ルアンの憂鬱
ルアンの憂鬱 2012,09,30
アイメイクをポイントにおく毎日だけれど、今宵のルアンは一味違った。サンタバーバラのゴリータに暮す十七歳のルアン・キャンベル。高校でも美人で人気の彼女は毎日の様に綺麗なメイクを施し学校へ出かける。
彼女は鏡の中で魅惑的に微笑んだ。室内は赤紫の壁が光るほど鮮やかで、黒樹脂の家具がロマンティックな形態だ。ビロードスツールの上にロシアンブルーがいてお腹を見せ寝ころがりながら彼女を見ている。
ブラシにM・A・Cのアイカラーを取り、鮮やかなグラデーションを頬に描いていく。 赤から紫へ羽根色を変えて行くそれは蝶である。
「ねえサマンサ? 彼はぜったいあたしを放さないわよ」
サマンサは彼女の猫だ。
黒のジェルアイライナーで蝶の輪郭を綺麗に描いていき、ブラウンシャドーとブラシで輪郭をぼかしていく。
どんどん大きな蝶は彼女の左顔に羽ばたき始め、まるで魔法を施す手並みは慣れたものだった。
彼女はハードバロック音楽にオペラ歌手の様なコーラスをあわせながら言う。
「彼はあたしが着るブラッディーな赤が好きだって言ってくれてコンサートで一年前声を掛けてくれたの。あなたまだ生まれて無かったわよね」
フフと彼女は微笑みキャビネットにやってきた猫がルアンの回すブラシで遊ぼうと猫手を差し出してくる。
筆で銀のライナーをとってアクセントの班を乗せたら、額から赤のライナーで右目だけのアイマスクの形を引いていき、そして白と桃色のグラデーションで綺麗にアイマスクメイクしていく。次はグリッターレッドで両目アイホールを煌びやかに装飾した。
「今宵はもう帰らないかもしれないわ」
悪戯っぽく彼女は微笑みウインクした。
「ニャーオ」
鏡に映る二重のサマンサはゆらりと灰色の尻尾を揺らし美しい主人に同意した。
shu uemuraのビューラーで多いまつげをあげ、毛先にラインストーンのついた付けまつげは長く重厚だ。ピンセットでつけてM・A・Cのマスカラで落ち着かせる。
「あなたのことも連れて行くわ。でもあたしの趣味は彼のご両親が好んで無いから置いてっちゃうのよ。あたしがマリンスポーツ好きな所、気に入ってくれてるの」
アイマスクの目頭や美しく巨大な蝶を、赤や黒のラインストーンで飾っていった。
黒のルージュを引き、透明なグロスで艶を出した。とても色っぽくて、最高の出来だ。
「ああ、これは素晴らしいわね」
黒薔薇の装飾する鏡の中、妖艶な彼女が微笑んでいる。いつもよりも可愛い。
だが今日のメイクははそれだけじゃあ終らない。なんていってもハロウィンパーティーだから。
ルアンは巨大な目をあけ白銀のコンタクトを嵌めさせ妖しさが加った。もう片目は赤の発光するコンタクトだ。黒の厚いルージュの口許から首筋に至るまで紅い流血を赤のアイラインで描いていき、キラキラ光る赤い粉をブラシで乗せていく。アイマスクの目元からも赤の血が流れて黒い雫型の大きなラインストーンを頬に乗せた。
「会場はあなたも知らないぐらいたくさんの仮装者が集まるのよ。悪魔とか、妖精、モンスター、魔女とかね」
彼女はサマンサにウインクしてみせると、猫は白い粉ファンデのパフをおもちゃにゴロゴロいった。
「去年は嵌めを外しすぎちゃったわ。喉元から腹部までを切り裂かれて内臓が見えるリアルな特殊メイクはをしたのよ。フェイスメイクは白と黒のみで冷ためな感じで、灰色でしまりを見せたの。美しいって高評だったんだけど、母さんから翌日に言われちゃったわ。『まさかタトゥーなんて全身に施す輩になるんじゃないでしょうね』。彼女はアングラとゴシックの違いが分からないのね」
訝しがられてルアンは「メイクとお洒落を楽しんでパーティーではしゃぐだけよ」と彼女に言いながらも、今年は抑え目にした。
ふわりとした髪を下ろして銀の粉をふりかけ、ひっつめにして蜘蛛の飾りをつけてから赤珠が連なる紐を巻きつけてから逆髪を立てて形を整える。
「あなたが彼ならどう思う? ドラムステッキも放ってあたしを抱き上げてくれるほど良い出来。うっとりするわ」
紅い薔薇が装飾する蝋燭立てに炎を灯し、練り香水を温めてから耳裏に蕩けさせるほどのエジプトジャスミンの香りを纏わせた。
身体を透かす黒のレースの肩紐をほどき、ベッドに放り、美しい体に衣装をつける。
それは目の覚める様な深い赤のレースボンデージで黒革スカート。紅いラメのヒールに網タイツの足を通した。
髪も落ち着いたから巨大な角が着いた黒レースリボンを頭に巻いてピンで留め、その上からカメオのついた小振りのトップハットを乗せる。
「エレガントね」
曲に乗りながら吠えて気分が上がって来てリズムに身体をうたせる。赤紫の部屋に彼女の影が妖艶に揺れた。サマンサも彼女の足並みに併せて身を摺り寄せ踊り、何かの影が美しい背に混沌と重なる。
荘厳で魔的なバロックコーラスのうねる中。彼女の気分は最高潮に達して高い声で笑っていた。サマンサが逃げていく。
その時、アップルのiphoneがCDとは違うサックス音を鳴らして黒い爪を伸ばし彼女は出た。
「ハアイ。リズ? もうしたくは整ったわよ。気絶する程綺麗なの」
腰のくびれ辺りを鏡の中手で撫でながら分厚いまつげがうっとりしていた。
「楽しみだわ! あたしは今から迎えにいってもいい?」
「待ってる」
リズは隣りの家の幼馴染みでクラスも同じだ。前は好きな子を取り合うこともあった程彼女も美人で、可愛い顔のルアンとは違って大人っぽい。だからいつでもハロウィンでは彼女は大人の装いとメイクを施した。
すぐにリズがやってくると、ルアンを見て奇声を上げて抱きついた。
「綺麗! ルアン!」
「リズこそ、孔雀をモチーフにしたのね!」
腕や顔、首にも孔雀の羽根が張られ施され、青と黒を基調としたメイクが美人なリズをさらに引き立てた。彼女の自前の美しい緑の瞳も。黒とビリジアンの太いストライプのドレスはヨーロピアンな形態だ。
彼女達は騒ぎながら家をあとにして夜を歩いて行く。月は雲に隠れて姿は無い。蝙蝠も木から木へと飛び交っていた。
「もしもし」
「………」
男の静かな暗い声にふとルアンとリズは足をとめて振り返り、途端に高く叫んだ。
目覚めると頭に血が昇っていた。短く唸って、視野の暗い教会の中は蝋燭が揺れている。逆さの状態で。
途端にルアンは憂鬱になって息をもらした。腕も足首も痛くて、腰も縛り付けられて自分達が吊るされているのだ。これは何かの余興?
リズは唸っていて、綺麗なメイクは蝋燭に照らされた彼女がぞっとするほど美しい。
微かな苦悶の表情すらも。
「リズ」
「静かに」
小声でリズが言って、というか、逆さで大きな声が出ない。
「あの男よ」
近所でも見た事が無い教会の中、黒いローブの男の背は何かをしている。
「ねえ。あたしたち、綺麗過ぎてあの男に食べられちゃうんじゃない?」
「ルアンったら!」
男があの不気味な目で振り返り、短剣を手に颯爽と歩いてくるからルアンは叫んだ。
リズが長い髪を逆さにしたまま目をギュッとつぶり、ルアンは手を掛けられたリズを見た。
「くふ、……」
灰色の顔の男が若い声で笑いくぐもった声で笑いはじめ、ルアンは震えた。
男に降ろされて鎖がカシッと音を床に響かせリズは青年を見上げた。
「なんの冗談?」
「これから儀式の時間だ。この時を待ち構えていたんだよ。誰もがハロウィンは不気味な格好をしているのが普通だからね」
「答えになって無いわ」
ルアンも下ろされ、フードを取って影を払った青年を見上げた。
「………」
息も飲むほどきれいな顔の子で、それでも瞳は銀の短剣と同じ色をしている。
「これから君達には美しい生贄になってもらわないとね。君のことは、ずっと見て来たんだよ」
男の手がルアンに触れかけて、リズが鋭い目になり、彼女の鋭いキックが鮮やかに線を描いた。だが彼が避けて恐い目で見て来る。
「用意は出来たか」
司祭の格好をした男が進んできて、ルアンはリズの肩に肩を寄せた。
普通の格好というものじゃない。悪魔崇拝……その言葉が浮んだ。ハードバロックを聴き続けて来た世界を彷彿とさせる。
「見て来た……ですって?」
音も無く現れた青年はやはり美しく、教祖というべく司祭は悪魔そのものの目をしていた。
途端にリズが倒れこみ、ルアンはバッと視線を向けリズの中から黒い靄を取って口の中に入れた男を見上げた。
何をしたの? さっき。
リズは動かない。壊れたガラス製の人形みたいにあちらに身体が倒れてステンドグラスから挿し始めた月光で七色に染まった。
ルアンはあのハードバロックの低い声を思い出す。雷の音、風の音、崇拝をする雄叫び、壮大に弾き鳴らされるパイプオルガンと、焔が線を引いて行くバチバチという音。
その声、男の声。
もう古い時代のレコードをCD化されたもので、もう既に世に実在するはずも無かった男のレアでマイナーな趣味の音楽だ。
その世界から滲み出て来たと言うの? ここはそれとも異次元?
「美しい顔だ。実物を見ると……。いつも、この二つの目で網目越しに見て来ていたよ」
男が低い声でいい、彼女は痣が出来る程掴まれる腕から男の目を見た。
……スピーカー。あの二つの巨大な目で監視され続けていたのだ。ハードバロックから。
ルアンは叫び、教会内を悲鳴が木霊した。
不気味に笑う男の背後に、あの美しい男がキャンドルに照らされ闇を背に、妖し気に微笑している……。
煌く赤のラメの血筋に赤い液体が滴り、ルアンの意識は薄れて行った。
ルアンの美貌
鏡の中に閉じ込められていた。
あんなに警察犬がルアンの部屋をかぎ回っているのに、鏡の中に閉じ込められた部屋の主には全く気付いてくれないのだ。
ハイヒールも脱げ網タイツも穴があく足で蹴ろうと硝子は硬質でびくともせずに、ルアンの姉がサマンサを抱えて鋭い目をしている。警察官に「もっと丁重に行なってくれないかしら」といい、ベッドカバーをはがしたり、ガサガサ引出しを開ける男達は肩をすくめさせた。
鏡台前に警官が一人来て、彼女は声を大きくした。
「ここよ! 目の前にいるわ!」
だが警官は鏡を見ずにルアンの美貌を作り出すコスメだとか香水、基礎化粧品のボトルなどを流し見て、ブラシの数々を見ていた。ルージュを手にとり、何かしている。
ふと警官がキャップの頭を上げ、鍔で見えなかった目が真っ直ぐルアンを見た。ルアンは息が止まりかけ、あの昨夜の青年が薄い唇に赤黒いルージュを塗り、ルアンに確実に微笑んだのだ。彼女の美しさに虜になっていたあの教会での彼が。
ルアンが眠り薬を入れられた赤のワインを教祖から飲まされた後、目覚めると両手首を金の蛇装飾がされた手枷でこの暗い場所に閉じ込められていると知り、明りがついてぼやけた先に自分の赤紫と黒の部屋が現れ母さんが警官を入れさせたのだ。一気にサマンサは犬達に逃げて行ったのだった。
青年の口が何かを言っている。あちらの声が聴こえるのに、青年の声は出していないのだろう、聴こえなかった。口をじっと見ていた。あの魔法の様なルージュを引かれた唇を。
「逃しはしないよ。僕の黒の女神」
ルアンはぞっとして青年の目を見て、彼は背を向け歩いていった。ドーベルマンを連れ、他の警官達がまだ調べ回る中を出て行った。その彼が連れたドーベルマンだけが、じっと肩越しにキャビネットの中のルアンを見て……。
「リズ。ねえリズ」
暗がりに呼びかけても返事が無い。あの不可解な黒い靄はなんだったのかしら。彼女の胸部から丸い玉の様に出て来て教祖が食べた。無事なの? それさえ分からない。
顔を室内に戻す。年配の男がレコードを一枚抜き取り、首を傾げた。
「これは随分古い奴だな」
あのCDの元のレコードだ。イギリス発祥の悪魔崇拝曲で、本当にその団体を組んでいた教団が崇拝儀式時に奏でていたものの音源だった。
「お姉さん。これの入手経路は?」
「え? さあ……。あの子の趣味はあまり」
「これね。五十二年前に問題になった邪教のレコードだよ。アメリカじゃあ発売禁止になってるはずなんだが、元手は絶版されているし教団達はイギリスで死刑。残った人間が各国に秘密裏に麻薬と共にレコードを流して問題になったんだが」
「あの子は麻薬なんかやらないわ」
「怒らないで下さい。過去の事実です」
刑事らしくて、それを警官に渡して持っていかせた。
ルアンは驚いてレコードを持っていかれると暴れた。だが手も足も出ずに落ち込んだ。
「全く、ハロウィンの日にとんだ災難でしたな」
警官達が男に引き連れられ警察犬達と共に出て行った。姉もドアを閉ざし出て行ってしまい、一気に恐怖が襲う。もしもあの若い男が帰って来たらどうしようと。
「ねえ。リズ。返事して頂戴よ。なぜ警官が来たの? あなた無事なの?」
「んもう煩いわね!!」
「リズ! 意地悪だわ! 声を出さないなんて!」
ヒステリックになりかけてルアンは落ち着いた。
「怒鳴って悪かったわ。魂をさっきまで抜かれてて、声が出せなかったのよ。あたしにはあんたが見え無いし、鏡の先の自分の部屋だけなんだもの」
反響するリズの声はまるで同じ空間にいる様には思えない。確かに頭が痛くなる声だ。
ルアンの部屋のドアが開き、サマンサがやってきた。
「ハアイ、ダーリン! こっちを向いて可愛い子ちゃん。あたしはここよ」
サマンサが鏡の中から微かに聴こえた主人の声に反応してキャビネットに飛び乗った。だが、そこにあの若い男が犬と共に来てサマンサが途端に逃げていってしまう。
彼は部屋を見回し、あれこれと衣装やメイクボックス、さまざまなものを勝手に手にし始めている。それを両手に持ち上げると、彼女を見た。脇にはあのレコードを抱えている。
「………」
ルアンは口を閉ざし見つづけた。歩いてきて、何も無かった筈なのに鏡に手を伸ばすと中間からまるで観音扉の様に鏡が開いた。金の蛇の取手がついた状態で。
男がドーベルマンに先に入らせルアンのキックをひるませて固まらせ、彼はボックスを中の暗がりに置いていくと自分もキャビネットを跨り鏡の中に入って来た途端に警官制服があの黒いローブ姿に変わった。
静かに見おろして来る。狂暴に牙を向くドーベルマンの首輪は断ち切れた鎖が揺れるニードル着きに変わっていて、ルアンを黙らせていた。
既に薄くなったルージュに青年がぞっとする冷たい手でルアンの美しい赤と紫の蝶の頬を包ませキスで赤黒くうっすらと装飾させた。ルアンは恐くて震えていて、開け放たれたままの鏡の先の室内ではサマンサがフーッと唸って怪しい男に威嚇している。
キャビネットの上のサマンサは尻尾をぴんと立てていて、ルアンは無茶させたくなくて首を振った。ドーベルマンは闇の不確かな方へと歩いて行く。青年も微笑し、身を返して颯爽と歩いていった。サマンサがじっとその黒いローブとドーベルマンの背を見ていて、見えなくなると可愛らしく鳴いてここまでトンッと降りてやってきた。
「サマンサ。お利口さん」
革のスカートと紅いレースに爪を立て肩までやってきたサマンサは主人の首筋に頬を柔らかく摺り寄せ短く鳴いた。
「後から宴がある」
どこからか、あの青年の声が木霊した。
サマンサが離れて行ってしまい、猫ドアから出て行ってしまったからルアンは不安になって震え続けた。彼女が何かを口にくわえて帰って来て、それを加えたまま肩に駆け上ってくると鼠だったのでルアンは鼠が滑らかな毛並みで頬に「食べて」という風にサマンサに何度か押し付けられてがくっとうな垂れた。
「ありがたいけど、いただけないわ……。あなた、食べていいわよ」
サマンサは主人が鼠を食べないので、今は彼女の足許に鼠を置いておいてやりまた他の獲物を取りに行って、トカゲとか小鳥が一匹ずつ加わった。
「サマンサ。その獲物、あなたが食べてもいいのよ」
サマンサはしばらくして、自分で食べ始めた。バキバキという音が耳に響いていてルアンは目を綴じれら無かった。
幼い頃、蜘蛛が巣を張った美しさを月光を透かし見詰め続けたことを思い出した。蜘蛛は完璧主義者の建築者で、あの壮麗な巣を紡ぎ作り出すのだ。翌日他の蜘蛛がもう一匹いた時は驚いた。蜘蛛同士の愛の時間をはじめてみてみてはいけないものを見ている感覚になり、そして蜘蛛が驚く行動に出たのだ。相手の蜘蛛を糸でいきなりぐるぐると巻き始め、自分の巣につるしてしまったのだから。先ほどまで蜘蛛にはあるかも不明な愛情の時を終えた時間が信じられずに、幼い彼女は魔的な美を蜘蛛に感じた。
愛情とはその先に死が確実に待つものも確かな愛なのだと。
ルアンの彼
リズ・テラードは目を疑って銀の薔薇が絡まる手枷をガシャンと言わせた。
あれはアレン・ベルドナンド。ルアンの恋人であるバンドドラマーだ。いつでも危険を孕む狂った目に変わりかける一触即発さがあり、小さな頃から自分がルアンを護って来たと自負するリズは彼を少し疑っていた。
アレンは水色と銀ストライプの壁紙の中を見回していた。美形だが、それなりにドラムを扱う腕っ節は強固として長い。親は弁護士で固い性格だから兄は道を継ぐらしいが末息子は好き勝手やっている事は分かっていた。悪辣とした黒いアイラインの目が金縁の姿鏡を見る事も無く、リズのレコードボックスが入る白い棚を探り当てて黒革のカバーを放った。何か探していて、どれもクラシックやハープ、サックス曲ばかりだから苛つき始めていた。
リズは冷静な目で見つづけ、薬でも探しているというのか白薔薇の香りのする小物を邪険に放ったアレンの黒い背を見ていて、今にまさか暴れて銀のランプシェードで窓だ鏡だなんだを割りまわさないでしょうねと目を鋭くする。
アレンが何かを言い、それがリズには分からなかった。英語ではなかったからだ。ラテンでもなければ、ドイツでもポルトガルでもないが、ポルトガルが掠めるのだろうか? 分からない。フランスかもしれない。
手には見慣れたものを持っていた。
「ルアンのiphone……」
金のエレガントな模様がつく黒いカバーで、濃いピンクと紫薔薇の造花が黒レースと共に揺れているのがあの子のiphoneだ。いつもあれで連絡を取り合うし二人で設営している美しいメイク紹介の簡易的なブログも更新しあっていた。
あの子はリズが好きなサックスの曲を彼女の着信音にしてくれていて、彼女は神経質な点があるからアレンのバンドのコンサートには行かないし、二人の間柄も詳しくはしらずにいた。
アレンがじっと自分を美しい獣の様な目で見て来るリズを見て、リズはギクッとして顔をあげた。英語で言って来る。
「お前、あのレコード何処へやった」
「え?」
「レドルキの野郎は一枚しか見つからなかったといっていた」
鏡の前まで来て言って来る。拘束された美しい金枠の中のリズにアレンは色っぽい目で微笑しリズは睨みつけた。
「あなたの悪行、恋人に言ってやっても良いのよ。声は叫べば聴こえるみたいでね」
「………」
アレンが長い足の身を返し歩いていき、iphoneをしまってから振り返った。
「魂を抜かれたとき、夢を見たのよ。あなたも一年前のハロウィンで魔界からやってきた悪霊だったのね? 何年も前に死刑にされたあの二人と同じで!」
「ハハ」
アレンが笑い、リズは鎖をほどこうと足掻いた。この硝子も蹴破ってあのアレンを打ん殴ってやりたい。
魔力で人間なんか騙してハロウィンの夜に弁護士家族の家に入って亡くなった家族の顔をして暮らして来たのだろう。変な噂はあったのだ。末息子は確か二年前に麻薬のやりすぎで病院に収容されてから姿を見なかったと。弁護士の父親が全て揉み消して無かった事にしたことはリズの父親が母親に夫婦の会話の中言っていた。
だが普通にアレンはいたし、彼のファンだったルアンは彼に一年前コンサートで声を掛けられたと大人っぽくなった声で言ってきたと思えば、まだ麻薬になど手を出さずにいてくれているみたいだしこれといって警戒は厳しく敷かなかった。
もし、アレンが何年も前に闇に葬られた儀式の死者が弁護士末っ子の魂に乗り移って降りて来た男なのだとしたら、ルアンはずっと狙われていたのだ。真っ赤な衣装を着ていたルアン。それは血の様な赤だった。アレンは赤を着るルアンを見るといつでも蛇の目で妖しく笑ったものだ。
リズはどうすれば抜け出せるのかと、アレンの目を見ながら声を張り上げた。
「ルアン!」
「リズ?!」
自分の声は響かないのに、やはりルアンの声は硝子を揺るがす程響いた。あの子の声は高くて歌うときもソプラノだ。将来はバロックミュージシャンになりたがっていた。それ系の曲ばかりを幼い頃から集めていて、首からは五芒星が掛かっている子だ。それは蜘蛛の巣を見てから神秘を感じて掛け始めたのだと言っていた。
「注意した方がいいわ。アレンは奴等の仲間よ。きっと、彼のあの恐いパパママみたいにはサーフィンもスキューバダイビングもやらない」
「何言ってるの? リズの馬鹿!」
「目の前にいるわ。アレンはいつだってあなたを食べたそうに見てたじゃない」
「リズがあたしみたいな事言ってる。彼は蜘蛛じゃないわ」
アレンがふと身を返し、歩いていってしまった。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
だが部屋から出て行き、リズはルアンに言った。
「そっちはどうなの?」
「若い男があたしのレコードを持っていったわ。同じ空間にいるはずよ。それで、宴を開くって」
「それはあたしも聴こえた」
リズはいい加減頭が痛くなって来て美しい顔をしかめた。
銀のチェーンの衣装に腰元から白い羽根をふわりとあしらってあるドレスは孔雀の羽根を引き立て、その下の覗く腕は黒のレース上から青銀の練りアイシャドーをスポンジで模様を捺してあるのでそれが部屋からの明るい明りで光沢を受けていた。
魂を抜かれたとき、視界が反転して自分とルアンやあの男達の頭上が見えた。浮遊するみたいで流れに身を持っていかれて、それでも悪霊たちは彼女に手を出せずにいた。永遠の生命の象徴である美しい孔雀の羽根を装飾していたからだ。そして目覚めるとここにいた。
カシカシという音に彼女は暗がりを見る。
「………」
ドーベルマンを連れた黒いローブの昨夜の青年がやってきては、古めかしい鍵を持って腕を掲げた。彼女を解放し、リズは静かに彼を睨んだ。ドーベルマンが身を返し進んで行くとリズも抵抗せずに歩いていった。
死者の宴
美しくメイキャップしなおされた二人が促されたのは、あの見慣れない教会だった。教壇の向こう側ドアから狭暗い階段で上がり、背を押されて暖色の明りが占める教会に出ると、よくみればどこにもキリストにまつわる物はないと気付く。
悪魔の銅像、葡萄のステンドグラス、そして巨大な五芒星。それらが石の教会の装飾を形作っていた。その紫がグラデーションになる葡萄のステンドグラス下は透明な硝子が縦にはめ込まれ、不気味なほど黄色い月が上がっている。
金や銀の手枷を引っ張られて崇拝場を進んで行く。
扉から外気に出て、そこはやはり現世ではなかった。鬱蒼とした森から何者かの声が渦巻き聴こえ、矢となって降りかかろうとばかりに感じる。教会横の石の建物サイドを歩いていき、あの青年レドルキが先頭でランタンを持っている。
回廊をとおり、石の建物に入って行くとそこは食堂だった。古めかしい姿鏡が各所に設置され、彼等の美しい姿が映し出されて波の様に進む。
儀式の場でもあるのか、奥には祭壇があった。
彼女達は座らされることは無く、その祭壇奥へ促される。
「ねえアレン。どういう事なの? 騙すの?」
アレンは祭壇の先に拘束した愛らしい恋人を見上げた。何も言わずに一年間をその全てを愛し手に入れてきたことを思い出していたが、何もルアンは死人の自分を愛していたわけでも無い。アレンという男の体が覚えていたドラムやバンド音楽を愛していたのだ。既に死を迎えた彼等が愛情と向き合うことなど不可能だ。それでもその一年男はルアンに向けるだけ向けた。
彼は何も言わないままに身を返し離れて行き仲間の横へ来た。
高校でもお洒落で優等生のリズはいろいろ勘付いてルアンに言っていたが、磔にされると心配な顔つきで横のルアンを見る。
黒いアイマスクを嵌められた教祖が進むと、床に円陣と五芒星を黒くなった死者の血で描いていき、黒の蝋燭がバチバチと音を立てる。ルアンとリズには可哀想だが、ここで美の悪魔の生贄になってもらわなければ我等が闇の純度が保たれない。
青年レドルキは進み今は失われて魂が散り散りに散った楽団達の音楽が収まるレコードを古い蓄音機にかけた。その演奏が執り行なわれる儀式と共に空間を占め始める。五十二年をずっと音の中で解放を待ちつづけた教祖と青年は、弁護士の妻が末息子に会いたがって夫には内緒で秘密裏に行なった死者甦りの儀式をいい事に、息子アレンの魂にハロウィンの夜に男を乗り移らせた。その後男に追い出されて何処かへ隠れたアレン本人の魂も探させた。アレンの嗅覚は紅いドレスの美しい少女に向けられ、何かを嗅ぎ取った。血を思わせるその美味しそうな赤は闇の儀式を彷彿とさせ、アレンの魂探しも放って彼女を手にいれた。儀式の貢物にも最適だからだ。
すると、アレン本人の魂はルアンの友人リズの中に収まっていたことを知った。それもあって自分が乗り移っている体の男の魂を持つ女の身近な存在、ルアンに目がいった事もあるが、彼女の美しさは悪霊や男を惚れさすものが根付いていた。奔放さもヒスパニック系の色気も。
自己が愛しつづけた女が儀式の生贄に上げられることは実に名誉なことだった。
教祖が短剣をかざし魔の言葉の巡りを唱えている。青年がそれ毎に五芒星の突端に月桂樹や血、茨の棘や蜘蛛の卵とかを振り落としていた。男は大きな蝋燭で影が揺れる中、二人の女が何かひそひそと言い合っているので顔を向けた。
「だから、ボタン式なら手探りで出来たのに、んもう!」
「落ち着いてやれば出来る筈だわ。あんたのiphoneが命綱なんだから」
「分ってるわよ」
「……?」
男は進み、ルアンは目を見開き彼を見てリズが男の頬を蹴散らした。鋭い目で足首を掴まれリズは怒鳴り、男は現世と繋がろうとする着信音という存在をならされる前に奪おうとルアンに腕を伸ばした。音の記憶の世界で成り立っているこのまだ不安定な場所が二人の美しい生贄を与える前に崩されては……。
リズの蹴りを受けながら腕を伸ばし、顔を歪めてルアンを見上げた。彼女は信じられないという顔で震える後ろ手にiphoneを持ち震えていて、囁く様に言った。
「何で……? あなたのこと、愛してたのに……あなたのその目も、その腕も、必死にキスしてくれる熱くなるその体も」
「………」
男は固まりiphoneに届きかけた手が止まりルアンがぽろぽろ泣きメイクを崩していく顔を見上げた。男の頬に黒いラメを伴いメイクが落ちてきて、その瞬間教祖が叫んだ。
「扉は開かれた! この者達の魂を引き換えにこの場の定着を!」
「定着を!」
青年も叫び、振り返り様に教祖に鞘を飛ばされたサーベルが鋭く光った。
「やめろ……」
「闇の解放を!」
男の声が掻き消され、ルアンが叫んだその瞬間機械音が渦巻いた。
「………」
「………」
若い青年がうろたえ後じさり、辺りを見回した。
iphoneからこの石の空間に響き渡る。それはアレンがドラムを叩いたバンドの着信音声だった。
「なんだ、この音は……」
空間の石が崩れ始め、教祖はサーベルを下げ見回して足許から崩れ始めて目を見開いた。
「その……その曲を停めろ!!」
その瞬間叫んだ教祖とレドルキは足許を失い白い光の底へと飲み込まれていった。
「アレン! アレン!」
現世の音が豪風を伴って建物を壊していく中、石段に立ち磔になる二人の足にしがみついていた男は本物の魂さえなくなる死の恐怖に目を見開き怯えた。
だがドラムで馴染んだ音は安堵を覚え、ルアンを見上げた。
「ねえアレン!」
アレンの手が離れ、ハロウィンから始まった愛がルアンから離れて行く。
「………」
「アレン!」
磔にされたまま半狂乱になったルアンは白い光に自ら落ちていく彼氏に叫んで彼が見えなくなっていってしまう……。
目を覚ますと、ルアンは唸って辺りを見回した。
銀と水色の壁紙に、白いインテリアの部屋で目覚めてリズを潰していた。手には自分のiphoneが握られていて、さっきから彼氏からの着信音が鳴っている。
ハロウィンパーティーの筈が覚えていない。
「アレン……?」
電話に出ると、それはアレンでは無かった。彼の母親だった。
「失敗したのよ……ごめんなさいね。アレンは本当に光に包まれてしまったわ……」
「………」
魂の抜けた様な彼女の声に、ルアンは無言で視線を落とした。
彼のために着た衣装。夢をゆるゆると思い出して、分っていた。
「彼は本当のアレンじゃなかったのよ。あたし、街の噂なんかこれっぽっちも信じて無かったけど、でも彼はアレンじゃなくても本当に愛を探してた人だったかもしれないって解るの」
アレンの魂はあの黒い靄だったのかもしれない。だが教祖に食われてしまったのは目の前で見た。それは彼女にはいえなかった。一年半前、まさかこれが理由でいろいろな黒い崇拝に伝があるルアンに声をかけて来て魔術師を一人紹介してほしいと言って来ていただなんて思わなかった。その時にはすでに本物のアレンは麻薬中毒で。
ルアンはリズの部屋の美しい姿鏡の中の自分を見た。もう隣りに彼はいなかった。彼の長い腕が伸びて、いつもの妖しげな瞳でルアンを愛でてくれた幻が鏡の中で、消えて行った。
彼女はすすり泣くおばさんの声が漏れる受話器を持ったまま泣いた。
頭痛で起きたリズは泣いているルアンに驚き、しばらくして体を引き寄せてあげた。
「美人さんが泣いてたらメイクが崩れちゃうわ」
場所がずれた髪の飾りを一つ一つ整えてやってから肩をなでてあげた。
「もう彼氏、帰ってきてくれないのよ。ハロウィンが彼をもってっちゃったのよ」
あの彼氏が出来た時とは違う、少女に戻ってしまった声でしゃくりあげるルアンをもう思う存分泣かせてあげた。
「あなたが新しい彼氏ができるまで、またあたしがあなたを守ってあげるから」
リズはいいこいいこしてやりながら恋人を失った親友と共に泣いた。ただ一つの救いは、リズも見たあの男の最後の消え際だった。それはルアンと共にいたくて彼女が自慢してきた通り、「彼ってドラムを褒めると夢中になって叩くのよ」という言葉が見せる通り彼女への愛情表現として現された一年間を通した全てが実ったともいうべき瞬間だったのかもしれないと思った事だ。
ルアンの憂鬱
2012年のハロウィーン企画で参加させてもらった作品。