Angel

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2113年、東京都江東区豊洲。100年後の豊洲の街は、かつてのニューファミリーや子ども達で溢れ返る街から、老人達の終の住処になっていました。益々深刻化する少子化の煽りを受けて、介護、育児、家事などの労働は、感情を持たないヒューマノイドロボットの役割になりました。感情を持たないロボットが増えると共に、人も人を愛する気持ちを忘れてゆきます。DNAを繋ぐために必要な大切な感情、「恋」それは一体なんでしょうか。

2113年東京都江東区豊洲

私はもうこの病院に入院して、どのくらい経つでしょうか。

それを思い出せないくらい、年をとりました。何年か前、区長さんが長寿のお祝いで、紅白饅頭と表彰状、それから金一封、いくら入っていたか、思い出せませんが頂きました。そのくらい長生きをしているようです。

他人事のように聞こえるかもしれませんが、私にとってはもうあとどのくらい生きられるのか、これまで生きたのか、もうどうでもいいような心境になっていました。

いえ、私は不幸せではありません。若い頃はやんちゃで元気な子どもでした。上に姉がいましたので、両親は姉を厳しく躾けていましたが、私は割と放任で育てられました。それでも愛情はたっぷりと感じていましたし、実際可愛がられて育ちましたので、大人になっても誰からも愛されました。幸せな結婚をして、子どもも持てました。

その子どもも大きくなり、子どもを生み、またその子どもが子どもを生み、私を基準にしてみれば、大ファミリーといってもいいと思います。尤も私のような老人はここ豊洲では珍しくなく、長寿のお年寄りばかりです。それが証拠に、私が何歳かの長寿で表彰を受けた時も、何人もそういうお年寄りがいて、特に私だけニュースにはなりませんでした。

「100歳のお年寄りが新しくxx万人」というニュースの中の、大勢のひとり的な存在です。

そんな時代になったのです。もう若い人、小さな子どもは希少動物のような扱いですね。子どもがなかなか生まれない世の中になりました。いえ、子どもを産もうと思えば、何歳でも何人でも子どもを生める時代になったのです。医療はそれほど発達したのですが、人が子どもを持ちたいという心を無くしてしまったようなのです。

今の若い人達は、恋というものがわからないようです。その人が好きで好きでたまらない、寝ても覚めてもその人の事ばかり考え、なのにその人の前に出ると何も話せない、思うように振舞えない、そんな切ない思い、感情。

その筋の学者の中には、人間のDNAの異変だという人がいます。生命の繁殖には、まず恋が必要です。繁殖するに必要な感情、それに伴う体の変化、そんなものがDNAから消えつつあるというのです。

確かにそうかもしれません、そう考えると、私に孫の孫まで出来たのは奇跡かもしれません。尤も孫が子どもを生んだのは、恋ではなくて利己的な感情らしいです。子どもを産めば、放射能除去装置のある豊洲島に住む事が出来ます。仕事で融通が利きますし、豊洲島は実際便利で快適な島で、誰しもが一度は住んでみたいと思うそうです。なので、利害の一致した男女が子どもを生み、豊洲島に住むというケースがあるそうです。

まるでビザが必要で、偽装結婚をするようなものではないでしょうか。嘆かわしい世の中になったものです。

恋といえば、私は今でも初めて好きになった人の事をよく覚えています。あれは私がまだ二歳の時でした。上の姉でママ友付き合いに挫折した私の母親が、私の時には「もう自力では無理」と思ったらしく、二歳から受け入れ可能な幼児施設に私を入れたのです。

そこで出会ったのが、その時の担任の先生でした。私は一目で先生が好きになってしまいました。豊かな体躯、バラ色の頬、ぱっと花が咲いたような鮮やかな笑顔。まるで天使のようでした。

その先生に認めて貰いたいと、一生懸命様々なアピールをした事を覚えています。忘れっぽい母親に、毎朝様々な注意をしたりしました。

提出物、忘れ物がないように、代休の日程、習いごとの時間の変更。毎日確認するのが日課でした。母親が困る事の嫌というより、先生と少しでもコミュニケーションをとりたいが故に、頑張ったのです。

大好きだった先生、結局最終学年の年長の時に担任が代わり、先生とはあまり縁がなくなってしまいました。卒園後も、学年全体のセレモニーでしか会えなくなりました。そのうち、そういうセレモニーも私の母親が嫌がり出席しなくなり、先生との音信も途絶えました。風の噂ではお嫁に行かれ、お子さんも生まれ、幸せに暮らしているということでした。

もう100年も年前ですが、私は今でもその先生の笑顔、「龍馬」と呼ぶ優しい声、ありありと思い出す事ができます。私の母親に言わせると、言葉が操れるようになった頃から「先生と結婚する」と言っており、一度も他の人、例えば母親にもそんな事を言った事がないそうです。

「僕、先生と結婚する」

小さな男の子は、最初に母親と結婚したがるそうですが、私にはそれがなかったというのです。

そうだったかもしれません。

そんな事を最近になり、何度も何度も思い出すのには理由があります。いえ、昔より最近の方がリアルに思い出すくらいです。もうそろそろ痴呆やボケが出てくる頃だと思うのですが、そんな気配もありません。

何故なら私はまた、この先生に恋をしているのです。

と、言っても、本物の先生がここにいるという訳ではありません。私の好きだった先生は、もうとっくにこの世にいないでしょう。私より20歳年上でしたから、生きていらしたらニュースくらいにはなるでしょうから。

でも、先生と私の年齢、この年になり思うのですが、20歳しか違わなかったのですよね。今、私が104歳ですから、先生は生きていらしたら124歳の筈です。大した違いではないではないですか。

私が18歳になった時に、先生を探し出し、先生が独身だったらプロポーズすればよかった。そんな風に思ったものですが、どうしてしなかったのか。私の人生で後悔しているとしたら、それだけです。

逆にいえば、後悔する事が少ない幸せな人生でした。

そうして、こんな気持ちで人生を静かに終える筈の私に、奇跡がおきました。

先生が、また目の前に現れたのです。

病院のベッドで目覚める私に、先生は毎朝声をかけてくれます。

「龍馬、おはよう。今日は顔色いいわね」

私は気持ちがぱーっと明るくなり、顔がにやけて心がシュワシュワと泡立ちます。

「先生、おはようございます」

小さなあの頃、二歳の時の気持ちと同じです。とっくに忘れたと思っていましたが、ちゃんと覚ええいました。思い出そうとしたのではなく、その時の気持ちが蘇ったことで思い出したのです。

あの時と同じ気持ちだ、と。

先生は今は昔と違う名前になりました。今の名前は「M4KD」という名前です。病院の先生や看護師さんは、「Angel さん」と呼んでいますが、私は「先生」と呼ぶことにしました。

そうです、名前でお気づきかもしれませんが、先生は最新の介護用ヒューマノイドロボットなのです。名称は正確には、

「Type:Angel-M4KD 」

です。介護専門のヒューマノイドロボットです。介護をする身内がいない老人のために開発されたそうです。最近の科学技術の発達は、凄まじい勢いで発達しています。言われなければ、ロボットなどと誰も気がつきません。

先日、私の病室に、同じ幼稚園だった恭太が遊びにきてくれましたが、先生をみてびっくりしていました。恭太は、母親同士の軋轢と学区の違いで一時親交が途絶えましたが、高校、大学が同じになり、また友達になりました。

恭太も先生が好きだったようで、「しまった、僕もそうすれば良かった」と悔しがりましたが、同じ人ロボットを二体作るのは法律で禁止されていますので、私だけの先生ロボットなのです。恭太も同じ病院に入院しています。彼も私も、ここでお迎えを待つ身なのです。

先生ロボット、いえ、M4先生は、本物の先生そっくりなのですが、一点だけ違う事があります。それは、ロボットは怒りの感情、それから悲しみの感情はプログラムされていません。なので、怒ったり泣いたりはしないのです。それから、ユーザーの話に反論はしません。肯定で会話します。

何か面白い話をしても、悲しい話をしても、わざと怒らせるような事と言っても、いつも優しい笑顔で的確な相槌をうってくれます。なので、私はいつも先生に話をすると、気持ちが収まり、安らぎ、負の感情は全て消え失せます。

何か我がままをいうと、「どうしようかな?」と優しく言います。それが唯一の否定なのです。

時々は「今日だけよ?」と、病院で禁止されているアイスクリームを持ってきてくれます。勿論、病状に負荷のかからないように提供するプログラムというのは、頭ではわかっているのですが、私には本物の先生が特別扱いしてくれたような錯覚に陥るのです。

私は幸せでした。

少し前は、ひとりで入院しているのが寂しくて、娘や息子に我がままを言って困らせたりしたのですが、もう誰も見舞いになぞ来なくてもいいとまで思うようになりました。誰か見舞いに来ると、先生が、いえ、ロボットが気を利かせて席を離れるというプログラムになっていすので、それが嫌で見舞いも余程の事がないと来なくていいとまで言っています。

言うのも恥ずかしいのですが、先生とひとときでも離れ堅いのです。

そんな蜜月をおくっていたある日、呼びもしないのに私の家族、一族が大挙してやってきました。私は嬉しいどころか、嫌な予感がしました。

☆☆

長男、そして長女、その子ども達も孫たちも全員一緒でした。私はなんとなく、思い当たることがありました。そうです、遺産相続の話でした。

分ける程の財産はないのですが、豊洲島が出来たばかりの頃、島の分譲マンションを購入しました。私が購入してからすぐ、豊洲島は国の財産という事になり、その後建築されたマンションは全て国有化となり、子どもを持つ若いファミリーが優先して住む街になりました。国が格安で13歳以下の子どもを持つ家族に貸し出す事になったのです。

そこに入居したい若い人達は、子どもを持つようになりました。利己的でも少子化に歯止めをかけるのには有効だったようで、子どもの数はやや増加しました。

そんな訳で、数少ない個人所有の豊洲島のマンションの権利を巡り、親族の間でちらちら小競り合いがあるのは知っていました。個人所有の豊洲島のマンションだけは誰に貸し出してもいいことになっており、子どもを持たずに豊洲島に住みたいお金持ちは、すごい値段の賃料を支払ってくれるのです。

以前貸していたのは、100年前のカリスマロックシンガーhydeの子孫Hydieさんでした。こちらの提示した100倍の賃料を支払ってくれていました。本当なら譲って差し上げたかったのですが、それは法律で禁止されていました。

自分のDNAを受け継ぐ子孫に残すことはできますが、売却は禁止です。売るなら国にしか売却することはできません。二足三文で国に売るくらいないら、残す子孫がいるなら相続させます。でも、それがまた一族の争いの種になるのです。

いつの世も、資産を持つということは、揉め事の元なのです。

私は時々、M4ロボットの先生にそれを愚痴るのですが、「そんな事は大したことではないわ。みんなが健康ならそれでいいじゃない」と、ニッコリ笑顔で言われると、それもそうかなと気持ちが治まるのです。

そんなところに一族が大挙してきたのです。私は悟りました。私の命はもうそんなに長くないのではないかと。なので、私が死んだ後に豊洲島のマンションがどうなるか、誰が権利を相続するのか、一族は気をもんだのではないでしょうか。それで話をしにきたのでしょう。

話は案の定、豊洲島のマンション、財産、万が一の場合の話でした。私は顧問弁護士に遺言状を託そうと思っていて、そのままだったのを思い出しました。まだどうするか決めていませんでしたし、どんな遺言をしたとしても子ども達が満足しないと知っていたので、いつも後回しにしていました。

これも先生に話すと「そうね、龍馬の好きにしたらいいと思うわ」と笑顔でかえされ、それだけでいつも満足してしまっていました。

狭い病室で、親族がいっぱいになりました。皆、私の体を慮るふりをして、豊洲島のマンションの事をしきりと気にしているようでした。私は胸が暗い気持ちでいっぱいになりました。

「今日は気分が悪くなってしまったから、帰ってくれないか」

わざと胸が苦しいふりをして、言いました。家族達は、はっと我に返り、「お大事に」と帰ってゆきました。

またひとりに、いえ、先生と二人になりました。もう誰もこの部屋に来て欲しくありません。看護婦さんは薬を飲んだかとうるさく言いますし、医師は難しい顔で偉そうにしますし、家族は豊洲島のマンションの話し、同級生や知り合いは、先生をじろじろ見ます。

もう何もかもが不愉快でした。

「先生、僕そろそろ先生とお別れなのかな。先生が先にいなくなっちゃうかもしれないって前に言っていたでしょう?4年経ったら新しいロボットになるって。もうそろそろじゃない?」

先生は黙って聞いてくれています。私はいつものように、不安や思っている事を全部言ってしまおうと、話を続けました。

「僕、そうなる前に死にたいな。新しいロボットなんていらない。先生とお別れするくらいなら、もう生きていたくないから、いっそ・・・」

いつもなら、「そんな風に言わないで。先生はずっと一緒にいるから」と優しく言ってくれる筈でした。そうプログラミングされている筈ですから。

すると、先生は言いました。

「龍馬!何言っているの?あなたはまだまだ長生きするのよ?そんな事言ったら先生怒るわよ?」

びっくりして先生を見ると、顔が怒っていました。目の前のM4先生、いえ、ロボットには、怒りの表情が浮かんでいたのです。

それに、私を否定する言葉。

そんな・・・確かに私の幼稚園の先生は、悪戯をする私に、こんな顔で時々怒っていました。でも、今私の目の前にいるのは、ロボットです。ロボットは怒りや悲しみの感情、いかなる内容でも、否定の言葉はプログラミングされていない筈です。

私は混乱しました。どうしたの?先生、怒らないで、怒ったら嫌だよ。先生・・・

☆☆☆

でも、思わず口から出たのは謝罪の言葉でした。

「先生、ごめんなさい。僕、もう言いません」

先生にこう返事をしたのは、表彰される程長生きした年寄りの私ではありません、生まれたばかりで言葉がやっと少しばかり操れるようになった幼児の私です。

そう、かつて100年前、豊洲に出来たばかりの幼児施設で、先生と共に過ごした二歳の頃の私が応えたのです。

それを聞いて、M4先生の顔から怒りの表情がさっと消えました。そして一瞬、薔薇の花が開いたような、艶やかな笑顔になりました。

そして、いつもの穏やかな笑顔に戻りました。

私は面喰って、「自分でいっそ・・・」などと思った事などすっかり忘れてしまいました。あれは怒りの表情だったのか、その後の嬉しそうな笑顔、まるで感情を持っているようです。いえ、目の錯覚だったのでしょうか。

そして、また、いつもの日常が戻ってきました。

そんな出来事があった事などすっかり忘れたある日、M4先生がふいに言いました。

「先生、ちょっと用事が出来て、しばらくいなくなるけど大丈夫?」

私ははっとしました。

M4先生が私の元にきて、そろそろ4年が経過するのです。4年経過したら、分解して清掃点検の後、また新たにプログラミングされる事になっています。ロボットが人間の生活に深くかかわってきた頃に出来た、新しい法律でそう決まっているのです。

それは、今目の前にいる先生とのお別れということです。

分解清掃再プログラミング、それは人間があの世に行き生まれ変わるのと同じ事なのです。いえ、少なくとも私はそう思っていました。

勿論ロボットですから、同じものが戻ってくるのですが、でもそれはどうでしょうか。私は違うと常々思っていました。 ロボットが生まれ変わって戻ってくる、それは今目の前のロボットの生まれ変わり、そしてそれは、死に等しいのではないでしょうか。

それに、他のロボットの部品が混じるかもしれませんし、もし万が一致命的な異常が見つかったと判断されたとしたら、スクラップになる筈です。 そして全く新しいロボットが同じプログラミングされ、また目の前に差し出されるのです。

先生の表情は、全くぶれがありません。「ちょっと売店に買いものにいってくるわ」というセリフと同じ表情でした。

私は悩んだ末、答えました。

「うん、僕大丈夫。でも今日は一緒にネンネしていい?」

何を言っているんだと、私は赤面してしまいました。しかも幼児語のように、ネンネなどと。そんな私を見て、先生はニコッと笑顔で言いました。

「じゃあ、今日だけよ?」

その答えは、私が時々巡回の看護師に隠れてアイスクリームが食べたいとねだる時の答えと一緒でした。

最近私は、M4先生がロボットなのか、本物の先生なのか、わからなくなってきました。この頃、私の介護をし、私の話に答えるだけではなく、今日のように、ふいに私に話しかけるようになりました。なので時々、M4先生がロボットだという事を忘れないために、心の中で呟くのです。

「ロボットだもの、そう。M4先生はロボットだもの。」

夕飯が終わり、消灯時間が近づきました。私はそわそわしました。今日は先生が一緒にネンネしてくれると言いました。本当でしょうか。ロボットなので、命令には絶対の筈なのですが、こうしたリクエストに応えるプログラミングがなされているかどうか。心配だったのです。もしかしたらいつものように、

「さ、おやすみなさい、よい夢を」

と言って、さっさと病院内のロボットステーションに戻ってしまうかもしれないと思いました。病院の中にはロボットを収容する部屋があり、そこではエネルギーチャージ、メンテナンスなどをするそうです。

M4先生は私のそうした気持ちを知ってか知らずか、テキパキといつものように私の身の回りの世話をしてくれています。食事の付き添い、片づけ、病室の温度、湿度の点検、それからベッドの布団を整え、言います。

「さ、龍馬、寝る時間ですよ」

私はベッドに横になりました。いつもはここで電気が消え、先生が部屋を出ていくのですが、今日は違いました。M4先生がベッドに横たわる私の隣に滑り込んできたのです。

「!!!」

私は嬉しくて、ドキドキして、顔が赤くなり、にやにやしていたかもしれません。そう、あの幼稚園時代、いつも先生を見るとそんな表情をしていました。母親にからかわれ、先生は私を見て笑っていました。

M4先生は、私と並んで横になり、布団をかけ、まっすく上を向きました。そして、首だけ私の方を向けてこう言いました。

「リョウマ アリガトウ ワタシヲ タイセツニ シテクレテ アリガトウ」

なにか今日は様子が違います。かすかにモーターの唸るような音がしています。そして、その大きな瞳から、涙がこぼれました。

そんな、そんな、そんな・・・・

「先生、僕こそありがとう。可愛がってくれて、優しくしてくれて、ありがとう。先生、大好きなんです。ずっと、ずっと好きでした・・・」

「ワタシモ ダイスキ アナタダケ」

そう言って、M4先生が私の手をそっと握ってくれました。人工皮膚の感触でしたが、温度は人間と同じように調節されていて、温かでした。

もう私はそれ以上言うことはありませんでした。ずっと好きだった先生、優しい先生、みんなの先生。でも今は、僕だけの先生です。こんな幸せがあるでしょうか。

私は人生が終わりかけた今、やっと願いが叶ったのです。

先生も私も、ベッドの上でまっすぐな姿勢で並び、首だけお互いを向き、手を繋いだまま、涙を流していました。

気持ちが高ぶったせいでしょうか、今度は反動で眠くなってきました。先生の掌が温かだったせいかもしれません。

「掌が温かいのは、眠い証拠よ」

よく僕のお母さんは、眠くなった僕の手を握ってそう言っていました。お母さん、M4先生、もう眠いよ・・・先生、ありがとう…僕だけの、天使…

☆☆☆☆

どこからか、ベートーベン交響曲第六番「田園」の曲が流れています。

豊洲総合病院のホスピスでは、入院患者の好みの曲がモーニングコール代わりに流れるのです。この病室に入院されている、森生龍馬さんは、この曲を選びました。ご自身と、実のお姉さんがお好きな曲だそうです。もう必要ないので、設定解除しないといけないのですが、忘れていました。

この方のお姉さんは、この病院に通院されています。娘さんでしょうか。それからお孫さんらしき方も一緒に、通院ついでに時々お見舞いにいらっしゃいます。何度か診察の際にお見かけしましたから。お二人とも長寿で、本当に仲の良いご兄弟です。

私はこの病院で看護師をしている者で、森生龍馬さんを担当していました。

森生龍馬さんは、今朝ほど亡くなりました。モーニングミュージックが流れたので、いつものようにそれが終わる前に部屋を覗いたのですが、森生龍馬さんはまだ起きてみえませんでした。

いつもはこの曲が流れると同時に起き上がり、介護ロボットの淹れたお茶を飲むのが日課ですので、変だなと思いました。それで見に行くと、既に冷たくなっていました。

先生を慌てて呼びにいったのですが、もう心肺も停止していました。夜半にこと切れたようです。眠るようにという言葉通り、穏やかな、笑顔のまま眠ったような死に顔でした。よく見ると涙の跡があります、泣かれたのでしょうか?苦しそうには見えませんので、多分亡くなった後に涙腺から水分が出たのでしょう。そいういう事、よくありますから。

ご家族の方を呼び、臨終の報告をして、遺体安置室にお運びしてエンジェルケアをしました。

淡々としていますか?でも、仕事ですからどうしてもそうなります。亡くなった方やご家族にはお気の毒ですが、病院とは、看護師とはそういうものなのです。いつもそうですから、今回も同じようにしたまでです。何もかもが、いつもと同じなのです。

でも、森生龍馬さんの場合は、ちょっと違う事がありました。介護用ロボットを隣に寝かせてこと切れていました。真っ直ぐに直立するように、二人、いえ、森生龍馬さんとロボット、手を繋ぎ、顔だけ見つめ合うように。そして龍馬さんの涙の跡は、亡くなった方によくある事なのですが、ロボットも目から水分が出ていました。オイル漏れかしらと思ったのですが、拭いたところさらっとしていましたので、オイルではなさそうでした。お水でもこぼしたのでしょうか?

それと、ご家族の方に介護ロボットの移動をお願いしたのですが、丁度4年経過していたようで、サービスセンターの方がどこかに運んでいかれました。本当に偶然なのですが、患者さんが亡くなった日が、ちょうどロボットの寿命だったようです。

「おじいさんには申し訳ないが、丁度よかった。ロボットが交換になる日はいつだと、それはそれは気にしていましたから。」

先日も一族の方がそれを心配して、ロボットの交換について話をしにいらしたそうですが、豊洲島のマンションの話ばかりでロボットの話は気にしながらも、したがらなかったと言ってみえました。聞きたくなかったのでしょうね。

森生龍馬さんは、ホスピスに入っていらしたので、苦痛を緩和するために、Type-Angel が派遣されるのです。Angel は勿論、エンジェルケアのエンジェルでしょうね、お気の毒なネーミングですが。Angel は、患者さんご自身の希望のタイプにカスタムされる最新鋭のヒューマノイドロボットです。森生龍馬さんは、初恋の方を希望されたようですね。いえ、よくある事ですよ。

豊洲島のマンション?豊洲島には個人所有のマンションなど、とっくにありません。全て国有化になっています。ご家族の方も何度も説明したのですが、未だにあそこに俺の資産があると言い張っていたそうです。お年もお年ですので、色々理解できないしたくない事もあったのでしょう。

あ、すみません。次の入院患者さんが待ってみえますので、私はこれで。

あら?備え付けのチェストに何か残っているわ?森生龍馬さんの忘れものかしら?古い写真だわ、あら?あら?結婚式の写真ね。日付が2027年、森生龍馬さんの写真ね。やだ、奥さん介護ロボットのAngel さんにそっくりじゃない?

森生龍馬さん、ロボットのカスタマイズ、初恋の方ではなくて、奥さんをご希望されたのね。よほど愛していらしたのね。私もこんな結婚がしたいわ。そんな人に、私も巡り合えるかしら。

それにしても、「恋」って、どんな感じかしら?

(完)

Angel

自分で書いておいてこんなあとがきはないと思うのですが、このロボットは一体どうしたのでしょうか。こういうプログラミングだったのか、誤作動なのか、それともロボットに人の魂がのりうつったのか、最後まで老人の夢だったのか。そして最後に出てきた看護師、人なのかロボットなのか、最後の写真、あれは本物なのか誰かが老人のために作った戯れなのか。私もわかりません。
「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記」(http://blog.livedoor.jp/yurikomorio-100later/

Angel

Livedoorブログ主催「ライトなラノベコンテスト」参加作品「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記」の中に書いたショートストーリーです。参加作品自体は、一心不乱という言葉通り、あれもこれも赤裸々に書いたものですが、そんな中でふとある方との会話の中で閃いたテーマをこれまた一心不乱に書きました。舞台は100年後の豊洲、少子化の煽りで介護者の手が足りないお年寄りばかりの街は、介護や家事代行をするヒューマノイドロボットで溢れていました。そんな街の大きな総合病院に入院している、ひとりの老人とロボットの物語です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-09

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