強き女

 戦時中・・引き裂かれた男女どれほどか・・これはそんな物語のひとつである
降りしきる桜の中、陽気に照らされながら二人の男女が歩いている。男の方は当世風に制服を着こなし、颯爽と下駄を鳴らしながら小道を進む。一方女はその肘に腕をからませるように連れ添っている。その顔には友人に都合してもらった化粧が薄く塗られていた。突然二人は立ち止まると耐えかねたように見つめあい、口を開く。
 「佐藤さん、私いつまでもあなたのことお待ち申し上げております。今、あなたはお国のため死をもいとわぬお心もち、それが私には悲しくてなりません」と女が云うと、
 「なんの染子さん君のためにこそ死ねようとも、君だから言うがお国の為に死ぬつもりはないよ。必ず帰ってくるから祝言をあげよう」と云って男は女の肩に手を伸ばす。
 抱き合う二人に花びらが永遠を約束したかのようにいつまでも降り積もっていた。こうして二人は暗い戦争の最中、共に将来を誓い会った。
 佐藤が戦地に行ってから後、しばらくすると染子の家は空襲にさらされ疎開し、田舎で肩身のせまい思いをした。中には立場を利用して染子に言い寄ってくる下衆な男までいたが、染子は佐藤を待った。

 やがて、戦争が終わり夏が過ぎ、秋が終わり、冬が来ようとしても帰ってこない佐藤。そんなある時、一人の帰還兵が佐藤の家を訪ねた。それを聞いて染子は何かわかるかもしれないと喜び勇んで隣町まで駆けつけた。しかし、その男は暗い話をもってきた使者だった。佐藤は死んだと男は語ったのだ。

 それを聞いて染子は三日三晩泣き尽くしたが、ある日ひょっこりと姿を表して「あの人はきっと生きています。」と言い放ち、苦しい家計を助けるため働きにでた。これには染子の両親も閉口した。誰かいい夫でもみつかれば染子のためにも家のためにもよいと思ったからだ。油まみれの苦しい工場勤めは染子を苦しめたが、彼女は佐藤の帰りをじっと待ち続けた。

 そんなある日神社にお祈りにいった染子は石段を登り社の前までくると奇妙な声がする。
「・・・明日はいよいよ地獄との道が開く時だなあ」
「うん、やっと地獄に帰れるな」
初めはあまりにも小さな声なのでようく耳を澄ましてみるとはっきりとそう聞こえた。
「しかし人間たちに知られたら事だ。死人が生き返るなぞとな」
「いやまったく大変なことになるだろうよ」
染子はそっと賽銭箱の裏を見てみるとなんとそこには小さな鬼が二匹いるではありませんか。一匹は青い太った温和な雰囲気をした鬼、もう一匹はするどい目つきをした赤い鬼。慌てて口を塞いで思わず声を出しそうになるのをこらえながら、二人の話に聞き入ってみると、なんとあくる日に地獄との門が開き死人を生き返らすことも可能だといいます。染子はもしかしたら佐藤は死んで地獄に行ってしまったのかもしれないと思い、旅立つ決心をしました。 

 そこで、にわかには信じられませんでしたが次の日、神社の桜の木の影に隠れて鬼達を待っていると暗い穴がぽっかりと開いて、そこに鬼達が入っていった。しかし穴は小さくて指がやっと入るほど。覚悟を決めた染子は真っ黒な穴に指をいれるとあっというまに体が吸い込まれ、気がつくとそこはまったく違う世界、地獄だった。

 染子は気がつくと、そこは激しく暑い場所で、目の前には血のような赤い池があった。熱が体を通り、内臓を燃やすように地面の下から下から湧き上がってくる。もうろうとした頭を抱えながらあたりを見回すと遥か遠くに何やら高い塔がそびえているのが見えた。ここは地獄に違いないと思いながら、その場所を目指して染子は弱弱しい足取りで、歩いていった。

 段々と建物は近くなり、何やら不思議な形をしていることに染子は気づいた。頂上に大きなダストシュートのような先の太く延びた筒状の物がついていて、その中に空から白いふわふわした球状の炎が吸い込まれていく。彼女はそれをしばらく眺めていたが、やがて意を決したように
塔の門に入っていった。
「もし誰かいませんか」
声をかけるが返事がない。中に恐る恐る入っていくと、何やら奥の方で
陽気な声が聞こえてきた。
「ぐつぐつ煮よう。ぐつぐつ煮よう。地獄の釜でぐつぐつ煮よう」
染子は声のする方へ進み、そこにあった部屋に入ると大きな釜が真ん中に置かれ、その縁に小さな鬼がいて、中のどろどろした物を混ぜ合わせていた。
「なんじゃお前は」
鬼は染子に気がついて声をかけた。
「もしや生きたまま地獄にきたんか。なんとこれは一大事じゃ。閻魔大王様に報告せねばなるまいじゃ」
鬼は鼻を曲げ、小ずるそうなおでこを自分でペシペシと叩きながら急いで釜を混ぜ始めた。
「ちょっとまっとれ今おわるけのお」
急いで釜の周りを走り回る小鬼の愛くるしさに思わずこぼれそうになる笑みをこらえながら染子は鬼をもっとみようと顔を近づけていく。
すると染子の息でバランスを崩しそうになる小鬼が
「なにをするんじゃこの鼻息娘」
と怒り出す。そんな様子に親しみを感じた彼女は何を混ぜてるのか聞いてみると
「これはじゃなあ、魂じゃ。地上からやってきた魂をここできれいにあらっとるんじゃ」
とふうふう息を切らせながら答えると今度は染子に
「こんな所に生きとる身で何しにきたんじゃあ」
と聞き返す。
「実は私死人を生き返らせたくて、ここまできたの」
「なんじゃと。ほんに命知らずじゃなあ。閻魔大王様はそんなこと簡単にはお許しにはならんぞい」
「じゃあ 許してくれるかもしれないのね」
「とりあえずこい。閻魔大王様に会わせるじゃ」
そう言って鬼は釜をぴょんと降りるとさらに奥の部屋へ歩き始めた。

  染子は小さな小鬼についていくと、そこには螺旋状
らせんじょう
の階段が見えた。
 小鬼が小さな手をおいでおいでとするので彼女は階段をぎしぎしといわせながら緊張した表情で上っていくと、やがて最上階についたようだった。
 そこにはやはり染子からすれば小さな、そして鬼にとってみれば大きな豪華な椅子がひとつ置いてあり、席にはたくましい髭を生やした鬼が座っていた。
「閻魔大王様~」
小鬼が声をかけると、寝ていたらしく閻魔大王は
「桃鬼ちゃ~ん」
と寝ぼけた様子で云うので、小鬼が肩をとんとんと叩くとと「ん、なんじゃ」
と目が覚めた様子。
染子がいることに気づいて一つ咳払いをすると、
「この者はなんじゃ」
と小鬼に聞く。
「この者は死人を死なすとかなんとか申しておりますじゃ」
「ん?死人を生き返らすではないのか、この馬鹿」
閻魔大王が持っていた扇子でポカと一叩き。小鬼は「痛い 叩くことないじゃ」とふてくされていじけてしまった。
 そこで改めて染子はどうして自分が地獄にきたか理由を話した。
「どうか佐藤さんを生き返らしてください」
そういって染子が頭を下げると風が起こり閻魔大王は吹き飛ばされそうになり必死に椅子にしがみつく。
「何をするこの馬鹿娘、お前の母ちゃん でべそ」
どうやら閻魔はかなり口の悪い鬼らしかった。染子は怒る気もせず今度はゆっくり頭をあげると閻魔は
「条件がある」
と言い出した。
「何ですか?」
と染子が聞き返すと、しばらく押し黙った後閻魔はにやりと笑いながら云った。
「わしにじゃんけんで勝つことができれば生き返らしてやる」

 そこまでいったところで、小鬼が染子を助けようと話にはいってきた。
「やめとけ、閻魔大王様は地獄一のじゃんけんの使い手なんじゃぞ。それに負けたら自分の魂がなくなる。つまり死ぬんじゃぞ」
 小鬼のいうことは事実であった。閻魔大王は今の地位を地獄の古来からの戦闘様式である「じゃんけん」で勝ち取ったのだ。
 そして一方染子にとっても「じゃんけん」は特別な競技であった。
 6才の時兄とのおやつ争奪戦に敗れてからというもの修練に修練を重ね、現在53連勝中であった。普通にじゃんけんをすればご理解いただけるだろうが、この数字のすごさはまさに地上一といっても過言ではないのである。
 しかし、染子には不安があった。自らの肉体から魂が抜けていくという事態を想像できない恐ろしさがあった。脂汗が首筋から流れ落ちる。鼻頭にもうっすらと汗がにじむ。
じゃんけんとは精神力の勝負なのである。このままでは負ける。
そう思った染子は閻魔大王に話しかけた。
「もし私が勝ったらあなたはどうなるの」
「わしが負けるはずはない」
染子は閻魔大王にもプレッシャーをかけたいと必死にきくが、答えは同じだった。
だが、小鬼がここでも口を出す。
「閻魔大王様が負けたら、地位を失って追放されるじゃ」
とたんに閻魔大王の顔が青くなり、ぶるぶると震えだす。だが、そこはさすが、その表情を出したのは一瞬だけで、すぐ平然をよそおった。
 だがそれは染子の心持ちを楽にした。
 今五分と五分になったのである。
 小鬼がでてきて審判をつとめるため二人の間に立った。
 今まさに地獄一の使い手と地上一の女が雌雄を決する時なのであった。

 男の初心者は通常グーを出すということを染子は経験上知っていた。だが、相手は閻魔大王そんな推測は成り立たないだろう。
では一体どんな「じゃんけん」をしてくるのだろうか。
二人は手を前に出して地に足がめりこむほど踏ん張り、構える。
染子はじゃんけんの師である近所のじゃんけん爺に教わった龍の型である。一方閻魔大王は足幅を広く取り、腕を前方に長く伸ばし構える独特のものだった。染子は当然こんな構えをする流派にお目にかかったことはなかった。
だが幸いその手は拳を握り締めている。
染子はしめたと思った。
なぜなら染子は相手の手がグーから別の手に変わるかどうか見極められるのである。
つまり相手がグーから変化させようとすればチョキを出しておけば負けることはないし、グーのままであればパーを出せばいいのである。
一歩間違えば後出しの汚名とともに反則負けとなるが彼女は完全にこの技を自分のものにしていた。これは膨大な経験のなせる技である。雨の日も風の日も「じゃんけん」を繰り返してきた女の業であった。
 
 小鬼が号令をかける。
「じゃんけ~~ん」
針の穴に糸を通すような集中力で染子は相手の手を見る。
グー、グー、グー。
変わった。
染子はその瞬間チョキを出そうとした。
だが、彼女のじゃんけん師としての本能に危険を知らせる何かが襲ってきた。
いけない。
「ぽん」
彼女は硬直してしまってグーのまま。
相手の手は・・・・・

「グー」
なんと閻魔大王はグーから動かすと見せかけてグーに戻す二段石拳の使い手であった。恐るべき相手。もうこの技は使えない。
染子は焦りを感じた。だが小鬼の声は無情にも続く。
「あいこ~~で」

 次に染子が考えるべきは相手の心理であった。閻魔大王が最初の手にグーを出したということは次は何をだすだろうか。
もし万が一グーを再び出したとしたならば、閻魔はそのまた次の手にグーは出しづらくなる。「じゃんけん」において相手に手を読まれるのは避けたい心理が働き、グー、グーの後にはチョキかパーを出したくなるというのがその理由である。
ということは次はチョキかパーだ。チョキを出せば負けない。
そこまで瞬時に考えた染子はチョキを出そうとする。だが待てよ相手に読まれていたら。額を汗が流れ落ちる。地獄の熱が一層段々と二人の戦いを熱くする。よまれているならば・・・。相手はグーでくるか。
そこまで考えたところで
「(あいこ~~で)しょ」
小鬼の掛け声が塔の最上階に響く。
染子はまた動けなかった。グーのままだ。
相手の手は・・・

グー。
危なかった。
しかし、これで相手の手は2回続けてグー、次の手はグー以外になる確率が高い。だが再び閻魔に見透かされてるようでなんとも不気味だ。
再び小鬼が
「あいこ~で」
と声を出す。
混乱した染子はじゃんけん爺の言葉を思い出す。
「いいか。もしどうしても相手の手がわからなくなったときはパーを出せ。人は最もチョキを出す確率が低いからだ」
ええいままよ。佐藤さん力を貸して。
そう願いをこめて染子はパーを出した。
相手は・・・・・

グー。
勝った。
染子は喜ぶというより安心した様に腕を下ろすと、三回連続グーを出すという強敵、地獄一の使い手である閻魔大王も
「負けた」
と潔く言った。
その瞬間目の前が真っ暗になり、染子は気がつくと神社の広場に倒れていた。
もう春が来ていた。
ほどなく桜の花が満開を迎える頃、佐藤は戦地から帰ってきて不思議な体験を語った。
「たしかに一度戦地で死んだと思ったんだが生きていて草原に倒れてたんだ」
それから二人はめでたく結婚し3人の子供に恵まれ、幸せに暮らしました。
鬼たちは染子のいう佐藤がどの佐藤かわからなかった。なので、佐藤という人間をみさかいなく生き返らせたため今では佐藤という苗字が日本には多いそうな。

強き女

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強き女

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-11-12

Copyrighted
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