生者の役割
死
ホバリング音がこだます中、アサラギは声を張り上げていた。
「もっと速く飛びなさいよ!じゃないとトヲルが…」
特殊任務遂行部隊柳刃班が向かうのは、
-夢見島。
太平洋に浮かぶ孤島、夢見島。
かつては日本軍の極秘基地があり、大戦において暗躍した者たちが眠る場所。
現在は放棄され無人島と化しているはずのこの島で二人の男が向かい合っていた。
「柳刃トヲル。これが最後のチャンスだ。俺とともに来い」
小銃を突き付けているのは国際テログループ『ヴェスパ』の首領、影月ミチヤ。
赤いカッターシャツにダークスーツを着込み、髪をオールバックにしたその様相は若輩ながらもある種の貫禄とでも言えようか、威厳を満ち満ちと溜め込んでいた。
対して、柳刃トヲルの格好といえば、はだけたシャツにボロボロのズボン。全身泥だらけで腕から血を流してさえいる。深紅の液体が滲み染め上げ、塵を巻いたような廃工場の床にポタポタとその身を這わせていた。
「断る!お前こそ必ず俺が捕まえてやるから、諦めて投降しやがれ」
「この後に及んでまだ減らず口を叩くか。いい度胸だ」
引き金に指を掛ける。先程軍用ヘリが降下するのが見えた。もうすぐここへ到着するだろう。その前に脱出して岩礁付近に潜ませた部下たちと合流しなければ…。だがしかし、この男だけは放って置くわけにはいかない。何度も我々の前に立ちはだかって来たこの男を。今、殺すべきだ!
「最後と言っただろう?バカヤロウ」
僅か数メートル。余程の素人でなければ必中の距離だ。
ダンッダンッ!
二発の重い発砲音が躊躇無く響く。
-栗色の髪が舞った。
死を覚悟したトヲルの目の前を柔らかな感触が通り過ぎ、折れた膝へとのしかかった。
扇状に広がったそれは、いつもと変わらない艶を残したまま血の池へと沈んでいく。
「アサラギ…」
今起きたことを思考処理しようとするが、脳の演算能力が追いつかない。
まるで何かに足を引っ張られるように意識が後ずさる。
幼馴染の、相棒の体液がダクダクと溢れ出ている感触が全身に駆け回った。
「今度は外さん」
固まったままのトヲルに再度銃口を向けるミチヤ。その手を一発の銃弾が弾き飛ばす。
柳刃班狙撃手、向出アラタが表の扉から顔を覗かせる。
「影月ミチヤ!お前は既に包囲されている。大人しく指示に従え!」
「二流の軍隊風情がっ」
ミチヤは勝手口の方へと走った。逃げる背中を撃ったが、どれも命中には至らなかった。アラタは不動のトヲルに駆け寄る。
「アサラギ…何でお前、こんなところにいんだよ…自宅待機だろうが」
アサラギはうっすらと目を開け、残りの力をトヲルへのメッセージにあてる。
「トヲル。覚えてる?言ってたよね。役割を果たすまでは死なないって…」
去年の夏に行った訓練合宿の時のことだ。
息抜きに用意されたバーベキューにはしゃぐ隊の輪から少し離れて二人は星を見上げていた。満天とまではいかないけれど、都市部の喧騒の中では見られない輝きが空から降っていた。アサラギが徐に口を開く。
『私ね。たまに思うんだ』
『どうしたんだ?いきなり…』
『いいから聞いて』
酒のせいか、ほのかに赤みの差した頬を緩ませ、穏やかな表情で続ける。
『人ってさ、何のために生まれてくるんだろうって考える。私の持論ではね、人にはそれぞれ定められた役割ってのがあって、それを果たすために生まれて、果たすと死んじゃうんだ。例えば、産まれてすぐ死んじゃう赤ちゃんとかいるでしょ?そういう子は生まれてきたこと自体が役割だったのかもしれないし、死ぬことが役割だったのかもしれない。それによって親や医者に何かしらの影響を与えることが目的だったのかも。そういう風に私は思うの』
氷だけのグラスがカラリと鳴る。夏だというのに夜風が妙に冷たい。
『じゃあ俺たちはその役割を果たすまでは死なないってことだな』
少し意外そうな顔をしてアサラギはこちらを向いた。そしてまた星空の向こうに視線をやって、微笑んだ。その横顔はいつになく綺麗だった。
『そうだね、そういうことになるのかもしれない。私たちはいつ死ぬかわからないけど、私たちの役割を果たすまでは死なない、か。うん。そうだと…いいね』
一瞬の逡巡が後悔を捨て去るように流れてしまう。
この時、その一瞬にアサラギが何を言おうとしたのか、何に迷ったのか、俺にはわからなかった。けれど、追及することなく俺たちは夜を明かした。
「アサラギ!いいから黙ってろ。すぐに手当てしてやるから!」
「いいの。もういいの」
「でも!」
「お願い。聞いて?トヲル」
抱きとめる手に手を重ねて言葉を振り絞る。
「私の役割はね。きっとここでトヲルを守ることだったんだ…。そのために生まれて、知り合って、一緒に軍に入って、いっぱい訓練して…全部このときのためだったんだよ」
「違う!アサラギ…お前は、まだ、生きてる。まだ役割を果たしてないんだ」
頬を伝う大粒の涙を親指でそっと撫で掬う。手は既に冷え切っていた。
「トヲルが役割を果たすまで、一緒に居られなくてごめんね…」
「そんなこと言うんじゃねえよ…いつもみたいに眉間に皺寄せて無茶した俺を叱ってくれよ!元気に笑って慰めてくれよ!…そんな悲しい顔、すんじゃねえよ」
「ごめんね…ごめんね」
血の気の引いた顔が悲壮に歪む。ハラハラと零れていく二人の涙が血だまりに溶けて消えていく。弱い力で抱き合いながら、アサラギは最期に笑った。
「ありがとう。トヲル、ずっと大好きだったよ…」
生者の役割