招霊機 「郭公」(中編)

中編です。

2.

 
 
「あ、起きた」
 真っ先に目に飛び込んできたのは義父・和男の顔だった。
 なんだか浮腫れていた。
「3日間、寝てたぞ、おまえ」
 目の下にクマがくっきり見える。
 ここが、病院の一室ということも判った。
「・・・私達、山根社長にハメられたんだ」
 美月の御目覚めの第一声に養父は再び沈黙する。
「山根社長は招霊機を手に入れて、そこに山根孝雄を入れようとしていた・・・でも元・夫人が反魂の術を使って孝雄を再生してしまった。そうされたんじゃ、孝雄を招霊機に入れる事はできない。だから、私達でも誰でもいいから、反魂の術で出来た身体から孝雄の本体を取り出してほしかった・・・」
 一気に捲し立て美月は、いつもよりは弱々しい視線ではあるがドヤ顔で和男を見やった。
「・・・いきなり正解から言われてもな」
 当の和男は気の毒そうな薄笑い浮かべて美月の渾身の推理についてコメントした。
「まずは、元山根夫人の家で何があったか話して貰わないと」
 一気に美月の顔が赤くなる。
「うんうん、目覚めたばかりだからね」
 慌てて伸が美月をフォローする。
「って・・・」
 突然、父の背後から出現した伸に美月は訊ねた。

「BL(ビーエル)兄(にい)さんが、どうしてここに?」

 一瞬の沈黙。

「・・・BL・・・兄さん・・・?」
 ひきつる伸の顔。
「BLって・・・?誰と?Jと?」
「コイツ、覚醒したてで、しかも頭めちゃ打っててボケてるし・・・とにかく気にしなくていいぜ」
「宮司さん、その不自然すぎるフォロー・・・もしかして家族内でウケてたでしょう?勝手にカップリングしてて盛り上がってたでしょ?どっちがウケだとか攻めだとか・・・」
 伸は眼鏡を外して眉間の皺を摘んだ。
「商店街内でも誤解されること多いんです。近所の外人ゲイバーの連中なんか滅茶苦茶接触図ろうとしてくるし・・・やはり独身で美形の青年達が同居してることがいらぬ妄想を掻きたてるんだ・・・」
「で」
 フォローすることもなく美月は問いかけた。
「その片割れの独身疑似人間(ロボット)はどうしてるの?」
 再び一同に沈黙が訪れた。
 その様子に美月の顔に不安の色が走った。
「いや、多分、大丈夫だと思うんだ、多分」
 はっきりしない伸の返しに美月はさらに突っ込んだ質問をぶつける。
「多分って?」
「J、君に加勢に行ったっきり行方不明なんだ」
「行方不明?加勢?」
 美月は飛び起きた。
「・・・った・・・」
 左上半身の痛みを今更のように感じ美月は身を丸めて唸った。
「ああ、ごめん、驚いたね・・・動かない方がいいと思うよ。幸い骨折とまではいかなかったけど酷い打撲傷だからね・・・当分、動かせない程痛むと思うよ」
 Jまで巻き込んだのか。
「誰がJに連絡したの?」
 水月神社に立ち寄る事すら躊躇しているナイーヴなロボットを気遣って、こちとらこちらからは何の連絡も取らずにいるという優しい態度をとってあげていたというのに。何故、今回の依頼の情報やらが伝達されたのか。
「僕の古い友人と正体不明の男の子から」
 伸が答えた。
 なんだか少し声のトーンが暗くなったような気がした。気のせいだろうか。
「それからJは帰ってきていないんだ」
 伸は視線を落とす。
 和男は煙草に火をつけた。
「俺がJの最期の目撃者らしい。奴さん、俺にお前を投げ渡した後・・・」
「投げ渡した?どういうこと」
「お前の様子を見に行きに元・山根夫人宅に着いた途端、玄関からJがお前を抱えて飛び出してきたんだ」
 いきなりJは美月を和男に投げ渡したという。
「さすがの俺でもお前を病院に連れて行かなきゃなと思って即退散した。元・夫人がどうのこうのなんざ見てやしない」
勿論、何故、跡取り娘が傷だらけで気絶しているか説明ナシであった。
「で、これは圭からのリークだが、元山根夫人宅には白骨死体しかなかったそうだ」
「え・・・?」
 美月の顔から血の気が引く。
「白骨・・・遺体?」
「今、DNA鑑定中だが、多分、元・山根夫人のものだろう」
「おばさんの?」
 美月の記憶によみがえるのは確かに生きて動いていた山根夫人である。
「白骨?」
「追加情報として、越谷も殺されてた」
 連続する死の情報に美月は声も出ない。
「越谷も奴の弟子達も皆、白骨化していた。それらがこの世の誰のものだったか今DNA鑑定中だそうだ」
「時間がかかるだろうね」
 しばしの沈黙と思考の後、美月は仮定の説を打ちだす。
「・・・反魂の術?」
 あの山根夫人までも術に我が身を委ねていたのか。
 誰も美月の説に異論の意を表明しない。
「此方の業界では、そう解決がつくが、一般社会の警察は頭を抱えてるだろうな」
 正解は解っているのに、職場では世間一般の意見を出すしかない圭のストレスは計り知れない―兄の苦労を察知した美月はさすがに胸が痛んだ。
 はあーと美月は頭を押さえた。
 何がどうなってるんだ。誰が越谷や元・山根夫人を殺したのだ。
 まだ、疑問は残る。
「坊さんは?目の細い」
「坊さん・・・?誰のことだ」
 どうやら父はオツとは対面していないらしい。

 頭がぐらっとした。
 真剣を振り回し『コウシュ』がどうのこうのと言っていた謎の僧侶・オツ。
いきなり侵入してきて「山根孝雄」を収容した突然出没した試作機。
美月を救出に来たであろうJ。
どのタイミングで誰が誰と会い、何をして、どこへ行ってしまったのか。
 色々と考えてしまう頭の中のまま、美月は同時に元・山根夫人宅で起きたことを報告した。
「・・・真っ先に考えつくことは」
 美月の話を聞き終えて最初に斬り出したのは伸であった。
「Jは試作機を追いかけて行った、と」
「まあ、あの彼の試作機嫌いなら考えられることだな」
「試作機撲滅―それが、J達シリアルナンバー招霊機が製造された理由ですからね」
「それって誰が作ってるの?」
「それ?」
「試作機」
 美月の、それこそ誰もが思い浮かべるベタな質問に、珍しく伸の表情が険しくなった。
(聞いちゃいけなかった?)
 思わずそう感じてしまう程の気まずさが一瞬、漂う。
「永野さん」
 和男が会話に入ってきた。
「はい・・・」
「もしもの話だけど、もしJがこのまま壊れてしまったら・・・世に散らばっている試作品(プロト)は野放しってことになるのか?」
「多分」
 躊躇というバリヤーが破られた伸の答えの返りが早くなった。
「試作品(プロト)の存在と危険性を知っているのは僕らと彼らの被害者ぐらいなものです。その中で彼らに対抗できるのはJ達シリアルナンバー達だけだし、今より悪い状況にはなるでしょう」
「今より悪い状況?」
「試作品(プロト)は増える一方になります」
「・・・それって、もっと試作品(プロト)が製造されつつあるってこと?」
「そう」
「そいつの居場所は解らないのか」
 和夫の細い切れ長の目がますます細くなった。
「そいつが作ったロボット達が実際に犯罪に繋がってるんだ、警察にとっ捕まえてもらわないと被害が増える」
「・・・できませんよ」
「なんで」
 伸の、いつもは彼を覆っているふんわりやんわりな空気が消え去っていた。
 口元には不穏な微笑みが、目には強く鋭い光があった。

「なぜなら、試作品(プロト)の製作者は・・・」

 水月家の玄関チャイムが伸の台詞の続きを遮った。


 親しい、しかも尊敬の念さえ持っていた友人の死に面して、故人を忍ばずにいられないのが人の情である。
 孝雄の親友達も例に洩れずに集まって喪失感を分かち合っていてくれた。
(それぞれの家に行く手間が省けたな)
 仲間内のたまり場のマンションの玄関ドアの前で孝雄は耳を澄ませて集まっているメンバーを確認した。
(全員揃っている)
 チャイムを鳴らした。
『え・・・?』
 モニターで孝雄の姿を確認した家主が絶句している。
『孝雄・・・?』
『は?』
『孝雄だよ…』
『おい、洒落にならん冗談は無しだぞ』
『冗談で言えるか!』
 一斉にこちらに向かってくる足音が聞こえる。
 彼らは確かに、密かに行われた孝雄の葬式に出席し火葬にまで立ち会った友人一同である。
「・・・」
 ドアを開ければいた、目の前の死んだはずの友人を前に、この現象を説明できる者はいなかった。
 そんな様子を見届けた孝雄は自分だけに見える視界モニターに移る男に話しかけた。
「どうしたら元の銀色ロボットに戻れるの?」

『念じる、でいいんじゃないですか?あなたぐらいの力があるなら。ただし、そこから出ないで下さいよ。招霊機は一度『解放』した霊体を二度と『収容』しないから』
 
 一人で誰かと会話する孝雄を友人達は不思議そうな顔で見ていた。
「・・・うん、そうしてみるよ」
 孝雄の視線が、やっとこちらに向けられた。 
 大きく高い鼻が目立つ友人が、ようやく口を開いた。
「孝雄、その・・・亡くなられたはずじゃ・・・納骨もしたよね?」
「だけど、ここにいる僕は本物の孝雄だよ」
 穏やかな表情で孝雄は答えた。
「宿る身体は別物だけど、魂は本物本人だ・・・見ていて」
 孝雄の身体が瞬時にして銀色のロボットに変化した。
「イリュージョン・・・?」
「仮装大賞・・・?」
「ハンドパワー?」
「いやいやいや」
 元の姿に戻りながら孝雄は立ち上がった。
「今、僕の魂はこの『招霊機』というロボットの中に収められている。これは人間の魂を『収容』して『再生』する為のロボットなんだ・・・すなわち、限りある肉体ではなく、長期間作動できる機械の中に魂だけを容れられるってこと」
 ぽかんと口を開け、コメントを探す友人達。
「今の感覚は、生きている時と何ら違和感がない。むしろ魂と身体の不適合による病気(やまい)に苦しんでいた時より快適な気分だ」
 それでも友人達のぽかん顔が持続している。
「僕は」
 孝雄は精一杯の慈悲深い笑顔を作った。
「この気持ち、君達にも味あわせたい」

 彼の言葉の意味を解した者達の表情が凍った。
「い、いや、それは50年後でもいいよね?」
 ゆるいパーマの友人が首をふる。
「それでもいいんだけど・・・でも今の内に『事を済ませたら』若いままでいられるんだよ?」
「え、遠慮しとく!」
 奥眼の友人がドアノブに手をかけた。
「遠慮しなくていいよ」
 奥眼の頭を孝雄の手が掴んだ。
「あんた達に僕の気持は解らないだろ?」
 奥眼の頭部から血飛沫が飛び散る。
「アンタ達、人間は勝手に生まれ変わって僕のことなんか欠片も覚えていてくれない。固い友情も深い愛情も総て忘れてしまって、例えもう一度会えてもいつでも『初めまして』だ」
 元・生前の親友の殺戮を止めさせようとしがみついたゆるパーマの頭部が一撃で割られた。
「そのくせ、再び仲良くなろうにも、また最初の探りあいの段階から時間と手間をかけてやらなきゃなんない、こっちの身になってみろ!それを僕は何回も繰り返してきた!何回も、何回もだ!」
 殺される人間の断末魔の声さえ掻き消してしまう孝雄の叫びが続く。
「その働きかけすら時には失敗に終わる事もあるっ。前世では仲良くできても現世ではアウト、って事もな!もう、う・ん・ざ・りだ!」
 最期の高い鼻を殺しきり、ようやく孝雄は息をついた。
『おやおや・・・』
 頭の中で声がする。
 山田だ。
『もう少し、時間をかけて説得してもよかったのでは?』
「黙れ・・・」
 息をきらし、血まみれの自分の掌を見つめながら孝雄は山田に言った。
「新しい招霊機、大至急6体、発注する」
 孝雄を『収容』している招霊機の機能が、部屋の隅で身を寄せ合って怯えている殺されたばかりの人間の霊体4人を感知していた。
「もう少し待っててね・・・新しい身体がもうすぐ届くよ・・・」



「あんた・・・」
 玄関に立っていた水月神社に人物を目にした和男は息を呑んだ。
 
 墨染の衣の若い僧侶。
 切れ長の目が、彼が誰であるか判断させてくれた。

 青年僧は無言のまま手を懐に入れた。
 身構える和男。
 
「巫女殿にこれを」
 青年僧が取り出したのは、掌に乗るほどの小さな壺であった。

「我が寺に伝わる軟膏だ。打ち身の治りが速い」
「・・・あり・・・がとう」
 壺を目の前に美月は固まっていた。
「・・・で、中身、何?」
「だから、我が仲間内でに伝わる軟膏だ」
座敷に通されたオツが腕をくんで美月の前で正座している。
「巫女たる者、人を疑っているのか」
「いや、あんたの信用度低いから。あの時、私を殺そうと判断したような口利いてたよね?」
「過ぎたことを気にする必要はない。何事もやってみないと善悪の判断がつかない」
「こっちはうら若き嫁入り前の娘なんだよ、変なモノうっかり付けてお肌に何かあったらどう責任とってくれるのよ」
「まっとうな男は外見だけでは嫁は娶らない。巫女殿ならどのみち男は寄ってはこない。だから心配するな」
「だよな、だよな」
 いらぬことを追加で呟きウケている義父を睨みつけながら美月は訊ねた。
「で、あれからどうなったの?」
「あれからとは」
 涼しい顔で問い返すオツに美月はいらつく。
「私が山根ジュニアに落とされてからのことよ。金髪外人来なかった?」
「ああ、あの異人殿か」
 オツの一言に一同ジリリと膝で詰め寄った。
「異人殿はコウシュの後を追いかけて行かれた。私は、その直後に退散したから、それ以上は判らぬ。金属で出来た輩には叶わぬからな」
「やはり・・・じゃあ、Jがその後に来て試作機から美月ちゃんを救出したってことですか」
 伸が囁くように誰にでもなく呟く。
「お前さん、元・山根夫人を手にかけたのか?」
「手にかけた?何のことですか?」
「奥さん、白骨体で発見されたんだよ」
 衝撃の事実を突き付けられてもオツの表情は微動だにしなかった。
「丸腰の人間を殺めてどうする。攻撃してこない人間を殺生するのは師の思いに相容れないからやらぬ」
「嘘。あんたオバサンに刀つきつけてたじゃん」
 美月が突っ込む。
「脅しだ。あれぐらいお灸をすえないと、ああいう輩は同じ事を繰り返す。」
「じゃ、誰が殺したの?」
「『甲種』だろう」
「山根孝雄が?何故?自分の母親でしょ?」
「理由(訳は)は『甲種』に聞かねば判らぬ」
「じゃ、越谷は?ありゃ、お前さんが殺したんだろ?」
「何の事だ」
「反魂の術の専門家だよ。弟子もろとも白骨死体で見つかった」
「知らぬ。それにソヤツが白骨で発見されたということは、術に溺れた証拠。いくら、あなた方の技術でもって彼らの身元を割り出されようが、すでに死亡の届を出された人間ばかりになるはずだ。そのうち、証拠の記録か何かがでてきて摩訶不思議な事件で終わってしまうであろうな」
 一同、返す理屈がない。
「で、そんなにウチの娘を速く完治させようとする理由は?」
「あなた達に危機が迫っています。偶然とは言え、貴殿達は『コウシュ』の存在を知ってしまったからです」
「存在の証拠隠しに山根孝雄(あいつ)が私達を消しに来るってこと?」
「そうだ」
「大体、コウシュとか何なの?どんな漢字で書くの?」
「それぞれの頭に『甲乙』の二文字と『種類』の『種』の字をあてる」
「山根のボンは『甲種』にあたるんだな」
「そうです」
 さすが美月に何かと礼節を説くオツ、先程から目上の和男には丁寧な語尾を付け加えている。
「殺された越谷や山根元夫人やらが『反魂』という術なんか使って『甲種』であるボンを人間として誕生させた、ってことだな」
 和男の目つきがだんだんと鋭くなる。
「『甲種』はどうやって『反魂』させているんだ?」
「先程の巫女殿の遭遇したのは『反魂の術』を施された『山根孝彦』です。『甲種』の再現は、主に『反魂』ではなく『換魂』が用いられます」
「カンゴン?」
「『換える』の『換』・・・最初は昔ながらの反魂の術の通りに死体から人体を作り、その中に『甲種』の魂を呼び寄せて入れていました。だが、その方法では失敗も多く、術者の身体にも危険が及ぶ事もしばしば。術者達は呪法の改善に努めてきました」
 オツの細い目がますます細くなった。
「そのあげくに彼達は、赤ん坊の魂をその身体から追い出し『甲種』の魂と入れ替える術を成立させました。赤ん坊は養子に迎えるか、貧しくて育てる意思のない親から金を積んで買い求めて用意する。それが、この術を施行する者の手段です」
 ひえーと声と息を吐き一同は首をふった。
「参ったね・・・JSCの副理事様である俺も知らねえ、そんなエグい術があったとはな」
「それじゃ、殺人罪にも引っかかりませんね」
「そこまでして甲種を人体に憑依させる理由って何?」
「甲種の魂は人間と違って転生に際し、前世の記憶の消去という現象がない」
「はあ・・・」
 ピンと来ていない美月を弱冠憐れむような目つきで見やってオツは説明を続ける。
「これは前世の記憶・・・いや経験と言い換えた方が判りよいな。甲種達は自分達が持っている前世の経験を応用して、どの分野においても優れた知恵と働きを発揮するのだ。これを、優秀な我が子を欲する輩が見逃すわけがない」
「追い出された赤ん坊の魂はどうなるの?」
「甲種が乗っ取った身体が滅びるまで転生できずに彷徨うことになる」
「へたすりゃ、人間の平均寿命の80年くらい待たないといけないってことか?」
 伸の呟きにオツの視線が向いた。
「いや、そこまで生きる甲種はまずいないと言っていいだろう。異物である他人の身体が合うはずもないからな」
「免疫不適合みたいなものか・・・」
 だから、山根孝雄は早世したのか。
「一つの身体に一つの魂、これが魂の決まりごとだ」
 和男の言葉に珍しく素直に美月が頷いた。
「で、その甲種とやらを退治しまわっているらしき、あんたは何者だ?」
「私か。私は乙種だ」
「甲種と、どう違うんだ?」
「作り方が違う・・・いや、私はどちらかというと出来そこないだな」
 オツの能面顔に僅かな笑みが浮かんだ。
「なにせ、造られた直後は口も利けなかったのだからな。だから甲種達からは乙種と呼ばれている」
「造られた?」
「私は死体の骨を集めて反魂の術で造られた。しかし、正しい方法をとって造られなかった故、まともな人間モドキにはなれなかった。だから私を造った人は私を山に捨てた」



 かなり長い年月、山を彷徨い歩いた。
 木々と草むら切り立った崖、たまに空しか見ていなかった。
 意識と呼ばれるものはあったかもしれない。が、それを表現する術があるということが理解できなかった。
 今、自分が閉じ込められた「人間」という器をどう動かし、どう利用すればいいのかすらも解らない。
 だから身体の動くがまま、捨てられた山の中を歩き回り、手の届くものだけの総てを食するしかすることがなかった。
 このまま、今の身体が腐りおちるまで閉じ込められているだけか。
 なんとなくそう悟っていた。

 そして、ある日。
 その人は現れた。
 青年という時期はとうに通り越してはいる粗末な墨衣を身に付けた僧侶であった。
精悍さと柔和さを併せ持つ、不思議な顔の造りであった。
「ここにいたか」
 大木の麓でぼんやりと膝を抱えて座っていた自分に、心地よい声をかけてくれた。
 その人は自分の家に彼を連れて帰ってくれた。
 飯を食わせ、風呂に入れて、衣服を与えてくれた。
「皆から、妙な子供が山をうろうろしていると噂を聞いてな・・・気になったので探していた」
 彼はこの山に庵を結んでいた。
「で、おまえは何という名前でどこからきたのかな?」
 勿論、答えられるわけがない。答えがない。
「ま、いいか。これからは、私と言葉と日々の事を学んでいこう」
 そうすれば、どこかに養子として迎えられることもあるやもしれない。
 こうして『知玄』と名付けられた子供と良玄の生活が始まった。
 知玄の『知』は「知恵」の『知』、『玄』は勿論、良玄の名前からとった。
 知玄は日常生活もままならなかった。
 飯を食うこと、衣服を着る事、排泄の始末を総てを、他人の手を借りなければできなかった。
「やれやれ、大変な子を拾ったわい」
 一日の大半をボーっと立っているだけのこの子の身の周りの世話に費やされ疲れ果て、良玄は自分のしでかしたことに笑うしかなかった。
 しかし良玄は根気と根性のある男であった。常人であれば持てあまして再び捨ててしまいそうな得体の知れぬ他人の子を、それでも手元に置き続けた。
(なんとか覚えることはできないだろうか)
 毎日毎日、手を取り足を取り少しづつ何度も様々な生きていく為の動作を教える。
 気が遠くなりそうな作業であった。
 そんな、ある日。
「・・・ん?」
 知玄の変化に良玄は気がついた。
 今まで宙を見ていただけの視線が、良玄の姿を目で追っている。
「知玄」
 良玄は碗と箸を持ち知玄の目の前で大きく円を描いた。そして、飯を口にかきこむ動作をしてみる。
「やってみろ」
 知玄に碗・箸を持たせる。

「お・・・」

できた。
ゆっくりだができた。
「偉いぞ!知玄!」
 大喜びで、その大きな掌で頭をなでる良玄を見上げながら知玄は飯をかきこむ動作を続けていた。
 それが、知玄の中の何かと繋がったのであろう。
 それからは、良玄の真似から始まり、そして自らの欲求に従い日常の人としての動作ができるようになった。
 そのうちに言葉も、発音から単語、単語から文章、文章から会話へと可能となった。
 その頃には、知玄は青年の身体となっていた。
 育ての親であり師匠である良玄に付いて仏の教えを学び、師の身の回りの世話をしたり、平和に暮らしていた。
 まるで何かしらの堰が外れたかのように知玄の進化は目覚ましく進んだ。
「そろそろ、お前もお山に修行に行って正式な僧にならねばな」
 山を見上げ思案の内容を口にする師匠に、知玄は首を振った。
「私は師匠の元で学べれば幸せです」
「私などの知識くらいでは不十分だ。お前はもっと学べるはずだ」
人間として目覚めた知玄の学習能力は異常なほど優れていた。
「それに私以外の世界を見てくることは、何よりも大事なことだ」
「しかし、出生が得体の知れない私など入れてくれるわけがありません。私はここで師匠と共に一生を終えたい」
「それは長くはない期間だな。私はお前より先に死んでしまう。お前は私と過ごした時間よりもずっと長い時間を一人で生きていかねばならないんだぞ」
 良玄は薄々ながら、知玄が普通の人間ではないことを確認しつつあった。
 知能の信じがたい発達の仕方、並みの人間の範囲を超えた獲得しつつある能力の総てから、そして知玄を探し出す前に耳にした噂から。

―昔、かつて高名な僧侶が人間の骨から造り出した者を、この山に放置した。それが未だに山を彷徨い歩いている―

 その噂が本当ならば、この知玄が当人ならば、彼はとんでもない年月を子供のまま生き抜いたことになる。
 ならば、この子の寿命は常の人間とは違うかもしれない。
 命に限りある自分が死んだ後、この子はどうやって孤独を凌いでゆくのだろう。

 いや、孤独にしてはいけない。

 良玄が知玄を托鉢に連れ歩く日々は、この頃から始まった。
 予想どおりに自ら他人に話しかける様な性質ではなかった。到底、同い年の友達など出来る見込みの欠片すら見えなかった。
 だが、それでもいい、と良玄は思っていた。
 知玄が人目に触れるだけでいい。
 この子が確かにこの世に存在しているということが人々の記憶に刻みつけられるだけでいいと望んだ。
 僧の姿をして経を読む者を世間は放りっぱなしにはしない。それが、この子の生存に繋がればいいのだ。
 良玄の望みが伝わったのか、もともとそういう性格を変えようがないからか、知玄は静かに周りの迷惑のならないような態度で振る舞ってくれた。
 それが幸いして、目つきこそ悪いが余計な口を叩かぬ真面目な坊主だということで評判はよかった。
 そのうち、良玄の代わりに山を降り、知玄一人で托鉢するということも出来るようにまでなったのである。

「そのまま、老いてお体も弱ってきた師を看取れたら幸せであった」
 オツは、やっとのことで出された茶を一口呑んだ。
「しかし、私は『それ』を見つけてしまった」

 裸の赤子が鳴き叫びながら、人々が往来する道を這っていく。
 人々は決して赤子のことなど気づくことなく、それぞれの用の為歩みを急がせていく。
 知玄は片手で赤子を拾い上げ、懐に入れた。
「憐れな子よ」
 知玄は、涙の残る眼で自分を見上げている乳飲み子に尋ねる。
「お前は、どこの子供だ?」
 児は指さした。
 大きな反物問屋であった。
 紺染めの暖簾を分け、出てきた夫婦の妻の胸元に、知玄の懐の赤ん坊と同じ顔の赤ん坊が大事そうに抱かれていた。


 かつて自分を人の身に入れ込んだ人が、言葉を返すこともできない自分に話してくれた。

「都で完全に反魂の術を成し遂げた人物がいる」

 そのしばらく後、自分は山に捨てられた。


「その頃から魂のすげ替えが行われていたってことか?」
 和男の問いにオツは頷いた。
「その方法なら死体から再生するよりは、質のいい身体が得られる。甲種達が自分達の第一回目の身体が滅びてから、もう一度人間界に生まれるに編み出した手段だ。強欲な術者に入れ知恵をし、優れた児を欲しがる親達に話を持ちかけさせた」
「で」
 美月の目がギラリと光り、容赦のない質問が投げつけられる。
「その乗っ取られた赤ん坊、斬ったの?」
「斬ったところで本当の魂が戻る身体が無くなるではないか。私達はずっと本来の身体戻れる方法を探ってきた。しかし、その方法は今だ見つかっていない」

 本物の身体の主であったはずの赤ん坊の魂は、そのまま庵へと連れて帰った。
 師の良玄は知玄の話すことを疑いもせず責めもせず、ただ信じてくれた。視えもしない魂の為に経を読み話しかけ慰めてくれた。
 また、こんな時もあった。
 いつのまにかついたのか、元からそうなのか、知玄に「乗っ取りモノ」の発する気配を察知する能力が出現し始めた。
 こうなると、これから他人の身体を乗っ取ろうと身構えている「乗っ取りモノ」の居場所がわかり、事前に犠牲者となる赤ん坊、または幼児を救い出す事が可能となったのだ。
 犠牲者の総てが貧しい家の子であった。
 到底、育てることのできない、また親が育てる事を放棄した児が金を積まれて連れられてきていた。
「憐れな」
 良玄は知玄が奪還してきた児達の親を説得し、また彼らが児を売らなくてもよくなるように何かと援助した。
知玄は時々街に下りては「乗っ取りモノ」を探した。
 奴らを見つけるのは容易いことであった。
 元々、財力がないと換魂の術が使える術者を雇えないので、金持ちや位の高い人間の集まる場所へ出向けば出会う確率が高いのだ。
 「乗っ取りモノ」達の居場所はしっかりと記憶し彼らの動向を監視し続けた。
 他人の身体を思うがままに利用し「生」ある世界を満喫する彼らの傍らには必ず追い出された本当の身体の主である子供達の魂がいた。
 彼ら総てが幼い子供の姿のまま成長しないことが哀れであった。
 そのまま、自分の本当の身体が滅ぶまで転生ができないのである。
 知玄は彼らを庵に連れ帰り共に暮らした。
 かつて師匠が自分と弟弟子の永玄にしてくれたように美しい山の中を連れて歩き、親に売られ身体から追い出され彷徨わなくてはいけない傷ついた心を慰めた。
 しかし、幸いな事もあった。

 知玄が初めて連れてきた少年の霊体が、空を見上げていた。
 鳥でも見ているのかなと、知玄は近寄った。
『兄様』
 振り向いた少年―『永玄』という名を師匠から授かった―の顔は涙に濡れていた。
『お別れです』
「どうした?」
『私の身体が、今滅びました。私は転生の輪に戻れます』
 気のせいではない。
 いつもより永玄の霊体の色彩が薄れて見える。いや、どんどん薄れていく。
 知玄は急いで師を呼びに行った。
 師を連れてきた頃には、ほとんど永玄の姿は見えなくなっていた。
『お名残惜しゅうございます』
 宙に浮き、永玄は経をあげる良玄に手を合わせた。
 それで、最期であった。

 「『乗っ取りモノ』が『乗っ取った』人間達は病弱で短命であった。あるべき身体にあるべき生命が宿るべきであるという大宇宙の摂理に『乗っ取りモノ』は真っ向から刃向っているからだろう」

 共に暮らしてきた子供の魂が、次々と彼の本来の肉体が滅ぶと同時に「成仏」して消えていった。
(この子に、次の『生』こそ幸せな場所に生まれ変わらせて下さいー)
 名残惜しそうな顔で消えゆく子供達の手を握りしめ良玄と知玄は心の底から仏に祈った。

 知玄は、この件に関わった術者を探し続けた。
 説得、もしくは脅しでもいい―金輪際、この換魂の術を使わないように約束させねばならないと思ったのだ。

「私は詰めが甘かった」
 オツの細い目が、視線を落としたが為にいよいよ細くなった。
「仏の道を学ぶ者として当然に湧き上がる生命への慈悲が災いしてしまった」

 知玄の動きを、術者と「乗っ取った者」が気がつかないわけも、放っておくはずもなかった。
 彼らの防御は度を越した。
 金にあかして雇った無法者達に庵を襲撃させ、知玄ばかりか良玄にまで暴力の限りを尽くさせたのである。
 自分―知玄はすでに息絶えていた。
 自分の身体から離れてから何度も何度も戻ろうと試みたが叶わなかった。
「おお・・・ち・・・げん・・・」
 もうすぐ息絶えるというのに自分の名を呼ぶ師の血だらけの口元には笑みが浮かんでいた。

 知玄は師に駆け寄った。

「それが・・・お前の真の姿・・・か」 
 師の肉体の両眼は確かに知玄のいる方を見ていた。
「安心せよ・・・私は滅ぶ事はない・・・ただ、身体を失っただけだ・・・私の、体を使え。・・・解るな?二度と私達の様な犠牲者を出すな・・・」

 それが、最後にに残された言葉であった。
 
 師の良玄の魂が身体から離れた。
 一度だけ、知玄と視線が合った。

師が―消えた。

 魂から湧きあがるまま泣き叫びながら、師の行先が、生前に彼が夢見て恋い焦がれた西方浄土であれば―と祈った。
 
「だが私は師のように『どこか』に『逝く』ことができなかった」
 一同、無言でオツの次の言葉を待つ。
「私は・・・人間の魂とは違う、『生命体』だ」
 言っている意味が判らず、返す言葉が出てこない。まだまだ無声状態が続く。
「我々―『甲種』も『乙種』もわざわざ他生物の身体に侵入しなくても、あなた達と同じ世界に生きていられる存在だ」
「身体を持たなくても『生きている』と言える存在―だから生命体ということですか?」
 伸の問いにオツは頷く。
「しかし、人間達が反魂の術で我々と人間の身体を繋いだが為に我々の中に身体を持ちたいという願望が芽生えた」
「肉体を持って、何が楽しいんだ?」
「『感覚』が手に入れられる。生物は脆い肉体を守るが為『感覚』を持っている。肉体を持たない我々には必要ない」
「感覚ったって、いいモノばかりじゃないわ。痛いとか苦しいとか嫌なモノだってあるのよ。それでも?」
「喜び、愛もある。それでも、あなた方人間は感覚というものをいらないと言うのか?」
 その時の一瞬、オツの目に温かい光が宿った。

 本来の姿に戻った知玄は庵に留まり続けた。
 師の遺体は、訪ねてきた本山の僧侶に発見され、無事に葬られた。
 安堵しながら師の葬儀を見ていた知玄は思った。
 できれば、師と共に西方浄土に旅立ちたかった。
 それも叶わぬのなら良玄と過ごしてきた、この庵で静かに暮らせればそれでいい。

 だが、師は「乗っ取りモノ」による「私達の様な犠牲者」を「出さない」ことを自分に望んでいた。

試しに彷徨ってる『乗っ取りモノ』を見つける度に破壊しようと挑んでみたが、触れる事すらできない。
 あちらも知玄にさっぱり害を与える事ができない。
 本性の状態では、お互いが接触しあうことが不可能なのだ。

どうすればいい。 
 自分で自分の再生はできない。ただただ、人間達の言う「魂」とよく似た状態でこの星を彷徨うのが自分達「生物」の本来の姿なのだ。
答えはでない。
そんな状態のまま。他の『乗っ取りモノ』達が次々と人の身体を乗っ取っていく。
知玄にできることは、我が身体から追い出された者達を庵に連れて行き、豊かで美しいこの山の大自然の中で慰め共に過ごすことだけであった。

 二十年の月日が流れた頃―。
 あばら家となった庵に、一人の僧が訪れた。
 若い。少年期からやっと抜け出した、そんな歳の頃の僧であった。
 頬もこけ無精髭の中から眼だけが光っている。体つきは細いが鍛え上げられた筋肉に覆われているのがはっきりと解った。
 僧侶は崩れかけた庵の中に、確かにこう呼びかけた。

「・・・兄様・・・!」

 その両眼は確かに自分を見つめている。
 移動する自分を眼球が追いかけている。

「兄様、私です・・・永玄です!生まれ変わって帰ってまいりました!」

『永玄・・・?』
 初めて連れて帰った『乗っ取りモノ』の犠牲者。
 『乗っ取りモノ』に奪われた身体が滅びた日に、転生する為に立ち去った魂。
『覚えて・・・いてくれたのか・・・』
 目にいっぱい涙を貯めて永玄は頷いた。

「今の世も法名を『永玄』と名乗っています。兄様、私は師との約束を果たしにやって参りました・・・兄様の身体を取り戻しに」
『師匠との?』
「師匠は転生直前の私に会いに来てくれたのです。そして兄様を再生させて『乗っ取りモノ』と闘えと」
『そうか…』
 全身に悲しさと懐かしさの『感情』でいっぱいになった。
『師匠と会えたのか・・・』
「それから後は、一度としてもお目にかかっておりません。真っ直ぐに仏様のお傍へ呼ばれたのでしょう」

 永玄は早速、師の亡きがらを地から掘り起こした。
 師の身体がすっかり綺麗に白骨化するに充分な年月が経過していた。
 清潔な布の上に師の骨を並べ、鶴草で繋ぐ・・・そのあまりにもの手際の良さに知玄は問わずにはいられなかった。
『他にもその術を?』
 永玄は微かに笑って首を横に振った。
「初めてです。兄様。しかし、前回の失敗を踏まえて術に改良を加えた方法を学んで参りました」
 でも成功するかどうか・・・小さな声で付け足した。
『それでもいい』
 知玄は心の底から言った。
『師の亡きがらと共に三人、ここで暮らしていくのもいい』
「だが、兄様。私達には師匠が望んだ使命がある。私とてかつて自分の身体を横取りしようとしていた輩を許せない」
 手を止めて永玄は庵の中の身体を奪われた憐れな子供の魂達を見やった。
『だが・・・蘇ったところで、どのようにして『乗っ取りモノ』達と闘えばいいのだ』
「御身体を取り戻された暁、私が学んだ事をお伝えいたします」
 作業の手も休めず、振り向きもせず永玄は答えた。
「仏に仕える身、迷いがない、と言えば嘘になりますが」

 反魂の術の完成には時間がかかる。
 骨に肉がついて人間の身体として機能してこなければ知玄は身体の内部には入り込めない。
 ひたすらひたすら待つ。
 その間を幸いに知玄は子供達と共に庵を優しく包み込む新緑の森の中で永玄の土産話を聞いていた。

 永玄は師の望みを胸に秘め、まずはお山で僧侶としての修行をした。
 一人立ちが出来るようになったら町に下りて托鉢の修行をしながら「乗っ取りモノ」や「換魂の術」を行う者達、子売りの話しの行方や動向を探った。
自分の動向が相手にばれていることなんて夢にも思わずに。
ある日、いつものように我が子を売りに行く親の後を尾行していた。

途中で「その気配」に気がついた。

背後から「何か」ついてきている。
振り向いても薄闇の町の風景しか見えない。
だが「それ」は自ら自分の存在感を強調しながらついてきている。
勿論、いい気配ではない。殺気すら感じられる。
見えないのに、存在すら証明できない奴に、永玄の全身の毛孔が寒気立った。
生存本能が歯の根も合わぬくらいの恐怖の感情を呼び起こし、速やかにこの場から逃亡するように命じる。
(これはー)

「乗っ取りモノ」がいる。
 自分の、すぐ、傍に。

 兄弟子、知玄のように自分には彼らの姿が見えないのだが。
 もしかしたら気のせいかも、何かをそれだと誤認しているのかもしれない。
 自分にそう言い聞かせても、感じてしまう「存在の気配」はいっこうに消失しない。

 永玄は印を結んだ。
 ならば、この日の為に習得した法力で蹴散らしてやる。
 
 殺られる前に。

 真言を唱えるより先に永玄の身体が顔から地面に叩きつけられた。
「うぐっ」
 右側頭部を上から押さえつけられ地面にぐりぐりと押しつけられる。
 なんとか目を開けて相手の正体を見ようとしたが、星空しか見えない。
 頭が痛い。
 このままだと頭部が潰されてしまう。
 疼痛と苦しさでぼんやりする脳内で諦めの理屈が現れ出す。
 ―師と仏がおわす西方浄土に行けるのは喜ばしいことだ、と。
 しかし。
 しかし、師の望みは叶えられずに終わってしまう。一人、庵で自分を待つ兄様・知玄に申し訳ない。
 死ぬわけにはいかない。死にたくない。無念だ。

 痛みの為の腹底からの絶叫も、尽きた。

 気がつくと、まだ自分は生きていた。
 戻ってきた視界の中で朱の袴の裾がひらひらとはためいている。
 永玄は顔を上げ、目の前の現実にいる人物を見上げた。

 若い巫女であった。
 腰までの長い髪、細面の繊細な造りの顔には高貴な凛々しさが漂っていた。
 その手には月明かりを跳ね返し光る刀が握りしめられている。
 それが自分の命を救ったのだろう。
「生きておられましたか」
 張りつめた空気を伝わってくる澄んだ声。
「・・・あなたは・・・?」
 永玄は立ち上がりながら訊ねた。
「厄介なモノと関わりを持たれていたようですね」
 巫女の答えになっていない言葉。
 そうだ。言霊を重んじる神職の者が軽々しく我が名前を教えてはくれるはずがない。
「いや、失礼しました。私から名乗りましょう・・・私は永玄と申します」
 それでも巫女はまだ名乗らない。
 
「・・・どうされますか?」

 切れ長の目が自分を見据えている。

「あなたは、『アレ』の存在を知っている。『アレ』は自分の正体を知っている人間には容赦しません。闘うか、逃げるかです」
「勿論」
 迷いはない。
「闘います。私は、一度は『アレ』―「乗っ取りモノ」に身体を奪われかけた。今更、命を惜しむ気はない。あいつに命を奪われた師の願いを叶えたいのです」
「ならば一緒に来られよ」
 巫女は背を向けた。

「私は伽耶(かや)。水月神社の巫女です」

 そこで水月一家二人が一気にざわついた。
「おいおい・・・ご縁があったってことかよ」
「だったら、何で最初に会った時に水月の巫女様の私を殺そうとしたのかな!?」
「私の時代ならともかく、今の世に刀を振り回す若い女を警戒して何が悪い。そなたが水月の者と名乗ってから攻撃を止めたであろう。しかも打ち身に良い特効薬を持ってきてやったのだぞ。それを何故、使わないのだ?」
「だから成分判らんもん、つけられないって言ってるだろ?」

 反魂の術を施した師・良玄の骨に身がつき人間の形を成してきた。
 永玄の唱える呪を聞くうちに、知玄は一瞬だけ思考を失い再び目覚めた時にはあの懐かしい―肉体を得た感覚を得た。
「兄様、これを」
 蘇った知玄に永玄は一振りの刀を捧げた。
「水月の巫女から我々に授けられた神刀―星眞丸です。『乗っ取りモノ』を粉砕することができます」
「これは、お前が水月の巫女から頂いた物ではないのか?おまえが持っていればよいではないか」
 永玄は笑いながら自分の腰の刀を指さした。
「私の分は、これ。星雲丸と申します。これは人間が使える刀だそうです」
 そして「星眞丸」を持ち直し鞘を抜こうとしてみせた。
 が、彼がどう力いっぱい両方を引き離そうとしようとしても抜けない。
「このとおり、私にはこの神刀は扱えません」
 再び差し出された神刀をオツは受け取った。
「人ではない者しか使いこなせない刀だと、巫女殿は仰っていました」
 オツの手により、するりと刀は鞘から抜け出し、その白銀に輝く姿を見せた。

「反魂の術の正しいやり方も、その巫女殿に教わったそうだ」
現在現役の水月神社の関係者の二人はしばし無言で顔を見合わせる。
「昔から、やり口が一緒なんだな、うちの神サン・・・」
 和男が肩をすくめる。
「どういうことですか?」
 尋ねるオツに美月が答える。
「そーやって、人に恩をお売りになったあげく、且つ御自分の持たれている神刀を、あちこちに配布されているのよ」
「まさか、そんな古い時代から頒布事業されてたとはね」

 その日から知玄の『乗っ取りモノ』達との闘いの日々が始まった。
 あらかじめ居場所を突き止めていた『還元の術』を取り行う術者の元に向った。
 目的は勿論、術の施行を金輪際止めさせる事であった。
 だが、相手側もそうやすやすとこちらの『お願い』を聞き入れてくれるわけがない。
 すでに、こちら側の情報も伝わっており完全武装して待ちかまえていた。
「師匠ごと殺したと思っていたのだがな」
 仕立てのいい着物をきた男前がニヤけながら知玄達を見下ろしてきた。
 知玄が初めて見つけた換魂済みの『乗っ取りモノ』が入り込んだ大店の子息が成長した男であった。
 こいつは短命の『乗っ取りモノ』には珍しく40代まで生きていたのだ。
「お前も俺達と同じ、か」
「お前と同じとは思われたくないな」
「いやいや、すまぬ。私は生きのいい生身の身体、お前は死んだ人間の身体を繋げた間に合わせの身体に『いる』んだよな、同じではないな。いや、同じにされては不愉快だ」
 破壊力の高そうな獲物を手にした大柄な男達に囲まれた『乗っ取りモノ』は嗤った。
「ここで、はっきり区別をつけようではないか。俺が『甲種』でお前が『乙種』だ」
「上等。私もお前達とは違うモノと認識して欲しかった所だ」
 知玄は刀を抜いた。
「それでは、今日から私は『オツ』と名乗ろう」

「それは、敵からつけられた名前をすんなり気にいってしまった・・・ということですね」
 死体の山を見やりながら、永玄は呟いた。
「師匠につけられた名で殺生をするのはな・・・」
 刀についた血を拭いながら「オツ」は言った。
「見事に、『乗っ取り者』いや、『甲種』本体まで粉砕している。さすがは水月の神刀だ」
 術者の屋敷にいた者達の総てが『換魂の術』で人間の身体に入り込んだ『乗っ取りモノ』―「甲種」であった。
「まさか、術者の身体まで『甲種』に乗っ取られていたとは・・・」
 屋敷の片隅で隠れるように身を縮め震えていた術者の魂がオツと永玄に何度も頭を下げている。
「天罰が当たったのです。折角、天が与えた能力(ちから)を金儲けの為に利用したからです」
「換魂の術を何度もやるうちに、甲種(やつ)達(ら)に段取りを覚えられたのだな」
「そして、『甲種』は、どんどん換魂の術を使って仲間を増やしていった・・・」
 気がつけば屋敷中、茫然と死してしまった我が身体を見つめている人間(ヒト)の魂だらけであった。

「あら?どうして越谷の教会の連中が白骨だらけだったんだろう?」
「貴奴は、死人の骨を用いる昔ながらの術『反魂の術』の使い手だからだ。死体を使った術で成功できるのは我々だけだ」
「どっちのやり方にしろ、そんな奴らがごまんといたから、あんたは何百年もお役目から降りられない、と」
 和男の言葉にオツは答えなかった。
「だけど、身体は?反魂の術で造った身体でも所詮は生物と構成は同じだから限界があるはずだよね?」
伸の質問にオツの顔が曇る。
「その通りです。折角、師の良玄から頂いた身体も『甲種』の刺客によって斬られて死なせてしまった。その後は、永玄が死後の自分の身体をくれた」
「また再生したのか・・・」
「その時の反魂の術の施行者は、どう用達したんだ?まさかセルフでやったとか・・・」
「転生した子供たちが、してくれた」
「転生した子供?」
「甲種に身体を乗っ取られた子供は、やがて転生していく。その中で永玄のように、前世の記憶が残っている子供が僅かながら存在する。その子が天命を全うした後に身体を私に与えてくれたり、反魂の術をやってくれるのだ」
「じゃ、もう誰も転生してこなければ?転生しても記憶が蘇らなければ?」
「それはそれ。『甲種』が滅びきったか人間にちょっかいを出さなくなった証拠。私は人間の形として、二度とこの世界に現れない」
 一息ついてオツは言った。
「それを願ってはいるのだが、そうはいかぬようだ」
「で、どうやって『甲種』を探し出すの?」
「『空(くう)』に書いてある。それを『読み』、『甲種』の今世の身体が命尽きた頃、貴奴を斬って消滅させる」
「アカシック・レコードのこと?お父さん、見たことある?」
 美月が和男に小声で確かめる。
「どうなんだろうな。俺は、そんなドエライものは読んだことねぇな」
 

 しばらく、誰も何も言葉がでなかった。

「私は、これで、おいとまする」
 オツは立ち上がった。
 落ち着いた状況で見ると意外と小柄な青年であることが解る。
「山根家に行くの?」
 オツは答えない。
「巫女殿。必ず薬を使いなさい。誠によく効くのだからな」
 オツの背中に美月は返した。
「あんたが持って行ったほうがいいかも」
 それでも彼の歩みは止まらない。
「生身の人間の力でロボットに勝てるわけないわよ」
「ならば、生身の人間の貴方方は尚更、来ないほうがいい。この後あちらから襲撃がなければ幸い。この件からは手を引かれよ」
「襲撃がないはずがないから、アンタ、ここに来たんでしょ?―ただのタイガー○―ム持ってきてまでさ。私達を無駄に怖がらせないように気を使ってくれたんだろうけど、この神社の連中は・・・」

 動く右手で美月は印を斬った。

 そして障子を突き破って飛んできた十六夜丸を掴む。
「それくらいのことでビビるタマじゃないのよ」

 障子の全てが部屋内へと勢いよく倒れてきた。
 四方から、見知らぬ若者が四人、飛び込んできた。

 その背後から偶然帰宅したところらしい圭が現れる。
「お前ら不法侵入だぞ!」
我が家に侵入してきた不審者に叫ぶ。
 歳の頃20代前半、いたって上品なセンスの身なりには似つかわしくない殺気満々の形相である。
「法律なんざ、通用しねえって」
 和男が『満月丸』を抜いて構えた。
「仕事から帰って来たばかりで悪いが、おまえはBL兄さんを援護しろ!」
 勤務時間外なので拳銃なんか持ち合わせているはずもなく、圭は伸を床の間に押しこみ前に立つしかない。
「結局、うちの神様が他宗教にふった仕事が還ってきたってことなんだ・・・」
 同じく神刀を抜いた美月の嘆きに和男が答える。
「宮司様である俺が、引き受けるとは一言も言ってないぞ」
「しかし、元々は山根家から依頼がきたのだろう?それは水月神社(あなた方)に縁づいたということではないのか」
 オツがとどめをさした。
「事業拡大しすぎ」
 細く高く大きい鼻がやけに目立つ青年が美月の十六夜丸の刀身を素手で掴んだ。
 ひるむことなく美月は一気に刀を引いたが、その手からは血の一滴も出なかった。
「試作機か・・・殺された?自殺?どっち?」
 早速、美月の胸の内で『鼻』と見たまんまの仇名をつけられた青年は上品ではあるが温かみのない頬笑みを浮かべ返答してきた。
「僕達は死んでいませんよ。失敬な」
「永遠の命を得ただけだよ、巫女さん」
 名付けて『ゆるパーマ』が次の鉄拳を美月目掛けて振るってくるのを、オツが刀で跳ね返した。そこへ和男が胴体へ鋼の刃を叩きつける。
 『ゆるパーマ』は背後で控えていた『濃い眉・丸顔』に激突し、共に後方へとブッ飛ばされた。
 『ゆるパーマ』と『丸顔』のダメージを確認する間もなく、残った『鼻』と『奥目』が美月の左手とオツの右手を引っ掴んだ。
「ああーーっ!」
 さすがの美月も負傷部位への攻撃に絶叫をあげる。

招霊機 「郭公」(中編)

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招霊機 「郭公」(中編)

中編です。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-03-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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