はじめてのがっこう

2XXX年 某日 とある科学者のデータ 一部抜粋

特定抗原過剰免疫反応。ドイツ語でそれを【アレルギー】と呼び広義に広まっている。
元来、異物を排除するために働く免疫反応というものは、生ける個体にとって、
必要不可欠な生理機能であるが、それを過剰に引き起こすアレルギーは地球上の
生きとし生けるものを悩ませてきた。

アレルギーが起こる原因は全く解明されず、環境要素、抗原に対する過剰曝露要素、
遺伝的要素などが原因ではないかと考えられている。
なお、アレルギーを引き起こす環境由来抗原を特に【アレルゲン】と呼ぶ。

(中略)

日本人は特に、植物よりの環境由来抗原に苦しめられている民族であったが、
利権や利益、環境保全等を考えた政府が、アレルゲン自体の大幅な抑制に消極的であった。
しかし、それはアレルゲンへの反応が薄かったプリミティヴな老人たちであったからで、
アレルギーに苦しむ世代が、次第に政府や企業の中核を担うようになると、
一時的な誤魔化しでの対症療法に我慢ならなくなった。
よって、日本生体科学特別研究所第25ラボの発案から10余年。
とうとう、アレルゲン抑制のナノマシンが開発され、完成に至った。



4月7日、くもり。つじうらこうすけ。6さい

ぼくはあした、一年生になる。

「コウちゃんも一年生になったのね。おめでとう」

にこやかに話しかけるのは、となりの家にすんでいるおばちゃんで、
「はんちょう」のお母さん。

「うちの子が明日迎えに行くから」
「心強いです」
「皆、してきたことよ」

おばちゃんはにこにこして笑う。
おかあさんも、そういう風にわらえるようになるのかな。

僕がしっかりすれば、だいじょうぶだよね。

ぼくはあした、一年生になる。


2XXX年某日 抑制ナノマシン制作者のインタビュー。一部抜粋

日本人のアレルゲンの象徴といえば、やはりスギじゃないですか。
幼いスギの株に、アレルゲンとなる花粉を無毒化・飛散減少を促すナノマシンを
組み込んで実験場とした、とある関東の山に植樹したのです。
近場に育っていたスギにも植物学者の協力の下、同じようにね。
最初に効力を促したのは、やはり幼いスギでした。
これの出す花粉を浴び、て花粉症にかかる割合が元来のスギよりも九割以上
減少したのですよ!
徐々にナノマシンが浸潤した既存のスギにも効果が上がって、五割以上が
花粉のアレルギー症状が出ないとの結果が出たのです!

喜ばしいことです。早急に全国のスギ林にナノマシンを組み込む予定ですから、
ごれでぐっと花粉症に苦しむ人は減りますよ。

……ただね、今回。ナノマシン自己増殖型のものなんですけど。
ううん、いやいや。そこを考えて計画されて生産されたものなので、全く心配はないのですが。
そこに詳しい人だとかが、ソーシャルネットワークや大型掲示板とかで、あらぬ警鐘を鳴らして
皆さんを不安に指せる前にね、先に言っちゃおうと思うんだけど。

自己増殖ナノマシンは、細胞によって増殖するわけではないんだけど、
もしそれが、自己複製時のプログラムエラーなどにより暴走した場合、
これらの増殖が止まらなくなる可能性もあるっていう奴ね。
ナノマシンは幾何級数的に個体数を増やすから、数時間のうちに地球全体が
ナノマシンの塊であるグレイ・グーに変化してしまう危険性とかさ。
生物兵器に転用とか。

ありませんよ?
もし化学的に、地球上の全ての生き物を分解することができるのならば、
自然のナノマシンとも言われているバクテリアがグレイ・グーならぬ
グリーン・グーを起こして。世界はバクテリアになっていますよ。

それに今回の抑制ナノマシンは、プログラムを変更しそうになった自分の仲間を
破壊するように制作してあるんです。エラーを起こしたナノマシンは正常な
ナノマシンに破壊される。これで安心できるでしょう?



2XXX年、4月8日 AM7:30

玄関の扉を開いて最初に視界にに飛び込んできた、灰色と緑の不透明水彩を固く練り
砂を混ぜこんだような、重苦しい泥のような曇り空。
どろりと頭上に落ちてきそうな空に、少年の大きい瞳は釘付けになっている。

「いい天気だわ」

隣に佇んでいた少年の母が、枯れ木のように節くれた、細く硬い指を彼の肩に置いて呟いた。

「太陽が出ていなくてよかった。花粉があまり飛ばないし」

彼女はそう呟いてから、不意に、ごぼ、と低く吐き気を纏う咳をして、
一度玄関の中に引っ込んだ。
母親の硬い手のひらには、灰色の痰がこびりついている。
痩せぎすの頼りない母の背中を見送りながら、母親は恐らくマスクを装着しに
行ったのだろうと、康介はぼんやりと考えながら、再度空を見上げた。

春暖かな快晴というものは、花粉が多く飛散すると良く母が言っていた。
気温低めの曇り空は、それが抑えられる。
花粉症の母にとって比較的楽でも、矢張りマスク無しでは厳しいようだ。

康介が生まれたのも、春爛漫の快晴。雲ひとつ無い空だったという。
玄関脇に置かれた写真立てには、おくるみに包まれた自分を抱く母と、
自分を覗き込む父。背後に広がる青い空と、桜の木。
父も母も、健康そのもので笑顔は太陽のように眩しい。

幼稚園に入りたての頃、母は春の日差しも気候も好きだと言って
康介を連れて、河原を散歩に連れて行ってくれたものだ。
花粉のことなど、一度足りとも言ったことはなかった、あの時代。

【だから、それでも。僕は太陽が好き】

と、告げることを康介は母にはしない。
落ち窪んだ眼窩から、落ちそうな充血した目玉を天に向ける母の気持ちは、
6歳の幼く未成長な心でもそれを言うべきではないという事くらいは、
彼にも解っていたからだ。

母とて好きで、このような自体に陥っているわけではないと。

「コウちゃん!」

自分を呼ぶ声に、康介は視線をその方向に向けた。
門扉の外、経年劣化でくすんだ黄色の帽子を被り、黒色のシワや傷を刻んでいる
ランドセルを背負った、丸顔で小太りの少年が満面の笑顔で立っている。

「さあ、俺達と学校に行こう!」

門扉の外で手を伸ばす少年に、康介は少々躊躇したが、その時に玄関から
マスクをして急いで飛び出してきた康介の母が、彼にお辞儀をすることで、
康介は少し安堵した。
ヒサシと呼ばれた少年は相槌のように無言で、しかし笑顔のまま、お辞儀を返す。

「ヒサシ君。康介をよろしくね」

母の言葉が終わるか終らないかと言うところで、ヒサシは門扉を開け、
康介の前に立ち、彼の肩に両手を置く。

「行こう」

白い鉄柵の門扉を開くと、ヒサシは康介の右手を掴んだ。
その手はゴム手袋と似たような感触をしており、康介は少し気持ちが悪かった。

「いってらっしゃい、気をつけてね」
「うん、いってきます」

母の言葉に、康介は笑顔で手を振りながら返事をした。

「早く。皆が待ってるから」

やたらと急かす大きな少年を苛苛しいと思いながらも、康介はおとなしく従うことにする。

『通学班は集団行動というものだから、一人が遅いと皆が迷惑になる。
康介も寝坊しないように、班長サン達の言うことを聞くんだぞ?』

父がクリスマスの日に晩酌をしながら、康介を膝に乗せて話していたことだ。
あの日の後父は隊長が悪くなり、数日前から病院に入院中である。

ヒサシの手に引きずられるように康介は道に出ていくと、家から数メートル離れた
何時も遊んでいる公園の入口手前で、数人の少年少女が屯しているのを確認した。
彼らの方もヒサシと共に康介を確認し、視線を一斉に彼らに向ける。

奇妙な威圧感を感じ、康介は母の待つ家に戻りたくなって、不安げに振り向けば
母はもういない。
花粉症が辛いのだろう。本当は外にでるのでさえ苦痛の母が居ないのは、
ごく自然で当然のことだろう。

【……もう頼ってはいけないんだ】

軽い絶望を感じるとともに、昨日母親に抱かれてさめざめと泣きながらも、
心にした決意を思い出して、康介は潤んだ瞳を抑え、少年たちの群れに加わった。



2XXX年某日 プログラムエラーについての極秘調査書類 序

先日自殺したアレルギー抑制ナノマシン研究者のパソコンから、ナノマシン自体の
計算式が間違っていた事が解明されていた。初歩的な、しかし致命的なミスである。
その事実を知ったのが、本人のブログ発表前の下書きに記された物によれば、
自殺する三日前であるから、研究者がテロ目的で壊れたナノマシンを
全てのアレルゲン植物に投与した訳でないことは判明している。

アレルゲン抑制ナノマシンを投与された植物は、この五年で実に数十種類。
花粉症に似ているが少々奇妙な症状を以って病院を受診する患者が、
未だ数は少ないが、月推移で一人、また一人と増加している。

もしこれがナノマシン由来の病で有るとしたら、自体は由々しきものとなる。

結論として言うならば、アレルゲン物質を出す植物を対象に植え付ける事で、
人間への被害を抑えようと試みた実験が、見事に失敗したということになったのだ。



2XXX年、4月8日 AM7:35

康介は一年生と言うことで、先頭の班長である六年生、
小林ヒサシの直ぐ後ろに並ぶよう指示された。
それに続いて、二年女子の木暮美依、三年男子の(はしばみ)シンジ、
四年女子の宮乃川ユキ、そして最後尾に五年生の副班長、道行静佳という順に
隊列を組まれた。

木暮美依は、松の葉のように細い目とそばかすが印象的である。
榛シンジは、逆に目が椎の実のように丸いが、顎が尖って口元を突き出している。
宮乃川ユキは、驚くほど可愛らしく、テレビに出てるアイドル少女に似ている。
道行静佳は、鋭い目つきと引き絞った口元が、恐ろしく見えた。

「学校につくまでは、班長である俺の言うことを聞くこと。いいね?」

ヒサシはもちもちした頬を赤らめて、にんやりと笑う。

「班長が居ない時は副班長、後ろのあいつの言うこと、聞いてね」
「なによ、あいつって。あたしには静佳って名前があるんですけど」

静佳が鋭い目つきに更に眉間に皺を寄せると、更に般若の如き様相に代わり、
康介は慄然として、ゴム手袋のような手の気持ち悪い班長にすがるではなく、
幼稚園が同じで、なんとなく覚えてきた、そばかす少女の美依の背のシャツを掴む。

「大丈夫よ。しず姉はヒサ兄にはああだけど、後輩には優しいから。特に男子」
「ちょっと、美依。誤解される言い方やめてくれる?」
「事実じゃん」

美依は無表情のまま静佳に反論しつつ、康介の頭をなでる。
その感触はゴム手袋のそれとは違って、自分と同じ柔らかく温かい皮膚の感触だった。

「兎に角、コウちゃん。危なくなったら私が守ってあげるから」

最後尾で手が届かないからなのか、静佳は般若のような様相を素早く打ち消し、
打って変わって温和な表情で小首を傾げながら笑顔を作る。
その顔が一瞬元気だった頃の母に似ていて、康介はどきりとして頬を赤らめる。

「……信ぴょう性ないよ、ね。守れなかったくせに、さ」

突然、椎の実のように丸い瞳のシンジがぽつりと呟く。
彼の言葉に温和な空気が一瞬にして凍りつく感覚を康介は覚えた。
静佳の表情が硬くなり、美依はシンジを睨みつけ、ヒサシの満面の笑顔が
少し引き攣った。

「全体責任なんだけど」

それを打ち消すように言葉を発したのは、美少女のユキだ。

「この班全体の責任を静佳姉さんに押し付けようとする言い方、やめなさいよ」
「え、僕、そういうつもりは、なく」
「だからモテないのよ」

ナイフで容赦なく斬りつけるような言い方にシンジがどぎまぎしながら、
ユキに反論を試みるが、彼女はまくし立てるように彼を追い詰める。

「あー、あー。そろそろ行くぞ。私語禁止!」

収集がつかなくなりそうな状況を打破したのは、矢張り班長であるリーダーの
ヒサシだった。

「コウちゃん。こんな奴らだけど、一緒にいるとそこそこ楽しいから」

フォローにならないフォローを康介に入れるヒサシの笑い方が、隣の家のおばちゃんに
似てると康介は思いながら頷くと、顎をしゃくって最後尾の少女に視線を送った。
それが出発のサインだったのだろう、ヒサシは歩き出し、それに康介も慌ててついていく。


康介の住んでいる住宅街から見て西。
まっすぐ貫くように伸びる、大きく広い道を康介は初めて見た。

「まず、あそこに出る。それをまっすぐ北に進むと学校。単純なんだよね」

ヒサシが指さしながら、康介に気さくに話しかけた。

「コウちゃんは初めてだよね。あの道を見るのは」
「うん」

何よりも康介は、自分が住む住宅街以外は記憶に無い。
アルバムで二歳以前には遊園地などに行っている写真はあるのだが、それ以降は
近所の公園と河原と土手でしか外で遊んだことはない。
貧乏というわけではなく、住宅街の中にある幼稚園に通う子供たち全員が
似たような環境だった。
よって康介にとって外の世界は新鮮で、かつ不安もつきまとっていた。

住宅街の外れに来ると、他区画からの通学班らしき一団がひとつ、
また一つと増えていく。
大きな道の脇に生えるように沿っている私道から次々顔を出しては、
大通り向かって歩いている。康介たちと同じような隊列を組んで、
歩く少年少女達。

住宅街と近くの公園しか外に出たことのない康介は、次第に絵本やテレビ、
父親の言っていた、街の作りとだいぶ違うことに違和感を感じる。
その最たる疑問を、康介は背後を歩く美依に言った。

「……車とか大人とか歩いてないね」
「ああ、それは」

美依が口を開いた時、ヒサシが振り向いて二人に向かって人差し指を立てて
己の口元に置いた。

「学校につくまで、おしゃべりはいけない」

周囲を見ても、列を乱さず真っ直ぐ歩く、少年少女の隊列は無言を徹している。
怯え狼狽えて、何か必死に前後に問いかけているのは、康介と同じ1年生らしき
班長の直ぐ後ろにつく子供だけだった。

「私らはともかく、コウちゃんは、まだ花粉が脅威だから」

狼狽える康介を気の毒に思ったのか、静佳が一言だけ彼に声をかけた」

「……僕、花粉症じゃないよ?」

花粉の事が突然出てきたので、意味がわからず首を傾げて静佳の方を見た
康介に、静佳の代わりにシンジがその疑問に答えた。

「学校までの花粉は、住宅街より多いんだよ」
「……?ふうん?」
「詳しいことは先生が教えてくれるよ」

シンジの返答の後、ヒサシが再度班員を振り返った。

「もうすぐ森だから、皆、マスク着用で」



2XXX年某日 検証結果報告。中盤より一部抜粋

狂った自己増殖ナノマシンは、抑制プログラムのバグからバグへと二重損傷を起こし、
生命存続の最重要事項を取捨選択可能な思考を植物に与えてしまった。
それにより、人間に好都合のアレルゲン抑制ではなく、痩せた大地の代わりに、
栄養を豊富に持つ生き物に寄生して、成長することが極めて合理的だと植物たちは
結論付け、ナノマシンによってアレルゲンを変造し、撒き散らすようになった。

特に、大地に帰依をもたらさず、食いつぶして増えた人間を餌にするのが
これから生きるためにも非常に効率的と判断し、彼らは自己生成し変異させた
花粉を飛ばし、人間の粘膜にそれを植え付ける。

狂ったナノマシンである花粉は、人間の粘膜細胞を刺激するのではなく、
体内の水分を内臓や筋肉器官に循環させる機能を奪い尽くして、粘膜だけを生成する
個体へと変化させる。
これに冒されると、口腔、鼻孔だけでなく、排泄口すべてから、灰色の粘液塊を
吐き出すようになる。
灰色は数億数兆のナノマシンの元来の色であり、粘液の塊さえもナノマシンで
有ることを象徴している。
あとは同種の植物が花粉に冒され、ナノマシン粘塊を輩出するだけとなった
生ける屍の人間を捉え、雌株を体内に植え付ける事で繁殖は完了する。

年々増加傾向のあった奇妙な花粉症患者は、軽微から重度全て含み、国民の
約54%に達しており、そのうち改善の余地なく植物餌食となり行方不明に
なった人間は40万人に達した。
しかし、日本の緑化率は世界で最も高い水準となっていることが、余りにも皮肉な
ことであろうか。

人間は有害化した植物より逃れるために、これらを通さない樹脂型ドームの中で
花粉と植物から退避して暮らすことを余儀なくされた。

樹脂型ドームで有害植物を遮断した状態であっても、変異花粉症患者は後を絶たない。



2XXX年、4月8日 AM7:50

子供たちは各自、ポケットから銀色の端々に銀色の留め具の付いた四角い布を
鼻から顎まで覆い、頭の後ろで留め金を嵌める。

『学校から配布される有害花粉完全遮断防護マスクなのよ』

康介は、母の言葉を不意に思い出した。

『見た目はただの銀色の三角巾なんだけどね』

力なく枯れ木の枝のような指でそれをつまみながら、母が笑った。
ママがつければいいのに、と康介が言うと、彼女は康介の頭をなでて頭を振った。

『ママはいいの。ママにはもう、意味が無いから。付け方はね――』

昨日の会話を回想しながら教わったとおり、康介はマスクを装着しようとしたが、
上手く留められない。

留められないよ、ママ。

言葉について出そうになったそれを飲み込んで、必死に留め金をつけようとする康介に
背後の美依が、黙ってそれを留めてくれたので、康介は礼を言おうと
後ろを振り向いたが、何も言うなと言わんばかりに、少女は首を左右に振った。

先程よりも無言になった班員を見て、康介は祖母の葬式の雰囲気に似ていて、
やはり此処から逃げ出して、母のもとに逃げ帰りたかった。

康介が銀色のマスクを装着し終えた時点で、道や住宅街を覆っていた
アーチ型の透明な強化樹脂ドームの終着点に到着した。

そこには、この隊で一番大きいヒサシの何倍もあるであろう大きな白い樹脂製の扉が、
ほんの少し開いてそびえ立っていた。
続々と、他の班が扉の外へと向かって歩いて行く。

「さ、俺らも早く抜けないと。住宅街に花粉が入る」

ヒサシの声が、先ほどの優しさを失って、神経質で冷たい言い方に変わったことで
康介の緊張が更に高まった。

「やだあ!パパとおばあちゃんの所に帰る!」

他の班の1年女子が泣きだして逃げ出そうとするのを、
小脇に抱えたその班の班長である先頭の少女が抱えて、扉の外へと歩いて行くのを
横目で見て、康介も此処で声を上げて泣いて逃げ出してしまいたかった。

だが、暴れて泣いても班長が抱きかかえて扉に連れて行くのだ。
逃げようにも、他の班員に追いかけられて捕まって、同じように扉の外へと連れだされる。

「帰っても居場所なんて無いんだよ」

ぼそ、とシンジが呟いた言葉が、康介の心臓にずしりとのしかかった気がした。



2XXX年某日 医療省HPより、【花粉症】についての最終報告。一部抜粋

花粉に汚染された場合、軽微であれば取り除くことが可能であるため、
そういった人間たちは【花粉症】と診断されて病院からの手術治療を行う。
ただ年々花粉症は増え続け、働き盛りの30代以上であるほぼ8割が花粉症と診断されている。
金もなくコネもない世帯は、順番を先送りされて重度となり
病院に送られることのないまま、森に放逐されることも有る。


2XXX年、4月8日 AM7:55

扉の外を抜けると鬱蒼とした森であった。
ヘンゼルとグレーテルや、赤ずきん、オズのドロシー達の歩いていたような、
暗くて不気味な森である。
風もないのに、植物はゆらゆらと揺れて、樹脂製の天井に枝葉や蔓、花を擦りつけている。
花弁が擦りつけていった花粉の色は全て灰色で、砂のようにドーム状の天井から壁へと
滑り落ちている。

植物には当然触れられないし、また、植物たちも人間には触れない。
住宅街を覆っていた、強化樹脂ドームが、この森の道の壁となり、天井となっているからだ。

「道の整備はきちんと行ってるけど、アクシデントには気をつけて」

ヒサシの言葉は緊張感にあふれている。康介以外の子供たちの視線も、先の道ではなく
壁天井にびっしりと覆いかぶさっている植物群だった。

「先生たちは昨日、道の点検したって言ってたけど」
「……そんなのあてにならないわよ」

ユキがヒサシに意見すると、背後に居た静佳が暗い声で呟く。

「もう、あんな事にならねーよ」

急にヒサシがポツリと呟くと、静佳が顔を上げて彼をキツく睨んだ。

「俺は、前の班長と違うからさ」

そう言ってつやつやした頬をテカらせて、歯を剥いて笑むヒサシに静佳は
目を瞬かせた。

「……」
「コウちゃんは必ず守ろうな、静佳」
「あんたに言われなくても、そんなの、わかってるわよ」

康介は、静佳の目の端に浮かんだ涙の意味と、ヒサシの言葉の意味がよく解らなかったが、
美依の、己の背中を軽く叩く動作に含まれた『気にするな』という意味だけは
なんとなく理解できた。

「とにかく、ここさえ抜ければ、学校だから」

袖口で涙を拭って、凛とした声で言う静佳に、康介は安堵して吐息を付いた。

「きゃああああああ!!!!」

道の前方から、絹を裂くような絶叫が響き、その場に居た全員の表情が引き攣った。

「大変だ!排気ダクトを破壊して、ハナビトが入ってきたぞ!」

前方から、首にぶら下げた銀色の笛を鳴らしながら、どこかの班の副班長らしい
少年が走ってきて、ヒサシの他の班の班長たちに告げる。

「……何匹だよ」

ヒサシの表情が少年とは思えぬ、歴戦の戦士の如く勇壮な表情に変わって
伝達に来た少年に問う。

「数は2体。大型で、植物はスギと小型でブタクサだ」
「よりにもよって強毒性二体かよ……。一年は?」
「道に各所設置されてる清浄ボックススペースに避難させてる」

康介は記憶の端に引っかかったヒサシ達の言葉を、必死に思い出そうとしたが、
まだ理解が及ぶ前に、その存在が彼の視界に入ってきた。



2XXX年某日 科学省記者会見。ハナビト対策について

「――こうして出来上がったのが、各地に生い茂る森の正体であり、繁殖のために
苗床である人間をぶら下げて這いずり回る植物を、人々は【ハナビト】と呼びます」

「ハナビトに有効なのは、栄養源になっている人間の過剰分泌された粘塊を減少させて
枯らせることが好ましい」

「開発された強化コハクカーボンにより、粘膜を瞬間焼却・蒸発させる事が最も
最善のハナビト対策ですが、これで戦闘を行うには、最低10年の訓練・資格が必要です」

「コハクカーボンは先端に数千度の熱を発生させ、握る部分も高温になりやすく、
これの改善がまだなされていない。訓練過程において、皮膚に厚みが出て硬化してしまい、
ゴム手袋を嵌めたような手になってしまうのが難点である」



2XXX年、4月8日 AM8:00

それは灰色をした悪臭漂う粘液の固まりであった。彼らの頭上には植物が生い茂っている。

1匹は、大人の男性と同じサイズに、頭上には盆栽かと思わせるような、
小型サイズの木を生やしていた。
もう一匹は康介と同じくらいの身長で、頭に黄色い鈴生りの花をつけた、
ススキに似たを無数に生やしており、黄色い花部分が金色の髪にも見える。
それぞれに生やした植物が違ったが、頭上の植物が意思を持ってうねるのを、
康介は初めて見た。
それらがうねると、下の粘液塊が植物に倣ってぶよよ、と蠢く。

「スギとブタクサのハナビトね」

美依がぼそぼそと小さな声で言うのを、康介は耳にする。

「有毒植物の中でも、強い毒性のある花粉を飛ばす植物よ」
「見たこと無いよ、あんなの」
「そりゃ、ドーム外の植物だもん。知らなくて当然よ」

美依の説明を聞きながら、康介は気味の悪い植物生物を正視しないように
ちらちらと見やる。

スギハナビトは動きが少なく、音も立てず殆ど動かない。
ただ、ゆらゆらと植物にしなりに合わせて揺れているのみである。

だが、ブタクサハナビトは、妙に攻撃的で、植物の直ぐ下の薄い透明な部分から、
ビブブ、ビブブ、という、異様で不愉快な低くこごもった呼吸音を漏らして、
触手のようにうねる緑色の茎部分をムチのようにしならせて、彼らを威嚇しながら
蝸牛が作る道に酷似した粘性の白い筋を作りながら這い寄ってくる。

近づくにつれ、植物を頭頂部というのなら、肩の部分に当たる辺りから
細い緑色のしなやかな蔓を二対伸ばしはじめ、異様な呼吸音の律動が早くなる。

「ブタクサハナビトに交戦の意思を確認。直ちに殲滅に入ります」

ユキがランドセルにつけていた、手のひら大のうさぎ型のキーホルダーを
引っ張って、口元にかざして告げると、キーホルダーから『了解』という
大人の女性の言葉が返ってくる。
他の班もユキと同じ位置にいる少年少女が、ランドセルに付けたそれぞれの
キーホルダーを引っ張って、彼女と同じ言葉を告げていく。

「うちの班に了解が出たわ、班長」
「わかった」

ユキの言葉にヒサシが頷いている。

次々の班の先頭を歩いていた少年少女達が、ランドセルに刺していた
30cm強の黄土色の円筒形の長物を手にして小さいブタクサハナビトを取り囲み、
班の最後尾を歩いていた副班長が先頭に立ち、首からぶら下げていた
銀色の笛を鳴らしながら、他の班員を道の各所に用意されている、樹脂の壁に
遮蔽された小さい空き地のような場所へと誘導する。
先ほどまで完全に遮蔽されて、入ることの許されなかった広場は、
ハナビトの出現と共に開放されていた。

ヒサシも他班長の例に漏れず、黄土色の円筒形の長物を取り出し、
ハナビトの元へと向かっていく。

異様な状況が続き、康介は言葉を失っていたが、美依に肩を叩かれて我に返り、
周囲の班から響く副班長の笛の音が、最も近くから聞こえない。
康介は疑問に思い、副班長の静佳の方を振り返る。

「静佳!コウちゃんや他の班員を清浄ボックススペースに!」

康介が振り返るのとほぼ同時に、ヒサシの怒号にも近い声も
静佳にぶつけられたが、彼女は首にぶら下げた笛を鳴らすこと無く、
呆然とブタクサハナビトを見つめている。

「……ナオキ……ナオキだ」

焦点が全く定まっていないのに、爛々と輝く静佳の瞳を見た康介と
他の班員は、静佳の狂気の表情に恐怖を覚えた。

「おい、静佳!」

ヒサシが異常を察知したのか、ハナビトの元に向かうのを一旦止め、
自分の班を振り返り、今一度副班長の名を叫んだが、彼女はヒサシの言葉に
耳を傾けずに、班長たちに取り囲まれたブタクサハナビトの元へと駆け寄った。

「ナオキ!」

各班長である少年少女達が駆け寄る静佳を見て、異常を察知して体を張って
静佳を通すまいとしたが、邪魔だと言わんばかりに静佳は目を血走らせて、
彼らの肩を掴んで、前へ進み出ようとする。

「ナオ君……そんなはず、ない」

シンジが狂乱する静佳と、ブタクサハナビトを交互に見やりながら
口元に手を置いて震え声を出す。美依も表情は変わらないが、身動き一つ
取れずに言葉も出ない様子であった。

「ナオ君って……誰」
「……静佳姉さんの、弟。生きてたら、シンジと同い年」

唇を噛み締めていたユキが口を開いて、疑問をぶつけた康介に言う。

「コウくんと同じように初めての通学途中に、事故でハナビトに攫われたの」
「え……」
「当時の班長がビビって逃げて、直ぐ後ろにいたナオ君は犠牲になって」

説明を繰り返す度に、ユキの顔が怒りの表情に変わっていく。

「あの時程、班長は口だけじゃダメだって思った」
「……今の班長は?」

康介のあどけなく素直な問いに、ユキは我に返って彼を見て優美な笑顔を向けた。

「ヒサ兄さんは、優秀な班長よ。大丈夫」

でも、と、ユキは未だ班長達の間を縫って飛び込もうとしている、静佳を見つめた。

「静佳姉さんも、優秀な副班長だったはずなのに」
「止めないの……?」
「私は静佳姉さんが何かあった時、代わりをしなきゃいけないの」

そう彼女は静佳に告げると、美依と康介の肩に手を置いて、他班の人間たちが
飛び込んでいく空き地へと背を押した。

「さ、シンジも。私達はコウちゃんを守らないと」
「う、ん」

吃音気味に頷くシンジはユキの背後に立ち、ハナビトの方を正面にして、
両手を広げた。

「なんで。僕を守らないといけないの?」

背を押されながら、最優先に先頭に立たされて走る康介がユキに問うと、
ユキの代わりに隣で走る美依が答えた。

「コウはまだ学校に行ってないからだよ」



2XXX年某日 首相官邸秘密保護書類No,20006456より抜粋

我々が、対ハナビトと有害指定植物との対峙のために新しい試みとして
行っているのが、誤計算されたアレルゲン抑制ナノマシンを、再度正しく計算し、
なおかつ植物ではなく、人間用に改良を施して子供たちに投与する試みである。

この対人間用アレルゲン抑制ナノマシンは、人間を粘液人間に変造させるナノマシンを
を抑制して無毒化するもので、有害花粉に汚染されない肉体に強化するものである。
ただしあまり自我形成がなく幼いうちに投与すると、有害植物のように、ナノマシンが
暴走する恐れが高確率に及ぶというマウス使用による研究結果が出ているため、
自我の形成が比較的成熟した、6歳より投与が開始される。

6歳投与にて数日で、花粉症免疫が3割、1年経過で6割、2年経過でほぼ9割の
有害植物花粉の無毒化が可能となる。

ただしこのナノマシンは、有毒花粉ナノマシンが全身に浸潤した患者には
効果が無い為に、花粉症患者の特効薬とはなりえない。

よって、これは秘密裏に子供たちのみに投与を行う。
大人たちや花粉症患者、マスメディアに漏れると、誤情報が飛び交い、
ナノマシンが無駄に不足する現象が起きるのを防ぐためである。
これが、人類を滅ぼす花粉症蔓延を防ぐ最良の一手となることを期待したい。



2XXX年、4月8日 AM8:15

静佳の必死の抵抗は何の効も奏さなかった。
数人の班長が静佳を取り押さえ、残った班長たちが武器を携えてハナビトに
再度立ち向かったからだった。

「やめて!ナオキを殺さないで!」

地面に抑えこまれたまま手を伸ばす、静佳の悲痛な悲鳴が辺りに虚しく響いた。

「静佳!それはお前の弟じゃない!ハナビトだ!」

抑える役のひとりとして回ったヒサシが、血を吐くような声で静佳に怒鳴るが、
彼女は体をのたうたせて、もがきながら小さなハナビトに手を伸ばした。

「ナオキ、ナオキ、お姉ちゃんだよ。ナオキ……」

口から泡を飛ばし、涙を流しながら静佳が叫ぶ。

しかし無情にも作戦は決行された。
班長達が持つ黄土色の武器の先端が琥珀色にまばゆく輝く。

「ナオキ……」

彼らは一斉に跳びかかり、ハナビトの粘液塊部分に一斉に琥珀の先端を突き立てる。
ハナビトは声を上げること無く、白い煙を立てて焦げ臭さを辺り一面に充満させる。

粘液は溶け崩れていき、ブタクサの金色の花が茶色に変色していく。
栄養を失って急速に枯死している証であることを表していることを、その場の全員は
理解していた。

その時、思わぬ事態が発生した。
「オ゛オォォネ゛え……ヂャ……」

溶け崩れて行く最中でも、まだ粘液の流動が激しい、頭部に近い部分から、
くぐもって聞き取りづらいが、明らかに人の声をハナビトが発声したのだ。

「ナオキ!」

班長全員が驚いて目を瞠り、静佳を抑えていた手が緩んだ。

「離せええ!!」

彼女は怒号とともに、少女とは思えぬ力で班長たちを突き飛ばして立ち上がり
溶け崩れる小さなハナビトの元に走って行く。
ヒサシは再度静佳の肩を掴んで隊に戻そうとしたが、彼女はその隙を見計らい、
彼から武器を奪いとって拳で殴り飛ばすと、最後のとどめを刺そうと
小さいハナビトを突き刺している班長たちに襲いかかった。

「ナオキに触るなああああ!」

琥珀色に光る先端で静佳は班長の一人の少年の方を殴りつけた。

「ぎゃああああ!」

武器で殴られた子供は、絶叫して殴打された部分を押さえて転げまわる。
その部分は骨が見えて、溶け崩れていることをヒサシは驚きを持って確認し、
再度、小さなハナビトを見ると、もうもうと蒸気が漏れ、溶け崩れているのが見えた。
頭上のブタクサも、すでに朽ち果てしおれて勢いをなくした粘液の中に沈んでいる。

「ナオキ、ナオキ、ナオキいいいい!!」

静佳は半狂乱で、死にかけた小さい化け物に覆いかぶさって号泣する。

溶け崩れ蒸発した粘塊から、白く小さな細い手や足が現れて、枯死した植物が
かさかさになって落ちると頭部が出現する。

うつろな瞳は切れ長で、静佳に似た面立ちだった。
遠くから見ていた康介は、静佳がハナビトではなく、弟だというナオキの遺骸を
抱いて泣いているようにも見えた。

ヒサシや他の班長は静佳の行動を詰ること無く、しかし近づいて同情や憐憫を
見せること無く、ただ黙って見つめている。
そんな中、口火を切ったのはヒサシであった。

「……5年の道行静佳が【魅入られた】って報告して」

ヒサシは疲れきったような口調で、少し離れた場所で状況を静観していたユキに伝える。
言葉を聞いたユキは、涙ぐんで頭を弱く左右に振ったが、ヒサシは振り向くこと無く
それ以上喋ることもない。
泣きながらハナビトの残骸に縋る静佳、それを見守るヒサシ、袖口で涙を拭き取りながら
キーホルダーを握りしめているユキ。

そんな彼らを他の班長達はというと、攻撃するわけでもなく、
罵詈雑言を飛ばすでもなく、一人ひとり、静佳の抱くハナビトに近づいては、
次々と己の武器を引き抜いて、何も言わずに去っていく。
ヒサシも、静佳の足元に落ちた武器を拾ってランドセルに仕舞うと、
他の班長たちと同じように静佳に何も言わず、避難場所である空き地で待機する
自分たちの班隊に戻ってきた。

「……今日から4年のユキが副班長だから。学校で笛をもらって」

疲れた顔をしつつも、無理に笑顔を作って、班の最後尾にすでに回っていた
涙に濡れた美少女に声をかけると、ユキは静佳を見つめて、涙を浮かべながら頷いた。

「さ、学校に行こう」
「でも、まだ副班長と、大きいハナビトが」

康介は静佳や動かない大きなハナビトを指さしたが、ヒサシは首を左右に振って
康介の肩を叩く。

「静佳はもうこっちに来れない。これ以上は俺達が危ない」
「ハナビトに攻撃意思のない場合は、すみやかに学校へと移動するのも決まりなの」

新しく副班長に任命されたユキが、康介を窘めるように言う。

「私達が一定距離に移動すれば、あのハナビトの居る道ごと切り外されて、
森に捨てられる。その後直ぐに道は作られる――心配ないわ」
「でも、静佳さんが」
「……間違いに気づいてくれれば、後から走ってついてきてくれる筈よ」

間違い、と言葉を紡いだユキの表情は暗澹たるものだったが、同時に諦観も
入り混じった複雑な表情だった。



2XXX年某日 第22回ハナビト戦果録報告書

アレルゲン抑制ナノマシンを投与された初成人の戦士には、全く花粉症の
効能は現れない。ハナビトは当初、花粉や粘液で罹患を狙っていたが、
全く効果が無いことに気づくと、ハナビト達は2対の触手のような蔓を用いて
戦士を捉えると、己の粘液塊の中に沈めて体中の全ての孔より粘液を流し込む。
それにより戦士は窒息し身動きがとれなくなるのだが、それだけに終らない。
触手を孔に挿入し、栄養となる人間の水分や粘膜を吸い出して、自らの栄養源と
するようになった。

更におぞましいことに、ハナビトの苗床とされた花粉症患者の成れの果てが、
まだ生命活動があり、なおかつ取り込んだ人間が異性の場合、脳髄を刺激して
生殖に走らせ、子を為させて更に餌を殖やす事を始めている。

無駄な交戦は避け、無傷のまま帰還する事が新たなハナビト誕生を抑制する
正しい行動であることを、各班は自覚も持ってもらいたい。



2XXX年、4月8日 AM8:40

ヒサシやユキに促されるままに、康介は静佳を横目に見ながら走ったが、
彼女が視界から外れた時、大きく全く動かなかったハナビトが、
静佳に近づいて行くのを見て。戦慄が走った。

目を凝らしてみれば、粘液の塊だと思っていたそれの中に、人が入っていた。
ぼろぼろの灰色のスーツを来て、鼻の部分の粘液は常に流動して動いており、
眼窩から植物を生やしている。

それは、病院に行ったとされた康介の父親だった。

右頬の真ん中に大きなほくろと、康介に熱した薬缶が落ちそうに
なったのを素手で受け止めてケロイド状になった右掌。
そして、母と自分とで選んだ父の日の贈り物のネクタイが決定的な証拠だった。

「パパ……!」

康介は思わず声を上げ、ヒサシも驚いて大きいハナビトを振り返ったが、
父を苗床にした化け物は康介には全く意を介する事無く、静佳の方へと向かっていく。

「俺の親父もハナビトになった」

ヒサシが、呆然とした康介をそっと後ろから抱きしめて言った。

「俺が5年生の時、遭遇したよ。俺に襲いかかってきてさ……もう、覚えてないんだよな」
「……でも、ナオキ君は覚えてた」
「そうだな。ナオキみたいのもいるって、学校に言わないとな。でも」

康介を抱きしめる手を強めて、ヒサシは語調を強めた。

「もう、ああなったら化け物なんだ。俺達は食い物でしかないんだ。コウちゃん」

心なしかヒサシの体が震えていたように康介は感じて、振り返ろうとしたが、
ヒサシは直ぐに立ち上がって、康介から背を向ける。

「大丈夫だよ」

背後の美依がまたもやボソっと康介に言う。
その後直ぐに、ヒサシが康介の震えた手を握る。
彼のゴム手袋のような皮膚になった手が、今、幼い少年には誰よりも心強く思えた。

「ほら、見えてきた。あそこが僕らの学校」

森の先、ヒサシの指差す方向に見えたのは、白く無機質なコンクリートの
巨大なビル群であった。

「コウちゃんはこれから此処で学ぶんだ。世界の知らないことを、僕らと一緒に」



2XXX年、4月8日 AM8:45の監視カメラの画像より

康介の父親であったハナビトが、ゆっくりと静佳の背後にのしかかってきた時に
やっと彼女は我に返って振り向く。
気づくのが遅かった静佳が小さな悲鳴を上げたが、時すでに遅く
体に覆いかぶさったハナビトが、自らの粘液塊に引きずり込み、苦悶の表情でもがく
静佳を2対の蔓で捉える。

もがく少女を押さえつけ、頭上の緑色の蔓が少女の体に幾重にも絡みついて、
苗床になった男の体とすり合わせる。
学校で教わったおぞましい事実を聞いていた静佳は、もがき暴れたが、
蔓で苗床の男と抱合せに縛り付けられて、身動きが取れぬ状態になり、
それにともなって訪れた激しい痛みとともに、彼女はハナビトの餌を生む為の
道具に成り果てた。

追い打ちを掛けるようにハナビトと静佳の淫猥で奇妙な物体を乗せた、
樹脂ドームに包まれた道の一部は取り外されて、滑り台のように傾く。

うねり蠢く生物と静佳は森の闇に振り落とされて、静佳の意識も痛みと窒息で
闇に落ちていった。



2XXX年某日 首相官邸秘密保護書類No,20006457より抜粋

出生から6年経った後、子供たちは花粉症キャリアとなり、すでに花粉症治療待ちで
ある親たちから完全に隔離するために、毎年4月8日に、地域ごとに通学班を組閣。
アレルゲン抑制ナノマシンにより、花粉症を受け付けなくなった学生たちに
迎えに行かせ、12年の間学校管理下にて徹底した有害化植物廃絶の教育を行う。

親たちには『花粉被害から子供たちを完全に守る為』と説明し、真の目的は明かさない。

学費等は完全免除として、親たちの負担を軽減する事や年に数回のメールなどで、
不安材料を払拭すること。

1年時ナノマシンを投与後、勉学の他にハナビトとの格闘訓練を3学年より開始。
有害化植物を憎むよう教育を施され、駆逐する為なら、なんの躊躇も感じない
人間に育成することを目的とする。

06~08歳 1学年
08~10歳 2学年
10~12歳 3学年
12~14歳 4学年
14~16歳 5学年
16~18歳 6学年

成人した暁に各家庭に戻すプログラムを執行中である。



4月7日 曇天。辻浦康介:18歳

私は明日から、学校より班長に拝命された。
教官より、1年となる子供をハナビトによる脅威から護衛し、
帰還せよと指令を受ける。

この命を完遂することで、有害植物対策軍のキャリア組に配属が決定する。
すでに小林大佐と、宮乃川中尉より推薦状を頂いているので、
さほど心配はないのだが、まだナノマシンを体内に取り入れていない
子供たちはハナビトの餌食になる。人道的立場を考えて全力で取り組むことが
私達の役目だと考える。

当時と違い、花粉症の人間が増えている。恐らく罹患していないのは、
我々学校に所属したもの達だけだろう。
これ以上、有害植物を増やしてはならないという理由で、有害植物対策軍は
現在花粉汚染率95%となった、私の生家のある地区の人類殲滅掃討を
通学班班長との兼任務として請け負っている。

政府を通していない任務のようだが、政府の人間のほぼ8割が花粉症で
ハナビトになる脅威に怯えながら、対症療法の抗アレルゲン投与で命を
つないでいる状況だ。
その薬さえも我々軍が抑えてしまえば、政府は機能しなくなる。

我々新人類が、有害植物を掻爬して彼らの餌になるしか無い旧人類を
駆逐していかなければ、この世界に未来はないのだ。

母は、まだあの場所にいるのだろうか。
それとも森に放逐されたか。
あの時点で花粉症はだいぶ進行していたが、生きているのなら
私がとどめを刺すことが、彼女への恩返しとなるだろう。

花粉や有害化植物など気にしなくてもいい世界になることで
太陽の日差しによる、花粉の飛散などを気にしなくても構わぬ世界に
することこそが、この世界の正常化なのだと信じてやまない。

私は明日、6年生となる。



2XXX年某日 抑制ナノマシン制作者のインタビュー。訂正前箇所

今回の抑制ナノマシンは、プログラムを変更しそうになった自分の仲間を
破壊するように制作してあるんです。エラーを起こしたナノマシンは正常な
ナノマシンに破壊される。
これは製作者である僕でしか、法則を変えられないんです。
だからこれをいじる時は僕を通してもらわないといけない。
そうしないと、ナノマシンは永遠にエラーを起こしたナノマシンを
殺し続ける事になってしまうんです。

人間への転用、なんて話もありますけどね。
ナノマシンの基礎は同じのままじゃ、もしも仮に例として僕に無断で
転用したら、人間がナノマシンに乗っ取られてしまいますよ。

グレイ・グーなんて起こらないとは思うけど、そんな可能性が無いなんて
誰も保証できないんですよ。

※編集者の意向として、人身の不安を煽るとして削除させていただきました。

はじめてのがっこう

はじめてのがっこう

ナノマシンを、アレルゲン物質を出す植物に植え付ける事で、 人間への被害を抑えようと試みた実験が失敗した未来。 狂った自己増殖ナノマシンは植物に意思を与え、 人間に寄生して成長することが極めて合理的だと促す。 植物は自己生成し変異させたナノマシン花粉を飛ばし、 人間の粘膜にそれを植え付け、粘膜を過剰分泌させる。 粘膜に覆われた人間苗床を雌株を体内に植え付ける事で 繁殖は完了する。 人間は、花粉を通さないドームの中で暮らすはめに。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-03-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted