油とソース以外に●もし虹がなかったら
●患者を呼び込む医院 ●四季なし列島 ●十手観音
●もし明日がなかったら ●汗は掃除機
●一日が二日分 ●涙は宝石?
●白蛇昇天 ●1年後の桜の下で
●うまくいかない世の中は・・・ ●女傑
●剽窃横行A大学Y教授―ある事務官の談話
●六軒狼留聖婦反徒 YES/NO?
●極致のクレバス ●天才ホット・スポット ●賢女乱行
●人には添うてみよ、馬には乗ってみよ
●宗右衛門町でサヨウナラ
●ある家族のクリスマス ●師との邂逅
●幸福を呼ぶ傘
●禁断!!尚学生に誘惑の罠
●夜更けのプリマ ●醒めたら周回遅れ
●異摩人~イマジン~ ●車いすのF1レーサー
●暗路射光の女神 ●東京摩天塔
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第一部(#1 ~#30) (配布時期:2012・03・01~)
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●自己管理できる人
その人は、時々、何がどこにあるのか忘れてしまう人だった。それでも大事な物の場所はきちんと覚えていた。いわゆる自己管理できる人だった。
ある日、友人Aが訪ねてきて、友達Bの電話番号を聞かれた。個人情報の保護のため、その人はBがAの知り合いかどうかよく聞いてみた。すると、三年前からの知り合いだということで、その人はBの電話番号をAに教えた。
こんな具合に、今や住所や電話番号は開示か非開示か、その人の裁量に任される時代であった。これも自己管理をきちんとしないといけないものである。
その人は手作業で、名前と住所と電話番号を書いて覚えていた。
しかし、それらを忘れてしまうのでパソコンで管理して、印刷して電話の横に貼っておいた。しかし、その人の年齢からいっても、入院する人もいて、絶えず更新が必要であった。かといって、実家の電話番号を消すこともできず、更新前と更新後の二種類を作った。
ある日、友人のC氏が入院したので、入院先の電話番号を聞いて、住所録を更新した。しかし、C氏は一週間に一度は外出して実家に戻るので連絡がとりづらかった。結局一ヶ月で退院したC氏は、その人に、
「おかげ様で退院できました。どうもお世話をおかけしました」
と電話でお礼を言った。
その人は、
「本当に良かったです。我々にもよくあることですからね。気をつけないと。それで更新前の住所録の通りでいいんですね?」
と言うと、C氏は
「息子夫婦の方に移りました。電話は・・・・・・に変わりました」
と言った。その人は困って三枚目の住所録を作らねばならなかった。
個人情報の管理も大変である。
●円満な家庭
その夫婦は結婚して、子供を育て、円満な家庭を築こうと思っていた。
しかし、現実は厳しかった。新居の家賃を払うのもやっとで、細かいことをお互い言い出すと一歩も引かず、すぐに喧嘩(けんか)になった。それでも、子供の成長を願う親心は二人とも持っていて、子供がいるから喧嘩しても夫婦関係はなんとか保たれていた。
「あんたは考え方が古いのよ。これだから役人の女房は苦労するのよ」
と妻は言うと、夫は
「新しい考え方に達するまでには、その過程があるだろうが。歴史を学ばないと過ちを繰り返すことになるんだぞ」
と反論した。
「じゃあ、どうして新しい考えを受け入れないのよ?時代に合った考えが一番大切なのよ!」
「時代に合った考えって何のことだ?」
「世界遺産を守る、とか、夫婦別姓を受け入れる、とか、ES細胞で新しい臓器を作る、とかよ」
「難しいことを言うなあ。そういう新しい動きに同調しろ、ということか?」
「そうよ。新聞にも書いてあるでしょ?」
「そりゃそうだが・・・・・・。でも昔からの伝統を守ることも大事だよ。温故知新で、昔の考えから新しい発想が生まれるんだから」
「そんなことは無いわよ。新しいやり方は、古いやり方を真似たりしないものもあるわよ。企業買収なんて新しい発想は、インターネット社会から生まれたマネーゲームなんだから」
「・・・・・・」
「とにかく、私は新聞をよく読んでいるんだからお金の管理は私に任せなさい」
「わかったよ。君の考えに合わせるよ」
かくして幾つものハードルを越えて、その夫婦は円満な家庭を築いた。
●未来のアナタ
未来のアナタはどんなヒトですか?先の事は神のみぞ知ることですが、五年後、十年後のアナタはどんなコトをしていますか?きっと誰もが幸せに暮らせるように、今を生きていますか?
そのパンフレットにはそう書いてあった。ある宗教のよくある文句を並べてあった。信仰でしか今を生きられない人々の多いこと、多いこと。結局は宗教が対立して摩擦を起こすことを彼らは分かっていないのだ。それを歴史で学んだある青年は無宗教こそ一番だと悟っていた。
その青年は、
「未来なんて誰にも分からないのに、未来の自分へ投資しろ、だの、保険をかけろ、だの、よく言うぜ」
と言った。青年は一ヶ月の予定表を予定通りこなすだけだった。
「神様なんて作りごとの世界にはオレは関係ないね」
そう言うと、友達は、
「先祖の霊を崇(あが)めることは別に悪いことじゃないんじゃないか?」
と反論した。
青年は、
「それくらいはオレもやるけど、それを宗教に結び付けて金儲けをしている団体があるだろう?それが彼らの常套手段なんだ」
そう言うと、友達は黙ってしまった。
青年は、
「現世が幸せであればそれで良い。何も金を集めたりするような連中にはかかわらない方が良い」
と言った。
しかし、現実には、現世が幸せでないヒトも多いのが事実なのだ。それにつけこむ人々も少なくないのが現状である。
●過去に戻っても・・・・・・
その人は毎日が辛かった。仕事も家庭も上手くいかなかった。趣味も散歩に出るぐらいで大したものではなかった。
そして、いつも迷うのであった。迷った結果、行った方向に歩き出しても、やっぱりあの時違った方向にいっていればよかった、と後悔する毎日であった。
しかし、世の中にはそんな人はごまんといるもんで、別に普通に生活しているように見えた。
そして、時々、
「ああ過去に戻れれば、あの時ああすれば良かった」
とクヨクヨするのであった。
そんな時は、女房が、
「そんなこと言ったってしょうがないでしょ。過去に戻っても、きっと同じ選択をすると思うわよ」
と言って、
「男ならクヨクヨせず力一杯生きなさい」
と励ましてくれるのであった。
すると、男も、
「確かにその通りだ。お前の言うことが正しい。過去に戻れることなんてあり得ないし、自分が選んだ道だから後悔してもしょうがない。これから気をつけていけばいいんだ。過去の失敗は、未来への成功の基だ」
とマイナス思考をやめた。
そして、明日からは別人のごとく、力強く生きるのであった。
そして、仕事も家庭も上手く行くようになり、好きな散歩でストレスを解消して悩みも減っていった。
その人は、その人の女房と同じく、プラス思考になった。
そして、ようやく自分が他人からどんな評価を受けているか分かってきた。困った時は、上司以外の仲間に相談した。そして、普通に人生を送っていった。
●すれる靴
その男の履く靴はいつも擦れていた。すれる靴を男は愛用していた。擦れるのは男の歩き方に問題があったからである。
どこへ行くにもその靴を履いていたため中流階級と思われた。どこの店でも、靴でその人の財力を見抜く、といわれるように、その男はすれてない靴も持っていて、彼女とデートするときだけそのすれてない靴を履いた。
ある日、男は彼女に注意された。
「あなたの歩き方ってがに股なのね。それだと靴が擦れるわよ」
「ああ、そうだったのか。だからオレの靴は擦れていることが多いんだ」
「私みたいにきれいに歩きなさい。こういう風に」
と彼女は言うと、モデルのような綺麗な歩き方をした。
「わかったよ。君の歩き方を参考にするよ。ご忠告ありがとう」
男はそれ以来、歩き方を変えて、正しい歩き方を身につけた。
それからというもの、男は、買った靴を履いても擦れる靴は無かった。
そして、彼女とも、擦れ違いは無かった。
やがて、男は彼女と結婚して、女の子ができた。男は子供に正しい歩き方を教えた。そのお陰で子供は美脚になって、モデルになった。そしてたくさん彼氏ができたが、
「結婚するなら、靴を見て、癖の無い綺麗な靴の持ち主と結婚しろ」
と諭(さと)した。その女の子は父の教えを忠実に守り、綺麗な靴の持ち主と結婚して幸せになった、という。
●ところてん
その人は関東生まれの関東育ちで、関西には行ったことがなかった。たまたま、部長の指示により、関西へ出張した。
昼は、ダイエットをしているので、喫茶店に入ってメニューを見て何か軽い食事を取ろうと考えていた。丁度、季節柄、心太があったのでそれを頼んだ。
「やれやれ、やっと一息つける」
と言うと、おしぼりで顔を拭(ぬぐ)った。
しばらくして、心太が容器ごと運ばれてきた。中に心太の塊が入っていたので、突き
棒を押してみると、綺麗に心太ができた。
さて、いざ食おうという時に気付いた。何と黒蜜ではなく、辛子(からし)醤油が添えられたいたのだ。関東では、心太は黒蜜と決まっていたから、その人は驚いた。
しかし、自分が注文したものだから仕方ない。
「何だ、黒蜜じゃないのか。ダイエット中だから何かの嫌味か?」
と思ったけれど、いまさらメニューを変えるわけにもいかず、かといって生で心太を食うわけにもいかず、渋々、辛子醤油で食べてみた。
「関西人は変わっているなあ、心太みたいなデザートを辛子醤油で食うとはなあ」
心太に限らず、関東と関西では、風習がまるっきり違っていることが多い。江戸時代の風習がそのまま残ってしまっている、といった所だろうか?同じものでも呼び名が違うことは勿論(もちろん)、やり方も違うのだ。
それはともかく、その人は、当惑しながら心太をつるりと平らげて、今度ダイエットに成功したら、絶対ホットケーキを頼もうと思って、帰りの新幹線に飛び乗った。
●平常心で臨め
その生徒は、テストの出来具合の波が大きかった。簡単だな、となめてかかった所を間違えて、慎重に行かなきゃ、と用心した所は正解した。
ある日、テストの波に気付いた担任の先生は、
「テストでもそうだし、何事も、平常心で臨め」
とアドバイスした。
生徒は、先生に言われて初めて、自分の心が揺れ動くから、テストの成績に波があることを知った。
それ以来、何事も平常心で臨むよう心掛けた。平常心でいられるよう、まずリラックスするようにした。テストでも部活でも、力を入れすぎずに普通に挑戦した。
その結果、大体は八割方うまくいった。平常心だけではいかず、感動したり、好奇心をそそられたりする事もあったが、自分の自我が大きく変わることはなかった。
お陰で、先生の勧めもあって大学に行かず、高卒で企業に就職したその生徒は、周囲の意見に惑わされることもなく己(おのれ)の人生を突き進んだ。仕事でミスをしても、あわてずによく考え直して正解にたどり着いた。そんな平凡な生徒にも彼女ができた。高校時代の友達の友達だった。
友達は、
「俺の片思いの女なんだ。お前なら両思いになると思うよ」
と言った。
彼女は、
「あなたの平常心が素敵ね。波を砕く岩のように逞(たくま)しいわ」
と言った。
そして、二人は無事結婚して平凡な家庭を築いた。人生山あり、谷あり、というけれど、彼の場合は例外で、小さな山と小さな谷が数回あるだけであった。これもひとえに、担任の先生の言葉のお陰であった。
●程々の極意
その学生は、程々の極意を知らなかった。やりだしたら、やりっぱなしで、終りを知らなかった。何事にも限度があるのに、誰もそれを彼に教えなかった。
「今日も朝から頑張るぞ」
彼は意欲に満ち満ちていた。
そして、昨日と同じように、中途半端な結果しか出せなかった。彼はそんな些細なことで悩んだ。
――なぜ、俺には自分の描いたとおりの事ができないんだ?
しかし、それは誰しも経験することで、思い描いたことがその日のうちに全部できたら明日やることがなくなってしまうものである。
それにやっと気付いたときは、彼は孤独な人間になっていた。
「今日も程々でいこう」
彼は、少しルーズになってみた。
すると、彼の周囲の人間関係は上手く回りだして円滑になった。お陰で、彼女もできし、周りからいい奴だと誉められた。
彼は思った。
「これが程々の極意ってやつか。人生も学業も仕事も程々が一番だ」
彼は彼女に尋ねた。
「君は、僕と将来パートナーになるつもりはあるかい?」
「ええ、あるわ」
そして、二人は学生結婚をした。
そのまま就職して普通に出世街道を歩んだ。
そして、普通に定年を迎えて、子供たちも巣立ち、普通の老夫婦となった。
人間万事程々が一番という話だった
●行列のできる優勝セール
その百貨店の、ある階は非常に混んでいた。なぜならその百貨店のグループの野球チームが優勝したからだった。優勝して、ファンサービスの一環として、優勝セールを行なった為であった。熱烈なファンは、普段目に見られないものが売っていると聞きつけて、セール期間中の日曜日に殺到した。
「おー、すごいなあ。行列のできる優勝セール、とはこのことだ。どれぐらい行きそうだ」
と部長はヒラ社員のツジモトに聞いた。
ツジモトは、電卓を叩いて、
「一人三千~五千円買うとして、ファン十万人とみて、三億円は固いでしょう、部長」
と言った。
部長は満面に笑みをたたえて、
「そいつは、すごい。すごい。オレの給料も大幅アップだ」
と言った。
「部長、わたくしツジモトの給料はどうですか」
「君も大幅アップだよ。毎年こうでないとなあ」
と部長は言った。
ツジモトは、
「しかし、毎年優勝してしまうと、セールに出す商品の価値が半減してしまいませんか?」
と素朴な意見を述べた。
「馬鹿だなあ、ツジモト。毎年商品の色を変えればいいんだよ。マグカップは二十八色使えるんだから。Tシャツもフルカラーにして、今年は白、来年は黒、再来年は赤、という風に順繰り順繰りしていけばいいだろう?お前のパソコンのお絵かきソフトも二十八色だろう?更に、日本一の年は、金色と銀色を加えて三十色にすればいいではないか」
「さすがは部長。色まで考えていたとはすごいですね。さっそく営業に連絡して、色使いを変えたバージョンを発注しましょう」
かくして行列のできる優勝セールは大賑わいだった。
そして経済効果も何億円もありその地域の経済は大いに潤った。チームは、投資の対象にもなって、そのグループの株価は大幅に上昇したという。
なし
●鏡の向こうの世界
その男は、鏡の向こうの世界の番人だった。鏡の向こうの世界とは、文字通り全てが現実と逆向きの世界であった。右利きの人は左利きに、左利きの人は右利きになる。現実とは逆の世界で、現実とその世界の接点は、番人が許可をもらって本人と対面するときだけであった。
「アーア、眠い。もう朝か。さて鏡の世界を現実と合わせる時間だな。もうそろそろ家族も起きる頃だろう」
番人がつぶやくと、そこの家の主人が起きてきて顔を洗って、鏡を見た。
「ふむふむ、我ながら、年相応の、いい顔をしているな」
主人はそうつぶやくと、くしを水で濡らして、髪の毛にあてて、さっと髪を整えた。
早起きの主人の次は、息子だった。
息子は息子でこう言った。
「自分の顔は二十歳の頃と変わらないなあ。無表情で・・・・・・」
最後に、主人の妻が起きてきて、鏡を見て、
「あら、また白髪が増えてる。嫌だわ」
と言った。
そして、鏡の向こうの世界の番人は、こう言った。
「やれやれ。この家族も鏡を見て思うことといったら、自分たちのことばかり考えているなあ。本当の姿を映しているだけなのに」
そして、鏡の向こうの世界では、現実と異なる現実が動いていた。しかし、そんなことは誰も知る由(よし)もなかった。鏡の向こうの世界は、化粧やひげの手入れだけに存在しているのではなかった。持ち主の表情から、果ては患者の消化器まで映す優れものだった。使う度(たび)にポイントが加算されて、ある程度たまると時々笑顔を写すのであった。
なし
●伝統の秋祭り
その町には、先祖代々続いている、伝統の秋祭りがあった。
そして今年もそのシーズンを迎えた。幸い秋雨前線も去り、すがすがしい秋空の下で、行われることになった。
祭りのハイライトは、きらびやかな山車(だし)であった。この山車が出る頃、祭りはピークを迎えるのである。この山車を一目見ようと多くの人々で賑わった。最近では写メール付の携帯電話でこの山車を撮る人もいた。
「さあ、これからよ。うちの亭主が山車を担ぐのよ。しっかり撮らなきゃ」
「まあ、いいわね。うちはあいにく休日出勤で、祭りには参加できないのよ。せめて、この児だけでも祭りの雰囲気を見せてあげなきゃ」
やがて山車が一直線に進んできた。
パシャ、パシャ。あっちこっちでデジカメや携帯のフラッシュがたかれた。
怒涛(どとう)の如く去っていった山車はカーブを曲がって消え去った。
「奥さん、撮れたわよ。ムービーにしたの」
「おたくの携帯進んでるわね。動画も撮れるの?」
「そうよ容量は大きいけど、ムービーにして家族で鑑賞会を開くのよ」
「まあ、いいわね。いい想い出になるわね」
「今年は、結婚五周年だから大事な年にしたいの」
「うちは、そういう何周年だから、とかないわ。羨(うらや)ましい」
「のんべんだらりと人生を送っちゃ駄目よ。メリハリつけなきゃ」
「メリハリねえ・・・・・・」
「うちは、祭り姿で夕飯を食べるのよ。メニューは散らし寿司。もうお姑さんが作って待機しているの」
「まさに伝統の秋祭りを満喫してるわねえ。祭りからエネルギーをもらっているみたい」
「そうよ。祭りは、この町の男衆のエネルギーそのものよ」
かくしてその奥様方は祭りを楽しんだ。祭りは、ニュースでも放送されて、知名度アップにつながった。男衆は神社に山車を置いて、お疲れさん、と労をねぎらった。
あなたの町ではどうですか?
なし
●松茸尽くし
その国会議員は、食欲の秋だと言って、秘書らを連れて料亭に出掛けた。
その料亭に着くと、
「松茸尽くしコースを二人前くれ」
と言って、おしぼりで汗をぬぐった。
しばらくして、前菜の松茸の素焼きが出てきた。
「うん、美味い、美味い」
と議員は言った。秘書は議員にビールを勧めた。
「松茸にビールか。贅沢だな。本当に当選して良かった」
と議員は目を細めて言った。
次に松茸のお澄ましが出てきた。
そして、メインの松茸ご飯と、松茸を和えたサーロインステーキが出てきた。
「美味い、美味い」
議員は満足気な顔をしてパクパク食べた。
最後に、松茸風味のシャーベットがでてきた。
「おー、すごい。これぞ松茸尽くしと銘打つだけのことはある。ああ幸せだ」
議員の言うことに、秘書はいちいち、
「そうでございますね」
と相槌(あいづち)を打った。
さて、お会計となって、議員は接待費に含めないよう指示した。上様と、値段が書かれた領収書を秘書はもらった。
秘書は尋ねた。
「これは何費で落とすのですか?」
「いつものように、交際費で落とすんだ」
議員は、いつも接待費が多くなるのを抑えるため、交際費を乱発した。
これだから、国会議員連中は、私的な会食でも、さも公的な集まりの会食であったごとく会計を誤魔化すのであった。会計検査院もそこまでは追及できなかった。
皆さんだったら、どう追求しますか?
なし
●全学全入時代の生徒達
もはや、この時代では、少子化が進んで、高校生は受験しても落ちることはほとんどなかった。大学側がいくら難しい問題を出しても、高校生が解答できなくても、定員割れすると大学経営上マズイので、高校の進路指導室の先生の用意したデータと、生徒の偏差値を見て、進路を決めるのが一般的になっていた。
「次、ワタナベ。お前の成績では、上位の大学へは入れないから、中位の大学の中で選べ」
「先生、今や学歴社会じゃないからどこの大学でもいいです。医者になりたいので、医大へ行きたいです」
「そうか、そしたら、下宿したいならこの辺の大学がある。家から通うならA医大だな。どうする?」
「やっぱり地元の大学で下宿したいです」
「それならB医大か?」
「B医大でいいです」
「医大も出るまで大変だけど、まあ高齢者がこんだけ多いと、医者はいくらいても足りないぐらいだから安定した職業選択だな」
かくしてワタナベは、B医大とC医大を受験して、幸運にも両方受かったので、一番活気あふれる町のC医大に行った。
医者の世界は上下関係が厳しくて、中々出世しなかったが、彼の親が医院を経営しているので、親の後を継いで開業医になんとかなれた。二世医者である。幸いにも、友達数名と大学時代に合コンして知り合った美人の女性と結婚できた。
こんな話では、人生は終わらない。若い時の苦労は買ってでもしろ、という格言をワタナベは知らなかった。
やがて患者数が増えて、他の医者も雇わなくてはならなくなり、医院経営も厳しくなってきた。
「父さん、どうしよう?」
「まあなんとかなるさ。もう二人ぐらい雇えば利益が出るんじゃないか?コツコツ貯めて好きなことに使えばいいよ。ワシにはもう金は要らんから」
「金はいらないかもしれないけど、老後の面倒を見るのは僕なんだから。しっかり、主治医としてボケずにやってくれよ。頼むよ」
そうしているうちに、医療プランナーの勧めもあって、適当な患者数と医院の医者の数がうまく合致して、経営は安定して黒字が続くようになった。
医者と坊主と政治家はいつの世も儲かる仕組みになっているもんである。
しかし、未知の細菌を殺す道を選んだ医者は、野口英世のようにならないことを願おうと思う。
なし
●神様お願い
「神様、どうか病弱な母を健康にして下さい」 その少年は、とある病院の病室で祈った。
その少年の母親は、3ヶ月前から入院していた。病名は知らされていなかったが、父親は知っていた。
すると、少年の夢の中に幾度も神様が出てきて励ました。
「少年よ。心配するな。お前の母は、気が弱っているだけだ。近いうちに必ず病気が良くなって退院できるはずだ」
夢から覚めた少年は、神様に何度も感謝した。
「母さん、すぐに退院できるよ。神様が夢の中でそう言っていたよ」
「そ、そうかい。私も神様に退院できるよう祈っていたんだよ」
「父さんも、神様にお願いしていたんだよ。母さんの病気は軽いから、必ずすぐ良くなるってな」
すると親子三人の願いが届いたのか、主治医がやって来て、
「お母さん、明日退院できますよ」
と言った。
「先生、母は元気が出てきたんですね」
「その通り。もう充分元気になったから安心してください」
「ありがとうございました」
そして、翌日の朝、その少年の母は退院した。家族そろって、快気祝いに、寿司屋に行って、腹いっぱい寿司を食べた。
父親は、母に言った。
「不思議なもんだ。病は気から、とよく言うが、よくぞ元気がでたもんだ」
母は、
「元気になれたのは、きっとこの子と神様のお陰よ。どうもありがとう」
少年も神様に感謝した。
「神様どうもありがとう。家族みんな元気です。これも神様のお陰です。神様どうもありがとう」
家族は、神様に何度も感謝した。実は、少年の家族以外にも神様にお願いしていた人はいたが、少年の謙虚さに神様は幸福の手を差し伸べたのだった。
なし
●笑いの本質
その芸人達二人は悩んでいた。ちっとも自分たちに仕事が回ってこないことを。
ある日、大御所の芸人先輩を偶然居酒屋で目撃したので、そばによって悩みを打ち明けた。
「先輩、僕らにはちっとも仕事が回ってこないんですよ」
「おう、そうか。なんかネタやってみい」
「そうですか。わかりました。相方いくぞ。
どうも~○でございます」
「あかん、あかん。もっとボケが阿呆な顔せな。笑いの本質はボケがボケたおさなあかんのや」
「なるほど。笑いの本質がようわかりました」
「もいっぺん、やってみい」
「どうも~*!#$でごじゃります」
「おもろいやんけ。それでいってみい」
大御所先輩の指導で、その芸人たちはみっちり五時間ネタをやってみた。
「だいぶようなった。俺のプロダクションの方に電話いれるさかい、仕事回したろ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人は頭を下げた。
そして、翌週から仕事が入った。お陰でやっと夢がかなった。その夜打ち合わせをかねて、相方のAのところへBが来た。
「そうか。俺たちネタが真面目すぎたんやな」
「そういうことや。笑いの本質とは、ボケがとことんボケて、ツッコミがすぐ突っ込むことや。要は人間の差別化やで」
「えらい難しいこというなあ。人間の差別化か。そうかもしれんなあ」
「芸人の世界でも、このコンビはここが他のコンビと違う、いうとこを目指すんや」
「よっしゃ、頑張ろう」
笑いの本質とは、人間の差別化である、という。本当なのかはさておき、二人の行く末を祈ろう。
なし
●ID新システム
その銀行では、カードを使わないシステムを開発した。人それぞれ千差万別である、指紋と掌(てのひら)の両方で本人確認をするのである。いわば、ID新システムである。利き手の人差し指と掌を銀行のホストコンピュータに登録しておいて、ATMを利用するとき、画面に人差し指を押して、掌も押して確認するシステムである。指や掌にケガさえしていなければ本人確認はできる。
ある日、新システムを初めて利用するお年寄りが来た。
「こんにちは、利き手の人差し指と掌を画面に押してください」
画面にはCGで手の絵が出てきた。
「画面を押すとはどういうことじゃろうか?」
その老人は困ってしまった。
「とりあえず、人差し指を真ん中で押してみるか」
「申し訳ありません。もう一度お願いします」
「はてさて、カードが要らなくなったと聞いてやってきたが、ちいともわからん。係員さん、どうするんじゃ?」
ようやく気付いた係員は、丁寧に教えた。
「利き手は右手ですね。この画面の人差し指、左から二番目の指の絵の所を合わせるようにして押してもらえますか?」
「ほいっと。これでよいのか?」
「次にこの画面の掌のところにお客様の掌を押してもらえますか?」
「これでよいのじゃな」
「もう少し強めにお願いします」
「こうか?」
ATMがしゃべりだした。
「本人確認できました。お取引内容を選択して下さい」
「えーと、ひ孫へのゲーム代だから、引き出しじゃな。これっと」
後は、今までどおりのATM操作でそのご老人はお金を引きおろせた。
「やれやれ、新システムには慣れが必要じゃな」
そう言うと、ご老人は財布にお金を入れて立ち去っていった。
なし
●どこかで誰かが
この世の中、人間社会は複雑である。私たちの知らないエリアもいっぱいある。きっと、どこかで誰かが上手く舵取りをしているのだろう。
政治にしろ、経済にしろ、破綻しないのは、きっとどこかで誰かが何らかの活動をしているからであろう。社会の縮図である学校も、どこかで誰かが何らかの活動をしているのだ。
例えば、この地域のA小学校のB年C組の場合。
「先生、タカダ君がナガタ君をいじめてました」
「そうか。よし。クラス会で取り上げよう」
と担任のマツダ先生は言った。
そして、数日後、クラス会で、C組のいじめを取り上げた。
「タカダがナガタをいじめているらしいが、みんなその現場を見たことがある人、手を上げて」
「わたし知りません」
「僕もしりません」
「なんだ、なんだ。職員室にキダが知らせてくれたんだぞ。あれはウソか?キダ」
担任のマツダ先生はややいぶかしげな顔をしながらキダに尋ねた。
キダは、
「ウソじゃありません。本当です。みんな見ているし、知っているはずです」
と答えた。
「じゃあ、なぜみんな知らない振りをするんだ?」
「それは、タカダ君がこの組の番長だからです。番長が弱いものいじめをしても誰もはむかえないからです。誰も止められないんです。だから、僕が先生に告げに行ったんです」
「そうか。偉いぞキダ。オイ、タカダなぜナガタをいじめるのだ?いじめはいけないことだとわかってないのか?」
「僕はいじめていません。ナガタをちょっとからかっただけです」
「暴力をふるったんだろ?」
「いいえ。好きなプロレスの技を試したかっただけです」
「それをいじめと言うんだ。馬鹿者!テレビでやってるプロレスは、お金をもらって、お互いが技を掛け合っているんだ。テレビに影響されちゃいかん。タカダの保護者に先生からよーく説教しておくからな」
こうして、C組内のいじめは沈静化した。
しかし、体のいじめはなくなっても、言葉でのいじめはなくならなかった。タカダは頭が良かったから次から次へと言葉でのいじめをやりまくった。そして、またクラス会で取り上げられて先生から大目玉を食らうのであった。
このように、社会からいじめがなくならないのは、弱肉強食の世の中であるからである。
みなさんは、どう思いますか?
なし
●小よく大を制す一例
その小学生は頭が良かった。家庭教師として、勉強を教えに来ていた大学生よりも頭が柔軟だった。その算数の難問を、小学生の方が大学生よりも早く解答できた。
「先生、できたよ」
「え、もうわかったの?」
「うん。先生の方が頭が悪いね」
「うーん、まあ先生もただの大学生。人の子だから分からない問題もあるさ。しかし、すごいなあ。こんな難問をすぐ解ける子はそうそういないぞ」
「そんなことないよ。先生の頭が硬いんだよ」
「もう僕が教える必要もないんじゃないか?」
「うん、お母さんに先生はもういらないって言っとくよ」
まさに、小よく大を制す、の格言通りになった。
しかし、英語だけはまだ中学生レベルの単語しか知らなかった。そこで、その小学生の母はインターネットで調べて、○×塾の○×先生に英語の家庭教師を頼んだ。
英語は、習うより慣れろ、で英国出身の○×先生のリスニングが難しいのであった。
○×先生は、宿題として、午後六時からのニュースを二ヶ国語で流している放送を聴いて慣れなさい、と言った。
その放送は、日本の芸能情報から世界の戦争までを、幅広く、三十分間に凝縮して流していた。リモコンの切り替えボタン一つで英国人の英語が流れてきた。
その小学生はニュースという情報洪水にうんざりしていたので適当に聞き流していた。
そして、いつの間にか、難しい単語を知るようになった。ある日、○×先生が家庭教師としてやってきた時、その単語を幾つか、その小学生がしゃべったら○×先生は驚いた。
なんて、上達の早い子なんだろう、と思った。
これまた、小学生が大人を圧倒する、小よく大を制す二例目であった。
○×先生は、この子には教えることはもう何もない、そのニュースを聞き続けなさい、と言って去って行った。
それを知ったその小学生の母は、その子をアメリカンスクールに入れて、中学・高校ともにアメリカンスクールに通わせた。その子は無遅刻無欠勤で、卒業するとき学業優秀者に選ばれた。そして、アメリカの大学に通って、宇宙飛行士になった。そしてNASAに勤務して、火星探査のプロジェクトチームに入って火星の秘密を突き止めた。そして日本に帰り、普通の女性と結婚して、普通に長生きした。
なし
●風まかせの世界一周
その風船は、博覧会の開会式のときに使われたものだった。人間によって特殊なガスを入れられた風船は、他の風船たちと共に、大空に放たれた。その風船だけは、しぼんで海の波間に落ちたり、空の高いところで弾けたりはしなかった。丁度良く、大気と同じ組成のガスだったので、空中をフワフワと漂える風船だった。
行く先は出発点だった。つまり、風まかせの世界一周をして、元のところに戻ってくるのが目的だった。そういう意図で人間によって作られた風船だった。
風船にしてみれば、何が起きるかわからないまま、放出されて、風まかせに漂う、なんてできるのか、と聞きたくなるところだが、風船として工場で作られた、命を吹き込まれたモノとして、なにかしら人間の役に立つものならば、という思い出あったかもしれない。
とにかく、風船は出発した。空中二千mぐらいの高さをフワフワと風に流されて漂った。富士山にも逢えたし、さまざまな野鳥たちにも逢った。
海へ出ると、台風やハリケーンなども見たが、幸い、それらの進路から外れて、なんとか風まかせに流れに乗って進むことができた。飛行機が上をドドードドーと通っていった。
そしてアメリカ大陸を横断して、山を越えて、丘を越えて、平野を通って、また海に出た。海には小さな小島がいくつかあった。
そして、今度はヨーロッパの都市を空中散歩した。ヨーロッパを過ぎて、シルクロードを越えて、やっとこさ、日本に辿り着いた。
無事役目を終えると、人間の手によって、空の中で、ヘリコプターから回収された。世界一周の目的がわかった。気象庁による、風の流れ具合をGPSで測定するものだった。
単なる風まかせの世界一周ではなく人工衛星の監視下で動く風の通り道の検査だった。
なし
●ウキウキ一泊旅行
そのカップルは一泊旅行を計画していた。そのことを思うとウキウキしていた。ウキウキ一泊旅行であった。お互いが大学生同士で、講義なんてどうでもよかった。場所は、信州の某所であった。
「ねえ、楽しみね。一泊旅行」
「うん、ウキウキするよ」
「もう必要なものは全部用意しちゃったわ」
「まだ、二週間後だろ?」
「そりゃどうだけど、女の子はいろいろと用意が必要なのよ」
「まあ、事前に準備するのはいいことだけど」
「そうでしょ?友達もそうしてたわ」
「まあ、他人と比較しなくてもいいけど。参考にする程度ならば問題ないな」
「うふふ、何が起こるか楽しみだわ」
「別に、いつもと変わらないままでいいんじゃないのか?穏やかに過ごせればいいと思うけど」
「穏やかにいけばいいけど、せっかくだから刺激を求めなきゃ」
「ノリコ、何か企んでるな?」
「全然そんなことないわ。刺激って言ったのは、テニスのことよ。サークルに入ったのに、二人で打ち合ったことなかったでしょ?」
「そうだっけ。まあそれならいいさ」
そうして二週間後、ウキウキ一泊旅行がやってきた。電車と送迎バスで宿に着いた二人は、早速同じ部屋で着替えて、テニスを始めた。そして、テニスが終わると、二人でお風呂に入った。お互い恥ずかしがりながら、隠す所は隠していた。
そして楽しい夕食が待っていた。夕食のメニューは、カプセルで出てきた。なんと、時代が進んだ今は、糖分・たんぱく質・ビタミンも何もかもが薬のようなサプリメントだった。そして、デザートが硬いせんべいだった。
こんなメニューで若者の体が持つものだろうか?せんべいをかじって脳の満腹中枢を満たすなんて・・・・・・。
かくして、二人は、手をつないで仲良く寝た。翌朝、気持ちよく起きた二人は、朝食をすませて、宿を経営する夫婦のオーナーにお礼を言って、ウキウキ一泊旅行は無事終わった。
なし
●相性の悪い恋人達
そのカップルは、相性が悪かった。血液型占いでも、星座占いでも、風水でも、とにかく占いごとの類いは全て相性が良くなかった。
でも二人はお互いを愛していた。ラブラブだった。将来、結婚してもいいと誓い合った。しかし、周囲の友人からは、相性が悪いから、早く別れたほうがいいわよ、と忠告されていた。
「私たちって何で占っても相性が悪いわねえ。でも、所詮占いなんて真実とはかけ離れたものだと思うわ」
「僕もそう思う。血液型や星座で占っても信じる人と信じない人がいて、僕も君も信じてないから、こうしてここまでやってこれたもん」
「そうよ、その通りよ。友人たちは、占い事が好きなだけで、いいことしか信じないのよ」
「こうして別れずに、今までも、これからも良きパートナーとして付き合っていること自体が大切なんだ」
「ずっとこれからも一緒にいてね」
「うん」
相性の悪い恋人達は、実は相性が良かった。相性の良いカップルであった。他人から見れば占いでは相性の悪いカップルでも、現実に付き合っているカップルは少なくないものなのだ。
実際に一年間付き合って、お互いの良い所、悪い所を充分知り尽くした上で、二人は結婚した。二人は、時々けんかもしながら、それでもこよなくお互いを愛し合って、子供も生まれた。
結局、占いなんて、科学的根拠はなんにもないもので、それを真に受ける信者だけが、あれはいい、これは駄目、と決めつけるものである。昔は、そんな占いなんかで相性を決める人はいなかった。世の中の文化の一つに占いが加わってきただけで、相性は占いでは決まらないものなのである。
なし
●長すぎる髪の女
その女はたいそう長い髪の毛をストレートにしていた。言い換えると、長すぎる髪の女だった。だから、寝るとき以外は、いつも髪を気にしなければならなかった。朝起きて、顔を洗うときも、髪を束ねて後ろに回さねばならなかった。食事のときも、髪がテーブルに着かないように後ろに束ねなければならなかった。外出中も、髪を下ろして歩くときは、虫などが止まらぬよう、気をつけねばならなかった。
あまりにも長い髪の毛の女に旦那の男は注意した。
「もっと短くできないのか?見ている方もハラハラするよ」
「今の長さが私にはちょうどいいの。短くはできないわ。髪は女の命ですもの」
「そう言われると身もふたもないけどな」
「お金がなくなったら、この髪を切って売るつもりよ」
「髪は命っていったのは、君の方じゃないか。そう簡単に命と金を交換できないだろう」
「できないわ。でもどの髪の毛も世界に一つだけのDNAが入っているのよ」
「だったら、なおさら、そう簡単には髪を切れないなあ」
「そういうことよ」
「過ぎたるは及ばざるが如し、という格言があるけど、君の場合は例外だな」
「そんな格言なんて、私には当てはまらないわ」
そうして、女は腰まで髪を伸ばし続けた。
意外と、そういうカップルは少なくなくて、一種の流行だった。
その内、雑誌に取り上げられて、髪の毛専用のモデルになる女性もいた。その女の旦那は長い髪が、食事のときにポニーテールになると、いつも競馬を思い起こして馬券を買うのが慣わしになった。女は女で、ストレートな髪の毛からスパゲッティーを連想して、昼はいつもスパゲッティーを作るのであった。
しかし、やがて二人の間に子供ができると、女は三つ編みにして短くして、子供に触れられないようにした。なにしろ、子供ほど雑菌を手につける者はないのだから。
なし
●スケベなオヤジ
そのオヤジはスケベだった。何よりも、女の園である看護師の世界に入ったのは、かわいい看護婦と結婚するためだった。その当時は、看護婦の方が圧倒的に多くて、男性看護師はわずかだった。女同士の結びつきの多い世界で、男として仕事をこなすのは、それなりの苦労があった。だが、スケベオヤジは、まんまと看護婦をものにして結婚した。
今や、男性だけ、女性だけという世界は、どこにも見あたらなかった。
そして、スケベなオヤジは、周囲の嫉妬に耐えかねて看護師の仕事を辞めて、色んな世界を渡り歩いた。そして、最終的には、また看護師としてあるクリニックに勤めた。
「給料は安いが、これで満足だ。ワハハ」
そのオヤジは、若くて綺麗な看護婦がクリニックに面接するたびに、院長とニヤケ顔で、一番若くて綺麗な看護婦を採用するのが楽しかった。クリニックの看護師長として、仕事の量は多かったが、若い女性看護婦のエキスを吸って、いつまでもボケなかった。
「院長、この仕事は楽しいですなあ」
「そうかい?私は、毎晩遅くまで患者の面倒を見るので精一杯で楽しいなんて思ったことは一度もなかったぞ。それより、あんたは、そろそろ定年なんじゃないか」
「はい、その通りです。院長、退職金をたっぷり出して下さいな」
「当医院も経営が苦しいけれど、あんたの仕事ぶりに見合っただけの退職金は払いましょう」
「ありがとうございます」
そのオヤジは、新しい看護師を募集して、経験豊富な若い人材を採用した。
「これで、カネはたんまりもらうし、後継者もできたし、もう私がいなくてもいいだろう」
オヤジはそうつぶやいた。
やがて、世代交代が進み、若いスタッフが力を発揮する体制が整った。スケベなオヤジは、隠居して、早朝から天体観測を始めた。
「きれいな星たちだなあ。天体観測は男のロマン。なんて宇宙は素晴らしいんだろう!」
そのオヤジは、毎晩、少しづつ星を観測してはスケッチにつけた。
そして、ついに新しい星を発見した。オヤジは自分の名前をつけようか、と最初思ったが、個人の栄誉より、自分のあだ名をとって、『スケベ』と名づけた。この星を観測しては、自分の生きてきた人生を振り返って欲しい、と思った。その星は、北東の空に青白く輝いて天体観測者たちを今日も魅了するのであった。
なし
●南の島を守れ!
インド洋に浮かぶその島は最後の楽園とよばれていた。そんな南の島にも、地球温暖化の影響がじわじわと出てきていた。温暖化で海水が温められて膨張し、海水面が一m上昇するかもしれないのだ。この南の島は山などなく、サンゴ礁とわずかの砂浜でできていたので、海水面が上昇すると、海に沈んで見えなくなるのだ。現地の政府は、税金を費やしてでも、観光資源となっている、南の島を守らなければならなかった。政府は国連に訴えて、その国の南の島を守るべきだと主張した。
「毎年五十cmの砂を盛って下さい」
とその国の大統領は請願した。
しかし、国連は、
「一国の利益だけに貢献はしない」
と請願を却下した。
そうこうしているうちに、その国の南の島はなすすべもなく沈没してしまった。
そして、その国の観光の目玉である南の島は少しずつ消えていった。その南の島に来たことのある外国人観光客は、義捐(ぎえん)金(きん)を募ったが、自然のパワーには到底及ばなかった。
その国の大統領は嘆いた。
「もはや、観光資源が失われて財政が赤字になってしまう」
しかし、実際にはサンゴ礁が深くなっただけで、魚たちの生態系にはなんの影響もなかった。確かに、かつて南の島だった所のサンゴ礁や魚たちを見るには、アクセスが悪くなったが、世界遺産に指定されていたので、水没しても世界各国からダイバーたちはやって来た。
その国の住民たちは、
「海面が上昇しても観光客はやって来る。クルーザーのレンタル代金と燃料費がかさむが、綺麗なリーフは元のままだ」
と心配しているような表情は浮かべなかった。
結局、人類が招いた危機は、自業自得ではあったが、賢い人類は別のプランで対処して事なきを得た。
南の島は少なくなったが、他の国でもしわ寄せが来ていて、各国それぞれの対策をとって地球温暖化を食い止めた。温暖化がひと段落着いた頃、南の島は復活した。さすがに世界遺産に指定されただけのことはあって、サンゴ礁や魚たちは昔ながらのままだった。本当の所は、海水を世界各地で吸い上げて海面上昇を防いでいたのだった。
さて、余った海水は何に使われたのか?
そこまでは筆者も知るよしもなかった
なし
●季節はずれの幽霊
その幽霊は、夏を過ぎてもまだ出没する幽霊だった。いわば、季節はずれの幽霊といったところだろうか。正体は無いけれど、もやもやっと人の意識に出没した。
「ふうふう、やっとすみかが見つかった。夏はあちらこちらで呼ばれて忙しかったけれど、秋になってめっきり暇になった。こんどの人間は住みやすい。このまま春まで居座ろう」
幽霊に取り憑(つ)かれた人は、うら若い女性だった。
「おかしいわね。なんだかこの頃、背筋がゾクゾクっとするわ。気のせいかしら?」
実は気のせいではなかった。幽霊の仕業(しわざ)であった。気の弱そうな女性を狙って取り憑いたのだった。
幽霊の世界でも競争が激しくて、男女合わせて百人ぐらいの幽霊が、自分のすみかとなる人間をターゲットにしていた。
秋口に入ると、幽霊は消滅するが、今回の幽霊は消滅しないタイプの幽霊だった。やることといったら、人の生気を吸って幽霊自身のエネルギーにすることぐらいだった。それ以上のことをすると、幽霊の世界の憲法違反になるので、それぐらいしかできなかった。
「さあ、この女性の生気をたっぷり吸ってやろう。ウシシ」
すると取り憑かれた女性は、
「なんだか気が弱くなってきた。どうしたものかしら。いくらご飯を食べてもパワーがでないわ。どうしてかしら。友達に電話してみよう」
とビクビクしながら電話した。
「もしもし、カオリ。あたしよ、ノリコ。なんだか背筋が寒いの」
「何よ。そんなの気のせいよ。もっと強気になりなさい」
「わかった。ありがとう。じゃあね」
そして、ノリコと名乗る女性は、気を強くするため、休日に山に出かけて滝に打たれた。
そして、山の近くのお寺の和尚さんに祈祷してもらった。
すると、さすがに幽霊はいてもたってもいられず、狐に取り憑いた。
幽霊は舌打ちをしてこう言った。
「チェッ。今度は狐か。仕方ないなあ。まあ、狐でも良かろう。狐の生気を吸ってやろう」
狐はしょっちゅう幽霊に取り憑かれているのでコーン、コーンと鳴いて山里に逃げていった。
皆さんも季節はずれの幽霊には気をつけましょう。たちが悪いですから。
なし
●寂しがり屋の宇宙人
その宇宙人は孤独だった。そもそも、地球で罪を犯し、宇宙追放の刑に処せられて、宇宙人となったからなのだ。懲役三年の刑に、仮釈放されて二年で地球に戻ってきたときは、宇宙服なしでは立てないほどの弱々しさだった。一人身で寄る辺のない宇宙人にとっては、恋しい故郷が地球だった。懲役二年と言っても、宇宙時間だから正確には、二光年だった。
その間、地球は温暖化の影響をもろに受けて、かなり激変していた。自分と同じような人間はいなかった。みんな、アロハシャツを着てサンダル履きだった。髪は白く、白人のようであった。宇宙人は言葉が通じるか喋ってみた。
「あのー、わたし宇宙から地球に戻ってきたものですけど・・・・・・」
「!@#$%&¥」
まるで会話が通じなかった。
その後、会う人ごとに同じ会話が繰り返され、とうとう宇宙人は話すのを諦めた。ジェスチャーや筆談も試みたが誰も理解してくれなかった。
そして、宇宙人はしばし放浪して、自分の家の近くの通天閣にやって来た。
――ここだけは、二光年前と変わらない。しかし、言葉は通じない。いったいどっちが宇宙人なんだろうか?
と宇宙人は思った。とにかく、ここらの空き家を探して住もう、と決めた。幸いにも空き家が一軒あったので、宇宙人と表札に書いてそこにバッグを置いた。まずは、水と食料を確保せねばならなかったので、裁判所に行って懲役が終わったことを証明してもらわねばならなかった。ヘンテコなボタンをいくつか押しているうちにやっと自分の読める言葉がでてきたので、水と食料を下さい、とその言葉に返答した。すると、一週間分の水と食料と、現代語の本を渡してもらった。
やがて、現代語を覚えた宇宙人は、隣の人とも喋れるようになった。
そうこうして、寂しがり屋の宇宙人は、友達ができた。働いてお金を稼いで、何とか一年分の蓄えができた。宇宙人は、アロハシャツを買ってようやく衣食住に困らなくなった。
その内、噂を聞いてやって来た博物館の館長は、珍しい言葉を知っている宇宙人に歴史を書かせて、言葉も録音した。もはや、普通の地球人となった宇宙人は、時々昔のことを思い出しても、今が一番暮らしやすいと悟ったのだった。
なし
●壊れたプリンター
その人の部屋にある、パソコン用プリンターは壊れたままだった。パソコンで書いた文書や表は、印刷してみて初めてミスに気付くものだが、その人のプリンターは壊れていたので、その人は自分のミスに中々気付かなかった。
それならと、白い紙に手で書いて、正確に言うと、目で見て手で写して言葉を表現した。
壊れたプリンターは、まだまだそれなりの価値があったが、度々紙詰まりが起きて、前から調子が悪かったのだ。壊れた原因も紙詰まりが元で壊れてしまった。分解して紙を取り除けば、まだまだ使えるかもしれなかったが、その人は、いずれこうなることは想定していたので、もうプリンターを使うのはやめた。
「やれやれ。もう限界だな、このプリンターは。業者に引き取ってもらおう。長い間ご苦労さん」
その人は、そう言ってプリンターとパソコンの接続ケーブルを外した。
しばらくして、その人の女房が書斎に上がってきた。
「あら、そのプリンターどうするの?業者に引き取ってもらうの?」
「そうだよ」
「まあ、そうなの。結構活躍したもんねえ。私も年賀状の住所を印刷するのに、よくあなたに相談事を持ちかけたものねえ。じゃあ、これからは手書き?」
「そういうことになるなあ。もうこのサイズのは電気屋にも置いてないだろう・・・・・・。お役目ご苦労さん、てことだな」
「こんな機械でも感慨深いものねえ。いろいろマニュアルとかプリントしたけれど、もう必要なくなったものねえ」
こうしてプリンターはパソコンと別れて引退した。きっと、業者が解体して、またどこかで使えるのかもしれない。知らない国とかで。でも、ここは、消費大国の日本。古い機械は新しい機械へと、時代と共に刷新されるものである。そうそういつまでも機械が故障せずにいられるわけでもない。機械には機械の寿命がある。たくさん印刷物を刷って活躍したわけだから、その人も、そのひとの女房も、充分承知の上でのことだった。どこかに
行ってまた活躍するかもしれない。あるいは、メーカーに引き取られて解体されるのかもしれない。何かと故障しがちだったので、もうガタが来たのかもしれない。でも、パソコンに眠っていた情報を字にしてくれたので、役目は充分果たしたと言っていいだろう。また、別のご主人に使われる機会があっても、それはそれでいいだろう。
かくして、プリンターはしばらく働くのをやめたが、幸いにも、業者が改良して、新しい場所で活躍できるようになった。捨てる神あれば拾う神あり、である。
なし
●いじめの方程式
世の中には偏見や差別がなくならないように、いじめもなくならない。いじめ自体が偏見や差別の目にみえる形なのだ。白人が黒人をいじめ、米国が日本をいじめ、力のある者が力のないものをいじめる、といった具合になっている。それでストレスや悩みを発散するのが楽しいのである。それをここでは、いじめの方程式と呼ぶ。解は決まっていて、いつも弱者が泣かされるのである。
そんな社会の縮図に影響されて、ここ○○小学校でもいじめの現場があった。
「やーい、この野郎、くやしかったら逃げる俺に追いついてみろ」
そう言っていじめたヤツはアッカンベーをして逃げていった。
いじめられたヤツは、悔しくて、いじめたヤツを追いかけた。必死になって追いかけた。ズンズンズンズン追いかけた。
しかし、どこへ隠れたのか、広い校舎のどの部屋に逃げ込んだか分からなかった。いじめられたヤツは、知恵をしぼって、こう言った。
「この先生からもらったキャンデー、すんごくおいしい」
といろんな部屋で叫んでみた。すると、いじめたヤツは、自分も欲しくなって、隠れていた理科室から出てきて、こう言った。
「オレにもキャンデーよこせ」
「わーい、ひっかかった。キャンデーなんてはじめからないよーだ」
いじめられたヤツは報復とばかりに頭をひじで叩いて、アッカンベーして逃げた。
「ちくしょう。だましやがったな。待てこらー」
いじめられたヤツはトイレに逃げ込んで異空間移動(ワープ)をした。もういじめたヤツが入って来れないように、トイレの鍵はロックしたままだった。移動して職員室のロッカールームから出てきた、いじめられたヤツは、担任のA先生に言った。
「A先生、B君がC君をいじめて、C君が僕をいじめたんです」
「ほう、そうか。痛かったろう。心も体も。もう大丈夫。先生がB君とC君を呼んで事情聴取して、しかるべき罰を与えますから」
「しかるべき罰って何ですか?」
「B君とC君には特別に算数の宿題を百題出します。今度いじめられたらこのブザーを鳴らすんですよ。このブザーは無線で先生の携帯電話につながりますから」
「はーい、先生ありがとう。このブザーもらってくね」
こうして今日も、いじめの方程式は、ブザーで因数分解されて先生の手助けで収まった。
弱者にも、強者を取り巻く支配者の手によって、まあまあなんとか解決される日が来るのであった。
なし
●井戸端会議が・・・・・・!
その日も、いつものように、気の合った主婦仲間同士が、公園でくつろいでいた。いわゆる、井戸端会議である。
「ねえねえ、奥さん。奥さんとこのお嬢ちゃん大きくなったわねえ」
「あら、そう?毎日接しているか気がつかかなかったわ」
「来年は、小学校でしょ?」
「そうなの。奥さんとこは?」
「うちはまだ幼稚園の年中組みよ」
「いいわねえ。小学生になったら教育費がかさむもんねえ」
「そうねえ、幼稚園くらいのころが一番かわいくていいわ」
「ところで、奥さんとこは旦那さんとはいかが?」
「いかがって何が?」
「いやーん、もう夫婦関係のことよ」
「ああ、そうなの。ぼちぼちよ。お宅は?」
「家は、夫が単身赴任で北海道にいるから、家では寂しくて、愛玩ロボットを飼っているの」
「あれって許可がいるんでしょ?種類は何?」
「犬のマルチーズ。本物に比べれば動きがややぎこちないけど、昔流行ったアイボよりは安いし、性能もいいわ。疑似餌に反応したり、ロボットなのに舌を出してペロペロなめたりしてくれるの。飼い主が飽きたら、自動ボタンを解除するだけだし。うちは許可が下りてるの。三人家族で子供一人だから」
「うちも、もう一人子供が欲しいわ」
「うらやましいわ、うちは旦那が単身赴任だもの。愛玩犬で体をペロペロなめてもらうぐらいしかないもの」
「かわいそうね。近々、県が愛玩犬の国内大会を開くらしいわよ。奥さんも、愛玩犬に充分指導をしているの?」
「まあまあってとこかしら。性能はいいし、本物と違って糞尿はないし、飼い主に実に忠実になついているし。指導ってほどではないけど、ちゃんと全ての音声を再生させてみたわ」
「それならいいわね。あらもうこんな時間。買い物に行かなきゃ」
「あら、そう。家は愛玩犬でなく、二頭目の
防護・買い物用のロボット犬を飼っているから今頃買い物しているはずだわ。今晩のおかずはクリームシチューだから、そんなにお金もかからないし」
「まあ、便利だこと。家も防護・買い物用ロボット欲しいわあ」
「自分で行くのが一番いいんだけどね」
てな具合に最近の主婦の会話にまでロボットが登場する時代であった。
なし
●お人好し一家
その一家は、みんなからお人好しの家族だと思われていた。実際に、投資金融や、建設業など、しょっちゅう勧誘の電話がかかってきた。
「あの一家は、お人好しだから、カモよ。カモ。私を勧誘するなら、あの一家を勧誘したらいいわ。電話番号教えてあげる」
という具合に、簡単に業者に、プライバシーにかかわる電話番号を盗用された。
「もしもし、こちら○×工業です。おたくの家のリフォーム、検討されましたか?」
とか
「もしもし、こちら○×金融です。おたくのご預金どうしていますか?当社では、安全・安心な投資信託プランがございます」
だのといった、電話がかかってきた。
しかし、若い頃、お人好しで、借金して失敗した経験のある大黒柱は、
「うちは、間に合っていますので」
と簡単に断るのが常であった。
そうは言っても、街頭アンケートなんかにのせられてうっかり住所を書こうものなら、再び業者からのブラックリストに載ってしまうのだった。
一計を案じた妻は、
「今後、自治会や老人会で住所や電話番号を公表することは一切おやめになって」
と気丈に夫に言った。
それまで、弱者救済に、人助けにと、何かにつけて会合に顔を出していた夫は、妻の一言で反省し、ピタリと顔を出さなくなった。また、これまで公表していた電話番号や住所も削除してもらった。
すると、業者からの電話はめっきり減った。勧誘のビラもめっきり減った。
そうして、お人好し一家は、付き合いの悪い一家になった、とさ。
万花物語 上 #31-69
第二部(#31 ~#69) (配布時期:2012・04・15~)
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●悩みなんてサヨウナラ
彼女は悩みを抱えていた。どうしても、彼氏との事で上手くいかないのだった。
ある日、決心した彼女は、お寺を訪ねた。
「お坊さん、私の悩みを解決してください」
「若い娘よ。邪念を捨てなさい。さすれば、悩みなど無くなるでしょう」
「どうすれば、捨てられるのですか?」
「座禅を組みなさい。私が三十秒おきにやってきます。邪念があればお仕置をします。なければ何もしません。いいですか」
「はい」
「では、今から十分間座禅を組みなさい」
「はい」
寺の和尚は、長いお仕置き棒を構えて、ゆるりゆるりと歩き回った。
結局、十分間何事も起きなかった。
彼女は、一礼して寺を去ると、今度は教会に向かった。
そう、どちらかというと、彼女は、仏教よりもキリスト教に興味があったのだ。ただ、自宅から、寺の方が近かったので、そうしただけであった。
さっそく、シスターに悩みを打ち明けると、シスターは、
「わが神イエス様に祈りなさい。さすれば、悩みは去るでしょう」
彼女は、他の参拝者と共にイエス・キリストに祈った。ひと月近く、足しげく教会に通った。
そのうち、別の彼氏ができて、前の彼との悩みなんてサヨウナラとなった。そう、思春期の女は、ころころと彼氏をとっかえひっかえするもんだ。悩みなんて時期が来れば去るものだと、彼女は悟った。
●テレビって・・・・・・!
テレビとは、そもそも公共放送から始まった大衆娯楽の一つである。役者や旅芸人の出るシロモノではなかった。
しかし、今は何でもありだ、と言わんばかりに、勝手に芸能界に入った芸能人たちが番組を盛り上げている。CMも過剰になり、視聴者に何を訴えたいのか、まるで分からない。
そんな疑問に誰も答えてはくれない。しかし、ある親子は気がついた。
「テレビって何?」
「芸能人が出てきてうるさくさわぐモノよ。お前のような利発な子には、テレビなんて見ない方がいいわよ」
「でも、学校で出る話題は、いつもテレビの話だよ」
「それがおかしいのよ。テレビの言うことなんてまともに受け取ったらいけないの。全部やらせなんだから」
「やらせって何?」
「前もって決めとくのよ。出演者たちの言葉や行動を」
「え、知らなかった。自然番組や野球中継もやらせなの?」
「そうねえ。時にはやらせかもねえ。とにかく視聴率っていう数字があって、それを上げる為には、ディレクターやプロデューサーという人たちが平気でいろんなことをやらせるのよ。ペンギンや鴨の出産時期になったら、それを撮影しに行ったり、弱いチームを強くさせたり。いろんなことをさせて、結局CMのスポンサー、つまりは会社の広告宣伝でお金を儲けているのよ」
「なーんだ。そういうことか。どおりで何かおかしいと思ったらそうなんだ。テレビ見るより遊んだ方がいいんだね」
「そう。子供は外で遊ぶのが一番よ。テレビの見すぎで心がおかしくなることだってあるんだから」
「心がおかしくなるってどういうこと?」
「例えば、妙な物まねしたり、わざと間違えたり、平気で悪口言ったり」
「ふーん。テレビなんてなくなればいいのにね」
「でもニュースぐらいはちゃんと見といたほうがいいわよ」
「ニュースもやらせじゃないの?」
「ニュースは本当よ。そりゃ時々おかしなニュースもあるけど、そんなの無視するのよ」
「無視できるかなあ」
「時が立てば分かるわ。あれは作り事だって」
この親子の会話は、誰しもが、テレビに対して持つ疑問を投げかけたものだった。テレビなんかなくても生活できるのだ。都会の住人の孤独をまぎらわすだけのおかしな道具だということを、みんな気付いているのに、それを言うと、タブーなのだ。
●朝日と共に
その家は、朝日と共に、家族が起きるのが慣わしであった。つまり、南向きで寝室の窓が東南にあった。朝、太陽が昇ると、その光を受けて家族は起きるのであった。
「お母ちゃん、眠いよ」
「トシオ、しっかりなさい。ほら、おてんとうさんも、東の空に見えるでしょ。朝よ。しゃきっとなさい。眠いなら顔を洗ってらっしゃい」
「わかったよ、顔洗うよ」
そして、五人家族の朝食が始まった。
「さあ、自分のご飯は、自分でついでね」
「はーい」
「ふぁーい」
「ほーい」
「お前、うるさいんだよ。毎日そうしているじゃないか」
最後に主人は文句をたれた。
そして、みんな、それぞれの朝食を確保して食卓についた。
「いただきまーす」
五人は一斉に同じ言葉を発した。
「今日の味噌汁の具は?ん?何これ?」
「なめこよ。ちっちゃなきのこよ」
「へえー。初めてだ」
「そんなことない。この間、給食で食べたよ」
「兄さんたちはウブね。なめこも知らないなんて。私なんかお友達と、食べ物の話をするから知っているわ」
「なめ猫ってのが、昔あったなあ・・・・・・」
「お父さんたら、それは何十年も前の話でしょ。なめこからなめ猫を思いつくなんて古いのよ」
「それもそうだな。今日の味噌汁の具は、父さんの好物だ。このヌメヌメとしたところが美味しいんだよなあ」
「なめこは体にいいってテレビで言っていたから、今日の味噌汁に入れたのよ」
「ふーん」
そうこうしているうちに、朝食も終り、三人兄弟は、お互い忘れ物がないかチェックして学校へ行った。お父さんは、まだ出勤しなかった。経済新聞に目を通していた。何しろ、お父さんの会社はフレックス制で、七時間労働すれば、いつ出勤してもいいようになっていた。
「なになに。景気は回復しつつある。ふむふむ。わが社の株価も安定しているなあ」
「あたしは、難しいことは分かんないですけど、お父さんの会社は、設立二十五周年でしょ?大丈夫、大丈夫」
「そのようだ。これからは、光の時代だとさ」
「何がどうなるの?」
「全てカードになって光を当てるだけでセンサーが情報を読み取るらしいよ」
「そう言われれば、スーパーのレジもカードを機械にかざしているわ。パソコンのマウスもそうだし。きっと太陽のおかげね」
朝日と共に起きた家族は、先を見越していた。そう、これからは光の時代なのだ。光が情報通信の要になるのであった。
●輝く半月
九月はお月見の月。そう思っていた男は、今晩も満月が見れる、と勘違いしていた。十五夜はとっくに過ぎて、空を照らしていたのは、輝く半月だった。
「なんだ。ハーフムーンか。フルムーンは来月か」
男は半月にがっかりしていた。
ご存知のように月は、およそ一ヶ月で地球を回るので、いつも同じ面しか、その姿を見せなかった。誰も月の裏側を知らなかった。
男は思った。
「半月ということは、月の表面の四分の一しか見せていないということか。なるほど。そうしたら、地球からスポットライトをあてたら、毎日満月が見られるということか」
そのことに気付いた男は、大企業のスポンサーを募って、月に広告を載せるライトアップ・プロジェクトを始動させた。
最初は、そんな無駄なことを、とか、雲がかかったらどうするんだ、とか言われたが、夜のネオンサインよりも、もっと効果的だなどと言って、百社近くのスポンサーをかき集めてきた。
「これで俺の思ってた通りに事が運んだ。俺はなんてツキがあるんだろう。月だけに、ツキがある・・・・・・。ふふふ」
やがて、広告の好きな日本人は、各社それぞれのロゴマークを作って、月にスポットライトを浴びせて、一日におよそ三社限定で、月の広告塔を作った。これを知った在日アメリカ人のハリスは、
「なんということだ。月まで広告を映すとは。ハリウッドもびっくりだ」
と言って、早速アメリカに電話して月の広告の様子を報告した。
すると、ハリウッドは月よりも確実な太陽に、広告を映すと言い出した。太陽の方が電気代はかからないし、地上にロゴマークの絵を映し出せるとしてすごいことを実行した。
こうして日米の広告は、宇宙空間の光るものの争奪戦模様を呈してきた。
「いやいや、すごいことになった。ハリウッドの考えることはすごい」
と脱帽するのであった。
かくして、太陽も月も、情緒や感謝の念を通り越して、人類のおもちゃになったのであった。
●光る流星群
その流星群は、キラキラ光りながら夜空を一直線に横切った。その流星群は、前もって新聞で報じられていたから、多くの人々の興味をひきつけた。何しろ、その流星群を見ながら、願い事を三回唱えると、本当に叶うらしい、との噂が流れていた。
「彼女ができますように」
「子供が授かりますように」
「テストでよくできました、のハンコがもらえますように」
「年金がちゃんともらえますように」
「就職ができますように」
とにかく、日本全国の老若男女からの願いを託された。
だが、たかが流れ星。神様でもないのに、そう簡単には願い事なんて叶うはずがない。流星にとっても、いい迷惑なのだ。
流星にも魂が入っていて、彼らはこう話した。
「なんだ、また願い事がいっぱい届いたぞ」
「どうせ、人間の願いなんてロクなもんじゃない。無視、無視」
「俺たちが移動するたびに、願いを叶えられるなんて、とんでもない。人間のロマンなんていうが、俺たち流星には何の関係もないよ」
「そうだ、そうだ。人間の宇宙に対する過剰な神秘信仰なんんてなくなればいいんだ」
「うん、言えてる。宇宙にロマンや神秘を求めても、無駄なことだ。隕石なんかには、科学的に調査するくせに、新しい星を見つけたら大騒ぎして」
と、こんな風に流星たちは愚痴をこぼすのであった。
まさか、流星群にも魂があるなんて知らない人類は、勝手に流星の噂を流して、天文ショーを開いていた。たまたま、願いが叶った人もいるだろうが、単なる偶然で、流星を見られれば願いが叶うなんて、何の科学的な裏づけもないことだった。流星たちの言うように、天文ショーを開いて、雑誌や新聞が売れればいい、と無責任な、人心を煽(あお)ることは、マスコミの常套手段だった。
かくして、また流星群が見られるまでは、人間たちの願い事は忘れ去られるのであった。
●明るい庭の花
その家は明るかった。南向きのベランダには、多くの観賞用植物が植えられていた。とりわけ、赤いチューリップが、その家の主人のお気に入りだった。
「おい、ケイコ。こっちへおいで。庭のチューリップが綺麗だよ」
「ごめんなさい。今手が放せないのよ。後で行くわ」
「そうか、それなら仕方ない。孫のショウコでも連れてくるか。おい、ケイスケ、孫のショウコをこっちへ連れてきなさい」
「おやじ、相変わらず植物が好きだなあ。わかったよ。今ショウコを連れて行くから」
(数分後、明るい庭にて)
「どうだ、ショウコ。お爺ちゃんが植えたチューリップだよ」
「きれいだけど、学校のほうがいい。学校のは、もっと白いチューリップや、黄色いチューリップが植えられているのよ。それにもっとたくさん植えてあるの」
「まいったな。家では、そんなにたくさんの種類のチューリップは植えられないぞ。それより、花の色の具合を見てごらん。赤くて、情熱的で、力がわいてくるだろう?」
「そーかなあ?全然そんな気はしないのよ。それより、ジョウネツってなーに?」
「心の中で激しく燃える感じのことだよ」
「なーんだ。それならお友達と遊んでいるときの方がジョウネツテキよ」
「ほう。普段はどんなことして遊んでいるんだい」
「クラスの女の子と一緒に男子に水をぶっかけたり、ノートに落書きしたりしているの」
「うーむ。あまり、感心できないなあ。ケイスケ、いったいどんな躾をショウコにしているのだ」
「そう言われても・・・・・・。子供は外でよく遊べ、って言い聞かせているんですけどねえ。ショウコぐらいの年になると、もっと刺激を求めて、男子にちょっかいを出すのかなあ」
「それでいいと思うのか?親なら、もっと刺激を与えないゲーム機とか買い与えてやったらどうなんだ?」
「でも、ゲーム機自身が、充分刺激的なんじゃないかと思うんですが」
「じゃあ、わしと一緒に植物を観察したらどうだ。チューリップの花の中には、おしべとめしべがあって、受粉して種を残すのだ、と自然を学ばせるのが普通の親のすることだ」
「それができたら、苦労はしませんよ」
てな具合に、明るい庭の花は、老人に刺激を与えるだけだった。
●開眼
女は、ある日、自然に開眼した。今までの過去よりも、今と未来が大事なことだと。
開眼した女は、旦那に言った。
「あんたいったい何してるのよ。過去の話ばっかりしてっ。もう聞き飽きたわ」
「何だよ、急にそんなこと言われても困るよ。どうかしたんじゃないのか?」
「そうよ、開眼したのよ。もうネチネチと過去の自慢話はやめて、今どうすべきか、未来の計画をどう立てたらいいのか、ということを考えなさいよ」
「わ、わかったよ。未来の計画を話せばいいんだね」
旦那はやや困惑気味の表情を浮かべながら、自分の過去を捨てる決心をした。
「例えば、年金の話とか、子育ての話とかかい?」
「そうよ。どうしたら年金が程々にもらえるか考えてよ」
「そーだなあ。俺は普通の会社員だから、サラリーマン型年金ってのはどう?六十五歳まで働いて、それまでに支払った額に見合った分だけもらう年金プランだ」
「サラリーマン型年金か。それも一理あるわね。よそ様とは比べないけど、それでいいっか」
「上を見たらキリがないし、下を見てもキリがない。中ぐらいの年金が一番いいよ。細く長く、細く長く」
「何が細く長くなの?」
「受け取り額と受け取り期間のことさ、年金のね」
「そうね。細く長くがいいわね」
「だろ。年金の話はもう終り。子育ての話はどうだい?」
「もうお腹にいるわよ。妊娠二ヶ月よ」
「し、知らなかったあ」
「一体どっちがしつけをするの?」
「うーん、それは、もう君が決めているんじゃないの?」
「家は、カカア天下だから、私がしてもいいのね?」
「してもいいよ。困ったときは同僚に聞いてみるから」
「ああ、やっと安心して子供が生めるわ」
「日本も捨てたもんじゃないな。君のような主婦がどんどん増えるのを頼もしく思うよ」
「あらそう?じゃあ二人目も産もうかしら」
そうこうしている間に、口コミで頼もしい主婦が本当に増えて、日本は政治家いらずの国になっていった。
●着力教室
その教室は、今日もたくさんの生徒が集まり盛況だった。名称は『着力教室』と書いてある。
「いったい全体、どんな力が着くのかしら」
「着付け教室?違うみたいね」
いろんな人がその名称に惹(ひ)かれて、そこを見学に来るのである。いったん見学したら、その教室の講師のカリスマ性にとりこになって、何ヶ月も通い続けてしまうのだ。
「さあ、今日は、『着力』の中でも特に大事な、着聞力を教えますよ」
カリスマ講師・橋本は熱弁を振るう。
「聞く力を養う為には、まず相手と視線を合わせることから始めます、いいですか、そこの奥様」
「は、はい。先生と視線を合わせるのですね」
「正解です。では次に、明るい表情で、相手を和(なご)ませて下さい」
教室中の生徒が、ニッコリとした笑顔に変わった。
「そう、そう、皆さん正解です。よくできました。さて、そこの奥様、次は何をすればいいと思いますか?」
「さあ、何でしょう?先生教えて下さい」
「余計なことを考えずに、相手の話に耳を傾けるのに集中することです。できますか?」
「先生それが時々できないんです」
ある生徒がやや顔を曇らせて言った。
「そんなことはありません。入会時の聴力検査では皆さん異常はありませんでしたよ。聞くのに集中する、他はありません」
ある生徒が質問した。
「雑音が混じってきた場合、どうすればいいのですか?
「我慢すればいいのです。雑音なんてのはすぐ止みます」
「さすが、着力教室というだけのことはありますわ」
「褒(ほ)めてもらっても何も出ませんよ」
講師がそう言うと、生徒はドッと笑った。
そうして、着力教室は旦那の話を聞かない奥様たちの、貴重な社交場となっっているのであった。
●昆虫パラダイス
そこは、まさに昆虫たちにとって楽園だった。そう、昆虫パラダイス、とも呼べる。何しろ、餌を探す心配もないのだ。常に、人間が餌を与えてくれるので楽チンだった。することといえば、毎日訪れる訪問者に、自分の生活を見てもらうだけだった。そして、ある程度、数が増えると、自然公園に放してもらうのだ。
しかし、そこからが大変だった。今までの人間頼りのパラダイスと違って、天敵もいるし、自分で餌を探さねばならない。厳しい気候とも上手く付き合わねばならない。
そんな一匹のバッタが今日も昆虫パラダイスに誕生した。
「パパ、ここはどこなの?」
「そんなことは知らない。パパも自然に人間に捕まえられてここに来たんだ」
「なにか、大きな生き物がこっちを見てるよ」
「あれが人間だ。どうやら観察されているらしい」
「観察って、何?」
「人間がかわるがわる様子を見て、何かを満足しているらしい」
「へえ、人間って変わったことをするんだね。僕たちを見て満足しているなんて」
「お父さんたちだけじゃない。いろんな虫の家も見て回るのさ」
「よく分からないや。そんなことより腹減ったあ」
「もうじき、違う種類の人間が、餌を持ってきてくれるさ。もうちょっと待ちなさい」
(二時間後)
「あ、上の方が開いたよ」
「餌の時間だ」
「わーい。いただきます。あっ、仲間が集まってきたよ。どれだけ食べればいいの?」
「程々にしなさい。みんなの餌だから」
そして、今日も昆虫パラダイスは盛況だ。
●渋滞バス
そのバスは明らかにいつもよりも遅れていた。定刻に来ないのだ。一本道でまっすぐなのになぜだろう、と、これから乗る乗客は思っていた。そして、約十分後、ようやく、お待ちかねのバスはやって来た。
「どうもすみません。途中イロイロあって、渋滞してまして」
そう運転手は悪びれることもなく弁解した。
「イロイロって、いったい何があったの?」
ある乗客は尋ねた。
「いやあ、割り込んでくる車が多くて・・・・・・」
運転手は本当の理由を避けて言い訳をした。
「本当なの?」
「ホントにホントです」
実際は、小動物をはねてしまい、遅れただけだった。そう、この社会では、動物愛護団体からのクレームが必ずくるのです。たとえネズミ一匹であっても、バス会社は必ず動物をはねたら、リアルタイムで愛護団体に連絡しなければならないのです。そのことを、その乗客を含めたほとんどの乗客は知らなかった。みんな、それぞれ勝手に遅れた理由を詮索していた。
「きっと、運転手が寝坊したのよ」
「いいや、乗客の中に、途中で降ろしてくれ、と、わがままを言った人がいたんだ」
「運転手の携帯にメールが入って運転手は車を止めて、メールを読んでいたんだ」
などなどまるで当たっていなかった。
「みなさんすみません。目的地到着時刻は、約十分ぐらい遅れる見込みです」
運転手は車内放送で乗客にアナウンスした。
しかし、乗客は、各々の携帯電話でメールを打つのに必死でそんなことはどうでもよかった。乗り込んできた乗客も、バスが遅れる、と勤務先にメールを打つのに夢中で、車内放送など聞いてなかった。そのうち、渋滞バスはワープするため、ブラックトンネルに突入して、いつもとは違う経路を走っていた。
結局、目的地には定刻通りに着いたが、運転手は会社に申請してワープ料金を自腹で払わねばならなかった。
「ちぇっ、小動物なんてクソ食らえだ。おかげで、またワープ料金を払うなんて」
運転手は悪態をついたが、定刻どおりの到着で、乗客はみんな、ホッとしたのだった。
●丸いモノは皆まわる
この自然界の、丸いモノは皆まわるのである。太陽や地球や月、硬貨やCDやレコード、車輪、原子や電子などなど。まわるモノは、皆丸い。
まわって、まわって、循環するのである。循環することでパワーやエネルギーが生まれるのである。四角いモノもまわるのもあるが、大体は丸いものの発展型として人間が考え出したものにすぎない。
生まれたパワーやエネルギーは、人間にとって必要なものである。人間はそれを利用して生きている。
そして、人や歴史も循環するのだろうか?人は丸くない。歴史も丸くない。やはり、人や歴史は進化していて、循環はしないのだろう。
●秋よ早く来て!
サラリーマン達は毎日毎日、通勤地獄でうめいていた。
「クールビズもこのラッシュアワーには役に立たないなあ」
「そうそう。早く秋が来て欲しいよ」
「秋が来れば、おいしい食材がどっさりと市場に出回るものなあ」
「サンマ、マツタケ、梨に栗」
「よだれがでそうだなあ」
「夏はエアコンがあるから無事に乗り切れるけど、初秋は残暑が厳しくて、もうたまらんよ」
そうは言っても、なかなか秋は来ないものである。暦どおりに来るのは、お月見ぐらいである。秋は空気が澄んで、星を見るのにも、うってつけである。もちろんスポーツしたり、読書したり、と人それぞれの秋の過ごし方はある。
「秋になると行楽シーズンだな」
「そうだな。梨狩りや、マツタケ狩り、ブドウ狩り・・・・・・。早く秋が来て欲しい」
「そう言ってるうちに、秋は足早に過ぎてしまうもんだよ」
とかなんとか、しゃべってるうちに、秋がやって来た。日差しも和らぎ、秋風が吹いて、涼しくなった。サラリーマンの家の食卓にも、秋の旬のものが並んだ。
そして、会社の行事が近づいてきた。それは、スポーツ大会だった。
「わが社の今年のスポーツ大会は、どうなっているんだ?」
「はい、社長。私、行事部長が提案したのは二つあります。」
「何だね、その二つとは?」
「はい。一つは障害物競走。さもなくば、もう一つは、綱引きです。どちらがお好みですか?」
「今はパワーの時代だ。社員の体力アップにつながる綱引きにしよう」
「わかりました。早速、係長を呼んで、計画を練ります」
「頼んだぞ」
「はい」
(二週間後、綱引き大会にて)
「今年の綱引きは社員みんなの結束力が問われるなあ」
「まあ、何といっても、相手が牛だからなあ。モー、と鳴くぐらいだから、モーレツにやらないとなあ」
「まあ、牛一頭ぐらい、我が社員十名もいれば何とでもなるよ」
「そうだなあ。あの牛を引っ張る綱引き大会を考えた行事部長は、大会が終わったら、牛を業者に持って行って、焼肉にして、社員一同に振る舞うらしいぞ」
「よく考えたもんだ。さすが、食品会社だけのことはある」
●くず餅惑星
宇宙には様々な惑星が有る。鉄の塊のような惑星もあれば、ガスのような惑星もある。さすがに、金でできた惑星はないだろうが、くず餅みたいな惑星があってもおかしくない。
タロウは、そう思って、」中学から現在の高校二年生まで、毎晩欠かさず天体観測をしてきた。
それはある日のことだった。
「てんびん座の横に、惑星がある!」
コンピュータで慎重に、惑星から出される電磁波を解析していたタロウは、大きな声で叫んだ。
早速、天文台に電話して問い合わせたところ、未確認の惑星だった。
「やった、やった。これで惑星の名前を付けられるぞ。僕の名を取って、『惑星タロウ』」と付けよう」
天文台は、惑星タロウを、二十年前に飛ばした人工ロケットエウロパを操作して惑星タロウの分析をしてみると、面白いことがわかった。
まず、表面から数十キロは半透明のガスで覆われていて、内部はあずき色をした岩石でできていた。木星型と地球型の中間のような惑星であった。
天文台の職員は、
「まるで、くずもちみたいな惑星だなあ」
と感想をもらした。
すると、翌日の新聞に、『くず餅惑星発見』という見出しが出た。発見者タロウの名も出ていた。
タロウは新聞を読んで有頂天になった。
「これで、この高校の天文部にも人がいっぱい集まる」
タロウは天文部の部長だった。でも夜中まで観測していたので、授業中は寝てばかりいて、成績も真ん中くらいで、良くはなかった。それでもパソコンを用いた天体観測においては、インド人もびっくりの、ずば抜けた才能を持っていた高校を卒業すると、タロウは普通の大学を受けて、そこの天文部に入った。
十年後、タロウはNASAに就職した。
タロウは、英語が苦手だったので、惑星タロウの研究をまとめたパンフレットを、在来者に配る役をまかされた。あの日の発見でとんだ人生を送るはめになったが、タロウはそれで満足していた、とさ。
●台風
秋の初め、台風到来のシーズンに台風十四号はやって来た。暴風・波浪・大雨・洪水警報が全部出されて近畿地方は警報ばかりで真っ赤だった。
スピードが遅いのでかなりの被害を出した。
河川は氾濫し、床下浸水の被害が何千個も出た。台風は、日照りのダムに大量の雨を降らせて過ぎ去った。
毎年毎年、繰り返される悲劇は、自然災害の多い日本には、つきものだった。交通網は寸断され、新幹線や在来線は運休し、空の便も欠航が相次いだ。
ある日、男は思いついた。この台風のエネルギーを逆手にとって、台風減衰装置を作れないものか、と。
「そうだ。台風は常に左回りだから、形状記憶合金で作ったバネで、台風の流れを逆転できないだろうか?バネをプロペラにつけて飛ばすことができれば。ただ、とてつもなく、大きな装置にはなるだろうが・・・・・・」
間もなく、気象庁と国土交通省と自衛隊の連携の下で、プロジェクトがスタートした。
「台風撃退プロジェクト・アイガ」
そう称された。まず、気象庁が危なそうな台風に目をつけて、国土交通省が開発した、ねじりバネ付きの二段プロペラ装置を使って、半径十キロの台風の目に、自衛隊機が上空から投入した。すると、中心付近の左回りの風の流れが、ねじりバネの復元力で右回りになった。風の力が相殺されて、大型台風は、小型の、温帯性低気圧に変わった。
まるっきり、男の思い描いたとおり、台風被害はなくなった。程々の雨を降らせるだけだった。
男は農学部出身の百姓だったが、長年の功績が認められて、県の台風対策本部長になった。台風が来る度に、プロジェクト・アイガが実行されて日本は台風銀座でなくなった。台風被害は極端に落ちて、装置の製作費だけが、台風対策費に充てられた。台風は、いつしか、亜熱帯風、と呼ばれるようになった。
男は、出世して、国土交通相になった。
ある日、プロジェクト・アイガの目玉である台風撃退装置について、どのようにアイデアが浮かんだか、と尋ねられて、男は、
「竹とんぼを応用したんです」
とだけ答えた。プロペラといい、復元力といい、まさに素朴ながら、純粋無垢な男のアイデアは温故知新と呼べるものだった。
●調理ロボット
そのロボットは、ヤスオの所に、宅配便で送られてきたものだった。日付は二十二世紀の九月一日となっていた。つまりは、未来からの贈り物だったのだ。いや、正確に言うと未来のヤスオの遺産だったのだ。タイムマシンの時間道路を通行していた宅配業者からヤスオは受け取った。
組み立て方は、箱詰めされたケースの中の、大きな貝のような形をした物体に入っていて、貝を開けてスイッチをオンにすると、ムービーで若い女性が説明してくれた。
「まずパーツAとパーツBを光導線で結んで本体として、最後にパーツCを本体に連結すると完了です」
貝型のムービーは十五秒で終わった。
ヤスオは、未来になると、こんなに簡単に調理ロボットが組み立てられることに感心した。そして、自分の手では作れない料理を注文した。
「パエリヤを作ってくれ」
「はい、わかりました。メニューに表示された材料を買って来て下さい」
ヤスオは、久々にスーパーへ出かけた。独身時代に料理は作ったことがあるが、三ヶ月でやめてしまった経験があった。
スーパーには、お米やら、魚介類や調味料などが売っていたが、ヤスオには、高く感じた。
それでもパエリヤが食べたかったヤスオは、渋々買い物をした。
材料を買い込んで帰宅したヤスオは、調理ロボットに向かって言った。
「材料は買ってきたぞ」
「ではこの穴に投入して下さい」
調理ロボットは丁寧に穏やかな声で喋った。
「この穴って、この円形の鍋みたいな穴にかい?」
「そうです」
「それから時間を選んで下さい。高速・中速・低速の中から選んで、穴の横のボタンを押して下さい」
「中速でいいや」
「了解しました。では三十分で調理致します」
ヤスオは未来の調理ロボットにしては、時間が割とかかるもんだなあ、と思った。これなら、近くの友達のタロウに頼んで作ってもらった方が速かったかもしれない、とも思った。
しかし、未来の調理ロボットは丸い本体を器用に動かして、カタカタと音をさせながらパエリヤを作っていた。そして、きっかり三十分後に見事なパエリヤが完成した。
「さすがは未来のヤスオが贈ってきただけのロボットだ。見事、見事」
ヤスオは未来のロボットに感謝した。しかし、料理を作るだけで、買い物や皿洗いは、結局自分でやらねばならなくて、その方が時間が長かった。
●早起き男
早起き男は、いつも目覚ましの七時きっかりに起床する。早起きは、三文の徳、というが、早起き男は、一番早くに会社に出社するのが常だった。
仕事振りは、まあまあで、ミスも少なくワープロを打つのが日課だった。早起き男は、何でも一番が好きで、昼飯を食うのも一番、帰宅するのも一番だった。そんなに、急がなくてもいいのに、いつも一番を目指すのが常だった。好きな女性も、職場で一番かわいい女性だった。
ある日、早起き男は、好きな女性を食事に誘った。最初は断れたが、二回目に、早起き男の熱意にほだされて、上手く事が運んだ。
「ねえ、何を食べに行くの」
「この辺りで一番うまい牛丼屋があるんだ。そこへ行こう」
「いやよ、わたしはイタリア料理屋がいいの」
「分かった、分かった、そうするよ」
「そして、おごってね」
「うっ、財布の中身がちと苦しい」
「あなたは早起き男でしょ。一番が好きよねえ?一番高いものをオーダーするわ」
「一番安いコースじゃ嫌かい?」
「えー。やだ」
ふくれつらの彼女を何とか説得して、店にたどり着いた。
「仕方ないじゃないか、お金が足りないんだもん。じゃあ、真ん中の、シェフ一番のお薦めコースにしよう」
「まあ、仕方ないわね。許してあげるわ」
(しばらくして)
「やっと料理が出てきたぞ」
「じゃあ、早起き男さんと私に乾杯」
言った途端、早起き男はすぐに平らげてしまった。そして、彼女の食べるのを、じっと観察するのであった。
「そんなんじゃ、満腹にならないでしょう?」
「いや、そんなことはないよ。僕のスピードは早食い選手権で優勝するほど早いんだ」
「私の食べるのを見て何が面白いの?じろじろ見ないでよ、恥ずかしい」
ともかく料理を終えた二人はどこへ行こうかで少しもめた。
「私は夜景が見えるあのホテルのバーでムードに浸りたいの」
「僕は、一番高い山に登ってきれいな夜景がみたいよ」
結局、二人は妥協して、近くの観覧車に乗った。一番高いところで、早起き男は接吻した。そして、その後、彼女の部屋に行き、結ばれた。
「最高だ」
早起き男は言った。
「今まで付き合ってきた男性の中で、あなたが一番、手が早かったわ。あら、できちゃったみたい」
かくして早起き男は美人のOLと結婚した。
●ラジコン網
その年の夏は例年よりも少し暑かった。
そのせいか、朝から樹の上で、セミが、シャーシャー、とうるさかった。最近は、アブラゼミより九州付近に生息していクマゼミが北上して、関東から関西にかけて、幅を効かせていた。
そんなことはお構い無しに少年は、毎日毎日、セミ取りにせいをだしていた。なにしろ、網につけた制御装置で、網を四方八方に方向転換できるラジコン網だったのだから。おかげで少年は、セミのペットショップを開けるほどたくさんセミを集められた。
少年は友達に自慢げにこう言った。
「どうだ、すごいだろ、セミの数」
「すごくないよ。ラジコン網が作られてから、オレはセミなんかよりも蝶取りに夢中なんだ」
「夏の虫取りといえばセミ取りだろう」
「そんなことはないぞ。セミ取りは程度が低いよ。本当の虫取りの醍醐味(だいごみ)は蝶取りさ。セミは樹に止まっているのを、バサッと、ラジコン網で捕まえればいいだけだろう」
「うん、まあそうだけど」
「蝶はヒラヒラして、行き先が読めないんだ。だからラジコン網でも難しくてスリルがあって面白いんだ」
「いや、やっぱりセミ取りの方が楽しいぞ。ワンサカワンサカ取れて面白い」
少年はセミ取り派の主張を譲らなかった。
「蝶よりも数が圧倒的に多いじゃないか」
「セミの数は年々減ってきているんだぞ。取りすぎると来年のセミの数が減るんだから」
「そんなことはないよ。オレは餌を与えて、二、三日後に放しているよ。釣り好きの父さんが、『キャッチ・アンド・リリース』って言って、釣れた魚を放しているもの」
「ふーん、コレクションにするんじゃないんだ」
「お前は、蝶をコレクションにしているのか?」
「そうだよ。だって珍しい蝶なんか取れたら標本にしておいて、偉い大人に見せたら高値で譲ってくれ、っていうもん」
「高値って何?」
「知らないの?インターネットでオークションっていうのがあるだろ?高い値段でお金と交換に物を取り引きするのさ」
「駄目だよ、そんな悪い大人の口車にのっちゃ。やっぱり子供は、虫を取って観察して放しなさい、って先生が言っていただろ」
「そういう先生に限って虫のコレクターなのさ」
「そんなぁー、ずるいよ」
「大人はみんなずるいんだよ。ウソついたり、悪いことしたり」
「でもラジコン網のおかげで、簡単な操作で、網をコントロールできるようになったのは、大人のおかげだよ」
「でも一昔前みたいに、走り回って、さお付きの網で取った方が健康的だったな」
●快適温泉
旅行シーズンの頃、その山あいの温泉は、にぎわっていた。美人女将のはからいで、泊り客には、宿泊料半額のくじ引き大会が行われていた。
「さあ、次のお客様、くじを引いてください」
客がくじ引きの箱の中に手を伸ばして入れると、中にビンゴゲームで使うような、番号を書いた数字の玉がたくさん入っていた。
「さあ、お客さんは何番の数字?」
「五番です」
「大当たり、一等賞。今晩の宿泊代は半額です。晩御飯は超豪華かにすきセット、お風呂は川を見渡せる大パノラマ展望、寝る前にマッサージのサービスがついて、寝るときは、クラッシックをBGMに、高級羽毛布団!」
「すんげぇー、この旅館。来て良かった」
「そう言っていただけると、従業員一同感激の極みです。さあさあ、かえでの間へどうぞ」
客たち一行は、かえでの間に入った。
十五畳ある客室は、広々としていて、景色も良かった。
「さあ、みなさん、風呂にでも入りましょう」
幹事に言われて、身支度を整え、部屋に用意されていた、さらのタオルを持って、風呂場に入った。
「おやまあ、夕方なのに、明るくていい脱衣所だね」
男女はそれぞれ男風呂、女風呂に別れて入った。
「確かに川辺の景色が素晴らしいわ」
「温泉が乳白色で本物だ。なになに、効能は神経痛に効くらしいぞ」
「あら、すだれひとつ挟(はさ)んで、幹事さんの声がまる聞こえだわ。会話に気をつけないと」
一行は風呂から上がり、食事をして、旅の疲れを落として充分満喫した。
さて、寝る前のマッサージになって、マッサージ師がなかなか来なかった。
「なんで来ないんだろう」
「いや、お客さんもう来てますよ」
「えっ、どこにいるの?」
「お客さんの後ろですよ」
「なに?すがた形は見えないぞ。もしかして、・・・・・・」
「はい、当旅館初代女将の、幽霊でございます」
「ひぇー!どうりで、触られる手が冷たいはずだ」
一行は肝をつぶしてフロントの女将に電話した。
「もしもし、女将さん、幽霊のマッサージ師なんて聞いてないよ」
「いまさら文句を言われてもしょうがありませんねえ。私も実は狐の幽霊でございますから」
「ひえー」
幹事が悲鳴を上げると、そこは山と川の間の丘だった。狐に化かされたのであった。
●汗かき男の一日
汗かき男は、朝七時きっかりにセットしたタイマーで起床した。寝汗をぐっしょり、かいていた。妻のジュンコはもう起きて、朝食を作っている最中だった。
「あら、あなた、もう起きたの?あなたにしてはまあまあね」
「そうなんだ。いい夢をみていたら、汗をぐっしょり、かいた」
「早く顔を洗ってらっしゃい」
「そうせかすなよ。俺のモットーは、無理しない、だからね」
汗かき男は、顔を洗い、ひげをそって、ワイシャツに着替えると、妻のジュンコが作ってくれた朝食に、いただきます、と言ってむしゃぶりついた。食べると、当然のことながら汗をかく。胃に物が入るわけだから、エネルギーが補充されて、熱が発生する。それが汗なのである。そして、美人の妻・ジュンコも一緒に朝食を食べるので、彼女の出す熱が、更に、汗をかかすことになる。
「ごちそうさま」
汗かき男はそう言うと、洗面所へ向かい、超極細加工の歯ブラシで、奥歯にこびりついた歯垢(しこう)を落とした。そして、髪にアルカリイオン水をふきつけて、寝癖を直し、香水をつけて、
「ジュンコ、行ってくるよ」
と言うと、玄関の暗証番号を押した。
すると玄関を出ると会社の玄関に直結した。まだ八時前で社員はだれも来ていなかったが、汗かき男は、自分の顔の汗をぬぐうと、社員全員の机の上を拭いてまわった。彼はパソコン作業より、手作業の方が好きらしく、笑顔で拭いてまわった。
間もなく社員や重役らがやって来た。
いつものように仕事をこなして夕方、会社の玄関で、朝の通りの暗証番号を打つと家に直結した。
「ジュンコ、ただいま」
「お帰りなさい、あなた。今日も定時帰宅ね」
「そうさ、今日も汗をいっぱいかいて、充実した一日が遅れて程々に良かった」
「じゃあ、今日もいつものようにシャワーが先ね」
「もちろんさ」
汗かき男はそう言うと、風呂場に直行し、服を脱衣かごに入れると、爽快なシャワーを浴びた。
体の汗を落として新陳代謝をよくしてから、汗かき男は妻・ジュンコの作ったハンバーグを食べた。やはり、このときも汗をかいた。
テレビを見て、ベッドで妻・ジュンコと寝るときは、大いに汗をかいた。
結局、水分補給をして汗をかいた分だけ、汗かき男は健康体でいられるのであった。
睡眠・食事・便と尿が、程々であることこそが、何よりの健康であった。
●例の癖
そのおやじはイカレていた。自分の噂を他人がしていると思い込む癖があった。癖だからどうしようもない。
「あの○○さんてさあ、最近挙動不審よねえ」
「そうよ。昨日も上半身裸で表を歩いて、車の来ない道なのにキョロキョロしててねぇ」
その主婦たちの話の種になったのは、おやじとはまるで別人物だったのに、自分の事を話されていると思い込んでいた。
「また、俺の噂をしている。なぜだろう。俺は何か悪いことでもしたのだろうか?いや、何も悪いことなぞしていないのに・・・・・・」
しばらく自問自答を繰り返した後、おやじは、あるクリニックに行った。
「先生、人が話しているのが気になってしょうがないんです」
「ほうほう。あなたは被害妄想に凝り固まっている。薬を出しとくから、必ず飲みなさい」
「先生、被害妄想ってなんですか」
「おやおや、その年になってそんなこともわからないんですか。あのね、自分が噂の的になっている、と思い込むことを、被害妄想と言うんですよ。わかりましたか?くれぐれも人の話を鵜呑みにしてはいけませんよ。よく、あなたみたいな患者さんがいます。心配しなさんな。一時的のことなので、すぐ治りますから」
「そうですか。先生、ありがとうございました」
おやじは、そう言うと金を払って薬をもらって飲んだ。しばらくは、大丈夫だったが、そのうち例の癖がまた頭をもたげてきた。
――この世の中は狂っている。俺が正しいのだ
と、おやじは思うようになった。確かに、世の中みんな悩みを抱えてわけもわからず働いて、おやじの目から見ると、狂っているようにも思えた。一体全体どうしたものか、おやじは自覚がないまま、薬も飲まず、ただ歳月だけが流れていった。おやじは一人暮らしだったので、ある日交通事故に遭い、野垂れ死んだ。
と、誰もが思っていたのに、実は、おやじはかすり傷一つなく生きていた。そして、おやじは長生きして、いつしか、町の長老になっていた。老人特有の独言癖も加わっていた。
ある日、長老が道を歩いていると、ヨボヨボした老婆とぶつかった。
「こらどこ見て歩いているんだ」
「おやまあ、□□さんじゃありませんか。ぶつかってすみません。私はいつも道路にお金が落ちていないかと、下を向いて歩くのでぶつかったんです。本当にすいません」
「そうか、ならいい。わしも悪かった」
「いいえ、悪いのはこっちですから。おわびに、杖を差し上げましょう。金の杖、銀の杖、木の杖、どれがいいですか」
「金の杖をくれ」
欲張りなおやじは、金の杖をすかさず、奪い取ると、一目散に銀行によって金に換えて老後を暮らした。被害妄想の癖は、抜けなかったが、人生どこで何が起きるのか分からないものだ。きっとお天道様がおやじに福を与えたに違いない。
●示談
その青年は、高校を卒業しすっかりおとな気分に浸っていた。無理もない、煙草は吸うし、酒も缶ビールぐらいなら飲めるし、何しろ、今は、高校を卒業して自動車学校に通っている最中である。
「これで選挙権があれば、一人前の大人だ」
青年は友人にそう漏(も)らした。しかし、彼女もいないし、働いてもいない。つまりは、家庭も仕事も持ってない。趣味といえば、仲間とバンドを組んで激しいロックンロールを演奏するぐらいだ。スポーツも特にこれといって何もない。そう言われると、
「憲法を改正して十八歳で選挙権を持たしてくんないかなあ。大学なんてどうせろくでもないことを教えるんだろ?俺は免許取ったら春から高卒ルーキーとして社会人になるんだ。就職情報誌で良さそうなのは物色してある」
そんな青年の唯一の悩みは彼女がいないことだった。高校一年生のときに一年間付き合った彼女はいたがすぐ別れた。就職も決まり、彼女さえいれば、すぐにでも結婚して、明るい家庭、円満な家庭を築く、と心に決めていいた。
「はい、これから免許の合格者を言います」
青年の名も呼ばれた。これで順風満帆かに見えた。しかし、青年は愚かなミスをした。免許を取った後、車の中古やでかった、ボビーと名づけたオンボロ車は、スピードの出し過ぎでカーブを曲がりきれず、対向車と横でぶつかった。
「こら、お前、どこ見て走っとんじゃ。気を付けろ」
「すいません。警察呼ぶのは面倒だから示談にしてください」
「ほほう。示談か。じゃあ五十万払え」
「そんな大金ありません」
「消費者金融で借りてこい」
「はい、わかりました」
「手付金として五万円払え」
「はい、払います」
そうして示談は成立した。しかい、青年はすぐにでも稼がないと、消費者金融の利息が高くなる、のを恐れて、ホストクラブに就職した。
「月収は出来高払いだけど、毎日二、三人は固定客がいる。そのうちの一人、女子大生の客を丸め込んで彼女にすれば一石二鳥だ」
しかし、女の感は、二十歳にしては鋭かった。青年が言い寄ると、
「お金が余っているからちょっと遊んだだけよ。あんたなんかの彼氏になんてならないわ」
結局、つめたくあしらわれた青年は、借金は返せたもののふられてしまった。
それから五年、大人になった青年は、自分のルックスにうぬぼれて、芸能界に入った。俳優にはなれなかったが、バラエティ番組で喋るだけで金は稼げた。しかし、五年前の事故被害者からの投稿で過去が暴かれて、芸能界から追放されて、結局、無職のただの青年に戻ってしまった。
「やっぱり真面目に勉強して大学出て、企業に勤めればよかった」
後悔した青年は、昼間アルバイトしながら夜学で大学に通い、無事に中小企業に勤められた。
人生の選択は慎重に計画をたてるべきである。この青年のような若者はウヨウヨいて、こういう若者には選挙権などあってもなくてもどうでもいいものなのだ。しかし、若い時に苦労したらあとは成功への道が開かれるものなのだ。
●ハローワーク
男は、朝眠りすぎたせいか、あくびをしながら、バス停へ向かった。たった十五分の道のりが長く感じられた。やがてバスに乗り込むと、ホッとため息をついた。行き先は市役所の隣のハローワーク。親に就職を反対されたが、
「所詮、親は木の上に立って見ているだけなのさ」
と言って過干渉の親を説得して、何とか就職斡旋所へやって来たのだ。
「武田さんに会いにやって来たのですが」
そう男は受付嬢に言うと、「あちらの一番奥です」とだけ言った。
男は言われるがままにその場所へ行き、こう言った。
「武田さんですね、どうそよろしく」
「こちらこそよろしく」
武田は素っ気なく答えた。
「ここに来るのは初めてですか」
武田は暗い顔をしながらそう言った。まるでここに来てもいい仕事なんてないさ、と言わんばかりに。
「何回か来ました」
男はぶっきら棒に答えた。
いくつかの質問をした後、書類を渡された。
その書類には、氏名や住所や電話番号はもちろんのこと、学歴や職歴、希望職種に書かれていた。
男は思った。過去の自分を捨てたいのに、なぜこんなことをかかされるのだろう、と。
そして、一通り書いた後、数日後、また、ハローワークへ行った。いろいろ書類の内容を問われた。
「なぜ、一般事務希望なのですか?」
「知人の薦めです」
「なぜ、○○市中央区希望なのですか」
「県内の中心地で、会社もたくさんあるからです」
男がそう答えると、武田は黙って、パソコンに登録をして、
「あそこのパソコンで就職先を探して下さい」
と、また、素っ気なく言った。
男はパソコンに向かい、何回か就職先を検索して、やっとお目当ての会社を見つけた。
「これに決定しました」
「そうですか、この会社で本当にいいんですね」
武田はうすら笑いを浮かべながら、そう言った。
「それでいいんです」
男は、これといった能力はなかったが、転勤がないのと、社内行事がある、という二点に惹かれて決めた。
「ハローワークは便利ですね。でももう三度来たからもう来ません」
と、だけ言って去っていった。
男は新たな職場で程々に出世して、程々の美人と結婚してささやかな家庭を築いた。
●クラインのツボ
「もし宇宙の構造がクラインのツボだったらどうする」
「何それ。そのクラインのつぼって聞いたことないぞ」
「数学の立体の話さ。ストローみたいな中空の円柱の端をを曲げて、途中の部分に入れ込んで、もう一方の端から抜け出させる立体だよ」
「お前の話じゃピンとこないから事典で調べる」
(数分後)
「あった、あった。このへんてこな立体だな。表裏がない、と書いてあるぞ」
「そう、メビウスの輪のように表裏がないんだ」
「すると、宇宙にも表裏がないってことか?」
「そう」
「そんな訳ないだろう。宇宙はどんどん広がっているって聞いたぞ」
「定説ではそうだけど、俺の考えではクラインのツボのように、表で見えてる天体と反対に、裏があって、見えない天体も存在しているんじゃないかな、とふと思ったりするんだ」
「へえ、そうなんだ。でもあんまり説得力ないぞ」
「そうかなあ。そんなに複雑でもないけどね」
「しかし、宇宙の大きさは誰も測ったことがないから、そういう説もあってもおかしくないだろうな」
「そうだろ。物事には何にでも表と裏があるから宇宙にも表裏があっても至極当然なんだ」
「なるほどね、その説によると、円柱の入口から入っていっても、クルット回ってまた同じ入り口が出口になるわけなんだな」
「そう、きっと発案者のクラインさんは頭のいい数学者だったんだろうな」
「メビウスの輪の発想から思いついたんだろうな。しかし、もし本当にそうだとしたらアメリカの衛星ロケットは太陽系を出発して何億光年かの後にまた太陽系に帰ってくるのか?」
「そうだろうな。宇宙にはブラックホールとホワイトホールがあって、その間をワームホールがつないでいるらしい、と言うけどクラインのツボなら、ブラックホールもホワイトホールも同じなんじゃないかなあ」
「ブラックもホワイトも同じか。何だか人種のるつぼ、ニューヨークを思い浮かべるよ」
「人種のるつぼと、クラインのつぼ。同じつぼつながりだな」
「でもパワーとエネルギッシュという点ではしゃれじゃなくても似ていいるよな、宇宙とニューヨークって奴は」
「そうかなあ。ニューヨークなんて行ったことないから分らないけど、スラム街もあるんだろう?やっぱり何事にも表裏があって、クラインのつぼだけは例外なんだと思うぞ。宇宙もニューヨークも表裏がある、か。まそうだな。数学のクラインのツボと宇宙構造が同じなわけないもんなあ。とんだ愚問だったよ」
「ところで、何のためにクラインのツボが発明されたんだ?」
「あれ、言わなかったっけ?メビウスの輪の立体版だって」
「ああ、そうだったな。ということは、メビウスの輪を発見した数学者の方が偉いんだ」
「どっちが偉いかは俺らの決めることじゃないけど、メビウスの輪の方が先に発明されたってのは事実らしいよ」
「ふーん。つまり、二匹目のドジョウを狙ったって訳か?」
「まあ、そういう見方もできるな。でも、ストローで遊んでいるうちに思いついたのかもしれないし」
「表だけの世界って、なんだか今の世の中の理想像みたいで純粋だな」
「そう。数学の世界は難しい問題もあるけれど答えは純粋なんだ」
「逆に言うと、世の中裏表があって汚れているからこそ、そういう純粋な発明が脚光をあびるのかなあ、と思うよ」
「世の中どころか、世の中を作っている人間自体が裏表があって不純なんだよ」
「こうして会話をしていても、裏表ってあるのかな」
「そりゃあるさ。会話は相手とのキャッチボールだけど、時々、ワンバウンド、ツーバンドになったり、頭を越す、思いもよらない方向に投げちゃったりするもんさ」
「ふーん、そう言われるとそうだなあ。それに時には気を使って優しく明るい方向に会話を持って行くだろ?本心を隠して。それが会話の裏表さ」
「なるほどなあ」
●月無し夜 ~ある大学生の会話~
「もし、月が無かったらどうする」A君はさらりと問うた。
「夜道が暗いなあ。あと、狼男がいなくなるな。犯罪も、満月の日が多いっていうから、減るんじゃないかな」B君もさらりといってのけた。
A君は目を見開いて、頭から冷や水を浴びせられたかのように言った。
「すごい!一を聞いて十を知るとはこのことだな」
B君は、けげんそうな表情を浮かべながらこう言った。
「だけど、もう少し言うと、月による大潮や小潮がなくなり、波が起きないんじゃない?か?それとお月見をするという風流も無くなるぞ」
A君は頭にパッと浮かんだ、素朴な質問を言った。
「波が無くなったらヨットで世界一周なんてできないんじゃないか?」
B君は、たじろぎもせずこう答えた。
「風があるから大丈夫さ」
即座にA君は反応した。
「風があるなら波はおきるだろう?」
B君はちょっと弱ったという顔をしてこう答えた。
「そう言われると確かに波は起きるな。でも潮の満ち引き、つまり満潮や干潮はなくなるだろう?だって月と地球の万有引力で潮の満ち引きは起きるんだからさあ」
B君の意見に共感を覚えたA君は感心して、次のように言った。
「それもそうだな。結構頭いいこというなあ」
「理科で習っただろ?普通だれでも知っているさ」
B君は少し呆れ(あきれ)顔で答えた。
A君はB君にちょっと鈍くさい、と思われたので一般的な答え方をした。
「そうだっけ?昔のことだから忘れたよ」
B君は、更に最近の学説を引っ張り出して、次のように答えた。
「地球に隕石が衝突して、地球の一部が吹っ飛んで月になった、という説があるぞ」
「そっか。地球の弟みたいなもんだな」
「そう。地球と月は兄弟、火星と地球も兄弟さ」
「いい勉強になったよ」
A君は最初の質問をして満足顔でそう言った。
するとB君は、さらに凄いことを言い出した。
「俺なら月が無かったら、なんて質問よりは、月が二個あったら、とするね」
びっくりしたA君は、口をポカンと開けてこう言った。
「へぇ、月が二個あったらどうなるんだ?」
A君は、自分で発した質問になぜ自分が答えねばならないのか、とイライラしながら答えた。
「波が激しくなって砂浜や海岸が浸食されて世界は小さくなるだろうなあ」
あまりにも恐ろしい結論に、A君の頭の中は真っ白になった。そして、普通に叫んだ。
「そんな、地球温暖化より大変なことじゃないか!」
青ざめるA君を尻目に、B君は次のように言った。
「もしかして衛星を二つ持つ火星や木星のようになったりして」
A君は、自分の愚かな質問で、とんでもない方向に向かっているのを感じながらこう言った。
「それは困る!やはり普通に月が一個である方がいいや」
それでもおさまらないB君はピースサインを作って、こう言った
「火星の場合とは衛星の位置が異なるなら、という仮定の下で、月が反対の位置に二個あったなら、両方の月から万有引力が生じて、海は引かれまくって宇宙空間に放り出され、フワフワと漂うんじゃないか」
A君はB君の世紀末的鬱憤を晴らすかのように言った。
「大丈夫、大丈夫。今度隕石が地球に接近したときは、アメリカの迎撃ミサイルで、木っ端微塵(こっぱみじん)に粉砕してくれるさ。アメリカの軍事技術はすごいよ。狙ったところにピンポイント」
やっと、自分の鬱憤が晴れたかのようにB君は安心顔でこう答えた。
「それもそうだな。隕石なんてそう滅多に来るものじゃないし、仮に地球を周回するようになってもミサイルで破壊すればいいんだものな。本当に当たればいいけど・・・・・・」
●湿気ない日本
「もし日本の夏が湿気の少ない夏だったらどうする」
「そうだな、カラッとした暑さでいいだろうな」
「カラッとした暑さってイメージがピンとわかないけどどんなの?」
「そりゃあ、アメリカやヨーロッパみたいな暑さじゃあないの?」
「俺は学生時代オーストラリアに行ったけどあんまり暑さを感じなかったよ」
「そりゃ雨季に行ったんじゃないの?」
「違う。二月だから乾季だった」
「なるほどねぇ。乾季がカラッとした暑さなんだ。日本がオーストラリアになったらきっと観光客が増えるんじゃないか?」
「そうかもなあ」
「それに空気が乾燥していると、ビールを飲みたくならないか?」
「確かにそうだ。旅行中は絶えずオレンジジュースかビールかミネラルウォーターを持ち歩いては飲んでいたもんな」
「だろ?日本がオーストラリアになったとしたら飲み物の需要が大幅に増えると思うよ。でも所詮日本は日本。小さな島国だからムシムシするもんなんだよ」
「そうかなあ?温帯地方の国はどこでも蒸すんだろうか?」
「そんなこと知らんよ。だけど湿気ているからこそエアコンに除湿機能があるんじゃないか」
「なるほどねえ」
「日本のように四季がはっきりしているのは湿度が関係してるんじゃないのか?」
「今、夏のこと話しているんだけど」
「夏はエアコン、冬はヒーターやストーブと、電気を消費しているのは米国についで二番目かもよ」
「やっぱり日本の夏は普通にムシムシしていて欲しいなあ。言い出しっぺは俺だけど」
「そりゃそうだろう、エアコンがあるから世界の中で日本は長寿国になったんだから」
「そうそう。今の普通の日本が一番さ」
●馬鹿がなくなる
「もしこの世から馬鹿がなくなったらどうする?」
「そりゃあありがたいよ。でもどこへ行っても馬鹿はいるだろう?天才がいるんだから馬鹿もいるに決まってるじゃないか」
「それがウルトラ教師によって勉強も運動も気配りもできるような時代が来たら?」
「ウルトラ教師ってなんだ。そんなこと考えるおまえ自身が馬鹿じゃないか?」
「むっ。口を慎め。俺は馬鹿も矯正できると信じているけどな」
「馬鹿な政治家、馬鹿な警察官、馬鹿な教師・・・・・・。人間どこかに馬鹿な遺伝子が残っているんだと俺は思うぞ」
「そうか、遺伝子ねぇ。でも、テレビや雑誌やラジオ自体が馬鹿を増殖していると、環境面での方が馬鹿を増やしていると思うけどな」
「じゃあ、マスコミが賢くなって良質なメディアになれば馬鹿は本当にいなくなるのか?」
「そうとも。馬鹿な大人がいなくなれば子供も馬鹿にならずにすむはずだ」
「でも馬鹿な人がいないと笑いがなくなるだろう?ブラックジョークのみなんて味気ないぜ」
「笑いが無くなるか。そりゃ問題だ。でも、と良く言われてているように世の中が暗いと笑いがブームになるっていうぞ。やっぱり環境も多分に影響しているはずだよ」
「まあなあ。そうかもしれん。なぜ世の中が暗いんだ?」
「年金問題、社会福祉問題、青少年の非行、数えればきりがないな」
「要は上に立つ人間がきちんとそれらの問題に取り組んでいないからじゃないか?」
「問題解決が先だな。でも世の中馬鹿はいなくならないのかなあ」
「少しくらい間抜けの方が世渡り上手なんじゃないか?」
「結局は一部の馬鹿と一部の天才と多くの普通の人で社会は構成されているんだな」
「馬鹿がいるからこそ諭す人がいるんじゃないか。結局普通が一番だ」
●日本歴史
「もし日本の歴史が違ってたらどうする?」
「えっ、いつの時代のこと?」
「日本書紀ぐらいかな」
「そんな、まさかあ」
「わからんぞ。太安万侶が記したとされているけどもし彼が自分に都合のよいように書き換えたとしたら?」
「でもそんな重要なことに不具合があっていいもんだろうか?」
「だって誰でもウソの一つや二つはつくだろう?」
「仮にそうだったとしても、大して今の歴史には関係ないだろう」
「でも日本史の教科書には編纂者(へんさんしゃ)の都合のいいように日本の侵略問題を棚上げしているだろう」
「確かにそうだけど。でも考えてみるとアメリカの停戦方法も強引じゃないか?長崎・広島に原爆を落とすなんて。ありゃあひどすぎる。原爆資料館で見たよ、あのむごい写真や絵を」
「でも軍事大国のアメリカにとっては自分たちの力を示す絶好の機会だったんだと思うよ」
「昔を言えばキリがないけど、アメリカの統治の下で平和憲法ができて、今日の日本があるんだと思うぞ」
「アメリカにいじめられてやっと先進国になったというわけか?」
「その通り」
「でも日本人の中にはまだ戦争をおこしたい、というDNAが入った日本人もいるんじゃないか」
「そんなことはないだろう。日本人は真面目で従順な民族だと、誰しもが思っているよ」
「そうかな。中には血の気の荒い、気短かな人もいるぞ」
「そりゃいるにはいるけど、一般的にはみんな真面目だよ。でも、勝ち組・負け組みとかいっていまだに『戦略』とかいって争いごとが好きな民族ではあるな」
「喧嘩(けんか)はしないけど勝ち負けにこだわるんだな」
「今も昔も庶民には勝負事なんて興味ないよ。一部の人が煽っているだけなんだから」
「結局は、日本の歴史が間違っていようがいまいが今と未来が大事なんだよな」
●無税国家
「もし税金がなかったらどうする」
「そんなわけないだろう。所得税・法人税・事業税・相続税・車両税・消費税・国民健康保険税・・・・・・。みんな税金がかかっているから国家が成り立つんじゃないか?」
「でも、中南米のある国では、タックス・ヘイブンといって、税金がタダ同然の国もあるらしいぞ」
「そういう国はきっと、何にもしない小さな政府なんじゃないか」
「そうかもしれんな。でも中小企業とかは、よくそういう国に子会社を置いたりしていたらしいぞ。今はしらないけど」
「税金がなかったら本当に天国さ。その代わり国は何にもしてくれないぞ」
「例えば?」
「そうだな。企業への融資や福祉事業への補助金も打ち切られるな。そして、企業は軒並み商品を高く売ろうとして庶民の暮らしが圧迫されるだろうな」
「そんなの困るよ、中小企業に勤めていて、子供がいて親の面倒もみなきゃならない俺にとっては」
「だろう」
「だけど何年か後には、消費税も上がるだろうし、増税、増税と野党は連呼しているじゃないか。できれば特別待遇で政府の支持者だけ無税にして欲しいよ。給料明細見て、いつも、なんて税金をこんなにも取られているんだろうかって思うもの」
「そりゃそうだろうけど、民主国家の運命だから仕方ないのさ」
「じゃあ、日本の中に無税国家を作って、そこで生活している人は税金を減免するってのはどうだ?」
「無理無理。国の中に国を作るなんて発想がいったいどこから出てくるんだ?有り得ないだろ」
「うん、有り得ない。でも大抵のことは民間でできるんだから、小さな政府になって欲しいよ」
「政府が小さくなるってのは、地方の役所が大きくなるってことだぞ」
「そうか、それで各地で吸収合併が去年から今年にかけて進んだんだな」
「そういうこと」
「まあ、小説の中で実現するようなものだな。夢というか、幻想というか。」
「そうそう普通に暮らせればそれが一番さ」
●もし訛りがなかったら
「もし訛(なま)りがなかったらどうする?」
「そりゃ、どこに引っ越しても楽だろうなあ。言葉がおんなじなんだから」
「そうだな」
「でも方言研究会なんちていう団体からクレームが来るぞ『なして方言ばなくすんや』おと」
「そりゃそうだ。今、気がついたけど、方言にはイントネーションや独特の言い回しに愛着があるもんな」
「気付くのおせぇなあ」
「その『おせぇ』ってのも関東訛りだろ」
「正確に言うと、東京訛りかな」
「テレビで芸能人がやたらと使う言葉が標準語化しているんだな、きっと」
「でも、名作ドラマ『おしん』や『北の国から』では訛りがちゃんと使われているぞ。やっぱりお前の言うように方言には温かみや愛着やユーモアがあふれているんだろ」
「でもテレビばかり見ていると、普段使う方言と時々出る標準語が混ざらないか?」
「混ざる、混ざる」
「テレビの影響はすさまじいからな」
「そうそう。だいたい公共の電波で東京弁をながしていいのかが問題だ」
「でもニュースはどこでも標準語だろ?」
「そりゃそうだ。方言のニュースなんて聞いたことない」
「愛・地球博の受け付けロボットも名古屋弁じゃないぞ。標準語だぞ」
「あのロボットは接客用だからさ。日本全国津々浦々からやってくる人とコミュニケーションしなければならないから標準語なんだ」
「接客用でないロボットなら関西弁をしゃべるサッカーロボットとかあってもいいんじゃない?」
「面白いこというなあ」
「いい着眼点だろ」
「防災用ロボットなんかは、ある意味接客用だけど、地域のお年寄りたちを助けるためには方言をインプットしておかないといけないな」
「そうかもしれんな。ロボットが標準語しゃべっても被害にあったお年寄りが方言をしゃべったら会話が成り立たないもんなあ」
「でも今のお年寄りは進化していて、標準語と方言を巧みに使い分けているぞ」
「ある意味バイリンガルなんだ」
「そうかもしれんな」
「テレビのドラマでも関西弁を変なイントネーションで言う俳優がいるもんな。そんなひとはモノリンガルだな」
「まあ普通に会話してたらいいのさ」
「お前は標準語だけどどこ出身なんだ」
「わいは難波の商人(あきんど)や」
「へぇー知らなかった。道理で五十日(ごとび)にこだわる癖があるもんなあ」
「方言も一種の口癖だもんなあ」
●もし毛が伸びなかったら
「もし毛が伸びなかったらどうする?」
「えっ?毛は伸びる毛と伸びない毛があるだろう」
「例えば?」
「年齢にもよるけど髪の毛以外はある程度までいったら伸びないぞ。逆に、髪の毛はどんどん伸びるけどね」
「その髪の毛すら伸びなかったらどうする?」
「快適でいいんじゃないの」
「理髪店組合から大ブーイングされるだろうな」
「だろうな」
「ハゲの人は毛が伸びないと辛いだろうな」
「そうするとカツラ業界がうんと儲かるだろうな」
「脱毛業者からもクレームがくるんじゃない?」
「そんなことはないさ。女性はすね毛やむだ毛を完全脱毛したいと思う人はまあまあいるんじゃないの?」
「そうかな?もっと多いんじゃないの」
「そうだね。やっぱり普通に生えてくる毛と生えるのが止まる毛があって然るべきだろうな」
「話は変わるけど、女性の髪の毛ってロングかショートかどっちが好み」
「別にどっちでもいいよ。その人の顔に似合っていれば」
「俺はセミロングかミドルがいいなあ」
「まあ女性の髪の毛は、若い頃はロングにして結婚して年とるとショートの人が多いよなあ。何でだろう?」
「そりゃ、髪が長いと髪の毛の途中で結わないと、邪魔になって家事ができないからさ」
「なるほどな」
「男の髪の毛が長い人はちょっと変わった人だな」
「そりゃ言えてる。暑いときなんか髪が多いと痒(かゆ)くなるもんな」
●醤油とソース以外に
「醤油とソース以外に、違う調味料ができたらどうする」
「何馬鹿なこと言ってんだよ!マヨネーズやケチャップ、ドレッシングなんかもあるだろ」
「違うよ。醤油やソースは調味料の基本でだいたいどっちかをかけて食べると味がするだろ」
「二大調味料のほかにある調味料が加わって三大調味料になるっていうのか?」
「そう。それは多分、液体の味噌ソースみたいなもんじゃないかな」
「えっ、そうか?俺は違うな。韓流ブームに乗って中辛のコチジャンソースだと思うな。だいたい味噌ソースなんてかけるよりも、味噌汁があるからそれで充分じゃないか」
「でも近頃は味噌汁を飲む機会が減ってないか?減ってると思うけどなあ」
「それは各家庭の台所事情によると思うよ。家では作らないからね。野菜や焼き肉にコチジャンソースをかけて食べると汗がでて健康になると思うよ」
「俺は辛いのは苦手だから駄目」
「そういう人のためには甘みたっぷりのフルーツソースなんてどうだ?」
「フルーツソース?なんか甘ったるくて嫌だなあ」
「じゃあ醤油とソース以外にどんな調味料をかけるのさ?」
「梅じそドレッシングぐらいかなあ。あとはケチャップ」
「どっちも酸っぱいなあ」
「ケチャップは甘いぞ。トマトベースだからチョッと酸っぱいけど」
「結局は普通に、醤油・ソース・ドレッシングでいんじゃないか」
「それもそうだな、普通が一番か・・・・・・」
●もし虹がなかったら
「もし虹がなかったらどうする?」
「虹がなくても別にどうもしないけど」
「雨上がりのきれいな虹が見られなかったらちょっと切ないだろう。それに、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫のカラーにはちゃんと訳があって、赤が一番波長が長くて紫が一番波長が短い。ちゃんとその通り、赤が円弧の外側で紫が円弧の内側になってる。可視光のエネルギーは紫なほど大きい。だから紫外線は人体に良くなくて、紫外線対策が女性には必要なんだ」
「なるほど、虹を見て科学するわけか。ちゃんと科学的な根拠があるんだな」
「虹が子供の頃から科学する心を育むから、虹がなかったら困るだろ?」
「じゃあ、オーロラはなぜ出来るんだ?」
「それは多分北極・南極から出入りする地磁気の発生が原因だと思うよ」
「そういえば物理の時間で磁力線を習ったときに地磁気の挿絵を見た気がする南極から出て北極に集まるような絵だったかな」
「その通り。磁気の出入り口に発生するんだ」
「でもいつも見られるわけじゃないんじゃないの。よくオーロラ観測ツアーとかあるけど」
「そう。虹もオーロラもなかなか見るタイミングが合わないと見れないのさ」
「あんなきれいな現象が見られなくなれば本当に切ないなあ。虹やオーロラは一種のロマンだからなあ。でも虹も庭に水まきしていると時々みられるぞ」
「虹の原理は、太陽と雨降りの後の空気中の微粒子からおきるんだっけ?」
「俺はそんな原理しらんぞ。でも虹の出ているときはたいていお日様が照っているからそうかもしれないな。じゃあ雨と太陽さえあれば虹がなくなるなんてことはないだろう?」
「そうだな。最近虹を見てなかったからそんなことを考えついたのかも」
「確かに。俺も遅くまで働いているから月と星ぐらいしかみてないもんなあ」
●患者を呼び込む医院 ~ある医院での会話~
患者「おはようございます、先生」
医者「おはようございます。その後どうですか?」
患者「それが薬が効かなくて不眠が止まらないんです」
医者「それは困りましたね。すぐ薬を調合し直しましょう」
患者「本当に良くなるんですか?先週は一日目しか効かなかったですけど」
医者「うーん、困りましたね。考え事をするんじゃないですか」
患者「したり、しなかったりです」
医者「考え事をするとねえ、どんな薬を飲んでも眠れませんよ。寝るときは無の境地になることです」
患者「はあそうですか。無の境地ですね。でもなかなかそうはいかないんですが」
医者「明日のことを考えてもしかたないでしょう」
患者「確かにそうです。でも潜在意識の中で明日のことをどっかで考えてるんじゃないでしょうか」
医者「睡眠時間よりも睡眠の質が大切なんです。昨晩はぐっすり眠れた時間はありましたか」
患者「はい」
医者「それならよろしいですね。薬は先週と同じのを出しときます。知り合いに不眠の方はいませんか?」
患者「友達の○さんが不眠と聞きましたが・・・」
医者「そうですか。じゃあ是非その人も当医院に来るように勧めて下さい。」
患者「はい、わかりました。で、紹介料はいかほどに?」
医者「え?新患者の紹介に金をこの名医の私に払えというのですか」
患者「はい。ほんの数百円程度でいいですよ何回か通えば元はすぐ取れるでしょう」
医者「先生は何もお金儲けで医院を経営しているのではないのですよ。病気で困っている人を一人でも多く治してあげたいからなのですよ」
患者「そうなんですか。先生は本当にいいお医者さんですね。それなのに、なぜ患者が増えるばかりなんでしょうか」
医者「世の中が悪いんですよ。上司が部下に無理なことを押し付けるからですよ。出来ないときは、『無理です。出来ません』と言えば、上司も考え直すでしょうに」
患者「すごい!まさにその通りです。先生の言う通り口コミで新患者を紹介します。でもただほど高いものはない、って言いますもんね」
医者「口コミ紹介は大いに結構です。今日の診察は紹介料を引いときます」
患者「なんか得した気分だなあ、今日は」
●四季なし列島 ~ある家族の会話~
父「日本には四季がちゃんとあるけど、もしなかったらどうなる?」
母「何言ってるんですかっ!四季があるから旬のおいしい食材を使った料理ができるんじゃないですか?」
父「でも食材は、一年を通して色んな国々から輸入しているんだろ?」
母「そりゃまあそうだけど。でもねえ、国産が一番よ。値段は高いけど、一番安全よ」
父「そうかなあ?外国産でもおいしいけどなあ」
母「だいたい四季がなかったら一年のリズム感がなくなるわよ。春に桜が咲いて、入学式があって、夏に夏休みがあって子供がプールへ行って宿題して。秋に読書して月見をして、冬におこたに入ってみかん食べながら春を待つ」
父「なるほどな。でも俺は大部分会社に勤めているからあんまり季節感を感じないけどなあ。息子に聞いてみよう。お前はどうだ?四季がなかったら困るか?」
息子「僕小学生だから、夏休みが多い方がいい。みんなと遊園地へ行けるもん。」
父「春や秋はどうだ?」
息子「春は学年が変わって友達が変わるから嫌だよ。秋は運動会があるから好き。」
母「日本人は四季に合わせて体が動くようにできているんです」
息子「一年よりも一日一日が大事だと思うよ。あー腹減ったあ」
父「一年中暑いところや、一年中寒いところでも、人間は環境に順応して生活ができるんだ。父さんは一年中ポカポカした春が一年ずっと続けばいいと思うぞ。花粉症は辛いけど。やはり桜の咲く頃がのんびりして気持ちいいなあ」
母「私はアイスクリームにかき氷が食べられる夏がいいわ」
息子「僕は表で遊べる夏と、虫取りができる秋がいいよ」
父「だれも冬が好きなもんはおらんのか。おれも嫌いだけど」
息子「ぼくクリスマスとお正月が好き。寒い日は嫌だけど」
母「でもこのごろ一年があっというまに過ぎ去るから確かに昔に比べて季節感がないわね」
息子「毎日が誕生日ならいいのになあ。プレゼントに囲まれて、ケーキとアイスクリーム食べ放題!」
母「そんなおめでたいことあるわけないでしょっ」
父「そりゃそうだ。やっぱり普通に四季のある日本が一番だな」
●十手観音 ~あるサラリーマンの会話~
「よく手が足りないって言うけど千手(せんじゅ)観音ているだろ?もし手が十本あったら何する?」
「そうだな。テレビとエアコンのリモコンで二本、耳掃除に二本、鼻掃除に二本、飯食うのに二本、パソコンで仕事するのに二本かな」
「なるほど、ちょうど十本だな。たいした奴だな」
「たいしたことないよ。待てよ携帯電話のメール打つのにあと一本いるぞ」
「やれやれ、テレビ見ながら携帯のメール打つのかよ?」
「それもそうだなテレビ見てる時にメールが来たらテレビのリモコンは要らないな」
「それならテレビ見ながらパソコンで仕事はできんだろう」
「目が四つあったらできるぞ」
「十手観音は目が四つか。脳が疲れないか?」
「疲れない、疲れない。脳はごく一部しか使っていないんだから大丈夫」
「本当にそうか?それだけ手を使ったら首に神経が集中しているから肩がこるぞ」
「そうかもしれん。でも脳の働きは活発になるぞ」
「そんだけ脳を使ったら、思いっきり腹が減るぞ。それに飲み食いするときは、目で食べ物を見ないとこぼしたりするし、そもそも目で料理の彩りを楽しむもんだろう」
「そうか。じゃあ、目が八つてのはどうだ」
「大きく出たな。昆虫じゃあるまいし目が八つあってどうすんだ」
「上下左右、前後ろ、真ん中に二つ」
「そんな奴いるかよ。まるで宇宙人だ」
「だってもし手が十本あったらなんていう前提で話し始めたからだろ?」
「そりゃそうだけど・・・・・・」
「いいじゃないか。ロボットを超えたみたいで」
「目のやり場に困らないか?半円球みたいな感じ?それこそ目が泳いでるって言われるぞ」
「目が泳ぐ?そんなこたあないよ。ちゃんと角度が決まっているんだ」
「角度?要は監視カメラと同じじゃないか」
「正解!でもやっぱり普通の人間で充分だ」
「話が落ち着いたな」
●もし明日がなかったら
「もし明日がなかったらどうする?」
「今日でおしまいってことかよ。そりゃやばいよ。今日中にしてしまわなければならないことが山積みだ。でもそんなことないだろ?」
「そう。次の日は来るけど、明日は来ない。明日という時は明るい日と書くだろう?しかし明るいニュースなんてほとんどない。だから明日と呼ばずに『翌日』と呼んだ方がいいんだ」
「そうか。『翌日』が来てくれればいいや。安心した。でも、確かに、『明るい日』なんてそおうそう訪れやしないな。朝日はまぶしくて明るいけど」
「そうだな。『翌日』がたまって将来、文明が進歩しても世の人の心は貧しくなる一方だもんな」
「なんか暗いなあ。お前の意見はマイナス思考だぞ。そんなに悲観的なら結婚もできないぞ」
「そりゃまずい。プラス思考に変えないとっどうしたらプラス思考になるんだ?」
「簡単さ、いいとこだけを見て悪いとこは見ても見ぬ振りをすればいいんだよ」
「そんなアバウトにできるかな」
「できるさ今の世の中暗いけど、テレビをみていれば見たい番組、明るい番組だけみればいいのさ」
「明るいテレビねぇ。テレビは感動を伝えるものだから、えてして暗い部分も入れなきゃ明るいシーンの感動も起こらないと思うよ」
「そんなことはないさ。今はバラエティ番組が花盛りだろ?バラエティ番組もたまには見たらどうだ」
「そんなことで本当にプラス思考になるのかな」
「だから繰り返すけど、いいとこだけ見て悪いとこは見てみぬ振りをする、聞いて聞かない振りをするのさ」
「まるで日光の猿の見ざる・聞かざる・言わざるみたいだな。要は、物事には一長一短あるけど、短所には目をつぶって長所だけを見ろってことだろ」
「そうさ。大体、『明日がなかったら』なんて考えること自体マイナス思考なんだよ。『明日が二回きたらどうする』とか『明日楽しいことが一杯だったらどうする』とか楽しい、明るいことを考えるもんだよ、普通はね」
「悪かった。前言撤回!」
●汗は掃除機
「もし汗が体の中の不純物を全部出してくれたらどうする?」
「どうするも何も、汗はそういうもんじゃないの?」
「膀胱(ぼうこう)にたまった不純物は尿として出るだろう汗が尿の分まで不純物を洗い流してくれたらという話だよ」
「最近どこでもエアコンがあるから、そんなに汗はかかないけどなあ」
「でも寝てる間に汗かかないか?」
「かくかく。朝起きたら寝間着なんか汗ビッショリだもんな。確かに不純物を出している気がするよ。でも尿も出ないと駄目だろ?」
「そりゃそうだ。腎臓で不純物を濾(こ)しとってくれないと大変だよ」
「汗は苦労の結晶だもの。今まで考えていた嫌なことが汗で全部流れればいいのになあ」
「俺は小便で全部いやなことが流れればいいのにな、と思うけどね」
「まあ両方とも不純物を流してくれるはずだけどね」
「不純な高校生も高校野球の甲子園で一生懸命汗を流すじゃないか。選手も、応援する生徒達も」
「そうだな。額に汗して働く人はみんな不純物を洗い流しているもんなあ。トイレに行く時間より汗流す時間の方が多いみたいだな」
「でもエアコンはそう簡単には手放せないぞ」
「エアコンかけてても汗はかいているよ。その証拠にクーラーが涼しいと感じるのは、汗腺(かんせん)から水分が出ていて、体から熱を奪って、体温を調節しているからなのさ」
「そうか。そう言われればそう聞いたことがあるよ」
「だろ?汗は体の掃除機なのさ。暑いときはできるだけ汗をスポーツや仕事場で流した方がよいんだよ」
「でも心の不純物だけは中々落ちない気がするな」
「心も汗をかければいいのになあ」
●一日が二日分
「もし一日が二日分あったら何をする」
「一日が四十八時間だったらってことかい?」
「そうだよ」
「うーん、仕事十二時間、休憩二時間、遊び八時間、食事六時間、睡眠十六時間、残り四時間は通勤時間ってとこかな」
「仕事の割りに、遊びの時間が多すぎないか」
「遊びといっても新聞や雑誌を読んだり、インターネットで検索したりする時間も入るからそれでいいんだ」
「人生の三分の一は眠るから睡眠時間は十六時間なのか?」
「そうさ」
「そんなに眠っていたら夢見る時間も長いんだろうな」
「そうさ。遊びの時間にインプットした情報の一部が夢に出てきてフルカラーの楽しい夢が見れるぞ」
「必ずしも楽しいとは限らないだろう?時には嫌な夢も見るんじゃないか?」
「そんなことはないさ嫌な情報を消去するサプリメントを寝る前に飲めばいいのさ」
「そんなサプリメントあんのかよ」
「あればいいけどな」
「そんなこと考えるのを夢見心地と言うんだぞ」
「その通りだな」
「まあ夢は現実とは関係ないから」
「そんなことはないぞ。夢が現実になる正夢ってのもあるんだから」
「話がそれてきたぞ」
「うん一日が二日分あったら、って話だよな君ならどうする」
「俺なら、二十四時間は元のままにして、残り二十四時間で全国津々浦々を旅してくるかな」
「要は二十四時間遊ぶってことじゃないか」
「そうさ。飛行機で全国の温泉に入って明日の仕事に備えて汗を流すのさ」
「睡眠時間はそれで足りるのか?」
「馬鹿だな。移動中の飛行機で寝るんだよ」
「何だか3泊5日のハワイ旅行みたいだな」
「でも国内だから安心だし時差ぼけもないぞ」
「毎日そんな生活だったら金がいくらあっても足りないだろう?」
「確かにそうだな。結局、俺のプランは一部のセレブにしかできないんだろうなあ」
「そうそう。一日二十四時間で結構だよ」
「やっぱり一日は普通に一日であって欲しいよな」
●涙は宝石?
「もし涙が宝石になったらいくらだろうか?」
「涙は液体だろ?固体の宝石になるわけないじゃないか」
「だからさあ、その液体の涙が固体の宝石になったと仮定したらだよ。水を冷やして氷にするようなもんさ」
「なるほどね、氷か。」
「氷じゃなくて美しい宝石になるとしたら?」
「何で宝石になるんだよ?」
「でもダイアモンドだって炭素の集まりだろ?涙が錬金術師の手によって宝石になるかもしれないじゃないか」
「まあ宝石になったと認めよう。それでその宝石がいくらするかだって?」
「そう」
「氷の値段にプラスアルファいくらかだな。まあカキ氷ぐらいで三百円ぐらいじゃないか。せいぜいのところ」
「そんなに安いのか?」
「だって涙ってほとんど水だろ?」
「でも滅多にでない貴重品だぞ。それに、固体をダイヤみたいに加工して光らせれば何カラットかの宝石だからもっと価値があるだろ」
「じゃお前はどれくらいだと思う?」
「二百万円ぐらいするんじゃない」
「『じゃない』って適当な鑑定だなあ」
「新種の宝石ならダイヤ以上するかもね」
「お前すごいこと言うなあ」
「すごくないよ」
「どっからそんな発想がひらめいたんだ?」
「雪なんかでも主成分は水で副成分は空気中のチリだけど、結晶はきれいだからさ、涙も固体になるときっときれいな結晶になるんじゃないかなあ、と思ってさ」
「確かにそぅだな」
「だろ?」
「でも一人一人の涙って体液だから微妙に違った宝石になるんじゃないか?」
「そうかもしれないな」
「ところでその宝石の名前はなんていうんだ?」
「名前かあ。そうだな発想者の名前をとってグッチモンドってどうだ?」
「そりゃあだ名だろ。もっと気品高い名前にしたらどうだ?」
「じゃあ涙のイタリア語がラクリマだから、ラクリマロイド!」
「なんかアンドロイドみたいで気味悪いなあ」
「いいんだよ。人造宝石だから」
「なるほどね、ちょっと説得力はあるな」
「ラクリマロイド。いい響きだ」
「ラクリマロイドは作れるとしたらどうやっって作るんだ?」
「涙を5ミリリットルぐらい目から採取して、真空状態で圧力をかけて、冷やして個体にしてから常温でも解けないように、耐熱性ガラスを薄い膜状にして接合するんだ」
「ほう。ガラスだから中のラクリマロイドも見えるんだな。中々いいアイデアじゃないか」
「ところで、ラクリマロイドは誰の涙を使うんだ?」
「ラクリマロイドは赤ん坊から年寄りまで古今東西誰のでもオッケーなんだ。だから貧しい国の人でも資産家になるチャンスは公平均等にあるのさ」
「これで貧富の差は縮まるか・・・・・・。ん?、ちょっと待てよ。そう簡単に涙は出ないだろう?赤ん坊は確かに頻繁に泣くけどお年寄りの人はそんなに泣かないぞ」
「そう来ると思ったよ。ラクリマロイドは赤ん坊の涙が一番純度が高くて高価なんだ」
「なんで?」
「そりゃ、赤ん坊には記憶がないから純粋なラクリマロイドができるのさ。」
「年寄りのでは?」
「年寄りのラクリマロイドは、汚れた記憶が涙に溶けているから安いよ」
「じゃあ純粋な性格の母親が産んだ赤ん坊のラクリマロイドが一番きれいで高価なわけか?」
「性格までは影響しないと思うけどね」
「すると日本のように出生率の低い国はかなり出生率がアップするんじゃないか?赤ん坊を一人でも多く産めばそれだけラクリマロイドがたくさんできて儲かるんじゃない?」
「国産品のラクリマロイドを高くしないといけないな。アフリカ産なんかにしたらとんでもないぐらい金持ちが増えて、さらに人口が増えて、食糧難に陥るもんなあ」
「その辺がラクリマロイドの一長一短だな。金みたいに国際取引が絡むと難しいよ」
「ラクリマロイドの夢のような話が食糧問題にまで発展するとは考えてもみなかった。でもアフリカも赤ん坊の数が程々に落ち着けばきっと救われると思いたいね」
万花物語・上 #70-90
第三部(#70 ~ #90)
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●白蛇昇天
信太郎は今年の夏休みに休暇を利用して沖縄に遊びに来ていた。伯父さんの家に二泊する予定で。
羽田発の便で出発し、順調に那覇に着いたのが午前一一時。空港に着くと、玄関口で日焼けした伯父が来ていた。
車で空港から四〇分ほど走ると、伯父さんの町に着いた。
家で荷物を降ろして軽装に着替えた信太郎。シャワーを借りて汗を流した後、沖縄名物のオリオンビールをご馳走になった。ビール片手に疲れを癒しつつ最近あった出来事や政治の話から始まり、信太郎の家族の話までが一通りが済んだ。テレビを付けて一服していると、伯父・孝二が書斎からアルバムを引っ張り出してきて子どもの頃の思い出を語り始めた。そして最後には、こんな不思議な民話をしてくれた。
少し離れた近所に知念さんという知り合いがいる。そこには裏庭に古い蔵があり、その蔵の隅に古文書があるという。
興味を持った信太郎は孝二の説明に身を乗り出して耳を傾けた。そして、明日時間があれば伯父が案内するというのだった。
その晩、伯父一家が寝静まってからも、信太郎は子どものように興奮気味で寝つきが悪かった。
翌日、朝食を摂り、近所を散歩して家に戻ると、信太郎は古文書をカメラに収めるために持参していたカメラの準備をした。昨夜も寝る前にしたのだが、東京に帰るとしばらく沖縄には行けないので中年男は余計に慎重になっている。その間に、伯父が知念さんに今日の訪問の経緯を説明し、彼らの了承を得ることに成功した。まあ、田舎のような町では小さい頃から町全体が顔見知りだから話がスムーズだ。
知念さんの家に着くと、早速庭に案内されて蔵の簡単な説明を受けた。ただ古文書は得体の知れない物、と思ったらしく、知念さんが発見した当時のままホコリがかぶっているはずだ、という。
そして鍵を取りに家に戻った知念さんが蔵の扉の南京錠を外すと、薄暗く砂埃がもうもうと立ち込めた空間が出現した。
埃と汗にまみれて手にした古文書を確認する三人。地元の方言でやり取りが始まったが、東京育ちの信太郎には意味不明な言葉が飛び交った。やがて彼にもわかるように、訛った《・・・》標準語を使い出した隆二が、
「信ちゃん。知念さん、これを写真に撮るだけならいいですよ、って言ってるよ」
と人懐っこい顔でカメラのシャッターを押す仕草をしながら言った。
結局、信太郎は自分の目で確かめても意味不明な崩れ字の解読を諦め、何十枚もの写真を撮って沖縄を後にした。帰りの孝二の車の中で、その写真を琉球科学大に持ち込めば、知り合いの大学の准教授が解読できるかもしれない、と言うので、是非お願いしますと信太郎は頼んだ。
今回の沖縄訪問で何かお宝の鑑定のような騒動が起きたな、と感じたシンタロウ。それはそれで楽しみができたように彼は思った。なぜなら、東京での仕事――パソコンに向かう毎日――その単調で退屈な中、ちょっとした謎を自分が解明する調査団の隊長のような気分になれたからだった。
そしてひと月が過ぎ、楽しみの鑑定結果が会社のファクスに届いた。顔に疑問の表情を浮かべた女子社員が、湯浅係長、沖縄の大学から資料です、と数枚の文書を差し出した。
そこには鑑定の細かな分析と結果があった。
古文書の内容はと言うと、
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今から五百年前。琉球のある村には大きな池があった。その池に白い大蛇が棲むという言い伝えが大昔からあったらしい。その当時村で盛んだったゴーヤーの栽培も琉球の雨季に反して旱魃に襲われ不作だった。
そこで村長らが話し合って、祠を新築しお払いをして、村の祭りで若い娘を奉納することになった。つまり、池の主、白い大蛇の怒りを買ったと解釈した彼らは、それを鎮めるために白蛇の生贄として人身を献納することを決定したのだ。そして娘を奉納すると女はいつの間にか消えていなくなり、日照りの毎日から突然の恵みの雨が降り、村人たちは歓喜の声を上げて作物の豊饒を期待した。そして実際、夏の盛りには青々とした成果が得られるということが何度も起きた。
以来不作の年になると、白羽の矢の立った民家からは若い娘のすすり泣く声がするようになった。その家の不幸と引き換えに村には豊作という幸福が訪れた。その習わしが続き村の伝統になった。
しかし、その古文書のナントカという年号(ここは解読不明)の時、該当した娘に恋した若者が、祠に繋がれた娘を逃がして駆け落ちした。怒った白蛇は三週間雨を降らし続けて村は大浸水に見舞われた。
困り果てた村の偉い衆は緊急事態に幾日も話し合いを持ったが結論が得られない。池の水が注ぐ川は今にも決壊して大洪水になりそうだった。
その一歩手前までいったある晩、白蛇の神社に誰かが生まれたての三つ子を置き去りにした。そしてその赤子の母さんは池に身投げして死んだ。その朝、曇天と雷雨から一転して晴れ間が広がり、空高くに薄い白色の長い長い縄のようなものが雲間に消えたのを何人もの村人が目撃した。
かくなうるうえは、この伝承を村民は守り続けなければならない。
白蛇は水の神であり、池や川を汚したり、不作年の奉納の風習を破ってはならぬ。
******************
以上が古文書の内容の解明結果であった。
残業でコーヒーを飲んでいた湯浅信太郎は思わず黒い液体を噴出しそうにむせた。
そしてこの沖縄の白蛇伝説をいつかこの目で確かめたい衝動に駆られた。
あの古文書の解明から三年。――
湯浅は十三になる息子を連れて沖縄に舞い戻った。
そして湯浅の思いを村人に話し、嫌がる村人に金を渡して、案内させ、ついに古文書の池を突き止めた。
湯浅信太郎は三つ子の赤子に似せた人形を池のほとりの祠に置くとワザと煙草の吸殻を捨ててみた。
すると突然大雨が降りだしたかと思うと池から大蛇が現れた。伝説の怪獣は大きなワニの如き口をがばりと開けると、三つ子の赤子を一飲みにした。呆気にとられる湯浅親子を尻目に、池の周りに水しぶきをまきながら、白蛇は雷雨の中黒い雲に数秒で吸い込まれた。その瞬間から黒く厚い雲が消え出して、見る間に元の晴天に戻った。
大蛇は現実に居たのだ。
しばらくして池を見ると、大蛇が垂らした水しぶきが小川になっていた。
ナントも不思議な光景だった。
白蛇はまさしく洪水の守護神だったのかもしれない。
本当の話、蛇には洪水にまつわる民話があるという。
●一年後の桜の下で
美梨也は幸せだった。大好きな高志の横顔を高瀬川の土手に座ってちらちら見れるから。それが今の美梨也の幸せそのものだったから。
「一年後に、またこの土手で会おうね。桜の花が満開の頃に」
「うん。会おう。ミリヤの一年後、どんなかな? 」
「アタシは……。ワカンナイっ。タカシはきっと、もっともっとステキなオシメンになってるヨ」
「ハハハ。オシメンか。ところでさ。ミリヤは高校卒業したら、東京の専門学校行くんだろ? 」
「うん。アタシは美容カンケイのセンモン。将来、美容師になるの」
「オレは高校出たら地元で働く。ミリヤの為に一生懸命働く。そんで、すげェ家建てる」
「ムリしなくていいヨ。アタシはタカシと一緒ならそれでいいの」
雀が二匹チュンチュンさえずって春の空に木霊した。
土手の桜が風に戦ぐ。花びらが川面にヒラヒラと舞い落ちて、サラサラと小川を流れて行く。
「あの花びら。どこまで流れるかなぁ? 」
「え? どれ? 」探すタカシ。
「ほらぁ。あそこだよ」と指差すミリヤの楽しげな声に、彼氏は花びらを見つけると、「ああ。あれか」と呟き、
「流れに乗ってあの橋まで行くんじゃないかな」と肩を揺らして更に続けた。
花びらは橋の袂まで流れ着いた。しかし、橋の影に入ってからはその形は見えなくなった。
「ねぇ。花びらどうなったかな? 桜の木にあった時は、みんなと一緒で華やかだったのにさ。川に落ちたら逸れてバラバラ……。私たちもそうなるの? なんだかイヤだよ」センチメンタルな気分になる美梨也。
「大丈夫さ。水に流れても桜は桜だよ。ボクラも高校出てもいつでも集まれるさ。みんな地元に居るんだから。心配すんなって」
優しく高志は慰める。そして、ソッと美梨也を抱き寄せた。しばらく抱き合う二人。目を閉じると春の風の匂いが鼻と頬をくすぐってきた。
なし
桜――の花びら――舞~うたびに――
ノブナガの唄を口ずさむ若者の自転車が二人の横を通り過ぎた。
今年の春は二人にとって、誓いと約束の春になった。
●うまくいかない世の中は・・・
「今日のピッチャーは神経質だ。ランナー出たら心理状態を不安定にしてやれ。制球が乱れてくるからな」
コーチは試合前のミーティングでそう分析した。野球シーズン真っ最中の、関東エレファンツとの公式戦。
<ふむ。ランナーなしならどうすんだよ。そんときゃぁ、空振りしてわざとバットをピッチャーめがけて放り投げるかな>ベテランの藤巻選手はそう思った。
さて試合本番。~7番レフトFUJIMAKI~。
藤巻はバッターボックスに入った。
入念にバットをグルグルと回すと相手投手の方を見た。
一球目ファウル。二級目見逃しストライク。カウントは投手有利のツーストライク。ランナーはなしだ。
<あれをやるしかないな>
投手は渾身の直球を投げ込んだ!!
その瞬間――。
案の定、空振り三振する藤巻。だが、彼のバットは空を舞って、事もあろうに一塁コーチの頭めがけて一直線!
ドスっ……。
「ギャァ~~~!」
うずくまる一塁コーチ・北畠。
そしてコーチ陣と選手4、5人が飛び出て興奮する内に、怒号が飛び交い、同じチーム内での身内同士の『大乱闘』へと発展した。体のデカイ選手とコーチが殴り合い、蹴飛ばし合い、小突きあって退場者が出る始末。元々試合展開が0―8の惨めな状況で負けてたので、ここぞとばかりに日頃の鬱憤晴らしに使われたようだ。
試合後、顔中アザだらけ、体も傷だらけの藤巻は重い体を引きずって呻いた。
―――あぁ。こんなコトになるならバットを手から離すんじゃなかった。なんでピッチャーの方に飛ばず、北畠の方へ行っちゃったんだ?―――
しげしげと古びた木製バットを眺めるベテラン選手。すると、バットに滑りやすい粉が沢山残っているではないか。
―――誰だ!コンナことしやがったヤツは? これじゃあスイングの時、滑りすぎてコントロールがきかんはずだぜ。畜生め!ハメやがったな!!オレを嫌う連中の仕業かよ……。
腹の立ったフジマキはロッカー蹴飛ばすと、一目散でシャワー室に入り汗と汚れを落とした。再びロッカールームに戻ってポロシャツとスラックスに着替えると、後輩を呼んで車に乗り込み夜の街へと繰り出した。
後味の悪い試合後なので、いつもと違うステーキハウスを選択して一同は店に入った。それぞれに、サーロインステーキやら、Tボーンステーキやらを頼み、生ビールで乾杯した。オツカレ~~!!ビールを飲み、ステーキをむしゃぶり食い始める。しばらくワイワイ盛り上がっていると、奥のテーブルでも喧しく盛り上がりを見せていた。
ん、なんだ。アチコチ騒々しいな……。
そう思っていると、奥で騒いでいた客の一人がトイレに立ったのか、こっちへやって来る。そいつが通り過ぎるとき、聞き覚えのあるダミ声が藤巻の耳を劈いた。
「オッ!!オマエらも居たんか!!」
―――ゲッ!北畠!ヤバッ……!―――
頭に包帯をグルグル巻いた大男は病院に直行したハズだったが……。もう処置が終わったんか?
呆気にとられる藤巻選手に向かって、頭だけミイラ男はこう宣告した。
「ヨウ。今日の仕打ちはヒドかったぜ。あんなコトでは二軍に落とすゾ!」
●女傑
N図書館での赴任一日目。新米司書の朱美は先輩の好子から館内の説明を一通り聞いた。
一日目はカウンターに立つこともなく、ひたすら書庫の返本整理と事務室での新規図書のデータ登録をこなすだけで済んだ。
そして二日目。朝から小雨混じりの中、電車に揺られながら、昨日教えられたコトを書いたメモを見返し見返し復習してはいたが、何となく嫌なコトが起きそうな悪い予感を覚えた。
自分は温室育ちで、お嬢様女子大を卒業したばかり。性格も真面目で内気。おっとりタイプに入るのかもしれない。だが、N図書館のスタッフは男女共にキビキビして動きも素早く、頭のキレそうな人ばかりに見える。果たして自分はそういう人たちと共に働いていけるのか? 調和できるんだろうか?
さて、図書館に着いた。中の事務室に入ると数名の司書と男性職員が何やら談笑していた。しばらくすると朝礼が始まった。アレコレ注意が言われたが朱美は緊張して頭に入らない。
やがて開館時間となり、今日から朱美もカウンターに立つよう言われた。カウンターに立つと頬が紅潮した。慣れない緊張感からなのか……。
最初の客。二人目の客。三人目、……。次々にやって来る利用者に対して、ぎこちない笑顔で、沢山の本を受け取り、貸し出す本を手渡して、という作業がしばらく続いた。
しかし、ある主婦の質問に一瞬手が止まってタジロいだ。
「この利用券で●●●はどうなってるのよ? 」
「ハイ。少々お待ち下さい」と答えた瞬間、朱美の手をバシッとはたく者がいた。好子のグループの先輩司書・麻里亜だった。
いかにも気の強そうな、自信ありげな態度と風格の彼女は朱美を睨み付けると、
「ちがうワ。なにやってんのヨ!」と語気を強めて叱責した。荒々しい態度でアケミをカウンターから弾き飛ばすと、主婦の利用者の応対をソツなくこなした。
―――これが実社会の現実なんだワ……。―――
朱美はしばらく硬直して頭が真っ白になりつつも、そう思った。
休憩時間に第二事務室に呼び出されたヒロインは、麻里亜にきつく責められた。
「●●●は朝礼で言ったでしょ? 分からないなら何で確認しないのよ? アナタが間違えることで、その人にも後ろで並んでる人にも、館員にも、皆に迷惑かかるのよ!!もう二度とこんなミスしないで頂戴ね!私たち司書が低く見られるから!さあ、仕事に戻って!」
一方的に喋られて、ハイ、ハイ、と聞いていた朱美の頬を熱い滴がタラリと伝って流れ落ちた。
その後の仕事のミスは無かったが、悔しくて、何が一番良い方法か、そればかりが作業中も頭をよぎった。
定時を回り、図書の整理とパソコン・照明の電源を切ると事務室に戻った。麻里亜を始めとする主婦のパート司書は菓子を頬張り、昼間の朱美の失敗談に花を咲かせている。恥ずかしさの余り、お辞儀をすると鞄を抱えて駅までダッシュした。
そして二年が過ぎ、朱美は市内図書館へ異動が告げられた。独り立ちした司書アケミはN図書館の全員にお礼を述べると、彼女をイジメた先輩の机上の書類の山の上に付箋紙を貼った。
<覚えてなさい。タダで済むと思うなヨ!!>
やがてベテラン司書となった朱美は職場では「女傑」と呼ばれる存在に成長したと言う。
●剽窃横行A大学Y教授―ある事務官の談話
私、A大学工学部T研究室の事務員してました―――
ええ、いつも研究室に居ましたよ。それが仕事ですから。
何ですって? ああ、あれね。そうそう。そんなのしょっちゅうですよ。日常茶飯事。
Y教授がね、音頭取りで学生に指示するんですよ。アレとソレが合わないなら作っとけ、って具合にね。
それが有名な科学雑誌に投稿されるんだからねぇ。
ビックリっちゅうか、なんて言うか……。そんなもんですかね? 学者ってのは。
で、学会のお偉いさんでしょ? Y先生。誰も逆らえないんだよね。裸の王様だよね。笑っちゃうよね。
まあ、Y教授を頂点にしたピラミッドができてて、そのお陰で私も飯が食える身だからね。あまり悪く言いたくはないけど。
今、こうして新聞・マスコミに取り上げられたから白状できるけど、普通は喋れませんよ。こんなこと。
ああ。もっと詳しく? ちょっと待って下さい。
(しばらく経って)ほら、これ。業務日誌です。これが例のあれですよ。ホラ、2月1日から3月20日までのこの頁ですよ。不正なデータを作った時期ですわね。
丁度つごうがいいんですよ。不正を犯した学生は卒業していなくなるし、院生は研究テーマをY教授とディスカス(議論)しなきゃなんないんで口が重くなるし。
この院生と学部生のやった、<新素材合金超伝導実験>ですね。この実験中に、金属が分離しちゃって、過去の研究事例を否定する振る舞いをしたんだって彼ら騒いでたよ。同じ研究室の先輩方が築いた結果を否定する訳にはいかないでしょ? 最初は再実験も考えたみたいだけど、学会発表や論文の締め切りが迫ってて間に合わないから、「正しそうなデータに置き換えろ」って指示が出てさ。過去のB大の類似論文中の似たようなデータを加工したって言ってたよ。
もちろん、露骨には言わんですよ。Y先生曰く、
「B大のヤツとこれをガッチャンコだな」って。
ガッチャンコってのは、<合体>みたく、くっつけろっていうことですぜ。
新素材合金も、一昨年のノーベル物理学賞につながる重要な研究でしょ。世界の権威を相手に欺いちゃヤバイよね。
Y先生の研究成果の大部分は素晴らしいんですよ。それで国からの研究予算が付いて、何年も研究できる体制が敷かれてね。実験装置や研究者には大盤振る舞いできる環境が作れれたんですからね。
でも、画竜点睛ですかね。魔が差したのかな?
結局、バレるんでしょ?
見る人が見ればわかるもんだよね?
なんでY先生、あんなことしたのかなあ……。若い頃はやり手で真面目だったのにねぇ。
なし
もういいでしょ? Y先生? 学会に貢献した偉い人だから、天下りみたく、ナンボでも仕事はあるでしょうよ。あっしは知りませんがね。
あれ、なんてんですか? 他人の説や論文をパクッちゃうの。
ア、ひょうせつ、ね。難しい字だね。アンタもよく知ってるね。アンタも事情通だな。
するてえと、オレは、剽窃暴きか……。
●六軒狼留聖婦反徒 YES/NO?
ギターのジミーは練習を終えて、いつもの定食屋に寄った。
<定食 番戸屋>の赤い暖簾をくぐると、
「香ちゃん、いつものヤツ」と、これまたいつものセリフを吐く。
「ハーイ」愛想をふりまき、香子は厨房にオーダーを通した。
「サバ味噌定の大盛りワンですぅ」ジミーは、香子の背中から足までを、ミミズが這うようにゆっくりと眺め回してから、視線を手元の漫画本に落とした。
奥でサバを鍋で温める熱と、味噌の良い匂いがテーブルまで充満してきた。丸顔で長い髪を後ろで束ねた香子は、ジミーが料理が評判の番戸屋に足繁く通うもう一つの理由になっていた。
しかし、派手な出で立ちのロック青年にありがちな、見た目を意識してのことなのか、ジミーは香子への好意を口にする事は今まで一度もなかった。そして、今夜もその例外事は起きなかった。外見とは裏腹に、女性に対しては中々素直になれず、イメージ通りに突っ張って強がるだけのジミー。それがアーティストだ、とジミーはずっと信じているのだ。バンドを組んで7年。下積みも長かったが、ようやく音楽業界人から声が掛かり、ライブでの演奏も少しづつ回数が増えてきた。いわば、今が一番楽しく、充実した音楽漬けの日々だった。その為にはカノジョができなくとも、バイトがきつくとも、何でも我慢できたのだ。
「ジミーさん、どんな人が好きなの?」上目遣いで尋ねる香子に、ジミーは、
「オレはよう。六軒狼留やるヤツが好きさ」とのたまった。
「そうじゃなくて、女の人よ」アキれた声で彼女は言った。
「あ? 女? 六軒ファンよ」相変わらず<六軒狼留(=Rock'n Roll)>にこだわるジミーだった。
「不良っぽい娘がタイプ? アタシとはちがうわね」少し落胆の香子は続けて、「どうしてロックやってんの? アタジじゃだめなの?」と聞くと、
「香ちゃんはセイフだぜ。聖子の婦女で聖婦。オレは、セイフハントの為に六軒狼留するのよ」とよく分からぬ理屈を垂れつつ、ジミーは冷めた味噌汁をすすった。そして、箸を宙に向けると、こう言った。
「来週はライブがある。練習、練習の毎日だけど、やっとムクワレル。香ちゃんも来てくれるよな?」悪戯っ子のような純真な瞳で語りかけたバンドマンに対し、定食の後片付けをしていた女はその手を止めて、少し寂しげに顔を彼から背けると、
「今回はダメヨ……。行けないの」と笑って言った。
「どうしてだよ」のジミーの問いかけに、香子は
「アタシ遠い所へ行くの。アナタの知らない、遠い、遠い所へ。……。ゴメンナサイ」と言うと、ワッと叫んで顔を手で覆い、洗い場に駆け込んでうずくまってしまった。
後日、店に貼ってある閉店のチラシを見たジミーが近所の人に聞いた話では、香子一家は、親父さんがこさえた借金の取立てを避けて夜逃げしたらしい、との事だった。奇しくも香子の誕生日に……。
背中にギター、手にプレゼントを握り締めたジミーは、
「No 香子、No Rock !!」とシャウトしたのだった。
●極致のクレバス
キョクチをあてもなく彷徨って三日目になる。汗だくになってシャツを脱いだジョーは、周りを見回した。
なだらかな丘陵の窪み以外は何もない。
―――おかしいな。そろそろブッシュかジャングルが出現するはずだが……――――
緩い傾斜を下りて、窪みの脇を通るジョー。少し歩くと一服した。
水筒の水を飲んで、改めてキョクチの地図を広げてみる。確かにルートは正しい。ちゃんと太陽と星を目印にして計画した行程でここまで辿り着いたのだ。目標地点までは、あと数時間で行けるのは間違いない。周囲を三百六十度見渡しても繁みは無かったが、ジョーは自分を信じて、再び出発した。
再出発して五、六時間経っただろうか。太陽が傾きだした夕刻に、とうとう目的地に到着した。大地よりも少し黒みを帯びた土手の中にそれは存在した。
なだらかな丘陵の窪み以外は何もない。
―――おお、ここにあったか。クレバスが。(クレバスとは氷河の割れ目をいう)
さっそく、観測カイシだ。錘を降ろそう―――
ジョー白石は、極地観測隊<なみはや>の副隊長である。彼の任務の一つが、このクレバス調査だった。
ブルルン、ブルルン、ブルブルブンブン。
錘に付けられた糸が激しく脈打ってきた。
―――む? 地面が揺れる。よし、計器はどうだ? おお。こ、これは……。
P波、S波に混じって見たこともないパルスが発生しているぞ。まるでホワイトノイズのような不規則波だ。
何だか、人恋しい、懐かしい気分になってきた……。これは、地球が発する<リビドー>ではないのか……?
新説誕生。キョクチの胎内では地球が情欲を持って動いている――――
ジョーは興奮しつつも、背負っていた起振器を取り外し、冷静な判断を下した。
―――よし、クレバスに起振器を設置。電源作動―――
バ、バ、バ、バ。激しい音を立てて起振器は上下に振動する。すると、
ズ バ バ バ、ドーン、ドーン。
突然水しぶきが間欠泉のように上空に水柱の如くほとばしった。
―――うむ。ピークに達したようだな。では、生コンクリートを注入して締め固めるか。場所打ち杭は養生期間3週間でいいだろう―――
しかし、3週間後にジョーが現場に来てみると、まだ締まらずに、ボコボコと泡を立てて、杭はフワフワ浮いたままだった。
しかも、クレバスの付近には、塩水が飛び散っていた。
―――うむ。このクレバスは”メス”だったか。極致状態で、しかも、相当ゴブサタの……―――
●天才ホット・スポット
日本の街には不思議な現象が起きる所もあるらしい。<都市伝説>のように、ある事件や人物の所業が伝説化したことも少なくない。
そして、今回紹介する事例は、逆に、あるスポット付近で連続して起こったコトであり、○○のホットスポット、と呼んでもいいものである。
―――それは、今から四十五年前に遡る―――
1960年代後半の、関西圏のとある地方都市・A市。このA市のB町周辺で次々と天才少年が出現した。その少年達は近所でも評判の<神童>として、幼き頃より注目されていた。大きくなるにつれて、クラスで一番、学校で一番、近くの塾でトップレベル、という風にどんどん頭角を現した。
これだけなら、「ああ。あの辺は近くに私立の進学校があるからね」とか、「そうよ。○○中学の出身者が多いから、あそこらのご父兄は子どもの教育に熱心なのよ」とか言われるだけである。
それが何かに吸い寄せられるかのように、同じ有名中学に入学し、気付けば全員がナント東京大学に合格していた、というのだから驚きである。単なる進学熱やエリート志向にしては、小さなエリアに東大合格者がひしめいているという事実は説明できない。それに、A市の過去の東大卒の人間は、この五十年でヒトケタなのだ。
この驚くべき事実は何を物語っているのだろうか? この不思議な偶然性を知る者たちの間では、A市B町のことを、「天才・ホットスポット」と呼ぶようになったいたという。
このように、優れた人物や物質が世の中に偏って存在し、ある日を境に突如多数出てくることは、さほど珍しいことではない。あらかじめ何らかの作用でそこに固めて置かれていた、と思えばいいのだ。例えば、豊臣秀吉の埋蔵金にせよ、どこかの山に眠っていると言われているし、レア・アースにしても、限られた海底でしか出土されない。
だが、今回の「天才・ホットスポット」には、誰も知り得ぬ隠された秘密が深くかかわっていたとしたらどうだろう? その秘密が天才少年を量産する作用の根源である、とある学者は指摘する。
1960年代で子どもに影響を大きく与えたのは、言うまでもなくテレビ放送である。「その時期にA市で放送された、ある子供向け番組は、時の為政者の命令で、サブリミナル電波(あるメッセージを伴う特殊な電波。映画館の予告CMでコーラを飲みたくなるなどの例がある)を付けて放映していたらしい。その電波に反応したのがA市の天才少年たちだ」、との証言が在阪プロデューサーから得られた。
それを聞きつけた学者の指摘によると、当時の権力者が未来を担う人材発掘の為に、テレビを使って天才を東京に集めるように誘導していた、ということである。
なぜA市B町かって?それは私にも学者にもまだ分からない。ホットスポットは、突然その場所に姿を現すミステリーだから……。
●賢女乱行
九鬼あやめは医者の家系の三女に生まれた。東京・聖ソレイユ医大出身の女医である。毎年九月に行われる日本内科医学会の論文発表も終わり、婿養子の夫・篤正と都内のレストランで食事を摂っていた。三十を過ぎて肌にも翳りが目立ち、仕事柄ストレスもたまりがちな彼女は野菜中心のメニューをオーダーした。それを否定するかのように、篤正の方は昼間からビールに照り焼きチキンを頼んでいる。
「ねえ。アナタ。書斎に見慣れない名刺が落ちてたワ。ご存知? 」
「ん? なんの事だ? 」細君に痛い所を不意打ちされたアツマサは、とりあえずトボケた。
「あら。ワタシ、分かってるのよ。浮気してるでしょ」直球をズバズバと投げ込むアヤメ。アツマサは防戦一方のタジタジになりながらも何とか言い訳してその場を取り繕った。
その晩。ドレッサーに向かい化粧を落としていた女医は、隣のベッドで夫が眠ったのを確認すると昔の男にメールを打った。
―――久しぶりね。○○○で会えないかしら。―――
それから一週間後、あやめに呼び出された諸星哲司という男は、レストラン・チェーン店のグループ・オーナーをしていると女に語った。
昔のオトコが経営手腕のあるのを見抜いていたあやめは、さして驚かず、むしろ、あるコトを閃いた。このオトコの欠点、人を信用しやすい、というのを利用してチョッと困らせてやろうと悪女は思った。アクジョ・あやめは、悪巧みの仲間を募るべく、父親にパーティーを開くよう頼んだ。人を集める為、名称は<婚活 セレブ・パーティー>としたが、実態は金持ち子女のコネ作りの社交会合だった。
さて、パーティー当日。ひとりの美女があやめの目に留まった。
坂爪江梨果、29歳、モデル。
元彼の大野木から貰った高級ブランドバッグを知り合いの業者に高値で売り飛ばす。愛車のBMWを渋滞中の本線に割り込ませる。そんな数々の乱行ぶりを楽しそうに喋るエリカも、あやめに負けず劣らずの美貌だった。 細く滑らかな顎のライン。化粧映えする目鼻立ち。薄くて大きな口。そしてキリリとした目。端正なバランスのとれたボディ・ライン。
よし、コレに決めた。この金持ちモデル・エリカに声を掛けて友だちになると、あやめは言葉巧みに話を持ち掛けた。頭の良いあやめはエリカを安心させるため、大野木も加えて三人で哲司を騙し、彼の会社を乗っ取る計画を練った。
まず、テツジの経営するレストラン・チェーンの未公開株を大野木グループがTOBで買収する。その株を諸星が大野木から安く買い戻して利ざやを稼ぐ。その結果を見越して予め哲司がTOB前に大野木に前金を納める、という筋書きが出来た。その金策をカモに説明した。カモのテツジは利ざやの金額に驚き、二つ返事でOKした。後日、契約書に印鑑を押したのはカモになっているとは知らない諸星哲司だ。
さて後は、―――。TOBが失敗し、前金はパアになった。慌てた哲司は大野木に連絡したが、契約上はTOBの成否に関係なく支払う金だ、とか、弁護士を通してくれ、とのツレナイ返事ばかりで前金の返納は認めてもらえなかった。
今回、哲司自身は大野木に騙されたと思い込んでいる。しかし、実は、九鬼あやめの策略に引っ掛かったのだった。
これこそが賢女乱行の顛末であった。
●人には添うてみよ、馬には乗ってみよ
金曜深夜の繁華街の雑居ビル店内で、美砂と寛子と夏奈の三人OLはカラオケに興じていた。
トイレに立った夏菜、遅いね、と美砂が寛子に耳打ちしたとき、ドアがバタンと音を立てて、中年のオジサマ・サラリーマン二人に抱えられた夏菜が現れた。
「ゴメンねー。トイレで酔ってもどしちゃった……。出た所でこのオジサンたちに介抱されたの。イイ人だったからね。エスコートも頼んじゃった」
酔ってる割にはキチンと説明できてるな、と美砂は妙に感心しつつも半ば呆れ顔を作った。すると、横でミスチルを唄っていた寛子が変顔をして、
「え~~~。なに、この人たち。アタシ、やだぁ」とのたまった。
形勢不利と見た中年ペアは、仲間のお嬢様を宥めにかかろうとして、
「まあまあ。せっかくの<花金>だし。みんなで楽しく歌って盛り上がろうよ。ここの御代は僕らが持つからさ」と手を合わせて拝みだした。
この一言が効果覿面だった。寛子とミサの瞳は<¥マーク>になり、酔った夏菜だけは<?マーク> になった、ような感じだった。
現金なOL三人衆はお互い顔を見合わせると、コックリ頷いて、
「オ~~ケ~~!じゃ、皆さん、ドンドン予約入れましょ。オールで歌いまくるわよ~~」とすっかり調子付くありさまだった。寛子に至っては、オジサマペアにホステスよろしく、ウーロン茶やメロンソーダをせっせと運んできては二人に勧めている。
結局男女五人は丑三つ時まで熱唱し、飲み食いして、最後の方はオジサンの武勇伝を聞き、派手な三本締めで打ち上げを終えた。
帰り際、タクシー待ちの間に、当初乗り気でなかった寛子に対して、サラリーマンAは、こんなことを言った。
「君、最初、イヤダって言ってたよね? だけど色々楽しかっただろ? 『人には添うてみよ、馬には乗ってみよ』と昔の人は言ったもんだよ。あれこれ偏見つけて何もしないより、実際に付き合ってみたら意外と得るモノが多いでしょ? 人間って面白いよ。どんな人もソレゾレで」と、ありがたいご託宣まで頂いた。
若い方、お分かりかな?
●宗右衛門町でサヨウナラ
――十年振りに訪れたナ。ミナミか。久しぶりだ――
勝春は黒の鞄を提げて師走の難波に立ち寄った。二、三日分の下着と手拭い、ヒゲソリ、タオル、そして預金通帳に印鑑が詰まった鞄。左手に握り締めた、封の開いた手紙――
――その手紙こそが、頑なな勝春を大阪のこの地へと連れ戻したのだった。いや、彼の頭の中では時間すらそこに居た頃に連れ戻されたのか。
―――――――――――――――
| かつはる さん へ
|
| おひさしぶりです。
| そうえもん町の
| ノワール
| おぼえてますか?
|
| 十年ぶりに
| 会いたいです
|
| ミチヨ
―――――――――――――――
木枯らしに舞う落ち葉を踏みしめ、人混みを掻《か》き分けながら、勝春の足はその店の前で止まった。午後八時四十分。
――<クラブ ノワール>――
かつて仕事帰りによく来た店だった。
「ノワール」と書かれたドアを押すと、あの当時のままの空気が漂っていた。
―――黒い壁と天井。銀のカウンター越しにバーテンダーがグラスを磨いている。薄暗いテーブル席には三組の男女が腰掛けて、ウイスキーを
飲んでいる。あの時の情景は昔のまま―――
「いらっしゃい。……。ああ、カツさんやね」
「うん」
「どないしてたん? あれから だいぶたつんとちゃうか」
「うん」
「まあ、どうぞ。何にしますか」
「水割りを一杯」
「はい」バーテンは勝春を覚えていた。素早く水割りグラスに注ぐ。
浮かぬ顔でいる勝春の顔を横から覗き込んで、顔と荷物を交互に見たバーテンは、こう言った。
「ミチヨちゃんに会いに来たんでしょ? カノジョ十年前にここを辞めたけどね」
「ノワールを? じゃ、今どこにおるんよ」
「まあまあ。ダンナ。そうアセらずに」粘着質のバーテンは慣れた手つきでライターを勝春の前に差し出すと彼の手の煙草に火を点けた。
十時を回って、ほろ酔い気分で昔話やらに花を咲かせていると、ドアが開いて外の冷たい空気が流れ込んだ。赤いドレスの女が入って来た。
――十年後のミチヨだった。顎の肉は垂れて、身体のタルミも目に付いたが、紛れも無くあのミチヨ《・・・》がそこに立っていた。ノワールの看板ホステス、ミチヨ――
十年前、一九ⅩⅩ年。当時勝春は仕事の帰りや休みの日など週1で難波のノワールに来ていた。知り合いに誘われて行ったのが始まりだった。その時、テーブルでお酌をしたのがミチヨだった。ロングヘアーに上品な目元、愛らしい大きな唇。会話や客あしらいも上手だった。勝春は妻をなくして5年経ち、このホステスに入れ込んだ。働いた金の半分をつぎこんで、高価なバッグやアクセサリーやら化粧品を買い与えた。アフターでミチヨと深夜に軽く飲んだ後、ホテルで朝まで枕を共にした。しかし、その幸福な時間も長くは続かなかった。事件が起こったのだ。酔い客がミチヨにからんで無理からホテルへ連れ出そうとしたので、怒った勝春は一発殴ってやった。すると相手も鼻血をだいながら応戦してきて店中乱闘騒ぎになった。幸い、警察を呼ぶまでも無く、隣の用心棒が来て収まったが、彼はしばらく店に出入り禁止だとママに告げられた。ミチヨに会いたくてママに携帯に何度もかけたが、ミチヨは出なかった。それから三ヶ月後に店に来てみると、ミチヨにはお気に入りの中年男が出来ていて、勝春はそれ以来あまり店にこなくなり、ミチヨのことは忘れた。
そのうち別の男とできたミチヨも次第に店に顔を出さなくなり、二人の仲は終わった。勝春は名古屋へ転職して、瓦職人として汗を流した。一方のミチヨは得意客と懇ろになり、その男性の内縁の妻に納まったが、男性が6年前に病死して、孤立してしまった。しばらくは生活保護を受けて暮らしていたが、経済的、精神的な支えが欲しくて勝春を頼って手紙を書いたのだと言う。
しかし、独身の男女といえども歳が行くと、お互いに抱えているモノが多すぎて、簡単には男女の仲は修復されない場合も多い。今回の件もその口であった。
結局二人はノワールで朝まで飲み明かした後、宗右衛門町の街角で手を振って別れた。連絡先は知ってても、もう便りも電話も交わさないだろうな、と勝春は思った。
それでもミチヨが元気に暮らしていってほしい、と願うのは、中高年のロマンスなのかもしれなかった。
●ある家族のクリスマス
妻は、CDプレーヤーを、近所のエコリングに売って、そのお金でネクタイを買った。
―――旦那の一帳羅のスーツに合うかしら?でも、丁度いいのが見つかって良かったワ。これが、あのヒトへのクリスマスプレゼントよね……。―――
一方、夫は、一帳羅のスーツを、ネットのオークションで密かに売り、その利益でCDを買っていた。
―――恵子の好きなMISIAの『エブリシング』の入ったアルバム。前から、欲しいってアイツ言ってたよな。これを贈って、日頃の家事のストレスを忘れてもらおう。―――
+++ +++
しかし、クリスマス・イヴの当日、お互いのプレゼントを見た二人は、案の定こう言ったのだ。
「どうして、アナタはCDなんか買ったの!!」
「お前こそ、ネクタイなんてもういらないのに!!」
そこから、いつものように、口喧嘩が始まった。なにも、こんな聖夜に、そんなことでもめなくても……。
と、そこへ、騒ぎを聞いた娘が部屋から出てきて、賢くも、助け舟を出した。
「ママ、パパ、やめてよ。せっかくのクリスマスでしょ?二人のプレゼントを何かに使って、仲直りしてよね」
8つの娘・彩音にこう言われて、停戦した夫婦は、知恵を出し合って、こうしました。
―――キラキラ輝く丸い反射板を見上げながら、
清しこの夜を家族で歌おう。―――
そうです。ダイニングの電球に、ネクタイの端を結び、もう片方をCDの穴に通して、下から、キャンドルで照らしました。輝く光を見ながら聖歌を歌う三人家族は仲良く、チキンとケーキを食べて穏やかに過ごしました。
●師との邂逅
丸山裕二は、数ヶ月前まで建築会社の設計技師だった。業界に転職して15年。それなりに腕も磨いて、会社での地位も中堅と呼ばれるような人材だった。が、経営不振に陥った会社が彼に出した答えは、丸山への退職勧奨だった。
―――建設業も、不況が長引けば仕事は回ってこない。また、違う業種に移って飯の種にするか。医薬系なら、ハケンでも仕事があるだろう。―――
三十四の丸山は、二歳下の妻と四歳の娘の為に、是が非でも働いて家に金を入れなければならなかった。
来る日も来る日も、ハローワークに通いつめ、自宅では型の古いパソコンを駆使して求人サイトをチェックする毎日が続いた。
―――ああ、今日も同じか。いい求人がゼロ……。気分転換に、町を歩いてみるか。―――
都内の自宅マンションを出て、見慣れた街角を曲がり、いつもの喫茶店の前まで来た。が、アレコレ考え事をしているうちに、喫茶店を過ぎ、そこでくつろぐプランをフイにした自分に腹が立った。
仕方なく、彼はいつもと違うエリアに足を踏み入れることにした。学生街だ。少し自宅と離れていたが、懸命に40分ほど歩いて、いつもとは違う沿線の駅前に着いた。
―――ん、こんな所にマンガ喫茶か。気晴らしに漫画もいいかな。入ってみよう。―――
薄暗い店内に入ると、ロビーのソファーに見覚えのある老紳士がいた。どこかで会った方だ、と思っていたら、紳士のほうから声を掛けてきた。
「おー。元気しとるか? 」
「あ、はい。先生。元気です。先生お久しぶりです。僕のこと覚えておられましたか」
「ああ。マルヤマやろ。出来の悪いマル君やんか」
「先生、相変わらず。その通りです。高校時代、先生の物理で赤点ばかりだった丸山裕二です。お懐かしゅうございます」
―――マサカ、こんな東京の繁華街の喫茶店で、学生時代の師と会うとは。―――
「いまは何をしとるん」老人は額の皺をさすりながら嬉しそうに声を弾ませた。
「ええ。前まではマンションの設計をやってました。現在は失業中です。先生は、退職なされてからは悠々自適ですか」裕二は若干はにかみながら訊いた。
「マルよ。君の言う通りや。今は趣味で俳句をひねっては仲間に見せたり、新聞に投稿したりしとるよ。近所の老人会に顔を出すと、食べ歩きや遠足に誘われることもある」
「へえ。なるほど。先生、こういうのを、邂逅というのでしょうか。まさか、こんな東京の繁華街で、大阪の恩師にお会いするんですから。すごい確率ですし」
「まあ、そうかな。そやけど、確率は低くても、人間の行動パターンは限られれておるがな。男で、歳いって、趣味がたまたまおうてて」
「故郷の大阪では、皆さんお元気ですか? 今日はご旅行か何かの途中ですか」
「うん、まあ、そんなとこやな。友人の招待でな。こっちに来とんねん。もう10日目やで。いい加減、東京も飽きてナ。こないして、少年ジャンプ、読みに来たんや。大阪商科の連中は、皆それぞれ忙しゅうてな。活躍しとるみたいやで。賀状をくれるヤツと、同窓会に顔出すヤツしか分からんけどナ。マルヤマは、わしのこと、どれ位覚えとるんや?」
「物理の中村先生といえば、大阪では泣く子もだまる、運動方程式の神様ですよ!」
「ハハハ。しっかり覚えとるがな。そや、そや。物理は、物体の観察と記述から始まり、……。」
「先生、講釈はもういいですから」
「ほんなら、お前に最後の問題を出そかいな。地球とその代替惑星との距離は地球太陽間の何倍ぐらいや? 」
「え~~~と、白鳥座のケプラー22bのことですよね。620光年だから、……。8.3光分で割ると、(携帯電話の電卓を叩いて、)65万4千倍ですね」
「正解!」
●幸福を呼ぶ傘
雨交じりの淀んだ蒸し上がる空気。
―――何かの前触れかしら。―――
平凡なOLですらそう感じるのは偶然ではない。
藤宮順子は、迷った末に折り畳み傘を会社受付の傘立てに差した。虹が高層ビルの上にかかり、憂鬱な一日の終わりを晴れ間で告げようとしている午後16時過ぎだった。そろそろアフター5の予定を考える時間帯に、OLの順子は会社のお遣いに出された。赤のボールペンを4ダース買って来い、と万年課長・大平に言われた。
―――ボールペンぐらいネットで注文して欲しいわよ。何考えてんの。あの古狸課長!まったくぅ~~~。―――
ぐちりながらも、社内勤務の欠伸が出そうなほどに単調なデータ入力に飽き飽きしていた娘には、外出は好都合だった。油を売る絶好の機会到来!
オフィス街のど真ん中にある文具店で赤ボールペン4ダースを買うと、順子の勤務する会社名が印刷された紙袋に入れた彼女は、大通りに面したブティックのプレタポルテを眺め出した。会社のお遣い中? そんなの、用事は5分10分で済むのは皆知っている。アレコレ言い訳して20分位時間を潰すのがベテラン社員の腕の見せ所なのだ。―――さすが、ヒロイン・順子の真骨頂!―――ひとりでほくそ笑む。
で、コンビニで来週の運勢をチェックし、芸能人の離婚話を斜め読みして、時計を見た。
「そろそろ会社に戻るかな」と店の自動ドアを出たら、途端に雨が急に降り出した。しまった、と足止めを食う羽目になって、コンビニに孤立したジュンコ。
―――ついてないな。油を売った天罰なの? こりゃないわよ。―――膨れっ面で雨が止まないかと見上げてると、
「お嬢さん。お困りのようで。アタシは別のがありますから、コレお使いになって下さいな」差し出されたピンク色のビニール傘に目を見開いて老女と傘を見比べるジュンコ。
「え? お婆さん、いいんですか? お借りして」そう言うのが早いか、老婆は黒い折り畳み傘を開くとスタスタと歩き始めて向こうへ行ってしまった。呆気にとられてると、老婆の嫁と思しき女が軽のワゴンからでてきて老女を迎え入れて走り去った。
―――ああ、どうしよう。おバアさん、行っちゃった。ワルイなあ。でも助かったし。ビニール傘だし。ま、イッカ。
とりあえず使わせてもらいます。ありがとう。オバアサン。―――
仕事を終えて、帰り道の地下鉄に乗り、ターミナルへと向かったジュンコ。生憎地下鉄は満員で、しかも、露濡れの状況だった。多くの傘から発せられる湿気で車内はムンムンで、蒸せるような不快車内と化した。イヤな時にはイヤな事が。案の定、不安的中。中年の痴漢がジュンコのお尻に手を伸ばしてきた。餌食になりそうだったヒロインは、まだ濡れていたピンクの傘の先端を男の急所に思いっきり突き刺した。これには痴漢男も顔をしかめ、行為を止めて退散するしかなかった。
―――オバアサン。ありがとう。ピンクの傘、また、役に立ったワ。―――
自宅に戻った順子は、自分専用の夕飯の支度に取りかかった。まず、昨日作った残り物の肉じゃがをレンジで温めた。次に、お湯を沸かして、赤と白のお気にのマグカップにポタージュスープの粉末を入れ、沸いたお湯を注いだ。最後に、冷蔵庫から太刀魚を一切れ出してグリルで塩焼きにした。
「さあ、ご飯できたっと。いただきまぁす!!」右手に飯碗を持ち、左利きで食卓に並んだおかずをつまんで口に運んだ。夕食後、風呂に入った。夜も更けて、寝室で寝る前のヨガ体操をしながら、今日の一日を振り返った。彼女には、平凡な一日ながら、あのピンクの傘と老婆との出会いがとても不思議な出来事に思えた。また、明日も明後日も、アンナことが続けば良いのに、と呟くヒロインは、ベッドにもぐりこんで灯りを消した。
翌日、少し晴れ間が差した。ベランダに昨日のピンク色の傘を干してから、いつもの定刻に家を出て出勤したヒロイン。会社では夕べ期待したようなハプニングは何も起きず、単調で退屈な仕事は順調に終わりを迎えた。帰路、辺りを見回しながら歩いたが、変わったことは何も起きなかった。家に着いたジュンコは化粧を落として部屋着に着替えると、傘を取り込もうとベランダに向かった。ベランダに出てみると、昨日の傘は綺麗に乾いていた。が、明らかな変化があった。白い紙片が一枚、手書きの文字と印刷された文字とを浮かび上がらせて傘に貼り付いているではないか。
―――ん? 何かしら。コレ。―――
目を凝らして白い紙を読んでみると、それは出生届だった。自分のではない。隣夫婦、三田村家のだ。「三田村 勝・奈美」と書いてある。
―――アア。そう言えば、この前、奥さんに会ったとき、赤ちゃんが産まれましたの、と言ってたわね。え? じゃあコレ。大事な紙よね。三田村さんに知らせなきゃ。―――慌ててバスルームの鏡で薄化粧を整えた順子は、出生届を傘から剥がして、お隣を訪ねた。その積もりはなかったが、御礼を言われた上に、映画の前売り券を二枚頂いた。
―――またまた、ピンクの傘で得したワ。ありがとう。オバアサン。―――
数日後、映画のチケット二枚を口実に、気になる男性をシネマに誘った順子。映画はも一つだったが、恋はクリーン・ヒットだった。その後も、上手くデートを重ね、順調に交際を続け、彼女は彼との愛を育んだ。その甲斐あって、二年の交際期間の末、とうとう目出度く結婚というゴールインを迎えたのだった。
結婚式の前日も、大事に保管していたピンクの傘を触りながら、
―――ピンクの傘をもらってから、次々といい事が起こったわ。ありがとう、オバアサン。ありがとう、ピンクの傘さん!――と感謝の気持ちを忘れないジュンコだった。
度々の福を呼び込んだピンク色のビニール傘。ジュンコは、雨が降ると、いつも丁寧に使っては水道水で綺麗に洗って乾かし、大切に傘たてに保管した。また、いつか、出番が来るかしら、と期待して。
時は移り、乙女のヒロインも新妻となり、出産を経験し、普通の主婦・ジュンコさんに変わっていった。主婦業全般も板につき、毎日、平和にのんびりと暮らす日々が続いた。そんな、ある日。季節は折りしも梅雨のさ中。初めてピンク色のビニール傘を受け取った時と同じ状況を迎えたのだった。
すなわち、雨の中ピンクのビニール傘を差してコンビニにお遣いに行ったジュンコは、帰ろうとして、小さな女の子が出口の扉の前でソワソワしている光景に出くわした。
「小学生なの? お困りのようね。この傘、どうぞ!使ってください。濡れるとカゼ引くから遠慮なく使ってちょうだいね。オバサン、このピンクの傘で何度も幸せになったの。大切に使ってネ。じゃあネ」いつもより弾んだ声で店を後にした順子の表情は明るかった。
―――きっと、当時のオバアサンも、今の私と同じ気持ちだったんだワ。―――そう思うと、もうピンク色の傘もヒロインには必要がなくなったように思えた。
かくして、ピンク色のビニール傘は、持ち主を様々に変えながら、手から手へ、街から街へ、渡りあるいては幸運を運び継いでいった。
どうですか? この「幸福を呼ぶ傘」を、アナタもどこかで手にする日が近いのかもしれませんヨ!!
●禁断!!尚学生に誘惑の罠
八月、夏休み。大正初期のとある田舎町の昼下がりに事件は起きた。
腹をすかした、部活帰りの旧制中学生の次郎は、いつもの経路で下校していた。帰り道の曲がり角にある団子屋。さびれた佇まいながら、味には定評がある。
今日も、そこを通ると、甘い砂糖と醤油の香ばしい匂いに、次郎の胃はグルグルギュ―と鳴った。これが、事件の発端、尚学生への誘惑である。
白の団子を買い求め、近くの野原で焼き立てをほおばった中学生。モチモチした白い団子を食べている内に、教室の向かいの席の乙女・百合絵の白い乳房を思い出した。授業中に、半袖の袴の腋の下から露になった、胸元の白いふくらみ。その色、その張り具合。団子と寸分違わない。
ゴクリ。生唾を飲んだ。
小さな乳房を吸うが如く、団子をしゃぶっては舐めて、奥歯でその弾力を確かめつつ噛みしめる。食欲と性欲に苛まれた尚学生は、照りつける日射しに一瞬気を失いかけた。それでも、若い力を持続して、素早く草むらに入ると半ズボンを下ろし、事に及ぼうとした矢先。
その光景を百合絵の妹に見られてしまった。いたいけな妹は赤面し、わっと言って走り去る。その場で次郎も立ち尽くし、赤面した。そして、次の瞬間から、素早くモノをしまうと妹を追いかけた。すぐに追いついた次郎は、姉にはこのことを言うな、と告げると、口止め料を請求された。団子代しかなかった次郎は、妹の袴をめくって、囃し立てた。妹は、手を払って、憮然とした顔で帰った。学生は、まだ興奮冷めやらず、妹の跡を尾行した。あちこち角を曲がり路地を抜け、とうとう、女子宅に辿り着いた。裏の木々の間から覗くと、これいかに。
縁側で、あの百合絵が下着姿で団扇を股に向けて仰いでいるではないか。
うはー、すげぇ、こんなの見れた……。
よく観察すると、下着の股間は、薄茶色のシミができていた。それを見て、さらに興奮、興奮。興奮すると頭が冴えてくる次郎は、鞄から取り出した夏休みの宿題の書き取りに鉛筆を走らせると、飛行機を折り、即席手紙飛行機を娘に向けて飛ばした。木の塀を超えたヒコウキは、スーッと滑空して百合絵の足元に落ちた。彼女は、それを拾い上げ、小首を傾げながら、中を広げる。
それが「ふみ」と気付き黙って読んだ。
―――君の白き物、とわに純白なれ。―――
ふみを読んだ彼女は、顔を赤らめると、一目散に奥へ引っ込んだ。したり顔の尚学生。塀の木をよじ登って越えると庭に降り立った。女子宅に侵入した次郎は、物干し竿に女子の下着を見つけて、ひとつ失敬した。これにも茶色いシミが。
匂いを嗅ぐと、女生徒の汁はこういうものか、と感慨深くなる。最近読んだ艶本に、そう書いてあった。
しかし、なぜか最近嗅いだ匂い??うん、香ばしい酸味。そうか、アア。昨日喫茶館で飲んだ、ミルクコーヒーだ。明治末期から流行っているヤツ。なんだ、アイツもコーヒー飲んだのか。じゃあ、これもそのシミか。どうりで濃い色だわ。すぐ洗濯しろよな。
シミの正体がわかり、一安心とガッカリのシーソー状態は、高ぶる性欲が勝り、次の獲物へと向かった。縁側に上がりこみ、勝手に汚い素足で畳に足跡を付けると、真昼の昼下がり、人んちの中をズケズケと獣は徘徊した。
―――誰か居ますか? 居ませんね。―――
どうやら家人はおらず、獲物と獣以外に人気は無かった。うさぎの逃げた音を探って、それらしき部屋に入ると、尚学生は、襖をガラリと開けた。赤穂浪士よろしく、大船に乗った勢い。目の前の小刻みに震える押入れの扉が、ここですよ、と教えている。力いっぱい手をかけて、「覚悟せい!ソレ!」と叫んで扉をめくると、白い足を白いズロースからバタバタさせた百合絵のあられもない姿がそこにあった。両手を振り回して、来ないで来ないで、と女は哀願したが、尚学生は、女の腕をむんずと掴むとそこから引きずり出して、扉の外へ放り投げた。
その勢いで目が覚めた。ギラギラした太陽の眩しい野原の草むらで、わずか十分間に夢精したのだった。
「白団子は罪な駄菓子なりけり」と言い捨てて、ズボンをあげた次郎は、小さくなった刀を鞘に収めた。
昔昔の青春の一コマ。<終わり>
●夜更けのプリマ
夜更けのバレエ・スタジオは、シューズの音だけが木霊していた。
カツカツ、トゥトゥ。カツ、トゥー、トゥー。
優美なクラシックは沈黙している。ビルの規制で、音楽をかけられるのは22時までなのだ。
山本雅、愛称ミヤ、は頭の中で『白鳥の湖』を何度も何度も演奏しては、ミスしたシーンを踊り続けた。
―――駄目、駄目。ミヤ!ターンが遅い。ステップも違うわ!―――昼間の武本裕香先生の叱り声が何度も脳裏に蘇っては反芻している。かつて、この名曲に合わせて、何十、何百の踊り子たちが挑んだ練習、克服した本番をミヤは思い描いた。
―――アタシにできないワケないっ!ゼッタイ、ゼッタイに、完成させる!ファイトよ、ミヤ。ファイト!―――
誰も居ない薄暗いスタジオで、ひたすら自分を励まし、自分を信じて、己の夢へと努力する少女。21時までは一緒に踊っていた恵子と杏は先に帰ってしまった。こういう事は雅には慣れっ子で、裏口の戸締りと消灯の仕方は心得ている。
世界的なバレエ・ダンサー、世界のプリマ・バレリーナと呼ばれる日まで、石にしがみついてでも頑張らねば。その思い一途にこれまでやってきた。そして、これからもそうしていく。
雅の家庭は中流階級だが、進学の道を捨てて芸術表現の道を選んだ十八歳の娘に親はお金を惜しまなかった。雅がバレエするのに必要な道具は全てカードで買ってくれたし、バレエでこれが欲しい、と彼女が言えば必ず買ってくれた。でも、新しいシューズをロッカーから盗まれたり、ゴミ箱に捨てられた事件も度々あった。そのような妬みや嫌がらせも、今となっては、そんなコトするヒトなんてどこの世界にも居るのよ、と開き直れるまでに彼女はなっていた。雅が先生に可愛がられているだの、少し金持ちのお嬢様だの、色々な陰口が時々囁かれるのは、競争の世界の宿命、とも思った。そして、そういうヒトタチを、世界の舞台で、アタシの最高の演技で見返してやりたい、との思いも、今の雅を練習の虫へと駆り立てた。
やがて、幾多の試練を乗り越えて、真の挑戦大会の当日となった。ロシアに単身渡り、自炊生活を送りながら、バレエの稽古に励む日々が続いた。そんな雅に、念願のローザンヌ国際バレエコンクールの本選出場切符がロシア人コーチから手渡された。あの切符を手にしてから、あっという間の二ヶ月間。その全てが、いや、これまでの全人生が、アタシの演技時間にかかってるんだワ。
―――演技番号二十二番、ミヤビ・ヤマモト。ジャパン。―――
夜更けのプリマ、と武本先生に呼ばれた彼女は、華麗に、繊細に、白鳥の湖を踊った。幸運にも、三名の審査員は何度も頷いた。観客も、雅の美しさと華麗さに息を呑んだ。舞台の袖にいた、ある国の老コーチは、
「また、東洋のプリマが現れたな」と、目を細めて呟いた。
●醒めたら周回遅れ
都立M高校に通う天文部員のマサムネは、成績優秀で素直な男子高生だった。天文好きからわかるように、理科系で物理と数学が得意だった。テストでは学年トップ5に入る常連で、天文部の副部長をしながら生徒会長もこなしていた。そんな優等生の彼が、その勢いのままに有名国立大学に進学し、天文や宇宙に関わる仕事に就きたい、と夢見ても誰も否定しなかった。
―――マサは、公務員か博士かな。―――そんな噂を幾度も彼は耳にした。
―――それが今じゃ、ただのオッサンかぁ。昔はさ。昼は勉強/夜は天体観測の毎日で、それはそれは楽しかったよな。あれが青春か。何でもやれたし、何でもできた時期だったな。夜空に新星を見つける度に胸がときめいたっけ。アレから二十年。変わり果てた……。情けない。―――
喫煙ルームの窓越しに、街のビルディングを眺めながら、出るのはため息と愚痴と白い煙ばかりだ。
宇宙や星に興味があった学生も、就職先が不況で見つからず、希望と異なる業種、医薬業界へ飛び込んだのは時代の流れだった。菊井正宗・36歳。メーカーの外回り営業、膨大なノルマ、新薬開発の宣伝と得意先回り、お客様相談室での苦情処理の日々、外国人上司とゆとり世代の部下との板挟み、といった数々の場面なり修羅場なりを経験してきた。中年男マサムネにしてみれば、気付けば○○○、というのは腑に落ちる状況だった。
煙草を三本吸い終わって、狭い喫煙室の走馬灯は煙のごとく消え去った。彼はデスクに戻り、午前中の会議の議事録をパソコンでまとめて回覧にまわす仕事に戻った。
今の仕事は正宗にしてみれば重要度の低い「雑務」に映った。そろそろ係長か室長になってもいい歳なのに、回ってくる仕事と言えば、管理業務どころか新人でも任せられるような業務ばかり。そういう仕事を多数兼務させられていた。それは、正宗が思うに、会社や世の中をある程度知り、適切に迅速に処理できる中堅社員、便利で「使える」社員として一番自分が適任である、という事情からではないか。まあ、しかし、このご時世。仕事で忙しいだけでも有難いよな、と思わないとやっていられない。
仕事を夜9時で終えて、赤提灯に立ち寄った菊井は、焼き鳥をアテにしながら日本酒に酔いしれた。酔いが回るにつれて、昼間の回想がまた頭をもたげた。―――成績トップで生徒会長。前途有望。あの高校時代。あの輝かしい青春時代は、まさに今のオレからすれば、憧れだった。あの頃他人をビュンビュン抜いた自分はもういない。現在の自分は、追い抜かされて周回遅れだ、と思った。ちょっと油断したスキに、人々に追い抜かれ、世間の怪しげな煙に巻かれて、「醒めたら周回遅れ」の自分が居て、それを認めざるを得ないじゃあないか。―――
―――一番出来のいいニワトリが、焼き鳥になると串の下の方で、ツマミにもなれずに残飯として捨てられる。―――段々、頭の思考状態も悪循環の赤ランプが点灯を始めた。
悪酔いしたサラリーマン・マサムネを見かねたか、飲み屋の女主人が助け舟を出した、
「チョット。キクイさん。悪酔いしてるわヨ!誰でも一度は遠回りするものよ、人生なんて。アタシなんか、遠回りや寄り道が多くて、今も迷い道よ!アハハハハ」
おかみの豪快な笑い声に悪酔いから覚めた菊井は、グラスの菊正宗を傾けると、
「アリガトウ。オカミさん。そうだよ。そうだ。同じところをグルグル回ってもしょうがないじゃん。そんな人工衛星よりも、別の軌道に移って宇宙旅行だよ。オレはハレー彗星じゃ!」と元天文少年らしい屁理屈を捲くし立てた。
「そうそう。またウチの店に戻ってくるのよ。気をつけて!ハレー彗星さん!」と女将に言われながら店を後にしたマサムネは、意気揚々と帰路に着いた。
考えはいろいろですが、長い人生。走ったり、止まったり、休んだり。近道ありの遠回りありの、落とし穴に迷路。色々経験して、人は強くなるんでしょうね。
●異摩人~イマジン~
Y大学経済学部のキャンパスに見慣れない留学生が姿を見せたのは、鯉のぼりの泳ぐ五月の初めだったかしらネ。白髪に碧眼の美男子イケメン。ポーランドからの留学生で、
「はじめますて。ぼくのなまへは、ミヒャエルと申します」と、たどたどしい日本語で自己紹介してくれた。
「わたし、アキヨです。経済の三年生。よろしく」って言ったら、
彼は優しくはにかんで、「アキヨさん。いろいろせわしてください」と。
え? <おせわになります>だろうが……。って、つっこみたくなったワ。
最初の頃は、私も、日本のコトとか、経済の専門課程のコトとか、スラスラ会話できたのヨ。でも、ポーランドって、何があるの? ミヒャエルの私生活とか、家族とかって、……???謎なの!……。そういう話を向けると、彼は笑ってオカシナ日本語で誤魔化したり、わざと違う話題に変えちゃったり。まぁ、そういう外国人なのかな、何かあるのかな、とは思っていたけど、それが、アアなるなんてネ。それが分かりだしてからというもの、私を含めた友人たちは、ミヒャエルのことを、「異摩人(イマジン)」と呼ぶようになったワ。何かさ、彼が、「異摩人」がその力を出すと、何かが起きるんだもん。そりゃ、イマジンて呼ばれるわよ。
何の力か知りたくなるでしょ? 何が起きたかも知りたい? じゃ、話すワ。
ある日、友達のナナヨが風邪引いたの。熱が37度5分でたらしくて。微熱が一番コタエルのよね。次の日が就職面接でさ。ナナヨ半泣きだったワ。それで、困っていたら、そばに居たミヒャエルがナナヨの頭をヨシヨシって撫でたの。そしたら、次の日、ナナヨは元気になった。別の日には、レストランでランチして会計してたら、前に並んでいた男性の順番でその人がカードを失くしたらしいの。ミヒャエルが今度は男性の手を撫でると失くしたクレジットカードが男性の鞄の内ポケットから見つかって。まあ、このヒトったら、何か持ってるのかなって思ったけど。でも、三つ目は全く偶然とは思えないコトなのよ!!先輩のお姉さんがお通じで悩んでてね。もう三年以上も続いていたんだって。それがね。彼の話を聞いた先輩が無理やりミヒャをお姉さんに会わせたんだって。ミヒャエル君がお腹をさすったら、次の日からお腹の張りが無くなって、普通に快適な朝を迎えられるようになったっていうのヨ!!すごいでしょ!?さすられた晩から、腸がグルグル鳴って動き出したみたいだった、ってサ。フシギよねぇ。でね。テストが悪かったとか、意地悪なことをしたとか、本人が悪い場合は、彼のナデナデ・パワー、効かないの。
分かったでしょ。彼が困っている人の体を撫でる(摩)と、ラッキーなことが一つ起きるのよ。
「摩」という漢字には、仏教用語みたいなので、すぐれる、多い、っていう意味もあるらしいの。摩訶不思議とかあるでしょ。体をなでる「摩」より、すぐれる「摩」の方が彼にはピッタリだったわ。昔、『E.T.』っていう映画があったらしいけど、ウチの准教授が映画みたいだって言うの。ホントかしら? ラッキー・ミヒャエル。アキヨたちの守護神ね。だから、「異摩人」なの。
それからも色々楽しかったわヨ。みんなイマジンと楽しく過ごしたわ。でもね。結局、他人に幸運を授け過ぎちゃったのか、彼、その年の秋に、体調崩して母国に帰っちゃった。
●車いすのF1レーサー
―――太陽新聞12月25日。―――
クリスマスの今日、自動車ドライバーの中条修造選手(28)は、来季からF1グランプリシリーズに出場することを自身の公式ホームページで発表した。これまで5年間、欧州のF3レースに出場し、度々入賞を経験した同選手は、F1出場を目指し、日本を含む海外のスポンサーを探していたが、ようやくある企業と契約。来季から夢舞台の出場が決まった。
昨日、報道陣の前に姿を現した中条選手は、
「やっと夢の晴れ舞台に立てます。あ。オレ、車椅子だから座ってますけど(笑)。ともかく、足の不自由な人でも最高の夢を与えられるというメッセージを送りたい。目標は、早く表彰台に上がることですね」と話した。
同選手は、20ⅩⅩ年の15歳のときに、交差点で乗用車と衝突し、左足を骨折。その後、治療を重ね、啓発活動で知り合ったF1選手に励まされ、東大スポーツ科学研究所の協力の下、運動障害を乗り越えて7年前からプロレーサーに転身した。神奈川県出身。
●暗路射光の女神
弘人は、午後十一時を回って、いつもの駅で下車した。駅前のコンビニで馴染みのタバコを買い求め、店の前で二本吸った。「そろそろ帰るか」と一人呟き、大通りを渡って狭い路地を進んだ。会社が借り上げた単身者用マンションまでの道のりが、この路地を弘人に通わせ続けていた。
弘人は、この暗い路地、明かりのない石畳の古い路地、ひとけの少ない寂しい家々の間の路地が自分好みだと思った。人にはうまく説明できない。だが、明るい大通りを好んで歩いた若い頃とは好みが変わってきたと悟っていた。二十一世紀になって、住みにくい世の中が加速しているような気がしてならなかった。
―――日本人なら、大人なら、誰でも分かることを。―――
いちいち明文化してパソコンで書き上げ、プリントアウトすることの煩わしさ、細々した法律や決まりごと、隣人やグループ内の軋轢やトラブル回避のために割かれる時間。数え上げればキリがないナ、と思った。今の日本には、宇宙人でも紛れ込んでいるのか? と思いたくなるような、大小の出来事に、失笑したり、悩まされたりの毎日。喧騒の世間と隔絶したこの路地に、古き良き「昭和の香り」を感じて、今まで歩いて来た道のりを逆戻りしているんだろうか。いや、オレのような、しがない中年会社員に残された憩いの細道か。
暗路を照らすのは、雲間から顔を出した月明かりのみ。薄暗い路地を徒然な空想と共に歩んでいると、突然目の前に白く淡い光が漂い始め、彼の体を包んだ。それは、ボンヤリとした発光体で、夜の海に光る海月のようだった。
―――何だろう、これは。……。不思議に、やすらぐ……。―――
やがて、白色発光体が声を発した。
「地図のない暗路を彷徨う旅人よ。
今宵、ひと時のあいだ、私が行く末を照らしましょう・
寂しかったでしょう。心細かったでしょう。
ほのかな灯を、さあ、どうぞ」
ウグイス嬢のような凛とした声が弘人の耳に届くと、発光体の一部が、フワッとふくれ、……、五、六個の球状に分裂して、お稲荷さんの灯篭のように、行く道をはさんで両側に浮遊しながら整列した。
「やぁ、明るいや。これはありがたい」足元を照らされて声が弾んだ弘人は、ボンボリ輝く石畳の<参道>を小股で踏みしめながら歩いた。自分のこれからに対して、ほんの少し勇気が湧いてきた気がした。そして、周囲の雰囲気に陶酔した中年男は、ボンボリの中に、年老いて孫と共に笑う未来の自分の姿を見つけた。いや、そんな気がしただけかもしれないが。
「女神かビーナスか。不思議な、夢のような時間と空間がオレを支配している」
神秘的な体験がやがて終わり、辺りは元の真っ暗闇に戻った。
マンションに辿り着いた弘人は、日記にこう記した。
<暗路射光の女神現る>
●東京摩天塔
半宇宙と地表を一本のケーブルとゴンドラが行き来する時代がやがて到来するかもしれない。今回はそういうテーマをモチーフにしたお話です。
コウジは、小さい頃、東京スカイツリーに上って地面を見下ろして感動したことがあった。―――原光司/インフラ整備庁・東京A地区開発官。―――現在のコウジの肩書きである。技術の進歩で、宇宙と地球を結ぶ幹線が間もなく開通する日が来る。宇宙エレベーターと俗に呼ばれてきた幹線の搭乗デッキを設計・施工する建築会社の現場責任者の業務をコウジは任されていた。
「原さん。ついに完成ですね。 宇宙エレベーター」現場の係員が原に話しかけてきた。
「そうだな。子どもの頃はスカイツリーを見下ろすだけで感動したっけ。これからの子どもたちにとっては、宇宙エレベーターから下界を見下ろすのが感動体験だろうな」
「この東京地区の搭乗デッキ。なんと名付けますか」
「公には一般に募集をかけるとして、内々的には、東京摩天楼か、……楼、……塔」少し小首を傾げた光司はデッキから宇宙エレベーターの幹線ケーブルを見上げると、
「摩天塔。東京摩天『塔』でいいんじゃないか? 宇宙空間へ伸びている『塔』だからな」と言った。宇宙エレベーターは、分類上は線状構造物と呼ばれるものである。エレベーターの搭乗口と搭乗デッキを含めて塔が形成されている部分はエレベーターを見上げる展望塔になっていた。だから原の言うように、その展望塔や搭乗デッキは「宇宙空間への塔」には違いない。東京摩天塔と今後呼ばれるであろうこの建造物は、ケーブルと、ケーブルを介して地上←→宇宙ステーションを往復するゴンドラとで構成されている。こうして、搭乗デッキと搭乗タワーも含めて全てを東京摩天塔と、さも東京の新名所の如く総称されることになった。従来のタワーと称する建物は、高層ビル同様、地面もしくは山や丘などの上に建てられ、上空へとその高さを伸ばし、展望室から地表を見下ろすものであった。しかし今回の「塔」は、展望デッキこそ従来のものと大差ないが、デッキから出発したゴンドラの到着地点が半宇宙空間上の宇宙ステーションであること、そこから眼下に広がる光景が地球の列島や大陸の形などの巨大パノラマでこれまでと全くスケール感が異なること、更に夜になると見上げた景色が満天の星空で天然のプラネタリウのような観覧が可能であることなど、さまざまな視点で科学の進歩と宇宙時代の現実化を垣間見る施設となる、と言われている。こうした塔は東京を始めとして、ニューヨーク・パリ・香港などでも一連のプロジェクトとして計画されている。いわば、東京摩天塔がエポックメーキングの処女地点なのである。
感慨深げに摩天塔を見上げる関係者の中に、ひときわ目立つ美人の女性、岡安江玲奈という人物が記者に囲まれていた。今日は、マスコミを集めての内覧会でもあった。東京摩天塔の広報係の彼女は、マスコミの記者を前に、次のように持ち前のスマイルで語りかけた。
「マスコミの皆さん。この建物は、宇宙ステーションへの玄関口となります。ご存知のように宇宙ステーションでは各国の方々がお見えになる為、パスポート同様の入館審査が必要となります。宇宙エレベーター搭乗のお客様は、アルコールとお煙草はお控えになってください。また、妊婦の方もご遠慮いただく場合が御座います。他に、テロ防止のため、審査ゲートをくぐる際は生体認証のタッチパネルに手を触れて下さいませ」
「なるほど。手をタッチして凶悪犯かどうかの検査をするんですか」A新聞の記者がコクリと頷いて言うと、
「はい。犯罪集団やテロリスト摘発にご協力下さい」と広報レディーは真顔で返答した。
「どうせタッチするなら美人の後でパネルに触りたいな」B新聞の記者がそう茶化すと、「お前、それって間接タッチか?」と記者の知り合いが突っ込みを入れたので、少しむくれた表情の江玲奈嬢は、目尻を下げてる男たちを睨みつけると、
「下心は神聖な宇宙へは持ち込み禁止ですっ!!」とキツイ声で記者団を咎めたのだった。
( 『万花物語・(上)』 了)
万花物語・中 #91-
万花物語 ・中 ~短編フィクション拾遺集~
---------------- 目次 -------------------
#91-120(第一部)
●女森(めもり) ●アデュー ●コウシュウ○○
●マカレ ●冬の変心 ●ふるさと
●若き日のミッチェル ●
● ● ●
----------------------------------------------
91◆女森(めもり)
ユウサクは朝起きて、樹木になっていた。老女は、枝が人の指のようだわ、とにんまり笑った。背後に、若い女たちが今か今かと待ち構えていた。
ヨットで海を旅していたC国の男が孤島に流れ着いた。何も知らない男は、浜から岸へ上がった。奥深いジャングルを進んで島の中心部を目指し、村に辿り着いた。見る人、みな女ばかりだ。幼い女の子、少女、若い女性、中年女性、熟年女性、老女。女性しかいなかった。怪訝に思った男は、村のはずれを通りかかった老女をつかまえて、訊ねてみた。幸いなことに、言葉は世界共通になっていた。
「あの。ユウサクと申す旅人ですが」
「よその方ですか? 久しぶりだわ……。ここへは何をしに?」
「世界を放浪して、各国の文化を見て回るのが目的です。ここには女性しかいないのですか?」
「そうです。ここA国には、女しかいないんです」
ジェンと名乗る老女は数寄なA国の暗い歴史を語った。二十一世紀末に打ち上げたロケットで、国の男はすべて残らず、食糧を求めて地球から五光年離れた惑星Qへ移住した。当然、女や子どもを呼び寄せるつもりだった。が、到着後、ロケットの燃料が漏れ出て、帰れなくなった。それ以来、国には生身の男が途絶えた。地球の温暖化で二十二世紀の環境は激変。A国は、草木が生い茂り、獣の闊歩する未開の孤島になった。町は荒れ果て、たったひとつの村だけが残った。女たちは石塀を築いて引き籠もった。老女は、それから、と一息ついた。
「それから、大変な事態になりました」
「何が起きたんですか?」
「A国は孤島です。男衆がいなくなり、戦乱が続きました。力士のように太った女番長が戦に勝ち、実権を握って統治するようになったのです。その際、絶対服従の女性独裁憲法を作りました」
「女性独裁憲法?」
「はい。女の、女による、女のための憲法です。A国は民主主義とは程遠い軍事政権です」
「そうなんですか」
ユウサクは気後れがしてきた。ジェンはなおも話を続けた。
「この国を統治する女番長はデュラという名ですが、俗に『スケ貴妃』と呼ばれております。デュラは高度な科学を進歩させ、国を発展に導きました。因みに、この村のことを女に森と書いて、『女森(めもり)』とおなご衆は称します」
女森、軍事独裁政権、スケ貴妃デュラ。いったいどういう国だろうか。ユウサクは戸惑いと不安を隠しきれなかった。ジェンはそれを見て取り、安心させるような言葉を並べた。
「独裁といっても至って平和です。よそから攻撃を仕掛けるような事態はいちどもあった試しがないんですから。それに」
「それに?」
「よそからのお客様は、特別な活動をなさるのが習わしになっておりますので」
特別な活動。なんだろう? 話が見えてこない。とりあえず疑問は横に置き、ユウサクは訊ねたいことをぶつけた。
「女の人はみな満足しているのですか?」
「ええ、それは、それは。楽しみがありまして」
「楽しみとは?」
「毎年の十月、五番勝負の大会を行います。年齢制限はなく、A国民なら誰でも応募できます。『料理』、『着付け』、『舞踊』、『歌唱』、『おもてなし』で決します。よそからの方は、随時、リョッカツにも取り組まれております」
各種目は、昔の本で読んだ、遠い島国の風習のように思えた。ユウサクはその国の名が思い出せなかった。リョッカツ? 耳慣れない言葉が引っ掛かった。
「リョッカツとはなんですか?」
「それは、実際にユウサク様が体験なさったらよいかと」
彼は何かの活動だろうと思った。それはさておき、オレも「おもてなし」を受ける立場にあるのか。ユウサクは喜んだ。長旅で空腹のユウサクは、喜びの余り、リョッカツの大切さを甘く見ていた。化粧を整えたキレイな着物の女将が姿を現し、特別に接待してくれる。ジェンの口ぶりから、きっと素晴らしい饗宴が繰り広げられると想像した。ただ、太った女番長デュラの存在だけが気掛かりだった。
ジェンに案内され、正面にそびえる館へ入った。ジェンのあとをついていき、大広間に通された。新種の四次元空間パネルでは、来月にB国の首脳がA国を表敬訪問する文字ニュースが、途切れなく左から右に流れていた。ユウサクは周囲を見回した。建物は、高いドーム状の天井に大理石の床だ。
しばらくして、泥鉄砲の余興が始まった。群衆はざわめき出した。なにかが始まる予感がした。黄金色に光る金属装置が広間に登場した。タイヤのついた装置は自走を始め、猛スピードで動き、上面に着いた円筒から泥団子をビュンビュンと噴射した。泥鉄砲は動きの鈍い女性らを狙い、泥団子が当たった女性は後ろへ下がった。参加者は赤ヘルメットに青の盾でよけ、泥団子をよけて動き回った。
「さあ、一緒に余興をやりましょう」
ジェンに促され、ユウサクはいわれるがまま参加した。縦横無尽に高速で動き回る装置に素早く反応し、盾で凌いだ。女性らは次々と泥の餌食になり、退いた。参加選手は一人減り、二人減り、気づくと、二人のみが残っていた。
スケ貴妃デュラとの対決となった。これがデュラか。金色の、怒髪天を衝くように逆立った頭髪。顔は真っ赤。でっぷりと太ったいかつい体。こいつと対戦するのか? ユウサクは溜息を漏らした。館内は黄色い声に包まれ、熱気は絶頂に達した。
デュラに勝てば、オレはA国の支配者になれるのか。そう思うと俄然やる気が出た。必死に動いては泥団子をよけ、デュラの背後に回り込んだ。しめた。この女を盾にすれば。慢心した。デュラは体型に似つかない身のこなしで瞬時にバック転を決めた。あっと叫んだ。見上げた途端、彼に隙ができた。装置は左に回り込み、泥団子がユウサクに命中した。銅鑼が打ち鳴らされ、余興は終了した。
「フハハハハ。わたしに勝とうなど、十年早いよ。男なんかに負けるもんか」
優勝のデュマは、決め台詞を吐いた。デュラはジェンに意味深な合図を送った。汗をかき服が汚れたユウサクは、別室に連れていかれた。
おもてなしの宴が始まった。白い着衣に着替えると、八角形の間に移動した。赤い絨毯の上にテーブルがあり、それぞれに趣向を凝らした豪華な料理が載っていた。箸と皿を給仕に手渡され、立食で食事を楽しんだ。大きな開口部には庭が見えた。庭では、月明かりを浴びた踊り子たちが優雅な東洋風の調べにのせてゆったりと舞いを演じていた。これが本物のもてなしの時間か。ユウサクは堪能した。
その晩、客室に泊まった。寝る前、女中が水差しを持ってきた。喉の乾いていたユウサクは一口含み、床に入った。
樹木になる最悪の日、夢見心地で朝を迎えた。昨夜の余興と饗宴を思い返そうとした。が、なにをしたのか思い出せない。頭のメモリ(記憶)が空っぽになった。女森、めもり、メモリ……。めもりとは、はて、なんのことだったか……。そう思ったが最後、気づいたときには手遅れ。顔全体が小さく縮み、頭頂部は先細りし、尖り出す。頭髪や体毛は見る見るうちに伸びて繊毛に、手は葉っぱに、足は根っ子になった。ユウサクの体は小さな樹木へと変身してしまった。
起きましたか? ジェンが顔を出し、ニヤリと笑って舌を出した。ジェンは女中を呼び、短刀で樹木の幹を削り取らせた。露出した切り口に、「M―y8635」と赤ペンキで識別番号を書いた。ジェンは樹木を蹴り飛ばし、森の中へ運べ、と命じた。その日の文字ニュースは、A国の緑化政策推進により、地球温暖化の緩和に役立っているとB国外相が国際会議で称賛する発言を流していた。A国の取り組むリョッカツとは、訪問者の忌避不能な「緑化活動」のことだった。
樹木はいまも、人気ない森の一画にひっそりと植わっている。ジェンはデュラに耳打ちした。もうすぐ森で、「子孫の実」が成りますよ、と。
92◆アデュー
私は知らない館へ招かれた。いや本当は違う。気づくと森を抜け丘の上に来ていた。暗闇の丘は風もなく、静謐そのものだった。館の中から、どうぞお入り、と微かな声が聞こえてくる。重たい扉を開け、広間の板張りで立ち尽くした。黒猫がたくさんいる広いお屋敷だった。壁にはまばゆいランプがいくつも灯っていて、踊り場が二股にわかれた大階段は二階へと続いていた。
「ようこそ。当館へ」
猫のような顔の貴婦人がうやうやしく一礼して出迎えた。その婦人に先刻からじゃれついていた黒猫が黄色い瞳を光らせ、こちらの足元にすり寄ってきた。
なぜか頭がスースーし、見上げたら星空が広がっていた。天井も屋根もなく、満天の星が降ってきそうだった。猫が話しかけてきた。
「そうだよ。うちには屋根がないのさ。壁と床だけ」
猫は瞳で私の心を読み解いているのだと察した。
「雨は? 風や嵐は?」
「ジマ様が呪文を唱え、雨風を弾くんだ」
「誰?」
「ジマ様だよ。目の前の貴婦人さ。ジマ様は耳が遠い。おれが通訳する係さ」
「あなたは、なんていう猫?」
「ああ、おれか。おれはニトラン。よろしくな。いっとくが、他の猫は人間の言葉を理解できない」
「そうなの?」
「ああ。気持ちを感じ取るのはできる」
「どうやって私はここへ来たのかしら?」
「きっと匂いに惹かれて辿りついたのさ。ここは人間世界と違う匂いで包まれた丘だからな。猫の匂いに敏感でなきゃここには辿りつけない。ここに来る前、森で迷ってたろう。大きな欅の洞に手を突っ込んで匂いを嗅いだよな」
「どうして知ってるの?」
「猫は匂いに敏感だ。欅の洞を嗅ぐのがこちらへ入る唯一の手だて。匂いが鼻腔から脳の通り道へ旅するあいだに、意識が抜けてこちらへ漂着する。匂い成分が意識を猫の手座まで飛ばすのさ。知らなかったか」
「知らないわ、難しいもん。猫の手座っていう星座なの?」
「ああ。銀河の端の猫の手座。そのアルファ星の小さな丘に、いま君はいる。地球の森にある欅とこの丘は空間的に表裏の位置にある。君が来たことで空間がよじれ、メビウスの帯になった。表裏がつながったのさ」
「もっと難しいわ」
「まあ座れよ」
ニトランはうながした。私が樫の木の椅子に腰かけると、ジマ自らハーブティーをテーブルのティーカップについでくれた。
「どうぞ、おあがり」
その手が招き猫のような手つきだったので、私はフフフと笑った。ジマはさっきまで微笑んでいたが急に神妙な面持ちになった。
「もうすぐあの世へ旅立たねばなりません。この館のことをよろしく頼みます」
いきなり私に後継を託した。急に頼まれても困る、と思ったが、たくさんの黒猫がいつしか取り囲んで足を舐めてくるので断れなかった。猫は好きだし、友だちも少なかった。まあいいかと開き直った。
「分かりましたと伝えて」
ニトランに頼んだ。言葉を伝え聞くと、ジマは元の和やかな表情に戻った。
夜空の闇が消え、天井の空が白み始めた。夜明けとともに虹が出た。ジマはふわりと宙に浮き、七色の虹に吸い込まれるようにして色と影形をなくした。
「君がこの館の女主人になった」
ニトランがいった。地球の友へ伝言をしたいといったら、自然と頭に呪文が浮かんできた。呪文を唱え、最後にアデュー(さよなら)といった。
「ハーブティーの匂いを嗅いで、意識を地球へ飛ばせ」
ニトランはにわかに告げた。それで地球と友人に別れを告げたことになるという。つながっている表裏の空間も切れたらしいが、不思議となにかを失う感覚はなかった。新しい場所でニトランや猫たちに囲まれ、自適に暮らす毎日を想像したら、笑みがこぼれた。
ふと体の変化を感じた。肌と体毛は黒くなり、背中が丸まった。耳がとがり、尻尾のない猫人間になった。
93◆コウシュウ○○
わたしは喫茶店で働いていた。働きはじめて間もないのにクビになった。
大学の授業が終わり、ずっと考えごとをしていた。バイト中も考えにふけっていた。給仕係としてお盆にアイスコーヒーとケーキを載せて運んでいた。
もう少しでテーブルに、というとき、トイレに立った別の客とすれ違った。その人をよけようとして身をかわした。そのときバランスを崩した。目の前に座っていた客に、グラスのアイスコーヒーをぶちまけてしまった。
「ああ、もぉ!」
紫のブラウスに白のコサージュをした年配の婦人は、不快な声を発して立ち上がった。
「す、すみません。すぐにふきますので」
「もういい。帰ります。二度と来ないわ」
婦人は憤慨して、千円札をバンと机に叩きつけ、帰ってしまった。
一部始終をカウンターの中から見ていたマスターは、
「困るよ、ミチルちゃん。どうしてあんな失敗をするの。こぼすなら床だけにしてくれ」
と言った。腰に手を当てて片手をカウンターについたまま、しばらく沈黙が店を包んだ。
「明日からもう来なくていいから」
わたしは何も言えず、落ち込み、次の日からバイトを欠勤した。辞めますという電話一本すら入れられなかった。それで事実上クビになった。制服はクリーニングに出して、父に事情を説明し、店に届けてもらった。
元はといえば、今朝からついてなかった。
その日の朝、自宅近くの道を歩いていて、マンホールにつまずいた。そのときはつまずいた失敗を深く考えなかった。
大学の講義の始まる前、マンホールで朝つまずいたと千佳に話した。
「ミチル、どんくさいからなぁ。私、マンホールなんかでこけたりしないよ」
「だって急いでたんだもん」千佳にからかわれ、言い訳した。
「ミチルの靴はこけやすいんじゃないの? ヒールなんだから、歩くときデコボコをよけなきゃ」
「わかったよ。気を付けて歩くわ」
すぐに別の講義が始まり、教官が現れた。教壇に上がるとき、彼もつまずいた。
「あの教官もこけたね」
千佳は小声でにやけた。つられて笑いそうになり、こらえた。
昼休み、食堂まで歩いた。人はどうしてこけるのかで千佳と話が盛り上がった。
「こけるってことは、下をよく見てないんだよ」
「そうか。でもさ。思ったより高かったり、低かったりするとやっぱつまずくよ」
「そんなことない。ミチルもあの教官も鈍いんだって」
「そんな言い方ないんじゃないの」
ふて腐れた。二階にある食堂へ続く階段にさしかかった。わたしはまた階段でこけた。千佳はケラケラと笑った。人はなんでこけるのだろう。真剣に悩んだ。
午後、大学を出てバイト先の喫茶店へ向かった。そして、最低な失敗をしでかしてしまった。
わたしはほとほと自分に愛想をつかした。わたしがわたしでいることをやめたくなった。もっと注意できる人に生まれ変わりたい。本気でそう願った。
アルバイトを辞めてから数日のあいだ、大学の講義をサボって地下鉄に乗った。ちょうど五月の連休明けで、気分がけだるかった。二駅前で降り、公園のベンチに座り、毎日くつろいだ。嫌気がさし、失敗を早く忘れたかった。たまたまその日に限り、公園の清掃婦が落ち葉を掃いていた。ベンチの近くまで来て、ふと足を止め、屈んで囁いた。
「お嬢ちゃん。生まれ変わりたいんでしょ」
「どうしてそれを」
「フフフ」
彼女の口から漏れ出た笑いが不敵に聞こえた。
「コウシュウに参加しなさいな」
「コウシュウ?」
「そう。〝成功するコウシュウ〟」
そう言い残し、清掃婦はまた忙しそうに向こうを掃き始めた。
講習? 公衆でも、口臭でもなく?
「きっと講習だよな。お金もかかりそう。そんなもの金欠のわたしには関係ないさ」
ブツブツ呟いて空を見上げた。空を横切る大きな飛行船が目に入った。目のいいわたしは、少し遠くの飛行船の、胴体に書かれた文字を読めた。
あなたも参加しよう! コウシュウ――。
清掃婦の言う〝成功するコウシュウ〟って、これのことか。勝手に妄想した。成功する講習。その講習に参加すればだれもが成功するとか。あるのかな、そんな講習。参加が無料なら見るだけ見て、こっそり逃げちゃおうか。とにかく好奇心に駆られた。
地上に目を移すと、飛行船を見上げた人なのか、列を作るようにして人々がどこかへ歩いていく。このまま現実逃避していてもなにも変わらない。そうだ、わたしは生まれ変わりたいんだった。行動しようと腰を上げ、わたしも人々の列に加わった。そのときは気づかなかった。コウシュウのあとに続く文字が飛行船の裏まで続いていたのを。
巨大なテントが向こうに出現した。テントの中へ人の行列は吸い込まれていく。長蛇の列だ。あれがおそらく会場なのだろう。人の列にまぎれ、わたしもテントに入っていった。
テントの中にパイプ椅子がたくさんあった。人々は次々に椅子に座り、空席を埋めていく。
やがて、開始のベルが鳴り、一同は静まり返った。中央の演壇にスーツを着た紳士が現れ、一礼して話し出した。
「みなさん。こんにちは」
話の本題は紳士の人生の失敗談だった。武勇伝や自慢話ならつまらないから途中で中座して帰ろうと思っていた。が、わたしも周囲の人も、紳士の巧みな話術と身振りと顔つきに、腹を抱えて何度も笑い声を上げた。講演のあいだ中、始めから終わりまで抱腹絶倒の連続だった。
結局、講習とは、失敗をたくさんする紳士のような人は人生の引き出しがたくさんできてかえって幸せだ、といった内容だった。
笑い過ぎて出た涙をハンカチで押さえながら、会場を出ようと出口へ向かった。
なぜか出口には、ピンク色の電話が置いてあった。机に数台並べられている。人が順番に電話を掛けていた。そばの係員がなにか喋りながら、帰る人をその電話に誘導している。いったいどうして電話などと思い、無視して通り過ぎようとしたら、
「すみませんが、ご感想をこの電話でお話しください」
と係に呼び止められた。
「なぜ感想を? だれに話せと」
「この電話は、あなたのいちばん話したい相手につながってます。ほら、早く」
急かされて焦った。隣の人は嬉しそうな顔をしてピンク色の電話で話し込んでいる。とにかく後ろが待ってるし話すとするか。
「もしもし、わたし」
「ああ、ミチルちゃんね。おばあちゃんよ」
「ああ、ばあちゃん。今日ね、面白い話をいっぱい聴いてきたの。あのね……」
さっき聴いた講習の中身を思いつくだけ振り返って母方の祖母に話した。
「ああ、そう。よかったね、ミチルちゃん。さぞ面白かったでしょう。心がスッキリしたでしょう」
「うん。とっても」
「じゃあ、気を付けて帰るのよ」
「うん。じゃあね。ばあちゃん、バイバイ」
ピンク色の受話器を置いた。お金はいらないらしかった。すぐに後ろの人が受話器を手に取った。
あとで家に帰って思い出した。あれ。母方の祖母は二年前に亡くなったはずだよな、と。ちょっとした怪談のようで、半分だまされたような、ちょっと恐いような気分になった。
コウシュとは、講習会か、はたまた公衆電話なのか。それもよく調べると、ピンク色の電話は喫茶店などにしかないものだった。その店の中にある代物らしい。その話は、千佳にも家族にも、だれにも言わなかった。
でも、その日以来不思議に大きな失敗をしなくなった。なんだか、あの紳士か、電話の向こうの死んだはずの祖母が、すべてのわたしの失敗のもとを吸い取ってしまったようだった。
大学卒業後、文系だったわたしは、なぜかコンピューターソフトの会社に入り、いまではプログラマーのチーフとして自分より、他人のミスをみつける毎日を送った。
94◆マカレ
マカレはとんでもない大ウソつきだった。しかも悪党だ。かわいそうなのは、彼のする話の中だけだった。パリラの寝ているあいだに、彼の持ち物を勝手に持ち出し、町の市へ持っていって売りさばいたらしい。朝起きると物が無くなっていた。とくに大切にしていた双眼鏡がなくなっていたのはショックだった。
「少年は、物を売って金が手に入ると、もうけた金の一部をどこかに埋めたのさ。それから姿をくらましてしまったよ」
噂好きの村のパン屋から聞かされた。
パリラは、友だちができたとだれかに話したくてしょうがなかった。が、友だちどころか、とんだ泥棒の行いに裏切られた。こぶしが震えていた。信用していたマカレのひどい行動と、物を盗まれたことに。どうしてマカレはあんな人間なのだろう。だまされたパリラは壁を靴でおもいきり蹴り上げた。
ある国の村に一人の少年が住んでいた。親に先立たれ、一人ぼっちで暮らしていた。村の子どもらにいじめられていた。
嵐の晩の次の日、空は晴れた。白い雲がゆっくりと少年をさそうように動いていく。少年は雲を追いかけ、追いかけ、いつしか海岸の崖まで来た。
雲の切れ間から光が差した。光が海を照らしている。丸太でできたいかだのようなものに人が乗っていた。
「だれだろう」
知りたい気持ちになり、崖から砂浜へ降りていった。いかだは、波にうちよせられるようにして岸へと近づいてくる。
「おーい」いかだの上のひとが叫んだ。
「おーい。だれだい?」少年は叫びに答えた。
「岸に着くから手伝ってくれ」いかだの人は頼み事をした。
「いいとも」
大声で承知した。いかだの人は、どうやら少年と同じくらいの年の男の子だった。ひどく汚れたぼろぼろのシャツとズボンに、うす汚れた赤い帽子をかぶっていた。いかだは、すぐに浅いところに乗り上げた。少年とやってきた男の子のふたりは力をあわせ、浅瀬から動かないいかだをどうにか砂浜まで引き上げた。
「どこからきたの?」少年はたずねた。
「海のはるか向こうの国からさ」
「へえ。名前は?」
「ないよ。きみにはあるの?」
「うん。ぼくの名は、パリラ」
「じゃあ、いい名前をぼくにつけてよ」
「マカレにしよう。それでいい?」
「わかった。じゃあ、きょうからぼくはマカレになる」
マカレはお腹がたいそう減って死にそうだ、といった。パリラはマカレを家に連れ帰った。台所にあったひとかけらのパンとチーズ、残り物のスープを分けてやった。マカレはたいそう喜んで食べ始めた。
食べおわったマカレは、しばらくボーっとしていた。パリラはマカレのことをいろいろたずねてみた。マカレの両親は小さいころに戦いで死んでしまったこと、一人になったマカレは村を離れてさすらいの旅に出たこと、食うや食わずの生活をつづけ、森で木の実を取ったり、砂浜に打ち寄せる海藻を食べたりして飢えをしのいだことなど、マカレはポツリポツリと語ってくれた。
「じゃあ、いかだでどこへ行こうとしていたの?」パリラはたずねた。
「そんなの、どこだっていいじゃない。戦いのない、生まれた村よりも平和な村に行きたかっただけだよ」
マカレはあっさりと答えた。パリラは、すっかりマカレの話を信用した。マカレをしばらく家に泊めてやることにした。
翌朝、異変に気づいた。起きたらすでにもぬけの殻だった。鍋ややかん、おまけに大事な双眼鏡もなくなっていた。
教会に行き、神父に、友だちを信用してひどい目にあったことを打ち明けた。神父はいった。
「パリラ。それでいいんだよ。人を憎んではならない。いいね」
「神父様、どうしてですか」パリラはうつむいていた顔を上げ、たずねた。
「きみのしたことは間違っていない。その少年も大人になって自分の過ちに気づくはずだ。気づいたら、きっと反省する。イエス様に許しを請う。パリラがいいことをしてあげたのにも気づくだろう」
神父は、そっとパリラの髪の毛をなでてくれた。
「パリラ。きみにはきっといいことが起こる。イエス様はちゃんとご覧になっているよ」
神父は力強く言った。
教会を出て道端を歩いていると、教会の三角の塔が、太陽に照らされてくっきりと濃い影を作っていた。よく地面を観察すると、そこだけなぜか土の色が違っていた。パリラは手で影の尖った先を掘ってみた。すると、小さな袋が出てきた。中をあけて腰を抜かした。中には金貨がいくつも入っていた。恐らくマカレがもうけて道に埋めた金貨を掘り当てたのだと思った。パリラは自分の財産の一部を取り戻せた。パリラは、これが神父の言ったいいことだと思った。街の市に行き、その金貨でいい買い物をした。そして足取りも軽く家に戻った。
95◆冬の変心
どこまでも果てしなくつづく青空を白銀で切り取った雪原が広がっている。私はゲレンデを滑ろうとしていた。年末のことだった。畠山さんは同じ場所で先に滑り、片手を上げてこちらに体を向けている。私は恰好よくスノーボードで滑り、彼の元へ……。
「きゃー! 止まらない」
私の夢をぶち壊すかのように、黄色い声がかぶさる。ピンクの目立つジャケットを着た女が畠山さんにぶつかろうとしていた。
「わざとらしい。なによ、ノゾミ先輩ったら」
私はふてくされ、長い髪をなびかせて、畠山さん目指して真っ直ぐに滑り降りた。
ノゾミ先輩は大学の一年上のコーラス部の先輩で、栗色の毛先にパーマをかけていた。ここぞというときにだけ、アイシャドウを濃くして大人の雰囲気を出し、香水をふりかける派手女だった。三年の畠山さんを巡って恋の火花を散らしていた。年末年始の冬休みを利用して、苗場のスキー場で過ごしたいと言い出した畠山さんに、当時付き合っていた私が「一緒に行きたい」と言うと、地獄耳のノゾミ先輩も割り込んできたのだ。畠山さんの男友だちが、いいじゃん、四人で行こうよ、と同意した。波乱含みの展開は、スキー場に来る前から読めていた。充分な対策を取らなかった自分を嘆いた。
スキー場をあとにし、帰りのバスの中で畠山さんから突然別れを告げられた。
ノゾミ先輩は畠山さんに急接近し、大学卒業後、二人は結婚した。あのとき、いったい何があったというのだろう。別れた私は何も知らされず、男のひとが怖くなり信じられなくなった。
五年後、畠山さん主催のパーティーが開かれた。彼はIT系ベンチャー企業の会社を設立し、軌道に乗っていた。私の元にもなぜか招待状が届いた。
パーティーの合間に畠山さんから呼びだされた。
「平野。あのときはすまなかったな」
「もう終わったことでしょ」
「実はノゾミのパパがGoogleの役員でさ。あのときは将来を考えてどうしても後ろ盾が必要だったんだ」
「そうだったの。で、いまさらなに?」
「だから悪く考えないでくれ」
言いたいことはそれだけ? と言い放ち、足をヒールで思いきり踏んづけてやった。
ザマアミロ。
私は心で叫んだ。顔を醜く歪め、男を見下す快感に浸っていた。
将来の就職のために恋人を裏切るなんて、あざとい。ノゾミ先輩が金持ちなのは分かっていた。でも、本当に悔しかった。
さらに五年がたち、彼の会社は倒産し、ノゾミさんとも離婚したと噂で聞いた。自分一人の力で切り開いてみればいいわ、とあざけった。
それからすぐ、彼は居室で首を吊り、死んだ。
ザマアミロ。イイキミダ。
私は彼の葬儀に参列し悲しむ元恋人の役を演じた。心の中は怒気に満ちて般若のようになり、頭から角が生えてきそうなほどだった。
その年末、十年ぶりにゲレンデに立っていた。いまは髪をショートにし、メイクもナチュラルに変わっていた。積もった雪が太陽の光を反射してとても眩しい。スノーボードでターンをきめながら、ゆっくりとシュプールを描いた。会社の同僚が遅れて滑ってきた。週末を利用してまた苗場に来ていた。
「山をバックに写真撮ろうよ」
私はポケットからスマホを取り出した。写真を撮り終え、下に降りようとしたとき、急に視界が悪くなった。突然の猛吹雪に見舞われた。風が強まり、耳をつんざく音がした。
いや、音だろうか。声だ。声に聞こえた。
ザマアミロ――。
風切り音が怨念の声となり、私の耳に届いた。その瞬間、背筋が凍りついた。死んだはずの畠山さんが十年前の恰好で吹雪の中から姿を現し、オーロラのように緑に光って私を飲み込んだ。私はめまいを起こし、その場に倒れ込んだ。
気づくと、灯りをつけたままでベッドに仰向けに寝かされていた。上半身をベッドから起こし、窓を見るとゲレンデは夜の闇に包まれていた。ベッドの横にある鏡を見た。鏡の中のむっつりした顔に微笑んでみた。鏡の中の私は不気味にニヤリと口元を曲げ、虚ろな私と入れ替わった。彼の霊と私の怨念が混じった悪魔が乗り移った気がしたが、妙にやわらいだ気持ちになったのが不思議だった。
それからというもの、私の形相は怖さが倍増したと言われるようになった。入社したのはGoogleのライバル会社のYahooジャパンだった。どうしてもノゾミ先輩を見返してやりたくて選んだ会社だった。Googleの日本支社に親のコネで入って働いたノゾミ先輩を思うと、いまでもGoogleに対してライバル意識を剥き出しにし、同じ会社で働きつづけることに生き甲斐を感じる毎日を送っている。互いに関係のあった男は死んでも、女対女の嫉妬と執念はいつまでも途切れることはない。
〈了〉
96◆ふるさと
テレビに大写しになったのは、お笑い芸人ホラードンキーの溢れんばかりの変顔だった。
「ウハメホザッドン、ウハメホザッドン」
どう聞いたって、僕にはとうていはやりそうなギャグに思えず、ただ画面を前に固まってしまった。笑顔で意気揚々として目を見開き、奇妙な言葉を操り、観覧席の観客とテレビの視聴者を虜にしている。そんなふうに見えた。その言葉というべきかギャグの連続音は、およそどこの国の言葉でもない。アザラシあたりの、仲間に危険を知らせる遠吠えのようでもあった。どちらにせよ、「ウハメホ……」と芸人の口から出た音は、およそホモサピエンスにあるまじき言語感覚の発語だった。
隣で一緒にテレビを観ていたサトルはゲラゲラと下品な声を上げ、こちらを見た。
「俺もあんな有名人になりてぇな」
「むりだって。簡単に面白いことを人前でするなんて、難しいよ」
「でもこの前、面白かったじゃないか」
この前とは、先生への復讐だった。英語の村木に怒られた昼休み、妙案が浮かんだ。悪童ぶりに火が点いた僕は、サトルに耳打ちして復讐を決行した。敷地の端に小さい溜池がポツンとある。そこの主を獲物にした。
僕とサトルは昼休みに村木が女子便所に入るのを見届けると、すかさず隣に侵入し、二人がかりでバケツに入ったでかいガマガエルを、トイレの扉と天井の隙間から放り込んでやった。断末魔と、それにも増して「覚えときなさい!」という低いうなり声がトイレにこだました。
「やったぜ。大成功!」
気を良くした僕は、サトルとハイタッチを交わし、僕らは溜飲を下げた。帰り道、トイレの中でうろたえる村木の姿を想像しただけで、二人はどちらからともなく笑い合い、コンビニで時間をつぶした。
サトルはそれを思い出したのか、あれはまるで出川哲朗のテレビシーンを観ているみたいだな、と愉快そうに笑った。
「俺も出川のような面白い有名人になりてぇ」
さっき喋ったのと似たような台詞を吐いた。僕は答えようがなく、黙って画面を見つめながら、テレビから聞こえる大音量の笑い声につられて意味不明のギャグに笑顔を作った。本当は面白くない。けれど、今だけは面白く聞こえる気もした。
「ヒトシ、どう思う?」
サトルは腹を抱えて笑いながら、また訊いてくる。
「どうって、なにが?」
「だからさ。有名人になる道だよ。よくないか」
「いいと思うけど、思わないこともあるし」
「はっきりしねえな」
「だってさ。東京行って有名になる奴なんて一握りだろ?」
「そりゃ、まあそうだ。だけど、こんな田舎でくすぶっていてもしょうがないだろ?」
「そうかなぁ……」
僕はうまく言い返せなくて、友人の言葉に気押された。
テレビの演芸コーナーが終わると、サトルは、
「やっぱ、有名人になりてぇ。絶対東京行って芸を磨く。目指すはナンバーワンの芸人」
帰りぎわに力強く宣言して玄関のドアを開けた。じゃあなと言って上機嫌で帰っていった。
どこが面白いんだ。ったく馬鹿なヤツ。芸なんてそう簡単に身に付くかよ。僕は悪態をついて玄関の柱を足蹴にした。秋の日曜の夕方はこうして過ぎていった。
僕らは日本海沿いのK町に住む中三生だ。来年の春で卒業になる。十五ともなれば、いろんなことが引っ掛かる。友だちの進路、親の職業、先輩の噂、彼女の有無、背の高さ、その他もろもろ。
サトルと僕は小学校からの友人で、今までずっと一緒だ。仲良くつるんで、自転車で遊びに出掛ける関係が続いた。中間テストを前にして、数学、英語、地理が苦手な僕は、お決まりのように、それぞれの補習を受ける覚悟だった。特に数学は苦手だった。計算ができたとして、大人になってから何に使うのか。そんな疑問が余計に、机の上から教科書と問題集を遠ざけた。
しばらくして、東京への憧れを頻繁に口にし出したサトルは、違うグループの連中と付き合うようになっていった。ある日、僕は嫌われるのを承知の上で、言ってやった。
「サトル。目立てば人気者になれるとか、モテるとか思ってないか」
「何だと?」
「だからさ。カッコばかりつけてないで、もっと男らしくなれよ」
「うっせぇ。ヒトシごときになにがわかる」
「心配してやってるんだろが」
「俺のなにが気に食わない」
「いろいろだよ」
「言いがかりつけるなら、石村を呼ぶぞ」
「あの柔道部のか」
「そうさ。柔道とケンカのめっぽう強い番長、石村だ」
「そんな、困るよ」
「石村がマジで怒れば、ヒトシなんて半殺しだからな」かつての友人はひどい言葉を浴びせた。
石村というのは柔道部員で、サトルを迎え入れた不良グループの一員だ。付き合う友人が違ってきたら、これほど無視できない態度にでるのか。落胆した。正直、どうしようもなかった。僕は素のサトルを知っていたつもりなので、いまの温度差に戸惑った。
僕の家はキャベツや小松菜を作る専業農家。一・五ヘクタールの土地いっぱいに植えている。
「さあ、明日からまた収穫だぞ」
日曜の晩、父ちゃんの威勢のいい声が家を明るくした。専用車一台で朝から日暮れまで一日がかりで、何日もかけて行う。収穫期には、学校から帰ってくると、野菜の選別、箱詰めといった作業を、家中みんなでやった。家には両親と僕、爺ちゃんの他に、天音という妹がいて、妹はスポーツ万能だった。兄としては、爺ちゃんの代から住み続ける、色褪せてくたびれた家から、将来のオリンピック選手が誕生するのを切望し、エールを送った。期待の星とは対照的に、農業を継ぐ以外になんの取り柄もない僕だった。
進路を決めるとき、担任の近田先生に進路を相談した。
「先生、K町や地域の役に立つ仕事は、どんなのがありますか」
「まず役場の職員か教員。あとは福祉関係。資格取らないとな」先生は答えた。
一方で、気象予報士を目指してみたいと伝えると、近田先生は、
「上野の成績では無理。家業を継ぐのも悪くないんじゃないか」
農業か、気象予報士か。どちらかで悩んだ。なかなか答えを出せない自分がいた。
ある日、運命を決める一日が訪れた。テレビで見たあの芸人が、K町を生中継の取材で訪ねてきたのだ。
「表舞台での仕事にあぶれたのだろうな」父ちゃんは哀れんだ。
僕は授業中だったので、後になって知った。母ちゃんがその番組を録画していた。映っていた芸人と父ちゃんの台詞を聞いて、農家を継ぐ決意を固めた。
ホラードンキーは、VTRの中で道の駅を訪れ、K町の名産品をいくつか紹介した。その後、車で移動し、辿り着いた先が取材を申し入れた上野家だった。
父ちゃんと母ちゃんは僕に知らせてなかった。後で録画した番組を見せられ、最初は驚いた。
あまりに鄙びた家の佇まいに恥ずかしさを覚えた。仕事の合間に取材用のカメラを回され、野良着姿のままの父ちゃんと母ちゃんが画面一杯に映し出される。彼は父ちゃんに、
「お父さん、仕事の良さはなんですか」
と訊ねた。照れ笑いを浮かべた父ちゃんは、すっかり上がっている様子だった。事前の打ち合わせを無視し、アドリブでこう言った。
「都会で頑張る人にふるさとの食べもんを届ける。それがオレらの仕事、誇りです」
父ちゃんは胸を張った。間近で耳にしたホラードンキーは戸惑い気味だったが、背筋を正した。
「K町には他に引けを取らないキャベツや小松菜があります。わたしの芸も及びません」
都会の有名人が思わず脱帽したので、僕はビックリした。感慨を深めた僕は、身をもって農業で生計を立てるのを決めた。
K町の野菜。農業。自然。
ふと、都会に出るというサトルを思った。「ふるさとの良さ」を忘れていやしまいか、と。畑を見下ろす御伽山が、今日はひときわ雄大に構えていて、立派で頼もしげだった。
(了)
97◆若き日のミッチェル
あなたはここに来た。そして、こう言った。
「もう、きみとは暮らせない」
母は怒った。
「なんですって!」
「だからここを出ていくよ」
「ちょっと待ってよ」
待てと言われて待つほどなよなよした性格のあなたではない。あなたは玄関で靴を履き、とっととドアを開ける。
しかし、ドアの外に出るのを躊躇った。母を愛していたからではない。外が大雨だったからだ。傘も持たずに、ここに来たのをあなたなら、きっと自身を呪っていただろう。間違っても、この家の住人に、
「悪いが、傘を貸してくれないか」
とは言うまい。強情なあなたのことだから。
若いとき、あなたは、きっとそういう光景を見てきただろう。
そう、そのとおり。あなたは僕に見抜かれていた。すべての所作と癖と性格を。
あなたは、やっと僕の前に本当の姿を見せた。
「やあ、初めてだな。きみと会うのは。いや、どこかで会ったっけ?」
あなたは、自分以外のすべての人に向かって、語りかけるときに、「きみ」という癖が抜けなかった。自分以外のすべての人を「きみ」と呼んだ。教師とはそういう生き物なのだろうか。家族にさえも、相手に話すときは、「きみは……」と言うのが僕には可笑しかった。
数分前にすれ違った子どもに対しても、「きみ」だし、きっと天皇にお目にかかっても、「きみ」だろう。そのときの「きみ」は、主君の「君」とあなたは心の中ですり替えているに違いない。とにかくそれは、まるで、相手のわずかな部分にも光を見いだし、尊敬の念を持ってしゃべっているのだと思わせるような口調だった。
あなたは、自分以外の人間を評価するのに人生の大半を費やしてきた。そう、あなたは教師だったから。
教師にとって、僕や母より、赤の他人の評価がいちばんの関心事であり、仕事だった。哀しいことに、あなたという人は、それを私的な場面でもそうした職業癖が抜けなかった。
あなたはもうこの世にいない。黒い縁取りの写真の中から、僕に語りかけてくるだけの存在だ。
あなたは仕事についても、自身の人生についても多くを語らなかった。愛すべき隣人や、友人の話ばかりを選り好みして聞かせた。僕はそれを聞き流すうちに、どうしてあなたはあなたの過去や恋愛や仕事について語ろうとしないのか、不思議だった。
「こういうときは、こうすればいいからね」とか、「きみはそんなことをしていたのか。ぼくはびっくりしたよ」とか注意を与えたり、感想を漏らしたりする受け答えが多かった。
けして自分の身の上話をして、教師の失敗談をあからさまに僕に話すなどということは好まなかった。
だからなのか、嫌いな野菜とか、好きな女優さんとか、つい最近まで知らなかった。
教師は生きる手本だ、とでもあなたは思っていたのだろうか。
話は戻るが、「きみとはどこかで会ったっけ?」は実に都合のいい誤魔化し方だ。相手の名前が頭に浮かばなくなってしまっても、一生「きみ」で始まり、「きみ」で終わるからだ。
あなたの本当の姿――。それは、たくさんのきみに囲まれて、にこやかに笑う、アルバムのあなたが、いかにも言いそうな台詞の影に隠された羞恥心そのものだった。
〈了〉
万花物語 掌編集