雪花

第一章 出会い


縁側に座りながら、唄っている少女がいた。
少女の元に歩み寄る人影が見える。
「綾香ちゃんは、その歌が好きだねぇ」
「お祖母ちゃん、うん。私この歌大好き!」
「そうかい。お祖母ちゃんも子どもの頃から唄っていたよ。お祖母ちゃんのお母さんもみんな唄ってたんだよ」
「すごいね。そんなに昔からのお歌なんだね。お祖母ちゃん、この歌は誰が作ったの?」
綾香の祖母は、遠い眼をした。
「この歌はね……」
歌を作った人物を分からない。歌は昔から語り継がれて、皆から愛唱され大人や子どもも、老人からも慕われてきた。どこか儚い歌は聴く者を魅了する。
しかし、歌はいつ作られ、それを作った人物、歌の意味を知る者はいない。
歌の意味を知ったとき、人は何を感じるだろうか……。



白い雪よ かすみは 花よ

      川のように ながる 傍に花よ

白い雪よ かすみは 花よ
          
花は 雪と寄り添い 命限り

白い雪よ かすみは 花よ

雪を見上げれば 花は咲く



壮大な池には、鯉が優雅に泳いでいる。池の辺に見事な菫が咲き誇っている。
紫色の菫が、風と共にゆらゆらと揺れていて春の匂いを運ばせる。その光景は実に明媚であった。
池の辺に近づいてくる足音が聞こえる。それは、小さな女子の姿だった。女子の肌は色白で、頬は桜色である。
眼はつぶらでとても可愛らしい顔つきをしている。
女子は、そっと菫に触れようとした。その手首には、勾玉が太陽の日差しで鮮やかな七色に輝く。
そのとき、女子の後ろから慌てふためく声が聞こえた。
「姫様、そのままでは、お手を触れたら手を切ってしまいまする。この、和鋏をお使い下さい」
女子に和鋏を渡したのは乳母であった。女子は和鋏を受け取り菫の花柱を伐った。女子の顔は満足そうに笑みを浮かべた。
「綺麗に御座いますね。生け花になさいますか?」
女子は、首を横に振った。
「ううん。姉上に差し上げるの」
「それは、姉君様はお喜びになられますよ」
その言葉を聞いて眼を細め嬉しそうにまた笑った。
ここは、「宮(きゅう)」という国……。
宮国は、倭と中国の文明を持っていた。
倭は島国であったが、宮国は大陸である。 
政は、中国と同様に国王が存在する。人々の生活用品や衣類は倭の文化が主流である。
宮国は、一つの国にまとまっておらず分裂していた。それが、
「和宮(かずみや)」・「貝塚(かいづか)」・「淋城(りんじょう)」の三つの国が存在した。
三国の中で、大国であった東にある和宮国の王には、二人の
姫がいた。
一の姫の母親は側室であり、二の姫の母親は、この国の正室であったが二年前に病死した。
和宮国の特徴は、本家と分家が存在する。敷地内に大きな王城が二つある。本家とは、国を治める王の城だ。
分家は、王の補佐をする役目を持つ王城である。
本家の王城の造りは王に相応しく広大であり、瓦屋根には見事な龍が天を見上げている。龍とは、王の象徴ともいえよう。
王城の室は、洗練されており、どの家具も国の貴重な物ばかりだ。また、広大な庭園は本家の誇りであった。
春には、壮麗な桜が咲き誇り、秋には夕日に染まる紅蓮のような紅葉を観ることができる。
 一方、分家の城は狭小である。瓦屋根には飾りは施されていない。
 室は、王族らしい豪壮ではあるが本家に比べ控えめだ。庭園は無いが中庭がある。
 次代の王が二人の姫のうちとなるとしたら、どちらかが二つの王城の主となる。しかし、王になれるのは一人だ。
 それを決めるのには、勉学などにおいて優れた者が王になれるのであった。
 円窓から、室内に風が流れ込み肌にそっと優しく触れる。
 草の靡く(なび)音が、かすかに聞こえる。
「兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察すべからず。その無備を攻め、その不意に出ず。多算なれば勝ち、勝算なれば勝たず」
 十四歳の一の姫、弥夜(やよ)は、王族に必要な兵法を全て完璧に答えた。
それには、講師も感心する。
「弥夜様は、大変覚えがよろしゅう御座いますな」
 弥夜は、微笑みながら深くお辞儀をした。
「恐れ入ります」
 室の外から誰かの小走りの音がこちらに近づいてくる。
「姫様、今そちらに行かれてはなりませぬ」
 乳母の声が聞こえたと同時に勢いよく襖が開いた。風と共に、弥夜の文机の上に置いてあった紙は宙に浮き襖の手前に落ちた。弥夜と講師は眼を丸くした。
 部屋に、入ってきたのは八歳になった、二の姫の李梗(りきょう)だった。
 乳母は落ちた紙を拾い弥夜に手を添えて渡した。弥夜は軽く頭を下げ、紙を受け取った。
「姉上、庭園に菫が咲いておりましたので姉上に持ってきました」
 手に持っていた菫を弥夜に差し出した。
「まぁ、とても綺麗、ありがとう」
 菫から春の匂いがほのかに香ったので自然に笑みがこぼれる。李梗は、弥夜の笑顔が見られたことが何より嬉しかった。
 姉妹の周りに穏やかな雰囲気となっているところに、咳払いが聞こえ
た。
「コホン! 花など、どうでも良いではない……。今、弥夜様は勉学中なので、室に入るのは控えて下さらなければ困ります」
 講師は、憤慨な態度を見せた。まだ、勉学を学んでいない李梗が断りもなく室に入ることが不謹慎だと感じた。
「花をあげれば、姉上は、お喜びになると……」
 李梗は、今にも涙腺が緩みそうだ。
「やめなさい。私の妹ぞ。勝手に室に入ったが、悪気はなかったのです」
「これは、とんだご無礼を」
 弥夜の言葉で講師は慌てて、畳に頭を下げた。
 弥夜は優しくて、李梗は心から慕っていた。母親は、違っていたが姉妹の絆は強かった。弥夜は純粋で心優しい姫である。
 いつも穏やかで大変、賢い女子である為、手下からも慕われていた。
 弥夜も李梗を大切に思っていた。この姉妹の絆はこれからも深くなっていくだろう。
 ある日、女官が李梗に
「姫様、王様が今すぐに王室に来られるようにのことに御座います」
と言った。
「父上が?」
 王が呼ぶなど滅多に無かったので戸惑いを見せる。眉間のしわを無意識に寄せた。
 ……何か大変なことが起きたのかしら。
 良からぬことばかり考えていたら王の室に着いた。
 王の室は広大で、玉座には豪奢な金箔が施され豪華絢爛である。王の威厳が見事に玉座に表れている。
「王様、李梗様に御座います」
 真っ直ぐ李梗を見た。針が突き刺さったような視線を感じた。
 手の甲が湿っぽくなっていくのが分かる。中に入ると王は静かに、李梗にこう告げた。
「話があって呼んだ。お前も、もう八つだ。そこで、従者を用意した。従者の者こちらに参れ」
 王がそう言うと部屋の奥から人影が見えた。人影は、少年であった。
 当時では見かけない斜め前髪で、後頭部より低い位置に髪を一つに束ねている。
 長さは、束ねても肩についてなかった。少年の身長は五尺七寸(約百七十二センチ)あるだろうか。
 ……この者が、私の従者。
 その背丈は、無意識に少年を見上げてしまった。
「冴(さえ)と申します。今日より姫様のお側近く仕えさせていただきます」
 少年は、李梗の元へ歩み深く頭を下げた。慎み深い雰囲気を漂わせる。
「冴、これよりお前の主は、李梗だ。我が、娘を恃む」
 王は、冴に威圧するように言った。 
「御意」
 冴は、王の威圧に何も感じなかったのか、気魄な様子で返事をした。
 王の室を退室し、二人は李梗の室に向かった。
 冴は、李梗より三つ歳が上だった。冴は、実年齢より年上に見えた。
 眼は切れ長で鼻筋が、すっと通っていて、顔が整っている。
 廊下を歩いている時に聞こえるのは二人の足音しか聞こえない。李梗は、冴をちらりと見た。
 冴は、顔色ひとつ変えず前を見ていた。どこか掴み所がない男である。
 二人の間の空気が重苦しい。その空気に耐えかね、李梗は話しかけた。
「この王城はとても美しいでしょう。池もあって綺麗よ。きっと、貴方も気に入ると思う」
 冴は、少し間を空けたが、受け答えた。
「そうですね。姫様は、この国はお好きですか?」
 いきなり、何を言うのだろう。この国の姫なのだから好きなのは当然だ。
「もちろん、好きよ!」
 李梗は、何の曇りも無い笑顔で答えた。
「ふ~ん。俺はこんな国、嫌いです」
「えっ」
 予想もしていなかった言葉が返ってきて、顔がこわばった。冴は、歩くのをやめて立ち止まった。
 そして、李梗の顔を見下ろした。
「あんたみたいに大事に育てられている者には分からないとは思いますけどね」
 自身が仕えようとする姫君に対し無礼ほどがある。口調も人を挑撥するような言い方であった。
 冴は、形振り構わず言い続けた。
「この国と敵対している淋城国(りんじょうこく)との戦で俺の兄上は死んだ。兄上は、この国に忠義を誓って今まで働きをかけたのに、この国は、兄上を囮にして見殺しにした!」
 冴は、その厳粛な雰囲気を覆すように怒号した。眉間のしわが中央に引き寄り顔を歪めた。
 冴の兄の名は、海(かい)と言い、武官として優秀であった為、国の功績の為に囮として命を落とした。冴は、兄と同様に才気である。まだ、十一歳であったがその年で首席が認められた。
 しかし、冴は兄がいたからこそ出来たのだ。
 いつも援護してくれ、たった一人の身寄りでもあった。それを喪った悲しみは胸が張り裂けそうな痛みであった。その怒りの矛先を全て李梗に突き付けた。
 冴の拳は徐々に震えてきた。
 無表情だったのではない。その眼は、どこか冷めているようだが憎しみを抱えている眼であった。冴は、ずっと憮然していた。幼い冴は孤独と耐えてきたのだ。
 ……憎い憎い。こんな国、さっさと滅ぼされればいい。
 頭の中で何度も冴は連想した。
「………」
李梗は、姫なのにこの国のことを何も知らなかった。知ろうとも思わ
なかった。
自分が幸せなのは、多くの命が喪われる代償となっていること知った。
やるせない思いのまま、李梗は、冴の側により手をとった。
「あなたがこの国を滅ぼしたいのなら、私が王になってこの国を変えてみ
 せる」
「はっ? この国が簡単に変わるとは思いませんが……。運命はそんな
に変わらない」
 冴は、その手を荒々しく振り払った。
それでも、李梗は構わず話しかけた。
「それは、あなたが決めるものではない。運命が決める」
 李梗は、真っ直ぐ冴を見た。その眼を見た冴は、身体に電気が走た
 かのように動けなかった。
 これが、王族というものだろうか……。
 ……いや、そんなはずが無い。
 冴は、我に返り、李梗に突き刺すように言った。
「なら、俺は、あんたを王にするよう補佐する」
 冴は、正直この姫の言う事なんか当てにしてなどいなかった。
 王族など嘘偽りだらけで、己の名誉なら他人を切り捨てる生き物
だと思っていた。
「冴……。ありがとう」
「勘違いしないで下さい。あんたの為じゃない。どうせ、今の王は兄上の
 事なんか気にかけもしない。あんたが、王になって、兄上を供養しろ」
 そう吐き捨てると冴は、先に行ってしまった。その、後姿を見つめなが
ら、李梗は呟いた。
「約束する」
 冴は、自室に戻り、荒々しく座布団に座る。腕を組み、眼を閉じた。先程の事を考えた。
 ……何だ、あの姫は。
 無礼な振る舞いをしたのに咎める事もなく、挙句の果て、王になると
 誓うと言い出した李梗を奇異な姫だと思った。
 それから、数日後。
「おい、聞いたか。王様が、李梗様に従者をお付けしたそうだ」
「ああ、そうらしいな。なにしろ、その従者は背丈が随分大きいそうだ」 
 冴の噂は、王城内で広まった。やがて、あの方の耳にも届いた。
「何? 李梗に従者が。父上様に会わせよ」
 なにやら、腑に落ちなかった。その真相を確かめる為にも王の室に行った。
 王「父上様、弥夜に御座います」
「入るがよい」
 襖を開けると王は書物を読んでいた。書物は、儒学書のようだ。
「どうした?」
 王は、弥夜の顔を見て何かを察したのか儒学書を閉じ文机の上に置いた。
「李梗に従者を付けたことはまことでございますか?」
 不安そうな眼で王を見た。
「何を不安そうにしている。李梗に従者を付けたのが気に食わないの
 か」
 王の威厳に弥夜は、怯みそうになった。
「ですが、李梗は、まだ八つ。姉である私には従者を付けず、何故、李
梗に付けたのですか?」
「お前は、聡明であるため、従者はいらないと思っておる。不安になる
事はない。お前なら従者など付けなくとも優れておるからだ」
 別に不安になどなっていないと自分に言い聞かせた。なぜ、妹が優遇
されたのかその理由を聞く為に自分は王の室へ参ったのだと分かったと
きその事実を受け入れることができなかった。
 しかし、王から気に食わないのかと問われたがはっきり否定できなかっ
た。
 自分は聡明だという理由で従者を付かないと言われたが怪訝な顔
をする。
 弥夜は王の室を出て、自室に帰る途中だった。
「姉上!」
 向こうから弾んだ声が聞こえた。
 こちらに向かって来たのは李梗だった。
「李梗ではないか。どうしたの?」
 弥夜は、この状況が少しいたたまれなかった。
「姉上が見えたのでお声かけました。どこへ、行かれていたのですか?」
「ちょっと、用事があってな」
 弥夜は、李梗の後ろにいた少年に気が付いた。
ぺこっと頭を下げたのは冴だった。
「李梗様の従者の冴に御座います。お初目にかかります」
 この男は、表面上、謹厚である。なにか、不服を感じた李梗だった。
「冴、妹を頼みました」
「承知しました」
 李梗は、冴ばかり話すので悋気な気分になった。弥夜の小袖を引っ
張った。
「姉上、天気が良いので、花摘みに行きませんか?」
「すまぬ。これから、講義があるからまた、今度に」
 本当は、講義などなかったが今はこの場を離れたかった。
の室が遠く感じる。足に重石が付いているようだ。
 やっと王の室の前に着いた。ふっと、息を吐きながら着物を整えた。
「はい……」
 李梗は、顔を曇らせ返事をした。
 李梗がその場を去った後、胸に一寸の針が刺さったような痛みがし
た。
「あの者が、冴か」
 長身で顔が整っている。歳は、李梗より三つ上だと聞いた。あの眼は
全てを見抜くようなしている……。
 弥夜は、冴の底知れぬ何かを感じ取った。
 その時、水滴の音が聞こえた。水滴の音は、徐々に大きくなり中庭
に咲き誇っている朝顔が雨に打ち付けられる。    
 弥夜は、欄干に手を置いた。手は、みるみるうちに水で濡れていく。
「嵐になりそうだ……」

「すごい、豪雨だな」
 冴は、頭から濡れていた。髪の毛先から水滴がぽたぽたと垂れ肩を濡
らす。
 頭を掻き立て何とか水滴を落とした。なぜ、冴は濡れたのか……。
 それは、弥夜と別れた後に二人は庭園で花摘みをしたのだ。急に雲行きが怪しくなったので慌てて走ったら 李梗は、足を滑らし転んでしまったのだ。李梗を何とか起こしていたら雨に当たったということだ。
 これじゃ、身が持たん。弥夜様にお仕えした方が良かったかも知れない。姉姫の方が、聡明そうだったし、 弥夜様のところに鞍変えしてもらおうか……。
と冴は、草履を脱ぎながら思った。
 自室に戻るため、廊下の角を曲がろうとしたとき、角部屋から男達
の話し声が聞こえる。部屋には、数人で、ひそひそと何やら話をしているようだ。
 他人の会話など興味もないので、冴はその場を去ろうとした。
 その時、自分の名が聞こえた。一歩出した足を元に戻し、耳を澄ました。
「二の姫様にくっ付いている冴と言う男を見たか?」
「遠目から見た。まだ、十一だそうだ」
 どうやら下働きの男達は、冴が気になるようであった。
「十一? ずいぶんと幼い従者を王様はお付けしたんだな」
 「その若さで姫君の従者になれるなんて羨ましいもんだ」
 男は、鼻で「はっ」と笑った。
「将来(さき)は、大臣に任命されたりしてな。全くいい気なものだな」
 男達は、小馬鹿にしたように笑った。
 その笑い声を聞いていた冴は、その場を離れた。
 そして一言、呟いた言葉は……。
「くだらん」
第二章 怒り

李梗と冴の関係は変わらない日々が続いた。
季節は、初冬を迎える。
朝日が昇ると清冽な空気は陽の光が、王城を包み込み神々しく輝く。
陽の光は李梗の寝室に差し込んだ。その光に目を覚ます。
うっすらと眼を開けると天井が見えた。
天井には、鳥が描かれており秀麗である。
いつもより遅い時間に目覚めたことに気付く。
毎朝、冴が起こしに来るのだが。冴の姿はなかった。
李梗はまだ、冴は寝ているのかもしれないと思った。床から起き上がり
乳母を呼んだ。
「今から、冴の室へ参る。着替えの用意をお願い」
「 かしこまりました」
蜜柑色に椿柄の着物が李梗に良く似合っていた。
襖を開けると寒気が顔に突き刺さる。息を吐くたびに雪のような色が出た。
冴の室の前に着いた。
「冴、まだ寝ているの?」
返事はなかった。辺りは、静けさを増す。
李梗は、襖を静かに開けた。そこには、冴の姿はなかった。
布団も片づけられてあった。室に入り辺りを見渡す。
「何処かへ出掛けたようですね」
乳母は。ため息をついた。
主を置いていくとは従者として、あるまじき行為だと呆れる。
乳母とは裏腹に李梗は
「何処へ行ったのか……」
と落ち着いていた。
「姫様、一先ずここを出ましょう」
自室に戻ろうとしたが、何かを察した。向かったのは普段、冴が出入りをしている場所だった。
冴の草履がないことに二人は気付いた。
「やはり何処かへ……。無断外出とは何事か」
乳母は憤った。
「もしかしたら、王城を出たのかも」
李梗は急ぎ、城門に行った。
「二の姫様? どうされたのですか?」
門衛は、李梗の姿に大変驚いた。
城門に立ち入ることなど滅多にないからである。
「私の従者、冴を見なかった?」
しだいに李梗の顔が不安になっていった。
「あの者でしたら朝早くに王城を出て行かれました」
乳母は李梗の顔を見た。
「何処へ行ったのか聞いておりますか?」
乳母にも焦りの顔色が見えてきた。
門衛は横に首を振った。
「そ…う」
李梗は肩を落胆した。
すると門衛は思いもよらぬことを口にした。
「従者の荷物の中をほんの一瞬見えたのですが、線香や蝋燭が入っておりました。誰かの命日なのでしょうか?」
その言葉に、
 ……海(かい)の墓参りだ!
 李梗は気付いた。
 李梗は、乳母に冴の実家を調べるように命じた。
 無断外出は、兄上の墓参りだと知られたくなかったからだろう。
 乳母は、冴の履歴書が保管されている場所へ行き管理者に頼んだ。
 冴の実家は王城から一里(四㎞)ほどで近くにあることが分かった。
「冴のとこへ参られるのですか? あの者はそのうち、お戻りになるはず」
 その言葉に不安を感じる。
 なぜか、今すぐにでも冴の元に行かねばならない気がした。
「すぐに参る」
 勝手に城門を開けようとしたとき、門衛に止められる。
「王様からの許可がない限り、お通しするわけにはまいりません」
「どきなさい!」
 李梗の顔が怒気で赤く染まった。
 乳母は、李梗が声を荒げるのを初めて見た。
「姫様、どうしても参るのなら王様に許可を貰いに行きましょう」
「それでは、時間が掛かるでしょう」
 顔に焦りが見える。乳母は、李梗に哀憐を感じた。
いつまでも、城門にいるわけにもいかないので李梗を連れて行こうとしたとき、
「王様からの許可なら貰った」
 二人の背後から聞こえた声は……。
「姉上!」
そこにいたのは、弥夜と護衛官であった。
「李梗が、冴を探していると聞き、あなたなら王城を無断で出ると思い勝手ながら父上に
許可を貰いました」
「姉上……。有難う御座います」
 思わず涙が、ほろりと出てしまった。
「泣くでない」
 弥夜は、穏やかな笑みで、涙を指でソッと拭う。
弥夜は、城門の前に立った。
「扉を開けよ」
 

城外に出たことがなかったため、見るものが初めてであったが、
李梗の頭の中は冴のことしかなかった。
 冴の実家は、街外れにあり、ひっそりと一軒だけ建っていた。
 外観は、さほど大きくはない。中の様子を見るため、戸に手を掛けゆっくりと開けた。
室内を見ると、物がほとんど無かった。
 あるのは、古びた棚と一つの机がある。実に、殺風景としていた。
 少し埃臭い。李梗は、履物を脱ぎ、畳の上に足を踏み入れた。
 畳が、ギシッと鈍い音を立てる。
 弥夜は、隣にある室に入った。そこも、殺風景であった。
「ここには、冴はいないようで」
 どうやら、家の中には今はいないらしい。
 乳母は、
「姫様、いかがなさいますか?」
 と李梗に尋ねる。
 すでに王城に戻っている可能性もある。
 ……でも、帰っていなかったら。
 先程の不安が李梗を襲う。
 李梗の青ざめた顔を見た弥夜は
「家の付近を隈なく調べなさい」
 と護衛官に命じる。
「承知しました」
 弥夜は、李梗に
「大丈夫」
 と頭を撫でた。
 その言葉に安堵したのか李梗の顔が柔らかくなった。
 外では、護衛官の上役が配下に命を伝えた。
「隈なく探せ。少しでも怪しい物があらば、至急に伝えよ」
 しばらくすると、一人の護衛官が何かを見つける。
 すぐに、李梗と弥夜に伝えられた。
「姫様、何やら怪しい細道を見つけました。
「細道?」
 李梗は、眉を顰(ひそ)める。
「場所はどこにあるのです?」
 弥夜も眉を顰めた。
「細道は家の裏側にあります」
 李梗は、弥夜の手を取った、
「姉上、参りましょう」
 その場所へ行くと確かに細道があった。
「ここに冴が通ったかもしれない」
 しかし、確信はない……。
 細道は、枝に覆われており空洞になっている。
 所々に枝が伸びていた。
 その細道は、弥夜と乳母に不気味さを感じさせる。
「私、ここを通ります」
 李梗の眼は、ただ細道の奥を真っ直ぐ見ていた。
 弥夜は、李梗の手を取り、頷いた。
 入り口に三人の護衛官の見張りがつけ、李梗達は中へ入って行った。
 そこは、大人が一人歩けるほどしかない。辺りは静寂としていて、
小鳥の囀(さえず)りさえも聞こえない。不気味さを増す。
 歩き続けると先にぼんやりと光が見えた。
細道をぬけるとそこにあったのは……。
 


  
 



 

雪花

雪花

古くから伝わる歌があった。その歌を聴くものは皆、魅了される。ただ一つ、皆から愛唱されている歌の意味を知る者はいなかった。 いつ作られたのか、誰が作ったのかは謎に包まれている。 歌の記憶を遡ると、一人の姫と従者の存在があった。二人は、どのような人生があったのか。 そして歌の意味とは……。

  • 小説
  • 短編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-11-17

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