幸せの重み。

恋と愛は結構違うものだと、最近感じるようになった。
左腕に乗った小さな頭を、少しだけ持ち上げて乗せ直す。一瞬、勢い良く通った血の熱さで、腕が疼いた。
俺は彼女の小柄な体躯を抱き締めて、小さな熱の塊を全身で感じる。
腕の中で身じろいで、しかし落ち着く場所を見つけたのか、すとんと眠りに落ちる。
甘い香りが体温と共に発散されて、俺は匂いにすっかり酔ってしまう。
酔って、気分が安らぐ。
愛おしいと思う。
好きとか、そんな安っぽい言葉では表せない。
心の奥底からこの小さな恋人を欲し、愛し、慈しむ。
俺の全てを注いで、守りたいと思う。
それだけでは足りなくて、一生を捧げたい。
でも、彼女がそれを受け入れてくれるかというと、それはまた別の話だ。
愛と恋。
その差は発展なのか、そもそもが違うものなのか。
それはさて、誰に問えば答えが返って来るのだろうか。

腕の中でもぞりと動く。腕を首に回されて、強く抱き締められる。
「そんなに強くぎゅーっとして、どうしたの?」
「ん?  愛しいなって思ってたところ」
可愛いなぁ、と締まりのない顔で頭を撫でてくる。おでこにキスをされた。
ぎゅーっと抱き締める。
力を込める程、愛しさを感じる。
キスをして抱き締めて、を何度も繰り返して。
それだけで幸せだ。人生を幸福に感じられる。
「私も愛おしいと思うよ、あなたのこと」
大好きと囁くように呟いて、腕に力を込めて抱き締められる。
心臓の音が体内に響いて心地良い。
二つ分の鼓動が溶け合うと、身体の熱を血液が循環させて、全身を熱くさせる。
たった、たったこれだけで幸せだ。
この幸福を俺は手放したくない。
絶対に失いたくない。
俺は少しだけ強く抱いて、自分の内側に取り込めたらと考える。
でも、それは出来なくて、力を抜いた。
彼女が動いて胸の上に頭を乗せる。
幸せの重み。
そんな風に表現したい。



口の端しからぬるりとしたものが零れる。
動く右腕で拭うと、それは血だった。
ぶるっと身体が震える。悪寒がした。
そろそろ、マズイのか。
俺の身体か、それとも周りか。首を巡らせば、辺りは真っ赤に染め上げられている。夜空は炎によって焼かれられている。
横転した大型バスは、くしゃりとひしゃげていて見るも無残だ。
後ろにいた俺らは、本当に幸運だったのだろう。真ん中まで潰れているのだ。ぞっとする。
それでも、這い出すだけで精一杯で、ここから離れられる程の力はない。
噴き上がる炎は、さっきよりも勢いを増している。気がする。逃げなければ、そう本能が告げる。
でも、逃げられない。
そんな力は残っていなくて、彼女もぐったりとしている。
強く抱く。
もう身体の芯まで力を失いかけている。
助けがくる前に焼かれるか、力尽きるかわからない。
わからないけれど、とにかくここからもう少し離れなければ。
「ここから離れるよ、少し揺れるけれど、我慢してね」
弛緩した左腕をゆっくりと引き抜いて、生まれたての子鹿のようにみっともなく無様に起き上がる。よく見れば真っ青になっていた。大丈夫だろうか。痛みがないというあたりがおぞましい。
膝をついて、軽い彼女を抱き上げる。
右腕でしっかりと抱き締めて、辛うじて動く左腕でボロボロになったコートで縛る。落としたら大変だからね。
俺はふらふらと歩く。どうせならお姫様抱っこの方が良かったのだけれど、仕方が無い。
口の端しからまた血が滴る。
死にたくない。
彼女がまた囁くように呟く。
「愛してるよ」
「ああ、俺もだ」
「無理しないでね、きっと助けが来るから」
「そうだな。だから少しでも離れて、安全なところで助けを待とう」
これだけの大事故なんだ。誰か気付くって。
「大好きだよ」
「ああ俺もだ。絶対に俺が幸せにする。結婚して子供作ろう」
「何人欲しい?  お父さん」
「2人ぐらい。男の子と女の子」
「わかった、頑張ろうね」
声が弱々しくなっていく。

「あなたのお嫁さんになります」

小さくて、弱々しい声。
だけれど、熱い血の通った言葉が、すっと染み込む。
絶対に手放したくない。
強く抱き締める。
俺の命を分け与えるくらいの気持ちで、強く強く抱き締める。
左脚が重たい。
上手く歩けなくなってくる。
俺は地面に座り、這いずるようにして移動する。格好悪くても構わない。
彼女さえ助けられれば、なんだって構わない。
無様に這いずって、皮膚が破けていく。彼女を傷つけないよう慎重に、それでも少しでも早く。もっと俺に力があれば、ヒーローみたいに格好良く、傷付けず、颯爽と助けられるのに。俺なんか地べたを這いずって、血を吐きながら、情けない。
惨めだ。
涙が出てくる。
何なんだよ、これ。
唇を噛みちぎりながら、力を込める。
でも力が入らない。
見れば結構、離れたじゃないか。
夜空がようやく霞んで見える。まるでキャンプファイヤーみたいだ。爆発しても大丈夫、だろうか。
それでも、もう限界だ。動ける気がしない。
ズボンのポケットを弄る。ない。彼女のポケットを漁ると、ケータイがあった。待受は、2人の写真。昨日撮ったばかりの旅行の写真。
無慈悲なものだ、人生は。
119を押してコールする。
「助けてください。愛しい恋人が死にそうなんです。助けてください。助けてください。死なせたくないんです」
俺には力がない。
死なせたくない。
夜空は薄っすらと明るく、星は殆ど見えなくて、月は情けないくらいに欠けている。
「助けてください」
視界は涙でぼやけていて、さらに見えなくなる。
風が吹いて、身体が冷えてゆく。
彼女が冷えないように抱き締める。
「助けてください」
助けてください。
力が抜けてゆく。
世界が暗転する。
彼女の熱と重みだけを感じる。
他は、わからない。
眩い真っ赤な炎が、目蓋の裏から網膜に焼き付いた。

幸せの重み。

幸せの重み。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-20

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