聖者の季節
今では「古書店店員」という、それなりの職業についている僕だけれど、ほんの3年も前は「移動式見世物小屋のスタッフ」という、可笑しな職業についていた。
3年前、そう、世にも奇妙でありながら、はかない讃美歌の一節のように美しくもあった、あの数ヶ月間の事をお聞かせしよう。
街から街へ、狂ったジャズのような音をたて大型トラックの荷台に詰め込まれ、寂れた遊園地や、八百万の中でも蔑まれているであろう神のための小さな祭り、そんなところで毎日のようにショーを繰り広げる「移動式見世物小屋」。そこでの僕の仕事は会場の設備(といっても小さなテントを立てるだけ)、客の呼び込み、終演後は会場の片づけ(小さなテントを畳むだけ)、その他雑用をなんでも。日給は3000円という超安値であったが、寝るのはトラックの中だし、「日曜日は恋人と横浜でデート」なんてこともなく、出費といえば移動中に飲む安ワインを買うことくらいだったので、不満はなかった。時折、「生きる上で重要なのは社会性です」などという愛情こもった手紙と共に母親から送られてくる、数千円の臨時収入もあった。
職場の同僚は、トラックの運転手兼見世物小屋の主催者である50代の男(名前は忘れた)、それから「21世紀のエレファントマン」とか「蛇を食う男」、「ホビット族末裔の双子」「妖怪ゴム女」「超巨漢オカマ」「2つのペニスを持つ男」などなど。中でも僕がお気に入りだったのは、全身にセックスをした男の名前のタトゥーを入れた「アソコを燃やす女」ことマリーと、「ダライ・ラマのそっくりさん」こと道禅じいさん。マリーとはよく、トラックの荷台で安ワインを煽りながら歌を歌ったり(彼女の歌うJBの「Try Me」は絶品)、公演後、ホーボーみたいに街に繰り出し歩きまわっていた。とはいえ、夜も更けると彼女は、毎回違う男を横に、どこかへ消えてしまっていたのだけど。
道禅じいさんとはあまり話したことがない。今でこそ見世物小屋の出演者となってしまっているが、元は、どこかの(たぶん奈良)の禅寺で修業を積んだ、本物の僧侶だったらしい。一度僕とマリーで、なぜこんなところにいるのか、尋ねたことがある。じいさんは僕らの質問に「永遠も半ばを過ぎ、悟ったのだよ。わたしに「不飲酒戒」を守ることはできぬのだ。」と答え、僕の手から安ワインをとって飲み干した。
思い出はたくさんある。「蛇を食う男」の蛇を「超巨漢オカマ」が誤って踏みつぶし、怒った「蛇を食う男」が「超巨漢オカマ」の大事にしていたメイクセットを粉々にしたことや、「21世紀のエレファントマン」の唯一話した言葉が「悪の復讐は正義である」だったこととか、「2本のペニスを持つ男」が「妖怪ゴム女」に恋をしていることとか、たくさんあるのだけれど、これから話すのはきっと忘れることのないある出来事、僕が見世物小屋を去るきっかけにもなった、ある出来事についてだ。
その日、時期はたしか、暑かったので7月か8月、山形にある小さな地元の祭りでショーを行っていて、トリを務める「アソコを燃やす女」マリーがテントの裏で出番を待っている場面から話は始まる。
トップバッターだった「妖怪ゴム女」があまり客に受けず、興行主である地元ヤクザからマリーははっぱをかけられていて、彼女は僕を呼び「いつもはアソコを燃やすだけだけれど、今日は胸も燃やすわ。」といい、僕も言われるがままいつも発火に使う松明を、1本多く用意した。トリ前の「21世紀のエレファントマン」がお役を果たし、僕らのところに戻ってきた。彼はマリーの前に立ち止まり「エデンの東には西の国の神がいる」と、唯一知っている言葉が「悪の復讐は正義である」だということは間違いだったと僕らに気づかせたあと、トラックの荷台へと戻っていった。マリーはいつも通り衣装である、黒いレザーのTバックの中に灯油を滲ませた脱脂綿をしこみ(これに松明で火をつけるわけだ)、さらに、いつも通りでは無い、同じレザー素材のブラジャーの中にも脱脂綿を入れた。右にも、左にも。会場であるテントに入っていく彼女の後姿、Tバックからはみ出たヒップに書かれる何人もの男たちの名前を僕は眺めながら、「アソコを燃やす女」がおとどけする世にも珍しい神秘のイリュージョンを様子を見守った。
セクシーな衣装とアナーキーないでたちの女の登場に大声をあげて吠える顔の無い男たち、しかめっ面をする淑女の皆さま、バツの悪そうな顔で母親の顔を見る子供たち。マリーは会場中に投げキッスをした後、大きく足を広げ1本目の松明で股間に火をつける。男たちのHowlは音量を上げ、淑女たちのは席を立ちテントを後にする。古代のヒップな幻想のように燃えるマリーの下半身。彼女は僕が言われるがまま用意した、もう1本の松明を手にし、右の胸に火をつける。そのとき、長く伸びた彼女の髪の毛にも引火した。みるみるマリーの髪の毛や顔は燃えていき、赤い髪の毛のオフィーリアのような姿で、悲鳴をあげて痛苦に苛まれている。ああ!なんて悲しいことが起きてしまったのだろう。
「蛇を食う男」がバケツに水を汲み、彼女から火のドレスの脱がせた。マリーの顔は黒く焼け焦げて、髪の毛は1本残らずどこかへ消えてしまった。「超巨漢オカマ」と「ホビット族末裔の双子」たちは身を寄せ合って泣いているし、「21世紀のエレファントマン」は荷台で眠る。「妖怪ゴム女」はマリーの手を握り耳元で何かを囁き、「2本のペニスを持つ男」は頭を抱えながらウロウロと歩きまわっている。道禅じいさんは少し離れたところで、安ワインの瓶を抱え、ただジッと、静かに座っている。マリーは焼け焦げている。マリーは、焼け焦げているのだ。僕は彼女のヘソの下にある、僕の名前のタトゥーを見ながら、JBの『Try Me』を口ずさんだ。
何時間もみんな悲しみにくれていて、僕はトラックの運転席で金を数えている、名前の思い出せない主催者の男のところにいき、この仕事から降りることを伝えた。悲しみの中にいる、生きていく上で一番重要な「社会性」などという言葉とは無縁の者たちに、無言で別れを告げ、僕の名前を体に彫った、世界一の美女の、焼け焦げた顔にキスをして、僕はその場を離れた。道禅じいさんがあとを追ってきて、残り少なくなった安ワインの瓶を僕に差し出した。僕は受け取り、「僕らはいつかまた会うのでしょうか」と尋ねた。じいさんは空を指さし、「いつかね」と言って去っていった。
話はこれでおしまい。このあと彼らがどうなったのか、「21世紀のエレファントマン」が3つ目の言葉を喋ったのかや、「2本のペニスを持つ男」と「妖怪ゴム女」の恋の行方を、僕は知らない。僕は今、古本屋の店頭で、1000年も前に書かれたある俳句を読んでいる。「露の世の 露の世ながら さりながら」
そして3年前、ともに生きた、聖なる愚か者たちのことを思うのだ。
聖者の季節