蜘蛛の如く

[蜘蛛の如く]20120923


 悪魔の雄叫びが臙脂色の低い空に轟いた。切り立つ岩山は不気味に去って行く風を受け下の深く鬱蒼とした森は靄が立ち込めている。
巨大な三日月は悪魔の月と呼ばれ今にも悦楽とした様で彼等を引っ掻き連れ去るだろう。黒い馬車に乗せ黒馬を駈けさせて戻らない場所まで。
 タルタロに立ち戻った彼女は黒馬から降り立ちアイマスクの麗しい目元を涼やかに城の者に向け、艶めく髪を流せ颯爽と進んで行った。グラマラスな肉体は革で締められ、男勝りな風だ。
空間に来ると鉄のシャンデリアを見上げ炎が灯り進む。子悪魔達が急いで物陰から楽器を奏でめちゃくちゃな旋律を止めさせたが鎮まり返ると窓から森の不気味な風音や獣達の声と木々のざわめきが彼女のセレナーデになり目を閉じ美しい首を微笑しそろりと反った。
黒のショートマントや白のシャツ、革のパンツを放って行き美しい肉体を誇示する牛革のコルセットを解き進んだ。最後にティーバックも放り石の湯船に浸かる。
 細かい線を引いた魂達が湯気として立ち上がり小さな目玉で見つめてくる。彼女は微笑み雫が落ちる指先を上げ湯船に美しい顔立ちが映った。
 野性的な焦げ茶の瞳があちらを見て、やって来た彼を見る。
「………」
 潤う唇を微笑ませ。
 彼女の頬に光る水面が跳ねる様に揺れ男は縁に腰掛けるとその頬に手を当て顎を取った。軽くキスを寄せ意地悪な彼女は伸ばした彼の背を見つめ湯船に引っ張り込み湯が跳ねた中首を傾げ見上げた。
「あたくしの夢に何かご用でも?」
 男は微笑みアイマスクを外し彼女の髪に手を通した。彼女は丸い肩にうねり微笑し首から下がる金の蛇が艶めかしく光る。目を閉じ首を回したことで金のイヤリングも野性的色香ある彼女の瞳横、厳かに光った。
腕を伸ばした男が黒ビロードの垂れ幕下から金の美しい装飾品そのものの手錠を出し柔らかな彼女の手首を拘束した。そして鎖を引く足枷も嵌め浴槽の中色香ある様態で膝で立つ彼女を見た。
透明で滑らかな湯の中、金の蛇に見える足枷の鎖も。
 彼は微笑して引き寄せた。髪は水面も揺れ彼は金の手錠を指に絡ませ彼女の首から下がる蛇や腰から下がり腿を装飾する金も灯をうけると彼女の一動で煌き、シャラと鎖や手錠が水中を行く生物に見える。
 意地悪な微笑で彼女は腕を立て脚を揃え湯船の中に沈んだ。豊かに微笑む顔立ちが髪を美しく揺らめかせる。彼は縁に座り余りに美しい白く浮く彼女の身体を見つめた。彼女自身を金の美しい蛇に思わせた。完璧な美に魔が宿り、この城を訪れる事が出来た夢の先は至福だった。
 目を開けると見おろす。彼女はいない。顔をあげるとあちらで髪を掻き上げ雫を舞わせクリスタルの様に舞い、鱗を脱ぎ捨てた大蛇の様が尾を引いた水溜りには美しく歩いて行くグラマラスな白い肉体が鮮明に映る。ホール城内の凝った衣裳の彫刻も鏡として反射していた。彼女が歩く毎に爪先が雫を落しそれさえも映っては波紋を広げ。金の装飾を横に美しく掲げる手がシャランと軽やかに落して行き生き物の様に水溜りにうごめいた。共に映る宇宙の巡りの様なシャンデリアの灯火が絡まる様に光る。
 男は意識が揺らめき、湯船に海蛇の如く沈んで行った。

 目覚めると男はユニットバスの中だった。湯が頭から流れ落ち顔から引いていき瞬きして六方鏡張りの浴室を見回す。夢だ。
 息を就きながら沈んでいき天鏡を見て目を閉じた。ブロンド髪をかきあげると湯から上がり、部屋に出る。
 悪魔の手が夢の幕を潜り男の手首を引っ張って来たのだ。ブランデーから手を離した宵口の中で。
 髪を拭くとベッドにバウンドした。あの夢の美貌が巡る。あの時は回転する金の蛇を辿って行った。黒い宇宙の中なまめかしく弧を描き旋回する金の蛇は黒い目を光らせ近付いてきた男の前で黒く渦を巻いた先を金の扉で表し、開かれた巨大な扉へ吸い込まれていった。悪魔の風に飛んで行った声を聞き途端に黒い塊の女風に微笑まれ長く尾を引く髪の風に乗り運ばれた。白く鋭い顔をした女は城へと男を連れ去って。
 そして、そこには美しいラテンの美女が湯に浸かっていた。
 目を開け、時間を確認すると緑の目をドアに向けて歩いて行った。森の見回りの時間だ。イングランドの森の入り口に小屋があり、それが男の住まいだった。馬を支度すると跨り、緑の丘を背後に森に入って行く。
 一方、女は黒馬を進めさせ明るい森の中笑顔で葉を撫でながら進んでいた。泉が有り、美しい守の情景を映し木々に囲まれ垂れている。たくさんの魚が群を作り泳いでいて、あちらにはカエルが跳ねていた。てんとう虫や蝶、昆虫が飛び交ったり草花の綿毛が飛び交い草花に停まっては蜜蜂が花の蜜を吸っていた。愛らしい。
 彼女は馬から降り、スカートがサラリとおりて泉に近付き葉を透かす陽やその中のてんとう虫やモンキチョウ、光のヴェールの降り注ぐ中、柔らかい腕を伸ばし水面に光る指が触れた。白い腕にも柔らかな光が跳ね返り、瞳に乱舞させ煌かせている。綺麗に艶掛かる唇は微笑み、眼差しは水面に揺れる葉枝を見つめていた。
 空を行く鳥達を映していた水面が一気に波紋を広げ波立ち、暖かな風が吹いて彼女は髪を指で押さえ黄緑の葉が光のヴェールのもと陽と影を鮮明に落としながら舞っていく先を見つめた。
 優雅な彼女の瞳がきらめき、そしてあちらから来る男を見た。
 アラブ種に跨る男はさらさらと流れていく金髪から覗く緑の目が甘く光を放ち、その清涼とした顔立ちが僅かに驚き彼女の麗しさを見つめた。
 薔薇色の頬、上品な睫、魅了する瞳に、奔放な歌声を滑らせるだろう唇。豊かな波打つダークブラウンの髪は陽を受け白いドレスは彼女の美しい身体を包んでいた。
 美夢の女と雰囲気は変わり、優しげな瞳の黒馬を連れた彼女は森の聖霊に思えた。だが触れられるだろう程の実感が滑らかな手首の感覚もしなやかな動きをするだろう手腕も柔らかな白の袖口毎分かる。
 彼は歩いていき馬の手綱を引いて、彼女は長い脚を黒いパンツで包みやってくる男を見ていた。二十二ぐらいの青年で、目は涼しげだが唇はふっくらして顎が細い。白のシャツは彼の肉体を陽に透かしていた。淡いブロントの髪は目の下のほくろを撫で揺れている。
「君は?」
「イタリアからバカンスに」
「英語が堪能だね」
「ええ」
 彼女は微笑み、北欧系の男に微笑んだ。彼はイングランドに森の管理のために越して来たフィンランド人だ。
 男はまさか夢では……などとは切り出せずに、共に泉の縁に座った。二人の姿が映っている。背後では静かに二頭の馬が挨拶を交わし嘶いては草花に細い脚が装飾されている。
 まさか魔性の態は見られないまま、横顔を見つめ目を反らせないでいた。滑らかなカーブを描く瞼や、くっきりとした二重のライン。彫りの深い中にある。滑らかな額は髪で影と光の造影が出来、奪われる為にある唇は瑞々しく鼻梁は綺麗な線を描いている。なだらかな首筋はチョコレートブラウンの髪が柔らかく装飾して白い革ビスチェから覗く美しく豊満な胸元に微かにかかっていた。
 男はその胸部を見て、金に柔らかく光る繊細な首飾りから目が反らせなかった。細いチェーンに吊るされた幾何学を描くとぐろを巻いた金の蛇。その下に胴を締め上げる黒革の紐が結われた上に輪を描く黒い蛇が。
 柔らかな黄緑の草地に座る彼女はふと、泉から男を見た。季節が香る中で。
「どうかなさった?」
「あ、いいや」
 彼は微笑み耳を紅くして彼女も微笑んだ。
 彼は異国の地の魅力的な彼女に惹かれ、後日お茶に誘いたくなった。
「明日、僕の住まいにきませんか」
 彼女は白の太陽そのままに微笑んだ。
「ええ。喜んで」
 彼等の周りで風が和やかに吹き包む。軽やかに髪を翻し、花が香りをのせて風にそよがれた。

 夜、再び夢に誘われた。
 黒い硝子の姿鏡があり、何をも映さない。男は手を触れた。途端に目を見開き鏡からあの白い顔で微笑む風女が白い両手を伸ばし男の腕を掴んで長い髪が揺らめき連れて行った。驚くほど冷たい手で。また髪に乗り風になって進む。
 女は黒青の髪を靡かせる顔横にアラビアンなジャスミンをさしていて神秘の風にした。大きな風女はあの城の窓目掛けて飛んで行く。勢いに飛ばされないように柔らかな髪に顔を埋め目を閉じ頬を撫でた。
 目を開くと、ビロードの柔らかな上だった。寝台だ。見回し、風は長い長い髪を空間に巻き身体のある通常の大きさの女になった。
 向うには彼女がいて、そして黒い角つきの硬質なアイマスクの中から彼を見た。カラスの扇子から黒いルージュを覗かせ微笑みながら。黒い浴槽は金ラメが光る黒紫の湯で白い胸元が浮きその上を悪魔装飾の黒金属が飾っている。黒艶を受け水滴に肌はクリスタルの珠を乗せ光っていた。
 そちらに歩き、もう一人の蛇の様に美しい女を見た。頭部に黒蛇のハーフメットをつけるその下の目は鋭い。美しい体は青み掛かり、先ほど冷たかった。人らしさは感じない。今でも鈍色の瞳は魔的だった。あのジャスミンも、強制的な微笑みも立ち消えている。
「彼女に下手はいけない。雁字搦めにされるわよ」
 猫なで声で彼女が言い彼は頷いた。使いの者だろう。
「君は夢魔なのか」
 まるで蜘蛛に捕らわれた感覚を感じたのだ。張り巡らされた銀糸の巣に取り巻かれ、金の夕陽を浴びる様な温かさで。蛇に締め付けられる感覚で繭に巻かれた気がした。隙間から見えるのは巨大な夕陽を背にする大きな雲の陰で、細い脚が繊細に動いている。あちらに鳴くカラスを羽ばたかせる空。
 そんな感情が夕方窓辺に座っていた彼を取り巻き虜にした。闇に閉ざされ繭の中核には彼女がいて、そして強烈なビームを透かした繭の世界は二人だけ優しさに包まれた幻。
 彼は今目の前まで来た魅惑の彼女を見た。微笑み彼を横目で見上げ、やはりあの優美にヴェールを翻し踊った橙の陽に照らされた優しげな顔立ちの彼女のままの瞳の色。
「あたくしには名は無いわ。一人が夢魔とあたくしを呼ぶならば貴方の中で夢魔にもなる存在」
 呼吸により黒の悪魔装飾は彼女の身体を際立たせ光り、金属が触れ合う毎に美しい音を発し石の空間には響いている。彼女の一挙一動が目を奪う。
 あの女は黒ダイヤで吊るす薄手灰色のサシャになり、裾から黒い爪先が進んだ。女は肩越しに微笑んだ。
 男はゆるゆる意識が遠くなり、声が聴こえた。

 「もしもし?」
 はっと目覚めると昨日の彼女が小屋の中立ち尽くす彼の前にいた。
「夢魔……」
「え?」
 彼は彼女を引き寄せ腕を掴み、まじまじと見つめていた。その瞳、唇、頬、耳元や顎、困惑する微かに潜まれた美しい眉。目が昨日の彼ではない彼視線で女は怖くなって逃れていき彼は夢魔を逃すかとばかりに馬用の縄で手足や胴体、首を磔にしては蜘蛛の巣に張られた様にした。
 蜘蛛の女王は目を吊り上げ頬を怒りで薔薇色に彼を睨み、柔らかな髪が見上げる至福の彼の頬に枝垂れた。目の前の括れた白革のハーフコルセットからなだらかに視線を上げて行き金の首飾りが揺れている。
「完璧だ」
 彼は呟き、腰を締め上げる黒革の紐をほどいていき驚いて手が固まった。
 あの夢魔と同じ黒悪魔装飾の彩る体が魔的に光沢を受け、一瞬の眩暈から目を開けると辺りは視野先が蜘蛛の銀糸を張った中核であり、宇宙が広がりそれが一瞬にして金の鎖となって宇宙に張り巡らされた。自らを見る。髪が揺らめく風に揺れ、顔をあげた。自己は金の鎖と金メッシュに囲われ、金の枷で拘束されていたのだ。
 そして前方を見た。彼女がいる。黒ビロードのドレスが魔的に波打ち、鋭く微笑して。
 食べられる。
 彼女は夢魔と思わせて惑わし引き込む美へと誘った悪魔本人だったのだ。黒い爪が鋭く生え、毒の如く一気に来た。瞬間サラッとドレスが揺れ彼女が微笑み男の頬と背を取り彼は見上げた。自分の手足が蜘蛛の様に曲がり女に血肉を食べられていく牙の鋭さ。
 顔をあげる宇宙の星が渦巻いている。そして星達が粉の様に襲って来ては目を開けられなくした。

 目を覚ますと、自分はユニットの中だった。鏡に囲われ、何人もの自分が自分を見ている。無限に続く姿が。それを遮断する蜘蛛の巣が角に巨大な美しい巣を建築していた。それは立体的であり、湯気から上がる水滴をいただき風に微かに靡いている美態の巣。
 巣を張る蜘蛛は全て女王なのだという。子供を小さなオスに育てさせ、そして産まれた子供はそれを食べて骸にし、女王蜘蛛は巨大な銀糸の城の王座に鎮座している……。
 あの彼女の蜘蛛の如く城は夢だったのか。イタリアの地で一度だけ会った美しい女の幻想と蜘蛛の命を張った生命が見せた幽玄。幻想が開いた美夢。
 彼はまた湯船に浸かり、目を閉じた。
「もしもし」
 彼は飛び驚き、湯が跳ねて背後のドアを見た。いずれも鏡は驚いた彼を映し、そして急いでユニットを上がると身体を拭き服を着てから、この巨大な姿見で全身を確認して気を落ち着かせて笑顔でドアをあけた。
 そこにはイタリアの地で誘った彼女がいた。イングランドに来ませんか。僕の管理する森林は今の時期、とても美しいから……。僕の住まいはイングランドの、と話しつづけ、そして帰国し何度も実現の日を夢見たものだ。本当に来てくれるなんて思わなかった。彼女は旅のためのトランクを引き下げ閉ざされたパラソルを片手に、あの時の太陽の微笑みで彼に笑いかけた。


蜘蛛の如く

蜘蛛の如く

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-03-19

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