HLA

医療技術は日進月歩であり、健常者や脳死者が提供する“パーツ”を移植することで、命を繋ぐ療法が確立しつつある

献血や骨髄BKは日本赤十字社が窓口となっており、古くから一般的に広く知られる身近な移植である

物語に登場する香澄は看護士を生業としており、自らのブログで献血や骨髄BKの必要性を説いてきた

職場は日本赤十字社の血液課に在籍し、献血者からの採血が主な仕事

1日中慌ただしく駆け回っているが、笑顔を絶やさず誰からも好かれる明るい性格

まるで献血ルームに掲げられた『献身』を地で行くような彼女、当然ファンも多くいる

そもそも献血とは年間12回と決められており、その間隔は種別によって異なる

輸血に使われる献血ならば男性の場合年間1200ml迄、間隔は12週間あけなければならない

血液製剤などに使われる成分献血ならば2週間あけなければならない

先に述べた通り香澄にはファンがいて、その間隔を計算し通う者もいる

そんな輩の中に、ろくに仕事もせずギャンブルばかりやっている男がいた

 
 


「こんにちは香澄ちゃん」


『あら四郎さんゴキゲンね

スロットでも勝ったの?』
「そんなんじゃないよ」


その男は、互いを名前で呼び合えるくらい献血に通い親しくなっていた


「ねぇ香澄ちゃん

ご飯でも食べに行かない?

おいしいラーメン屋発見したんだ」


『ラーメン屋さん?

そうね、四郎さんの無償の行為のお返しに付き合ってあげよっかな?』


「本当?

本当にウマいんだから

びっくりするくらいウマいんだから

楽しみだなぁ

じゃぁ今度の休みにね」


ギャンブル好きでその日暮らしだが奉仕活動には積極的、そんな四郎に香澄は少しだけ興味を持っていた


約束の日、二人はラーメン屋を出ると時折雲に隠れる十三夜の月明かりを背に話しをした

満天の星空と初秋の夜風が、二人の距離をほんの少しだけ近づけた


「俺さぁ…

ピンクの封筒が届いたんだ

だから担当医とコーディネーターとの面談に行ってくるよ」


『いつ?』


「3週間後だよ

でも…

何となく複雑な気持ちだよ

嬉しいのに不安な感じ…

だって、全身麻酔だから管通すんだろ?

〈まぁ立派な陰茎だこと〉

なぁんて言われたりしてさ

ガハハハハ…」


『全然心配してないじゃん

四郎さんファイト!』


「気休めでも嬉しいです」


『コラ!』



【数週間後】


‥次の方、採血室へどうぞ‥


「こんにちは」


『こんにちは四郎さん

進捗状況は?』


「それがね香澄ちゃん

最終的に5本の指には入ったんだが、遺伝子レベルの適合性ってヤツではじかれたよ」


『うん
良かった』


「良かった?」


『何でもないもーん

じゃあ今日はたっぷり採血させてもらいますね』


「お手柔らかに」


‥次回の採血可能日は8週間後です‥


「旨いもん食べて血液増やしとくよ」


【2ヶ月後】

‥次の方、採血室へどうぞ‥


『こんにちは四郎さん

血液増えましたか?

なーんてね

8週後だから血小板お願いしますね』


「お任せ お任せ」


成分献血が終わりソファーでコーヒーを飲んでいると係りの人がやってきた


『止血バンド外しますね

検査採血側の絆創膏も剥ぎまーす

では水分補給してお帰り下さいね』


四郎はコーヒーを飲み終えるとカップをゴミ箱に捨て自動ドアへと進んだ

自動ドアが開き外へ出ようとした時だ


『ちょっと待って!』


献血センターに訪れた人が、すれ違いざまに呼び止めた

四郎は知り合いかと呼び止める人を見たが知らない人だった

再び歩き始めようとする四郎を、今度は係り員が腕を掴み引き止めた


「コーヒー代?
タダだよねぇ

お金取るようになったの?

幾ら?』


惚けた素振りで話す四郎の腕を掴み歩みを止めさす

係り員は、ドクターを呼びながら採血した方の腕の袖を捲り上げた


『ドクター!』

係り員は叫び声にも似た大声を発しながら、診察室へとつながる廊下を、四郎の腕を掴んだまま小走りに急いだ

四郎もようやく事の重大さに気付いたようだが、採血した針穴に貼られた絆創膏に滲みすぎた血と、検査採血した針穴から流れ出る血を不思議そうに見る以外

なす術もなく、引きずられるようについて行った


 
 
 
『何してるの!
自分の手で押さえて!

血が流れ出てるじゃないの!』


係り員は足を休めることなくガーゼを取り出すと四郎に渡した

四郎はそのまま緊急入院となった

病名は急性骨髄性白血病

骨髄バンクに登録している四郎にとっては皮肉な病名だった

不運な四郎だが、ひとつだけ良いことがあった

それは、香澄が仕事の帰りに必ず立ち寄ってくれることだ


『四郎さん?

看護婦さん困らせてなぁい?』


「よぉ香澄ちゃん

いつもありがと」


『ここは私の職場だよ

そして四郎さんは私の患者さん
あんなに献血に通ったんだもん

すぐにドナーさん見つかるよ』


「気休めでも嬉しいよ

ありがと」


『コラ!

奉仕する人が報われないはずないでしょ

退院までギャンブルはお預けね』


「ギャンブルにはね、勝ち負けがつきものなんだよ

病気になっちゃったけど、ある意味勝った気がするんだ」


『ん?
どういう意味?』


「香澄ちゃんと毎日会えるようになったって事」


『それだけ上手が言えるんなら大丈夫!

香澄が太鼓判押すわ!』


「ありがとう香澄ちゃん」


二人の願いが叶ったのか、程なくドナーが現れた


『四郎さん、おめでとう

またまたギャンブルに勝ったのね』


「香澄ちゃん、ありがとう

骨髄移植は受けられるみたいだけど、香澄ちゃんが博打うちになったみたいで何となくイヤだなぁ」


『何言ってんの?

それで移植の日程は決まったの?』


「12月24日…

クリスマスプレゼントみたいな…」


『ほらね、奉仕する人を神様は見放したりしないのよ』


香澄は、冬場の輸血用血液不足で採血車による街頭採血に出る日々が続いた


四郎の骨髄移植が決まって安心していたし、移植を前にして無菌室にいる四郎に近づくのも、医療の知識があるために躊躇していた

でも、この日だけはと思い休みを取って見舞いに訪れた

四郎の経過を聞こうとナースセンターに立ち寄ると、まだ一般病棟に居る事を知り廊下を小走りに病室へ向かう…


『四郎さん…』


次の言葉がかけられずドアを開けたまま立ち尽くす香澄に、四郎は優しく語りかけた


「香澄ちゃん

もう一人いたんだHLA‥

だから‥クリスマスプレゼントにあげちゃった

いいよね?


ほら、覚えてる?

1度目は臍帯血で回復して、2度目はドナーが現れなくて亡くなった歌手

本当は2度目の時、ドナーが居たんだよ

でも、HLAが同じ患者さんがいて…



~私は1度臍帯血で助かっています

私は別のドナーさんが現れるまで待ちます~



そう言って譲ったんだって…」


『知ってるわ

知ってるけど、何で四郎さんがそんな事するの?

奉仕?

馬鹿じゃないの?

馬鹿だからほっとけないじゃない!

馬鹿だから毎日来てたのに!


四郎さんなんて

馬鹿よ!

大馬鹿よ!』


香澄は泣きながら病室を出ていった


「どーせ馬鹿ですょ―

器用になんか生きたくないんだって

これが俺なんだって…」


四郎は独り言のように呟くと、堪らず布団に潜り込む

誰かが笑顔を取り戻すためには、誰かの笑顔を奪わなければならない

そんな矛盾に涙が溢れた



香澄は家に帰るとブログに記事を書いた

それは、骨髄バンクを広めようと今まで書いていた内容とは少し違っていた


『みんな元気?

今日は彼の事、少しだけ書いちゃうわ♪

実は彼、今日が手術の予定だったの

でも中止‥



次の手術の予定なんて全然わかんなくて…


手術が出来るのかもわかんなくて…

馬鹿のクセに見栄っ張りで…

自分の事しか考えてなくて…

我が儘で自己満で…

そんな彼だけど…』



二人は別々の場所で肩を震わせ夜を明かした…


四郎は次のドナーが現れるのを祈るように待った

しかし、病魔は四郎の体を蝕んでいく

若いが故に進行も速いのだ



ある朝、奇跡を信じ続ける香澄は自分の血液を調べるよう血液課に願い出た

その気持ちに押し切られるように血液課は四郎との適合性を化血研に依頼した


すると驚いたことにHLAの型が一致し遺伝子レベルでも適合したのだ

香澄はすぐに移植を申し出る

しかし医師の顔が優れない


「香澄君、キミも知ってはいると思うが、公平性を保つため親族間移植以外は、財団を介した移植しか出来ないんだよ

まして、一個人のために適合性を調べ、適合したからと移植するなんて前例がないんだ」


『先生…

先生は医者でしょ?

目の前の患者を治療するのが仕事のはずです』


「解っているよ…
しかしなぁ…」

立場上、煮え切らない医師に香澄はある決断をした


『先生、私は四郎の妻です』


「キミィ…
何を言い出すんだ!」


『親族ならば骨髄移植推進財団を介さずとも移植手術ができますよね

その様に先ほど仰いましたよね

四郎さんの移植治療は急を要します

すぐに移植手術の準備をお願いします』


「…キミの熱意には負けたよ

後の事は私に任せなさい、そのかわり移植手術が完璧な治療法ではないことは理解できるね」


『解っています


先生、有難う御座います』


こうして香澄の骨髄液が四郎に移植されることとなった

骨髄液採取には全身麻酔を施したあと仙骨にも麻酔が行われる

また、骨髄液採取後に輸血をする必要があるため、あらかじめ自己血を抜いておく

普段ギャンブルなどしない香澄だが、四郎の影響か麻酔科の医師と賭けをした


「香澄、麻酔は初めて?」


『うん…初めてよ

ねぇ、10から数えてゼロになっても起きていたら中止?』


「香澄ったら…

そんなこと無いって、私を信じてよ

カウント8で、ぐっすり眠れるわ」


『ねぇ賭けしない?

私が幾つまで数えられるか』


「いいわよ

じゃぁ9をキュウと言えたら香澄の勝ち

んで、何賭けるの?」


『麻酔が切れたら起こして欲しい…』


「なーんだ

私が信用されて無いって事ね

まぁいいわ
お安い御用よ」


『ありがとう』


「じゃぁ始めるわよ

10からゆっくり数えて下さい…」


『じゅう…
    き…
      …』


「あら?本当に起こさないぞ!」


『Zz…』


骨髄液採取も移植も無事に終了した

移植と言えば大げさに聞こえるが、輸液と一緒に点滴で血管内に注入するだけである

怖いのはその後、定着し自己血を造れるかどうかだ



『四郎さん!
四郎さんは?』


香澄が医師に詰め寄る


「残念だが拒絶反応が現れて…

投薬した結果、急性肝炎を発症させてしまった…


もう、手の施しようがなかった…」


『四郎さん!
逝かないで…』


「呼んだ?なぁに香澄ちゃん」


『四郎さん!

何でスロットなんかしてるの?』


‥次の方、採血室へどうぞ‥



「こんにちは香澄ちゃん」


『あら、四郎さん

もう献血できる体になったの?』


「香澄ちゃん?

どぉ?おいしい?」


『うん!

ここのラーメン凄くおいしい

こんなにおいしいラーメン初めて

四郎さんありがとう』



『四郎さんの馬鹿!

クリスマスなんて大嫌い!』



「香澄!

起きて香澄!

もぅ香澄ったら麻酔切れてるのに…

ほら香澄!』



香澄は麻酔で眠っている間、色んな夢を見た

麻酔も切れ、やがて自然と目も覚めるだろう



『ん?

ぁ…終わってたんだ

咽が痛いっ!』


人口呼吸器のチューブで咽を傷めたらしい

そこへ麻酔科の医師が入って来た


「よっ香澄!

賭けに負けた気分はどーぉ?」


『ぁあ!じゅうから覚えてない…』



「私の勝ちね

でも、うなされてたみたいだから起こしてはみました

香澄ったら賭けた意味ないんだもーん」


『ごめんごめん

それで四郎さんは?』


「会いたい?」


『うん、逢いたい…』


「じゃ先生呼んでくるね

あぁ、車椅子用意しといたから使ってね」


『サンキュー』



少しだけ興味を持ち

少しだけ近付いて

少しだけ思いやり

少しだけ感謝する


そうして繋ぎあった心の絆は、二度とほどける事はない

車椅子から無菌室を見守る香澄の目には、二人の未来が映っていた

HLA

本文では骨髄バンクを取り上げているが、日本で処方・投与される血液製剤は輸入製剤で賄われている事も知って欲しい…

HLA

あたかも献血が趣味であるかの様に勤しむ男に齎されたクリスマスプレゼント。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-11-16

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