ハンドメイドキス
ハマトラの同人BL小説です。
pixivに載せているものを転載しています。
pixivには蒼の名前で投稿していますが、蒼は二次創作をする際の名前で、夏希はオリジナル小説を書くときの名前として使い分けています。
ナイス×セオの小説です。
BLの要素を含みますので、苦手な方はご注意ください。
ホワイトデーのお話です。
「なぁマスター、俺に料理教えて!」
「断る」
「なんでー!」
「料理教室潜入の依頼でも受けろ」
ちぇ。と唇を尖らせ、カウンターに頬杖をつくナイスはマスターに足蹴にされて、ご機嫌斜めである。
「ボランティアをするほど、暇じゃないんだよ」
――どうみたって暇じゃん……。
思ったことが喉のあたりまで出かかっていたが、ここでそれを言うのも得策ではないと思い、口を噤む。
ふてくされてそらした視線の先には、春の訪れをうかがわせる陽気な日差し。
カフェノーウェアは今日も平穏である。ついさっきまで見たことのない客が数人入っていた程度で、もうその人々もいなかった。ソファで昼寝をしているサングラスの青年を除いては。
「でも、いきなりどうしたんですか? ナイスくんが料理だなんて」
「ちょっとね。手料理は最大の愛情表現だって聞いたもんで」
「……は?」
立ち上がって、コネコの問いに答えるナイス。しかし、返ってきた答えの意味が全く分からず瞬きを繰り返すコネコと、目を見開いて空になったミルを回し続けるマスター。
去り際に手をひらひらと振るナイスを呆然と見送り、店のドアが閉まる音で二人はハッと我に返った。
「今あいつなんて言った?」
「愛って言いました」
明日はどんなやばいモノが降ってくるんだ。
マスターはそう言いながら無銭飲食者の食器を片づけていた。あまりの衝撃に、代金を請求することすら忘れてしまっていたらしい。仮に請求したところで、持ち金があったかどうかはともかくとして。
飲食店というのは人の波があるもので、客が来る日はわんさかと来るが、来ない日は終日閑古鳥が鳴いているものだ。
今日は、うるさいバースデイも寝ている上に、「ハマトラ探偵事務所」も従業員がいないようで、絶好の営業日和なのだが……。
「お客さん、来ないですね……」
寒いせいもある。と思うことにして、マスターは備品整理のため、バックヤードに下がろうとしていた。
その時。
「あ、いらっしゃいませー!」
「どうも、こんにちは」
「あら、アートさん! お久しぶりです!」
珍しい客がやってきた。
「今日はみんな出はらっているんだね」
アートはさっと店内を見回し、寝息を立てるバースデイを微笑ましく見つめて、カウンター席に腰かけた。
そんなアートに続くようにして、小さな影がもう一つ。
「セオくん! いらっしゃいませ!」
「こんにちは。あ、えっと……」
「会うのは初めてかな? 僕はアート。ナイスくん達と同じ学園の出身で、今は警視をやっているよ」
よろしく。
そう言って差し出された手、さりげない笑顔。物腰の柔らかな口調と、何より常人的な雰囲気。
良い人に違いない!セオは躊躇せずに伸びてきた手を握り返した。
「俺、横浜羽高校のセオって言います! よろしくお願いします!」
ミニマム能力者の中にもこんな、常軌を逸してない人がいるものなのだと、セオは感心していた。すぐそこで眠り呆けているチャラい青年とは大違いだ。
そんなセオの熱烈な視線を受けているアートは、微かな笑みを崩さずに言った。
「ナイスくん達と仲良くしてるんだって?」
「は、はい。……たぶん」
仲が良いと断言して良いものなのか戸惑うセオは、たぶんなどという曖昧模糊な言い回しで頷いた。
それでもアートはそんなセオを丸ごと包み込むような笑顔で、感謝の言葉を告げた。
「そうか、ありがとう」
どうしてこの人が自分に礼を言うのだろう。
セオはぺこりと頭を下げながらも、その理由が分からず戸惑うばかり。
「今日はどうしてここに? 誰かに会いに来たの?」
そんな言葉に、セオはようやく本来の目的を思い出した。よもやこんなに人が少ないとは思わなかったが、セオにとってそれは好都合なことだった。
「今日はマスターにお願いがあって……!」
「お願い?」
それまで二人の会話を慎ましく聞いていたマスターが、口を開くと共に首を傾げた。セオの言葉にコネコも、はてと耳をかたむける。
「俺に料理を教えてください!」
「は?」
へぇ、と感心するアートをよそに、マスターとコネコは驚きを通り越して一種の恐怖すら感じていた。
ついさっきも同じセリフを吐いていた超速男がいたではないか。
念のためにマスターがその理由を尋ねた。
すると……。
「料理は最大の愛情表現だって聞いて……」
もはや二人は、驚きすらなかった。
くっくっくと堪え気味の笑いをこぼすマスターと、セオに背を向けて肩を震わせるコネコ。
一体自分の何がそこまで笑いを誘ったのか理解できないセオは、挙動不審で顔を紅潮とさせていく。
「あの、俺……変なこと言いました?」
「いや、悪い悪い。5分くらい前にまったく同じこと言ってたやつがいてね」
尚も半笑いを浮かべるマスターは、コホンと咳払いを一つしてセオの話を詳しく聞く姿勢をとった。
「それで、具体的に何を作りたいの?」
「えっと……お菓子を……」
「ははーん。明日のホワイトデーか」
腕を組むマスターと、肯定の意味で黙りこくるセオ。
膝の上に手を乗せて、紅くなる男子高校生を見守る2人の目は、先ほどの無銭飲食者に向けられていたものとは違って温かかった。
高校生がバレンタインデーのお返しに手作りのお菓子作り。そんなストーリーがセオの純情さをかさ増しして、各々が勝手に感動してしまったようだ。
「もしよければ、僕がお手伝いしようか?」
「アートさんが?」
「僕、甘いものには目が無くてね。休みの日は自分で作ったりもしているんだ」
「じゃあ今夜は早めに店を閉めて、講習会といくか」
「あ、ありがとうございます!」
かくして、男子高校生の切実な要望に応えるべく、カフェノーウェアとアート警視が動き出したのである。
普段立ち入ることのないカウンター内。並べられた酒類を背にし、店内を一望するのは初めてで、それだけで気分が高揚してしまう。セオは興味津々で作業台を物色していた。
そこに、前掛けをつけたアートが電話を終えて戻ってきた。
「セオくん、マスターからの伝言で、急用が入ったから先に始めてて欲しいって」
コネコも、買い忘れたものがあると言って出て行ったばかり。今日会ったばかりだというのに、さっそくアート二人きりにさせられてしまったセオだったが、心配などはなかった。
「じゃあ、よろしくお願いします!」
アートが悪い人でないということは十分わかっていたし、もっと色んな話をしてみたいと思っていたのだ。
そんなに畏まらなくていいよ。アートは謙遜して笑う。
まずは計量しないとねと、マスターが用意してくれたとっておきのパウンドケーキの配合を二人して覗き込んだ。
そんな中アートは、ずっと聞いてみたかったんだけどという前置きをして、ある話を切り出した。
「セオくんは、ナイスくんのどこが好きなの?」
――はい……?
それは突如として落とされた爆弾。
ケーキを作るやる気に満ち満ちていたセオは、まったく想定しなかった角度からの質問に唖然として、ただ口を開閉するだけ。
「なっ、なっ……!」
――何言ってんのこの人!?
仰天して、自らの反応を模索するセオをよそに、アートはとくに悪びれた様子もなく終始笑顔でセオの回答を待っていた。
挙措を失ったセオはとりあえず何でもいいから否定しようとまくし立てる。
「おおおお、俺がナイスくんを好きとか、いや、そんなのありえないっていうか、ケーキあげるのも別に好きとかって理由じゃないし、だからっ」
「ナイスくんの為にケーキ作ってるんだ?」
――墓穴掘った……。
もう逃げ場を失ったセオは成す術を失って、悪あがきをやめた。
ぴくりとも動かなくなったセオの頭からは蒸気が立ち上って見えるほどで、相当赤面しているのが、顔を見なくても分かる。
すこし落ち着いて考えてみれば、別に恋愛対象としての「好き」ではなかったのかもしれないというのに。軽く流せたかもしれないというのに。
「ナイスくんに会うたびに君の話を聞かされてね。どんな子なのかなって、ずっと気になっていたんだよ」
「ナイスくんが、俺のこと……?」
――何それ、初耳なんだけど。
ナイスがアートとどんな会話をしているかなど、もちろんセオが知るはずもない。しかしナイスが、セオと面識の無い人にまでセオの話をするということが、信じられなかったのだ。
セオ自身、そこまでの話題性を自分に見出すことが出来なかった。
「彼、たまに横浜羽高校に行ってるでしょ? そこでの出来事を楽しそうに話しているよ」
そう。あの事件以来、ナイスはひょっこり高校に顔を出しては彼のペースで学園生活を謳歌していく。たまにしか現れないのに数学の問題を難なく解いたり、体育の個人競技では校内記録を塗り替えたりとやりたい放題なので、ヒーローのような扱いになっているのだった。
それでも、アートが言う程セオはナイスに関わっていないように感じていた。
「僕も含め、ファクルタース学園出身の人はみんな、普通の高校生活なんて体験していないんだ。だからあんな形でも、普通の高校生としていられる時間が楽しいんだろうなって前までは思っていたよ」
「前までは……?」
「でもね、最近思ったんだ。ナイスくんは、君がいるから今でもたまにあの高校に顔を出すんじゃないかってね」
ナイスが普通とは違う生活を送ってきたことは、セオも何となく知っていた。だから、最初にアートが言っていたことは何となく理解できた。
けれど、自分がいるからナイスが高校に来ているなんて、そんなことは全く理解できなかった。話が飛躍しすぎている。そんなはずがない。
それでも、そうだとしたら嬉しいと期待してしまう自分もいる。セオの心境は複雑だった。
「俺に会いに来てるって意味ですか?」
それなら、呼び出せば済む話で、わざわざ高校に出向く理由になるとは思えない。
セオは計量の手を止めてアートの反応を待った。
「というより、君との高校生活を楽しんでいるんじゃないかなって」
――俺との高校生活……。
「一緒にお昼ご飯を食べた話、カツサンドを二人分買うためにミニマムを使った話、美術部に連れて行ってくれた話……あとは何があったかな」
セオにとってはどれも、些細で大切な思い出だった。確かに記憶にはあるが、自身の長い学校生活の中では「日常」となってしまっているような小さな出来事。それをナイスは楽しげにアートに話していたという。
セオは急に胸が締め付けられる感覚を覚えた。
「セオくんは、ナイスくんと当たり前の学校生活をしているつもりかもしれないけど、たぶん彼にとっては、そんな何気ないことが楽しいんだと思うんだ」
確かに、昼休みにナイスとレイと三人で昼食を囲み、弁当のおかずを交換した。
確かに、自分が弁当を忘れたときに、ナイスが文字通りの反則技でカツサンドを買ってきてくれた。
確かに、放課後暇だというナイスが美術室に来て、何やら不思議な絵を描いていた。
セオにとっては、日常と言える小さな出来事。けれども、ナイスが来た時だけの特別な出来事。
セオにとっての特別が、ナイスにとっても特別だったのだとしたら……。
胸の痛みは激しさを増した。
「俺、全然気づいてなかった……。だったらもっと……!」
きつく拳を握り、今にも泣きだしそうな表情で自分を見上げているセオに、アートはやんわりと微笑んだ。
「セオくんが自然体でいたから、ナイスくんも気を遣わずに楽しめたんだと思うよ」
「そう……ですかね」
そんなアートの微笑みにつられて、セオも情けない顔でへにゃりと笑った。
「僕には、ミニマム能力がないんだ」
突然のカミングアウトに、セオの表情は固まった。
話が変わりすぎだろう、と。
一体どうしてアートがそんなことを自分に告げて来たのか、セオは何も言わず、神妙な面持ちでアートの続きを待った。
「あの学園で彼らと同じ時間を共有したからミニマムホルダーの気持ちも分かるつもりだし、力を持たない人の気持ちも分かるつもりでいる」
セオは依然として無言のまま、穏やかな表情で語るアートの澄んだ瞳を見つめていた。
「だからセオくんのように、何の偏見も持たず、同じ立場で彼らと接してくれる人がどんなに貴重かも分かる」
セオはアートに会って間もなくの会話を思い出していた。
理由の見当たらなかった『ありがとう』。その本当の意味。
「彼らと友達でいてくれて、ありがとう、セオくん」
やはりこの人はすごい人なんだと、セオは改めて感じていた。
能力を持たずに学園を卒業したという偉業の程度は、セオには分からない。けれど、力を持つ人と持たない人の中間にいながら、ブレずにいるその精神力。
そんな人から、感謝されている感動。
そして何より、ナイスにとって必要な存在だと肯定されたことが、たまらなく嬉しかったのだ。
「俺も、みんなに会えてよかったです!」
うっすらと涙を浮かべた瞳を輝かせて、セオは満面の笑みを咲かせた。
そして、こんなに彼らのことを思えるアートという人間に出会えたことも、セオにとっては大事なことであった。
ありがとうございます。
そう言って頭を下げるセオを見つめるアートは、口には出さずとも、心の中で呟いていた。
『ナイスくんが惚れるわけだ』と。
「それで、セオくんはナイスくんのどこが好きなの?」
「ちょっと待って下さい! 今までの話の中で、俺がナイスくん好きだっていう部分ありました!?」
「だって、ケーキあげるんでしょう? ホワイトデーに」
「う……」
「バレンタインデーに貰ったわけでもないのに」
「何でそれ知ってるんですか!」
「図星だった?」
「ひどい! なんで俺尋問されてるんですか!」
「僕、警視ですから」
「関係ないですよ今は!」
アートの巧みな話術とかま掛けで、丸裸状態にさせられてしまったセオは逃げ場を失い、袋のネズミ状態。先ほどまでの感動、感激はどこへやら。
「まぁ、理由は後日聞くとして、とりあえず美味しいケーキでナイスくんを落とさなきゃね」
「お、落とすってそんな……ッ!」
好きだとか、落とすという言葉一つ一つに顔を赤らめて過剰に反応するセオを、愉快そうに観察して笑うアート。
そろそろ遊ばれていると気づいてもいい頃であるが、気づかないのもまた、セオの良いところなのかもしれない。
「じゃあ、不味いって言われるのと、美味しいって言われるのなら、どっちが良い?」
「そりゃ……美味しいって言われた方が……」
「でしょ? さぁ、作るよ」
なんだか無理やり丸め込まれたような感覚が無いわけでもない。
セオは何とも言えない、釈然としない面持ちで作業を再開したのだったが、それも一瞬だった。
アートが次にセオの横顔を覗いた時には、真剣そのもので、ついアート自身の気持ちも引き締まるほどであった。
『ナイスくんに美味しいって言ってもらえるものを』ただその一心。
その真剣さは、買い出しから帰ってきたコネコ、用事を済ませてきたマスターにも伝わったという。彼らが夜明け近くまでセオに付き合ったことの理由はそれだけで十分だったのかもしれない。
「おい、少しは落ち着いたらどうだ」
小学生かお前は。そう罵られても、ナイスは尚せわしなく動く。
ハマトラ探偵事務所にて、ケータイをいじってみたり、ムラサキが読む新聞の一部を拝借してみたり、はじめにちょっかいをかけてみたり、スリーの読む謎の漫画を覗いてみたり。
どれも長続きせず、浅くイスに座ってケータイのメールを確認する。
決まって受信数ゼロ。時間は2分しか経っていない。
「だって、終わったら連絡するって言われて、まだ連絡来ないんだぜ? ホームルームならもう終わってるはずなのにさ」
「そんなに気になるなら迎えに行けばいいだろ」
「待つっていうのも悪くないかなと思って」
「お前と話すのは疲れる」
ため息交じりで相棒にそう言われても、今はなんとも思えなかった。
『学校終わったら、ノーウェアで会いたい!』
そうやってセオからメールが来た。ちょうどナイスにも、セオに渡したいものがあったので先にノーウェアで待つことを伝えた。そのやり取りをしたのは朝で、もう夕方にさしかかろうとしている。
かれこれ半日、ナイスはずっとこの調子なのだ。
「どうしよう、すげぇ緊張する」
「しばらく話しかけるのやめてもらえるか」
最初の内は構っていたムラサキも、いよいよ我慢の限界らしい。メガネを外しかけたので、さすがのナイスもムラサキの前から姿を消した。
かといって、カウンターに座っても退屈だった。
マスターは目の下にクマを作っていつも以上に口数が少ないし、コネコに関しては寝ながらグラスを拭いている。
こんな時に限って、ぺらぺらしゃべってくれるバースデイもいない。
いっそ、本当に迎えに行こうかと思い始めた矢先、ケータイが軽快な音楽を奏でた。
――セオだ。
『遅くなってゴメン! もうすぐ着く!』
そんなメールにいてもたってもいられなくなり、ナイスはノーウェアを飛び出した。いつも手ぶらな彼が、片手に小さな紙袋を持って。
ナイスが喫茶の入り口で待っていると、間もなくして走りくる小さな影を一つ見つけた。
「ナイスくん!」
「お疲れさん」
息を切らして、膝に手をついているセオを見つめ、上下する背中を何度か摩った。
セオはすぐに顔を上げて、大丈夫だと笑顔を見せる。
「今ココ、けっこう人いるからさ、あっちの公園に行こうぜ」
そう促されたセオはナイスに連れられるまま、近くの公園まで歩いた。
夕方、学生や仕事終わりの人で賑わう街角も一歩中の通りに入れば人気は薄れる。
住宅街にほど近い公園のベンチに、二人は並んで腰かけた。
「それで、俺に何か用事?」
ナイス自身、平静を保てているか不安だった。これから訪れる一大イベントを前に、セオの要件を聞いておきたかったのだが、上手くこなせるか自信がなかった。
なにせ手作りの品など、誰かにあげたことがないのだから。ましてやホワイトデーなどというカップルのイベントである。
けれども、そんな心配は無用だったことにナイスは気づき始める。
セオの方が、それどころではないのだ。
「えっと、あの、ナイスくんに……これ……」
「え、うそ? もしかして……ホワイトデー?」
――まじで? まさか被った?
セオのカバンから取り出されたそれは、シックな色合いでラッピングされたお菓子。
ちょうどノーウェアのマスターが好みそうな色合いである。
「いや、ホワイトデーっていうか、日々の感謝の気持ちっていうか、えっと……はい、そうです」
ここで誤魔化しては、あんなに頑張った意味がない。協力してくれた彼らに申し訳ないと、恥ずかしさを堪えてセオはなんとか品物だけ差し出した。
耳まで真っ赤に染まった顔はナイスを直視できず、地面に向けられたまま。
まるでプロポーズのような姿勢で、ナイスにまでセオの恥ずかしさが伝染する。
「サンキューな。……開けていい?」
こくりと頷くセオ。
セオの心拍数は急上昇し、自分の鼓動を自覚できるほど高鳴っているような気がしていた。
そんなセオの緊張さえも伝わったのか、ナイスも生唾をごくりと飲み込んでラッピングをほどく。
「うわっ、すっげーじゃん!」
そこには見事に膨らんだパウンドケーキが、カットされて並べられていた。百貨店のショーウインドゥに並んでいても見劣りしないと、ナイスは感激する。
食べてみていい?という確認も早々に、豪快な一口。そして……。
「うまいよセオ、すっごくうまい!」
口の周りにケーキを付けて無邪気に笑うナイスを見て、セオはひとまず安心した。
何度も焼き直した甲斐があったと。納得するまで焼き続けた甲斐があったと。
「ありがとう、ナイスくん」
「もう一個食っていい?」
そしてその次にやってきた感情が、本当に美味しそうにケーキを食べるナイスのことが好きだという、小さな愛情だった。
隣に座って、自分が作ったケーキを喜んで食べてくれるナイスが、好きで好きでたまらなくなってしまったのだ。
「俺からも、渡したいものあったんだ」
もらったケーキを大事そうによけ、持参していた紙袋から出てきたのは。
……可愛げのないタッパ―だった。
「もっとスマートに、ほらよって渡すつもりしてたんだけど、全然格好つかなかったな」
――え、なに? どういうこと?
自分がケーキを渡すことばかり考えていたセオは、この瞬間の展開についていけず混乱していた。
――だから、つまり……。
「ナイスくんの、手作り……?」
「そう、俺の手作り」
とりあえず食べてみてよ。
そう言って開けられた蓋。同時に立ち込めてきたのはココアの香りで、ほんの少しいびつなクッキーがまさに手作りであることを表している。
どんなに形がおかしくても、セオはこんなに美味しそうなクッキーを見たことがなかった。
だから。
「いただきます!」
それはそれは夢中で、一際大きなクッキーにかぶりついたのだ。
かぶりついたのだったが……。
「にっがぁあ!」
想像していた、初恋のような甘くて苦いクッキーはそこにはなく、代わりにあったのは9割9分の苦味の中で消えそうになっている1%の砂糖。転じてはココアの塊。
美味しいというセオの笑顔を確信的に信じていたナイスは、予期せぬ事態に狼狽えた。
「俺失敗した!? まじで? 結構自信作だと思ったんだけど……って、にがッ!」
「ナイスくん、味見してないの!?」
「セオに一番最初に食べて欲しかったからさ」
「ナイスくん……」
――って、待て待て待て! 絆されるな、俺!
「いくらなんでも味見くらいするでしょ!」
片目をつむって、ごめんごめんと謝るナイス。
セオも、怒ってなどいなかった。
あのナイスが、わざわざ自分の為に時間を割いてクッキーを焼いてくれたのだから。
元々味なんて関係なかったのだ。ただ少し、驚いただけで。
「そっか、失敗か」
残念そうにうなだれるナイスは、セオからクッキーが入ったタッパ―を取り上げようとした。
けれども、セオは咄嗟にそれを拒んだ。
「返してよ」
さすがにそれ全部は食べないでしょ?
苦笑いを浮かべ、頬をかくナイスだったが、セオは至って真面目な顔でナイスの青い瞳を見つめ通した。
「食べる。俺、全部食べるよ」
「だって苦いし、なんかボソボソだし」
「いいよ苦くても! ナイスくんが作ってくれたってだけで美味しいから!」
目の前で、苦いクッキーをぼりぼり食べ始めるセオに、ナイスは呆気に取られていた。
セオは、真っ黒なクッキーを本当に美味しそうに平らげていく。そんな光景を見せられて、ナイスはもう、我慢の限界だった。
――本当にこいつは……。
「……っ」
セオは一瞬、何が起こったのか分からなかった。
変わった味のクッキーを、口に入れたことまでは覚えている。そして、噛みしめていると、ナイスの顔が近づいてきて、それから……。
それから……。
セオの思考は止まった。
セオの動作のすべてが止まった。
ただ目だけが、離れていくナイスを追っていた。
唇には確かに、何かが触れていた感触。
……おそらくは、ナイスの唇が触れていた感触。
つまりは。
「ナイスくん……、キス……した……?」
「本当はクッキー渡して終わりにするつもりだったんだけど」
――キス、された……?
「そのクッキーは苦いし、美味しいケーキもらっちゃうしで、俺かっこ悪いじゃん?」
――キス……された?
「だから、もっかいするから」
セオは身じろぎひとつしなかった。出来なかった。
ナイスの手がセオの顔を逃がさないように包み込み、再び迫ってくる唇。
どうしたら良いのかもわからず、ただされるがまま受け入れたナイスの唇。
しっとりと潤い、濃厚な感触を残していく自分のものとは違う唇。
先ほどのケーキの影響か、気のせいか、ほんの少し甘い気がした。
甘ったるい後味を残し、離れていくナイスは満足げに笑ってセオを撫でた。
「ごちそーさん」
途端、止まっていた時間が動き出したかのように、セオの頭はせわしなく働き始めた。
最初にキスを受けた瞬間、二度目のキスまでの流れ、その後の余韻。
脳みそを蒸発させるには十分な情報量であった。
「な、なんでキスなんか……ッ!」
「だってセオ、俺のこと好きでしょ?」
「す、好きとか勝手に決め……付けっ……」
「俺はセオのこと好きだよ」
「へ……?」
「好き。今すぐもう一回キスしたいくらい、好き」
セオの爆発した頭ではもう、考えることができなかった。
残されていたのは本能か、それとも……。
気が付いた時には身を乗り出し、ナイスのベストの襟をつかむような形で、自分から口づけを迫っていたのだ。
「っ……なんだ、やっぱりセオも好きなんじゃん」
三度目の口づけの後味を楽しむかのように自らの唇を舐めるナイスは、至近距離を保ったままのセオに挑発的な視線を送り続ける。
「好きだよ、俺も。ナイスくんのこと、好き」
それを聞き届けたナイスはセオの身体を抱き寄せると、再三のキスをして、セオの口内に舌を滑り込ませていく。成す術もなく、ただされるがままにナイスの舌を受け入れるセオ。
感じたことのない感触と、聞いたことのない水音。
二人の唾液はどちらのものか区別がつかない状態で、セオの口角から流れ落ちる。
深くて苦いキスを交し合い、いやらしく伸びた銀の糸が切れると、セオは腕で口を拭った。
「やっぱ手作りにしてよかった」
得意げに笑うセオに、少しだけ苦笑いのナイス。
セオが唇を舐めるその仕草が、新しいキスの始まる合図だった。
「なぁムラサキ! 今日ホワイトデーだよな? やべぇよな、今日なんだよな!」
あちゃーと、何やら考えあぐねているバースデイ。
ムラサキは涼しい顔でそれがどうしたと合いの手を入れてやる。
「さすがに今から作るのは間に合わねぇよな、買いに行くしかねぇか? でもそんな金ねぇしな」
「マスターにキッチンでも借りて作ったらどうだ。料理は最大の愛情表現だぞ」
消沈していたマスターとコネコが水を得た魚のように、そして示し合わせたかのように同じ間で爆笑し始めたのは言うまでもない。
それからしばらく、二人の間でムラサキがポエマーと呼ばれるようになることもまた、致し方ないことであった。
ハンドメイドキス
pixivで見ることもできます。
もし感想などありましたらこちらからお願いします。
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