愛は国境の彼方に

敬二の父、神村保は第二次世界大戦の終結によって数少ない生き残り兵として中国東北部から日本に帰還した。そして、四二歳の若さで他界するが、その際、神村家の一人息子、敬二に託した遺言が彼の人生の中で大きな比重を占めるようになる。

父の死後、高校を卒業し故郷から離れた東京に本社を置く中堅の商社に入社する。
そこでのある出来事がきっかけとなって中国人女性の中国名、胡虹、日本名、鎌田ユキと知り合う。二人は意気投合し愛し合うようになるが、ユキの父の死で彼女は突然帰国、以来一〇数年の期間を経て再会、婚約する。

一方、父からよく聞かされた中国の戦地で助けられた女性の恩義が遺言にもなるのだが、その女性の娘、産婦人科医師、張芳美と日本の病院で研修中に、「青島」という言葉を発したことがきっかけとなり知り合うようになる。そして熱烈な交際に発展するものの、彼女には既に婚約者がいた。研修期間の終了が迫り帰国が近づいてくる中で敬二への熱き思いと婚約者との狭間で悩む芳美、心の激しい葛藤の末ある重大な結論を導き出す。それは、敬二が関与しなければならないことだったが、敬二には相談せず芳美一人だけの考えによって実行に移された。

芳美は日本での二年間の研修を終えて中国青島に帰国、結婚、出産を経験、職場復帰を果たす。その後、パートナーの不慮の死、病院退職、新しい病院の起業、それが成功し順風満帆の生活を送るものの仕組まれた医療事故によって院長の職を辞する。芳美は傷心の気持ちを癒すため医学院時代の初恋の人であった許新民が住むカナダ、バンクーバーへと旅立つ。

芳美の娘として生まれた嵐。母、芳美の日本研修の影響もあって青島旅行高校に席を置き在学中に山梨県石和温泉のホテルに一年間の研修に参加。休みの間に連れて行かれたゴルフ練習場でその素質を高く評価されて翌年帰国、Y学院大学にゴルフの特待生として留学、その後、恵まれた体格に加え練習熱心さと持ち前の度胸で大学選手権で優勝するなど脚光を浴びる。

実は彼女、敬二と芳美との間に出来た娘であるが、敬二も嵐も全くそれを知らない。

一方、中国人女性として最初に知り合ったユキは、父の死と実家のレストラン乗っ取りに遭遇し窮乏のどん底を経験するが、父の死の影響もあって医者を志して見事に夢を成就させる。

以後、医師としても活躍し日本研修に参加、約一〇年の歳月を経て敬二と再会、婚約する。

その後、奇遇としか言いようがないが、芳美と上海の病院で研修医として知り合ったことがきっかけとなって、芳美の病院経営に請われて参画し、病院の副院長としてトップの芳美を支えて約一〇年を過ごす。

芳美の病院長辞任と同時に自らも職を辞し、敬二とも止む無く婚約を解消する中で約一〇年住み慣れた青島を後にハルピンに戻った。

しかし、ハルピンのユキの所属する病院のたっての要請で、腰を落ち着ける間もなく遙か離れた南の地、雲南省昆明に院長兼研究所長として赴くこととなった。

さて芳美は許新民の元を訪れ、彼の結婚相手が日本人だったこともあって手厚い歓迎、もてなしを受ける。

訪問中、許新民からビジネスで成功し設立した財団の代表者の就任要請を受け受託しカナダ、バンクーバーに渡ることになる。この訪問を契機に、彼らの家族としての思いやりや絆を見たことによって、芳美は誰にも話すことはしないで人生を終えていくつもりだった嵐誕生秘話を敬二と嵐に思い悩んだ末に打ち明けた。

敬二は、ビジネスマンとしてここまで頑張ってきた自分を評価しつつも、私生活の面では決して満足のいくものではなかったと今までを振り返る。

結婚、子育て、家族としての構成、そういう社会的にも自らに課されている責務を遂行できていないという自責の念を抱いていた。父からも生前常々「適齢期になったら嫁をもらい子を儲け神村家の跡取りをきちんとするのがお前の使命でもある」と言われていたが、仕事の忙しさを隠れ蓑にしてここまで来たことについていささか心苦しさがあった。

ユキと婚約を解消し一人身になった敬二は、シンガポールへの海外赴任を機に所帯を持つことを真剣に考えるようになった矢先に、思いもよらない芳美の告白が待っていたのである。

本来、主体的に自分の意思でパートナーを見つけ、結婚し子を儲け家族を構成することが社会一般的な姿である。

しかし、今回の芳美の告白は自分が一方の当事者でありながらそれを知るすべもなく、他動的要素によって生まれた環境であった。

人生には実に不可解で不思議なことが起こりうる要素がどこにも潜んでいる。そのミステリアス、神秘的な出会いそして偶然が重なり合う人生模様、その一瞬の輝きが展開される。

1、父からの遺言

一、 父からの遺言

神村敬二の父、保は第二次世界大戦の終結によって数少ない帰還兵として中国から帰国し、帰還後は長野県の山村でわずかばかりの土地と、森林を含む代々の農林業を次いでほとんど自給自足に等しい生活を送っていた。

母の紀子は、隣村から嫁いできて朝から晩まで仕事をする近所で評判の働き者であった。
敬二の上に二つほど上の姉、房子がいたので、敬二は神村家の跡取りである。
保は軍隊という男の集団の中で長年生活してきたせいか、厳格に物事にあたる性格で、家族での食事は囲炉裏を囲みながら。全員が正座をして話もせず黙々と食べるのが慣わしとなっていた。敬二が少しでも膝を崩したり、姉と話したりすると口より先に手が飛んでくる。

とりわけ、神村家の一人息子であり、跡取りの敬二は軍隊方式で厳しく躾けられた。本来、家族団欒の食事時は一日の中でも家族にとって一番楽しいくつろぎの時間であるにも関わらず、敬二や姉の房子にとっては辛い時間でもあった。また、お金がないという割りには酒が好きで、敬二は自宅から三〇〇メートルほどの距離にある、村で唯一の雑貨屋にたびたび買いに行かされた。

保は酒が入ると人が変わったように多弁になり陽気に振舞う。そして普段厳格な父が優しい目をして話すことがあった。それは、「俺は中国人の看護婦さんに助けられなければ生きて帰れなかった。軍隊の移動中にひどい熱で意識朦朧となり道端に倒れこんだまでは覚えているが、気が付いたら農家の納屋に寝かされていた。そこの家から遥か離れた大都市の病院に看護婦として働きに出ていた農夫の娘である彼女が、丁度帰省していて介抱してくれたお陰で熱も下がり軍隊に戻れた」と言う。

一人で何とか歩けるようになったので、帰り際に張さんという中国人の家族にお礼を言うと、「困った時に助けあうのは当たり前のこと、私たちは当然のことをしたまででお礼など言う必要はないよ」と笑って見送ってくれたそうだ。そして、父と同世代の命の恩人である看護婦さんについて、名前も聞いていなかったが、背が高く唇の下に小さなほくろがあって、笑うと笑窪が出来るしゃいで優しい、見るからに白衣の天使と呼ぶに相応しい女性であったと、父はその印象を語ってくれた。

軍隊に早く戻らなければというあせりもあって、名前も聞かずに父はそこを逃げるように離れたということである。その後、助けられた家族が住む周辺一帯で戦闘が激しくなり、焼け野原になったという話を聞いて、父はその家族の安否を心配していたというが、消息がつかめないまま終戦となり帰還したとのことであった。

だから、「俺の命の恩人は中国人である。お前たちも、これから大きくなってもし中国人が困っていたら是非助けてやって欲しい。それは俺を助けるということと同じである」この話は、度々聞かされた。

額の左側に親指大の痣(あざ)があって、お酒が入って話しが始まると、顔全体が赤みを帯びてきて、痣が浮いてくるような錯覚にとらわれて怖い顔になる。話疲れて囲炉裏端でいびきをかいて寝てしまうと、姉の房子と「赤鬼がいびきをかいて寝てしまった」などとよく悪口を言ったものである。

厳しい躾と、酒をよく飲むことに対する父に敬二は抵抗があったが、仕事も精一杯やり、新聞を見たりラジオを聴いて、世の中の流れや生き方などを分かりやすく説いてくれる父を尊敬していたのも事実である。

その父が、軍隊での蓄積された疲労や酒の飲みすぎも影響したのだろうか、帰還して五年後、男の厄年である四二歳の時に胃を病んでこの世を去った。

父は病院のベットで意識が薄れていく中、一六歳になった敬二に、「いつも言ってきたことが俺からお前へのお願いだ。

それともう一つ言っておきたい。神村家では男はお前がたった一人、これからは学歴社会に必ずなる。高校を出たら経済的に俺がいないと苦しいかもしれないが、大学で学び、その上で適齢期になったら結婚し子供をもうけ、決して神村家の灯火を消さないよう家族の大黒柱として、お母さんと房子を面倒みて頑張ってくれ」といって息を引き取った。

敬二は父からの遺言を十分理解していたが、これからの長い人生の中でそういう事象が訪れるのか否かこの時点で知る由もなかった。


その後、神村家は母が家を守り、姉の房子は父が中国で命の恩人と称した看護婦さんに憧れていたことや、父の早い他界も影響したのだろう。また、一家の大黒柱を失い経済的にも母に大きな比重がかかるということも懸念していたことなど、病人を助けたいという強い思いもあってか、看護学校に入学し卒業後自宅から通勤できる病院に勤務することとなった。

一方、敬二は小さい時から好奇心旺盛で興味のあることに対し、また、疑問があるとこれはどうしてこうなるの、なぜ、なぜ、・・・というように父や母、そして二つ上の姉によく尋ねて困らせた。さらに、父が帰還してからは、ニュースなどを聞いて解説してくれる政治や経済の難しい話にも興味を示して、分からないながらも新聞などもよく目を通している。

大黒柱を失い経済的にも苦しい中で、当時倍率の高かった奨学金の試験にパスし、それを受けながら地元の商業高校に進んだ。高校時代は陸上競技部に在籍し、三年間厳しい練習に明け暮れた。敬二の専門はハイジャンプと走り幅跳び、とりわけハイジャンプは県で当時三位の記録も残している。それだけに敬二の体は柔らかく、かつ、肉体全体は鋼(はがね)のようなバネを持っていた。成績も優秀で常にトップクラス、明るい性格から人気もあり彼の周りにはいつも人が集まっている。

高校も三年生になって進路を決める時期がきていた。父からの遺言もあったし今後のことを考えると大学も出ておきたい。
しかし、敬二は神村家の長男であり、また、父もいない状況下で、母や姉を置いて東京の大学に行くという選択肢は経済的な面からもゼロに等しいものであった。

今の厳しい神村家の経済状況からして、父の話があったとしても母や房子に経済的な負担を押し付けて四年間も大学生活を送ることは長男として避けなければならない。就職先が決まれば夜間の大学に通うという選択肢もあるので、まずは働き口を確保することが最優先となっていた。

母と姉は地元で細くても安定的な人生を送れるようにと、役場や銀行、国の機関である国鉄、電電公社などへの就職を進めたが、敬二は今ひとつ気乗りしないでいた。

いずれこの家に戻ってくるにしても母もまだ若いし姉もいる。一旦はこの家を出て一人暮らしをしてみたい、都会の生活もしてみたい、そんな思いが強かったこともあって、家族で話し合った結果、母も姉も敬二が家を一旦離れることに理解を示してくれた。

愛は国境の彼方に

敬二の人生も半世紀余り、ここまでの道程は当然と言ってしまえばそれまでだが、山あり谷ありのものである。長野県の片田舎に生まれ神村家の長男として父、保の遺言を頭の中にしっかりと刻み込んで生きてきた。
父が数少ない帰還兵として日本に帰国、そして病死。神村家の長男として父亡き後、高校を出て大学入学を希望していたが経済的な問題もあって断念し商社に入社、人生の約半分を全速力で駆け抜けてきた。

敬二は思う。「もし」ということを言わせてもらうならば、父が健在でいたら今の自らの人生とは大いに違ったものになっていただろうと・・・・。
仮定のことを羅列したところであまり意味はないが、自分は生前の父の言葉からすれば高校を出て間違いなく大学に行き、違う道を歩んでいたと思う。違う人生の歩みが今と比較した場合、比較するすべもなくそれが良かったか悪かったかを知る由もないが、それぞれの人生と言うものは両親の存在や巡り合える人々によって、くるくると変遷していくことを実感していた。

父が生死の境を彷徨い数少ない生き残り兵として帰還し普段の生活やその遺言によって敬二に与えた影響ははなはだ大きいものであった。敬二の約半世紀を越える人生の歩みの中で、常に潜在意識として父が帰還できたことの幸運と、その幸運を演出してくれた芳美の母親の存在について頭から離れることはなかった。
何かの折りに中国と言う言葉を耳にするたびに、条件反射のように敬二の心は反応した。彼にも適齢期に日本人女性との見合いの話がなかった訳ではない。求婚されたことも何度かあったが、不思議とそういうものに積極的に取り組む姿勢がなかったといってしまえばそれまでだが無関心の面があった。

それは潜在意識として、中国人との間の交際を求めていたからかもしれない。ユキと知り合った時も彼女から中国人留学生と聞いた時、父の顔が思い浮かび親しみを感じたことを今でも鮮明に覚えている。芳美との奇跡的な出会いもそうだった。
世に神様が存在するならば、神様が芳美にもユキにも引き合わせてくれたに違いないと敬二は今もそのことを信じていた。自分と芳美、とりわけ芳美を取り巻く厳しい環境の中で、愛を育み結婚と言う思いを成し遂げられなかったことに深い悲しみを覚えつつも、知人としての付き合いは続いていた。それはいつ切れてもおかしくないほどの一本の細い糸のようなものだったが、しかし芳美のとった行動によって、また、彼女を取り巻く周囲の情勢の変化によって、敬二の既に諦めていた人生が見事に蘇った。その間、ユキとの存在も決して見逃すことは出来ない。

この物語は一見、敬二と芳美との関係が父を助けた母親の娘としてクローズアップされているが、ユキの生き方もまたこの物語を演出するに決して欠くことは出来ない。
そしてもう一つ特筆すべきことは芳美もユキも嵐も総ての愛する人達と敬二とは国境を挟んで繋がっていたことである。愛とか恋というものはお互いが身近にいてこそ存在するという常識的な考え方がある半面、今回の敬二のような愛の形もあることに気づかされた。二十世紀後半から国境という壁がEUのように一つの地域としてブロック化されて撤廃されてきたこともあって、国と国との間の行き来が促進され開放的になりつつあることから、人との出会いも活発になって今後、敬二のような愛の形は予想を越えて増えていくものと思われる。
その愛が遠距離恋愛による寂しさや孤独感に耐えられずに損なわれることなく、ゴールのテープきって欲しいと思っている。
これから先の敬二の人生はどうなったのか、この本では彼の辿ってきた人生の三分の二についてその軌跡を追ったが今後のことは分からない。願わくばこの本の中で触れてきた彼の退職後のプラン、都市近郊の緑の多い地にログハウスを建て、畑で野菜や果物を栽培し花に囲まれ愛する芳美や愛娘の嵐、そしてユキにも遠く思いを馳せながら家族で住みたいとする夢が成就することを願っている。敬二の人生という一瞬の旅路はまだ終わっていない。

愛は国境の彼方に

宇宙を推し量る距離などは一般的に光年等の光の速さで表される。そういう観点にたってみると我々人間社会の生涯というものは「一瞬」という言葉でも言い表せないほどの実に短いものであろう。しかし、その短い生涯の中では様々なドラマが展開される。この世に生を受け成長し成人となってパートナーを得、子作り、子育て、子供たちが一人前になり独立、やがて年月を経て熟年夫婦として再び二人になり生涯を終え土に戻っていく。 この物語は、主人公、神村敬二の約40年間に亘る人生という一瞬の軌跡を描いたものである。 日本、中国、シンガポール、アメリカ、カナダ、5か国の国際を舞台に繰り広げられる人生模様。 人生という旅路を歩んでいく中での奇跡的な出会い、そして恋愛感情が芽生え愛を育む中での人の心の奥深くに潜む愛の葛藤、国境を挟んでの恋愛は意外な展開に発展していく。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 成人向け
更新日
登録日
2014-03-05

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