ママタマ
私をSFというジャンルにナビゲートして下っさった星新一さんと瀬名英明さんに捧げます
ある男が、豊洲公園の護岸近くのベンチに座って海を見ていました。彼は見た感じは40になったからならないか、まだまだ精悍な若者といっていいかもしれません。髪は黒々として、顔や体は引き締まり、甘いルックスと落ち着いた印象は、女性にもてそうな雰囲気すら漂わせていました。
彼は海を隔てて近くにそびえたつ、豊洲島の放射能除去装置をぼんやりと見つめたまま、身動きひとつしませんでした。その眼は彼の体躯や印象からは想像もできないくらい、絶望色に染まっていました。
彼はどこからともなくやってきて朝早くここを訪れ、同じベンチに腰掛け、そして日が暮れる頃にベンチから立ちあがり、何処かに去ってゆきます。
来る日も来る日も。
私は公園の清掃やメンテナンスを担当している者です。ある日、彼のいつも座るベンチのペンキを塗り替える事になり、彼に近寄ってこう言いました。
「あのう、すみませんが、このベンチを塗り替える事になりましたので、今日は別のベンチに座って頂けないでしょうか」
すると彼は驚きもせず、こう言いました。
「ああ、もう…いや、やっと5年経過したのか。このベンチは毎5年毎に塗り替えられるからね」
私は驚いて聞き返しました。
「こちらに5年も座ってみえるのですか?失礼ですが、お若いのに、何をされているんですか」
すると男は言いました。
「何も。何もしていません。」
もしかしたらちょっと頭のおかしい人かもしれない。最近は何らかの理由で社会をリタイアしてしまい、日がな一日何もせず暮らす若者がいるという事は知っていました。でも、毎日毎日公園のベンチで何をしているのでしょうか。
怪訝に思ったのが顔に出ていたのでしょうか。男は私に向かって尚言いました。
「正確には、終わるのを待っているのです」
「終わり?」
「そうです、愛の終わりです」
もしかしたら、失恋して自殺しようとしているかもしれないと私は思いました。でも、「終わるのを待っている」とはどういう意味なのでしょうか。更に男は言いました。
「私はいくつに見えますか?」
私はちょっと考えました。相手は精悍な青年、男として一番輝いている年齢の相手におべんちゃらを言う必要もないでしょうし、若く言って欲しいのか、年配に見られたいのかも見当がつきませんでした。なので私は正直に言いました。
「40くらいですか?」
すると男はふっと笑って「136才」と言いました。
「ひゃ、ひゃくさんじゅうろく?」
変なところから変な声が出ました。そして、これは冗談だと思い直し、こう言いました。
「ともかく、ベンチを移動して頂けないでしょうか」
すると男はよっこらしょ、というように立ち上がりました。まるで136歳の老人のように。移動するふりをして男は尚も言いました。
「あなたはママタマというものを知っていますか?」
私はドキッとしました。何故なら、つい最近亡くなった母親が、死ぬ前に私に渡してくれたものが、綺麗な玉だったのです。母親はそれが何かは教えてくれませんでした。私は男の話を遮るどころか、続きを聞いてみたくなりました。男はそれを察したかのように、話しだしました。
「ママタマ、これのお陰で私は健康で心身共に長く、しかも若々しく生きています、年をとれないのです。
私の母親がある日、瑠璃色の球を私に見せてくれました。ちょうどテニスボールくらいの大きさです。「今、神様に遭って、これを貰ったの。あなたが幸せになるお守りよ」と。
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そして何故か母は、せっせとママ友達との付き合いに躍起になりはじめました。そして時々、「ほら、また玉が光ったわ。あなたがまた幸せになったのよ」と。
でも私は、その玉が嫌いでした。その頃から母はママ友付き合いにのめり込むあまり、あまり私を見てくれなくなりました。私をみてくれる時は、玉が光った時に満足げに私に差し出す時と、ママ友達の子どもともっと上手く仲良くしてと私を叱る時だけでした。
ママ友達との話に夢中になる母の横顔、スマートフォンでママ友達との連絡に躍起になる画面を見つめる俯いた姿、そして去ってゆくママ友達をみつめる寂しそうな後ろ姿、そんな母しか印象に残っていません。そして玉が光ると、ほら、あなたの幸せが光っていると、嬉しそうに私ではなく光る玉を見つめていました。
その玉が一体なんだったのか、玉を私に手渡しながら母は死ぬ前にやっと教えてくれました。
「これは、私が神様に貰った「ママタマ」というの、ママ友ひとり作るたびに、あなたの寿命を一年延ばしてくれるって、神様が約束してくれたのよ。子どもを持つお母さんが、私を「ママ友達」と認めてくれる度に、玉が瑠璃色に光るの。
あなたも玉が光るのを、何度も見たでしょう?勿論ただ長生きするだけじゃなくて、心身共に健康で若々しくいられるの。ママは頑張って、276人もママ友を作ったの。あなたのお友達もたくさん出来たでしょう?幸せに、長生きしてね。」
そう言い残して母は死にました。最初は寿命が長くなった幸運を手に入れたと思いました。でも、こうしてこの年になると、そうは思えなくなりました。
月日が経ち、ママが作ってくれた友達も家族も、私の子ども達も先に死んでしまいました。私はひとりです。いつまでも若い姿の年よりになぞ、友達も心許せる人も出来ません。それに、私はどうやって母なしで友達を作ったらいいかわかりません。ひとりぼっち、なのです。あと200年近くも、こうしてひとりで生きなければなりません。心身共に健康、ということは、死にたいという欲求が起きないので、自殺する事もできません。
私の母親は、私のためにとママ友付き合いに躍起になり、私のママ友絡みの友達をたくさん作ってくれました、寿命を延ばしてくれました、でも今となってはそれらが逆に絶望感だけです。普通に生きて、自分で友達を作って、本当の友達に囲まれて、普通に死ねた方が良かったです。
母が玉を貰ったのは、神様ではなく悪魔だったのではないかと思うのです。いえ、どちらでも違いはないと思います。その玉を受け取った人間が、どう扱うか、どう思うか、その人次第なのですから。私の母は私のためにママ友達を、いえ、友達を作ってくれました、寿命を伸ばしてくれました、それもかなり多く。それは私を思うがためのもので、母の愛そのものです。親心が詰まった玉なのです。
その玉?もうとっくに燃えないゴミに出しました。今頃は豊洲島の埋め立てに使われて、あの放射能除去装置の下にでも埋まっているでしょう。
放射能除去装置の光が、瑠璃色に光るのはあの玉が埋まった埋立地に建っているからじゃないのかと思いますよ。そんな筈ないのに、それで私はついこの公園から毎日あの光を見にくるのです。
今日もちゃんと光っているかどうか。かつての母親が私に見せてくれた玉のように。そして、私が終わるのを、私の寿命、母の愛が尽きるのを、待っているのです。たったひとりで、私はひとりぼっちなのです。
それより今、この年になって「ひとりぼっち」とは違う理由で、寂しくてたまらないのです。お母さん、お母さん、もっと構って欲しかった、僕の話をちゃんと聞いて欲しかった、一緒に遊んで欲しかった。
何より、僕をずっとみてて欲しかった、ずっと、ずっと、そんな想い出、僕にはないんだよ。ママ、ママ友達じゃなく、僕を見て、ママ、ママ・・・僕をみててずうっとね・・・」
男は子どものように泣きじゃくり始めました。私は青ざめるしかありませんでした。何故なら、最近亡くなった私の母親が私に同じように手渡してくれたのも、同じような大きさの瑠璃色の玉だったのです。
いつの間にか、豊洲公園から見える豊洲島と海はオレンジ色に輝いていました。勿論、放射能除去装置も。
二人の影は、豊洲公園の芝生に長く伸びていました。
(完)
ママタマ