剥けた気持ち

彼らには恐らく思慮や配慮といった言葉が喪失しているのであろう。
悲しいことではあるが、理解されないかもしれない
理解できなかったらそれは仕方が無いことである

私は理解されたいとは思うがそれを強制することはない
そしてできないのである。

自分に都合がいいことを言うことの何がいけないのであろうか
人はそれぞれ何処かで折り合いをつけるものだ。
それは人それぞれ違うので、一般論なんで物は存在しない。
それを自分には理解できないからと「言い訳」としてしまう。
そんなに簡単に人を理解するのをやめて自己完結して本当によいのであろうか。
言い訳をすることが多いとよく言われるが、それは状況を見ることなく先入観でものを上から落としているだけの愚か者ではないであろうか。
のっけから否定し、言い訳と切り捨てその人のありようをそのまま受け入れることのできない器の小さき人がとても多い
特に社会人として働いて「自分は自立もしているしこれが人のありようなのだ」と決め付けて凝り固まった思考を持った人は特にそうだ。
人のありようは人それぞれであるということも理解せずに自分の勝手と先入観と決め付けで真実を見ようともしない。
その決め付けこそが都合がよすぎるというものだ。
特に自分が他の形で同じ事をやっているのにもかかわらず他人のそれは我慢ならないといって他人を指摘する輩は特にたちが悪い。
人生についてご高説をたれるまえに多く自分を振り返ることが出来ていないのである。
それのどこが他人に指摘することの出来る人間のありようか。
周りの意見に流される者もそうだ。
そういったご高説に実際理解も出来ていないのに乗っかって他人を野次りそして侮蔑する。
真に侮蔑されるべき自身の醜い心を見ることは決してないのである。
しかしそのどれよりも憎むべき感情がある。嫉妬だ。
自分よりも出来る奴に対して自分が勝てないからと集団で貶める。
汚いやり方だ。もっとも姑息で醜悪で下劣極まりない行動である。
実際はその者の努力など見たことも無いのにもかかわらず、やらなくても出来るのであろうなどと決め付ける。
生まれた瞬間は少なくとも同じ程度の能力なのだから生活の改善でいかようにもなるのにもかかわらずそれもせずに人を馬鹿にして自分を正当化しようとする。
私はそう考える。

剥けた気持ち

気持ちとはなんなのであろうか。
もし想いというものに形があったらどんな形なのであろうか。

心は体に左右されるのであろうか

甚だ疑問であり、恐らくは一生理解できないことなのであろう

剥けた気持ち

気持ちです

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-15

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