THE NAME(その名の由来)(まぼろしシリーズ)
THE NAME(その名の由来)
「誰だ~!ピアノの鍵盤を汚したやつは~!」
『母と子のピアノ演奏会』の会場に怒鳴り声が響き渡った。
「あぁ、済みません。うちの子が触った時に、手にお菓子がついてたみたいで…」
子供の母親は、あわてて頭を下げて謝った。
「チッ!だからガキは嫌いなんだ。汚ねぇ事をするから…」
「申し訳ありません。よく言って聞かせます」
「こんなピアノじゃあ演奏にならん。ヤメタ~!」
彼は憮然としてそう吐き捨てると、予定していた演奏をやめて、会場から出て行ってしまった。
ここに、一人の才能のある若いピアニストがいた。
プロとしてまぁまぁ名前も売れて、ある音楽事務所に所属していたが、彼には一つだけ欠点があった。
ある日、彼がコンサートを終えて、楽屋に戻ってくつろいでいると、中年の女性が花束を持ってやって来た。
「素晴らしかったですわ~、うっとりしました。今度演奏される時は、また聴きに行かせていただきますわ」
そう言いながらその太った女性は、彼に花束を手渡して、握手をすると楽屋から出て行った。
「もう、二度と俺のピアノを聴きに来るな~!ドブスの顔なんぞ見たくもない」
彼は女性が持って来た花束を、いきなりゴミ箱に投げ捨ててしまった。
この若いピアニストは 汚れたものや、醜く見えるものを極端に嫌悪していた。
音楽は美しいもの。だから演奏する者も、聴く者も、自分の周りは全て美しくあるべき…そう思っていた。
そんなエゴイストでナルシストのピアニストに、突然の不幸が訪れた。
ある日の事、まったく耳が聞こえなくなってしまったのだ。
ピアニストならずとも、音楽家にとって、音を失う事は、命を失うに等しい。
あわてて補聴器を買って来て、耳に着けてみたが、まったく何も聞こえない。
方々の医者を訪ね歩き、大学病院まで出掛けて、診察を受けたが、原因はおろか病名すらもまったく分からなかった。
(もう、ピアノを弾く事はできないのか?)彼は絶望に苛まれながら、ただ呆然と楽譜を眺めるばかりだった。
そうして、来る日も来る日も、彼は楽譜を抱えながら、他人がやっている演奏会場の周りを恨めしそうにうろついた。
(惨めだ~、こんな醜い俺は生きていたってしょうがない)彼はとうとう死ぬ事を考え始めた。
ふらふらしながら、人気の無い夕暮れの公園にたどり着いた彼は、力も無く、ただ絶望に打ちひしがれていた。
そして、ラフマニノフのピアノ協奏曲の楽譜と、筆談用のノートを脇に置いて、ベンチに腰掛けてうなだれた。
(首吊りは死んだ後が醜い。リストカットは痛いし、ガス自殺は苦しそうだ…睡眠薬なら苦しまずに美しく死ねるかも?)
あれこれと死に方を考えながら、ふと見上げた公園の水銀灯には、たくさんの虫が群がって飛んでいた。
(飛んで火に入る夏の虫かぁ~。まるで醜い俺みたいだな…いっそ虫に生まれていたら、死に方に悩む事もなかったろう)
ぼんやりしながら見ていると、水銀灯の明かりのすぐ側に、大きな一匹の甲虫が止まっていた。
(カブト虫かな?…そう言えば、この公園には甲虫が好むナラやクヌギの木が植えられている)
彼は水銀灯から目を逸らし、再びうつむいて自殺する方法をあれこれ考え始めた。
そうしているうちに、例え耳は聞こえなくとも、何だか傍らに誰か居る気配を感じた。
顔を上げると、彼の目の前に黒いコートを着た、みすぼらしい身なりの老人が立っていた。
顔は黒く焼けて醜く、曲がった背中には瘤のような物があって、まるで「ノートルダムのせむし男」みたいだった。
(汚いじじいだなぁ!何だってこんな時に俺の前に…)彼は一目見るなり、激しい嫌悪感を覚えた。
ところが、そのみすぼらしい老人は、彼の感情など意に介さずに、微笑みながら何か話し掛けて来た。
ただでさえ醜いものを見るのが嫌な彼は、両耳を指で指し、首を振って、自分は耳が聞こえないのだ。と老人に示した。
そうして、手の甲を上に向けて(あっちへ行ってくれ)と追っ払う仕草をした。
それでも、老人はニコニコしながら彼を見下ろしたまま、目の前から動こうとしなかった。
イライラした彼は、ペンを取り出し、脇に置いてあった筆談帳に<邪魔だから、あっちへ行け>と書いて老人に見せた。
老人はそれを見ると、彼から筆談帳とペンを取り、何事か書いて彼に見せた。
<君は今、絶望して、死ぬ事を考えているね?>筆談帳にはそう書かれていた。
見ず知らずのみすぼらしい老人に心の中を見透かされて、彼はいささか驚いた。
<何であんたなんかに俺の気持ちが分かる?>彼はそう筆談帳に書いて見せた。
<そりゃあ、分かるさ。まもなく死ぬ人の顔をしてるもの…ちょっと横に座ってもいいかね?>
彼は、こんな薄汚い老人と同席するのは嫌だったが、仕方なく楽譜を間に挟んで座らせた。
それから、このみすぼらしくて薄汚れた老人との筆談が始まった。
<ほう…音楽をやっているのかね?これはピアノの楽譜だね>老人はそう書いて見せた
<あんたみたいな人間に音楽が分かるのか?>彼はそう書いて答えた
<あぁ、素晴らしい曲をたくさん聞いて来たからね。君はピアニストなのかい?>
<少し前まではそうだった。大勢の観客の前でピアノを演奏していた、でも、もうだめだ!完全に耳が聞こえなくなった>
<あぁ、それは気の毒に…それで絶望して死ぬ事を考えていたんだね>
<もう、一生ピアノを弾けない「つんぼ」の醜い俺は、死んだほうがよっぽどましだ!>
<君には耳が聞こえない自分がそんなに醜く見えるんだろうか?>
<あんただって同類じゃないか!背中の曲がったせむしのあんたも、つんぼの俺も、醜い体で生きていたってしょうがない>
<そうかね~?それじゃあ、生きていなくてもいいような子に、君の親は何でわざわざ名前をつけてくれたのかな?>
<そんな事は俺の知った事じゃないさ。今更名前なんてどうでもいい!>
<人は自分が愛しく思うものには名前を付けるだろう。自分の子供にも、飼っているペットにも、愛情を抱くものの全てに>
<そう言われてみりゃあそうだが…こんな醜い体になるんなら名前なんぞいらなかった>
<そんな事を言うもんじゃあないよ。実を言うと、神も君に同じ事をされたんだから…>
<何だって?!神が俺に何をしたって…>
<あぁ、君を愛しておられる神は、君に「つんぼ」と言う名前をつけられたんだ。君の健やかな成長を願ってね>
<あんた、頭がおかしいんじゃないのか?「つんぼ」になって何が健やかだ。苦しいだけじゃあないか!>
<いや、違うよ。人は苦難と闘って、それに打ち勝たないと健やかに成長しない。神はその事をよくご存知なんだ>
<馬鹿馬鹿しい!こんな醜い体で健やかに成長なんかできるもんか>
<そんな事はないよ。ええっと…確か昔、君と同じ名前を神からいただいて、立派な人物になった音楽家がいたなぁ~>
<へぇ~、「つんぼ」になって立派な人物になるような馬鹿がいたなら、ぜひその名前を聞いてみたいね>
<俗世の名前はすぐ忘れるからなぁ~…あぁ、そうそう思い出した。「ルードヴィッヒ・ベートーベン」と言ったっけ>
<ルードヴィッヒ・ベートーベンだって!>
<そうだよ。最近ではあれほど神に愛された人はいなかったなぁ…神に名前を授かってから美しい曲をたくさん作った>
彼は初めて、まじまじと隣に座っているみすぼらしいせむしの老人を見た。
<昔はね、美しいものは全部表に表れていた。ところが余りに美しいので、人はそれを巡って争い始めた。殺し合いまでしてね>
<確かに人は美しいものを奪い合う。女でも、黄金でも、芸術品でも、だからって…>
<あんまり人々がひどいんでね。神は本当に美しいものは全部内に隠されたんだ。人には見えないようにね>
<あんたは一体何者なんだ?>やっと、相手がただならぬ老人だと気づいた彼は尋ねた。
<あぁ、私はね。天使だよ。名前はガブリエルと言う>醜いせむしの老人はそう答えた。
<嘘をつけ!天使がそんなに薄汚れたせむしの老人であるはずが無い>
<疑り深い人だなぁ~…これでも昔、マリアと言う女性に「聖母」と言う名前を授けて上げた事もあるんだがね>
<聖母・マリアだって~!…そんな馬鹿な?>
<しょうがないなぁ~。それじゃ、証拠を見せてあげよう>
そう言うと、老人は立ち上がって、薄汚れた黒いコートを脱ぎ、上着とシャツを取ってベンチに置いた。
裸になった老人の体は、胸からお腹にかけて、昆虫の蛇腹のように、何段にも横に分かたれた筋が走っていた。
そして、老人の黒々とした背中は二つに割れていて、せむしのように見えた瘤は、甲虫の殻羽根のようにも見えた。
<醜い姿だなぁ~。何か重い病気をして、手術でもしたのか?>
<手術なんかしてないよ。これが元々の天使の姿だよ>
<嘘だ!天使がそんな醜くて汚い姿のはずが無い。天使は色が白くって、背中に美しい羽根が生えているんだ>
<ははは…それは人々が勝手に想像して作った絵だよ…そんなに醜く見えるかね?じゃあこれではどうだ>
黒々として醜い老人はそう言って笑うと、背中の殻羽根を左右に開いた。
たちまち、その中から薄い幕羽根が跳び出して来て、彼の目の前にパアッ!と広がった。
そのこの世のものとは思えない美しい羽根は、七色の光沢を放ちながら、キラキラと輝いていた。
(美しい!何て美しいんだろう)彼は余りの美しさに、ただ呆気に取られてその羽根に見とれた。
<分かったかね。本当に美しいものは内に秘められているって言ったろう>
もう、すでに筆談ではなくなっていた。大天使・ガブリエルの声は、じかに彼の心に聞こえていたのだ。
<君が望む美しい音楽も、君の心の内に秘められているんだよ。心で見れば、この世は本当は美しい世界なんだ>
彼は言葉を失っていた。大天使・ガブリエルの心の声に、ただただ感歎していた。
<君は神に深く愛されている人だ。だから、神は君に本当の美を与えるために「つんぼ」と言う名前を下さった>
<僕はこれからどうすればいいんですか?耳も聞こえなくて、ピアノだって弾けないのに…>
<がんばって苦難を乗り越えなさい。大丈夫だ!きっと神が与え賜うた名前が君を導いてくれる>
そう言い終えると、大天使・ガブリエルは、大きな羽根を広げて、彼の目の前から夕暮れの空に舞い上がった。
そうして、キラキラと光る天上の羽根を輝かせながら、遠く茜色の空の彼方に消えて行った。
彼はベンチの前に立ち尽くしたまま、大天使・ガブリエルを見送った。その瞳からは涙があふれていた。
それからの彼は、以前のように奢る事も無く、ただひたむきに諦めていたピアノの練習に打ち込んだ。
例え耳は聞こえなくとも、心の指でピアノを弾いた。そんな彼の心の内には、美しいピアノの旋律が響いていた。
そうして人が変わったように、汚いものや、醜いものを毛嫌いする事もまったくなくなった。
以前の彼なら嫌がっていた「老人ホーム」や「身障者の施設」を積極的に慰問してはピアノを演奏した。
親切で、誠実で、ひたむきにピアノを奏でる彼の周りには、たくさんのファンが集まるようになった。
いつの間にか、彼は世界的に有名な「聾唖のピアニスト」になっていた。
彼は「つんぼ」と言う名前を授けていただいた神に、心から深く感謝した。
神は本当に美しいものは、人に見える表面には出されない。内にこそ神の真実は秘められているのだ。
外見ばかりを見て、人や物事を判断する者は、神の御心を知らない愚か者でしかない。
今は亡き 金城哲夫先生を偲んで…
第二話(完) 第三話 「亡霊」は(http://slib.net/29582)にて公開
あとがき 「二人の偉大な先生への思い」
<魔法少女まどか☆マギカの作者「虚淵玄氏」もくぐった異世界への門>
昭和の時代「円谷プロダクション」に在籍していた私は、企画室で行われている討議が気になって仕方なかった。
それで仕事の合間を縫っては、自分で考えた「作品のプロット」などを携えて、しばしば企画室を訪ねる様になった。
当時の企画室は「金城哲夫先生」「上原正三先生」を始め「佐々木守先生」「市川森一先生」などのそうそうたる脚本家の方々が顔を連ねていた(Wikipediaで検索すれば、どれほど凄い人達だったか分かります)
そんな方々は、恐いもの知らずの若造の話を「君の発想は斬新だね~」「そのネタもらった」などと面白がって聞いて下さった。
今でも忘れはしないその日の事を…私は金城先生の所へ、自分で作ったプロットをお見せしに行った。それはこんな話だった。
<古代の地球には、別の種族が住んでいて平和に暮していた。今の人類はその種族に侵略戦争を仕掛け、強引に地球を奪ってしまった…以下は長くなるので省略>
そんなプロットだったが、金城先生の目が急にキラキラ輝き出だしたのを、今でもはっきりと覚えている。
私は「人間の醜い欲望」を描いたつもりだったが、先生は、幼い頃体験された「日米に蹂躙された沖縄の悲劇」に重ねられた様だった。
私のプロットは、先生の手によって「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」として脚本化され、シリーズの中でも、高い評価を受けた事は嬉しかった(他にも色々あった様な気はするが、はっきり記憶に残っているのはこの作品)
「人類の側を悪役にした物語」は、当時は無かったらしく、どうやら私が最初の発案者だったようだ。
金城先生の故郷「沖縄」は古来より、度々日本人(ヤマトンチュー)の侵略を受け、太平洋戦争では本土の盾にされ、悲惨な目に遭った(今現在も、なお本土のツケ(米軍基地)を払わされている)
先生の母上は、戦争の戦火に巻き込まれて足を失われ、不自由な体で先生を育てられ、東京へ送り出された偉大な母君であられた。
後に金城先生は、その天才的な発想で「円谷プロダクション」の名を一躍世に高らしめた「ウルトラシリーズ」の原作者となられた。
そして、政府主催の「沖縄海洋博覧会」の企画委員に選ばれ、沖縄と本土の架け橋となるべく活動の最中に、若くして事故死されてしまわれた事が残念でたまらない。
一方の上原先生は、鬼才とでも呼べる様な方だった。正義感が強く、舌鋒鋭く、秀でた才能で理不尽な不正や悪を糾弾された。
胸を患っておられる中で執筆されながら、それでも、ヤマトンチューの子である私の拙い駄文に目を通して下さった。
後に「仮面ライダー」や「ゲッターロボ」など、たくさんのヒーロー物の脚本を書かれ、多くの少年・少女達に正義を教えられた。
余談だが、私の在籍中に先生は「円谷プロのマドンナ」とも言われた大変美しく可愛い女性(お名前は伏せる)と結婚された。
ご自身も日本人離れしたイケメンで、お似合いの美男・美女のカップルだった。
今にして思えば、東京の砧にある「円谷プロダクション」は「異世界への門」が開かれている様な雰囲気のする不思議な空間だった。
当時から脚本家や監督さん達を始め、スタッフの方々には、どこか浮世離れしたコアな人々が多かったのを覚えている。
一世を風靡した「魔法少女まどか☆マギカ」や「Fate/Zero」の作者「虚淵玄氏」も、若き頃「円谷プロ」に居たそうである。
「ははぁ~、貴方もあの「異世界への門」をくぐってしまった一人か」と思った。道理で妙に同族の匂いがするはずだ(笑)
待てよ?そうなると虚淵さんは、言わば円谷プロの後輩…と言う事になる(こんなだらしのない先輩が言うのも申し訳ないが)
「ならば、毒を喰らわば皿まで…一人でも多くのファンを「異世界」に引き込み、我々の同族をたくさん増やしていただきたい」(笑)
虚淵玄先生の「金城哲夫」「上原正三」両先生を超える今後のご活躍を、心からお祈りさせていただきます。
沖縄で生まれ、幼い頃に悲惨な戦争を体験された両先生ではあったが、その後の姿勢は、まったく違っていた。
権力や戦争の悪を徹底的に糾弾していく上原先生と、それでもなお、それを許し更生させようとする金城先生。
悪は斬るべきか?斬らざるべきか?許すべきか?許さざるべきか?私はいつも両先生の心の狭間で揺れ動いている。
ファンタジーあり、SFあり、ホラーあり、様々な要素を含みますが、作中にある両先生の心を汲んでいただければ幸いです (作者)
THE NAME(その名の由来)(まぼろしシリーズ)