ブチ・キヨ
まるで燃え尽き症候群、離婚から始まる物語
『清、たまには休め
そんな魂積めて働いてたら早死にするぞ』
「あぁ大丈夫、自分のカラダは自分が一番わかってるよ」
『自分のカラダを一番知らないのが自分なんだよ
とにかく無理すんな』
清は寝ずに働いた
寝ずにとは大袈裟だが、いつ寝ているのかと心配してくれる友も居たが
清も子どもも共に生きなければならない
生きるために選んだ離婚、途中で投げ出すと云う選択肢はない
ケジメをつけるため働くしか思い付かなかったし、働いているときは何も考えずにいられた…
清は、それなりに子煩悩だった
それで、よく夫婦喧嘩になったのものだ
それと云うのも、息子を保育園に連れて行く方法に問題があった
バイク通勤をしていた清は、スクーターのステップに息子を立たせ運転していた
数キロも離れていないし車もそれほど走ってはいない道
息子は保育園に着くまで
『おとうしゃん』
『速いね!』
と、おうむ返しのように時々振り向きながら清の顔を見た
風を受けた息子の髪はサラサラと風に泳ぎ、息子の匂いを確認させた
息子の髪は保育園に着く頃、決まって逆立っていたものだ
信号待ちでは膝に座らせ、不意に発進させては驚かせた
息子は
『わっ!』
と、驚くものの直ぐに立ち上がりバンドルを掴まえる
運動会が近づくと早目に家を出て、かけっこの練習をした
『おとうしゃんのバイクの方が速いのにね!』
もしかすると息子は、清よりバイクの方が好きだったのかもしれない…
役割分担
朝御飯と息子の送りは清
夕御飯と息子の迎えは妻
共働きで、互いの勤務時間のズレから必然的にそんな役割分担ができた
但しこれは、夫婦喧嘩によって反故されもした
夫婦喧嘩をした日には、決まって保育園から電話が入る
『お父さん、お迎えがまだですよ。』
清は残業を切り上げ、園長先生の家に息子を迎えに行く
『夕飯は済ませておきましたから。』
園長先生には、そんな事情なんてお見通しなのだろう…
清は深々と頭を下げ息子を連れ帰る
息子は、朝も夜もバイクに乗れて大喜び
『お父しゃん 速いね!』
清は、こんな無邪気な息子を武器に使う妻を理解することが出来なかった
数年後、清は慰謝料と養育費を払い終えた
毎月ちまちま渡していては、カツカツな暮らしをさせはしないかと心配が絶えない、ならばと一気に渡す事を考えた
便りがないのは元気な証拠
間もなく音信不通となった…
燃え尽き症候群
たとえ会えなくとも、息子と共に生きるため離婚を選んだ清
明日の目的を失い、ただただ生きている清
巡り合わせとは不思議なもの
クリスマスに浮かれる街で斑と出会った
それは、ふらりと立ち寄った屋台の奥に居た
屋台のカウンターに両肘をつき、だらしなく呑んでいると…
クゥ~ンとかキャンとか、ガサゴソ音がする
そっと覗いて見ると、段ボールの中の仔犬と目があった
『大将、犬飼ってるの?』
大将の飼い犬が仔犬を産んだらしく、貰い手を探しているのだと云う
『兄ちゃん貰ってくれんか?』
ひとめで雑種と判る仔犬は赤白黒の斑
『いいか兄ちゃん
犬ってのはな、純粋種より雑種の方が抵抗力があって強いって知ってるか?』
何やら都合の良いこと云ってる屋台の大将
清は既に名前を考えていた
『マーブルにする?
ってか、雄だから斑だな
斑!
おっちゃんとこ来るか?』
こうして斑と清の生活が始まった
『清さん、これが蚤ダニ駆除薬、月に1回後頭部から背骨にかけて垂らしてくださいそれから、ご飯は体重にあわせて与えて下さい、欲しがるからと与え過ぎないように
それから、散歩は二回目の予防接種を終えるまでダメですよ
それから…』
『もういいよ、わかってますって、ねぇ斑』
清は二回目の予防接種を済ませると、さっそく散歩に連れ出した
斑は、外の世界に興味津々
なかなか帰ろうとしない
仕方なく抱っこして帰ることにした
家に帰り斑の足を洗おうと風呂場に連れて行くと、清は声をあげた
『斑!アンヨ怪我してるじゃない!』
見ると前足も後ろ足も肉球に血がにじんでいた
『先生!大変です!
斑が足を怪我してます』
『どうしましたか?』
『初めて散歩に連れていって、さっき帰ったら肉球に血がにじんでます
足の皮膚が特別弱いのかもしれません!』
『清さん、今まで家の中に居たんでしょ?斑くんは…
まだアスファルトや土に慣れてないだけですよ』
『ホントに?』
『大丈夫、大丈夫、慌てなくても大丈夫だから…』
『じゃあ赤チンか何か塗ったが良いですか?』
『…』
『先生?』
『あのねぇ、足を舐めてるでしょ?』
見ると斑は自分の足を舐めていた
「はい…」
『じゃあ何もしなくて大丈夫!
斑くんに赤チン舐めさせたくないでしょ?
斑くんが歩きたくない様子なら連れてきて下さい』
さっきまで足を舐めていた斑、遊んでくれと清の靴下を噛んで引っ張っていた
充実した二人の時間は駆け足のよう…
季節は夏になった
『斑!海に行こうか?』
清は斑をゲージに入れ、スクーターのステップに乗せた
『斑、海で泳ごうね!』
清の声に、時々振り向きながら清の顔を見る斑
風を受けた斑の三色の毛はサラサラと風に泳ぎ、斑の匂いを確認させた
海に着いた斑は自由を楽しんだ
砂浜でかけっこの練習をするとリードを外した
斑は駆け回り、後ろ足で砂を掻き、前足で穴を掘り…
腹這いになったかと思えば、背中をグリグリと擦り付けた
一頻り遊ぶと清を見つけ駆けてきた
『斑!泳ごうか!』
清は、斑が遊んでいる間に膨らましたゴムボートを抱え、波打ち際まで連れて行った
『ん?』
斑は、波打ち際で固まった…
『なぁんだ斑!水が怖いのか?
おっちゃんが一緒だから大丈夫って。』
清は斑を抱き抱え、ゴムボートに乗せた
斑は少し震えていた
『斑?やめる?』
清は斑をゴムボートに乗せたまま砂浜を引き摺り、もと居た場所へ戻った
斑はゴムボートからピョーンと飛び出すと、安心したかのように砂浜を駆け回った
『斑…お前は息子と似てるなぁ…』
清は初めて息子を海に連れて来た時の事を思い出していた
あの時、泣きじゃくっていた息子を…
生き物には寿命がある
鶴は千年,亀は万年とはいかないものだ
犬と人間とでは時の流れが7倍違う
斑と清にも例外なく別れが訪れる
清は体の弱った斑を乳母車に乗せ外へと連れ出してもいたが、15回目のクリスマスを迎えることなく虹の橋へと旅立った
短い人生に於いて2度の別れを経験した清は、悲しみに打ちひしがれ家に閉じ籠り、酒浸りの日々に逆戻りした
その年のクリスマス、清は街に出た
誕生日には必ず二人で食べていたチーズケーキを買うために…
「大将、ビール…」
『おぅ、あん時の兄ちゃんか?
年取ったなぁ、頭真っ白だ』
「俺だって歳くらい取るよ…」
『そりゃそうだ、俺なんか生えるモノすら無くなったぞ』
大将は自分の頭をパシッと叩きながら話を続ける
『兄ちゃん、貰ってくれた犬、元気にしてるか?』
「…ぃゃ、春先に天国へ旅立ったよ」
『そうか…あれから十数年経つもんなぁ
それ、クリスマスケーキか?』
「いゃ、斑が好きだったチーズケーキさ
斑の誕生日には欠かさず二人で食べてたんだ…」
『そうそう、思い出した
あの日もクリスマスの夜だったなぁ』
「そぅ…そこの隅っこでクゥ~ンで鳴いてたよ…」
『なんだなんだ?
クリスマスに涙酒かぁ?
ビール1本サービスするから
ほら、呑みなよ
おでん喰うか?
うめぇぞ!
見ろよこのバラ肉!
最高に浸かってるぞ!』
矢継ぎ早に捲し立てる大将…
「ん!
大将、いま犬の鳴き声聞こえなかったか?」
『いや、何も聞こえなかったぞ』
清はチーズケーキを抱えると、屋台の椅子を押し倒し外へ飛び出した
『おいおい乱暴だなぁ、犬の鳴き声なんか聞こえなかったって…』
清は辺りを見回した
街はクリスマスらしく人で溢れていた
忙しなく走るタクシーと、年末恒例の公共工事に走り回るダンプカーの騒音
たとえ犬の鳴き声がしたとしても、掻き消されてしまう騒がしさ…
だが、清の視線は一点に釘付けになり瞬きすら忘れていた
「斑…
ぶちー!」
清が見詰める先…道路の向こう側の街路樹の脇に、マーブルカラーの犬がいた
背筋をピンと伸ばし、清の声に聞き耳を立てている
「ぶちぃ!」
清は勢いよく“斑”の元へと駆け出した
「斑…ぶちじゃないか!
ぉおーぶち!
元気してたか!
逢いたかったぞ斑!」
『おっちゃん
おっちゃん、海に行こうよ』
「よーし斑、ケージに入って!」
『おっちゃん、僕ケージなんて要らないよ』
斑はサッとバイクのステップに飛び乗ると、前足をハンドルに置いた
「よーし斑!
海まで飛ばすぞ!
しっかり掴まってろよ!」
『おっちゃん、速い速い!』
マーブルの毛は風に靡き、清の鼻をくすぐる
懐かしい匂いに清は泣いていた…
『おっちゃん!
早くおいでよ!』
清は涙を拭いながら声のする方へ目をやると、海を泳ぐ斑の姿があった
「泳げるようになったのか?
斑、大人になったなぁ」
『おっちゃん、何言ってんだよ
花火も雪も怖くないし、チーズケーキならワンホールいけるよ』
「うんうん…」
清は斑の話を一字一句洩らさず聞いた
そして言った…
「斑…
迎えに来てくれてありがと
もう、生き方に迷う事もない
これからはずっと一緒だよ
…斑」
いつしか街の雑踏はざわめきにかわり、屋台の大将の声が響いていた
『おい!
救急車はまだか!
兄ちゃん!
兄ちゃんしっかりしろ!
おい兄ちゃん!』
クリスマスの夜空に雪が舞い始めると
ひしゃげたチーズケーキを白く隠した…
ブチ・キヨ
作者はチーズケーキが大好きです。