艶書

どこにでも転がっていそうな恋…


若づくりな年寄りか、はたまた老けた若者なのか判別し辛い風采の男

ただ、老いにみられる白いモノは頭の大部分を占めていた


確かなことは、隔日、近所のスーパーのレジに並ぶ素行から、"自炊デキるチョンガー"弁当まで手作りしてそうな独居老人と云うことか…


「最近、山本さん見ないけど辞めたの?」


就労中はトラック、家に帰ればテレビが話し相手のこの男

言葉を交わせるならば、誰彼構わぬ素振りでスーパーのレジ係りに取り留めのない話しをしかける

もちろん、必ず相槌を打ってくれて愛想笑いが仕事だと了解していればの言動であり、本人にしてみれば"冷やかし半分" 世間話みたいなものだろう


『ええ、二週間前に辞めましたよ』


「そうですか…」


従って、それ以上の広がりもなく、ましてや進展する筈もない

何かの話題の為の"エコバッグ"に商品を詰め込むと、空いている方の手で一輪挿しの桔梗をそっと持ち、そそくさと店を出た


『あのー、お客さーん!』


何の進展もない筈のスーパーの店員が、声を掛け乍ら駆け出して来た

男は釣り銭の間違いだろうかと、さっきポケットに捩じ込んだ小銭を鷲掴みにして取り出すと、クシャクシャになったレシートと自販機さえも受け付けない硬貨を掌に広げてみせた


『違いますよ、これを…』


追い掛けて来た店員は、広げた男の手を下側から捕らえると、チラシの切れ端のような紙切れを握らせた


『山本さんから預かってました

多分、お客さん宛てだと思いますよ』


男は手にした小銭やレシート諸共ポケットに捩じ込むと、器用にも紙切れだけを取り出し広げてみた


「コレは?」



『それ、山本さんの携帯番号です

電話して欲しいんじゃないかしら?』


「電話ねぇ…」


寓意ありげにボソッと呟く男の傍を、女は背中越しにぺこりとお辞儀をしてスーパーへと駆けて行った


男は家に着くなり下駄箱の上に鍵を置き、すぐ隣の細長い青磁の花瓶に放り込んだだけのガーベラの花弁にチョンと触れた


「ただいま」


エコバッグをシンクに置くと、そこに伏せてある花瓶に買ってきた桔梗を無造作に挿し込み水を入れた

そうして、少し萎れ掛け首をもたげたガーベラの横に桔梗を並べて置いた

男は、季節感や彩りなどどうでもよかったのだ

ただ、花を愛でる気持ちを失いたくないと日課のように続けていた

『花は、嬉しいにつけ哀しいにつけ愛でるもの』

それは、離れていった最愛の女の口癖

結果論として、人としての心だけは失わないようにと伝えたかったのだろう…

失っても尚忘れられない女の言葉が、朴訥な坂口に影響を与えたには違いない

やもすれば糸の切れた凧のように、見失いそうな自分の心を過去に繋ぎ止めるかのように坂口は花を愛でた



ひとり晩酌でストレスを消化していた坂口は、テーブルに置いたモノ言わぬ紙切れを仕切りに気にしていた


そのうち微酔い加減になると、遂には紙切れを広げて数字を目で追い文字盤を押してしまう…



『はい、もしもし?』

聞き覚えのある女の声がした

「あのー、坂口ですが…」


『坂口さん?もしかしてスーパーのお客さん?

時折、一輪挿しを買ってくれてた…』


坂口は、電話を掛けるに際し、相手が分かってくれなかったら…、いや『人違いです』と言われたらどうしたものかと不安だった


「そうそう、実は最近見掛けないから他の店員さんに聞いたんですよ

そしたら携帯番号貰っちゃって…」

その心配とは裏腹に、女の電話を求めていた相手が自分であると確信を得、軟派ぶった言葉が坂口の口を吐いて出た

元から坂口は、予感めいた期待を山本に対し抱いていた

レジを打つ時、特に一輪挿しの花を買った時に見せる 小首を傾げた上目遣いに『誘い』を感じていたのだが、それは今予覚となった

『満更でもない』そう考えた坂口は、確信に後押しされ調子づく


『へぇーそうなんだ…
覚られてたってワケ?』


「そんなトコ」


『そんなトコかぁ…』


「じゃ 丘の上の公園で」

『うん』


電話を切る頃には待ち合わせの約束を取り付けていた


約束の日、仕事を終えた坂口は待ち合わせの場所へと急いだ

駐車場に着く頃には辺りは陽が翳り始めていて、西に傾く夕陽を背に、紅く揺らめく山本がそこにいた

紅の中の黒い瞳が妖しく坂口を見つめる

「お待たせ」

車のドアを閉め山本に近づく坂口

『…』

紅い影はゆらゆらと黒い影に近付き、僅かに触れると躊躇うようにその触手を引いた

蕾の中に仕舞い込もうとする触手を黒い触手が捕らえる

黒い触手に捕らえられた紅い影は、黒い影の内側から赤赤と妖しげな炎のように燃え上がる

二つの影は既に物理的に共有化し、どちらのモノでも構わない存在と成りつつあった


山本はすべて分かりながら抱かれる不幸を知っていた


それを予感しながらも男の胸に凭れかかる山本の表情は至福に満ちていた

坂口は、女の背中越しに沈む夕陽と灯る街の燈を見つめ、ぬくもりを奪うかのように強く抱き締めた


どちらから促すでもなく二人はホテルに居た

坂口は貪るように山本のカラダを激しく抱いた

山本は順応と反応を繰り返し何度も果てた

その日から通い妻のような二人の生活が始まる

お互い忘れかけていたぬくもりや安らぎを、互いのふれあいの中に求めあい満ち足りていた

だが、そんな日々は長くは続かなかった



利害得失を思慮する年齢でもなく、ましてや子を拵えるつもりも更々無いのだが、山本は一つの事に気付いてしまったのだ

確かに互いのカラダは互いのカラダにより絶頂と果てを与え合うのだが、坂口のカラダの奥に棲む心は、他の女の名を叫んでいることに…
 
それでも山本は幸せだった

心に別の女を持っていると知りながらも、夜毎日毎に山本の胸に顔を埋める愚直な坂口を愛おしく思う自分の心と、坂口のカラダに反応し快楽を得てしまう自分のカラダに素直でいたいと思った

それを今更、坂口に話したところでどうなるものでもなく、誰を想っているのかと切り出してしまえば「察し合う」奥ゆかしさを失い不幸を背負いかねない

明日を求めないこの関係と今のこの暮らしが、山本にとっての幸せなのだから…



しかし、人には情がある

相手を想えば想うほど相手にとっての幸せを叶えてやりたいと、そんな風に山本は考え始めていた

そんなある日の夕方、食事の後片付けをしている山本の背中に坂口が語りかける


「そう云えば俺、こうなる前に君をイメージして物語を書いたんだ」


『ん?なぁに?』


洗い物を済ませ手を拭いながら山本が問いかける


「ブログさ…」


そう言って携帯電話を差し出した


『ふーん、雪の精…』


携帯電話を受け取り椅子に腰掛けながら読み始める山本



タイトル[雪の精]

『寒い…

夏からいきなり冬か、秋は何処行きやがった…』


酷暑日が続いたその年は、なかなか秋が訪れなかった

巷のファッションリーダー達は、先取りしたブーツに汗をにじませていた

それでも12月ともなれば冬らしい気候となった…



冬の夜空は澄み渡り、満天の星達は輝きを増す


『綺麗なモンだ…』

コンビニにトラックを停めると、缶コーヒー片手にしばし星空に酔いしれた

キーを回しトラックを転がそうとすると、誰かがドアを叩いた

‥コンコン‥

それは叩くと言うよりノックしたと言った方が的確だろうか、窓の外にはひとりの女性が立っていた

‥クゥーン‥

窓を開け声をかけようとしたが、雪のようなその女性に見とれ言葉をなくした


『こんばんは』


我に返り見覚えのあるようなないようなその女性に

『誰?』

と聞いた

内心、もっと気の利いたセリフが言えないのかと考えてはみたが浮かばない…


『覚えてらっしゃらない…ですよね…

そこのスーパーのレジ係ですょ…』


『ぁあー!

そうそう、どっかで見たような気がしましたよ』


『よかった、覚えていてくれて

これからお仕事?
どちらまで?

いぃなぁー
自由で…』


『自由?』


『…何でもないの

いつか乗せてもらえませんか?』

 
 
 
数日後、待ち合わせのコンビニに着くとフリースのパーカー、ジーンズにスニーカーといった軽装の彼女がいた

白を基調としたコーディネートが『雪』をイメージさせる

小走りに助手席に駆け寄ると、ワイン片手に乗り込んできた

『おいおいワインはないだろ、コルリオーネかって』


『コルリオーネ?』


『シシリー生まれかって』


『シシリー?
シシリアね、ワインの産地だよ』


『途中トイレ行きたくなったって、男みたいに立ちションできんだろ?』


『女だって立って
で・き・ま・すぅ』


『恐るべしコルリオーネ!』


『コルリオーネ?』



雪…
それは清楚

雪…
それは静寂

雪…
それは優雅


時に荒々しさを見せ牙をむき出すが、前記のイメージが強い雪

南国育ちの由縁か…

ワインの香りと彼女のお喋りにつつまれながら、3号線を南下する


 
 
 
阿久根までくれば真っ青な海が拝める

だが、生憎の曇り空で風もあり、海は少しだけ荒れていた

行き交うトラックのヘッドライトが波打ち際を照らし、繰り返し打ちよせる波が砂浜を青と白とに色分けしているように見えた

自然美は人を黙らせる力を持っているのだろう

さすがの彼女も吸い込まれるように海を見つめていた


吹上浜沿いにトラックを停め、僕らは真っ白な砂浜に腰を下ろした

掌で砂をつかみ手のひらを上に向け指を開くと、指の隙間から砂がサラサラと零れ落ちる

幾度となくそんな仕草を繰り返す彼女は、浅くため息をつき重たそうに呟いた


『生きる希望か…』


指の隙間からこぼれ落ちる砂と打ち寄せる波音にかき消されそうな彼女の声…



彼女は短大を卒業すると福岡の大手企業に就職した

高校時代からの彼氏とは遠恋となったが、その距離が尚更絆を深めたそうだ


去年のイブの夜、彼氏と待ち合わせたレストランの前で、飲酒運転の車が歩道に乗り上げ通行人を跳ねるという痛ましい事故がおきた

彼は他のけが人に救急車の順番を譲り、最後に病院に搬送された

目立った外傷はなかったが頭部打撲による脳内出血…


この事故での死者は彼ひとりだそうだ…

 
 
 
『私、レストランから飛び出したの…

彼の元へ走って行くと、彼、大丈夫だからって…



最初に救急車に乗ればよかったのよ


なぜ彼なの…


なぜ彼だけ…


なぜ彼じゃなきゃいけないの…


なぜ私から奪い去るの…


なぜ…


なぜなの…


…』



溢れる涙は頬を伝い白砂へと零れ落ち、瞬時に吸い込まれて消えた…

海の水がしょっぱいのはそのせいかと思えるほど、沢山の煌めきが白砂へと消えてゆく


『君のその涙も…


清らかな雪に生まれ変わるんだよ』

 
 
 
『僕はキミに雪をイメージしていた

清らかな雪も、ひとたび怒れば元には戻れない

でも、春の訪れと共にひとすじの流となり大海に抱かれる

そしてまた元の清らかな雪に変身する


今は冬、心を凍らせていても誰にも悟られやしない

だけど季節は巡り春が訪れる

その春が君の心を溶かしてくれるかどうか私にはわからない

ただ忘れないでほしい

心を溶かし、もう一度清らかな雪となれることを

季節は巡り…

清らかな雪を待っている人がいることを

希望をすてないでほしい…』
 
 
一年後…


『寒い…

夏からいきなり冬か?
風情が感じられないぞ

まったく…』

缶コーヒー飲みながら夜空を見上げていた

冬の夜空は澄み渡り、満天の星達は輝きを増す


『綺麗なモンだ…』


『お待たせ』


雪のようなその女性は、息を切らしながら助手席に乗り込むと…


『このワインはね…』


と、うんちくを語り始めた


『はぃはぃコルリオーネさん』



『ぁあー!

言ったなぁー』



『さぁ、着いたよ』


『ここ、合宿所みたいね…』


『言うなよ、季節柄どこもいっぱいなんだから』


夕闇の露天風呂

肩を寄せ合うふたりを隠すように雪が舞っていた


『ねぇここの温泉…

私の凍りついた心を溶かしてくれるかしら…』

『あぁ…

清らかな雪に生まれ変われるさ…』


ふたりを包み込むように雪は舞い続ける
 

[雪の精  完]



『横書き?』

坂口は思った

まるで知らない山本を想像して書いたのだから『美化しすぎ』とか『妄想癖』とか…

そんな感想じみた言葉を予想していたのだが、横書きと云う第一声に肩透かしを喰らった


「横書き?」


オウム返しのように坂口が問いかける


『うん…横書きに馴染みがなくて…』


新聞や雑誌をはじめ縦書きの文化に暮らす山本は、横書きに違和感を感じると云うのだ

そうありながらも言葉を続ける山本


『ねぇ…これって私じゃないわ…』


「そうさ、君を知らない僕が君をイメージして書いたから違っていて当然だよ」


なかなか感想らしい感想を云わない山本に少し苛立つように云った


『違うの…』


「違う?」


『温泉よ、近くに有るのに…』


二人出逢って今迄、一度も温泉に行った事がないと拗ねたような口調で山本が云った

山本がそう思うのも無理はない

山本をイメージして書いたものであるならば、現実のモノとなった山本を物語の結びに用いた温泉に連れて行かない筈がない…

つまり整合性がないと言いたいのだ

これまでは、心に誰かを棲まわせていても触れずにいた山本だが、自分ではない誰かをイメージして書いた物語を私だと言い切る無神経さに腹立たしささえ覚えた

これ迄の事を赤ら様にぶつけようかと息を吸い込んだ時、山本の脳裏をイップスと云う言葉が過ぎった


…坂口は無意識のうちに温泉を避けている、そうに違いない…


吸い込んだ息を悟られぬように吐き出しながら次の言葉を探す山本に、場を取り繕うように坂口が口を開く


「週末、温泉行こうか?

あっ、そうそう露天風呂付きの鄙びた宿にお泊りで…

いや、連泊しても構わないよ

ね!行こうよ!」


坂口の愚直さに首を縦に振る山本


『いいわねぇ、じゃあ行き先は私に決めさせてね』


「どこ? どこに行く?」


『ヒ・ミ・ツ』


「そうか、じゃあプランは任せたよ」


週末、二人は車に乗り込み山本のナビで温泉地へ向かう

目的地までの道すがら、特産品や民芸品が列ぶ道の駅に立ち寄ると二人は手を繋ぎ歩いた

冷やかし半分に商品を手に取りはしゃぐ姿は、長年連れ添った夫婦と何ら遜色なかった

一頻り遊ぶと、二人を乗せた車は再び走り出す

山本の道案内のまま走る車は、とある街に入った

と、途端にハンドルを握る坂口の顔から笑みが消え、スルスルとスピードが落ち…

そして、そこから微動だにしなくなった…


辺りはすっかり陽が暮れて、二人を乗せたまま動けない車の車窓からは、暖かな明かりが洩れ出す家々が、コスモス畑の向こう側に広がっているのが見えた


レースのカーテンが品良く掛けられたある家の窓から覗くテーブルは、白い刺繍の施されたテーブルクロスで覆われ、一輪挿しの花を囲む様にお揃いの食器が配膳されていて

六分目に盛られたご飯茶碗からはキラキラとした白い香りが立ち上り、輪切りにしたばかりの朝付きが味噌汁の上を泳いでいた

団欒と云う熟語を暖かく包み込んだ食卓がそこにはあった


真実とは写真と似て、ありのままを伝えたがる

暖かな団欒は坂口の目を釘付けにし、テーブルを囲む笑い声が真綿のように坂口の首を締め付ける

暖かな団欒は、お互いがお互いの為に生きる証

そこにはもう、坂口の入り込む隙はなかった

暖かな団欒からは、坂口と共に生きる事をやめた女の決意が見て取れた



「これは一体なんなんだ!」


女を信じ、ただ一向に待ち侘びた坂口は真実を目の当たりにしたのだ

現実逃避が許されぬ坂口の脳裏には、遠く過ぎ去った時の彼方を彷徨う哀れな自分の後ろ姿が、リアルに映し出されていた

最愛の女が去ったときに止めた筈の時の流れは、坂口だけを取り残し当たり前に流れていたのだ

何を求め何に縋ろうとしていたのかが根底から覆された『時』に、一瞬にして追いついてしまったのだ

それが怖くて息苦しくなり坂口は車から降りた…

山本は一瞬、坂口の行動を危ぶんだが無意味だった

坂口は、暖かな窓辺に向かい「ありがとう…」とお辞儀をしながら呟き、後部座席に転がり込んだ

山本は、運転席に乗り込むと車を走らせた

無言の坂口を後部座席に確かめながら…
 
山本は、ルームミラーに写らない坂口を振り返りながらハンドルを切る

坂口は、抱え込んだ両膝に頭をうな垂れ震えていた

渾身の力を込め握り締めたこぶしには、無意識に摘み取った秋桜の花が小刻みに震えていた

昼間、秋晴れだった車内にポツポツと雨垂れの雫が秋桜の花弁を打つ…


無言の二人を乗せた車が温泉に着く

夫婦と書いた宿帳に目を通したフロント係は、賄いが案内しますからとロビーで待つように云う

二人の前にお茶がもてなされ、口を付けた坂口が数時間ぶりに口を聞いた

「ぬるいお茶…」

抹茶だからぬるくて当然である

坂口は、それが気に入らないのだ

熱いものは熱く、冷たいものは冷たくあるべきだと坂口は呟く

それ程までに、微温湯(ぬるま湯)のような団欒が気に入らないのだ

暫くして部屋に通された二人は、浴衣に着替え大浴場へ向かう

先に上がった坂口は、風呂場から出て来た山本を仏頂面で迎えた

そんな坂口を、甘えん坊な奴だと山本は思った

部屋に入ると夕餉の仕度が整い、座卓いっぱいに広げられた料理に目を見開き乍ら分厚い座布団に向かい合わせに座った

浴衣の袖を気にし乍らご飯を膳そう山本を、料理を見るフリをして横目で見る坂口

そんな坂口を横顔で微笑う山本

甲殻類アレルギーの坂口が、竹崎蟹に手を伸ばす


すかさず咎め自分の膳に囲う山本

ビールの泡で言い争ったり…

そんな二人の時は静かに流れた

向かい合わせの座卓で一頻り団欒を味わった二人は、部屋付きの露天風呂でカラダを寄せ合い、何も話すことなく星空を眺めた



共有とは、束縛や柵に囚われずお互いが求めるままに交わり合うこと

二人は意識することなくそう感じていた


風呂場から戻ると、座卓は片付けられ、ふた組の布団が敷かれていた

微妙に隙間を開け敷かれた布団、それが何だか可笑しくて『宿帳の夫婦の文字が嘘っぽく見えたのかしら』と、山本が笑う

折角ふた組敷いてあるのだからと、それぞれの布団に伏してみる…

程なく坂口の指が山本のカラダに優しく触れた

夕暮れの事象を消し去るかの如くに山本を求める坂口

すべて分かり乍らもそれを受け入れる山本は、坂口の異変に気付いた

車内で秋桜の花弁を濡らした雫が、ポツポツと山本の胸元に降りかかっていることに…

そんな坂口が愛おしく想える山本は、坂口の背中に手を回し強く抱きしめるのだった

坂口は山本の心を傷付けていると分かっていた

分かっていながらも求めてしまう自分と、秘部に蜜を蓄えそれを受け入れる山本に涙が溢れた

坂口は泣きじゃくりながら果てた

耳元で山本の名前を小さく叫びながら…

信じられるのは、この温もりだけと自分の左の胸に山本を抱きしめ眠りに着いた

さっきまで坂口の耳元にあった吐息が寝息に代わるのを確かめて…



真夜中、肩口に寒気を感じ坂口は目を覚ます

左胸の物足りなさに、さっきまで耳元にあった寝息を寝ぼけ眼で探した

そうして、暗がりの部屋の片隅に月明かりをみた

窓から忍び込む月明かりは、山本の肩から腰にかけての柔らかな線を仄かに浮き立たせ、右に流した女座りが妙に色っぽく魅せた

この女が片時も離れず傍に居てくれる

その後ろ姿に安心した坂口は再び眠りに着いた


やがて夜が開け小綬鶏(コジュケイ)の鳴き声に坂口は目を覚ます

「秋に鳴く小綬鶏か…」

季節はもう秋だと云うのに「チョット来イ・チョット来イ」と連れ合いを求めて鳴く小綬鶏が、何だか不憫に感じられてならなかった

これが、共有の齎す心の余裕と云うものなのかとさえ思えた

左腕の物足りなさに、東の襖越しに射し込む朝陽に耳元の寝息も昇華したのかと寝返りを打つ

しかし、月明かりに浮き立つ肩から腰の柔らかな線を朝陽は映し出さなかった

一人で朝風呂にでも行ったのだろうと、後を追うつもりで布団から這い出した

「?」

昨夜、少し離して敷いてあった布団が綺麗に畳んである

坂口は山本の育ちの良さを感じ、また惚れ直した

さっきまで寝ていた布団を隣に習うように畳んで並べ置き、浴衣の帯を締め直し乍ら部屋の鍵を探す坂口の目に、一通の封書が飛び込んだ

昨夜そのままにしていた湯呑みや灰皿やビール瓶が綺麗に片付けられた座卓に、便箋とボールペンが揃えて置かれ

その傍に一通の封書があった

坂口は鍵を置き封書を開き乍ら、二人の出逢いやこれからのことや…そんな山本の思いが綴られているのだろうと期待した

中から出てきた便箋には女らしく細い筆跡の、縦書きの行書の文字があった



『いつからでしょう…

私は明日さえ求めない生き方に身をおき、日々暮らしておりました

そのまま終焉を迎えても構わないとさえ考え過ごしておりました


そんな私に、あなたは一閃差し伸べてくれました

あなたに出逢い、あなたに触れ、あなたに恋をして…

過去に置いてきた、温もりや優しさや…時とカラダの共有を思い出させてくれました

あなたに恋をする私は、いつしかあなたに恋をしている自分に恋をしていたのです

恋しい人には幸せでいて欲しいと誰氏も願うもの、自分に恋をした私は自分の幸せを願ってしまったのです

この関係を続けていたら、私はあなたに止め(トドメ)を刺しそうで怖いのです



あなたは昨夜、私の名前を本気で呼んでくれました

過去を過去として捉え一歩踏み出したあなたには、新しい恋の相手が手招きをして待っているはずです

そんなあなたの傍に私が居ではいけないのです

だって、あなたの未来はあなたの中にあるのですから…

さようなら私のあなた…』


秋晴れの高い空に、小綬鶏の甲高い鳴き声が木霊していた
 
 

艶書

物語の中に、別の物語を挿入したので読み辛いかもですごめんなさい。

艶書

ときめきを忘れかけた熟年男女が、ふとした弾みで恋に落ちる そんな二人に煌めく未来は訪れるのか…

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-11-18

Copyrighted
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