牡蠣と烏と柱と
注意:男性同士の恋愛表現があります。軽い性描写(キス)があります。
ふと思い立って、友人にお題を三つ、それも脈絡なしで、と頼んだら、『牡蠣』『烏』『柱』と。
今日も僕と彼女は、工事中の住宅を眺めている。みるみるうちに真っ白な木の柱が幾つも立てられ、ボルトで留められて、家の骨組みを作っていく。二階建ての、ごく当たり前の小さな家。それでも新築で、自分たちで購入したものなら、さぞ居心地の良い家になるだろう。
「一階に子供部屋、二階に夫婦の寝室。リビング、オープンキッチン、オール電化で賢いお風呂付き」
彼女は楽しそうに柱の間の間取りを数え、役割を与えていく。
「IHはダメよ、私電磁調理は信頼してないの」
「ストーブは?」
「子供部屋だけオイルヒーターがいいけど、あんまり暖かくないのよね」
僕はポケットから煙草を出そうとして、やめた。
「じゃ、床暖房だ」
「あ、カラス」
骨組みの一番高いところにとまったカラスに、彼女は眉を顰めた。
「カラス好きじゃなかったっけ」
「あれは不吉な感じしない?」
彼(か彼女かは定かでないが)が陣取っているのは、まさに大黒柱の上である。
「そういうの気にするほう?」
「直感は信じる方よ」
彼女はすっかり冷めたコーンポタージュの缶をのぞき込み、底に残ったコーンの粒を出そうと四苦八苦している。
「それ、とれないと思う」
「いつも残っちゃうのよね」
観念した彼女は残念そうに、缶を振るのをやめた。
「ねえ、代わりにおいしいもの食べに行こうよ」
「例えば?」
かわりって、コーンのかわりにって意味だろうか、と僕は心の中で苦笑した。
「牡蠣。生牡蠣」
「ノロにあたっても知らないよ」
「私、牡蠣にあたったことない。強運なの」
彼女はコーンポタージュの缶を足下において、マフラーを巻き直した。カラスは柱の上が気に入ったのか、まだそこにいる。
「ねえ、食べに行かない?」
「牡蠣?」
「そう。フランスかアイルランド」
「……君、パスポート持ってないだろ」
何度目かもわからないこのやりとりに、僕は密かに苦笑する。彼女は自宅のテレビに、世界遺産だの世界街歩きだのといった番組の、大量の録画データをため込んでいる。ことあるごとにこういう風に言うくせに、外国には行ったことがないと言う。
「今度は何見たんだよ」
「アイルランドのオイスター・フェスティバル」
戻ろうか、と促すと、彼女は足下の缶を拾い上げた。
「あの家、売れたのかしらね」
建築中の件の家の敷地のそばには、半分風で吹き飛ばされた『分譲中』の幟がある。
「さあ、まだじゃない?」
彼女は伸びをした。
「あーあ、戻るのイヤだな。課題やった?」
参考までに申し上げておくと、僕と彼女はできあがりつつある新居を眺める新婚夫婦でないばかりか、恋人同士ですらない。ここから、そこそこ近くの大学に通う学生である。
元々、同じ専攻の先輩後輩で、知り合いではあったが、なにかとつるむようになったのは、僕が二年生になった春だ。僕たちは二人とも結構なヘビースモーカーで、学部棟の喫煙所で一緒になることがよくあったのだが、なぜかその年の春、喫煙所がバカみたいに混雑したのである。
恥ずかしいことに僕は二浪していて、彼女のことはよく知らないが、少なくとも未成年ではない。(僕がいつから喫煙を始めたかなんて野暮なこと、聞かないでおいてくれると助かる。)
僕はいかにもこの一月に成人したような喫煙者に囲まれて、辟易としていた。吸いたいけどどうしようかな、喫煙所いっぱいだな、なんて思いながら逡巡していたら、彼女に声を掛けられた。
それが禁煙のお誘いだった。喫煙所があんまりにも嫌だから、彼女は禁煙することに決めたらしい。良いことだ。それで、昼休みやら空き時間やらに彼女に遭遇する度に、禁煙のための散歩につきあう羽目になった。
彼女は腕に貼ったニコチンパッチを見せてくれて、苦笑した。
「こうやってみんな、煙草をやめるのかしら」
「今はガムとか、色々あるしね」
「そうじゃなくて」
彼女は白くて細い腕を、袖の中にしまった。
「青春の一ページに対する、同族嫌悪みたいなものよ」
僕もなんとなく頷いたが、禁煙しようという努力を全くしていないので、何となく後ろめたい気持ちになった。それでも、大学にいる間は喫煙所から足が遠のき、ちょっと吸いたいなという素晴らしいタイミングで彼女が現れるので、眠る前に一本吸うという習慣がやめられない程度に落ち着いている。
初めはコンビニに行ったり、ジェラートを食べに行ったりしていたのだが、コンビニに行けば煙草が気になるし、外には灰皿とベンチがあるし、ジェラートは良い思いつきだったと思うのだが、何度か通うと飽きてしまったし、しばらくすると寒くなってきて、ジェラートを食べる気分にもならなくなった。それで、ぼんやりできる公園か何かを探したのだが、意外にもこれが無い。そういえば、近所の保育所の保母さんたちが、大学の芝生で子供たちを遊ばせているのに、時々遭遇することがある。多分、この辺りには公園というものがないのだ。
それで落ち着いたのが、建築中の分譲住宅の前の、自販機コーナーだったのである。
「あ、Rだ」
彼女が手を振った方を見ると、妙に目を引く男がこちらへ向かってきていた。変な服を着ているわけではないのだが、妙にかっちりしていて古風なのである。今日はカーキのタイを締めて、コーデュロイのジャケットを着ている。それが嫌みでもおっさんくさくもないのは、つかみ所のない本人の雰囲気のおかげなのだろうが。
「今日も大学教授みたいね」
「ネクタイのこと?高校生の時はみんな締めてただろ。髪切ったね、似合うよ」
「そう?」
彼女は大して嬉しそうでもない。
「お兄ちゃんは、烏みたいだって言うのよ」
「黒い服ばっかり着るからだろ」
「十九世紀みたいなRに言われたくないわ」
Rというのは、あだ名だ。どういう由来でついたのかも、よくわからない。何度本名を聞いても、すぐに忘れてしまう。少なくとも確かなのは、本名の姓名いずれにも、Rのイニシャルはつかないということだ。
「おまえ、次授業?もう帰る?」
彼女とお決まりのやりとりをしていたRが振り返った。
「ぼんやりしてから考える」
「いや、授業は」
「ないよ」
「んじゃ、一緒に帰ろう」
彼女はにやにやと僕を見ている。
Rは僕の恋人でもある。
Rがどうして僕と付き合っているのか、実のところは僕にもよくわからない。彼女との会話を見てもわかるように、僕が全く気にも留めなかった彼女の変化にきちんと気づく細やかさも持っているし、背も高いし、女の子には多少遠巻きにされがちではあるが、遠くからこっそり片思いに悩む女の子がいても、全く不思議でない男である。男しか好きにならないのかと聞いたら、そうでもないと言う。
僕の方だって、なぜ付き合い続けているのか、理由を聞かれると困るのだが。
Rのアパートは、大学から歩いて五分の距離にある。やたらレトロな木造建築で、噂によると大正期にお雇い外国人の建築技師が設計したものだという。真偽のほどは定かでない。とにかく、ものすごいボロアパートだ。
歴代の住人の靴が窪ませた木製の階段を軋ませて昇り、三階の彼の部屋へ向かう。キャンパスではあんなに違和感のあった彼の風貌が、ここに来るとしっくり馴染んでしまう。
「お、R、おかえり」
二階の踊り場で、ギターケースを背負った金髪男とすれ違った。Rの隣人で、見たとおり、ロックバンドのギタリスト。
「どうも、お出かけですか」
「バイトバイト」
じゃーね、と金髪を靡かせて、階段を一段飛ばしに駆けていく。
「走ると滑りますよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ!」
不思議と、住人はこの建物に馴染んでしまうらしい。金髪もエレキギターも、大学を歩いているRほど違和感がなかった。
Rの部屋はワンルームで、ベッドが一つクローゼットが一つ、本棚が一つと机が一つ、部屋の隅に小さなキッチン。シャワーとトイレは共用だが、ごく近所に銭湯がある。
Rがコーヒーを淹れてくれる間に、僕はベッドに腰掛けて、彼女と牡蠣の話をした。
「生牡蠣はなかなか難しいな」
「フランスに行かなくても、おいしいのが食べられるところを知ってれば良かったんだけどね」
「アイルランドじゃなかったのか」
「どっちにしろ、パスポートもない」
お金もな、とRは僕にマグカップを渡してくれる。Rは柱に凭れてコーヒーを飲んだ。変に絵になる。
Rの部屋でぐだぐだ課題をやって、本を読んで、そろそろ帰るよと言おうとしたら寂しそうにするので結局言えず、いつものパターンで連れ立って銭湯へ行き、Rのシャツと下着を借りて、一緒にベッドに入った。
僕とRは、一年以上プラトニックな関係を保っている。そういう気分にならないわけではないのだが、触れるだけのキスが精一杯で、それ以上は照れ笑いで誤魔化して、抱きしめた相手の体温に、相手も同じ気持ちでいるのだと安心して、それだけだ。
いずれはそういうこともするのだと思うけれど、とにかく今はまだ、そういうことになったことがない。僕らを知る人たちはもれなく驚いてくれたが、恋人同士になったら、そういうことをするものだという認識の方が、僕にとっては驚きだった。だからRも、僕と一緒にいるのかもしれない。
Rは電気を消して、僕の背中を抱きしめてくれた。隣からは、電子音楽が聞こえてきた。
次の日、Rは一限があると言って早くに出ていったので、僕は一人で惰眠とベッドの温もりを楽しんだ。こういう朝は嫌いではない。きちんと紳士のように装ったRは、出ていく前に僕にキスと鍵をくれる。
昼前にようやく、起き出す決心をした。昨日の服を適当に着て適当に寝癖を直し、一度自分のアパートに帰らねばならない。今日の講義のテキストも持っていないし、煙草も吸いたい。この部屋で煙草を吸わないのは、Rが嫌がるからとかではなく、単にこのアパートの規則なのである。多分木造だから、においを吸い込みやすいのだ。退去の時に煙草の臭いがすると、法外なまでのクリーニング料をとられるという。
僕は自分のアパートの部屋で、外泊を気取られないように着替え、煙草を一本吸ってから大学に向かった。Rの部屋の鍵はコートの右ポケットに入っている。持っていくのを忘れると、その日はRが僕のアパートに泊まりに来ることになるので、忘れても良かったのだが。
大学に着くと、雨が降り出した。講義の間にやむだろうなんてタカをくくっていたのに、講義棟を出たら土砂降りになっていた。
Rは携帯電話を持っていない。待ち合わせをしなくても、大抵ふらっと歩いているうちにどこかで会えるのだが、雨の日はそうもいかない。多分図書館にいるだろうとあたりをつけた。
できるだけ濡れないで行こうと、講義棟から講義棟へ、渡り廊下を使って移動する。講義棟の端から図書館の玄関までは、走るしかないだろう。
図書館がすぐそこに見える場所まで来たのは良いが、雨足は弱まる気配がない。ぼんやり躊躇していると、図書館のエントランスの、独特の丸くて太い柱の陰から、Rが見えた。
走っていこうと思ったとき、その傍から彼女が現れた。Rは黒い大きな傘を広げ、彼女の肩が濡れないように差しかけた。
二人の顔が黒い傘で遮られた。僕はその場から動けなかった。多分、いつも通りのことなのだ。深い意味はない、単に彼女が傘を持っていないから、生協かバス停か、研究室まで送っていってやるだけだ。
なのに、僕は動けなかった。Rと彼女が、とてもしっくりと見えたから。
コンビニで傘を買って、Rの下宿まで歩いた。鍵は隣人に預けておけばいい。
僕とRにとって、珍しいことではない。一週間ずっと一緒にいたかと思えば、一週間音信不通になることがある。とはいえ、音信不通になろうと思って音信不通になるのは、初めてのことだ。
Rの部屋の隣のドアをノックすると、はーいと間延びした声がして、例の金髪頭が現れた。
「あれ、Rの。どうしたの、びしょびしょじゃん」
「あの、すみませんけど、Rに鍵借りたままで。渡しといてもらえないかと思って」
「いいけど、とりあえずそれじゃ風邪ひくって。今何月だと思ってんの」
「大丈夫です、丈夫なんで」
「いやだめだって、ほらほら」
呆然としている間に、手際よくコートとズボンと靴がだるまストーブの前に干され、僕は彼のスウェットとスリッパを借りて、熱々のココアのマグカップを持たされ、ストーブの前の椅子に座らされた。
「今日はRんとこ泊まりな、びしょびしょになって一人で帰ったら、惨めな気持ちにしかなんねーよ」
もう既に惨めなのだが、説明が面倒だったので黙っておくことにした。
Rの部屋と、間取りは全く同じだが、置かれているものでこうも雰囲気の変わるものか、と少し感心した。ギターや楽譜、ポスターの類も勿論だが、この部屋で一際存在感を放っているのは、巨大な黒い匡体である。
「自作ですか?」
「そーだけど、作ったのはオレじゃねーよ。趣味で使うからカスタムで作ってもらった」
長い金髪を適当にまとめてゴムで縛り、彼は机のモニターの前の椅子に座った。
「作曲ですか?」
「そーそー。DTMってやつ。編集するときはヘッドフォンだけど、寝る前に電気消してスピーカーで聴くんだよね。ごめん、夜うるさい?」
「そうでもないですよ」
彼は目に見えて、ほっとしたようだった。
「前のアパート、それで隣とモメたんだよ」
「はっきり聞いてませんけど、僕、多分結構好きだと思います」
そっか、そりゃよかった、と彼はにこにこ頷いた。
「オレ、作業の続きするからゆっくりしてて」
「いやあの、そろそろおいとまし」
その時、ばんばんばんばん、とすごい勢いでドアが鳴った。
「あーもう荒っぽいなー」
はいはい開けるよー、と言って彼がドアを開けると、ものすごい勢いで駆け込んできたのは彼女だった。その後ろに立っているRは青ざめている。
「……?」
僕はマグカップを持ったまま、状況が掴めないでいる。
「ああ良かった!バカR、あんたのせいなんだからね!」
彼女はRに怒っているらしい。
「カラスちゃんもだよ」
ぺちんと金髪男は彼女の頭を叩いた。その仕草があまりに親密で、よけいに意味が分からない。知り合いだったのか。
「なによ、なんで!」
「今からRに本屋さんまでお供させてから遊びに行くよーなんてメールが珍しく来た直後に、死にそーな顔のRのカレシが鍵預けに来たら、嫌でも状況わかるだろ」
そうか?
「そうなのか?」
Rが心配そうに僕を見て、彼女と金髪男も僕を見た。僕は見る場所がなくて、俯いた。
「ごめん」
「まだ謝るとこじゃねーだろ、さっさとあっち行って話しろよ」
ほらほら、と金髪男は手をひらひらさせた。
「行こう」
一瞬走って逃げたい気持ちになったが、そういうわけにもいくまい。僕はこちらにのばされたRの手を取って、彼の部屋に戻った。
Rの部屋でRのベッドに座って、僕はRが灯油ストーブに火をつけるのを見ていた。長い指がマッチを摘み、しゅっと音をさせて炎を上げ、芯のつまみを持ち上げて点火する。マッチを振って火を消し、空き缶に放り込む。微かな音をさせながら炎が芯に回っていって、なんとなく部屋が暖かくなる予感に包まれる。
Rは僕の傍に座った。何か言おうとして、黙ったのがわかった。
「R」
僕は口を開いてから、何を言おうとしたんだろうと思った。黙ってしまった僕を、Rは待ってくれた。
「……Rと、彼女が一緒に傘を差すのを見たら、悲しくなったんだ。馬鹿みたいだろ」
そう言ったら、Rはそっと僕の手を取った。僕の手は冷たかった。金髪男の部屋は暖かかったのに。
「君が嫉妬してくれるとは思ってなかった」
そう言ってRは、はにかむように笑った。
「ごめん。変な言い方だけど、嬉しい」
泣きそびれて微妙な顔をしていた僕と、照れたように顔を上げたRは、やっと目線を合わせた。
「好きなのは僕だけかと思っていたんだ」
軽く引き寄せられて、僕はされるまま、Rの肩に凭れた。
「僕が忙しくて連絡が取れなくても拗ねたりしないし、久しぶりに会いに行っても怒らないし」
Rの唇が頬に触れた。夕方が近づいて、自分の髭が伸びかけているのが気になった。きっとちくちくするだろう。
「そりゃ、君は女の子じゃないし、でも僕は」
そこでRは黙り込んで、ごめん、全部僕の都合なのに、わがままなのは僕だ、と言った。僕はRの背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。それからしばらく、僕たちは二人とも黙り込んでしまった。
「R」
沈黙を破ったのは僕だった。
「僕も、もう少し言葉にするように努力するから、……Rも、思ってることがあったら、言って」
「そうだな」
低く笑ったRの声が、ぴったりとRの体にくっついた耳の中で深く響いた。
「とりあえず」
Rはそっと、僕の頭を支えて起こさせた。体温が遠くなるのが、少しだけ残念だった。
「好きだよ」
残念だ、と思っている暇は一秒もなかった。Rの言葉が僕の中を満たしていっぱいにしてしまったから。僕は頷くのがやっとだった。
「キスしても?」
また僕は、頷くことしかできなかった。真っ赤でみっともない顔をしていただろう。
Rの唇がそっと触れた。いつもより長く触れたままでいて、少し離れて、また触れる。それから、唇より熱くて柔らかい舌先が、そっと僕の唇を舐めた。
「そんなにぎゅっ、て、閉じないで」
Rは小さく笑う。Rの唇が触れる度に、僕は緊張して体を固くして、唇を引き結んでいた。自分でも知らず知らずのうちに膝の上で握りしめていた僕の手を、Rの手は温めようとするように、優しく包んでくれた。
Rの指先が僕の手を開かせて、指を絡める。思わず緩んだ唇の隙間から、Rの舌先が侵入して、僕の舌に触れた。ぴり、と電気が走ったような気さえする。僕はいつの間にかベッドに押し倒されていて、僕らは夢中でキスをした。
Rがやっと唇を離したとき、僕はすっかりぼうっとしてしまっていた。
「好きだよ」
その言葉は魔法か、アルコールかドラッグみたいだった。僕の体から力を奪って、夢心地にしてしまう。
「僕も」
ようやく僕はそう言った。Rは真っ赤になって微笑んで、照れ隠しのように僕を抱きしめた。
「牡蠣ってエロいわよね」
彼女は兄のベッドの上で行儀悪くあぐらをかき、ノートパソコンに一生懸命何かを打ち込む手をふと止めた。
「何だよ、いきなり。形状が?それ鮑だろ?」
「……下品な話じゃないわよ」
彼女は金髪頭の後頭部に、消しゴムを投げつけた。
「って。……怒んなよ」
金髪の男は振り返りもせずに笑った。
「固い殻をこじあけて、中の一番柔らかくて崩れやすい所を食べるっていうのがよ。精神的にエロい」
「それ、次のソネットに入れてよ」
「やってみるわ」
「よし。……ちょっと聞いてみて」
男がエンターキーを、ぽーんと叩く。
電子音と合成された古楽器の音色。男は下手な英語で、彼女のソネットを歌った。
「わるくないわ」
彼女は目を閉じた。
牡蠣と烏と柱と