練習SS
表現等の練習や息抜き等で書いたSSです。甘かったり、切なかったり、暗かったり、時には狂っていたり。一つ一つのお話は繋がっていないのでお好きな話をどうぞ。
忘却
「もしも、さ。もしも自分の好きな人が自分のことを忘れてしまったとしたら、どうする?」
不意に口から零れたのは、ずっと訊きたくて堪らなかったこと。口に出してしまったらこの関係が崩れてしまいそうで怖かった。だからこそ、今までずっと隠していたのに。それなのに何故、言ってしまったのだろうか。白い部屋の中、目の前の君が息を呑む。
嗚呼、やってしまった。彼女に気付かれてしまった。
後悔しても今更、一度吐き出した言葉が消える訳もない。震える両手を握り、俯く。彼女の顔を見ることは出来なかった。戸惑うように、考え込むように、彼女が口を閉じる。
重い、沈黙。
冗談だと、今の言葉は忘れてくれと、すぐに言ってしまえば良かったものを。不器用な俺は誤魔化すことすら出来ない。ただ、彼女の言葉を待つだけ。たった数分のことなのに、俺には何時間にも感じられた。恐怖で息が上手く吸えなくなる。逃げ出したい衝動に駆られながら、それでも立ち去ることは出来なかった。俺は、この白い部屋の外に出ることすら許されない。狭い部屋の中には俺と彼女の呼吸だけが聴こえる。この部屋だけが世界から切り離されてしまったような気がした。
そんな静寂を破ったのは彼女。いつの間にか血が滲むほど強く握っていた俺の手に、温かい彼女の手が触れる。そっと顔を上げて彼女を見た。覚悟を決めたような、真っ直ぐな瞳が俺を見つめる。
「じゃあさ、また『初めまして』から始めようよ」
「……え?」
驚いた。言ってしまえば嫌われると、彼女まで離れていってしまうと思っていたのに。優しく手を握られ、少し屈んだ彼女は俺と目線を合わせる。彼女は、微笑んでいた。
「貴方が私を忘れても、私が貴方を憶えているもの。忘れたくらいで今更嫌いになんてなれないよ。だって、私は貴方が大好きだから。だからさ、忘れちゃったらまた『初めまして』から始めればいいんだよ。そしたら今と同じくらい、ううん、今よりももっとずっと良い関係になれるかもしれないでしょう?」
俺は今まで何を恐れていたんだろう。彼女がこういう人だと知っていたはずなのに。
真剣に悩んでいたことが急に馬鹿らしくなった。目の前で笑う彼女の手を強く引いて抱き寄せる。簡単に腕の中に納まった彼女は俺よりもずっと小さいのに、俺よりもずっとずっと強かった。彼女が俺の頬に手を伸ばす。
「だからね、怖くないよ。私はずっと忘れないから。だから、だからね、最期まで傍に居させてよ」
彼女の髪に顔を埋めた。その髪から香る彼女の匂いが俺の肺を満たす。抱き締めた君の肩は震えていた。そのことに気付かないふりをして腕の力を強める。悲しませているのは解っているのに、彼女を幸せに出来ないことは解っているのに、彼女の手を離せない俺は最低だと嗤った。
管に繋がれていなければ生きることすらままならないこの体が、憎い。
飛翔
窓枠に駆け寄って、勢いよく窓を開いた。高さなんて全然感じない。片足を掛け、後ろを振り返る。視線の先には慌てる使用人達の姿。
「ちゃんと見てて。私は、飛べるの」
焦ったような声が後ろから聞こえた。止まれとかやめろとか、もうそんな言葉で私は縛られたくない。思い切り体を外に乗り出す。吹き込んだ風が長い髪とドレスを揺らした。空が、近い。
嗚呼、この中に飛び込んだらどんなに気持ちいいだろう。この大空に飛び込んだら、私も自由になれるかな。
「なりません、姫様!」
「誰か止めろ!」
背後から延びた手が私の腕を掴んだ。半分以上外に投げ出された体はその手に捕えられ、中に引きずり込まれそうになる。慌てて体を捻ってその手を振り払った。
やめてよ、止めないで。私は自由になりたいの。
次々と伸ばされる手を掻い潜り、窓枠を強く蹴る。掴まれたドレスが破れる音がした。でも、服なんてどうなってもいい。
「姫様!」
青空がすぐ近くに見える。手を伸ばしたら届くかな、なんて両手を伸ばしてみたけどやっぱり届かない。それでもいいや、と笑った。だって私、これでやっと自由になれたんだもの。
お姫様だとか権力だとか、私はそんなものいらない。言いなりになって生きるなんてもう沢山。けれど、どんなに訴えても誰も助けてはくれない。それどころか外に出られないようにと閉じ込められてしまった。だから私は、最初で最後の抵抗をすることにしたんだ。くだらない運命に、せめてもの仕返し。
体に当たる風が心地いい。重力に従って下へ下へ、私の体は墜ちていく。窓から身を乗り出して何かを叫ぶ使用人達に笑顔で手を振って見せた。
「ばいばい」
遠ざかる空に手を伸ばして目を閉じる。最期に夢が叶って良かった。自由になって空を飛ぶ、夢。私はこれで幸せ。だって、私は空を飛べたもの。
全身に強い衝撃が走る。痛みを感じるよりも先に、私は意識を手放した。
練習SS