Night mare -ナイトメア-
今宵さんは妖怪
桜が咲き誇る時期、春。
緑色の瞳、茶色の髪を風に揺らす、『井奥翠悟(いおく・すいご)』は今、ある家の前にいる。この家は、小さな日本家屋で、屋根に大きな看板がある。その看板にはでかでかと『怪奇探偵屋』という文字。
……翠悟はこれが目的だった。――――探偵、が目的。
翠悟には『井奥由架(いおく・ゆうか)』という妹がいるのだが、今は学校へ行かず、部屋に引きこもってしまっているのだ。不登校じゃないの? と一般の人がこの話を聞けば思うだろうが、いじめられている訳でもクラスに馴染めない訳でもない。
由架は自分の部屋を持っているのに、翠悟の部屋で生活をしている。翠悟にはそれが理解できないのだ。本人に聞いてみたら、「声が聞こえる」ということばかりを連呼している。怖いから一緒に寝てほしいらしい。それと不登校にどのような因果関係があるのかを知りたいところだが、とても気に病ここであるのだ。んでいる様子だったもので、それ以上聞いてはいなかった。
つまり由架は家から一歩も出れない位恐怖におびえている。兄としてできることはなんだろうと思い、ネットで検索して出てきたのが『怪奇探偵屋』……
「もう帰りたい……」
みれば見るほど違和感が募り、“帰りたい”という衝動に駆られる。帰ろうとすると足が動かないのが現状なのだが。
由架の為だ、と思うと突然前のめりになる。
怪奇探偵屋へと一歩、一歩と近づいていく。
音を立てながら扉を開け、中へ入ると、ドラマで見たことのあるような馴染み深い風景だった。約、1平方メートルくらい、コンクリート製の小さな玄関。そこから真っ直ぐある長い廊下。突き当りの左側には二階へと続く階段が見えた。右側には襖(ふすま)があり、きっと部屋が続いているのだろう。
「すみませんー…」
翠悟の声がこの日本家屋に澄み渡る。
人の気配はなく、返事は返ってこない。ふと自分の横に目をやる。腰ぐらいまでの靴だながあり、下駄など、ほか何足かある。全て女性のものだ。二人はいるかもしれないが、三人以上住んでいるとは思えない。
「誰かいませんかー……」
「こんにちは。怪奇探偵屋に何か御用です?」
「うわッ!?」
急に声がして、翠悟は吃驚してすぐに振り向く。
そこには翠悟の腰ぐらいまでしかない小さな子供がいた。紅白の巫女服を着ている。銀色の前髪は眉毛あたりで切りそろえられ、長い髪は赤いものによりポニーテールで縛られていた。
声はまだ幼い。
小学生なのだろう、ピンクのランドセルを背負っている。
「もう一度、怪奇探偵屋に何か御用です?」
「あ、そ、うん、えああ……御用です御用あります!」
「そうですか。なら歓迎いたします。怪奇探偵屋にようこそおいでくださいました」
幼いながらも芯はしっかりとしているように感じる。
昼だがもう学校は終わったのか?
「何でしょう、ランドセルがそんなに気になりますか? 今日は私の通っている小学校の卒業式で、早帰りなんです。私こう見えても3年生なんです。名乗りましょうか? 『榎本響佳(えのもと・きょうか)』です」
3年ということは9歳ぐらい。……まだ一桁だったのか。
「あ、俺は井奥翠悟です。じゃあ榎本さんがここの……主なんですか?」
「確実に自分より小さい子を見ると、大人は必ず私の事を『響佳ちゃん』と言い、「小学生なの?」「響佳ちゃんは何年生?」なんて軽々しい話し方ですが、井奥さんは違うのですね。お答えしましょう、私は弟子のような補佐役のようなものなので、そんなに偉くはありません。将軍の執権みたいな感じです。代わりに政治、ということはしていませんが」
しかし可愛げのない子どもだ。
まさか子供がそんな風に思っていたとは。翠悟は18歳だがほぼ大人といってもいい年齢だ。
執権は結構えらい地位だ。小学校の歴史は6年生からだから、きっと独学で覚えたのか。
「ここ、怪奇探偵屋の主は『今宵淳奈(こよい・じゅんな)』さんです。私のお母さんのお姉さんの友達の弟の妻の子供が、淳奈さん」
「友達が混ざっている時点で榎本さんと今宵さんは血の繋がりがありませんね。……ということは榎本さんも探偵……?」
「はい。一応探偵です。名探偵コナンのような感じでちびっこですが、いくつもの事件を解決してきたのは怪奇探偵屋なのです。しかし普通の探偵ではなく、怪奇専門に扱っています。一番多い依頼が『家に幽霊が憑りついているから祓ってくれ』なのですが、それも何か違うような気がするのですよね。……それで井奥さんはどのような用件で? まさか祓ってくれではありまんよね?」
「ああいや、妹が部屋にいくと声がして怖いっていうもので」
「ほぅ…。誰の?」
誰の、と返され、口ごもる翠悟。
「じゃあ詳しい話は中で話しましょう。淳奈さんも2時になれば帰ってくるのでお茶でも飲んでゆっくりしていきませんか?」
「いいんですか?」
「ええ。こんなところで立ち話していては足が疲れますよね。私も宿題があるので……。苦手な国語の宿題です」
国語が苦手と俯きながら語る響佳。苦手とか言って結構できるような感じなのではないか。
響佳はどうぞ、といいながら靴を脱ぎはじめる。鮮やかな色の巫女服が綺麗だ。背負っていたランドセルは肩から外し、手で持ち運んでいく。翠悟もそれにつられて靴を脱ぎ、はじっこに寄せて響佳についていった。
畳の部屋に入ると、響佳はランドセルを置き、中からプリントと筆箱を出して机におく。
この部屋は六畳ぐらいのスペースに大きな机があり、ちょっと狭い。
「はい、話してみてください。5H1Wで」
「5W1Hです。俺の妹の名前は井奥由架といって、高校1年生なんだけど、不登校中なんです。なぜかっていうと、自分の部屋にいくと誰かの声がすると言ってるんですが、学校に行かないとは訳が違うと思うんですよね。で、家族を代表して春休み中の俺が、怪奇探偵屋さんに頼みに来た次第です」
翠悟がそこまで話すと、響佳は鉛筆を持ち、宿題ではない別の紙に次々とメモしていく。名前、性別、年齢、状態、特徴……。依頼内容は特別大きく書いている。
「では井奥さんが我々に頼みたいのは『声』の真実でいいでしょうか?」
「は、はい。そこら辺の不可解が解決出来れば、由架も学校へ行くかもしれないですから。主に声の主が分かればそれでいいんです。あと出来れば――――」
「出来ればなんて言葉は必要ありません。我が怪奇探偵屋にできないことなどない。その依頼、怪奇探偵団にお任せください」
「……ありがとうございます。期待、してもいいですか」
今の言葉で、翠悟の心に残るもやもやが一つ消え去った。
できないことなどない。任せろ。
「ええ。お気軽に。今の言葉は、淳奈さんの決め台詞なんです。一回言ってみたかっただけです。あとは淳奈さんを待つだけですね。テレビでも見ててください。お茶用意してきます」
「ちょっと待って」
「はい?」
なぜか、翠悟はお茶を取りに行くという響佳を呼び止めた。
「その、今宵さんはどんな方なんですか?」
「あ、妖怪なんです」
「はぁ!?」
妖怪がこの世にいるとは思えない。ただの人間の幻想だとしか思っていない。
翠悟は即座に響佳が嘘を言っていると、本当のことを求めている。
「とても綺麗な方なんですが、淳奈さんは妖怪なんですよ。淳奈さんはいつも人間の姿をしていますが、変化すれば妖怪になります。帰ってきたらその姿を見せてほしいとお願いすれば、すぐに見せてくれます」
嘘を言っていない。響佳の顔を見ればすぐにわかった。
淳奈は、妖怪なんだ。
▽第二章へ続く
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