瑠璃色の洞窟

光あれ。

光の渦、靄の先

 おお。これは主の降誕か。雲海の間により降り注ぐは、天への道か畏れ多くも天照の熱視線よ。それが螺旋階段のように渦を巻き、視界を朧気にする靄の中を這いまわる。いや、それは光を岩の表面が反射して、この吹き抜けの大広間をかき混ぜているに過ぎないのを私は知っている。現実を視るのだ、私よ。自然は己の口を開いて讃歌を口遊まぬ。ただ悠然と自らを聳えさせるのみである。

 苔生した数多の岩共を越えた先にあったもの。それは円状に切り抜かれた青が大広間を包む光景。だがそれはこの洞窟の真髄ではないだろう。私が大広間と形容したように、これはあくまで人工的に作られた空間。人為的な形式を持ったもの。だからだろう。この光景こそ美しくも思えるが、自然たるそれではなく、美しく形作られた井戸のような認識を持ってしまう。

 黙々と充満する水の残滓らは、ここでの先人の暮らしを語るまい。ちょうどこの洞窟の入り口が瓦礫で埋もれていた時のように、固く口を閉ざすのみであるのだ。

 ところが、人間という生き物は賢しいもので、目前のこういった残骸に目を向けて先人の営みをも看過しうるのである。その残骸、恐らくは銛であったのではあるまいか。棒状の柄に三又の穂先、材質は金属類であろうか。最も保存状態の良い物を見ても、柄は朽ち穂先は錆び、これらが長い年月放置されたのだということが推測できる。そして、石製の調理場に、貝塚めいたものが其処此処に。少し想像を巡らせば、漁業で生計を立てていたと容易に分かる。

しかし、私は先人の暮らしに興味があるわけではないのだ。私の求めるものは、この光の先、靄の向こう側の闇にこそある……。

古代生物の息吹、永久に等しき微睡

 突然だが、君たちは琥珀というものを知っているだろうか。

 簡潔に説明すると、それは古代の樹脂が長い時をかけて固化したものだ。色は大抵、飴色をしている。まあそれだけならば、ただ普遍的な宝石であるのだが、ここのに限ってはそうではない。

 理由は定かではないが、この近辺で採掘される琥珀は瑠璃色をしているのだ。大方、樹脂そのものが青に近い色であったか、後から青の色素が混入したのか。何にせよ、その琥珀は「瑠璃琥珀」と呼ばれ、これが諸国の王族などの間で高値で取引されている。琥珀を着色したものを瑠璃琥珀と偽って販売するなどといった社会問題もあったか。まあそれは良い。

 話がまとまらず大変恐縮であるが、私の目的がその瑠璃琥珀にあるのは確かだ。だが金銭目的ではない。誰かに贈呈するわけでもない。では何故かと問われれば、実は私が昆虫コレクターであるのだと明かそう。

 まず、琥珀についての補足をしよう。樹脂が地中で固化することで生成されるという性質上、そこに虫や葉などが混入するケースも珍しくない。そういった琥珀のことを「虫入り琥珀」と呼ぶのだ。

 次にこの地域。瑠璃色の琥珀が生成されるのは先に説明した通りであるが、私のもう一つの目的「イワトビオオカブト」というカブトムシの生息域でもあるのだ。イワトビオオカブト、その名の由来は単に岩場を飛んでまわることだ。寿命は約三年。樹液が出ない季節は自身の代謝を限りなく遅らせ休眠状態になる。そうした際に、この近辺の岩場の隙間へと潜るわけであるが、その際に自然災害などが重なり、倒れた樹木から樹脂が滲み出てくることがあるのだ。土砂や岩の隙間の空間で、イワトビオオカブトが樹脂で生き埋めにされる。普通の虫ならばそこで死ぬだろう。しかし、イワトビオオカブトは死なないのだ。樹脂の中で長い年月もの間眠り続け、覚醒の時をひたすらに待つ。

 私は一度、割れた瑠璃琥珀から生きたイワトビオオカブトが這い出た光景を見たことがある。それはあまりにも衝撃的で、同時に生命に対する畏敬の念が湧いて出た。婦人のジュエリー・ケースから零れた滴から生命が生じるとは、一体誰が想像できようか。私はその光景が目に焼き付いて、それを再びこの目に収めるべく、こうして禁足地に足を踏み入れたのだ……。

守り人かく言う、老人讃歌

 さて、靄の先では闇が口を開けている。これで二度目になるか。私は手に持った提灯に油を射して、速やかに火を灯す。大広間では空が覗いていたので日を見ることができたわけだが、また洞窟が続くとなるとそうはいかない。瞬く間に漆黒が纏わりつき、提灯が無ければ足元すら覚束ない有様だ。足場は相変わらずで、むき出しの岩肌が続いている。

 だが、瑠璃琥珀があるという触れ込みは確かで、大小入り混じった星々が岩肌の隙間から顔を向けている。暖色を放つ提灯に負けじと、厳かな水底を思わせる青を辺りに散りばめていく。そうして水の星の群れを歩むと、老人と思しき人影が目前に迫る。先客がいたようだ。

「禁足地である。立ち退け」

 腰が曲がり、髭を足元に垂らした、世捨て人のような面持ち。それがまるで亡霊のような絞り出す声で叱咤する。

「禁足地、であるがこそ人は踏み入れたくもなる。それが世の通例ではありませんか」
「然り。が、この場に限って言えば、正しく禁足地の意味を持つ」

 その老人はどれだけの長い間ここに居たのだろうか。提灯の光に顔を照らされ、瞳孔を尋常でない程に狭める。恐らく老人の目には何も映っていないのではなかろうか。私は努めて穏便に話を進める。

「イワトビオオカブト、それの入った瑠璃琥珀を探しているのです。比類なき珍品ゆえ、どうかご容赦願いたい」
「秘めたる尊厳、その本懐を知って申すか」

 そう言って、老人は私に背を向ける。それからゆっくりと闇の先へ進み行く。老人の真意が分からず、好奇心もあって私はその背に続く。

「生とは。正しく今生の宝なり。その所以は、ただ儚いことにある」

 老人は近くに埋まる大きな瑠璃琥珀に手を置いた。私はそこで気づいたのだが、その瑠璃琥珀こそ私の探す虫入り琥珀であった。

「噛み砕いて言うならば、生それ自体が幸福であり、例えようのない喜びである。だが、その所在はと問われれば、それは恰も流水の如く」

 瞬間、老人の身体が無数の青に覆い尽くされる。渦に呑まれているのか。その姿は忽ち、靄のように捉えどころがなくなる。

「老いたる守り人は、その生を天に返さねばならぬ。それが主の定めた詔。そして、生は尊厳と共に還り出でたる」

 老人の言葉すら曖昧に、そしてその頃にはもう身体は霧散してしまっている。消滅したのだ。すると、先ほどまで老人が手を置いていた瑠璃琥珀に変化が生じる。イワトビオオカブトの位置から放射状に亀裂が生じ始めたのだ。軋むような、何かが孵るような音を発した後、イワトビオオカブトが目覚めた。

 私は思わず提灯を投げ出してしまう。その拍子に明かりが消える。消えたことで際立つ、この洞窟が放つ異質な光。

 提灯で照らした時以上に、この洞窟中の瑠璃琥珀が発光しているのだ。それは何の光を反射しているのか。しかし、私はイワトビオオカブトの羽音を聞いてそれを理解した。

 生が、命が燃えているのだ。

 命の灯が辺りを照らし、私やイワトビオオカブトを闇の外へと導いてくれている。闇に囚われてはいけない。私は羽音を頼りに出口へ、元来た道へと戻り行く。足元や壁を照らす瑠璃琥珀は、まるで誘導灯のように道を示す。そして、気づけば私は大広間にいた……。

生き証人、後日談

 私の求めていたものとは、一体何であったのか。かような妄言を口にすれば、気でも違ったかと心配されそうなものだ。

 私が欲しかったものは、イワトビオオカブトの入った瑠璃琥珀であったはずだ。命を感じられるそれを、この手に掴みたかったはずだ。

 私は写真の女性に向き合う。私の愛した夫人。決して手に入らぬと分かっていても、それでも手を伸ばしたくなる人。それは結局、手の届かぬ愛となってしまったわけであるが、私はそれを求めて闇へと向かったのか。

 命ある者が生を謳歌し、その喜びにこそ実感する。のであれば、私は何処へ向かうべきか。それをあの老人は伝えたのであろうか。命が交錯する瞬間を絡め取って、その手に収め鑑賞するのは傲慢なことであったか。闇の中にある温もりに溺れるのが正答であったか。

 いずれにせよ、闇に背を向けた私には分かるべくもない。願わくば、この書を手に取った余人に、是非この解を導き出して欲しい。

瑠璃色の洞窟

この書を記した彼の心情、是非読者の皆様に一考して頂きたく思います。

瑠璃色の洞窟

光を求めて、闇に足を踏み入れる。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-11

Copyrighted
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  1. 光の渦、靄の先
  2. 古代生物の息吹、永久に等しき微睡
  3. 守り人かく言う、老人讃歌
  4. 生き証人、後日談