SS03 バードがウォッチング

今日も窓の外には鳥がいた。

”今日の午前中、自宅の住所をしゃべったインコが無事飼い主の元へ戻されたそうです。保護された翌日にお巡りさんが気付いたそうですね”
”すごいなぁ。やっぱりそのインコは特別なんですかね?”
”でしょうねぇ”
 久しぶりの微笑ましいニュースが情報番組の最後を和やかに結んだ。

 ***

 101号室。
「へぇ、インコでもちゃんと覚えているのねぇ」”でも”の部分にアクセントが置かれた妻の言葉に昭雄は思わず腰を上げた。
「あなたにもできなかったことが、ねぇ……」
 やっぱりまだ怒ってるんだ。
 見下すような冷たい視線にたじろいだ昭雄はそのままストンと腰を下ろす。
「お風呂掃除、まだなのよね……」
「やります」即答だった。
 一昨日、ついつい飲みすぎて道端に寝込んだ昭雄は警察にお世話になった。要するに交番に担ぎ込まれたわけだが、呂律の回らない泥酔状態で名前も住所も告げられず、たまたま持っていた身分証明書を元に迎えに来たのは、他ならぬ妻だった。
 以来、妻には頭が上がらない。
 恥ずかしいったらありゃしない。口には出さないが、三角に吊り上がった目がそう言っている。
 まさに一生の不覚。このままじゃ家事の一切合切が自分の担当になり兼ねない。
 溜息をつきながら洗剤を撒いた昭雄は、ブラシを使って丁寧に湯船を擦り始めた。

 203号室。
「はい、はい、はい! ボクも住所言えるよ」
 元気よく手を上げる高志に、「本当か?」と笑う夫の声が聞こえた。
「東京都江戸川区南畠瀬1-3-406」
「なんだ、そりゃ?」
 鏡に向かって頬にパフを当てていた麻衣子の顔から血の気が引いた。
 高志がすらすらと答えたのは”彼”の住所だったからだ。
「一体どこの……」夫が訊き返そうとしたその瞬間、飛ぶように部屋を横切った麻衣子は、高志の口を塞ぎつつ、部屋を片付けるように言い付けた。
「やぁだ、この子ったら。なに訳の分かからないこと言ってるのかしらね?」
 新しいお父さんの件はもう少し伏せておくように、あれほどいい聞かせたのに。まったくどこでボロが出るか分かったもんじゃない。
 しかしそんな苛立ちとは裏腹に麻衣子は夫の顔を見詰めて微笑んだ。
 これはなんでもないんですよぉ。気まずい空気を消し去ろうと満面の笑みを浮かべた。

 306号室。
「まったく、ワイドショーも余計なことをしてくれる」ソファにふんぞり返った柏木は舌打ちする思いだった。
「だぁれも気付きやしませんよ」
 テーブルにお茶を置いた妻は、そんな些細なことにいちいち目くじら立てなさんなと涼しい顔だ。
「ほら、戻って来ましたよ」
 見れば、細く開けた窓の外、錆び付いた手摺に黒い九官鳥がとまっている。
 チッチッと二回舌を鳴らすと、チョンチョンと跳ねるようにして棚に設(しつら)えた餌場に向かい、妻が置いたゴマのような餌を啄(ついば)み始めた。
 ”報告”は、ご飯が終わってからと決まっていた。
『101。あなたにできないことが、ねぇ……』『203。東京都江戸川区……』『304。実は急に夜勤を命じられてな……』
 微妙な声のニュアンスから会話の重要部分を判断して聞き齧ってくるキュウちゃんは、警察庁のどこかの部門が訓練を重ねて育成した、警察犬ならぬ警察鳥だ。
 もちろん本来は犯罪者に気付かれぬよう”盗聴”するのが目的だが、こうして身内相手に使われているのには理由があった。
 それは立て続けに発覚した警察官の不祥事だ。いずれも非番のプライベートな時間に起こったものだが、万引き、盗撮などこの三か月で逮捕者は五人に上っていた。
 部下のモラルを、私生活の管理を徹底するよう通達が下ったのは当然だが、加えて”配備”されたのがキュウちゃんだった。
 危険分子を探し出せということなんだろうが、とにかく柏木が呼び出されたのが半月前、それから三日の研修を経てキュウちゃんは彼の家へとやって来た。
 この警察官舎は家族専用で入居するすべてが妻帯者だが、もちろん彼らは、報道にあったインコより遥かに優秀な小鳥が私生活を監視している事実を知らない。
 知っているのは上司である柏木ただ一人。もちろんすべては秘密裏に行われていた。
 正直、こういうのは盗み聞きするようで気が重かった。しかも続けてみれば、何やら不穏な家庭事情が見えてくる。
 どこまでを”上”に報告したもんか、そんな柏木の苦悩はきっと妻には分かるまい。
 ひと仕事終えたキュウちゃんは、窓際に吊るされたカゴに向かって羽ばたいた。
 どうやらひと休みするようだ。

 空はどこまでも澄み切って、鮮やかな青が広がっている。
 そこに現れた二つの黒い点はやがて官舎に沿って植えられたイチョウの枝に降り立った。
 二羽の小鳥たちは互いにじゃれ合いながら枝を行ったり来たりと忙しい。
 しかし愛らしいその目が見詰める先は、ソファに沈み、思い悩む柏木の姿だった。
『こんなことは上層部が直接やればいいのに……』『いやんなっちまうなぁ』
 小さく言葉を交わし合った小鳥たちは再び空高く舞い上がる。
 そう、柏木の知らぬ誰かの元へ……。

SS03 バードがウォッチング

SS03 バードがウォッチング

今日も窓の外には鳥がいた。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-05

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