遊戯標本その1:絶望ごっこ
「絶望ごっこ」が彼女のお気に入りの遊びだった。彼女が考案したその遊びに、僕は一度も参加を許されなかった。何故なら僕には「遊び」に飽きた彼女に紅茶を淹れるという大切な役割が与えられていたためだ。今にして思えば、彼女にとって「遊び」でなかったことなど何ひとつなかったのかもしれない。とにかく、日ごとに変わるひらひらのワンピースに身を包みベッドへ華麗なダイヴを決める彼女は天使のような美しさで、僕は痴呆さながらに口をあけたまま、いつまでもいつまでも眺めていたのだ。部屋では常時大音量で趣味の悪い音楽が鳴っていた。子供向け番組のキャラクターみたいに、ふざけた名前のバンドだったと思う。尤もバッハ以外を聴かない僕にとって、それは音楽と言うより雑音のお手本といったところで、せいぜい悪魔の喚き声くらいにしか聴こえなかったのだけれど。
僕は彼女を愛していた。
愛しているというのはつまり、憎悪しているのと同義である。彼女の愛らしい頭を大事に抱えながら、何度もそれを壁に打ち付けて飛び散るであろう赤い飛沫のことを考えていた。
ある日、彼女はこの世の美しさの全てを独占したまま、夢みたいに死んだ。いつものようにガムテープで口を塞いで、四肢をリボンで結び、「絶望ごっこ」に興じていた彼女は、そのまま二度と目を覚まさなかった。僕は三日間彼女の死体の傍を片時も離れずに泣き続けた(勿論、毎日彼女を新しいワンピースに着替えさせてあげることだけは忘れなかった)。四日目の朝、オーディオからあの忌々しいディスクを取り出して、懐かしいバッハの曲をかけた。主よ、人の望みの喜びよ。窓を開けると柔らかな風が頬を撫ぜ、彼女の髪を僅かに揺らした。紅茶を用意しよう。ダージリンがいいね。彼女が優しく微笑んだので、僕はこの上なく満ち足りた気持ちでティーカップを温めはじめた。
遊戯標本その1:絶望ごっこ