犬になったぼく 第二部 新たな出会い
『犬になった少年 第一部 二匹と一人』
『第一の間奏』
の続編です
第一章 黒犬
ぼくは一人町をさまよった。ある時はどこかの家の残飯をねだってもらい、またあるときはゴミの中の食べ物を食べた。あの惨劇は日曜に起きたからもう六日がたった。ぼくは『犬描収容条約』のあと、ヴォルフと書いてある表札を探した。つまり、自分の家をだ。ぼくの家はあった。けど、表札は『ヴォルフ』ではなく『ルーズベルト』という全く別の家族の名になっていた。つまるところ、ぼくの家族は引っ越したんだ。この何日かの間に……ぼくの思い出を思い出してしまい、悲しみを持続しなくなるように新しい町でルドルフ、母さん、父さんの三人で新しい『ヴォルフ一家』が始まるんだ。良かったじゃないか……これなら、中途半端に人間のときの思い出を引きずらなくて済むだろう。家族みんなでしたバーベキューも、ルドルフとしたゲームも、母さんと一緒に集めたも、父さんとしたスポーツも、みんな思い出さなくてすむ。みーんなだ。はじめてこの家に越したとき、ルドルフと一緒に走り回り、家中をくまなく捜索したことも、そんな兄と弟をみてうれしそうに微笑んだいた母
さん、父さんの顔もだ……思い出す必要はない、ぼくは犬に……犬に……なってしまったのだから……
ぼくは溢れる涙をぬぐわず一人歩き、誰にも慰められないまま、目的もないまま歩き続けた。
昨日もぼくはあてもなくさまよいあるき、いつものように食ってすぐに寝た。目をさます…凄まじい悪臭が鼻をつく、辺りを見回すと町外れのごみ捨て場にいた。ここは見覚えがある。昔、人間だった頃よく遊びに来た。ふと、ぼくは目の前を見ると黒犬がいる。そいつはマッドより遥かに大きい…大人の犬だ。片目が…右目が切り傷でつぶれているようだ。毛はとてもボサボサで目はぼくと同じに赤い。その目は冷たく、見てるこちらが凍りそうだった。そいつの目をじっと見ていると、急にムクムクと惨劇の記憶が、そして何よりも犬になる前の日常がぼくの脳裏によぎった。考える必要はなかった。ぼくはその黒犬が討伐犬ではなく、ただの犬かもしれないという考えを起こさず、本能で動いていた。ぼくはうなり声をあげながらでかい黒犬に突っ込んでいった。あと二メートルでぶつかる…黒犬は微動だにしない。あと一メートル・・・まだ黒犬は動かな・・・あれ?・・・いない!さっき黒犬がいたはずの場所にはなにもいなかった。そいつはいつのまにか、ぼくの懐に潜り込んでいた。
もちろん
ぼくはからだをひねり、そいつから繰り出されるであろう攻撃を未然にかわした。案の定、黒犬は攻撃を仕掛けてきてさっきまでぼくがいた宙を噛んだ。ぼくは奴の見えない右目側に体を沿ったから、敵にぼくは捕らえにくい!
今だ!!ぼくはからだを捻った回転を利用し、そのままの勢いで奴の胸ぐらに突っ込んでいった(もちろん噛みつきはしない、ぼくは人間だからだ)ここまでのぼくと黒犬とのやりとりが約四秒だった。黒犬はクンッと体をそり、尻尾をぼくに向けて発射した。ぼくは勢いをつけたから尻尾が目の前に来ていることがわかっているのに止まれない!はじめの一撃はこの攻撃のための布石だったんだ!!尻尾はムチのようにしなり、ぼくの顔面に生き物のように迫ってきた。バチン!!もちろん当たった。ぼくの中に痛みという名の電流がほとばしり、全身に伝った。ギャッ、ぼくは痛みで小さく叫び、地面に倒れた。黒犬はこの隙を逃さなかった。うずくまって顔を押さえているぼくに電光石火で走りより、正体のわからぬ攻撃を五発、一瞬で繰り出して確実にぼくの体に新たな痛みを生んだ。
「仕掛けてきたのはお前だぞ、小僧」
黒犬はためいきをつき、ドスのきいた声でつぶやいた。ぼくは痛みでうぅっとうめき続けた。ぼくは痛みをなんとか追い払い、ヨロヨロと立ち上がった。
「まだやる気か?」
黒犬はそういいながらもぼくと戦う気はもうないようで、背を向けて去ろうとした。ぼくはこの気を逃さなかった。背を向けた相手を襲うのは少し気がとがめるが、相手は討伐犬だ。ぼくは左後足を引きずりながら体力と足の持つ限り全速力であの、黒いあん畜生を叩き潰すぞと走った!・・・・・・気づいたときにはぼくは地面に倒れていた。黒犬に届く前に左後足がバキッという鈍く、嫌な音をたてて力が抜け、倒れてしまったんだ。そのときに強く頭と左後足を地面に打ち付けて、景色がグラグラと歪み、キーンという耳鳴りも起きた。ぼくは痛みでうめいた。骨折か?・・・分からない・・・とにかく痛い頭の中に痛いという感情意外何にもない。黒犬は顔を険しくして、「無茶しやがって…」
と言ってぼくの方へやって来る…・・・そこでぼくの意識はとんだ。
気づいたとき、ぼくは町にいた。・・・どこだ?このまち…そうだ、ぼくが生まれた町だ。ぼくは今なぜか今そこにいる…奇妙なことに辺りには人も犬もいやしない。おっかしいなぁ…とか思いながら、ぼくは左に連なっている店へ立ちよった。昔、よくここに親友と何か買いに来ていた…いまでは古い思い出だ…今気づいたが、ぼくの体はいつのまにか犬から元の人間に戻っていた。久しぶりの人の体は懐かしかったが、ずっと犬の体で四つん這いで過ごしたため、少々ふらつきながらも店へ入った。
店には昔通り、色とりどりのお菓子や飲み物がズラリとならんでいた。ぼくはズボンの後ポケットをまさぐり、財布を探した 。目的の財布にたどり着くまでに指はなんどかレシートや変な包み紙に寄り道したが、無事指は財布に触れた。
ホッ…
おとしたかと思った。ぼくはたなの上から目当てのお菓子を鷲掴みし
(ぼくのお気に入りは「いりたてのバターピーナッツ」、「ビネガー」、「ブルーコットンキャンディー」「ホットフレンチトースト」)
弟のぶんも含め、ぼくはこの店にお目当てのものが全部揃っていたことに気づきすっかりほくほくになりながら、レジ前についた。が、肝心の会計人がいない!。そういえばこの店にもぼくしか人がいないな…仕方ない。ぼくは金をおいて店をでた。ふと手元の時計に目がいく・・・ゲッもう帰らなきゃ、ぼくは全速力で商店街を抜けた。犬の時とは走る感覚もスピードも違う。家ノ前まで来ると懐かしい弟のわめき声とそれをたしなめる母の声とその会話を笑う父の声がした。ぼくは笑いを隠せず微笑しながら家の入り口へと急いだ 。久しぶりに家族に会えるんだ。早く会いたい!その一心だった。その直後にだんだん家が遠退いていくような感覚がぼくの中に生じた。ぼくはその感覚に抗い、うめきながら走りを早めた。ぼくは左足に痛みを感じた。恐る恐る左足を見ると、ふくらはぎのところの骨がボッキリ折れて肉を突き破っている。しかも変な方向を向いて変形してる!家は動けないぼくを置いてどんどん遠くに行ってしまう。家族の声も遠ざかる!
「いやだ!!」
ぼくはまたうめいて叫び声にもならないような叫びをあげ、足を動かそうと思っても痛みしか感じない。さらに叫び声を強める。ぼくは歯を食いしばって足を引きずり叫んだ。
「母さん!!助けて!!」
ぼくは頬に暑いものが伝わるのを感じた。ぼくは叫び続けた。家が見えなくなっても…
第二章 グリム
ぼくは夢からやッと覚めた。今ぼくは茶色い部屋の中にいた。天井が丸くていろんなものがぶら下がっている・・・なんだろう?、半球状の部屋だ。分かりやすく言えばドーム型だ。左足がひどく痛む。ぼくは犬である自分の体をじっと見つめ、軽くあくびをしてから夢の内容を思い出そうと躍起になったがすぐ諦めた。かけらもおもいだせない…頭をゆっくり持ち上げて辺りを見る。どこだここ?、クンクンと臭いをかぐ…土のにおいと生肉の臭いがした。景色はぼやけているから目は当てにならない。あたまがいたい、だが特にいたいのは…やはり左足だった。ぼくは小さな自分の足、黒い子犬の足を見た。簡素な処置が施してある。ぼくの足は処置の方法からみて骨折しているようだ。どうしてこうなったか思い出せない…
「めが覚めたか?」
右側から声!?・・・ぼくのすぐ右に大きい黒犬が寝そべっていた。右目が痛々しい傷でつぶれている犬だ。ぼくは何か言おうとしたが、何年も話していなかったみたいに声がかすれて思うようにしゃべれなかった。ぼくが声をなんとか放り出そうと悪戦苦闘している様子を見て、黒犬はゆっくり起き上がった。
「しばらくすれば声は出せる・・・・・・一番の問題は…」黒犬は、ぼくの折れた左足をみてバシッと叩いた。ぼくは痛みにギャッと叫ぶこととなった。
「ここだな」
黒犬はにやりと笑い意味ありげに腕をなめた。
その瞬間ぼくはなぜ左足を怪我しているのか思い出した。今ぼくのすぐとなりにいるやつと戦い怪我したんだ…黒犬はまだにやにやしている。
「全くお前には参ったよ 小僧」
ぼくはボーッとそれをきいた。この状況からすると、足を怪我したぼくを助けてくれたのは忌々しいことにこの黒犬のようだ。
「あんなに無茶するからだ、左足の骨折がその代償だ」
ぼくはつい、かれた声で
「あんたの…目は・・・例外か?」
と言い返してしまった!!何やってんだ、ぼくは!?ここに来て黒犬を怒らせても損するのはぼく一人だ!!こっちは手負い、向こうは万全…ああ、今にやつの鋭いツメに引き裂かれる…・・・しかし、意外なことに黒犬は怒り狂うどころか、笑いだした。
「いたいとこついてきやがるな! 小僧!」
まだ笑っている…ぼくはちょっとかおをしかめた。黒犬もそれを感じ、
「わるいわるい」
と笑いながら弁解した。でもぼくはイラつきながらもちょっぴり嬉しかった。久しぶりに他人と話したから…いや、他犬か?・・・どうでもいいや。
「あの…ありがと、かん…びょう、してく…れて…で、ごめんなさい…討伐犬だと勘違いして…襲ったりして」
ぼくは素直に謝った
「いや、いいってことよ、討伐犬と間違われて襲われることはしょっちゅうだし、それが黒犬、黒猫の運命ってもんよ。小僧、お前も将来でっかくなったら分かるよ、茶混じりだけど黒い毛に赤い目だしな」
「でも臭いで犬か討伐犬かわかるんでしょ?」
「復讐に囚われたものは冷静さを失うんだ、小僧、お前もそうだったろうが」
ぼくは戸惑ってしまった。こんないい人を襲ったなんて…ぼくも将来、討伐犬と間違われるのか…
「お前、名前は?」
「え、名前?」
ぼくはおうむ返しにした
「そう、名前ぐらいあるだろ。いつまでも小僧じゃあ呼びにくいったりありゃしない」
唐突の質問にぼくは戸惑い、名前を教えていいかどうか迷ったが
「ヴォルフ」
と無事答えた。
「あんたの名前は?」
ぼくは言い返した。
「俺の名はグリム、死神犬だ怖いだろう!」
ぼくは伝承のグリムを知ってたから一瞬びびった。フー…グリムは恐らく、ハウンド犬だろう。グリムは今までであったシュールやマッドと違って大人の犬だった。グリムの右目がつぶれている理由が気になったが今は聞かないでおいた。
「それよりヴォルフ、俺と戦ったときの身のこなし、どこかで習ったのか?」
「いいや、全く」
ぼくは正直、あの時の戦闘は本能に従って動いているだけだったからなんとも言えなかった。記憶も断片的にしか覚えてないし……ぼくはワラで作ってある寝床からゆっくりと体を起こそうとした。だが、起き上がるより先に左足から再び痛みがにじみ出た。ぼくは例のごとく叫ぶはめになった。
「おとなしく寝てろ!少なくともあと、三週間一杯はな」
とグリムに叱られたのでお言葉に甘え、再び藁に全身を預けた。
ぼくは改めてこの部屋を見渡した。部屋の天井全体はドーム型、(半球とも形容できるだろう)で、広いとは言えない。そうして奥にトンネルのように一本道が開通してあり、外に出られるようだ。『ここは土のなかだな』 ぼくはそう確信し、この部屋を今後、『土中部屋』と呼ぶことに決めた。
「お前、三日も寝てて、そのたんびにうなされてただぞ、いきなりぶっ倒れて驚いたよ。いくら襲ってきても一応黒犬仲間だしな。苦労して穴を掘って、この即席ハウスを作ったって訳よ」
ぼくはうなされて呟いていた台詞を聞かれたと思うととても恥ずかしくなって、つい照れてしまう顔を隠すためしたをむいた。
そんなぼくをみてから、グリムは外に
「飯をとって来る」
と言い残し行こうとした。ぼくはそんなグリムを引き留め、今一番気になっていたことを聞いた。
「なんでぼくを助けたの?」
そのとき、ぼくはグリムがなにか言おうとしたのになぜか口を閉じた所を見逃さなかった。
「さっき言っただろ?黒犬仲間だからだって」
ぼくはそうかな?と疑いつつ納得したフリをして『土中部屋』をあとにしたグリムを黙って見送った。
ぼくは横になり、今度は注意深く天井を観察してみた。天井には木の根がたくさんブラーンと垂れ下がっていて、いまぼくは本当に土のなかにいるんだな……と改めて実感した。
左足の痛みは緩む気配を見せなかった。
第三章 仮説
食事はとても豪華なものだった。
「ん?ヴォルフ、肉食わないのか?」
「ああ……うん……食欲ないんだ」
「そうか、しっかり直せよ」
グリムは黒い毛でおおわれた右目のつぶれた顔を下げ、葉の上にのっている大量の生肉の内の一つをはむっとくわえて、口に含んだ。ぼくはその肉を次々と口に加えるグリムを見ながら、考えた。
ぼくの体……犬の体、膨らんでいる腹、伸びた鼻耳、原型を止めていない脚……これは人間のときとは確実に違うが、たしかにぼくの体だ。そもそもの謎はなぜ、ぼく、アインツェル・グラムディー・ヴォルフが犬になったのか……だろう。この謎に対し、ぼくがいままで読んだ漫画やアニメからたてた仮説は三つ。
一つ、転生説
二つ、変化説
三つ、入れ替わり説
一つ目の転生説、これは文字どおり人間であるぼくは息絶え、ぼくの魂は天国?楽園?どっちか知らないけど、それらしき場所へ行き、新たな肉体(つまりこの犬の体だ)を与えられた後、再び神より生を授かった。というものだ。しかし、この転生説を前提に話を進めるといくつかの矛盾が生じることは読者諸君にも分かるだろう。それは、例えば、ぼくの服。ぼくが初めて犬の姿である自分を認識したとき、人間のときにぼくが着ていた服がその場にそのままおいてあった。しかも、時間の経過は見られなかったんだ。ぼくは今まで、生物は死んだあと、生まれ変わるまでにいくらかの時間が必要だと思っていた。つまり、生まれ変わったと考えるよりぼくの体自体が犬に変化したと考えるのが自然だろう。転生説よりもうひとつ矛盾がある。それは『記憶』だ。転生ないしは生まれ変わりを題材とした作品では生まれ変わった者の『記憶』は失われているのが常だ。しかし、ご存じの通り ぼくには人間のときの記憶がそのまま残っている。現にぼくはいま、その記憶や思い出
によって引き起こされる寂しさや孤独感に悩まされているし…… そこも矛盾の一つだ。最後にぼくは死んでいない、あの時は痛みが全身に走っただけだ(自分でもさすがに痛みで死ぬというのは……ないと思う)。
以下の理由から転生説は信用性がかけることは明らかである。となると、新たな説、さっきもいったように、『人間の体自体が犬に変化した』という変化説が自然とぼくの頭に浮かんだ。それはつまり、使い古したPCをすてて新しいPCを買う『転生説』とは違い、使い古したPCを形を変え、また別の機械に改造する『変化説』を奨励すべきだ
ということだ。『変化説』を仮説としてあげたのは、ぼくに起きた痛みが理由だ。全身の痛みの重点地、そうじゃないところはすべて犬の体になる布石じゃないか?ということだ。この説はぼくの脱ぎ捨てられた服にも説明が通る。
最後の説……これはあまりにも皮現実的すぎる……しかし……
「……ォルフ!」
「え?」
ぼくは新幹線みたく、超スピードで虚像世界から現実世界に引き戻され、困惑した。
「今なんて言ったの?」
聞き逃した単語を改めて再認識するべく、ぼくは訪ね、グリムをみた。葉の上の肉は今となってはたったの三つになっていた。その分グリムのお腹も可愛らしくぷっくりと満足げに膨らんでいた。ぼくは急にこの黒い大型犬を抱きたいという衝動に刈られ、そんな自分すぐさまを制止し、険悪した。ぼくの理性は自分で自分に、なに考えてんだ!としかりつけた。だが、思春期のぼくは理性を追いやろうとしている。
そういえば聞いたことある、男は思春期の時期の過ごし方や、思春期への対処によって同性愛者になるって…… つい最近までのぼくは自分に限ってそんなことなんて……とか思っていたけど、
よくよく考えれば、ぼくが人間のとき学校の授業でバスケットをしたあと、汗をかいた体を拭き、汗が少し髪に浮かんで艶をよりましていたジェラルドがぼくを見つめてきた時とかどきっとしたことがあったっけ。まずいな……ほかにも……
「『ヴォルフ』っていったんだよ」
グリムの返事を受信し、さらに問うた。
「そもそもなんで、ぼくの名前を呼んだの?」
「お前に質問したんだ」
「どんな?」
「『おまえ、人間だろ?』っていったんだ」
「へ?」
ぼくは困惑した。
第四章 血の味
さて、まず考えよう。
なんでこの黒犬、グリムがぼくのことを元人間だと気づいたかについてだ。それは言うなれば、人間に「お前ってもともと犬だったろ?」と問うくらいに常軌を逸した質問にもかかわらず、今僕の目の前にいる単眼の黒犬は確信を持って言った。
「お前、人間だろ?」
残念なことにこの答えはYesだ。でも、僕だってバカじゃない。素直にYesという前にこちらからも逆に質問して、相手の様子を伺うことで納得した。
「何いってんの?グリム、僕は見ての通り犬だよ?それとも何、尻尾に長い耳、全身に毛が生えた四つん這いの人間がいるっていうの?」
笑いながら言って見せたが本心、ぼくは動揺してビクビクしっぱなしでいた。
「たしかに、そんな人間がいたら愉快だね」
グリムはくっくっくと笑い、血で汚れた口周りを、自身の太長い舌でゆっくりと舐めた。
「なんで……」
ぼくはグリムの顔を見ないよう地面を見たまましゃべった。どうしても今は誰とも顔を合わせたくなかったんだ。
「なんでぼくが人間だったと思うの? 理由……、根拠は?」
一番聞きたかったことを聞いて、ずっともやもやしてた気分がすっと晴れたような気がした。
「匂いだよ」
グリムはむしゃむしゃと肉を噛み、骨だけを地面に吐き捨てた。
「匂い?」
「ああ、お前は人間の匂いが強すぎる。一生を人間と共に暮らしてきたやつでもそんなに人間臭くはならん」
「違うよ!! ぼくは犬だってば!!」
何を思ったか、ぼくはがばっと口を開け、生肉にかぶりついた。
肉をほおばった途端に、口を未知の味たちが襲った。いや、未知ではない。例えるなら、何キロものランニングをした時、脇腹が痛くなってくる頃の口内に漂う血の味。あれだった。
「おええぇえぇぇ!!」
モノを吐き出した俺はグラグラと意識が遠のいた。グリムが大声でなにか叫んで、近寄ってくるのが見えた。
まさか、吐いて倒れるなんて……。
目を覚ました後も、正体を指摘されたが、ぼくはしばらく粘った。だが、ごまかすのも限界だと悟り、すべてを打ち明けた。
僕の人間時代の話。
友達。
家族。
そして……、変化の日。
脱走のこと。
2匹の友達のこと。
ここに至るまでを。
それらをただ黙って聞いていたグリムは、最後に、僕が犬の世界に馴染むためのことを話してくれるばかりでなく、僕が全くと言っていいほど知らなかった犬の世界の知識を、教えてやると申し出てくれた。
それはどういう道か僕もわかっていた。
決して楽な道ではないということをだ。
口に残った血の味を、自身の唾液と、近くの川の水で洗い流そうとしてもなかなかに落ちない。ペッペッと苦味を吐き出して、また水を含んだ。
血の味は五、六回目でやっと消えた。
それからしばらくの日が経った。
「あの……グリム」
「なんだ? アル」
グリムはいつものように藁に寝そべっていた。
「実は僕……友だち……あっ、犬の友達だよ? 収容所に連れていかれた……」
「マッドとシュールとかいう奴らか?」
こくんとうなずく。
うなずいた僕を見て、マッドはこう言った。
「あいつらを助けに行きたい、そういうわけか」
ぼくはまた、―さっきよりかはゆっくりと、噛み締めるように―うなずいた。グリムは藁山から体を起こし、ぼくの足に一目やり、
「まぁ、お前の足もほぼ全快したわけだしな……。よかろう、明日の夜に、でいいか?」
「うん! あの……グリム……ありがと」
グリムはその、片目しかない怖い顔で
「ああ」
と返してくれた。
「さぁ、休んでいられるのも今日までだ、アル、今日はもう寝とけ」
ぼくはグリムの言ったとおり、いつもより早く床についた。そうして、明日収容所に行くと考えると、再びマッドとシュールに会いたくなったし、心配になった。そして、赤の他人の自分なんかの頼みを聞いてくれたグリムに対し、感謝の気持ちがこみ上げてきた。こんな時に限って、いつもより心が感傷的で、涙が出そうだった。
改めて自分が犬になったこと、ペットショップであの2匹に会って無かったら、今頃どこかの路地で飢え死にしていただろうこと。そして、母、父、弟ら、家族のこと。
こうしてずーっと考えてるうちに、ぼくは寝てしまった。久しぶりにぐっすり寝た。夢も見なかったし、見たとしても忘れていただろう。
第五章 作戦
「あの……グリム」
「なんだ? アル」
グリムはいつものように藁に寝そべっていた。
「実は僕……友だち……あっ、犬の友達だよ? 収容所に連れていかれた……」
「マッドとシュールとかいう奴らか?」
こくんとうなずく。
うなずいた僕を見て、マッドはこう言った。
「あいつらを助けに行きたい、そういうわけか」
ぼくはまた、―さっきよりかはゆっくりと、噛み締めるように―うなずいた。グリムは藁山から体を起こし、ぼくの足に一目やり、
「まぁ、お前の足もほぼ全快したわけだしな……。よかろう、明日の夜に、でいいか?」
「うん! あの……グリム……ありがと」
グリムはその、片目しかない怖い顔で
「ああ」
と返してくれた。
「さぁ、休んでいられるのも今日までだ、アル、今日はもう寝とけ」
ぼくはグリムの言ったとおり、いつもより早く床についた。そうして、明日収容所に行くと考えると、再びマッドとシュールに会いたくなったし、心配になった。そして、赤の他人の自分なんかの頼みを聞いてくれたグリムに対し、感謝の気持ちがこみ上げてきた。こんな時に限って、いつもより心が感傷的で、涙が出そうだった。
改めて自分が犬になったこと、ペットショップであの2匹に会って無かったら、今頃どこかの路地で飢え死にしていただろうこと。そして、母、父、弟ら、家族のこと。
こうしてずーっと考えてるうちに、ぼくは寝てしまった。久しぶりにぐっすり寝た。夢も見なかったし、見たとしても忘れていただろう。
次の日の朝、ぼくはグリムがとってきてくれた芋を食った。わざわざ人間の調理済みの物を盗んできてくれたから、僕でも食いやすかった。一方、グリムは案の定、得体の知れない肉をがつがつと食っていた。その肉を見てると、昨日の夜の味が蘇りかけて、僕はまた吐いた。
グリムは収容所のことを僕に話してくれた。前足で地面に描いた、地図も交えてだ。地形、警備の状況なども詳しく話してくれたので、なんでこんなに知ってるのかと素直に訪ねたら、一度脱走した場所だからと返ってきた。
なるほど、道理で……。
施設の説明はとてもわかり易かったが、なんといっても一番わかり易かったのは作戦の説明だった。グリムの作戦はこういったものだった。その場で考えて行動し、あとは野となれ山となれ作戦。
グリムって意外とアホなのかも……。そう思いながらも、グリムの作戦に賛同することにした。この数日、同じ屋根の下で過ごして分かったのだが、グリムは繊細だから扱いには気をつけなければならない。下手にすねられたらあとがややこしい。ぼくはひとりで納得した。
「どうだこの作戦は? 人間様のご意見を聞こうじゃないか」
「お犬様に賛成だよ」
僕達はお互いににやりと笑った。
「よし、けっこうだ!」
昨日言ったとおり、決行は今日の夜。
僕は待った。おそらくグリムも。待ちながら、ひたすらシュールとマッドのことを思っていた。あの2匹だけでも……あの2匹だけは救いたい! 僕をかばったばっかりに捕まってしまった2匹……。
僕はケガ後の体を慣らすこともかねて、初めて外に出た。それまでグリムが許してくれなかったからだ。今は、あまり遠くへ行かないという条件で外へ出てきた。そんなグリムは土中部屋。久しくすった新鮮な空気は、美味しかった。また、あたりは暗くなり始め、少し早めの街灯たちの点灯も良く見えた。と同時に、その街が、僕がグリムと一戦交えた街とは、違う街だということも知った。
僕は草原の真ん中でしばらく立ちつくしていた。本来、草たちを撫で鳴らす風が、今日はぼくの黒毛をなびかせていた。
そんな思案する僕をよそに、時間は関係なく、いつも通り巡った。
そうして夜になった。
第六章 夜
夜なり、グリムと共に収容所への草原を駆けていた時のことだ。草原の向こうには坂が見え、そこを下ると収容所のある街へ行けるそうだ。僕とグリムが真っ黒な黒犬で、夜の暗闇にとけ込めたのは幸いだった。おかげで想像してたよりかは楽に、移動ができた。
草は夜露でひんやりと濡れていた。が、グリムはそんなこと気にとめず、どんどんくさはをかき分け坂へ向かう。すごいスピードで、ついていくのがやっとだ。
そうしているうちに坂道についた。
「一気に行くぞ」
僕は黙ってうなずいた。グリムに従い、坂道を一気にかけ下りる。そこは、坂道というにはあまりにも急で、肝を冷やした。
周りの景色が凄い勢いで消えていき、風の抵抗が伝う左足が、少し痛んだが、前よりは絶対マシだ。グリムは坂道を下り終えると、ぴょんと跳ねて街の方へと走っていった。僕も慌てて追う。
2匹は道路のわきに出た。昼間なら車の往来が激しい、活気溢れる交差点なんだろう。が、今は深夜。僕以外の時間がすべて止まったかと疑うほどに静かで、動くものがない。ぼくらは安全に道路を渡り、そのまま住宅街抜けた。僕はその間、ただただ黙って、しゃにむについていった。
「ダウンホール」と書いてある建物の前につき、グリムは裏口から中へ入った。もちろん僕も続いた。
「さぁ着いたぞ。」
グリムが言い放ち、ようやく止まった。彼は呼吸乱さず平然としていたが、僕はと言うとぜーはーぜーはーと息を弾ませた、いうなればマラソン後状態だった。
グリムが停止したのはペットショップの前だった。案の定、閉まってはいたが。
人間に捕まった犬は最終的にここに来る。シュールとマッドが捕まった地域で言うと、可能性としてはここのペットショップが最高ということか。
つまり、あいつらにとっては2度目のペットショップってわけか、とか考えている僕をよそに
「さぁ 行くぞ。」
グリムは冷淡に吐き、通気口を壊して中に潜り込んでいった。グリムよりも体が小柄な僕は通るのが幾分か楽だった。
ただ、もしここにあの2匹がいなかったら……。そのことを理解した上でグリムはここに来たのだろうか。それとも、何かしらの確信があってここに来たのか。
もーいい!
そんなこと、今僕が考えても仕方がないじゃないか!グリムにはグリムなりの考えがあってここに来たんだ!
ペットショップの中はとても静かで、ひんやりとしていた。また、店内の証明類はすべて役目を終えて、すっかり暗くなってもいた。ショーウィンドウに犬猫の姿はない。部屋奥の爬虫類コーナー付近、熱帯魚らが支配しているコーナーでは、ブルーライトが水槽を怪しく照らし、定期的な水音がこぽこぽと音を立てていた。そのさまはまるで、ホルマリン漬けの資料で溢れる実験室だった。
ぼくは
「収容所ってペットショップのことだったの?」
と聞いた。グリムはしばらくしてから
「そう呼ぶ奴もいるな」
と意味ありげに返した。彼は、店のものしか入れない部屋(檻があると思われる部屋)の前に立ち、ドアノブを見た。
「だめだ。鍵がかかっとる」
「え!? じゃあどうすんの?」
甲高く喚く僕をなだめるべく、彼は調子を変えずに応じた。
「作戦を変える。プランβに移行だ」
「プランβ?」
どすっ
ぼくのみぞおちに、グリムは一発放った。
僕の意識は彼の狙い通り、とんだ。
犬になったぼく 第二部 新たな出会い
つづくーーーー