practice(61)
六十一
「スコアブックといえば?」
「野球。」
「野球部でもないのに?」
「連想だからいいの。分かればいいの。」
「釈然としないなー。」
「気にしなきゃいいの。」
「細かいところまで見たいもの。」
「調整すればいいでしょ?」
「細かいところまで,見るのを?」
「大体で見ることを,よ。」
「ああ,そっちを『大きく』すればいいのか。」
「『大きく』という表現は変だわよ。」
「もう,細かいことを言わないでよ。」
「あら。そんなことを言われますか。」
「いじわる言も禁止です。」
「じゃあ,何を言えばいい?」
「うーん,連想出来ることとか?」
「いじわる言に?」
「違う!」
「じゃあ,何?」
「えー,うーん。例えば,さっきのスコアブックとか。」
「じゃあ,スコアブックといえば?」
「指揮者。」
「クラリネット奏者のくせに?」
「吹奏楽部だったからいいの。」
借りた英和辞書の背表紙ほど,頼りになるものがなかった不人気の書庫の並びを元に戻して,袖を整えて,椅子を引いた。机の上の訳文を記した用紙を渡すときに転がって落ちた(と思った)消しゴムは半分もそこにない。短くなった鉛筆が寂しそうに見えるのだから,探すことを続けるのだけれど。例えばラグビーボールの不規則な動きがあったのだろうか。一部真四角の形を思えば無きにしも非ず,だから掃き掃除をする前にタイルの床を広く取り扱っているのだけれど。拾い捨てるヨーグルト味のメントスの数ほどない,○○用と記した付箋紙はもう使えない。
巻き戻したカセットテープは収録曲をキュルキュルとしている。遮光に優れたカーテンは開きっ放しで帰るつもり,引き継ぎは五分で済む程のこと。白いロングスカートの共同作業者はもう済ませている心持ちの鼻歌を聴かせる。連想ゲームはきっとそんなところの一環。生放送中の真面目さが伸び伸びと,再来週を超えて,予定通りの自然の中で寝っ転がるつもりはけれど,人一倍何も言わない核心を示すのだ。迂遠といえば迂遠,でも丸ごと受け止めている。長く,繋いでいればいる程,短くなった後半の終わり頃のフリーな時間に語られた感謝の言葉が珍しく拙く,いつも通りだった。ブースを後にして,原稿を片付けた。リボン結びをしていたと嘯く,紐のように解かれた緊張は子供の頃に使ったあの毛糸の固まりみたいに撓んだりしないように,一人と一人でまとめたのだった。
「ねえ,買ったりしたらいいんじゃない?」
「うん,どうせ買ったりするんだろうけどさ。」
屈み終わった頃になって,そう答えた。缶かん型の鉛筆立てにすべて戻して,白い修正テープを今日は使わなかったから,明日使うとも限らないけど元吹奏楽部にさっさと手渡し,胸ポケットからレシートを引っ張り出す。599円。折半するのに,これ程面倒な数字は無いと思う特別な日。
「ねえ,これ貰っていいの?」
「な訳ないでしょ。でも,欲しかったらあげるけど。」
「うーん,要らない。」
「でしょうね。でも,一応は悩むんだね。」
「当然,貰えるものは貰いますから。」
「殊勝なことで。」
「偉いと言って?」
「言わないよ。」
「じゃあ,思うだけでいいよ。」
「もう思ったわよ。」
「うそでしょ,って言わないからね。」
「本当って,思っていいよ。」
派手なファンファーレを入れ忘れた効果音は,あれで良かったと思う。保存して,持ち帰れない機器を残して。あれば,いつかまた使うかもしれないから,いつ使うかもまた,分からないけれど。
もう半分の消しゴムを握って。
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