招霊機 「郭公」(前篇)
今回は反魂の術に纏わる話です。
プロローグ
とても充実した日々だったと思う。
僕は生まれつき身体が弱かった。
だけど僕は努力した。
学業に人付き合いに恋愛に仕事にベストを尽くした。(身体が弱いのでスポーツは出来なかったけど、そうでなければ得意だったと思う)
総て、上手にこなす事ができた。
いい学校に行き、いい友達に恵まれ、いい恋人もでき、いい仕事もした。
家庭もまあまあ。両親は離婚して別々に暮らしていたけど、僕は両方ともいい関係を築いていた。
なのに。
僕の身体は死んだ。
ダケド、僕ハ生キテイル。
1.
まさか、こんな真夜中、しかも土砂降りの雨の中を全力疾走するはめになるなんて孝雄は思ってもみなかった。
彼の背後には得体の知れない「何か」―「引力」とでも「重力の渦」とでも例えようか、姿のない巨大な「モノ」が、ここ数時間にわたって彼を追いかけてきている。
大きな雨粒が容赦なく全身の皮膚を打ちつける感覚も、走り続けたあげくの呼吸困難も、熱をもって火照る顔面の感覚も、ふらつく頭の中の恐怖も感じることもなく―。
(恨むぞ)
孝雄は母に毒づく。
今頃、彼女は、あの胡散臭い霊能者の言うがままに訳の分らぬ祈りを怪しい神に捧げているんだろう。
でなければ、背後の何かの塊が実際に存在して自分を追いかけているわけがない。
奴は孝雄を捕まえに来た「使い」なのだ。
捕まれば最後、彼は、あの「出来そこない」に入れられてしまうのだ。
(嫌だ、嫌だ)
ともすれば疲労の為に止まってしまいそうな両足を励ます為に彼は先刻、見てしまった光景を脳内でリピートした。
「大丈夫、あなたは死にはしないわ」
ある日、母は、すでに人工呼吸器で生命を繋いでいる状態の孝雄の耳元で囁いた。
(死にはしない、ってー)
生きることを終了させようとしている身体の中で孝雄は嫌悪の情がわき上がるのを感じた。
(まさか・・・)
母は異常であった。
我が子が死んでいくというのに涙も動揺も見せず、なにやら嬉しげにな様子である。
それは長年患ってきた孝雄の容体が悪化して医師に覚悟を決めてほしいと告げられた頃から始まった態度である。
(何考えてるんだ?)
その答えは、彼が死んでから明らかになった。
孝雄の身体を支配していた痛み苦しみが嘘のように消えたと同時に彼の視界に変化が現れた。
それまでの視界の全てであった部屋の天井の位置から部屋全体を見下ろしていたのである。
自分の身にどういうことが起こったのか把握した孝雄は冷静な気持ちで自分の死後に繰り広げられる光景を眺めていた。
(もう、この家の光景も見収めか)
彼は感慨深げに燃やされている自分の身体を見ていた。
父と母が呼ばれ、拾骨が始まった。
顔さえ突き合わせれば言い争いを始める両親も、この時ばかりは無言で息子の骨を拾い集め骨壷に入れていた。
孝雄のお骨は、親権のある母親に引き取られた。
父は何の挨拶もなく、今の彼の妻の元に帰っていった。
(もう、二度と会うこともないかな)
この世でたった一つの、母との絆の証しである自分がいなくなってしまったのだ。愛情もない女と進んで会うはずもない。
(お幸せに、父さん)
夫婦不仲でも息子は可愛がってくれた父の背中を一抹の寂しさを覚えながら見送る。
それにしても、だ。
(母さん、悲しくないの?)
息子の死に動揺している様子はあるものの、涙一つ落とさない母親に孝雄は一抹の不安を感じる。
感じながらも、その理由を彼は薄々と察知しつつある。
あのヒキガエル面の霊能者の言葉。
母はそいつを崇拝している。
「君は死にはしないよ」
物心ついた頃から、「死」は孝雄にとって身近な事象であった。
他の子供のように遊んだり学校に行ったりすることもできないくらい病弱な彼に「未来」の方がぴんとこなかった。
解っていた。
自分は長生きできない。
だが、父も母も現実を否定していた。
金を積んで手段を探せば不治の病の我が子を救える。
ひとつ屋根の下に住めないほど仲が悪いというのに、そういう考えだけは一致していた。
息子が着々と「死」を受けいれているというのに、もがきあがいた。
母親側の、その結果が、あの胡散臭い霊能者だ。
ドアがノックされ、そいつ―越路永世が入ってきた。
普段は渋い色の着物姿の彼が、今日は神主さんの恰好である。
(儀式?)
上から下まで白装束の彼のいでたちに孝雄に嫌な予感が湧きあがってきた。
ただ、孝雄の魂を慰めるためだけに奴が来たわけではないだろう。
孝雄の直感は当った。
永世の後に続いて巫女二人が敷物を広げた。
珍しい黒い毛氈。
漆黒の色がフローリングを覆い尽くす。
永世がつぶらな瞳で母に合図した。
(ええ?)
母の手が躊躇いもなく骨壷を包む布を解き始めたのだ。
『母さん、何してるの?大丈夫?しっかりしろよ!』
思わず母に話しかけるが、当然のこと死者の声が生きている者に届くわけがない。
何かに取りつかれたように母の骨壷から死んだ我が子の骨を取り出す作業が続く。
「ここが東京でよござんした」
永世の太く低い、どこか威圧感のある声が背後から聞こえる。
「地方によっては骨壷には一部の主要な骨しか入れないという習慣がありましてな。こちらとしては時には他人の骨をかき集めて儀式をしなくてはという時があるんですわ。その点、孝雄君は幸運です」
孝雄は振り向いた。
21歳の自分より小柄の太った中年男の口元が嗤っている。
「全部、自分の身体で蘇生できるから」
視ている。
その小さいあまりに黒目のみしか見えない両眼が、今、霊体の状態である自分を視ている。
存在を確認している。
永世の弟子だか助手だか分からない巫女達も母も、骨壷から取り出した孝雄の骨を、毛氈の上に並べることに没頭している。
『これって…』
「そうだよ、孝雄君」
永世が確かに孝雄の言葉に答えを返してきた。
「君は死なない。生き返るんだ」
霊能者の言葉に母が反応した。
「孝雄、いるの?」
上ずった声で宙を見渡す母。
「待っててね、今、生き返らせてあげるから!」
彼女の骨を並べる手が早くなる。
骨・蘇生。
『これって・・・』
「反魂の術」だ。
西行法師が友達欲しさに白骨から人間を作り上げたとかいう定番話の術だ。
『ちょ、ちょっと待って!』
聞こえていない事は重々解っていたが孝雄は母に叫んだ。
『それ、その術!止めて!』
「成功するんだよ、ワシなら」
霊体化した息子の声が聞こえない母の代わりに永世が笑いながら答えた。
『あんたに言ってない』
湧きあがる怒りに声が震える。
『僕は僕だ。他人にどうこうされるなんてまっぴら御免だ』
「おや」
永世が短く太い首を傾げた。
「覚えていないのかねぇ、この子は」
永世の言葉に母が反応した。
眉と目をこれ以上ないくらいに吊り上げている。
「孝雄、何が不満なの?」
(逃げよう!)
そんな身体の中に入りたくもない。
この場から離れれば、蘇生できないかもしれない。
孝雄は駈け出した。
予想と期待通りに、生きている人間のようにドアノブをひねることなく、壁を素通りして脱出することに成功した。
「お宅の息子さん、逃げましたな」
孝雄の母、山根奈津子の瞳孔が揺れた。
「先生、準備できました」
黒袴の巫女姿の若いくせに生気のない顔の助手の背後で、完成した孝雄の骨が黒い毛氈の上で母親と共に、その時を待っている。
「ご心配なく、お母さん。これから予定通り術を施行します。ならば術によって孝雄の魂が引かれて帰ってきます」
背景の黒色に浮かびあがる成人男子の骨の元に永世は歩み寄った。
その神社に辿り着くには、うんざりするほどの数の階段を登りきらなければならなかった。
まだ40歳代半ばの自分ならなんとか登りきれるものの、お連れの初老の男の息がすでに荒くなり前かがみの姿勢で足取りも重くなってきつつある。
すでに階段を挟む見事な森の木々が放つ清々しい空気や芳香を味わう余裕が失せてしまったようだ。
ともすれば歩みが遅くなる彼らを、若い参拝客達がどんどん抜かしていく。
彼―山根俊哉は彼―秘書を待つ為に立ち止まり、ゴールの鳥居を見上げる。
「昔なら、こんな、階段、何の苦も無く登れたのですが・・・」
やっとのこと追いついた秘書が息を切らせつつ苦笑いする。
一応、秘書という肩書はついているのだが、小林は山根家の執事的存在で俊哉とその一人息子の孝雄の世話を幼少のころから引き受けてきた人物だ。
「歳には勝てないか、小林さんも」
小林は、多分無理矢理にだろうが背筋を伸ばし大きく深呼吸した。
「いや、もうひと頑張りしないと・・・もう、大丈夫です。行きましょう。お待たせしました」
「ああ・・・」
休憩が効いたのか前半よりも早いペースで長い階段を登り終え、二人は鳥居に掲げられた を見上げた。
には「水月神社」と書かれている。
「ここが、ゴーストバスター神社・・・」
いい歳の男が陳腐な響きの台詞を吐きだした。
「もっと怪しい雰囲気の神社かなと期待していたんだけどな」
どちらかといえば小高い丘だと表現したくなるくらいの山の中央にその神社は鎮座していた。
正月に参拝客の多さでテレビ中継されるような規模ではないのだが、真正面の本殿に社務所、敷き詰められた砂利に手入れと清掃が行き届いている。それら総てが清潔で静謐な山と鎮守の森に内包されており、決して憶測していたおどろおどろしい怪しさ満点の施設ではなかった。
緊張気味の表情で鳥居をくぐった二人を、神社の清い気が迎えてくれた。
汗ばんだ身体を気持ちよく冷やしてくれる。
二人は身体を伸ばし、綺麗な空気を思い切り肺に吸入した。
「ようこそ、お参りを」
両人の背後から女性の声が聞こえた。
しっかりした調子の、低いが透き通った声。
背後に箒を手にした若い巫女が彼らを見つめていた。
美少女である。
「2時からご予約頂いた山根様ですね。お待ちしておりました」
(・・・この子がこの神社の跡取りか)
少女の素性を俊哉は見当をつけた。
水月美月。十七歳。宮司・水月和男の養女で家業の跡取りである。
和男には実子の長男・圭がいるが、彼には霊能力がないため彼女が後を継ぐことになったようだ。
これらは事前に探偵を寄こして調べさせて得た情報の一つだ。
口コミで評判の高い霊能者とはいえ、一応疑ってみても慎重すぎはしない。
美月の説明に沿って、俊哉と小林は手水を取り拝殿にお参りしてから、宮司一家が居住しているらしき家屋に案内された。
「息子を解放してやって欲しいんです」
閑静な和室に宮司、巫女が揃ったところで客人は開口一番に依頼の内容を告げてきた。
時効の挨拶も世間話もない、それは彼―山根俊哉が切羽詰まっている証拠である。
もっとも、この神社はギリギリに追い詰められた人間しかやってこないので2人は、そんな話の展開に慣れていた。
「私には跡取り息子がいまして・・・いや、いました」
彼の横にかしこまっていた初老の小奇麗な男性―山根社長の子供の頃からの爺や的な人物で小林と名乗ったーが鞄から写真を取り出して差し出してきた。
写真には、細っこい圭ぐらいの年齢の青年がスーツ姿で映っていた。
少し長めの間が開いた。
小林がちらと山根に視線をやり、彼の代わりに説明をした。
「孝雄様は幼少のころから体が弱く入退院を繰り返しておりまして、それでも会社の経営の補佐などご立派にこなしておられたのですが・・・2週間前にお亡くなりになられました」
山根社長は膝に両手をついて俯いていた。
子供を亡くしたのだ。
その絶望感は言葉では言い表せないほど深く強い。
2人は促すこともせず、次の彼の言葉を待った。
またもやの長めの間のあと大きく息をつき、社長は吐き捨てるように言葉を放った。
「だけど、まだ息子は生きている。いや、生きているということになっているんです」
三度目の沈黙の後、山根社長はふふふっと笑った。
「・・・訳が解らないでしょうね」
「いえ、お話を続けて下さい」
宮司が真顔で続きを促してきた。
希有な話には慣れているのだろう。
彼の娘も眉一つ動かさない。
胸の隅で恐れていた門前払いを免れた安心感からだろうか。
山根社長の話のピッチが上がってきた。
「息子は今、離婚した妻の元にいます・・・だけど、あれでは生きているという状態ではない」
「なにやらややこしい表現をされますが、息子さんは亡くなってはおられない、ということですか?」
「いえ、確かに孝雄様はお亡くなりになりました。葬式も出して納骨もいたしました」
「その納骨の時、油断していました・・・お骨を妻に渡してしまった」
山根社長の膝の上で拳が握りしめられた。
「妻は妙な宗教にはまっていて、その教主は死んだ人間を生き返らせることができるというのです」
「どのような方法で」
普通なら、この人頭がどうかなってるんじゃないかと疑われて当たり前の内容を、失笑一つも顔に浮かべず宮司は質問を続けてきた。
「反魂の術、、という人骨を繋ぎ合せて魂を入れるという術らしいのです。私は最初は全く信じていなくて妻の愚行を無視していたのですが・・・」
小林が社長の目配せを読んでタブレットを鞄から取り出し開いた。
「彼女とは親権をめぐって争っていましたので何かと探偵に調べさせていました。これは、その探偵が偶然撮ることができた映像です」
神社側の3人はタブレットの画面を上半身を乗り出して覗き込んだ。
日付は五月十六日。
御子息の孝雄が亡くなった一週間後だ。
木々に囲まれた2階建の白い家。
いかにも建築家にデザインさせましたと主張しているモダンでシンプルな箱的な形をしている。
画面が変わり、人の上半身が見えるくらいの窓が映る。
まずは吊りあがった目が特徴の綺麗な中年女性が姿を見せた。
「元妻の奈津子です」
女性の手は後方に差し伸べられ、視線は彼女の後からやってくる人物に向けられていた。
音声は入っていない。
だが、山根社長の元妻・奈津子の唇が動いているところを見ると何度も何度も後からやってくるべき人物に呼びかけているようである。
奈津子の口の動きが大きく激しくなった時、その人物がようやく姿を現した。
先程、写真で見せられた山根孝雄である。
天晴な、と言いたくなるほどからっぽな表情であった。
あんぐりと口を開け涎を垂らし、上半身を大きく前後左右に揺らし、大きな音―母の叱咤に近い声に寄せつけられているだけ。
「父親の私がこう言うのも何ですが、生きている頃はとても賢い子でした。会社の業務のことも深く理解していて社長の私が助言を仰ぐぐらいで・・・親の口からこう言うのもなんですが神童とはこのことかと思っていました。それが・・・こんな・・・」
社長の横の小林も俯いてつらそうであった。
「で、どのようにされたいのですか?」
宮司が確認した。
「孝雄の魂を解放したいのです」
「術者の名前は」
「越谷永世という男です」
「反魂の術か」
山根社長達が帰った後、すっかりぬるくなった茶をすすりながら宮司・和男が呟いた。
「反魂の術なんてロクなモノじゃねぇ。日霊協でも御法度扱いだ」
日霊協とは、日本霊媒協会の略で和男はそこで副理事の役職についている。
美月は客人の座布団を収容しつつ宮司の見解に耳を傾けていた。
「本人らしいモノが起きて動いて運が良けりゃ喋った―その時点じゃ遺族も大喜びだけど、それも長続きはしない。最終(しまい)には身体も魂も腐り落ちる。かえって残酷な術だ」
「・・・依頼、受けるの?それって放っていても依頼主の要求は叶うってことだし、なんか、あの社長胡散臭いわよ」
「ああ。何で元・嫁さんが反魂の術やってることを掴もうと探偵に盗撮させてる事自体、一般人ではない不自然な発想だよな。だがお前さんの学費の足しになりゃ、とーさん助かる」
娘を和男はにんまり笑って見やる。
「じゃ、Jにメールしてくれ。奴さんに山根孝雄の霊体を収容して貰おう」
「それには及ばないわよ。私が行く」
「おやおや」
「相手が巨大容量の霊体(ビッグファット)でなければJを呼ぶ必要なんてないと思う・・・なんだか本人も水月には来たくないみたいだし・・・」
あの蟲毒事件から水月家はJの保証人となり、Jは霊媒としての業務を依頼を受けた時だけ永野リサイクルから「出勤」するというスタイルを取っている。
ロボット的な立ち振る舞いで「業務」を済ませると、世間話すらせずにそそくさと帰ってしまう。
元・家族と生活し、そして元・家族が殺害された場所に、元・家族でない人間といるのは気分が良くないのだろうな・・・それは美月のせいではないのだが何だか罪悪感を感じてしまう。
「大体、あの人に頼ってばっかりで、私の霊媒としての力が落ちても叶わないし」
「跡取りがそうなりゃ困るわな」
和男が、よっこらしょと立ち上がった。
「じゃ、お父さんは、日霊協の副理事として越谷のところに厳重注意しに行くわ。大人は大人の仕事をしに行かせてもらおうか」
(でも、これって、普通の子供は、やらない仕事だよね・・・)
片腕に花束を抱えた美月は、高級住宅街のド真ん中の駅でバスを降りた。
山根社長から渡された地図を見ながら目的地へと向かう。
予想どおり少し迷って目的地の白い家―山根奈津子と息子・孝雄が住んでいる家に到着した。
一呼吸おいてチャイムを鳴らす。
『はい』
女の声。
「あの、山根さんのお見舞いに来たんですが」
いつもより、多少可愛い声で美月は答えた。
インターホンの向こうが沈黙した。
『・・・誰ですか?あなた』
山根奈津子の返答に美月は腹の底で毒づく。
(外社会とは接触させないつもりか。一生、その子を隠し通そうって了見なんだわ)
ここで負けてはいけない。
「私、知ってます。孝雄さんが生きていることを。私、孝雄君の彼女なんです!」
切られないうちに美月は急いでとんでもない嘘を近所にも聞こえるであろう大声であげつらねた。
間をおいて返事が来た。
『・・・山根に頼まれて来たわね』
インターホン越しでもそうと解る、喰いしばった歯の隙間から洩れた声であった。
「私は水月神社の宮司の命で参りました。お母さん、話を聞いて頂けますか」
自分よりもずっと年上の女性よりも落ち着いた声で美月は告げた。
ドアを開けたのは、聞いている年齢よりもずっと若く見えるミセス雑誌のモデルさながらのすらっとした綺麗な女性だった。
望まぬ来客の為に、幾分が顔色が青く、きつい目つきで高校生の小娘を観察してきていた。
「子供が下品な嘘をつくものじゃないわ」
美月は自分の家よりも倍の広さの応接間に通され、家にはない高級応接間セットの皮のソファに腰をかけた。
「どうしても聞いて頂きたいお話がありますので」
美月は、装飾を尽くされているテーブルを挟んで座っている山根奈津子に答えた。
彼女の横には山根孝雄らしき人物が座っている。
孝雄の視線は落ち着きなく宙をうろうろと見やっている。
口元はだらしなくへの字に開かれ端から次々と涎が垂れ落ちて彼のパジャマの膝を濡らしていた。
「山根さん」
美月は彼の名を呼んだ。
が、彼の眼球すらこちらに向かない。
「呼んでも無駄よ」
息子を見やる奈津子の横顔は疲労でやつれ果てていた。
「誰が誰だか解っていないのよ。何も解っていない」
孝雄が立ち上がりフラフラと歩いて洋風のクロスの貼られている壁に額をあてて静止した。
「一日中、ああしている」
「そりゃそうでしょう」
持ってきた花束をテーブルの上に置いて美月は言った。
「あの身体に適合しなかったのよ」
しっかりメイクされた奈津子の眼が大きく見開いてこちらに向いた。
「適合?」
ルージュが艶やかに光る唇の端が激しく震えている。
「そんなわけがないわよ。私は確かにあの子の骨を繋ぎ合せて先生に蘇らせてもらったのよ!」
「やっぱり」
美月は溜息をついた。
「反魂の術を使っちゃったんだ」
遥か年下の少女に自分のやらかしたことを言いあてられ奈津子は言葉を失くした。
「お母さん」
水月神社からの使いだと名乗る少女の黒く綺麗な瞳が、こちらをじっと見つめてきている。
「ひとつの魂には一度きりの一つの身体。そのように神代の昔から決まっています。終りを迎えた体に無理やり魂を押し込めても、免疫不適合みたいなことが起こって、そのうち魂ごと腐ります」
胸の内で絶望の感情しか引き起こさない真実に次に発する言葉が浮かばない奈津子。
顔を覆う髪の毛で表情は読み取れないが、美月には彼女の胸の内はお見通しであった。
「嘘・・・嘘だわ。だって今までうまくやってきたのよ?」
我が子を怪しさ満載の術で蘇らせようという強固な意志の元で金と労力を使った人だ。すんなり言うことを聞いてくれるとは思えない。
「・・・孝雄を、どうするつもりなの?」
奈津子が顔を上げた。
髪の毛の間から覗く眼が異様な光を放っている。
「斬ります。造りモノの身体から解放しないと孝雄さんの魂は救われない」
訪問者はソファから立ち上がってた。
その小さな指の長い綺麗な形の手が、印を斬り始めた。
「やめて!」
少女が何をしようとしているのか悟った奈津子は叫んだ。
「いいえ。孝雄さんの魂が化け物になりつつある。今、解放してあげないと魂の形が歪みます」
「そんなことさせないわ!警察呼ぶわよ!」
「死人を斬った人間を罪に問うことができるというなら、どうぞ。孝雄さんは斬ったとたんに元の骨に戻ります。警察にやかましいことを言われるのは人骨を丸ごと一人分も家に保管しているオバサンの方です」
奈津子は孝雄の傍に駆け寄り息子を抱き寄せた。
「あんた、何が目的?山根から貰う金?私も出すわよ、いくらか言いなさいよっ」
どんどんヒステリックにトーンを上げていく奈津美の声とは対照的に、美月の声は静かに低くとおった。
「目的は、孝雄さんの魂の名誉を守ることです」
奈津子はベソをかきながら床に膝をついた。
母の身体の動きにひきづられ孝雄も膝を折り床に座っていく。
さっきとはうって変って聞こえてくるか細い声。
「・・・あんた、まだ身内を亡くしたことないでしょ?それがどんな気持ちになるか何ひとつ知らないでしょ?」
「あります」
「え?」
「私の母は、私が8歳の時に死にました」
奈津子は顔を上げて少女がどんな顔をして身内の死を話しているのか窺った。
凍りつくくらい冷静な無表情な顔つきだった。
「じゃ・・・生き返って欲しいとは思わなかったの、あんたは」
「彼女の魂は粉砕されました。こんな風に再生できません」
理解できない、奈津子は胸の内で呟いた。
魂が粉砕だって?物質ではない魂が壊れるだの再生だの彼女の知っている常識の範囲を超えた単語を真顔で、この少女はぶっ放している。
「お願いだから解るように話して。粉砕とか再生とか何のことなのよ。それがどうして孝雄を斬るって話になるのよ」
ただ母親の懐に頭をうずめ込んでいるだけの息子を抱きしめる奈津子の声が次第に弱って震えていく。
「山根孝雄さん」
刀が片手から両手に握り替えられた。
「大人しく出てきたら許してあげます」
奈津子を見上げた孝雄の両眼球が眼窩から飛び出して床に落ちた。
孝雄は眼球のない真っ黒な空洞で美月と母親を交互に見やり、嗤った。
美月は再び印を斬り、最期に右手を突き出した。
瞬時に神刀「十六夜丸」が彼女の手に握られていた。
「ひっ・・・」
悲鳴が声にならない。
我が腕の中の我が子の体に急激な変化が現れていた。
全身の皮膚が沸騰した水面のように激しく凹凸し始め、指先や鼻先という身体の先端部分が丸く球体状にどんどん大きく膨れていく。
「やめてやめてやめて、お願いします、止めて下さい!」
大きな風船と化していく現象を進行させまいと息子を抱きしめる奈津子は美月に懇願してきた。
「息子さんがこうなったのも、おばさんのせいです」
もう、孝雄の体は人間の原型を留めてはいなかった。
空気の入りそこなったくたくたの巨大な人の皮の風船が奈津子の腕の中でグニャグニャと身体をうねらせている。
「離れて!」
孝雄の皮膚が奈津子の体に纏わりつき始めたのを見て美月は叫んだ。
一体化されては人間である奈津子まで斬ってしまうことになる。一般常識からして、それはとてもまずい。
しかし、息子の変化にパニックに陥った奈津子の耳に警告は届かない。
「やめて、斬らないで・・・やめてやめて・・・」
視点の定まらない虚ろな目をして矛盾したことを呟いているだけである。
美月は奈津子の腕を掴んで引っ張った。
「いやー!」
だが、彼女は掴まれていない自由な手で化け物の皮を掴んで離さない。
だが、そのお陰で孝雄の皮膚が伸びきった。
美月は神刀を握りしめた右手を振り下ろした。
刃が突き当たったと同時に、化け物の皮がスライムのような粘液状と化した。
液体を切断することなく、十六夜丸は「山根孝雄」を通過する。
「う!」
液状の表面に孝雄の口や鼻や耳や爪、体毛―人間の表面に見えるパーツが元の位置から遠く離れて漂っている。
液体の塊は表面に不規則で不揃いのさざ波をたてつつ、奈津子と美月の方向へと伸びあがってきた。
そんな息子の変貌にさすがに唖然とした奈津子を引き剥がし壁に叩きつけ美月は叫んだ。
「早く、避難して!」
したたかに肩を打ちつけた奈津子は正気に戻り悲鳴をあげる。
・・・うぉかぁさぁ・・・
天井まで伸びた動く液体の塊は音声を発した。
それに奈津子が反応する。
「おかあさん・・・?」
・・・うぉおかあぁさああ・・・
「・・・孝雄?」
液体柱の中心に不正確に顔のパーツが集まり、孝雄の顔を形成しようとする。
不器用に人間の腕を形作ったくすんだ肌色の触手が二本、奈津美の方へと伸ばされて来た。
「孝雄!」
それでも奈津美は指の並ぶ順番が出鱈目な化け物の手をとろうとしている。
「駄目!」
水月の巫女の怒声が奈津子の鼓膜に突き刺さった。
(おいおい、これ何だ?異常な転生をしようとした結果(報い)か?こんなの、私のアストラル体に『収容』できないって)
低い姿勢で刀を構え美月は唸った。
「化け物、こっちこっち!」
肌色のぶよぶよ柱の先端が美月の方向に急旋回した。
(よし!)
奴の意識を奈津子から逸らせることができた。
あとは叩き斬るだけ、奴を粉砕する。
化け物の先端がすぐ目の前にきた。
予想通りにそこには何の顔もない。
美月は全力を込めて十六夜丸の刃を叩きつけた。
じゃりっという音と共に、異様な手ごたえが返ってきた。
美月の胸にちらりと不安がよぎる。
これは霊体を斬った手ごたえではない。
この世のどこにでも存在する物質の感触である。
皮膚風船の切り口から無数の骨が噴出し、その全てが美月の全身を打ちつけた。
「うわあっ!」
美月は激しく後悔する。
(油断した、反魂の術には人の骨を使うんだった)
全身くまなく発生した打撲痛に意識が薄れる。
脱力した手から神刀・十六夜丸が離れて床に落ちた。
「儲けてまんなぁ。こんな家建てられるなら、俺も蘇生術やろっかな」
運転席から見える立派な日本邸宅を目にして水月神社宮司、水月和男は呟いた。
「・・・いや、止めた方がいっか」
儲かる(らしい)他宗教、『越谷創生会』の前に停車する複数のタクシーと群がるヤジ馬達が目に入り、和男の顔に苦み走った笑みが生じる。
「何かあったんっすか?」
車を止め、野次馬の一人に声をかけた。
和男の薄っぺらい口調に、同類の野次馬だろうと思ったのだろう。初老の男はすんなり情報を提供してくれた。
「殺されたらしいよ、皆」
「皆?」
「教主ごと。怖いねえ」
「参ったなあ」
頭を掻き掻き和男は車に戻った。
「入れるわけがねぇな」
運転席で目を閉じ、大きく息をついた―正確には呼吸を整えた。
「さて。誰から呼び出そうかな―」
その惨劇は豪華な造りの玄関先から始まっていた。
圭の所属する本署捜査一課の一行は巡査達の案内で奥に進んでいく。
「教会からの大勢の悲鳴に近所の方が聞かれて通報されました」
近くの交番の巡査が説明する。
それきり、であった。
それまで細かく事件発見当初の説明をしていた二人の巡査たちは不自然な沈黙を始めた。
(どうしたんだろ?)
周囲の観察をしながら圭は思った。
怪しさ満点の『越谷創生会』。
所々に飾られた、高価そうな壺は彫刻は廊下の壁は絨毯は血に汚れていた。
それこそ血液の付着していない場所はないというぐらいにどこもかしこも赤く染まっていた。
だが。
「ここで、第二の被害者達を発見しました」
「同時刻、死亡を確認」
巡査の報告に本署の一行は首を突き出した。
「・・・え?」
『生身』の死体が、どこにもない。
あるのは20人近くの白骨だけ。
全員、禰宜や巫女達の装束を身に纏い床に倒れている。
斬られて出血して死亡したというのなら人間の肉体が倒れているのが正解だというのに。
殺されて瞬時に白骨化したんだなんて冗談にも言えない。
無理に推理をひねりだすとすれば何らかの薬品処理をされて肉が溶かされたとか。だが、それなら着ている装束が真っ先に消えてなくなるはずだ。
「皆、犯人と格闘したようだな」
床には日本刀から槍から、あげくには銃器類などあらゆる戦闘道具が散らばっていた。
「しかし・・・何でこんなもんがここにあるんだ?」
「物騒な宗教団体ですね」
首をふりふり圭は唸る。
「教主はどうなったんだ?」
もっと奥の部屋の方へと進む。
彼は、一番奥の一番豪華な装飾の施された部屋の中央のデスクにいた。
携帯を握りしめて机上に上半身だけをもたれさせうつ伏せに倒れている教主の越谷永世の亡骸と見られる白骨死体。
「奇妙、だ」
車中で和男は呟いた。
圭の携帯の呼び出し音が鳴った。
「はい、水月です」
『お、圭。お前、今、『越谷創生会』に捜査来てない?』
一般社会にて生業している時間帯では相手にしたくない父親(やつ)からだ。
「お客様のかけられた電話番号は」
『俺、今そこの家の前にいるんだがな』
「現在使われておりません」
『霊査してみたら、この教会内に幽霊がいないんだよ』
「だから、何」
しまった。つられた。
異常な現場状況を目の当たりにしてしまった直後のもやもやした心理状態の敗北だ。
二十九年間、霊感無しでやってきた感覚では父の言葉が理解出来ない事がある。もう慣れきったことではあるが、刑事の仕事の最中のこれは正直難儀だ。
「殺人現場に幽霊がいようがいるまいが捜査に関係ないの」
仕事仲間から急いで距離を取りながら声をひそめて父親の相手を続けた。
「親父だって解ってるだろ?いくらその情報が正しくても通常の世界では通用しない」
だから、その見解はこの世に存在しないのと同様である。
『それだよ。霊魂がいるかいないか、だ』
圭の主張は無視して父は話を続ける。
『人間、誰でも殺されちゃ無念でしかたないだろ。簡単には成仏しないで、その場に留まっているのが常識だ。だのに、ここに殺された人間の誰一人としていない。奇妙な話じゃないか。だから、現場で異常事態が発生してんじゃないかと思ったんだよ』
(そこは正解だよ・・・)
今更、父親の能力に寒気を感じる。
「はいはい」
背後に同僚達が近づいてくる気配を感じ、圭は話を止めた。
「そういうことは家に帰ってからやるよ。それ、そのまま置いといて」
『はいはい』
自分の言いたい事を伝えられたからか、やっとこさ一般常識レベルの空気読みをしてくれた。
『じゃ、俺、一旦、帰るわ。御使いに寄越した跡取りの無事を確認しなきゃならん』
「美月を?」
『越谷邸で殺人が起きたんだ。依頼人関係でも何か起きている可能性があるんでな、じゃ』
「いや、何?訳解んないんだけど・・・」
一方的に切れた。
(何か知らんが、あの荒くれ巫女を何の用事で御使いにだしたんだ?そもそも、なんで親父ここに来てたんだ?)
携帯を胸ポケットに入れ直す圭の頭にどんどん疑問がどんどん嫌な予感と共に浮かんでくる。
(どうせ、ロクなことじゃないに決まってるんだよな)
美月の身体・魂は『異常な転生によって変質したと思われる山根孝雄の霊体』によってがんじがらめに締めつけられていた。
呼吸困難と全身の痛みでともすれば消失してしまいそうな意識を根性だけで叩き起こし、美月は足を踏ん張り立ち続けた。
(ここで殺されるなんて、ありえない!)
歯を食いしばり全身の力を右手に集中させる。
自分の指の筋肉と関節が動いた感覚。
(動け!)
根性をふりしぼり指先だけで印をきる。
(十六夜丸、来い!)
床に転がっていた刀が浮き上がった。
空を切りさいて美月を包みこんでいる孝雄の霊体にその尖りきった刃先を突き刺した。
(うわ!)
とたんに美月の全身に不快な震動が伝わってくる。
神刀によるダメージを受けた『孝雄の霊体』の悲鳴のようだ。
内臓・脳味噌を襲う痺れに似た気持ち悪さをこらえ、美月はやや自由の戻った身体を左右前後に全力で揺らした。
だが、脱出できない。
とても手足を動かせるような段階にまで至れない。
美月の指先が印を切り続けた。
(もっと、突き刺され!)
忠実に十六夜丸が美月の指示通りに仕事をしているのであろう、『孝雄の霊体』の震動が激しくなり、弱まった。
(くたばったか?)
安心と期待の入り混じる感情で美月は自分の身体が解放されるのを待った。
「ぐわ!」
首が意思に反する外部の力によって前方に押された。
髪が前に垂れ下がり、細くて白いうなじが露わになる。
(しまった!)
『孝雄の霊体』が意図する事を読んだ美月の胸に恐怖感が湧きあがる。
(首を折るか!)
首筋からうなじ、脊髄へと激しい痛みが伝わっていく。
視界と意識が薄れていく。
我が身体から呼吸困難と吐き気の感覚が消えた。
そんな彼女の耳に孝雄ではない男の声が入ってきた。
「逃がしたか・・・?」
美月は眼を開けた。
視界は確かに存在していた。
自分が生きて自由に呼吸して外界を見渡す事が出来る事を確認した。
「・・・・!」
美月の目の前に墨衣の若い僧侶が仁王立ちに立っていた。
細い。
とても細い目だ。
その片手には刀が握りしめられている。
『孝雄の霊体』から美月を救い出す為に壮絶な戦闘を繰り広げられたことが、僧侶の休みなく上下する両肩が証明している。
「・・・ありがとう・・・ございます」
彼が誰で何が目的か皆目解らないが、咳き込みながら美月は礼を言う。
だが僧侶の切れ長の眼は山根孝雄の母・奈津子を凝視していた。
奈津子は息子の遺骨が散乱した部屋の真ん中で震えていた。
彼女が動揺しているのは、孝雄の骨がバラバラになってしまったことだ。
「たかおー!」
奈津子は泣き叫びつつ亡き子の骨を掻き集め始めた。
「もう一度、先生にお願いして生き返らせてあげるからねー」
奈津子の息は激しく乱れ、骨を拾う指先は震え、暑くもないのに額からぼたぼたと汗が滴り落ちていく。
「・・・っあっ!」
摘まみあげた孝雄の骨がボロッと崩れた。
「え?え?」
新たに胸に湧き上がる焦燥感と嫌な予感を押さえないきれないままに、他の骨を掴む。
さっき掴んだ骨よりも大きさのあるそれは無残にも崩れて白い砂状となり、鮮やかな蒼色のペルシャ絨毯の表面に散らばる。
「嘘、嘘!」
触れる骨という骨が崩れて砂となっていく。
「これじゃ、再生できない・・・」
奈津子は携帯を掴んだ。
呼び出し音が何度も鳴るが相手は出てこない。
「こ、越谷先生・・・!」
震え声のトーンが上がる奈津子の耳に、水月神社の巫女のものではない声が飛び込んできた。
「越谷永世は成敗した。もう反魂の術はできない」
すぐ目の前に若い僧侶が刀を手に立っていた。
「ご子息のことは諦められよ」
奈津子は当然のように反射的に返事を返した。
「あんた達なんかに指図されないわよ!」
「これでもか」
喉元に刀の刃先が突き付けられる。
「命を大切にされよ」
だが、奈津子からは恐怖の感情は欠片も湧きあがらなかった。
「孝雄がいない世界に生きていても仕方がないわ」
「では、その望み叶えて差し上げよう」
僧侶は刀を振り上げた。
美月は急いで床に落ちている十六夜丸を掴んだ。
「てめえっ!」
振り下ろした僧侶の刀剣を、十六夜丸が受け止めた。
「命を大事になさい。邪魔をする者は神に仕える巫女といえど斬る」
静かな、異世界から聞こえる様な声であったが、しっかり力を込めて刃を押しつけてくる。
「『反魂の術』を施行する者は征伐を加えられて当然」
「あんた、何様で何の用事なの?」
「私の名前は『オツ』。『コウシュ』の魂の消滅こそが我が目的」
「『こうしゅ』?なにそれ?」
オツが美月の腹部を蹴飛ばした。
「う!」
蹴り飛ばされた美月は転がって壁に激突した。
「警察が来ないうちにこの場から離れなさい。そして、何もかも忘れて神に仕える生活に戻りなさい」
オツは背中を向け再び怯えきって口もきけなくなっている奈津子に刀を向けた。
どごっ!
「うぐ!」
オツの背部ど真ん中に痛みが生じた。
後ろから聞こえる少女の声。
「忘れられるわけない」
さらに彼の背中を蹴りつけた足底をぐりぐりと押しつけてくる。
「目の前の殺人を阻止できずに爽快にお勤めできるわけがない」
「それはあなたが修行不足だということと、命ある有難味を理解できていない証拠だ」
オツが振り向いた。
「インチキ坊主!」
撃ちこまれたオツの攻撃を十六夜丸の刀身が跳ね返した。
「人殺しのくせに、生命尊厳の説教するんじゃねーよ!」
今度は速攻で勝負をつけてやる―美月は目にも止まらぬ速さで刀を打ちこむ。
「あなたこそ、インチキ巫女だ」
一方のオツは涼しい顔で右手だけで彼女の反撃を防いでいる。
「言葉使いが悪い。巫女というのに言霊の意味を理解していないのか。私の知っている巫女とは違う」
オツの左手が刀の柄にかけられた。
「う!」
今度はオツの刀が高速で打ちこまれて来た。
(異常に強い!)
さっきから続く信じられない勝負の傾向に美月は愕然とする。
普段から義兄の圭と剣道の稽古をしているのは、男子との実戦を想定した上でのことである。そんじょそこらの男子の有段者にも負けない程の自分が圧倒的に劣勢なのは非情に悔しい。
「あなたは私には勝てない。なぜなら、あなたは本気で私を殺そうとは思ってないからだ」
切れ長のオツの眼が美月を見下ろしている。
「私は違う」
オツは予告もなく、刀を後方に引いた。
「あっ!」
それまでの力勝負の均衡が崩れ、美月はバランスを崩してよろめいてしまう。
「あなたは言わばただの通りすがり。運が悪かった」
引いた刀を翻しながらオツは呟く。
「せめて幽界に魂が還れるようにしてあげよう」
前のめりにつんのめる美月の後頭部めがけて刀が振り下ろされた。
キンッー。
高い金属音。
同時に美月の後頭部、続いて額に激突の感触と痛みが発生した。
「ぐっ・・・」
後ろ頭と額に手をあてて、転げ回る美月。
だけど、生きている。意識もある。
その理由を知るべく必死で両眼を開く。
「ん?」
まず視界に飛び込んできたのは、銀色の人の形をした物体。
そいつは刀を構えたままのオツと対峙した位置にいる。
「何者かは知らないが、邪魔をすれば斬る」
多分、こういうことが起こったのだと推察される。
まずは、オツの刀からの防御の際に試作機の肘が美月の後頭部に直撃した。
次には慣性の法則で額が床に激突した。
結果、鋼鉄の腕に殴られ、フローリングの床に激突という憂き目にあった美月を二重の疼痛が襲っているのだ。
(招霊機?J?)
正直、ホッとした。
だが、何故だ?
タイミングが良すぎる。
何故この時点で助けに参上できたのだ。
しかも、何故かご丁寧にオリジナル・フォーミングの姿で現れているのがなんとも不自然極まりない。
(まさか)
美月は自分の仮説にぎくりとした。
(これは・・・Jじゃない)
「先程の一太刀では破壊できなかったか」
オツが冷ややかな、しかし充分に威圧感のある口調で銀色ロボットに命じた。
「お前が取り込んでいる『コウシュ』の魂をよこしなさい」
彼の視線の先で男の叫び声があがった。
「僕だ!これ、僕の身体だ!すごいよ、このロボット、僕の身体を作ってくれた!」
それまで部屋の隅で震えているだけであった奈津子が、歓喜の声をあげながら息子へと膝で這い寄った。
「孝雄!」
「母さん」
孝雄は横目で母親を見下ろしながら微笑んだ。
「何で、こんな死人の骨を使うような術者を選んだの?前は違ったよね」
「前の術の先生は亡くなっていたのよ・・・やっと見つけたのが越谷先生だったの。それに・・・」
「それに?」
「母さん、孝雄は孝雄の元いた身体で蘇ってほしかったの」
「・・・でも、この術の適応は完全に失敗だったね。僕には合っていないんだ」
冷気が宿った息子の目に言葉を失う奈津子。
「ま、話は後で。母さんは、お部屋で待っててね」
招霊機、いや試作機で『再現』された「山根孝雄」が優しい口調で命じるまま、母親は別室へと退散する。
招霊機―いや、明らかにJの嫌悪する『試作機』に『再生』された『山根孝雄』は細目の僧に向き直った。
「お前、僕の事を『コウシュ』と呼んだね・・・僕らをそう呼ぶのは『オツシュ』とその仲間達だけだ」
「だから、何?それ。どっちもえげつないじゃない」
半分は美月の唸りに答えるかのように、孝雄は細めの僧を指さしながら宣告した。
「『オツシュ』らの目的は僕達を消滅させる事。ならば、僕らのやるべき事はソイツらを消滅させる事、のみだ」
「しかし、おまえ歳とらないなぁ」
リサイクルショップ永野への訪問者は出されたコーヒーを一口飲んだ。
「アホだからね」
関西風の返しを打ちだした後、店主の伸もコーヒーをすする。
背後のJが入れたので、少し濃いめである。ミルクかクリームか一瞬迷うが我慢することに決めた。
「と、いうか異常に若い。何やってんだ?」
確かに髪の大半に白いものが混じり、顔の皺も目立つようになった13年ぶりに会う友人は首を傾げている。
「特にこれといってやってないけど」
「不思議なこともあるもんだな」
友人―小川啓太の視線がコーヒーカップに落とされた。
「そうなんだよ。不思議なことって・・・あるんだよな」
伸は黙って小川が話したい事を語りだすまで待った。
こんな判りにくい昭和テイストの商店街に、彼の様なエリート医師が単に通りがかったという理由でやってくるわけがない。
「あるんだよ、うん」
なかなか切り出しにくそうな彼にJが話しかける。
「私のことなら気になさらないで下さい」
「は、はぁ」
場違いすぎる美外人に小川は小さくお辞儀をした。
「安心して。彼はロボットだから大丈夫」
何が大丈夫なんだか、解らんがと伸は心の中で付け足す。
ほぉ・・・とJの出来に非常に感心した様子である。それで気持ちがほぐれたのだろう。小川はぽつぽつと話し始めた。
「山根興産って知ってる?」
「大きな会社だね。株でも買ったの?」
「いや、俺、そこの息子の主治医だったんだ」
小川はコーヒーを飲みきった。
「最後のね」
「と、いうと・・・」
「息子は亡くなった」
「・・・ミスでもしたのか?」
「いや、でも手を尽くした。でも治せなかった」
「何歳だったんだ?」
「24歳」
「お気の毒だな。何の病気でだ」
「解らん」
小川は溜息と一緒に言葉を吐き出した。
「って・・・」
決して小川は出来の悪い医者ではない。むしろ仲間内から出世頭として見られていた側の人間だ。
その小川が診断がつけられなかったと、きっぱり言い切ったのだ。
「患者は子供の頃から病弱で、ありとあらゆる病気にかかっちゃあ入退院、の繰り返しだったらしい。それが最近、病気の様子が変わった」
「変わった、って?」
「生きながら組織が死滅していった」
「腐る?」
「内臓の細胞に原因不明の壊死が次々と発生した」
「感染か?」
「原因菌らしきものは見つけられなかった。糖尿病とか、他の疾患も見つからない」
小川はテーブルに両肘をついて頭を掻きむしった。
「原因が判らなければ治せない。対象治療しか出来なかった」
とても、ふらり立ち寄っただけの様子ではない事に確信を持ち、伸は小川の顔を覗き込んだ。
「でも、死因は君のミスではない、それは確かだよね?」
「ああ。僕は出来るだけのことはした」
小川は見開いた眼で伸を見上げた。
「いや、問題は医療ミスかどうか、ってことじゃないんだ」
「どうした?」
「殺されるかも」
「お前が、か?」
「俺、だ」
再び顔を覆った手の指が震えている。
「何故?」
「・・・判らん。」
「誰に?」
「山根家に、だ」
伸は、ぬるくなった最後の一口のコーヒーを呑みこんだ。
「なんでだよ。お坊ちゃんの最後をケアしたのはお前だろう」
「それが、不幸にも俺だったからまずいことになったんだよ」
「どういうこと」
「息子の死を判定したのは俺だ。だから俺を抹殺しようとしている」
小川は最新デザインのブランド物のアタッシュケースから白い封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。
「これに山根家から渡された契約書の画像が入っている」
中にはマイクロSDが入っていた。
「息子の病気のことは一切他言しない事を誓約させられた―死亡したという事実すら他人には言ってはいけない。毎日、脅しのメールが入ってくる。見張ってますよ、とか本日もチェックさせていただきましたとか」
「でも、実際には約束を守っているからいいじゃん」
伸は努めて真顔でしらっと言い切った。
「仮に真面目に死亡届の為の診断書をお前が書いたとしても家族が役所に届けなければ世間的に息子さんの死は知られない。お前には家族がちゃんと死亡診断書を届けたかどうか確認する義務はない。それだけの話だよ」
「さすが奇妙な患者専門の医者、慣れているね」
小川の皮肉がかった褒賛の言葉を伸は受け流す。
「だが、実際には私達に話しておられますね」
Jが、いつのまにか伸の横に着席していた。
「あなたは契約を破った。何故ですか?」
小川は黙った。
目をまん丸に見開いてJの顔をじっと見つめている。
「俺は・・・」
視線だけが泳ぐ。
小川はそれきり掌で額を押さえて俯いた。
「どうした?」
「いや」
小川は額に滲んだ汗を拭った。
「お前のことは、俺をここに導いてくれた人に言われて初めて思い出したくらいだ」
「ここに、導いた?」
小川の視線は店の入口のドアに向けられた。
Jが立ち上がりドアを開けた。
歳の頃は小学生低学年程の可愛らしい丸い顔の少年がにこにこと立っていた。
「あなたは・・・」
珍しくJの台詞が後半で途切れた。
「誰なんだ?」
座ったまま小声で伸が小川に訊ねる。
「この子が、ここに来ればいいって、俺に教えてくれた」
伸と視線を合わすことなく小川は答えた。
「しっかりしろよ!子供からアドバイスされたのかよ?あれ、誰?お前の子?親戚の子?」
「偶然、出歩いてたときに声かけられたんだ。今回の件のこと総て言いあてられたから信じた」
「よく、それだけでよく信じて我が身を託したもんだな・・・」
「そうだよな・・・」
力なく笑う小川。
「どうした?」
ふっと寂しそうな顔に変わった旧知の友人に伸は訊ねた。
「疲れたか?俺のベッドでよかったら寝転がってろよ」
どんどん顔色が無くなってきている。
「俺・・・」
彼の視線は子供に固定されていた。
「俺は死んだ?」
「ここで、よかったんですね?」
少年は微笑んだ。
子供らしからぬ落ち着きのある澄みきった声。
「ここなら、貴方の無念が晴らせる」
伸は叫んだ。
「小川!」
小川が消えた。
ホッとしたような頬笑みだけが、空間に残っていたような気がする。
「小川は・・・殺された・・・?」
「警察には自殺と判定されています。小川さんは死後、無念の念の塊となって、親族や警察関係者の間で真実を訴えていましたが聞き入れてはもらえなかったようです」
瞬時に警察のデータをハッキングするという悪(ワル)をしでかしたらしきJの報告。
「で・・・今回の小川氏の件は、水月神社も関係している」
一度目の溜息。
「はい。その件で山根家が水月家に依頼に来られました。今、美月さんが危機に面しておられます。それと・・・」
少年が答えた。
「それと?」
「あの男が絡んでいます」
「・・・山田か?」
伸のつぶらな瞳が見開いた。
「だから私を呼びに来た、か」
Jの三度目の溜息。
「で、君は誰?」
伸が子供に訊ねる。
「僕は・・・僕の身体を取られた者です」
少年の姿が消えた。
「何だったんだ?あの子」
「人間の霊体でした。が、構成に僅かな違いが認められた」
「・・・水月の使いか?」
「今の時点では確定できません。確かな事は・・・」
Jは目を伏せた。
「私は、また呼ばれているという事です」
孝雄の憎悪に満ちた両眼がオツを睨みつけた。
「消えてなくなるのはお前だ!」
天井近くまで飛び上がり孝雄はオツに襲いかかった。
打ちおろされる拳はオツの顔面に狙いをつけている。
ガキッ!
ぶつかり合う金属音。
眉一つ動かすことなくオツは刀で孝雄の拳を受け止めていた。
怒りの感情の為に浮き上がっていた孝雄の顔の皺が消え、今度は不敵な笑顔が浮かびあがってきた。
「とろいね」
もう片方の孝雄の拳がオツの腹にめり込んでいた。
「・・・早い」
美月は彼の腕の動きを視覚で捉えることが出来なかった。
ロボットである試作機の機能のことを考慮に入れても、中身の孝雄自身の戦闘能力も並みのレベルではないことを美月は悟る。
(常日頃から格闘家並みに訓練してこそ出来ることを、何で単なる金持ちのお坊ちゃんが会得してるわけ?)
そのまま孝雄はオツを前腕で押し返した。
「うっ!」
細っこいが鍛え上げられている様子のオツの身体が後方へと飛んだ。
そのままオツは背中を壁に激突させ、床へとへたり込んだ。
「あれ、どこの骨が折れたの?・・・折れる音、聞えたよ」
一撃で勝利を奪い取ったことを確信した孝雄は笑みを浮かべながら自分を殺しに来た僧侶に歩み寄った。
疼痛の呻き声一つもあげず、オツが自分を睨みあげている。
「どうだ?」
孝雄はオツの剃髪した頭頂部を鷲掴みにして左右に揺さぶる。
答えの言葉はない。
孝雄の口調は早く、荒くなってくる。
「解る?せっかく皆とうまくやって生きてきたのに、肉体の寿命がつきると皆とはそれっきりなんだ。その虚しさ、お前には解るか?」
孝雄の感情の昂りは止められそうになかった。
「僕はただ、生まれてきただけだろ!しかも僕は生まれてきて今まで何も罪を犯していない!僕のどこが悪いっていうんだ!」
孝雄の指がオツの頭蓋骨にめり込む。
それでも、オツの口元には笑みが浮かんでいた。
「自分のしでかしたことを棚に上げて口当たりのいいことばかりを言うな」
ますます全力で締めつけてくる指から与えられる激痛などものともしないようにオツは笑みを崩すことなかった。
「私達は転生などしないだろ?『コウシュ』よ。我々はただ用意された人間の肉体に入り込むことができるというだけのモノ達だ」
孝雄の指がオツの皮膚にますます喰い込む。
「人間として生きていくことをあきらめろ、コウシュ。さもなければお前だけでなくお前に関わる人間達も消滅させる」
オツの目がぎらりと光る。
「・・・・」
目にもとまらぬ速さでオツの刀の刃先が孝雄の喉元に突きたてられた。
「お前達の存在自体が人間の欲望をかきたてる。この世から消えてなくなるがいい」
「ふざけるな!お前も俺と同類だろ?しかもお前は死人の身体を繋ぎ合せただけの不完全な・生身の・不良品だ!」
残りの孝雄の手が刀を握りしめオツの腕の動きを制止した。
と、同時に両足が交互に凄まじく高速でオツの腹に蹴りを喰らわせる。
「僕は今は誰も犠牲にしていない!完全な機械の身体だ!お前にだって負けはしない!」
孝雄の腕の筋肉が最大限に膨張し、オツの頭部にトドメの締め付けを加える。
そのまま、見過ごしても良かったのかもしれない。
「オツ」という名の得体の知れない僧侶は、美月の目の前で人命を奪おうとした。
庇われる資格も理由もないのだ。
だが、美月の身体は勝手に動いた。
「殺すな!」
全力で全体重をかけて孝雄に体当たりを喰らわせた。
「ええーっ?」
ブッ飛ばされ尻もちをついた孝雄は、その体勢のまま声をあげた。
「あんた、誰の味方なの?僕のお父さんからお金貰ってきたんでしょ?」
立ち上がる孝雄から目を離さずに美月は床に落ちた十六夜丸を拾い上げる。
「僕とやる気?何故?」
とても綺麗な、だが獣そのものの闘志を宿した眼をした少女は呻いた。
「招霊機の中に入って人の命を奪うような奴は許せないのよ」
「あ、これ、ショウレイキっていうんだ」
美月に向ってゆっくり歩み出した孝雄は愉快げに笑った。
「便利な世の中になったもんだね。もうこれで、面倒くさい率の悪い術に頼らなくて済むんだ」
美月の構える十六夜丸の刃を掌に包み込む。
「招霊機(これ)を使えば、僕は永遠に僕でいられる。邪魔するな」
一滴も血を流すことなく研ぎ澄まされた刀身を握りしめる孝雄。
刀をへし折ろうとする圧倒的な力が美月の掌に伝わってくる。
「汚い手で水月の社宝に触るんじゃない」
美月は勢いよく刀をひいた。
刀は孝雄の掌の皮膚を斬り裂いたが、勿論、出血はしない。
「社宝だかなんだか知らないけど」
またたくまに再生していく自分の皮膚を眺めながら孝雄はせせら笑う。
「斬れてなーい」
「・・・ミナツキ・・・の・・・?」
擦れたオツの声。
刀を杖にしてよろよろと立ちあがっていく。
「そうか、ミナツキの・・・」
少し笑った口の端から血液がたらりと流れ落ちる。
その重傷を負ったらしい身体のどこにそんな力と気力が残っていたのか。
オツは雄叫びをあげて孝雄に斬りかかった。
「だから、言ってるだろ?」
孝雄は簡単にオツの渾身の一撃を前腕で跳ね返す。
「遅いんだよ、坊さん・・・いや、『オツシュ』さん」
間をおかず斬り込む美月の攻撃をも孝雄はいとも簡単に避けた。
「惜しい、巫女さん」
二人がかりで斬り込んでも全く刀身を孝雄の身体にヒットさせることができない。
時には屈み、時には宙高くジャンプし、優雅に華麗に刃を避けていく。
ガキッ。
同時に斬り込んだ二人の刃が孝雄の両手で捕まえられた。
「もう、いい?」
動きが取れない二人を嘲笑しながら孝雄は告げた。
「僕、暇じゃなくなったんで。ここでお暇させていただきます」
「・・・っ!」
孝雄は刀を掴んだまま、高速で回転し始めた。
「わあああ!」
美月もオツも柄から手を離すわけにもいかず身体ごと振り回される。
これでは馬なしの高速回転メリーゴーランドである。
どんっ!
恐れていた最初の犠牲者の身体が放つ激突音が美月の耳に飛び込んできた。
孝雄と目が合った。
口を大きく横に開き愉快でたまらなそうな笑い顔をしていた。
胸糞悪くて仕方がない笑顔が急速に遠のいた。
間をおかず発生する左半身の激痛。
(腕、折れたかも・・・)
だがここで、痛さに囚われて何も行動を起こさなければ確実に殺される。
美月は必死で目を開けて身体を引きずりながら手放してしまった十六夜丸を探す。
「あー」
笑い混じりの孝雄の声が背後から聞こえる。
「目、廻っちゃった。リアル」
フラフラしながら目を押さえ一人でウケて笑っている。
片手には、オツの刀が握りしめられている。
その足元には横たわるオツの姿があった。
「ああ、ああ・・・で・・・君、誰?」
なかなか止まらない足のふらつきに孝雄の声が苛立ちに傾いてきた。
「・・・判ってるって、ちょっと待ってよ、これ済ましたら行くから」
大きくため息。
(誰と話してるんだ?)
少しでも負傷部位の痛みを和らげる為に深呼吸しながら美月は思った。
「・・・ってか、所詮100%自分の身体じゃないってワケか」
足のふらつきが止まった。
「さて」
孝雄は刀を振り上げた。
狙いは間違いなくオツである。
「この刀も、魂ごと粉砕できるんだよね」
やっと見つけた十六夜丸を掴んで美月は立ち上がり、振り下ろされた刀身とオツの間に上半身を滑り込ませた。
間に合った。
孝雄が何の躊躇いの欠片もなく振り下ろした刀を刀身で受け止めることができた。
「調子に乗るんじゃない。今のアンタの力は招霊機の力に便乗しているにすぎない」
力を諦めることなく押しつけられてくる刀を押し返しながら美月は唸った。
「死後とはいえ殺人の罪を負えば、あなたの魂は神世には戻れない。素直に死を受け入れなさい」
「死後?神世?」
孝雄が高らかに笑った。
「それは、お前達人間の魂だけの願望(ユメ)だ。僕はそんなもの見たこともない、いや」
孝雄の蹴りが美月の腹に入った。
「見る必要もない・・・それが僕達だ。覚えておけ」
孝雄の持つ刀が今度は美月の顔面を狙った。
「痛いって・・・うるさい」
孝雄が頭を抱えてよろめいていた。
「判ってるって・・・戻ればいいんでしょ?」
孝雄は刀を床に放り投げた。
「判った、判った。それが優先順位なんだ・・・」
よろめきながら窓辺に歩いて行く孝雄。
美月は起き上がり孝雄に駆け寄った。
オツも孝雄に飛びかかる。
「まだやるのか!」
簡単にトドメのパンチがオツの腹部にヒットした。
オツの口から吐き出した血液が彼の倒れる軌道のとおりに半円を描く。
続いて孝雄は美月の顔面を掌で掴んだ。
「あんたを殺しちゃいけないんだって。だからもう放っといてくれ」
後頭部の衝撃と同時に目の前に霧がかかった。
視界が利かない中、連続で肉を打つ音だけが美月の耳に入ってくる。
打たれている方の反撃が止まっている気配まで美月は感じていた。
(坊さん、殺される・・・)
遠のく己の意識を叱咤して叩き起こす。
(殺している・・・招霊機で・・・)
湧き上がる怒りの気持ちだけが美月の意識を現実の世界に繋いでいた。
「・・・なよ・・・」
背後から聞こえる少女の声に孝雄はオツを殴る腕を止め振り向いた。
さっき頭部を打ちつけ気絶させたはずの少女がふらつきながら起き上ろうとしている。
坊さんを殴るのを中断して孝雄はせっかく半身を起した美月を床に押さえつけた。
「え?なんて?」
しゃがんで少女の顔を覗き込んだ。
「招霊機で、」
髪の間からぎらりと光る眼が睨んでいる。
「人を殺すな・・・って言ってんだよ!」
美月の足が孝雄の股間にヒットした。
「えげつない技使うなー、巫女さん」
涼しげな表情で孝雄は笑った。
「効いてないけどね」
美月に負けない程ぎらつく視線。
「ここまでやってくれるんだもん、命令無視、してもいいよな」
孝雄の指が美月の気道を圧迫した。
「うっ!」
「心配しないで。2分に一回は緩めてあげるから。ゆっくり苦しんで死ねるよ」
窒息感に足をばたつかせる美月を見下ろしながら孝雄は愉快そうに笑う。
「オプションもつけてあげよう」
首を絞めたまま美月の上半身を上下させ後頭部を床にガンガンと連打させる。
(やろうと思えば簡単に一気に殺せるはずなのに・・・)
そうか、なぶり殺し、か。
それが悔しくて手足をやたらとばたつかせるが、どんなに力を振り絞ろうが人間対ロボットでは勝敗が知れている。
美月は無抵抗の状態で、苦しいまま意識を消失させていった。
だけど最後にちらりと確かに見た。
いや、「見たい」ものを「見た」だけかもしれない。
「もー、やんなるなあ。もう少しで殺せたのに」
横から蹴り飛ばされた側頭部をさすりさすり孝雄はゆらゆらと立ち上がった。
「どちら様ですか?あなたは」
「貴様達の天敵です」
金髪。ロン毛。碧い眼の西洋人。非の打ちどころのない美青年。
上から見下した視線のまま、呟いた。
「戦闘対象の分析結果。試作機(プロト)『ヤマダ・モデル』と認証しました」
「なに・・・そ・・・」
孝雄の言葉が終らないうちに、金髪の足が顔面に飛んできた。
かろうじて前腕で攻撃を払いのけ孝雄は叫んだ。
「殺す気か!」
「殺しません」
無表情―いや、そこに冷ややかな情念を隠しているに決まっている顔で金髪野郎は答えた。
「貴様を分解し尽くし、その経過と方法を私の戦闘データに登録させていただきます」
二度目の蹴り。
孝雄は金髪野郎―Jの足首を掴んだ。
そのまま全身を回転させようと孝雄が身を返した瞬間、Jの両掌が床についた。
「うわあ!」
頭立の体勢になったJの足に引っ張られ、高く振り回される孝雄。
Jは反動で飛び上がりながら宙で足を振り回し、足首を掴んでいる孝雄の手を振りほどいた。
「ぐっ!」
孝雄の全身が壁に叩きつけられる。
叩きつけられると同時に前方から全身まんべんなくパンチとキックを浴びせられ、孝雄の身体は破壊されながら、どんどん壁に埋め込まれていった。
「・・・・っ」
頭をふりふり孝雄が壁から抜け出してきた。
Jに破壊されたはずの身体が逆回転するかのように元に戻りつつある。
彼の目の前に金髪野郎が立ちはだかっている。
「って、おまえ・・・えらく早く戻ってきたな・・・」
彼の常人を超える動体視力は捉えていた。
「あの、女、どっかにやったな?」
水月の巫女と名乗っていた美少女の姿が、この部屋のどこにもない。
目に入るのは刀を杖によろよろと立ちあがる坊主のみである。
「・・・あの娘、もしかして、カノジョ?」
金髪野郎は何も答えない。
「おまえ・・・名前くらい名乗れよ」
いらつき混じりの孝雄の声に金髪野郎が反応した。
「貴様は私が生理的レベルに嫌いなはずです」
「・・・ああ」
「それが何故だか自分で解りますか」
「普通、嫌いの原因を考える必要ある?」
「ありますね」
ロボットらしからぬからかうような笑みが口元に浮かんでいる。
「それが解れば自分自身が、どういうモノに魂を託しているか自覚することができる」
「・・・実はビビっていて名乗りたくないの?アンタ」
「いいえ、私の名前はキーワードです・・・試作機の出来の悪い凶悪プログラムの扉を開ける呪文です」
金髪ロボットは怪しい頬笑みを浮かべながら名乗った。
「私の名は、ジェイソン・ミナツキモデル・001」
孝雄の両眼が、目尻の皮膚を引き裂かんばかりに開いた。
「逃げなさい」
やっとのことで立ち上がったオツにJが告げた。
「彼の正体は人外のモノです。これ以上の戦闘の参加で貴方の生存は保障できません」
「御気使いなく。承知故(ゆえ)」
刀を構えオツは微笑んだ。
「私も人外のモノだ」
「だが、あなたの身体は人間のものと酷似した構成をしています。戦闘用ロボット(アーマノイド)との戦闘には耐えられない」
「きたぞ。異人殿」
先ほどよりも数倍の速度で孝雄の飛び蹴りがJの腹部に入り、同時に飛び上がった体勢のまま片手でオツの顔面を掴む。
負けずに後方に蹴り飛ばされる力に踏ん張ってオツが一刀を孝雄の下肢に打ちこむ。
すかさず孝雄の指の隙間から敵を睨みつけつつJの両手が腹部に喰い込んだ。
孝雄の脚はド真ん中で折れ、胴体には大穴が開いて火花が散った。
引き裂いた腹の穴から、Jが「中身」を引きずり出した。
「ふっふっ」
Jの両掌の間で嘲笑う、まっ白な孝雄の顔面。
「ソレデ、僕ヲ壊シタツモリ?オ前ラトハ戦闘経験ガ違ウヨ」
孝雄の顔面のすぐ横から、切断された脚の断面から、細い腕が幾対も伸びてきてオツとJの全手足を掴み一気に引きちぎった。
「おい・・・」
総てをやり終えた孝雄が、すわった目つきのまま宙に話しかける。
「あんた、誰なんだ?」
中年男の声が、頭の中から聞こえてきた。
『山田です。よろしく。どうですか、招霊機のいごごちは?』
年齢の頃、三十後半から四十前半、ウェーブのかかった黒髪に銀縁の眼鏡、尺取り虫を連想させる細っこい身体に安物らしきスーツを、それでも小奇麗に着こなしている。
どう見てもアジア系の顔立ちなのに、顔の中心にそびえ立つ尖った先っちょの鼻の違和感が目立ちすぎて、やけに気になる。
母宅から帰還の際、突然眼中のモニターに出現した男。
『招霊機を作った者です。この度、あなたのお父様から依頼を受け、招霊機をお届けさせていただきました』
『あ、そうなの・・・』
完璧なシンメトリーで唇の両端を上げた山田に孝雄は語りかける。
全くの初対面ではない。
初めてこの銀色ロボットに『収容』された時から、『彼』とは接触していた。
(言い換えれば、銀色ロボットの中に『彼』がすでに『存在』していた、というところかな)
その時から、やれ巫女は殺すな、とか、金髪ロボット野郎は徹底的に破壊しろだのとやたら五月蠅かったのだ。
それらをふまえて孝雄は涼しい顔で答えた。
「・・・まあまあです。で、聞いていいかな?」
『何なりと』
「貴社の概要、及び商品の詳しい説明をお願いしたい」
生前の父の会社の経営を手伝っていた時の冷静な、それでいて爽やかな口調で孝雄は要求をぶつけた。
『貴社・・・と言われてもね・・・。ウチは完全に個人事業で商品は招霊機のみですよ』
「アンダーグラウンド・ロボット(UGB)か。で、運営資金はどうしてるの?まさか株式じゃないよね」
『ええ、勿論。説明が長くなりますがよろしいでしょうか?』
「いいよ。納得のできる商品なら・・・追加注文も有りだよ」
招霊機 「郭公」(前篇)
いつも読んで頂いてありがとうございます。