神様の歯車 2章

あっという間に夏休みも終わり学校も始まった。
席が窓側の最後尾ということもあり、
よく教室にいるとこさえ忘れ、
ボーっと窓の外を眺めているなんていうことも多々ある。

いつもなら何もなく過ぎ去る夏休みだが、
今年の夏は生涯忘れられないものとなる出来事が多かった。
父の死に始まり母とのわだかまりが溶けたこともあったし、
それからの残りの日も多くのことがあった。

ありすぎて嘘にも思えてしまう日々だがどれも本当のことで、
後戻りなんてできることのない事実。
しかし今はそんなことよりもジリジリと照りつける日差しが、
刹那を授業へと引き戻していく。


ただでさえ暑い午後一の授業で窓側の席となれば、
サウナにいるようなレベルの拷問。
授業なんてまともに耳に入るはずもない。
それに苦手な古典。
昔の言葉なんて習ったところで使うことはまずない。
これも刹那のいうところの無駄な知識。
なんてことを言い聞かせてはみるものの、
ただ苦手な教科を無駄だと言ってみるだけのこと。
進級するにはしっかり聞いて理解しなくてはならない。

若干ぼやける視界をなんとか目を凝らして黒板の文字を書き写す。
午後一で古典なんて無謀すぎる。
刹那にとっては午後一で体育と同等レベルの無茶振りだ。
結局黒板の文字を書き写すことに必死すぎて、
それよりも大切であろう先生の言っている言葉など、
一言も聞き取れないし当然ノートに書き取ることなんて、
できるはずもなかった。

ようやく授業が終わると少し気が楽になる。
あと一時間終われば今日も終了するしスマホを見ると、
知らない間にメールが届いている。
しかし今すぐ見る気にはならないし当然返事をしようとも思えない。
次の時間も適当に済ませると誰と会話をするわけでもなく、
一番遠いはずの刹那は最初に教室から出て行く。

グダーッとしていた教室の雰囲気から一転。
学校を出ると生き生きした刹那が姿を現す。
すぐにメールを確認して通話をすると、
相手と待ち合わせ場所を決め刹那もその場へ向かう。


まだまだ暑い九月。
スタスタと歩く刹那が向かう先は街中にある裏通り。
昼間でも夜でも人の少ない場所にある、
営業しているのかもわからないような喫茶店。

ためらうこともなく店内へと入ると、
入った先にはいつものマスターが暇そうにコップを拭いている。
客は……一人しかいない。
マスターに軽く挨拶をして、
アイスコーヒーを注文するとすぐに席へと向かう。

先に来ていた雨竜夢亜(うりゅう むあ)は、
刹那とは違うパターンの美形。
背格好は似ているものの清楚さが格段に違う。
制服ではあるが私立桜葉女子学園というだけでも、
目立ってしまう都内でも有名な高校だ。

「そっちの方が距離あるのに早いね。」

後から来た刹那が遅れたことを謝るついでにそう言うと、

「当然よ。
刹那みたいに時間にルーズではないの。」

しゃれた腕時計を見ながら言っているが、
指定の時間を過ぎたわけではない。
単に先に来たということを遠まわしに自慢し、
立場的に上に立っていたいという現れである。
刹那は気にせず向い側へ座った。

既にテーブルにあるアイスコーヒーが半分以下になっていることから、
長い時間が経っているのかとも思えたが、
氷が一切溶けた感じもないことから刹那でも、
夢亜が慌ててきて一気にがぶ飲みしたことがわかる。
それを想像するだけで笑えてしまうが必死に堪えて、
アイスコーヒーが来るのを待った。

クーラーが効いている店内では外の暑さが嘘のように涼しい。
それに加えアイスコーヒーを飲めるなんて至福の時。
まさに都会のオアシス。
地上の楽園。

お互いに落ち着くとようやく本題へと入る。

「これを見て。」

夢亜がバッグから取り出した一枚の紙。
そこにはご丁寧に印刷された文字で脅迫まがいの内容が書かれてあり、
子供のお遊びにも見えるが嘘偽りの無い事実にも見える。

「出どころは?」

「桜葉よ。」

夢亜は呆れた顔付きで自分の高校名を言うと刹那も唖然とした。
世間的にはお嬢様高校として有名な桜葉だが、
それゆえに隠そうとする事柄も多い。
今回の件もそれとみなして良い。

「問題は誰が誰に宛てたものか不明な点。
朝来た先生が一階通路にある掲示板に貼られていたこれに気が付いた。
貼られた時間帯は不明。
昨日の放課後かもしれないし早朝かもしれない。
事務員がいるから深夜も警備はされているけれど、
いちいち掲示板なんて確認はしないだろうし、
早朝から部活もあるから一般生徒でも容易に出入りはできるわ。」

結局犯人に繋がる手がかりは何一つとしてないことだけが判明した。
刹那はもう一度内容に目を通す。

【何者も恐れない愚か者に裁きをくだそう
ひとつひとつが些細な罪であろうとも決して許さない
死をもって償いとし罪を悔いるが良い
絶望と破壊
破滅と殺戮
十三番目の子羊がさ迷っている
早く殺してあげよう】

文章の一部分ではあるが、
多いのは死を暗示する言葉と嫌悪感しか抱かせない憎悪の言葉。
その中で誰かを特定できそうな言葉を抜粋してみる。

「この【十三番目の子羊】ってどういうことかしら?
他はひとつひとつの意味はわかるけどこれは?」

刹那も同じ疑問を持ったがすぐに理解できるほど万能ではない。
むしろ学力だけを見れば夢亜の方が格段に上。
夢亜がわからないことを刹那が瞬時に解けるはずもない。
わからないことが多い状況が変わらないままにその日は解散したが、
次の日に事態は悪化した。


似たような紙がいくつも発見された。
正確にはその紙が夢亜の手元へとやってきたのがだ。
再びあの店にいる二人はテーブルへ無造作に置かれた紙を、
どれから見て良いのかやる気も失せていた。

夢亜がようやく一枚に手を伸ばす。
内容は昨日見たものとそれほど変わらない。
思いついた言葉を並べているだけでさして意味もないのだろう。
そして気になるのは昨日もあったあの言葉。

【十三番目の子羊】

「全部で十二枚。
けどこの気になる言葉は十三。
もう一枚どこかにあるとか?」

夢亜は何も分かっていないらしいが刹那にはひとつの推論があった。
なんでも隠し通す桜葉女子にはもっと深い闇が存在する。
それが何かはわからないがこの十二枚の意味することは、
十三人目である子羊に向けられた言葉。
それがクラスなのか部活なのかは調べればすぐに分かりそうだった。
刹那は早速夢亜に過去うやむやにされた事件がないかを調べてもらう。


のんびりと帰宅するとすぐにメールが届く。
仕事が早いことが悪いとは言わないが休む時間くらいは欲しい。
せっかく戻ってきたというのに面倒だった刹那は、
見て見ぬふりをして次の日対応することにした。

休みの日だというのに朝から呼び出され気分の乗らない刹那だが、
夢亜はテンションが上がっている。
その顔を見てもわかる通り十三人いた部活が見つかった。
しかしその中の一人が最近部活を辞めている。
調べた結果は虐めであった。

「これは虐めよ!
これで解決だわ。
その辞めた子が腹いせにこんな文書をばら撒いて、
脅しているんだわ。」

刹那は納得できなかった。
その程度のことで下手すれば警察沙汰になることをするか。
キチガイならばある話かもしれない。
少なくてもこの学校に通っている生徒は皆良いとこの人。
部活を追いやられた程度で脅迫まがいのことをするとは思えない。
それは夢亜の態度を見てもわかる。

「夢亜。
提案があるのだけど。」



提案というのは制服を借りること。
刹那はその日体型のほぼ変わらない夢亜の制服を借り、
私立桜葉女子学園へ潜入していた。
制服を着ただけでは一般人としか見えなかった刹那を、
夢亜が少しいじっただけで気品のある姿へと変わる。

「元は良いんだから身だしなみくらいきちんとしなさいよ!」

面倒そうな顔をすると夢亜はグダグダと言うが、
そんな言葉は聞こえない。

学園内は学校とは思えない広さをしていて、
門を入ってから校舎まで100メートルくらいは綺麗な庭園がある。
お嬢様にふさわしい作りだが毎日この距離のせいで、
遅刻する可能性があるのではと考えてしまう刹那は、
自分が情けなくなった。

誰にも怪しまれることなく夢亜と校舎まで入ってくると、
例の紙が貼ってあったであろう掲示板がある。
下駄箱から廊下に出てすぐの掲示板。
朝になれば嫌でも誰かが発見するが、
十二枚をバラバラに貼った理由はどこにあるのだろう。
意味などなく犯人の遊び心なのかわからない。
校舎内を歩いていると夢亜に挨拶をする生徒がちらほらいる。

「随分と人気者ね。」

「人気?
ああ……あれはみんな依頼人だった人。
別に人気とかそういうんじゃない。」

なんだか悲しい顔をする。
夢亜は夢亜で思うところもある。
それにかなりの率で夢亜に依頼をしている人がいることもわかる。
秘密のはずのこの仕事もこうなれば万屋に近い。
知らないふりをしているだけでこの学校の生徒は、
皆夢亜の正体を知っているのではないかと思ってしまう。

挨拶をされるたびにぎこちない笑顔を振りまく夢亜は見物だが、
ちょっと可哀想な気持ちも持ってしまった。

ようやく目的の生徒である御崎凛(みさき りん)。
彼女を発見してしばらく刹那が様子を伺う。
本来ならこんなストーカーのようなことをしたくはないが、
無実であることを刹那なりに見極める必要があった。
休み時間になると適当にふらふらして行動を見守るが、
特に不審な行動はしない。
やはり今回のこととは無関係。
犯人は別にいる。

学園内の庭園にあるベンチに腰掛けて夢亜と会話をする。

「それで結果はどうなの?」

「やっぱり彼女ではないわ。
あれだけ乱れた言葉を使うとは思えない。
親しい友達もいるみたいだし特に部活を辞めたからって、
人生棒に振る性格には見えない。
犯人は別にいる。」

「そう……当然ね!
うちの生徒が犯人なんてありえないわ!」

まだ言ってる。
妙なところで自信を持つのは刹那が理解できる範疇ではないが、
その意見には同意できる。
こんな育ちの良い人間があからさまに人を陥れるなんて、
考えにくかった。

「ちょっと聞いてるの?」

「あ……うん。」

聞いていなかった。
が、犯人が別にいることは分かった。
それが誰なのかを特定することもそう難しくは無い。
問題はどう自供させるかだろう。
警察沙汰にはしたくない。
それが桜葉女子の意向。
同時に犯行が起きてからでは遅い。
犯人を煽るような行動もできないのだから、
一度で自供させる必要があった。

刹那はそれとなく御崎の周りにいる生徒から情報を聞き出す。
御崎と仲の良い生徒。
それから部活をしていた頃の事。
狙われている生徒十二人についても調べたが、
誰も嘘をついている素振りはない。

「やっぱり外から来た誰かなんじゃないかしら?」

夢亜が外部犯だとしたいことはよく分かるが、
これは内部犯としか思えない。
一刻の猶予もない現状を打破するにはもはや、
本人と接触する以外にはなかった。


放課後。
誰もいない屋上へ夢亜の力を借り御崎を呼び出すと刹那が話す。

「数日前に起きたこの紙の事件は知っているわね?」

「え、ええ……それなりにうわさには。」

夢亜が出てきている時点でこれが依頼されたものだと、
理解はされている分話が早い。

「私は貴女が犯人とは思ってない。
けど貴女に近い誰かがあれをばら撒いたことに違いないと思ってるの。
でも貴女からも貴女の周りに居る生徒からも、
それらしい感じはしなかった。
これってどういうことか分かるよね?」

「それは……。」

もはや答えは出ているのかもしれない。
御崎自体それを理解していて心のどこかで、
自分の仇をとってもらえると期待しているのかもしれない。
それこそ決してしてはいけない犯罪への加担。
それを止めることが可能なのは彼女しかいない。

「犯人は顧問の先生ね。」

沈黙を破るかのように刹那は無表情でそう言った。
御崎が驚くことは容易に想像できたが、
夢亜の驚く顔は見たくなかった。

「止められるのは貴女しかいない。
自分の為に悪い事をしようとしている人がいる。
罪滅ぼしのつもりかもしれないけど他人に、
そんな罪を着せてはいけない。
貴女が先生にやめてと言えば済む話よ。」

御崎は無言で頷いた。


翌日。
御崎の所属していた料理研究部はコンロの爆発によって、
生徒十二名の黒焦げの死体が発見された。
結局警察の動くところになり捜査された後、
すぐに教師が逮捕された。

表向きにはそれで解決だったが、
刹那と夢亜には御崎がこう言ったと確信していた。

【先生、仇をとって】


刹那が桜葉女子の校門で御崎を待っていたのは、
そんなことがあった直後のこと。
それに気が付いた御崎も友達から離れ刹那のところへやってくる。

「この前はどうも……。」

「うまくやったものね。
それで貴女は満足?
間接的にでも十二人も殺害したのよ。
きっと先生は全部自分がしたと言い続ける。
貴女が罪に問われることはない。
ただ一言言っただけなのだからね。
でもその罪は永遠に消えない。」

「そんなこと言われても私は何も知らない。」

目が泳いでいる。
明らかに嘘を吐いている。
刹那がこのことを警察へ漏らせばすぐに捕まるだろう。
しかしそれで誰が幸せになれるというのか。
刹那は何も言わない。

「ひとつだけ覚えておきなさい。
貴女が殺す人数は一人増える。
十二殺害した先生は間違いなく死刑。
貴女を助けた先生は貴女が殺すのよ。
その罪を一生背負って生きていきなさい。」

「……。」

「さあ、貴女の大切な友達が心配してこっち見てるわ。
悪いことしてないと言えるなら、
もう全て忘れてあの中へ戻りなさい。」

刹那は皮肉たっぷりに言ってやった。
最後に何か言いたそうな素振りだけ見せた御崎だが、
それ以上言葉に出来ず友達の輪へ戻っていった。

これから御崎凛がどう生きようと興味はない。
あの教師を助けるのか見殺しにするのか。
そんな話は刹那にとってなんの価値もない。
星の数ほどいる人間のたったひとつの輝きが消える程度のこと。
夜空が星で満ちていることに変わりは無いのだから、
必要以上に刹那がかかわることはなかった。



家には居やすくなった刹那。
以前のような気まずさはなくなったのだが、
変わりに面倒なことが増えてしまった。

今まで子供と接していなかった反動なのか母は、
休みの日ともなると朝早くから二人を起こして、
豪華な朝食を振舞うのだ。
初めのころは感動すらしていたものの毎週この状態が続いている。
いい加減空気を読んで欲しいが、
昔から空気など読んだ事の無い母が今更相手のことを考えて、
行動できるはずもないのである。
だからこそ今もこうして自分勝手な理由で刹那と円加を、
朝早く起こしているにもかかわらず、
一人だけ上機嫌で味の感想を期待している。

そこまで分かっていても刹那は言葉を発する気にはなれない。
全て円加に任せるという合図を出すと嫌々円加は、
はにかみながら精一杯の賛辞で称える。

それで母の機嫌を取り続けられるのであれば、
今までの苦労も報われるというもの。
子供は子供で親の期待に答えようと必死だ。


部屋へ戻ろうとすると円加が引っ張ってくる。

「!?」

「今日暇なんだけどたまには買い物付き合ってよ。」

母だけならまだしもこうして円加にも付き合う羽目になる。
早起きは三文の徳と言うのはいったい三文がいくらなのか。
きっとろくでもない金額なのだろうと思いながら、
重たい足取りのまま部屋へ戻った。

無意識に着替える刹那は自分の格好に驚く。
夏休みが始まった頃からするとありえない。
黒一色だったあの頃と同じ人間かと自分でも疑ってしまう。
ピンクのショーパンに白いパーカー。
もふもふな帽子をかぶっている。
一瞬言葉を失って唖然としてしまうが円加が戸をノックしてきた。

「お姉ちゃん用意できた?」

「うんー今行く。」

最近はやりのキャラのポシェットへ最後にスマホを突っ込むと、
妹と共に街へと繰り出した。


既に二学期。
円加もバスケ部を引退して受験に備える時期が来た。
体を動かすことが好きな円加にとってバスケは、
十分にそれを満たしてくれた。
学校という場以外ではバスケができるところなどなく、
引退してからはたまにランニングをしている程度。
気晴らしにショッピングくらい付き合ってあげても良いだろう。
それに今朝のように円加には随分助けられている。
用事もないのに無下に断ることもできなかった。

更に言えば円加は刹那の現状を全く知らない。
夏休み後半に起きたあの事件。
それも全く知らない。
刹那も円加を巻き添えには出来ないと隠している。

「まずどこ行こうかなー?」

毎度のように聞かれるが円加が、
刹那のいう通りの場所へ行ったためしはない。
参考までに聞く程度なのだろう。

既に最近できた二十階建ての総合ショッピングモールの中。
ここにはなんでもある。
何から見るというよりも下からか上からと決めて回らないと、
何度も同じ階を通過する羽目になってしまうが……

「私はもっとかわいい物欲しいから雑貨とか見たいけど。」

「じゃあぬいぐるみ見よう!」

「……。」

もうどうでも良い。
これは円加の買い物。
割り切って着いていくだけにすることが一番楽。
それに一人でいるよりはずっとマシだった。

ぬいぐるみだって以前はそれほど興味もなかったが、
円加と一緒になって楽しんでいる刹那の姿があった。
妹がいてくれて良かった。
刹那はこうしていると心からそう思った。

「ちょっとトイレ行ってくる。」

ぬいぐるみを見ていた円加が行ってしまうと、
なんだかつまらない。
周りにあるぬいぐるみの表情までなんだかくすんで見える。
近くにあるベンチに座って戻るのを待っていると、
上の階が騒がしいことに気が付いた。
上というと最上階のレストラン街。
騒ぐようなイベントはありえない。
それに歓声というよりも悲鳴と言った方が良い。
嫌な予感がする。
夏休みからこの調子。
避けられない運命の歯車がここでも回り始める。

「なんか騒がしいけどなにかあったの?」

トイレから戻った円加が心配そうにしている。
もし刹那の思う事態ならすぐに下へ降りる選択を取らないくていけない。
そしてすぐにアナウンスが鳴り響く。

「20階レストラン街で火災発生。
指示に従って慌てず行動して下さい。」

やはり火災。
ここは十九階。
エレベーターは期待しない方が良い。
十九階でとまったところで満員であることは明らか。
階段かエスカレーターがあるがどちらも混んでいる。

「お姉ちゃん……。」

不安そうに見てくる円加を元気付けたいが、
こんな場面では誘導員の維持に従う以外にない。
騒いだところで逃げる速さが変わることもない。
むしろ遅れるだけ。

それでもこれだけの人がいれば慌てる人はいる。
二十階から階段やエスカレーターで下りてくる人間も、
十九階で一緒になり更に混雑している。
結果全く動けない状況に陥っている。
おそらくこれが一階まで続くのだろう。
まごまごしているうちに上から煙が降りてくる。
既に上は火の海というところだろう。
ようやく下へと進み始めると刹那と円加は顔を見合わせて安堵した。

それも束の間。
上の階で大きな爆発音がした。
ガスに引火した音だろう。
一気に爆風で人が吹き飛ばされ窓から落ちていくのが見えた。
なんとも残酷。
それが今自分ではなかったことにほっとする自分もいる。
醜い生き物。

それを見ていた客たちは慌てて階段を下ろうと人を押している。
後から押されると押された人も下の人を押す形になると、
もう止められない。
ドミノが倒れるように次々と倒れだし下敷きになる人は、
圧死してしまうほどぐちゃぐちゃに押しつぶされていった。

「お姉ちゃん!?」

咄嗟に刹那は円加の腕を掴んで上の階へ戻った。
圧死するのは避けられたがこれで降りることも困難になった。
そこは既に死体の山。
わずかに生きている人も助かるかは分からない。
唖然として見ている円加の視線をそらすように刹那が壁になる。

「ど、どうするの?
ねえ?
お姉ちゃん!?」

いつも冷静な円加がパニクっている。
しっかりと手を繋ぎ絶対にそれを放さない。
助けられるのは刹那しかいない。
退路を断たれた二人には絶望しかない。

それでも刹那は冷静だった。
ここで死ぬなんてことは微塵も思っていない。
このことは既に決まった未来。
だからこそ迷うことはあっても冷静さを失うことはない。

刹那は今この場でできる最善の手を考え出した。

「ほんとにこれで大丈夫なのー!?」

平気なはず。
刹那と円加は店内にあった大きな着ぐるみを着て上を目指した。
火の海かと思っていた二十階はなぜか階段の部分だけ火がない。
雨である。
爆発で壊れた壁から大量の雨が入り込み鎮火させている。
その間を真っ直ぐに屋上まで上がると、
丁度来ていたヘリに救われ二人は無事に地上へと戻ることができた。



「うまっ、うまっ。」

円加が元気になったことは良いが最近食べすぎだ。
それもたこ焼きにたっぷり大好物のマヨネーズ付き。
あれから帰宅した二人を待っていたのは号泣する母。
そんな状態だからこそ円加の悪知恵は働く。

【たこ焼きがいっぱい食べたいのー。】

なんて甘えるから母も迷わず雨の中を購入しにいったということ。
呆れて食べるのも忘れる刹那をよそに円加は次々とたいらげる。

ふたつほど食べたところで刹那は部屋へと戻る。
一応このことはメールで夢亜にも報告する。
どっと疲れた刹那はしばらく深い眠りへと落ちていった。


夢。
夢を見る日が続いている。
夢……なのか。
現実なのか。
それともその間なのか。

ここで会う人物といえばアリス。
唯一二人が出会える場所でもあるとても不安定な空間。
それが夢世界。

空想。
理想。
妄想。
言い方はそれぞれであるがここがそれであることに違いない。

ゆらゆら舞い落ちる枯葉で寒さが増す気がする。
冷たい風も肌を凍らせようと厳しく当たる。

「ハロー刹那。」

毎日元気で何より。
アリスにとって寒さも暑さも関係ない。
そんなものとっくの昔に忘れてきている。

「こんな疲れている時にまで出てこないでよね。」

「そんなに疲れてるの?
たまにはスリルあって良いじゃない。
楽しそうで羨ましかったけど。」

「なに馬鹿なこと言うの。
円加まで危ない目にあったんだから。」

「なるようになるよ。
人生楽しまなくちゃ損だよ。
チョコレートでも食べて落ち着きなよ。」

どこから取り出したか板チョコを半分こにしてくれる。
これが夢か現実かわからなくする夢のようなチョコレート。
甘みもあるし渋みもある。
日に日に味も濃くなるこの意味を刹那も知っている。
それが運命という名の歯車に過ぎないことも知っている。
決して逆らうことはしない。

これは全て夢の物語なのだから。

神様の歯車 2章

神様の歯車 2章

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-09

Copyrighted
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