Hearts~love first~

1話  いつもの日常、出会い


――誰にだって「こうなりたい」とか、そういう夢ってあると思う。
学校の教師になりたいとか、パイロットになりたいとか。
でも僕が思う「こうなりたい」って夢は、普通の人なら出来て当たり前なコトなんだ。
僕の母親は身体が弱くて、病気がちの人だった。息子である僕にもそれは遺伝してしまった。母さんほどではなぃけれど、小さい頃は学校なんて行ける訳がなくて、いつも病室で1人きりだった。仕事の合間に顔を見に来る父さん、主治医の藤岡先生、毎日のように遊びに来る親友の司が僕の心の支えだった。
でもそれは小さい頃の話で、今の僕は親友の司の2人、町の高校に通っている。でも身体の方は小さい頃よりいい方なだけで、普通の人と同じコトが出来ないのは……とても辛いコトだ――。


 桜が舞う春の季節、蒼空(ソラ)はカバンを手に学校への道を歩いていた。
「なぁなぁっ、今日クラスがえ発表だろ?オレ達、また一緒になれっかな?」
 彼の隣を歩く、金髪ヘアーの男子が、目をキラキラと輝かせてこちらを見てきた。
「同じだよ、きっと。僕達はいつも一緒……だろ?司(ツカサ)?」
「だよな、うん。クラスが別になるなんて絶っっっ対ありえねぇっ!!」
 蒼空は思わず吹き出した。
「ちょっ……。そんなに言い切っちゃうのかよっ。」
いつもと変わらない、今までと同じ生活。それがこれからどんどん変化していくなんて、彼は思ってもいなかった。
 学校の中に入ると、下駄箱がある先の壁に、クラスがえの紙がはられていた。学校中の生徒がみんな見ているせいで、蒼空はちっとも自分のクラスがどこなのか確認する事ができない。思い切って人ごみをかきわけて行こうとしたら、司が肩を掴んできて、ニコリと笑う。
「オマエはいいよ。オレが見てきてやるっ。……隊長はそこでまっとけっ!!」
「なんだそれっ。」
 人ごみをかきわけて行く司を見つめながら、蒼空は小さく「――ありがと、司。」と呟いた。なんだかふざけた言い方をしていった司だが、蒼空はちゃんとわかっていた。彼の小さな優しさに。
 学校に通えるくらいの身体になったのは中学2年くらいの頃で、その時から司は色々と気を使ってくれている。初めの頃は蒼空の具合が悪くなり早退したとかがありすぎだったが、慣れてしまうと司の対応は早くなっていた。いまはそんなこともほとんどないが、蒼空にとって司は親友で、信頼できる存在なのだ。
しばらくして司が戻ってきて、ブイサインを出してニコリと笑う。
「やっぱりその通りだったぜっ!オレの予言当たっただろっ?」
「予言かよっ!!最初は『また一緒になれっかな?』って僕に聞いてたクセに。」
「ん?そうだったっけか?」
 2人は笑いあいながら、教室へと入っていく。席はどこでもいいらしく、蒼空はいつもと変わらない一番後ろの窓際の席に座る。その前の席に司が座った。
「ふぅ。やっぱりこの席が一番落ち着くな。」
「昔からこの席だったしな。その……何かあった時のためとかって。」
 司があとの言葉をまわりに聞かれないよう小さく言った。
「まぁ、ね。いつ昔みたいになっちゃうか、わからないしね。」
 蒼空もあまり言いたくない言葉を口にしたせいか、声が小さくなる。
 その時ガタンと彼の隣の席に、1人の女の子が座った。その子とバッチリ目があってしまい、蒼空は反応に困った。
「私、春野 彩華。よろしくね。」
 蒼空は我にかえり、"いつも"の調子で言葉を返す。
「……僕は、大河 蒼空。」
「オレはコイツの親友の水谷 司(ミズタニ ツカサ)っ。よろしくなっ!」
 司は蒼空を抱きよせて、にこやかに笑ってみせた。
「おいっ、司っ。抱きつくなってばっ!!」
「いぃだろぉ?別に。」
「よくなぃっ。離れろぉっ。」
 そんな2人の姿を見て、彩華は不思議に思った。自分に対して言ってくれた言葉も姿もとても冷たい感じかして嫌なのに、司と話している時の彼の方が本当の姿のような気がした。
 
  彼はどうしてこんなことをしているのだろう?

  本当の姿の自分でいつもいればいいのに、どうして違うんだろう?
 
 彩華は彼の事がなぜか、気になって仕方なかった……。
「彩華っ、一体何を見てるの?」
 同じクラスになった仲のいい友達が、ぼーっとしていた彩華に声をかけてきた。
「ねぇ、大河君って……どんな人?」
 友達が驚いた顔をして、彩華の肩をガシッとつかんで力説する。もちろん、蒼空には聞こえないくらいの声でだが……。
「彩華、大河 蒼空はやめときなって。アナタは同じクラスになった事ないから知らないだろうけど、昔から学校はよくサボるし、話かけたらすっごい顔で威嚇してくる狼みたいな奴らしいよ?」
 彩華にはそうは思えなかった。さっきのような姿を見せる彼が、狼みたいな怖い人だなんて思えなかった。


 チャイムが校内に鳴り響き、新たな学校生活が始まった。

2話 蒼空と彩華


女の子なんてどう接したらいいかわからないし、同情されて優しくされるのも嫌だったから、ずっと冷たい態度をとってきたのに……。
あの子はそんな冷たい僕に、いつもわらって話かけてくる。
何度も。
いつも。
そんなあの子に僕は……気を許してしまいそうだった――。



「やっほー、大河君。……あ、なんか眠そうだね?夜更かし?」
 最近当たり前になってしまった事が、今日も繰り返されている。彩華は今日も蒼空に話しかけるのを忘れない。
「……別に。ちゃんと寝たけど。」
 いつもの調子で言葉を返しても、やはり彩華は変わらない。優しい笑顔を蒼空にむける。それになんだか今日は、いつも以上にニコニコしているような気がした。
「春野はなんか、いつもよりニコニコしてるけど……どうかしたわけ?」
「だって、嬉しいんだもの。大河君さ……出会った頃よりもお話してくれるから。」
 蒼空は驚きを隠せなかった。それは自分でも薄々感じていた事だった。彩華と話していると、冷たい態度な"いつもの"自分が、何だかバカらしく思えた。彼女になら、本当の自分を受け入れてくれるのではないかと思ってしまう。
しかしその反面……「かわいそうだね」と同情して、義理的に優しくしてくれるだけになるのではないか?という恐さもあって、蒼空はその一歩を踏み出せずにいた。
「――ぃ。お~い、聞いてる?大河君?」
 顔の前で手をパタパタと振られて、蒼空は我にかえった。
「え……何?」
「だーかーらー。今度の体育の授業の話だよ。」
 体育?蒼空は記憶をたぐりよせ、昨日の時に司がそんな話をしていた事を思い出した。
『蒼空ぁ、今度の体育の授業、男女ペアでやるって話聞いたか?クラスの女子と仲良くなるチャァァァンス!!』
『ちょっ、チャンスってなんだソレ。お前、誰か気になる奴でもいるのか?』
『それはお前の方じゃないのかよ?蒼空。』
 司になんだかからかわれた所はよく覚えていた。
 アイツめ……いつか仕返ししてやるっ。
「あぁ……。男女ペアでどうこうってやつのコトか?」
「そうそれー。だからさ、そのぉ~。」
 彩華が言葉をにごした。言っていいものかと悩んでいた。最近やっと色々話してくれるようになったばかりなのに「一緒にペアになって!」なんて図々しいような気がして、なかなか口にだせない。
「……何?言わなきゃわからないだろ、おまえ。」
 きっと大丈夫と自分に勇気の魔法(?)をかけて、彩華は思い切って言ってみることにした。
「私とペアなんて……どうかなって思って。」

―――沈黙。

 蒼空の表情が曇った。・・・彩華から目をそらし、何も答えてくれない。
「…………。」
「大河君……どうかしたの?」
 彩華は、やっぱり言わなければよかったのかという考えが頭をよぎる。
 蒼空は何も言わないまま背をむけてしまう。
「…………。」

――何も僕のコト知らないから、そんな事が言えてしまうんだ。
でも知っていたら……彩華はどうするのだろう?

司だったならば、彼にそんな事は言わないだろう。"もし"という意味を含めた言葉を司なら言うだろう。
 「―――僕は、やらない。授業も出る気ないから、他を当たれよ。」
 いつもよりもずっと冷たい言葉が、彩華の心に突き刺さる。
 蒼空はそのまま、教室から出ていってしまった。
「おいっ……蒼空、待てよっ。」
それを近くにいた司が追いかけていった。
「何よ……それ。」
 一人残された彩華がポツリと呟いた。
 態度はあまり変わらなくても、少しだけ見せてくれた本当の姿…。
「授業に出る気がないって……何でよ?」
 でも本当の本当の彼は……近寄れば噛みつく、狼なのかもしれない。
――『話かけたらすっごい顔で威嚇してくる狼みたいな奴らしいよ?』
 友達が言っていた言葉が、今ならそうではないかと思えてしまう。それとも何か理由があって、そう言ってしまっただけなのか……彩華にはわからなかった。


「おいっ!待てってば、蒼空っ!!」
 蒼空の肩をようやくつかんで、走る彼の足を止めさせた。
「おまえっ、走るなんて自殺行為するなよっ!!」
「……司。――――っ!?」
 蒼空は司に何かを言いかけて、激しく咳き込んだ。胸のあたりが何だかしめつけられているようだった。
「蒼空っ、おぃ、大丈夫か?」
 司が心配そうにそう言って、蒼空を見つめる。
 やっと落ちついてきた蒼空は、司に笑ってみせた。
「大、丈夫。ごめん、司。」
 いつもの彼なら、こんな自分を苦しめるような行為などしない。自分の身体の事は自分が一番よく知っている。
 でも蒼空は、あの場から逃げ出したかったのだ。一秒でも早く―――。
「おまえらしくない行動だな、ありゃ。何も自分の事知らないでバカをみた、小さいガキみてぇ。」
「おい……。それって遠回しに僕がバカだって言ってるだろ?アレは小さい時の話だろ?」
「それは小さい時の話であっても、今のおまえはバカだな。」
 司が冷たい視線を蒼空にむ「おまえ、あの場から逃げちまってよかったのか?あの子、きっと傷ついてるぞ。あの時のおまえは……オレでもなんか怖かった。」
「………司。」
「蒼空、おまえはこのままでいいのか?ずっとあの子に……"いつもの"調子でい続けるのか?」

そんなこと、言われなくてもわかっていた。自分がどうするべきなのか、なんて。でも――。

「わかってるよ、そんなコト。でも僕……怖いんだ。司や藤岡先生以外に、心を開くのが。」
 司が優しく、蒼空の肩を叩いた。
「怖がるな、蒼空。おまえが一歩をふみ出さなきゃ、何もかわらないぜ?大丈夫、オレがついてるんだから。」
 司の優しさが、蒼空にはとても嬉しかった。いつもの彼もそうではあるけれど、今の蒼空にとっては、いつも以上に強くそう感じたのだった。
 この親友の存在がなければ、きっと今のように学校に元気な姿でいるなんてなかっただろう。ずっと病院や家の中でひきこもっていたかもしれない。蒼空にとって司の存在は………とても大きなものだった。


 次の日、彩華はいつものように声をかけてこなかった。昨日あんなに冷たい態度を取られたのだから、きっとショックを受けたに違いない。それでも時々、チラチラと蒼空を見ては、何度も何度も話しかけようとしてなかなか言葉が出てこないでいた。
 やはりここは自分から謝るべきだと蒼空は思っていた。昨日のあの態度はきっと彼女を傷つけたに違いないし、それに1日中こんな嫌な雰囲気でいるのもやめたかった。
 授業が終わる合図のチャイムが鳴り、「結局言えなかった」と言わんばかりの空気を漂わせて帰ろうとする彩華に、蒼空は声をかけた。
「ごめん、彩華。昨日は僕が悪かった。」
 昨日やついこの前までとは全く違う優しい声がして、彩華は信じられないといった風な顔をした。
「えっ……。大河、くん?怒ってないの?」
 蒼空がふるふると首を振る。
「怒ってない。アレは……怖くて逃げ出してしまった僕が悪い。」
「でもっ、それでもごめんなさい、大河くん。私っ……。」
「―――蒼空。蒼空でいいよ、彩華。」
 彼はやっぱり狼みたいな人なんかじゃないと彩華は思えた。蒼空はこんなにも優しいじゃないか、と。
それに、やっと蒼空の本当の姿を見られた気がして嬉しかった。



初めて下の名前で呼ばれたことに、とてもドキドキした――。

3話 変わる二人、隠し事


あの子は優しい、可愛い。声に、姿に、笑顔に、全てにドキドキしてしまう。
そんな僕は、変なのだろうか?
でもあの子は―――――。
僕の秘密を知ってもなお、あの姿のままでいてくれるのかな?



 蒼空は何か隠してる。
彩華は最近、そう思うことがよくある。以前よりも彼との距離が近くなった気はするが、まだ何かを自分に隠している気がして仕方なかった。かといっていきなり「何か隠してるでしょ?」なんて言える勇気もなく、いつも聞けずにいた。
「なぁアヤちゃん、昨日のアレ・・・見たかぁ?」
「え・・・・?アレ?えっと・・・何?」
 急に話しかけられて、彩華はあわてて話にくわわる。
「おまえ、またあの再放送の映画見てたのか?好きだねぇ・・・・司は。」
 蒼空は机の上で頬杖をつき、呆れ顔で言った。
 司が何度も見ている映画は、某有名人が主役を演じる刑事ドラマだ。中学校の頃に初めて公開されて、蒼空は一度映画館に二人で見に行った。その後日に司は一人で、三回は見に行ったとか。発売されたDVDも買っているのに、テレビの再放送まで見るなんてどんだけ好きなんだ!と言いたくなってしまう。
「えっ・・・あ、ごめんなさい。私その時間、連ドラマ見てたから。」
「もったいねぇ!今度DVD貸してやるから見なよ、アヤちゃん。」
 目をキラキラと輝かせて力説してくる司に、彩華はたじろいだ。
「おいおい・・・・散々僕に力説してたのに、今度は彩華にすすめるのかよっ。」
 そんないつもと変わらない他愛のない会話をしていると、クラスの担任の先生が蒼空を手招きした。
「お?またいつもの呼び出しか、蒼空?」
「まあこればっかりは仕方ないね。・・・・ちょっと行ってくる。」
 先生と二人教室を出ていく蒼空を見送り、彩華はふと司にあの事を聞いてみることにした。
「ねぇ、司。」
「ん?何だ、アヤちゃん?」
「・・・・蒼空はなんで時々、学校サボってるの?頭もいいのに先生に呼び出されてるし。」
沈黙―――――。
 司は俯き、言葉に迷っていた。こればかりは司の口から言うべき事ではない。蒼空が自分から言わなければダメだ。
「ねぇ、司ってばっ!聞いてる?」
「ええっと・・・・それは。オレも知らないんだよなぁ、アハハ・・。」
 司は何とかごまかそうとして、シラをきる。
「ウソっ!司何か知ってるでしょ?」
 彩華は見逃さなかった。司がウソをつく時、何かと鼻の頭をかくクセがあるのだ。
 司はため息をついて、ポツリと言ってきた。
「・・・知ってるよ。小さい頃からずっと一緒だったから、知らない訳はない。けど――――。」
「けど・・・?」
「オレがそのことを言ってしまったら・・・・あいつのプライドを傷つけちまうよ。」
 司はなぜか悲しげにそう言って、それ以上何も答えてはくれなかった。


 やっぱり気になる。
昨日のあの後、蒼空は一人早退していってしまった。彼に「どうしたの?」って聞いても・・・。
「うん・・・。僕、ちょっと用事あるから帰るよ。」
それだけ言ってさっさと帰ってしまったのだ。今日は日曜日で学校が休みだから、理由を聞きたくても聞けないし、第一まだ蒼空の家もどこなのか知らなかった。
「はぁ・・・・。」
 何もする気力もなくただ何となく空を見ていると、近所の子供達がバットとグローブを手に元気に走っていく姿が見えた。後から遅れてきた子供があわてて走っていく。それも何となく目で追っていき、やがて見えなくなる。
  ~♪
 その時彩華のケータイからテンポの良い着メロが鳴った。ケータイの画面を見てそれが友達からの着信だと知り、そっとため息をついた。今はあまり乗り気ではないけれど出ないのもなんだか悪いので、仕方なく通話のボタンを押す。
“「ちょっとちょっと彩華っ、聞いてーっ!」”
 耳が痛くなるようなキーの高い声が聞こえて、彩華はとっさにケータイを耳からはなした。軽く耳鳴りがする。なんて声だ。
“「今日ね~、有名なパティシエがやってる店でケーキバイキングやるんだってー!彩華も行くでしょー!?」”
 それは行きたい、とても行きたい。けれど心の半分は全く乗り気じゃなかった。彼の事が気になって仕方ないのだ。
“「・・・・彩華?ちょっと聞いてる~?」”
「えっと、ごめん。ちょっと今日用事があって行けないみたい。」
“「・・・・あ、もしかして昨日の事気にしてる?」”
 鋭い。親友の彼女にはすべてお見通しなのだろう。彩華が返事をしないでいると、彼女の方が先に話を続けてきた。
“「彩華、悩んでないで行動あるのみっ!女は度胸でしょっ!」”
 なんだかとても勇気づけられた気がして少し心が軽くなった。
「うん。ありがと、がんばってみる。」
“「今回は引いてあげるけど、今度埋め合わせしてよね!・・・じゃ!!」”
 一方的に電話が切られ、彩華は息をつく。
 「がんばる」とは言ったものの、何をどうしよう?実際何も思いつかなかった。蒼空の家場所とか、ケータイ番号とかメルアドを知っていたら何かと方法はあるけれど、全て不可能な事ばかりで八方ふさがりだった。
 再び息をついて、窓の外を見やる。
―カタンッ・・・。
 持っていたケータイが手をはなれ、床に落ちた。窓の外に映る光景に彩華はくぎづけになった。道を今歩いてるのは先はどのような小さな子供達ではなく――――。
「・・・・蒼空?」
 制服ではないラフな格好で、蒼空はとぼとぼと道を歩いていく。傍にいつもいる親友の司の姿はなく、彼一人だ。いったい彼はどこに行くのだろう?彩華気になって家を飛び出した。

 てっきりショッピングにでもきたのかと思ったが、彼は商店街の店には見向きもせずひたすら歩いていく。そんな彼を、彩華は「こんなストーカーみたいな真似してもいいのかな?」とか思いつつもここまで追いかけてきてしまった。商店街は休日の日は町の人で賑わっていて、少しでも油断すると彼を見失ってしまいそうだった。
 若い女性に人気のジュエリーショップを通りかかった時、店員らしき若いお兄さんに行く手を塞がれ、声をかけられた。
「そんなに慌ててどちらへ?お嬢さん?君可愛いから似合うアクセサリーがきっとココにあるよ。」
 前を行く蒼空の姿が人ごみで見えなくなっていき、彩華は焦る。
「ちょっと通してくださいっ!私・・・・急いでるんですっ!」
 店員らしきお兄さんを振りきり、彩華はキョロキョロとあたりを見回し蒼空の姿を探した。蒼空はもうかなり前の方にいて、商店街通りの終わりの道から左へ行ってしまうところだった。彩華は慌てて追いかけ同じように左に曲がる。しかし、曲がった先に彼の姿はなかった。
「え・・・。確かに左に行ったと思った、のに。」
 曲がった先は公園と、街で一番大きな総合病院とマンションが立ち並ぶ住宅街だ。
「――――あ。」
 あたりを見回していると、思いもよらぬ所に彼はいた。蒼空は総合病院の入り口から中に入って行く所だった。彩華はまた追いかけようとしたが、できなかった。こんな所に来るという事は誰かのお見舞いか、自分の為のどちらかだと思い、用もないのにただ蒼空を追いかけてきただけの自分が行くべきではないと思ったのだ。けれど前者はあり得ても、後者はありえないと思った。
 だって彼は―――いたって元気そうに見えたから。
 彩華は病院入口前にあったベンチに座り込んだ。辺りはちょっとした庭になっていて色んな花や木々が植えられていた。看護師さんが車椅子に乗った患者さんを連れて歩いて行ったり、片腕にギブスをつけて布で肩から腕を固定して庭を歩いていく病衣を着たお兄さんがいたり、一服をしに外に出てきた医師が煙草を吸いながらペラペラと話していたりと、病院では当たり前の光景が目に映る。
「・・・・蒼空。」
 彩華はそっと彼の名前を呟いた。


   ☆   ☆   ☆

 診察室に通され、蒼空はすぐ傍の椅子に腰かける。
「・・・・藤岡先生、アレやめてもらえませんか?」
 蒼空は背を向けている白衣を着た医師に不満をぶつけた。
 医師はクルリと椅子を回転させてこちらを向いた。顔は若く、病院内で看護師からの人気があるくらいの美形だった。長い髪を後ろで一つにまとめ、眼鏡をかけていた。歳は二十代後半らしい。
「あぁ・・・・昨日の事は悪かった。だが少し気になってしまってな。」
「・・・・・。」
 蒼空の心の中に不安が広がった。こんな風に先生に言われたのは・・・何年ぶりだろう?
「っと・・・すまない。別に大したことじゃないからな、蒼空?」「じゃあ何なんですか、藤岡先生?」
 蒼空が不機嫌そうに先生をじっと見つめた。
 藤岡はカルテを手に取り、ペンで何かを書き込みながら言う。
「この間の定期検診の結果の数値が少々いつもより低かったからな。しかし昨日の再検査の結果を見る限りでは、特に問題はないな。」
「・・・・そう、ですか。」
 心の奥でそっと胸をなでおろす自分がいた。いつもは気にしないでいても、やっぱり自分がそういう脆い体だって事に怖くなる。そして何より自分を生んでくれた母親は―――。
 場の空気がなんだか重くなり、藤岡は蒼空のおでこにデコピンをかました。
「つっ・・・たっ!何するんですかいきなりっ!!」
 ダメージを受けたおでこを手で押さえながら文句を言った。
「昨日、かなり注目浴びたんだろう?」
 ケラケラと笑っている藤岡の姿がなんだかムカついた。先生のくせになんて人なんだと思うけれど、そうやって親しげに話してくれる彼が好きだった。
「そりゃ注目されましたよ、みんなにっ!それに・・・彩華にだって―――。」
最後のあたりはボソボソと声が小さくなっていく。
 ちょっぴり照れたようにしている蒼空を見て、藤岡はピンときた。
「蒼空も男になったという事か。その子・・・・大切にしなさい。」
「先生、でも僕・・・・まだ言ってないんだ。」
「君が好きだっ・・・・ってか?」
 蒼空はますます顔を赤らめて、否定する。
「ちっ・・・違うよっ。それじゃなくてっ―――。」
「わかっている。体の事だろう?・・・・その子が本当に大切な人だと思うなら、ちゃんと言ってあげなさい。きっと彼女も君の事を知りたがっているはずだよ?」

   ☆   ☆   ☆


 ここに座り込んでからどれくらいの時間がたっただろう?いつまで待っても入口の方から蒼空が出てくる様子はない。不安ばかりが心の中を埋め尽くしていて、彩華は追いかけてこなければよかったのかと思いはじめていた。司のように小さい頃から一緒にいた訳でも家族でもない自分は、彼のプライベートな事を知ろうとするなんて図々しのかもしれない。色んな考えが頭の中をぐるぐるして、何をどうしていいのかわからなくなっていた。
―――その時。
「あれ・・・・?彩華、こんな所で何してるんだ?」
 蒼空が不思議そうな顔で、彩華の顔を覗き込んだ。
「!!―――蒼空っ!」
 彩華はいきなり話しかけられたのと、それが蒼空だった事に驚きを隠せなかった。
「彩華も誰かに会いに来たのか?」
「それは・・・・蒼空に会い――――。」
 彩華はつい出てしまった言葉に恥ずかしくなって、顔を赤らめた。
「え・・・・。」
 蒼空は一瞬何を言われたのかわからないでいたが、やがて理解したらしく彼も顔が赤くなる。
「「・・・・・。」」
 お互い顔が赤くなるばかりで、何も言えなくなってしまった。目が合ってはすぐに逸らしてしまう。だが先にその状態を変えたのは蒼空だった。
「彩華、ちょっと来て。」
 蒼空は彩華の手を取り、病院の中へと入っていく。
 自動ドアを抜けた先は広く、沢山の椅子が置かれていた。「薬局」と書かれた部屋のカウンターに看護師さんが座っていて、患者さんの名前を呼んで薬の説明をしていた。ほかの場所に視線をうつすと、廊下の先には「内科」「整形外科」「放射線科」「眼科」など様々な科があり、いたって普通の総合病院の姿がそこにあった。
「蒼空、もう帰る所だったんじゃなかったの?」
 蒼空はふるふると首を振り、近くの椅子に腰かける。彩華も仕方なく、隣に座る。
「ううん、さっき待ってる時間がヒマだったからちょっと外に出ただけ。そしたら彩華がいたから・・・。」
 待ってる間?彩華は不思議に思った。いったい何を待っていたんだろう?
 近くを医師や看護師達が通り過ぎていく。しかし皆、蒼空にニコニコと笑って手を振ってくれたり、「最近は大丈夫なのか?」などと気軽に声をかけてくる。それをまるでいつもの事かのように、軽く挨拶を返す蒼空がいた。
「―――大河 蒼空君。」
 突如彼の名前が呼ばれて、彩華はキョロキョロとあたりを見回す。また誰か知り合いが来たのだろうか?
「ちょっと待ってて、彩華。」
 蒼空はそう言って席を立ち、薬局の方へと歩いていく。
―――まさか。
『ねぇ、大河君て・・・どんな人?』
『彩華、またその話?だからぁ~授業はよくサボってたよ。体育の授業がある日なんかは必ずいないし。』
 友達に以前、蒼空の事を聞いた事を思い出し―――彩華はすぐにその意味を理解した。
 戻ってきた蒼空が手にしている袋を見て、彩華はますます現実であると知った。
「蒼空・・・・っ。」
 彼はただ学校が嫌いだからとかいう理由でサボっている訳ではなかった。ちゃんとした理由があったからそうだったのだ。そんないつも大変な思いをしている蒼空に、なぜあんな事をを言ってしまったんだろう?
―――「今度の体育の授業の事だよぉ。」
―――「私とペアなんて・・・どうかなって思って。」
 あの言葉はきっと・・・蒼空の心を深く傷つけてしまっただろう。
 彩華は泣きそうになり、目に涙をうかべた。
「蒼空・・・・っ、ごめんなさいっ。私、何も知らなかったからっ。私っ・・・・すっごく傷つけたよね。」
 蒼空はそんな彩華を優しく抱きしめた。
「彩華は悪くないよ、大丈夫。だから・・・泣くな。」
 蒼空の優しい言葉と体が、彩華を優しく包み込む。
この何とも言えない・・・温かな気持ちは、一体なんだろう。


「ごめんね、なんか泣いちゃったりして。」
「別に謝ることじゃないさ。でも、まわりから注目浴びてたのはさすがにちょっと、ね。」
 あの後彩華は涙が止まらず、しばらくあの状態のままだった。泣いている女の子をずっと抱きしめる男の子・・・当然、注目されてしまうに決まっていた。そしてやっと落ち着いた彩華を連れて、病院を出てきたのだ。
「・・・ごめん。」
「だからさ、もう謝るなってば。聞いてる僕のほうが、困る。」
 彩華は何も言わず、ただギュっと手を握ってきた。それに少しドキッとして、蒼空も握り返してやる。
 しばらくそのまま何も言わず道を歩き、ふと彩華が言った。
「ねぇ蒼空・・・どうして学校の皆は、この事を知ってる人が全然いないの?」
「それは―――。」
 蒼空の顔が、なんだか悲しそうに見えた。
「中学ぐらいまでは今よりも具合が悪くなる事が多かったから、クラスの奴とかに色々言われるから嫌だったんだよ・・・。」
―――「蒼空君大変だねー。あんまり無理しない方がいいんじゃないの?」
―――「体の弱い奴は見学してた方がいいんじゃないか?いられても困るし。」
 まるで邪魔者のように扱われ、体が弱いからと同情の目を向けられるのが、彼には耐えられなかった。今はもう昔ほどではなくごく普通に通えるのに、言ってしまったらまた同じ状況になるとわかっていたから言わなかったのだ。
「そうだったんだ・・・。私、友達たちと違って小さい頃に蒼空と同じクラスになった事ないから、何も知らなかった。」
「よかったんだよ、それで。もしそうだったら・・・彩華も皆と同じ反応して―――。」
「違うよっ!私はどっちだったとしても、今と同じになるよ!皆は蒼空自身の事ちゃんと見てくれなかっただけだよ!でも私は・・・ちゃんと蒼空自身の事、見てるもの!!」
 彩華の目は自信に満ちていて、その目はしっかりと蒼空に向けられ、その言葉が嘘でないと伝える。
「彩華・・・・。」
 心の中がなんだかとても、温かな気持ちになった。


僕はどうして、こんなにもこの子に惹かれてしまうのだろう・・・。

心の中に広がっていくこの気持ちは・・・一体なんだろう。


 

4話 蒼空と司


司は僕にとっては親友で、とても信頼している存在だ。
あいつの存在、優しさがあったからこそ・・・・今の僕がここにいる。
もしもここに司がいなかったら・・・・僕はきっと、ここには存在していない。


 今日は平日、晴天なり。
蒼空はグラウンドにいた。近くにある小さな木の下の木陰で、クラスの男子と何やら楽しげに遊んでいる司を見物していた。
 グラウンドには白い線で長方形が大きく書かれていて、そのちょうど真ん中で二つに仕切られている。その中に何人かとその外側に数人いて、手にしたボールを投げては当てる。
「今日は半日で授業が終わりだからって、何も今やらなくてもいいのにさぁ・・・。」
「いつもやってるけどよく飽きないね。ほぼ毎週のようにやってない?ドッチボール大会。」
「彩華は知らないだろうけど、たまに休みとかにメールがまわってきてやったりもするよ?―――あ、ダメじゃん司。」
 そんな話をしながら、見物している蒼空が笑う。
 飛んできたボールをカッコイイ(?)ポーズで避けたつもりの司は、見事にボールが命中してしまい外野へ出ていく。その後もお互いいい勝負だったが、司がいるチームの方はもう内野にいる人数が少なくなっていた。外野に出た奴は内野に戻れないルールがかなりイタイ。
「司ぁ~、なんか今日はダメダメだな。この勝負オレの勝ちだな。」
 司は悔しそうな顔をして、仕方なく「タイム!」と言って手をあげ、蒼空達の方へ歩いてくる。
「蒼空、頼むっ!お前の力を貸してくれ!!」
「ちょ、ちょっと司、それってどういう意味なの?蒼空は―――。」
 司につっかかっていく彩華を制し、蒼空はニコリと笑う。
「こんなのいつもの事だから、大丈夫だよ彩華。」
 そう言って立ち上がり、行こうとする蒼空の手をつかみ、心配そうな視線を向ける。
「でもっ・・・。」
 蒼空はため息をついて、あたりに聞こえないくらいの声で小さく言う。
「別に少しの運動も絶対にダメって言われてる訳じゃないから、大丈夫だよ。」
 彩華は仕方なく手をはなし、見守ることにした。しかし大丈夫と言われてもやはり心配になってしまう。小さい頃は入院生活だったと言うし、それに出会ってから今まで、彼がまともに運動をしている所なんて見た事がなかった。それをよく知ってるはずの司が助っ人を頼むなんて、とても馬鹿げてると思った。
 そんな事を頭の中で考えていた彩華は、あたりの歓声にに気がつき顔をあげた。すぐさま彼の姿を探して見つけ・・・絶句する。
「もう終わりなワケ?弱すぎっ。さっ、帰ろっと。」
 相手チームを負かして勝ち誇っている蒼空の姿があった。そして司と共にこちらに戻ってくる。
「ん?どうかしたのか、彩華?」
「だって、あの、そのっ・・・。」
 何を言ったらいいのかわからず、なかなか言葉が出てこない。いったい何がどうなっているのだろう?
「蒼空はこんなんだけど、運動神経はすごいんだぜ~!」
 勝てた事が嬉しいのか、上機嫌に司が言ってきた。
「ちょっ、“こんなん”ってなんだよ、司!ヒドイっ。」
 いつものようなこの二人のふざけた会話を聞いて、彩華はようやく落ち着きを取り戻した。
「・・・もう、あらかじめ言っておいてよ。こういう事は。」
 プクッと頬を膨らませ、彩華はそっぽをむいて先に歩いていく。それをあわてて追いかけてきた蒼空が手をつかんだ。
「待ってよ彩華。言わなかったのはゴメンって!」
「ぷん、しらなぁい。どーせ私は幼馴染でもなんでもないもん。」
 別に本気で怒っている訳ではなかった。ただのちょっとした仕返しのつもりだった。
「ごめん・・・・彩華。」
 蒼空は突然後ろから、ギュッと彩華を抱きしめた。彼もわかっていてふざけてくると思っていた彩華は、その意外な反応にただ戸惑っていた。
「幼馴染じゃなくても、僕にって彩華は・・・・とても大切な存在だよ。」
「・・・・蒼空。うん、だよね。ごめん・・・変なこと言って。もう帰ろっ。」
 彩華は笑顔を見せて、彼を安心させようとした。
「・・・うん。帰ろ。」


    ☆   ☆   ☆

クラスの皆と同じように授業に出て、遊んだりしたいと思うのは・・・大きすぎる夢だろうか?
「・・・・・。」
 窓から見えるのは、外でサッカーをして遊んでいる同じクラスの子達の姿。さっきまでは自分も、あの中にいた。やりたいという気持ちに対して、体がついていけないのだ。ちょっと走り回っただけで呼吸が出来ないくらい苦しくなって、結局いつもこの保健室のベットから窓の外を見ているしかない。ちょっとした事ですぐに体調を崩しては、すぐに病院行き。入院と退院を繰り返す日々だ。今日もきっと帰ったら先生に「またやったのか?」って言われて、いつものように入院だろう。
  ガラガラっ・・・。
 その時保健室の扉が開いて、一人の男の子が入ってきた。
「先生ぇ、かけっこしてたら転んじゃって・・・。」
 保健室の先生はその子を椅子に座らせ、消毒と処置を施す。
 ふと、それを見ていた蒼空と少年の目が合った。
「君どうしたの?具合でも悪いの?」
 少年が近寄ってきて、蒼空の顔を覗き込む。
「・・・・悪いからここにいるんだろ。」
 蒼空は顔をそむけて、冷たく答える。そんな彼に、少年はもっと近寄ってくる。
「あぁ、それはそっか。で?大丈夫なのか?おれ、家まで一緒に行ってやろうか?」
「・・・・え?」
 全く初対面のはずなのに、その少年は優しそうに声をかけきた。
「だからぁ、おれももう家帰るから一緒に帰ろうって話。」
「・・・・。ごめん、親が迎えに来てくれるから。」
 その時はそれで終わったのだが、その日から少年は蒼空いるクラスにやってきては、何かと話しかけてきてくれて、蒼空はとても嬉しかった。いつも毎日が楽しくないと思っていたのに、今はもう違っていた。
「なぁ、蒼空・・・。聞いてもいいかな?」
「ん?なに、司?」
「君さ・・・なんでいつも保健室にいるんだ?」
 蒼空の心に冷たい刃が突き刺さる。一番言われたくない―――。
「・・・・・。」
 司は、つらそうな顔で何も言おうとしない蒼空を見て、何かに気がつき彼の肩にそっと手をのせてきた。
「ごめん、蒼空。直接言ったら傷つくよね、そりゃ。大丈夫、友達のおれがずっと傍にいてやるから。な?」
 蒼空は驚くしかなかった。自分は何も言ってないのに、どうしてわかったんだろう。でも彼の優しさは嘘ではないとわかり、自ら白状した。
「僕の体・・・・生まれつきなんだ。だから、どうしようもない。」
「どうしようもなくないよ。治るかもしんないだろ、ソレ。」
「ムリだよ。母さんだって治らなか―――。」
 司が蒼空の口をふさいで、ふるふると首を振る。
「治るよ、蒼空。自分からそう思わないとダメだよ。おれも手伝うから、いつも傍にいて必ず助けるから。」


司と出会えた事で、僕の生きる道が―――変わった。

   ☆   ☆   ☆


ここ最近、誰かの視線を感じるようになっていた。蒼空はもちろん、司だって気づいていた。でも彩華の方は全く気づいてないようだが。
「蒼空、なんかますます視線が痛いんだが・・・。」
「僕に言うなよ。誰かわかんない以上、どうしようもないし・・・。」
 傍で友達と話している彩華に気づかれないように、ヒソヒソと二人は話す。
「原因はおまえだろ?」
「はぁ!?なんでっ!」
 思わず声をあげてしまった蒼空に、司が口の前に指をたてて「静かに」の合図をした。
「おまえら二人の姿見てたら、誰もが羨ましと思うさ。」
「え?ちょっ、なんだよソレ?意味わかんないしっ。―――でも、女子の仕業なのはわかってる。」
 蒼空は女子たちの間で、自分が人気がある事を知っていた。学校に通えるようになった中学の頃からずっとそうだった。下駄箱のロッカーのラブレター、女子に呼び出されての告白、家庭科で作ったお菓子攻め・・・・それを全て“いつも”の調子で受け流してきた。しかしそれでも女子たちは、今でも蒼空を見てはキャーキャーと声をあげている。そんな彼の傍に、いつも一緒にいる女子が出てきたら・・・・どう思うだろうか?
「まぁ、アヤちゃんに何ごともないといいんだけどね。」
「でも用心はしといた方がいいね。そろそろ何があってもおかしくないしね。」
「そぉ~ら♪」
 彩華がいきなり、蒼空の顔を覗き込んできた。
 突然の事に驚いて、思わず椅子から転げ落ちそうになる。
「・・・・!?」
「なにそんなに驚いてるの?」
 彩華は不思議そうに首を傾げてきた。普通に話しかけただけなのに、どうしてこんなに驚くのだろう?
 体制をやっと元に戻してホッと息をつき、彩華に目を向ける。
「べ、別になんでもない。それで・・・・どうかした?」
「いい天気だし、お昼ご飯屋上で食べようかなって思って♪」
「お、いいなそれ。アヤちゃん、オレさんせー!」
 司は意味もなく蒼空の頭に手を置き、わしゃわしゃとかきまわす。
「ちょ、やめろよ司。髪がぐちゃぐちゃ・・・。」
「いつもひっかかってるおまえが悪い。」
 髪をセットし直しながら、蒼空は司に文句を言っている。
 そんな姿を見ていた彩華は、思わず笑ってしまう。いつもの事だけれどなんだか笑えてしまう。そしてそれ以上に嬉しかった。前ならこんな彼の姿を見れなかったし、こんな近くにいつも一緒にいれることが、嬉しくてたまらなかった。


 屋上への階段は教室を出た渡り廊下の先にあった。それ一つだけが屋上に続いている唯一の階段だったりする。なぜ他の階とつながっていないんだだというそんな不思議な場所が、他にもあるという何ともおかしな学校だ。設計ミス・・・なのかどうかは誰も知らなかった。
 お弁当を手に廊下を歩いている。窓からはグラウンドが見えて、外の庭で弁当を食べている生徒の姿が見えた。同じクラスの男子がこちらに気づいて、バカみたいに両手を振ってきた。蒼空は笑顔をむけただけだったが、司はというと同じようにバカみたいに両手を振って返していた。
「バカツカぁ~。おまえそうやってると、ますますバカに見えるぞ~。」
 クラスの男子がケラケラと笑った。
「オレはバカツカじゃねぇっ~!バカっていう奴が一番バカなんだぞぉ~!」
「司っ、そうやって大声で言い返してるおまえの方がよっぽどば――――っ!!」
   ガシャァァァ・・・ン
 その時だった。ガラスの割れる大きな音がして、蒼空はとっさに彩華をかばい、そのまま二人とも床に伏せ寝そべるような態勢になった。
「いっ・・・たたぁ。ねぇ蒼空、いったい何が起きたの?」
 彩華はすぐに起き上がり、彼を振り返る。
 しかし―――。
「・・・・蒼空?」
 蒼空は床に倒れたままで、ピクリとも反応を示さない。
 彩華は不安になり、そっと彼に触れようと体を動かした時・・・手に嫌な感触を感じた。それは床に点々と落ちている、赤黒い液体―――。
「つっ・・・・蒼空っ!」
 倒れて動かない彼に触れようとした彩華を、司が止めた。
「アヤちゃんダメだ、動かしちゃ。」
 司はいたって冷静な様子で、慌てている様子は微塵も感じなかった。ポケットからケータイを取り出し、誰かに電話をかけた。
「・・・・あ、藤岡先生?あの―――。」
 司が話している声は、彩華の耳には届いていなかった。ただ目の前に広がる光景をただ茫然と見ているしかなかった。


   ☆   ☆   ☆

「大河さん、急に来てもらって申し訳ありません。」
 診察室の一室で、藤岡がやってきた男性に頭を下げた。
「いいんだよ藤岡先生。で、今日は一体なんですか?」
体は筋肉質で、引き締まった体をした銀髪の男性が苦笑をうかべた。歳は三十代くらいといった所だろう。顔はとても綺麗な顔つきで、言うなれば・・・ダンディなおじさまだ。
「実はつい先ほど、蒼空君が病院に運ばれてきました。ですが―――。」
藤岡先生はカルテを手に取り、それを見ながら言葉を続けた。
「今回は学校内での事故だったようで、頭部に軽いケガを。少々脳震盪を起こしているので、まだ目は覚めておりません。」
「学校でケガ?アイツは何をやってたんだ?そんな激しい運動ができる体でもないだろう。」
「司君の話によると、どうやら窓から石が飛んできたそうで・・・女子をかばったそうです。」
 それを聞いた銀髪の男性・・・いや、蒼空の父親である京哉(キョウヤ)は小さく笑みを見せた。
「好きな女の為にアイツはケガをしたってのか?はっ、オレに似て勇気のある子だ。」
「ですが、注意はしておいた方がいいでしょう。この一件が原因で・・・なんて事も考えられますから。」
「あぁ、それは充分わかっているつもりだ。・・・初めての事でもないしな。」

   ☆   ☆   ☆


「――――!!」

・・・・誰?

「――――っ!!」

・・・・誰かが、僕を呼んでる?

「―――蒼空っ!!」
 その声で蒼空は、一気に現実に引き戻された。目に最初に映るのは、心配そうに見つめる司の姿だった。そしてあたりを見回し、ここが病院の中である事を知る。個室の部屋のベットに自分はいる。
「司・・・・。僕、どうしたんだっけ?」
 起き上がろうとして、ズキリと頭に痛みが走る。
「―――つっ!!」
 とっさに手で頭を押さえ、そこに包帯が巻かれている事がわかる。
「おまえ・・・アヤちゃんかばって気ぃ失ったんだよ。」
「あぁ・・・そうだったっけ。必死だったから、よく覚えてないや。それで・・・彩華は?」
「無事だよ、ちゃんと。でも・・・今日は来てない。」
 蒼空は不思議に思った。「今日は」という言葉が、頭にひっかかる。
「“今日は”って・・・どういう事だよ?」
「おまえ、三日間昏睡状態だったんだぞ。アヤちゃんは・・・そんな姿見ていられないって、すぐ帰っちまうんだ。」
「・・・・そっか。あ~ぁ、情けないなぁ~僕。カッコ悪い。」
 蒼空がおぼえているのは、大きな音がしてとっさに彩華を抱きしめて守ろうとした所までで、その後の事はポッカリと記憶に穴が開いしまっている。自分があの後、救急隊員に運ばれていかれる姿を想像すると、やはりカッコ悪くて仕方ない。
「蒼空、とりあえず横になっとけ。オレ、先生呼んでくるから。」
 司にそう促されて、蒼空は仕方なく横になる。でも実際、体が思うように動かないのも事実だった。
  パタン・・・。
 司が病室から出ていき、彼一人だけが残された。静かで、なんだかとても心細い。まるで司に出会う前に戻ったような気がして、とても不安になった。昔はずっと病院での生活で、友達なんて作るきっかけさえなかったからいつも一人ぼっちだった。退院して間もない頃のあの出会いは、夢ではないかと思うくらいだった。
 ぼんやりとそんな事を考えながら窓の外を見ていると、ふと病室に誰かが入ってきたような気がしてそちらを見る・・・が、誰もそこにはいなかった。
「・・・・?」
 病室の扉についた長方形の小さなガラスの部分に、誰かの後ろ姿が見えてそれが誰かをすぐに理解した。
 蒼空は息をついて、ベットから出た。少々ふらつく足どりで歩いていき、そっと扉を開け―――こちらに気づかずに立ちつくしているその子を、優しく抱きしめる。
「・・・・彩華。無事でよかった。」
「!?・・・・蒼空っ。もう、大丈夫、なの?」
「まだ少しフラフラするけど、大したケガじゃないと思う。」
 彩華は振り返り、今にも泣きだしてしまいそうな顔を蒼空にむける。
「蒼空、ごめんなさい。私のせいでこんな目にあわせちゃって・・・本当にごめ―――。」
 その先の言葉は、蒼空の唇がそっと遮った。謝らなくていいよと彼の唇が―――キスが語る。
 こんなにも優しい彼は、彩華を大切に思っているのだろう。
「・・・・お~い。いいムードな所悪いけどさ、先生に見られたら怒られるぞ蒼空。」
 いきなり声をかけられて、二人は慌ててはなれた。
「司っ、おまえ・・・どこから見てっっ!」
「全部。」
 司の即答。という事は彼がいたことにも気づかず、あんな事をしてしまったという事になる。なんだか恥ずかしくなって、司から目をそらした先に・・・こちらに走ってくる藤岡がいた。
「あ・・・藤岡先―――。」
 藤岡は無言で蒼空の手を取ると、彼を引っ張っていき病室のベットに座らせた。そして首からかけていた聴診器を手に、体を診察する。
「蒼空、体はどうだ?何か変な感じはないか?」
「・・・大丈夫です。頭の傷が少し痛むくらいで、あとは別に何も。」
 蒼空は藤岡が何を心配しているのかわかっていた。傷の事とは別の・・・この体の事。」
「そうか・・・ならいい。しかし、注意はしておくように。このまま何も起こらないという保証もないからな。」
「はい、わかってます。初めてって訳じゃないし。」
 藤岡は頷くと蒼空の頭をなでて、病室を出ていった。
 彼の後ろ姿をしばらく見ていた蒼空は、ふと視線に気がつき振り返る。
「ん?彩華・・・どうしたんだよ?」
「・・・・“初めてじゃない”って、どういう意味?蒼空、大丈夫なの?」
 彩華が心配そうに蒼空を見つめた。
 司のように小さい頃の蒼空を知らず、最近になって彼の体の事を知った彩華にとっては言葉の一つ一つが気になってしまう。ただ蒼空を心配している思いがあるから。
「大丈夫だって。“初めてじゃない”って言ったのは・・・僕の母さんが―――。」
 蒼空の母親は元々体が弱かった。生活の中心が病院というくらいに、病院生活が長かった。そんな状況の中で蒼空は生まれた。しかし、母親から遺伝してしまった脆い体、病気。それでも元気に成長していく息子は、とても嬉しかったに違いない。そんなある日、母親の体の状態がいいと思われていた時に階段から足を踏み外してしまった。けれどケガは大した事はなかったので安心していた。
―――が。
「僕の母さんはそのケガをしたしばらく後に、具合が悪くなって・・・・死んだんだ。とは言っても、僕は母さんほどじゃないから大丈夫だよ。」
 蒼空は笑顔でそう答えた。
「そう?でもあんまり無理しないでよ、蒼空。心配なんだからね?」
「大丈夫だから。」
 彩華にこれ以上心配をかけたくなくて、蒼空は明るく振るまった。


心の中で渦巻く「自分もこうなるかもしれない」と言う不安で体が震えてくるのを、必死に抑え込んでいた。

5話 変わる蒼空、前兆


僕は、暑い日が嫌いだ。・・・・というより、夏が嫌いだ。
昔はどの季節もというか、毎日が嫌いだった。
暑さのせいでなおさら具合が悪くなるから嫌いだった。
学校に通える体になっても、どうもこの季節だけは・・・・好きになれない。



 教室の黒板に白いチョークで書かれた日にちを見るたび、蒼空の心は沈む。
「はぁ・・・。」
「どうしたの蒼空?最近テンション低いし、ため息ばっかだよ?」
「別に、何でもないよ。」
彩華に言い返す気力もないのか返事は曖昧で、窓の外を見つめたままで再びため息をつく。
「ねぇ、司。蒼空、何かあったの?」
仕方なく近くの席にいる司に彩華は聞いた。
「あぁ。アイツはこの時期、いつもこんなんだよ。蒼空は・・・・夏が嫌いなんだ。」
学校の一日の終わりを告げるチャイムが鳴り、蒼空は鞄を手に立ち上がる。
「司、帰ろう。早く家に帰りたい。」
「はいはい。じゃあ帰るか。」
そう言って教室を出ようとした司と蒼空の前に、いつもの男子達がやってきた。
「司、蒼空。今から体育館でまたドッチボールやるんだけど、来ないか?」
またいつものように始まるんだと思い、彩華はワクワクした。いつも見物しているが、蒼空があっという間に相手チームを倒していく姿はとてもカッコよくて、毎日でも見てたいくらいだった。また見れるんだと思うと、心がはずむ。
 が―――。
「ゴメン。僕はパス。・・・・司、彩華、帰ろう。」
 蒼空は彩華の手を取って、その場からはなれた。
 校門の所まで来ると、司が何やらポケットから紙を数枚出した。
「じゃぁ~ん!なぁなぁ蒼空、アヤちゃん。映画見に行かねぇか?」
 どうやら司が手にしている物は、映画の招待券らしい。蒼空がその一枚を取り、それを見て・・・絶句。
「・・・・・。」
「ん?何だよ蒼空。嬉しくて言葉も出ないのか?」
 彩華も蒼空が手にしている紙を覗き込み、唖然。
「あ・・・はは。さすが司って感じだね。」
「映画は却下。三枚ともおまえが使って見ろ、刑事ドラマはパス。ってか彩華にまでコレをすすめるな。他にないのかよもぅ。・・・彩華は何かしたい事ないのか?」
「ある!あのね、三人でたっ―――。」
 彩華は言いかけて、前に蒼空に拒否された事を思い出し口をつぐんだ。
「・・・やっぱり何でもない。いいの、別に。早く帰ろう。」
 蒼空は彩華が言うのをやめた理由にすぐ気がついた。
「彩華。何かしたい事があるんだろ?何でも言って。」
以前とは違う、蒼空の優しい言葉。
「・・・三人でその、ボウリングとか卓球とかそういう事がしたいなって。でも蒼空にむりさせ―――。」
「いいよ。」
 蒼空は彩華の言葉を遮り、即答した。
「え・・・?」
「ボウリングはあんまやった事ないけど、卓球だったらいいよ。時々司とジュース代とか賭けて勝負してるし。」
「その勝負、大体オレが勝ってるんだぜ、アヤちゃん。」
 司はどうだ!と言わんばかりに胸を張った。そんな事をやっている奴の頭に、蒼空のグーパンチがヒットする。
「・・・ったぁ!何すんだよ、蒼空。」
「どこが大体勝ってるんだよ。ウソついて何が楽しいんだよ、司。」
「さぁなぁ~。よっし!なら今日もやるか?おまえが負けたらさっきの映画、一緒に行ってもらうからな!」
 蒼空と司は向き合って、しばらくの間睨み合いを続けた。
 そんな二人の様子を見ていた彩華の手を、蒼空がつかんだ。
「行こう彩華。僕の卓球の腕前、見せてあげるよ。」
 そう言って蒼空達は歩き出した。


「くそぅ!蒼空には負けちまったけど、アヤちゃんには負けないいからな!」
「頑張れよ~司。あんま期待はしないけど・・・。」
 町中にある商店街にあるゲームセンターに置いてある卓球コーナーに来ていた。ここは蒼空と司がよく遊びに来るところで、いつも司はここで蒼空に負けてばかり。ジュース代とかを払っているのは司の方だ。
「いいよ、司。受けて立つわ。」
 彩華もなんだかやる気満々で、ラケットと球を手にサーブを打つ。彼女もどうやら上手な方の様で、点をどんどん取っていく。それとも司が弱いだけなのか・・・。
 そんな二人の勝負を椅子に座ってなんとなく見ていた蒼空は、ふと胸のあたりに違和感を感じてそっと手を当てた。
「・・・・・?」
「くそぅ!もう一回だアヤちゃん!これ以上負けらんねぇ!」
「さっきからどんだけ負けてんだよ、司。僕には三回も負けてるし。」
 別に痛い訳ではなかったので、蒼空はその違和感を気にしない事にしてケラケラと笑う。
 二回目の彩華vs司。今度は珍しく司がリードしてマッチポイントになり、司のテンションが上がる。
「本気を出すのはこれからだぜ!」
「ぷ。今までのは本気じゃなかったって事?おっかし~ぃ。」
「笑うなアヤちゃん!この一球でラストだっ。」
「司がんばれ、よ。―――ッっ!!」
 先ほどと同じ、胸のあたりの違和感。いや・・・今度は違う。ドクドクと鼓動が頭の中で聞こえてきて、胸のあたりがギュッと締めつけられているようで呼吸がままならない。蒼空は胸に手を当てて、服を握りしめ苦しそうに顔を歪めた。
「―――ツっ。」
 その様子にいち早く気づいた司は、慌てて蒼空に駆け寄る。もちろん彩華も同様だ。
「蒼空・・・?どうしたんだ?」
「蒼空?」
 二人の心配そうな声は聞こえていても、今は答えられる状況ではなかった。
「う・・・・。―――ツっ。」
 司はすぐに状況を理解して、蒼空に声をかける。
「大丈夫か?・・・ゆっくり深呼吸だ、蒼空。」
 冷や汗をかいて苦しそうにしている彼を、彩華はただ見ているしかなかった。いつもは元気そうにしている姿ばかり見ているからか、ショックが大きかった。蒼空は本当に、病弱な体をしているという事を思い知らされる。
「―――。彩華っ。」
 声をかけられて我に返った彩華の前に、何事もなかったかのようにしているいつもの蒼空の姿があった。先ほどまでの苦しそうにしていたとは思えないくらいだ。
「驚かせちゃった・・・よな?ごめんよ。」
「大丈夫、なの?」
「ここに来たのは久しぶりで、司との勝負に熱くなり過ぎただけだから大丈夫。」
 心配そうに見つめてくる彩華に少しドキドキしながら、頭を軽くなでてやる。
「ほら、今日はもう遅いし・・・帰ろう?」
「・・・・うん。」


「彩華。ホラ、家についたよ。」
「・・・・。」
「彩華、聞いてる?」
 商店街からの帰り道の間ずっとうつむいたままでいた彩華の顔を、蒼空は覗き込む。しかし髪のせいで顔の表情はよく見えない。
「うん、聞いてるよ。じゃあ・・・また明日、ね。」
 彩華はうつむいたまま、家に入ろうと背を向ける。
「彩華っ。」
 そう呼ばれて無意識に振り返った彩華は、一瞬で心が安らいでいった。先ほどまで自分が何もできなかった事、そしてあんな姿を見てしまって沈んでいた心が・・・変わった。
 蒼空が彼女の体を引き寄せ、優しく包み込む。触れ合う唇がさらに心を変えていく。
「・・・蒼空ってば、こんなの反則だよっ。」
 いきなりの彼の行動に、彩華は顔を真っ赤にした。
「でも、もう大丈夫だろ?落ち着いた?」
「・・・うん。ありがとう蒼空。―――じゃあまたね。」
 彩華はまだ顔を真っ赤くしたまま、家の中に入っていく。
「・・・・。」
「―――やるねぇ、蒼空。」
 司の声を聞いて、今度は蒼空が赤くなる番だった。さっきの行動の一部始終は当然、一緒にいた彼は見ていただろう。この間の病院での事といい・・・見られてばかりだ。
「別にっ。あんな姿見てるのはなんか嫌だったからっ。」
「でもよ蒼空、大丈夫ってアヤちゃんには言ったのはいいけど、気をつけろよ?さっきのあの状態を見たのはオレも久しぶりだったから・・・少し驚いた。」
「うん、わかってる。でも彩華にそんな事言って、余計に心配させたくないいし。」
「まぁ・・・今の時期だからってのもあるかもしれないけどよ、ちゃんと藤岡先生んとこ行けよ?」
「はぁ・・・きっと行ったら怒られるだろうなぁ。」
 蒼空はため息をついて、嫌そうな顔をする。
「『だから運動のしすぎには注意しろって言っただろ!』っだろ?」
「あははっ。そのまんま同じように言うなきっと。」
 司が自然と話を別の方にもっていき、自分を元気づけようとしてくれる彼の優しさが嬉しかった。けれど、心の奥に渦巻く恐怖は抑えられなくて、体の震えが止まらなかった。



「大河 蒼空君、どうぞ。」
 名前を呼ばれた蒼空は立ち上がり、診察室に入る。今日は定期検診の日でつい先ほどまで、看護師さんに採血やら血圧やら検査の類をされていたのだ。多分結果は散々で、きっと藤岡先生に怒られるだろう。この間司が言った言葉がまんま返ってくるだろうと蒼空は思い込んでいた。
「まぁ座れ。」
 入ってきた蒼空の顔を見ずに、藤岡は出たばかりの検査結果に眉根を寄せている。
 蒼空は言われた通り椅子に腰かけて、藤岡の言葉を待った。
「―――蒼空。」
 しばらくの沈黙の後、藤岡はこちらを見ずに言ってきた。
「おまえ、最近何か変わった事あっただろ?」
 蒼空の体がギクリと反応した。やはり結果は散々だったという事だ。ふうっと息をつき、この間司と彩華と三人で遊びに行った時の事を白状した。
 またしばらくの沈黙があって、藤岡がため息をつく。
「いつもより数値が低いから、どうしたのかと思えば。いつも言っているが、運動のしすぎには注意しろと言っただろう。」
 見事に予想は的中。でもこれはいつもの事で、実は的中でもなんでもなかった。しかし、いつもならこれで話が終わるのに・・・今日は、違った。
「だが今回は季節的なものとこの間のケガ・・・二つの要因が重なったのが原因だろうしな。でも気をつけておけよ、蒼空。」
 いつもと違う藤岡を見て、蒼空の心に不安が広がる。あの時、あの頃に心の奥にしまい込んだはずの自分の脆い体への恐怖が襲う。体が震えてきて、それを必死に抑えようと手に力がこもる。
 自分の体の事で怖くなるなんて小さい頃からで、もう慣れた筈なのに。体の震えは止まらなかった。小さい頃に体の事を聞かされた時の事が頭をよぎり、なおさら怖くなる。慣れたなんてある筈がなくて、本当は怖いんだ、―――死の可能性が。
「蒼空、大丈夫だ。おまえはあの時とは違う。それに、自分であの時何かを決意したんじゃなかったのか?」

『立ち止まってうつむいていたって、進まなきゃ何も始まらない。だから強くなるんだ。』

「・・・・ありがと、先生。自分で言った事なのに、忘れてた。」
 小さい頃に自分で言った事なのに、いつのまにか忘れていた。今になってもやっぱり怖い。自分がいつどうなかもわからない、危険な体を持っている。もしかしたら・・・母親と同じ道を辿る可能性だってある。でも、それに立ち向かわなければ何も変わらないと気づいたから。
「もう大丈夫か、蒼空?」
「大丈夫です。」
 蒼空がいつもの姿に戻った事を確認し、藤岡は言葉を続ける。
「少し数値が心配だから、今月末にもう一度来るように。あと運動は―――。」
「ちゃんと気をつけます。藤岡先生、じゃあまた来ます!」
 そう言って蒼空は診察室を後にする。
「世話が焼けるな、あいつは。」
 苦笑いを浮かべて、藤岡はまた机に向かいカルテを開いた。


「うわっ・・・あっつぅ。」
 病院の正面玄関の自動ドアが開いて、外と院内の温度差を感じさせる熱気がムワッと入ってきて、蒼空は声をもらした。いつもならそんなに熱くならないうちに帰っているのだが、今日はなんだかんだで遅くなり、気がつけば一番気温が高くなる時間になってしまった。
ここから家までは歩いて30分。途中の近道を使えば20分。途中で休んでいきながら行けば大丈夫だと考えて、蒼空は暑い町中を歩き始めた。


   ☆   ☆   ☆

 商店街に買い物に来ていた彩華は、今日発売の人気作家の本を買い家に帰る所だった。家まではここから40分くらい。いつもなら自転車でくるのだが、今日は気分的に歩きたくて使わなかった。でも暑い中40本も歩くのは少し嫌だったので、途中近道をして帰ることにした。近道というのは商店街中央の道を歩いていくと、この街を一望できる小さな丘がある。そこを通り過ぎていくとちょうど住宅街の辺りに出られて、10分位短縮できるのだ。
 道を歩いていると商店街にある小さなゲーセンから、司が出てくるのが見えて声をかけた。
「司っ、こんな所で偶然だね!」
 彩華はキョロキョロと見まわし、彼の姿を探す。
「アイツは病院だよ、アヤちゃん。」
 彩華の表情が曇ったのを見て、司は慌てて言葉をつけたした。
「勘違いするなよ?倒れたとかじゃなくて、毎月行ってる定期検診とやらだからな?」
「そっか、よかった。何かあったのかと思っちゃった。」
「何してんだよ、司。次行こうぜ!」
 一緒にいた男子達の一人がしびれをきらして言った。
「あぁ悪ぃ。・・・・そんじゃな、アヤちゃん。」
「うん。またね、司。」

   ☆   ☆   ☆


 途中で休みながら行けば大丈夫なんて、甘く考えるんじゃなかったと蒼空は後悔した。近道の中継地点の丘の上にある1本の大きな木の下に座り込み、蒼空はそこで動けなくなっていた。頭が少しボンヤリとしていて体が思うように動かない。だから蒼空は夏が嫌いなのだ。こう気温が高いと、すぐ貧血を起こして動けなくなってしまう。
「・・・・うぅ~。」
 蒼空はケータイを取り出すと、司に電話をかけた。3回くらいのコールですぐに彼は出てくれた。
“「蒼空、どうした?もう用事は済んだのか?」”
「―――司。・・・動けなくなった。」
“「・・・・大丈夫か?で、今どこにいるんだ?」”
「丘。」
 短くそう答えると、司が驚いた声を上げてため息をついた。
“「丘ぁ!?・・・・わかったよ、今すぐ行くから待ってろ蒼空。」”
「あぁ・・・。頼むよ。」
 電話が切れて、ケータイを服のポケットにしまうとそっと目を閉じた。しばらくそうしていると、涼しげな風がどこからか吹いてきて、蒼空は目を開けた。
「あ、よかったぁ。蒼空、大丈夫?」
 目を開けた先に立っていたのは司ではなく―――。
「――――彩華。」
 彩華は扇子をパタパタとあおいで、彼に風を送る。
「なんで、ここにいるんだ?」
「なんでだろうね。私ね、今日は朝からいつもと違う事してばっかりなの。・・・お水いる?」
 彩華はバックからペットボトルを取り出し、蒼空に差し出した。いつもなら水ではなく、大好きな紅茶を買っている筈なのに、気がつけば水を買っていて仕方なく持っていたのだ。
「・・・ありがと、彩華。」
 蒼空はそれを受け取り、少しだけそれを口にする。水は冷たくて少しだけ体が楽になった様な気がした。
「今日は暑いのに歩いて買い物に来ちゃうし、なんかお水を買っちゃうし、近道しようと思って丘の方に来たら、こんな所でグッタリしてる蒼空がいるんだもの。・・・ねぇ、大丈夫?救急車呼ぶ?」
「そんなの呼ぶほどの事じゃないから、大丈夫だよ。」
「・・・本当?」
 彩華が心配そうに蒼空の顔を覗き込んだ。
「本当に大丈夫だって。ちょっと貧血を起こしただけだし・・・いつもの事だから。」
 蒼空は彼女の頭を軽くなでて、少し笑って見せた。
「―――ぃ!」
 ふと丘の下の方から、誰かが手を振りながら走ってくる姿が見えた。彩華はそれが誰であるのかすぐに気がつき、少し驚いた。
「アレ・・・?アヤちゃん何でここにいるんだ?」
「私は早く帰ろうと思って近道しようと思って通りかかったら・・・っていうか、司こそどうしてここにいるの?さっきは友達と一緒にいたのに。」
「あぁアレ?あんなの『用事思い出した』とか言ってすぐ抜けてきた。蒼空を放っておけねぇしな。」
 司は慣れた様子で、蒼空に肩を貸してやった。
 フラフラとした足取りで立ち上がった蒼空は、再び笑顔を見せる。
「僕はこのまま家に帰るから、彩華も帰れよ?大丈夫だからさ。」
「そう?本当に大丈夫?」
 心配そうな彩華の目が、じっと蒼空を見る。
「そんなに心配するなよ、大丈夫だって。」
「・・・ならいいけど。じゃあ私帰るね。蒼空、本当に無理しないでね。」
 そう言って仕方なく帰っていく彩華の姿が見えなくなると、蒼空はため息をついた。
「“無理しないで”・・・か。おまえ、何気にアヤちゃんにバレてるぞ?」
「バレてはいないと思うけど、カンづかれてるみたいだ。・・・どうしたもんかね、こりゃ。」
「どうしたもんなのはおまえだろ?体の方、実際どうなんだよ、蒼空?」
 蒼空が話を茶化そうとしたのを無視して、真剣な顔を司は向けてきた。
「・・・・正直、辛いかも。なんかいつもより、体がダルいし。」
 毎年夏になると、暑さのせいで貧血を起こしたりして具合が悪くなるなんていつもの事だった。しかし、今回はいつもとは少し違っていた。今までなら、少し具合が悪くなったとしても家までくらいは一人ででも帰れた筈なのに、今回は司の手を借りなければ歩けないくらいだった。
「さすがのオレも驚いたよ。電話きたからどこにいるかと思えば、“丘”だもんな。」
「まいったなぁ・・・。もしまた入院なんてしたら彩華は心配するだろうし、学校の皆にもバレるかも。」
「学校の奴らはいいとして、アヤちゃんにどうごまかすんだ?」
「もう二回もカッコ悪いところ見られてるし、ごまかすなんてもう無理だよ。また大丈夫なんて言っても尚更追及されそうだし、それに―――。」
 蒼空は一度言葉をきり、ふぅと息をついてから言葉を続けた。
「もうあんな心配そうな彩華の顔・・・見てられないから。」

6話 日常の変化、心配


『状態は安定しているから大丈夫だと思うが、いつどうなるかわからないから注意しておきなさい。』

学校に通えるようになった中学の頃、退院する僕に藤岡先生は何度も言っていた。
それは今になっても言われてる事だったから、ちゃんとわかっていた筈なのに・・・・。
こうもいきなり、日常が変わってしまうなんて――――思っていなかった。


 
 蒼空の体調は、夏を過ぎても元には戻らなかった。・・・というより、悪化したという方が正しいのかもしれない。
「・・・・うぅ~。」
 授業に出ようという気持ちはあっても、彼の体はそれを許さなかった。体のダルさは一向に抜けないし、頭痛はするわで・・・結局、この保健室のベットに行きついてしまう。そして今日はとうとう、眩暈を起こして倒れそうになってしまった。近くにいた司のおかげで助かったけれど、蒼空の体はもう学校に登校していいレベルじゃなかった。
「大丈夫かい、大河君?早退して藤岡先生の所に行った方がいいんじゃないの?」
 保健室の先生が心配そうにそう言ってきた。
 学校の人には体の事を知られたくないとは言っても何かあっては困るので、保健室のこの先生だけは全てを知っていた。というより、この先生と藤岡はどうやら知り合いだったらしい。
「・・・・大丈夫、です。授業終わったら司が来てくれますし。」
 その時保健室の扉がノックされ、誰かが入ってきた。
「失礼しますっ。・・・蒼空、大丈夫か?」
「・・・・まだ、何とかね。司、授業は?」
「こんな状態のおまえをいつまでも放っておけるかよ。オレも早退するから、早く病院行こうぜ。」
「・・・・ありがと、司。助かる。」
 のろのろとベットから出た蒼空に肩を貸してやり、二人は保健室を出た。まだ授業中だからか廊下には生徒の姿がなかった。司はふらつく足どりの蒼空を支えながら、人けのない廊下を進んだ。・・・しばらく歩いた所で、蒼空の足が止まった。
「蒼空・・・?」
 司は不思議に思い、蒼空を見る。先ほどまでのまだ少し元気そうな様子はなく、顔色は悪いし、呼吸も荒い。
「・・・・ハァ・・・・ハァ・・・っ。」
「おいっ、本当に大丈夫か?・・・蒼空?」
 もう返答する気力もないのか、蒼空は答えない。―――否。
 司はまさかと思い、蒼空の額に手を当てた。予想通り彼の額は熱かった。
「蒼空っ、おいっ!しっかりしろ!?」
 蒼空はすでに、気を失っていた―――。


   ☆   ☆   ☆

 何もない真っ暗な空間の中に、蒼空はいた。あたりを見回すとそこに、悲しそうな顔でこちらを見ている彩華の姿があった。何も言わず、ただそこに立ちつくす・・・彼女。
「彩華、そんな顔して一体どうしたんだ?・・・何かあった?」
 声をかけても、彩華は返答してくれなかった。しばらくして、蒼空に背を向け―――。
『―――バイバイ、蒼空。』
 そう一言だけ言い残して、闇の中へと姿を消していく・・・。
「彩華、どこへ行くんだ。ダメだよ・・・僕には、君が必要なのに。」

   ☆   ☆   ☆


 蒼空は学校で気を失った後、すぐに病院に運ばれた。一緒についてきた司は、家族でもない自分が入る訳にもいかないので、彼が運ばれた個室の病室の外でじっと待っていた。今病室内には、京哉と藤岡、そして看護師だけだ。
 しばらくして病室の扉が開かれ、藤岡が手招きしてきた。
「もう入ってもいいぞ、司。」
 司は待ってました!とでも言うかの様に、すぐに蒼空に駆け寄った。だが―――そこにいつもの彼の姿はなく、片手には点滴がつながれ、ベットの上で苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。
 しかし傍にいた京哉の顔は心配そうにはしてはいるが、そんなに暗い顔をしている訳でもなかった。蒼空の父親は司の存在に気がつくと、肩をポンと叩いてきた。
「もう大丈夫みたいだから、私は仕事に戻るよ。後は頼むよ、司君。」
「あ、はいっ。」
 そう司に言って病室から出ていく京哉と入れ違いに、彩華が息を切らせて入ってきた。
「司っ・・・蒼空、は!?」
 突然の彼女の登場に藤岡は驚いた様子を見せた。が、すぐにそれは消え笑顔を見せる。
「こんにちはお嬢さん、君が蒼空の言っていた女の子だね。この間も来ていたのに挨拶が遅れたね。・・・私は藤岡 千尋(フジオカ チヒロ)、彼の主治医だ。」
「あっ・・・私は春野 彩華です。それで、あの・・・蒼空は大丈夫なんですか?」
 彩華は早くそれが知りたかった。今ここにいる蒼空の姿は、とても見ていられない。
「心配はいらないよ。少し・・・色んな要因が重なってね、熱を出してしまっただけだ。熱を下げる点滴もしているから、じきに落ち着くさ。」


   ☆   ☆   ☆

「彩華っ、ダメだよ。どこにも・・・いかないで。」
 闇の中に消えていった彼女に、蒼空は何度も呼びかけた。もうそこには・・・誰もいないのに。
「今までは司と父さんと藤岡先生がいれば、それだけでよかった。でも、でも今はダメだよ。・・・・ココには誰もいない、彩華までいなくなったら、ひとりぼっちじゃないか。こんなの・・・耐えられない。」
 頭を抱え込んで、蒼空は言葉をもらす。
誰もいない自分だけのこの空間が、闇が・・・彼の心を恐怖に陥れていく。

―――サイショカラヒトリナラヨカッタノニ。

突然蒼空の前に現れた小さな少年が言った。顔はハッキリとは見えず、口元だけが不気味に笑っている。
「・・・・違う。」

―――チガワナイ。ココロノソコデハソウオモッテイルデショ?『ヒトリナラコンナオモイシナカッタノニ』ッテ。

「・・・・違う。そんな事・・・思ってない。それは昔の僕で、今の僕じゃない。」

―――イマノキミモ、ムカシノキミモ、ケッキョクハゼンブキミダヨ。

「昔の僕はそれでもよかった。こんな体で皆と同じ事が出来ない自分が嫌いだった。学校も、何もかもが嫌で、ひとりでいる方がずっと楽だった・・・。」

―――ソウダヨ。ヒトリノホウガダレモキズツカナイヨ?

「だけど・・・ダメなんだ。一度大切な物を手にしたら、手放せないよ。ひとりでいるなんて、耐えられない。まして彩華が・・・。」
 蒼空はさらに頭を抱え込み、悲痛の声をあげる。
「・・・・どこにも行かないでよ、彩―――。」
「どこにも行かないよ、蒼空。」
 気がつけば、蒼空の目の前に彩華が立っていた。先ほどの少年の姿は・・・もうどこにもない。
「彩・・・華・・・?」
「大丈夫だよ、蒼空。私はちゃんとここにいるよ、ホラ。」
 彩華に体を引き寄せられ、ギュッと肌が触れ合った。彼女の体温が感じられて、蒼空は心が落ち着いていく。
「だから・・・もう苦しまないで。」
 
  ☆   ☆   ☆


 蒼空はのろのろと目を開けた。最初の目についたソレは、彼にため息をつかせた。
天井の見慣れた白いタイル、自分の腕につながれた点滴。こういう時の自分がいる場所は・・・わかりきっていた。小さい頃は日常茶飯事で、具合が悪くなれば彼はいつもここにいた。中学を卒業する頃にはそんな事もなくなって、この状況からオサラバ出来たと思っていた事がまた起きている。絶対に大丈夫という保証がない事はわかっていた筈なのに、蒼空は油断していた。
「・・・・・。」
(僕・・・また倒れたのか・・。)
 手を動かそうとして、ふと手がサラサラとした何かに触れる。そっと目を向けると、そこには彩華の姿があった。蒼空の手を握りしめ、隣のソファでスヤスヤと眠っている。少し身じろぎをした彼女の髪が、サラサラとした先ほどの感触を思い出させた。
「・・・・彩華。ずっと傍にいてくれたのか。」
 前に彩華をかばってケガをした時は、彼女は病室の前までしか来てくれなかった。けれど今、自分の傍でスヤスヤと眠る姿がある事・・・それは蒼空にとってはとても嬉しかった。
「やっと目が覚めたのか、蒼空。」
 ふと声をかけられて振り返ると、病室の角のソファに腰かけている司の姿があった。
「・・・・司。」
「アヤちゃん、本当に以前とは大違いだぜ。おまえが倒れたって教えたら授業サボって駆けつけるし、時間あらばずっと付き添ってたんだぜ?」
「そっか・・・・。―――なぁ司、僕はどれくらい眠ってた?」
「三日だよ。ったく、アヤちゃんの根性にはまいるぜ。ずっと付き添っててくれたんだから、ちゃんとお礼言っとけよ?」
 軽く蒼空のおでこにデコピンをかまして、司は病室を出ていった。
 司の背中を見送った後、蒼空はゆっくりと上体を起こした。多少まだ体はダルいが起き上がれないほどじゃなかった。視線を彩華に戻し、優しく頭をなでる。
「・・・ん・・。」
 頭をなでられたからか、彩華は目を覚まし眠そうに片目をこする。
「おはよう、彩華。」
 そう声をかけられて、彩華は顔をあげた。
 そこには―――優しい笑顔を見せるいつもの彼の姿があった。
「・・・蒼空っ!よかったっ、本当に。私っ、このまま目を覚まさないんじゃないかって不安で。」
 彩華はギュッと蒼空を抱きしめた。安心感と嬉しさが溢れてきて、涙がポロポロと零れ落ちる。
「心配させて・・・ごめん、彩華。」
「うんん、謝るのは私の方。蒼空がうなされて苦しんでる時、私・・・何もしてあげられなかったから。」
 蒼空が苦しんでいた姿を思い出してしまい、彩華はますます涙が止まらなくなった。三人で遊びに行った時は初めて見る彼の苦しむ姿に動揺して何も出来ず、ケガをした時は傍に行く勇気がなかった自分がいた事を責めた。
「助けてあげなきゃって思うのに・・・ただ傍で手を握ってあげる事くらいしか、でき―――。」
 蒼空は彩華の言葉を、何も言わず―――遮った。
 二人の唇が・・・・優しく重なった。
「「――――。」」
「・・・・夢、見てたんだ。」
 しばらくして、蒼空が呟いた。
「あまりよく覚えてないけど、なんだか怖くてたまらなくて。そしたら・・・彩華が助けてくれたんだ。『私はちゃんとここにいるよ』って、抱きしめてくれた。」
 夢の時と同じ感覚を確かめるかのように、彩華を強く抱きしめる。
「蒼空・・・。」
―――コンコン。
 突如病室のドアがノックされ、二人は慌てて離れた。こんな事をしている姿を見られるのは、恥ずかしい。ノックの後に入ってきたのは、藤岡と先ほど出ていった司だった。
「その顔を見る限り、もう大丈夫そうだな。何か変な感じはあるか?」
 藤岡は話しながら、彼の胸元に聴診器を当てたり体温を測ったりと、テキパキと診察を続ける。
「熱の方は、大丈夫みたいだな。」
 少し意味ありげな言葉は、蒼空の心に不安を広がせた。心の奥底にしまい込んだ恐怖感が、また彼を襲う。
「・・・・どういう意味ですか、それ。」
「このまましばらく入院しろと言っているんだ。大した事はないとはいえ、この間のケガに発作・・・それに最近の検査結果の数値も、今までより下回ったままだ。できれば私はそうして欲しいのだがな。」
「・・・・。」
 蒼空が何も言わない様子を見て、藤岡はため息をついた。
「入院するのは出来れば避けたい・・・のだろう?」
 その言葉に蒼空はコクリと頷いた。それを見た藤岡の口から、再びため息がもれた。
「そうしたいのならば、学校が終わったら私の所へ必ず来るように。でなければ、許可は出来ないな。・・・まわりの反応を気にしてしまうおまえの気持ちもわかるが、自分の体の事を気にした方がいいと思うがな。」
「・・・・わかってます。でも嫌なんです、それだけは。大丈夫な限りはこのままでいたいんです、僕は。」


 藤岡の渋々ながらの了承を得た蒼空は、自宅への帰路についていた。でも体の方はよくなったとはいえ、ダルさは抜けないし、なんだか足も重い様に感じてしまう。ふと横からの視線を感じて、そちらに目を向ける。
「彩華、そんな顔するなよ。僕なら大丈夫だって。」
「『僕なら大丈夫だって』じゃないよ。この間だってそう言っといて、結局倒れちゃったじゃない。」
 それは全くの事実で、言い返す言葉もない。蒼空はただ、彩華に心配させたくなかっただけなのに余計に心配をさせてしまった。
「蒼空・・・・無理しないで。司だけじゃなくて、私もいる事、忘れないで。」
 彩華の顔は今にも泣いてしまいそうな表情をしていた。このままではまた泣かせてしまうと思った蒼空は、彼女の頭を優しくなでた。
「わかったから。だからもう、そんな顔するな。」
「・・・うん。」
「よし。・・・じゃあ僕達はここで。本当は家まで送ってあげたいんだけどね。」
 気がつけば彩華の家と蒼空の家との分かれ道の所へ来ていた。いつもなら蒼空は家まで送って行くのだが、今の彼にそこまで歩く体力はない。自分の家までがやっとなのだ。ちなみに司の家は蒼空の家の近くにあったりする訳だが。
「いいよ、気にしないで。私はいいから早く帰って休んだ方がいいわ。・・・じゃあ司、蒼空、またね。」
 彩華は自分の家の方へ歩いて行きながら、何度かこちらを振り返りながら歩き去って行った。
「・・・・なぁ、蒼空。」
 しばらくして、司が呟いた。
「おまえ・・・やっぱり怖いのか?昔みたいになるんじゃないかって。」
「―――怖いよ。僕はもう、二度と・・・あんな思いしたくないんだ。」

7話 蒼空と転校生

“自分は皆とは違う”そんな事はわかりきっている事。
体にハンデがある事は、理解していた。
でも———。
『おまえに彩華ちゃんを幸せには出来ない』
突然やってきたアイツの言葉は・・・・僕には辛かった。


最近は冬が近くなってきたせいもあるのか、体のダルさだけはいつになっても抜けず、調子が悪い。しかしそれでも蒼空はいつもの様に学校に来ていた。司と彩華が何かと気を使ってくれているおかげで、なんとか毎日を過ごせていた。
そんな変わらない毎日が続くかと思いきや・・・。
「キャァァァァァッ!大輝(タイキ)様ぁぁぁ!」
 女子達の黄色い声がするたび、蒼空の心を不快にさせた。
「大輝様、ステキィィィ!!」
「・・・・あぁもぅ、ウルサイ・・・。」
「さすがのオレも、こう毎日続くと耐えられねぇな・・・。」
 こんな状態が初まったのは、つい2週間前にクラスにやってきた転校生のせいだった。肩につくくらいの長さの血の様に赤い髪の男は、転校初日から女子達の虜になった。爽やかな笑顔と、誰にでも優しい所がステキなのだとか・・・。
「あの人確か・・・中学の時からあんな感じだったって話だよ?」
「あ~。すっごい無駄な情報だなソレ。むしろ元の学校に帰れって感じ。」
「それ、おれも同感だな。いつもの賑やかさだけで充分だわ。あんなキャラ濃いヤツいらん。」
 そんな事を言っている蒼空達と同じく、その転校生『魅令 大輝(ミリョウ タイキ)』は女子達から蒼空の話を聞いていた。
「大輝様もステキだけど~、クールな蒼空君もいいよね~。」
「え~っ。どっちかにしなよ、二股なんて大輝様に失礼だよ~。」
「へぇ・・・。興味深いね。それってどういう奴なんだい?」
 女子の一人が蒼空がいる方を指差した。
「あの窓側の一番後ろにいる銀髪の子が、大河 蒼空君だよっ。でも最近、一人の女子が傍にいたままだし・・・なんか蒼空君、今までと少し違うんだよねぇ。最近サボるの増えたし。」
「あ~それ私も思った!前より教室にいない事増えたね~。男子のやってるドッチボール大会にも参加しなくなったし~。」
「ドッチボール大会?」
「なんかですね~。いつもそれの片方のチームに切り札として蒼空君がいたんですけど、最近参加断ってるらしくって~。」
 大輝は突然立ち上がると、蒼空のいる所へ歩いて行った。
「おぃ・・・・蒼空。アイツが来るぞ。」
 近づいてくる彼の存在に気付いた司は、蒼空に小声で言った。
「もしかして今の話・・・・聞こえてたとか?」
「まさかぁ、そんな筈ねぇだろ。」
 目の前にやってきた大輝は、蒼空の顔を覗き込んできた。
「・・・・・なんですか?」
 蒼空は“いつもの”調子で大輝を見据える。
「君が女子達の間でウワサの蒼空君かい?」
「そうですけど、何か用ですか?噂の転校生さん。」
「・・・ふぅむ。まぁ、顔は合格点かな。でもその性格がいけないね、もっと笑ったらどうなんだい君?それじゃ女子達にモテないよ?」
 自分がいかにも上ですと言いたげな物言いに、蒼空はカチンときた。
「おまえにそんな事言われる筋合いはないね。・・・おまえこそ、女子全員にヘラヘラ笑うのやめた方がいいんじゃないか?欲張り過ぎもよくないと思うよ。」
 そう言い返すも大輝の興味はすでに、彼の隣にいる彩華に向けられていて話を聞いていない。
「君・・・名前は?」
「へっ・・・?春野 彩華です、けど?」
 いきなり手をつかまれ、彩華は少し驚いた様子を見せた。いきなり顔が近くに来た事につい顔が赤くなる。
「そんなにテレなくてもいいだろ、彩華ちゃん。一目惚れしちゃう気持ちもわかるけどね。ほら、そんな冷たい奴と一緒にいたって意味はない。自分の今の気持ちに正直になるんだ。君もこっちに来ればいい。」
 そんな二人のやりとりが、蒼空をさらに怒らせてしまう。
「おい、おまえ・・・。僕の彩華に気安く触るな。」
 彩華をグイッと自分の方に引き寄せた。
「“僕の”ねぇ・・・。誰がそんな事決めたんだい?自分勝手にそんな事言うのは、いけない事だよ。でもわからないな、そんな男のどこがいいんだろうね?彩華ちゃんは。・・・・まぁいいさ、いずれは君もこちら側に来るのだから。」
 その時予鈴のチャイムが鳴り響き、話はそこで終わりを告げた。


「・・・・・。」
「おい蒼空・・・どうしたんだよ?」
「・・・・別になんでもない。」
 1日の授業が終わり放課後になっても、あの時の魅令と彩華のやりとりが思い出されて、蒼空はイライラしていた・・・・というよりこれは。
「ねぇ、蒼空。」
「・・・・なんだよ、彩華まで。」
「もしかして・・・・ヤキモチ?」
 蒼空は顔を少し赤らめて、そっぽを向いた。
「・・・っ・・・ちっ、違うよっ!別にそんなんじゃないしっ!ほらっ、早く帰ろう!」
 図星だったらしく、蒼空は照れくさくなってさっさと教室を出ていった。


    ☆    ☆   ☆
 もしも父親が死ぬような事がなければ、こんな街に来ることはなかった。父親は持病を抱えながらも、一人立派な会社を立ち上げ成功した。しかし一年前、持病が悪化して死んでしまった。その事実を受け入れることができない母親は精神科の病院に入院しなければならないほど、心が病んでしまった。そして数か月前、大輝は以前まで母親がいた病院の先生にこの街の病院を紹介され、引っ越してきたのだ。

 大輝はある病室のドアをノックし、中に入った。
「・・・あら大輝、今日も来てくれたのね?」
 個室のベットに髪の長い一人の女性がいた。大輝はその女性の近くに行き、笑顔を見せる。
「母さん、体の方はどう?」
「大丈夫よ、それより聞いてよ大輝。さっきね、父さんが来てくれたのよ。仕事が上手くいきそうだって喜んでたわ。」
 そんな母親の発言に、大輝は悲しくなった。父はもう他界しているのに、その事を忘れてしまっている。でも、それでも彼は・・・笑顔で答えるしかなかった。
「へぇ、もう少し早く来たらボクも会えたね。」
「そうね、ついさっきだもの帰ったのは。また来るって言ってたわ。」
 笑って話す母親の姿を見ているのは本当に辛かった。できるなら父の死を受け入れて、前向きに生きて欲しいのに・・・。
 そこへ主治医である先生と看護師が入ってくる。これから検査の時間があるらしく、仕方なく大輝は帰ることにして病室を出た。精神科の棟から一般の外来の棟へと歩きながら、ぼんやりとあたりを見回す。父、母、子供・・・家族でいる人達が、彼をイライラさせた。父さえいなくならなければ何も変わらない生活ができたのに・・・。
「・・・・あれ?アイツは・・・。」
 ふと顔をあげた大輝は、自分が内科の病棟に来ていた事に気がついた。考え事をしながら歩いていたからか、全然気づいていなかった。いや———それよりも驚いた事があった。視線の先に自分と同じ高校の制服姿の少年が歩いていて、病室に入っていく所だった。面会にでも来たのかと一瞬思ったが、よく見ると制服の上着は肩にかけているだけで、その下は入院患者の着ているソレだった。彼が入っていった病室の名前のプレートに驚かされた。

———『301号室 大河 蒼空 様』

    ☆    ☆    ☆


 廊下の自販機から飲み物を買ってきた蒼空は、ベットに腰かけそれを一口飲んだ。
「・・・・・はぁ・・・。」
 思わずため息がもれた。
 そもそもなぜ彼がこんな所にいるのかというと、昨日の体育の授業の時に気を失って倒れてしまったらしい。また倒れた事がショック・・・ではなく、その時その場にいた生徒に自分が倒れてしまったのを見られた事を気にしていた。その日は夏でもないのに気温が高かったし、保健室の先生の協力もあって“熱中症”という事で落ち着いたが、見られた事は事実だった。
「なんて情けない声を出しているんだ、蒼空。・・・・まだ熱があるな、あんまり動き回るなよ?」
 いつのまにか入ってきていた藤岡が蒼空の額に手を当てる。
 確かに頭はなんだかボーっとするし、今飲み物を買いに行った時も少しふらついてしまったくらいだった。でも動けないほどではない。
「おまえもいい加減、周りの目を気にするのはやめた方がいい。無理して学校になんて行ってたら、治るものもなおらなくなるぞ。」
「・・・だけど、先生っ。」
「『だけど、先生っ』・・・・じゃない!いいか蒼空、おまえの体はもう“今までとは”違うんだっ!」
 藤岡はいつにも増して強い口調で言う。
「昨日の検査結果はこの前の時よりもさらに数値が下がっていた。このまま無理を続けていけば、いつおまえの体が母親と同じ状態になってもおかしくない。———だから。」
 藤岡が蒼空の肩にポンッと手を置いた。
「自分で決めなさい。」


 蒼空は屋上に来ると、先ほど藤岡に言われた事を空を見上げながら考えていた。
 自分で決めろというのは、このまま嘘をついてでも自分の事を隠し通すのか、ありのままを受け入れてもらうかという事。でもそれは、もう考えるまでもなかったのかもしれない。司や彩華と今のような関係になれたのは、自分から心を開いたから・・・・その事に薄々、気づいていた。
「“立ち止まって、俯いてたって何も始まらない”。・・・・強くならなきゃ、ダメなんだ。」
 蒼空は自分が前に言った事を心に留めるかのように、言葉にした。
———その時。
「強くなれたとしても、おまえには人を幸せには出来ない。」
 ふと後ろから声をかけられ、蒼空は振り返った。そこに立っていたのは・・・あの魅令 大輝だった。
「・・・どういう意味だよ、魅令。」
「そのままの意味だよ。君はそんなボロボロの体でどうあの子を幸せにする?・・・いつかはあの子を残して死ぬだけだろ。」
「・・・おまえ、聞いてたのか。さっき僕が病室にいた時の話を。」
 蒼空は大輝を睨みつけた。
「別に盗み聞きをしていた訳じゃない。母さんの所に行ってきた帰りに通ったら君が見えたから、後を追ってみたらそういう話をしていた所に出くわしただけさ。」
「じゃあなんでそういう事が言えるんだ。・・・おまえに何がわかる!」
「わかるさ。僕の母さんはこの病院に手伝いで一時期いて、君の母親を一時期受け持った看護師だからね。何で死んだかくらい聞いたことあるよ。それに・・・残された者の悲しみは、痛いほどよく知ってるしね。」
「何が言いたいんだよ、おまえ・・・。」
 魅令が呆れたようにため息をつく。
「まだわからないのか?あの子から手を引けと言ってるんだ。おまえに・・・・彩華ちゃんは幸せにできない。」
 そう言う彼の言葉に、蒼空は何も言い返すことができなかった。

8話 決意と戦い

アイツの言った事は確かに正しい。ましてや今の自分の体はいつどうなるかわからない状態で。
母さんと同じような道を辿って、大切な人を残してしまうかもしれない。

『そんなボロボロの体でどうあの子を幸せにする?・・・いつかはあの子を残して死ぬだけだろ。』

でも僕は、それでもあの子を・・・彩華を守りたい。
だって・・・・強くなろうと、決めたから———。



 蒼空がクラスの人達へ反応を変えた事はすぐに学校中に広まり、クラス内での人気はさらに上がっていた。
「なぁ蒼空、一体どうしたんだ?理由を聞かせろよ。」
 司が肘で軽くどついて、ふざけて言った。
「このままずっと隠してたって、いつかはバレてしまう。この前授業中に倒れちゃったし・・・いつまでもこのままじゃダメじゃないかって思ったんだ。」
「・・・・怖くないのか?」
「怖いよっ、怖いに決まってる。でもそれじゃダメなんだ。・・・強くならなきゃ、ダメなんだ。」
「そぉ~ら君、オハヨ!ねぇねぇ、お菓子って何好きなの?」
 そこに突如クラスの女子が一人やってきて、話しかけてきた。
「おはよう。・・・ん~、ショ・・・・クッキーかな。」
「そうなんだぁ。じゃあ今度、作ってきてあげるね。」
 そういってその子は蒼空の所から離れていく。そんなやりとりを見ていた司が、またもふざけて言ってくる。
「おまえの好物ってショコラじゃなかったのか?何でクッキーなんて言ったんだよっ。」
「・・・・。」
「・・・蒼空?」
 蒼空の表情がくもった。本当はこんな事口にしたくない。
「・・・・今はちょっと食事制限されてるから、そういうの食べられないんだ。」
 それを聞いてシュンとなる司を見て、蒼空はすぐに明るく振るまって見せた。
「あぁ~、本当なら今日の帰りにでも、いつものケーキ屋で買って帰りたいくらいだっ!」
「そういえばあのケーキ屋で、期間限定のショコラを出すとか言ってたな。」
 様子が変わった事にホッとしたのか、司はすぐにいつもの調子に戻る。でも彼には、蒼空が気を使って明るく振るまっていたのがわかっていたのかもしれない。
「ますます食べたくなるから言うなよ司っ、なんのイジメだっ!」
「さぁなぁ~。」
 そんなやりとりをしていた蒼空はふと視線を感じて、隣の席にいる彩華を見た。彼女は少し怒っているようなそうじゃないような顔で、ずっとこちらを見ていた。
「彩華・・・?」
「なによぅ・・・。」
 彩華はとても複雑な気持ちだった。以前よりもクラスの人達と打ち解けられているのは嬉しい。でも、自分と司の二人しか知らない筈だった蒼空の本当の姿が知られてしまったのがなんだか嫌だった。まるで彼との距離が一気に離れてしまったみたいに思えて、少し悲しかった。でもそんな事を言える筈もなく、ついツンとした態度をとってしまう。
そんな彩華の気持ちに気づいてか、蒼空はそっと手を握ってきてボソリと呟いた。
「・・・・大丈夫だよ、彩華。どんな事があっても、僕には君だけだ。」
 ボッと彩華の顔が赤くなる。さっきまで考えていた事が嘘の様に消えて、今は彼のその言葉で頭の中がいっぱいになっていた。
「・・・・もぅ、何言ってるのよ、ばかっ!」
 そんな事を言いつつ、彩華は握られた手をギュッと握り返した。
「おやおや・・・まだそんな彼の所にいるのか君は。早くこちら側に来た方が、身の為だ。」
 二人の邪魔をするかのように大輝が話しかけてきて、彩華にぐっと顔を近づける。
「ちょ・・・何なのよ、近づかないでよっ。」
 さらに彩華の顔が赤くなる。
 それを見た蒼空は何だかイライラした。彩華はこの間の時も同じ状況で、顔を赤くしていた。好きだと思っているのは自分だけで彼女はそうじゃないのかもしれない。さっきよりも顔を赤くさせる男をギッと睨む。
「ほぉら、体は正直じゃないか。君は本当は・・・ボクが好きなん———。」
 彩華にそっと手を伸ばしてきた大輝の手をはらいのけ、蒼空は彼女を後ろにかばう。
「・・・・テメェ、いい加減にしろよ。僕の女に手を出すなっ。」
「“僕の女”だって?笑わせるな。ボクは言ったはずだ、『さっさと手を引け』って。」
「何でテメェにそんな事言われなきゃならないんだよ。どうしようが僕の勝手だろ。」
 二人の視線の間で火花が散っている。それぞれの思いが、強くぶつかり合う。
「じゃあその決意がどれほどのものか見せてみなよ。そんなボロボロの体で、どこまで出来るんだろうね?」
「いいよ、受けてやるよその勝負。」
「おい・・・それはやめといた方がいいんじゃねぇか?」
 話がマズイ方向になってきたので司が止めようとするが、蒼空は首を横に振る。
「じゃあ決まりだね。今日の放課後、体育館に来てもらおうかな。・・・楽しみにしているよ。」
 大輝はそう言うと、さっさと自分の席に戻っていった。
「蒼空、どうしてあんな事言ったの?無茶だよ、勝負なんて・・・。」
「そうだぜ、蒼空。おまえ、勝負なんてしていい体じゃないだろ?それに———。」
 司は蒼空の額に手を当てると、ふぅっとため息をついた。
「・・・・思った通り、熱があるじゃねぇか。」
「あ、やっぱり?なんか頭がボーっとしてるのは気のせいじゃなかったのか。」
「“あ、やっぱり?”じゃないだろ・・・ったく。そんな体でどうするつもりだよ?」
 その時予鈴のチャイムが鳴った。周りの生徒がそれぞれ席につく中、蒼空は立ち上がり教室から出て行こうとする。
「ちょっ、おい!どこに行くんだよ?」
「どこって・・・保健室。」
 そんな二人のやりとりを、クラスの全員が見ていた。

    ☆    ☆    ☆
 蒼空は保健室のベットの上でケータイを取り出し、電話をかけた。
“「もしもし、どうしたんだ蒼空?」”
「藤岡先生・・・・僕、これから無茶します。」
“「はっ!?」”
いきなりの蒼空の発言に、藤岡が驚いているのがわかる。
「でも、これで最後です。・・・・きっと今からする事をすれば、皆には完全にバレてしまうと思います。でも僕は、今しないとずっと後悔すると思うんです。だから———。」
“「・・・・わかった。何があってもいいようにこちらで準備しておこう。頑張れよ、蒼空。」”
 藤岡は詳しく聞いてこようとはしなかった。でもこれから何をしようとしているのかは、予想がついていたに違いない。
    ☆    ☆    ☆


 放課後の体育館は生徒達でいっぱいだった。教室であんなやりとりをしたのだから、当然見物に来る人達が来るのは目に見えていた。隅の方で女子達に囲まれていた大輝がこちらに気づいて、ゆっくりと歩いてくる。
「蒼空・・・本当に大丈夫?」
「大丈夫・・・・って言いたい所だけど、ちょっとキツイかな。」
 本当はこのまま藤岡の所に行きたいくらいだった。つい数か月前なら、こんな勝負楽勝な筈なのに・・・。
「だったら・・・っ!」
「でも逃げたくないんだ。だから・・・見守ってて。」
 蒼空は笑顔を見せ、すぐに前方にやってきた大輝と対峙する。
「来たね、大河 蒼空。覚悟は出来たのかい?なんならここで逃げてもいいんだよ?」
「そんな話はいいから、何をするのか説明しろよ魅令。」
「はいはい。・・・ルールは簡単、バスケットコートの半分を使って、前半と後半の6分間でどれだけシュートを入れられるか・・・ただそれだけだよ。君が負けたら、彩華ちゃんからは手を引くことだな。」
 蒼空は冷たい目で大輝を睨みつける。
「じゃあ僕が勝ったら、彩華に近づくのはやめろよっ。」
「あぁもちろんだとも。さぁ、ゲームを始めようか!」
 蒼空と大輝がコート内に入ると、開始の合図が鳴り響いた。前半3分、休憩1分、後半3分のたった6分間の戦いだ。でも・・・今の蒼空にとっては“短くて長い”戦いだ。
 最初にシュートを決めたのは蒼空だった。試合が始まった時にボールを持っていたのは大輝だったが、彼はそれを見事に奪い取りシュートを決めたのだ。体が弱いとは言っても運動神経はいいからか、蒼空のプレーの仕方はまるで選手を思わせる様だった。その後も蒼空は次々とシュートを決めていく。あまりの猛攻に、大輝はちっとも手が出せない。
「すごぉ~い!このままいっちゃえ、蒼空ぁ!」
 彩華は久しぶりに見る彼のプレーする姿に興奮していた。しかし、司は眉根を寄せてひたすら彼の様子を見ている。
 前半があと1分を切った所で、二人の試合に変化が見えはじめた。今度は大輝の方がシュートを何本も決め、蒼空はそれをなかなか阻止できない。
「もうスタミナ切れかい?守りが甘いよっ!」
 蒼空が手にしていたボールを軽々と奪い取り、シュートを決めようとゴールの方へ足を向ける。
それを追う事が出来ない蒼空は、胸元をギュッと押さえた。それも、ほんの一瞬だけ・・・。しかし、そんな彼の変化を司は見逃さなかった。
「・・・・あいつ、そろそろ限界だな。」
「どうして?だってまだ蒼空の方が勝ってるよ。」
 彩華が不思議そうに聞いてくる。
「アヤちゃんには見えなかったのか?あいつ———。」
 その時前半の3分が終わり、1分間の休憩が入る。コートの外に準備された椅子に腰かける。
「大丈夫か、蒼空?そんな状態で後半いけるのか?」
 司が近くにやってきて、水の入ったペットボトルを渡す。それを受け取り、少し口をつけて蒼空は言ってきた。
「まだ大丈夫だよ。・・・・大丈夫。」
 蒼空は自分に言い聞かせる様に、ボソリと呟いて椅子から立ち上がる。
 1分の休憩があっという間に過ぎ、後半が始まった。しかし、時間が経過すればするほど蒼空の体は思うように動かなくなっていく。まるで足に重りでもついているようで、シュートを決めていく大輝を止められない。
「・・・・ハァッ・・・ハァッ・・・・。」
 胸のあたりが苦しくなってきて、蒼空はギュッと胸元を押さえた。
(あと・・・あと少しなんだっ!だから、もう少しだけっ!)
 残り時間はあと1分。今の点数は同点の3対3、あと一本でも決めれば勝敗が決まる。
「やはり、その程度の覚悟だったみたいだね。これで今ボクが決めれば勝ちだ。」
 彼が苦しそうにしている姿を見て、大輝は勝利を確信した。
「・・・・ハァッ・・・ハァッ・・・・。」
 蒼空は苦しそうに呼吸を繰り返しながら、コートの外から心配そうにこちらを見ている彩華に目を向ける。彼女は今にも泣きそうな顔で「頑張れ蒼空っ、もう少しだよっ!」と叫んでいる。
(・・・・守らなきゃ。彩華を守らなきゃ・・・っ!)
 時間のカウントが10秒を切った———。
 シュートを決めよう動き出そうとした大輝の手元から・・・ボールが消えた。
「・・・!何っ!?」
 急に足が軽くなり、蒼空は大輝の横を駆け抜けシュートを放つ。そこだけ時間がゆっくり流れているみたいになって、誰もがそのボールを見守りあたりが静寂に包まれる。
彼のシュートを放つ姿はキレイで、キラキラと光る汗がとてもカッコよくて・・・・彩華は思わずドキドキした。
吸い込まれる様にシュートが入って、それと同時に終了の合図が鳴った。
「・・・おっしゃぁぁぁぁぁっ!」
 司の大きな声があたりを包んでいた静寂を切り裂き、歓声が巻き起こった。

    ☆    ☆    ☆
最後のシュート・・・ちゃんと入ったみたい、だ。よかった。
放ったボールがどうなったのかなんて、自分ではもうわからなかった。視界がグラつく中でただ感覚だけを頼りに投げたから。司の声と、あたりの歓声を聞いたからわかっただけ———。
足の力が抜けて、僕はその場に倒れこんだ。抑え込んでいた痛みが襲いかかってきて、ギュッと胸を押さえる。
イタイヨ・・・。クルシイヨ・・・。タスケテ・・・。
自分でこうなる事は覚悟していたつもりだった。小さい頃はこんな事がいつもの様にあったから、大丈夫だと、いつもにように耐えられると思ってた。
「・・・・ツっ・・・!」
「大丈夫かっ、蒼空!おいっ!」
心配そうに僕を抱き起し、必死に叫んでいる司の顔が見えた。こんなに余裕のない顔を見たのは久しぶりだ。
声を出そうとして口を開いたけど、耐え切れないほどの痛みのせいで僕は思い切り咳き込んだ。
「・・・・ツ・・・うっ!?・・・・ゲホッゲホッ!」
「蒼空っ、しっかりして!ねえっ、私はここにいるよ!」
彩華が泣きじゃくった顔で、必死に僕の手を握ってくれる。
泣くなよ・・・泣かないでくれよ、彩華。
僕はそっと手を伸ばして、彩華の顔を自分の方へ引き寄せ———。
「・・・んっ・・・。」
彩華と僕の唇が、一瞬だけ重なった。
「・・・・あや、か・・・なか、ない・・・で。」
僕は必死で言葉を口にする。
「・・・・ぼく、が・・・まも、る・・・からッ。」
意識が少しずつ、遠のいていく。必死に僕の名前を叫ぶ二人の声が、どんどん小さくなっていった。
    ☆    ☆    ☆


 病院に運ばれた蒼空は藤岡がすでに用意していた病室に運ばれた。この前までいた一般の病棟ではなく、重症患者がいる病棟の一室だった。
藤岡はテキパキと二人の看護師に指示を出す。体温、血圧、脈拍、呼吸の全てのバイタル値の確認。点滴。
「・・・・・ハァッ。せん、せ・・・っ。」
 意識を取り戻した蒼空が、かすれた声で言った。
「蒼空、ここがどこだかわかるね?」
「・・・・・ぼ、く・・・どうし、たん・・・だっけ・・・っ。」
「学校で発作を起こして倒れたそうだ。覚えてるか?」
藤岡は蒼空に話しかけながら、色々な処置を施していく。
「・・・・・あい、つと・・・勝負、して、それで————ツっ!?」
 再び胸を締めつけるような痛みが襲ってきて、蒼空は胸のあたりを押さえて苦しそうに顔を歪めた。
「蒼空っ、しっかりしろ!もう少しで楽になるから・・・・頑張れ、大丈夫だ!」
「・・・・・と、う・・・さん。・・・・ッ・・・うっ、ゲホッゲホッ!」
 京哉は息子の手を取って必死に声をかける。状態が安定して学校にも通えて、多少ならば運動も出来るようになった筈なのに。今ここにいる息子は小学校の頃と同じ状態に戻ってしまった様で、見ているのが辛かった。
「・・・・・ハァ・・・ハァッ。ゲホッ・・・ツっ、ゲホッ!」
 胸の痛みのせいで咳ばかりが出て、呼吸がままならない。
藤岡は準備ができた酸素マスクを蒼空につけた。
「蒼空、深呼吸するんだ。落ち着いて・・・。」
 必死で何度も深呼吸を繰り返すと、やっと呼吸が落ち着いてきた。点滴の薬も効いてきたのか、胸の痛みも自然と治まった。
「・・・・・ハァっ。・・・・ふぅ、死ぬかと、思った。」
 落ち着いてきた蒼空の声はかすれていたけど、意外に元気な物言いだ。
 もう一度全てのバイタル値を確認した藤岡は、ホッと息をつく。
「さっきよりだいぶ安定したな。それに・・・そんな言葉が出てくるくらいだから、大丈夫だな。さて———それでは大河さん、お話がありますので別室へ。」
 そう言って出て行こうとする藤岡の手を蒼空はつかんだ。
「待って、先生。ここで・・・ここで、話して。僕も、聞きた、いから。」
 自分が今どんな状態なのか、蒼空は知りたかった。逃げるなんて事はもうしたくなかったから・・・。
「わかった。———今の蒼空君の体は、あの時と同じ・・・と言ってもいいくらいです。」
  あの時・・・それは蒼空がまだ学校にも通えなかった小さい時の事を示していた。あの頃は今以上に色々と制限や薬が多かった。母親からの遺伝もあり元々体が弱かった彼は、激しい運動をすればすぐに動悸や息切れを起こし、小児喘息も発症していたためかすぐに熱を出したりして具合が悪くなる事が多かった。でもどの症状も成長と共に軽快していった。つまり今の彼はそういう状態らしい。
「それは・・・・どういう意味だい、先生?」
「ここ数か月のうちの検査結果を見ると、数値が下がる一方です。それに・・・前に一度、大きな発作も起こしてますからね。」
「先生、ハッキリ言ってくれ。息子は、どうなんだ?」
 深刻そうな顔をして京哉は先を促した。だが藤岡はいたって明るい様子で言ってきた。
「そんなに心配する事はありません。体力の低下が原因で、喘息が再発しただけのようですから。今回こんなに症状が酷かったのは、この高熱と彼が無理をし過ぎたためですから。」
 それを聞いた京哉はホッとしたようで、胸をなでおろしていた。しかしそれを静かに聞いていた蒼空がかすれた声で文句を言う。
「え~。せっかく・・・治ったと、思っ、たのに・・っ。」
「文句を言ってどうする。もとはと言えばおまえが無茶をしたからだろう!」
 京哉に怒られた蒼空は、切なそうにポツリと言ってきた。
「ただ・・・・あの子を、守り、たかっ————。」
 瞼が重くなってきて、睡魔に襲われた。蒼空の言葉は途中で途切れて、眠りに落ちていく・・・。
「薬がだいぶ効いてきたな。これで何日か休めば、前の一般病棟に戻っても大丈夫でしょう。」
 藤岡が看護師からカルテを受け取り、何かを書きながら、そう言った。

9話 蒼空と大輝

9話~蒼空と大輝~



無理をしてでもあの子を守ろうとした事に、後悔はしていない。
だけど・・・・あらためて自分の体の弱さを思い知った。
もう、ついこの間までと同じような生活には・・・・僕はもう、戻れない————。



数日後、状態が安定してきた蒼空は一般の内科病棟の病室に移された。しかしまだ病室から出て動き回れる様な体力は無く、病室の中で過ごしていた。
———コンコン。
 病室の扉がノックされ、蒼空は「どうぞ。」と返す。
 そうして入ってきたのは司だった。重症患者がいる病棟にいる間は家族以外面会謝絶になっていた為、彼と会うのは何日かぶりで蒼空は嬉しかった。
「ようっ!何日かぶりぃ!元気・・・・じゃあないよな、さすがに。」
「大丈夫だよ、司。熱は下がったし、動けないほどじゃないし・・・・ね。」
 笑顔を見せる蒼空だったが、それが作り笑いである事に司は気づいていた。
「・・・・全然大丈夫じゃねぇだろ、蒼空。何年一緒にいると思ってんだよ。」
 少しは動けるようになりマシにはなったが、今度は別の問題が蒼空を苦しめていた。
 胸のあたりに手を当てて、蒼空は息をつく。
「おい、大丈夫か?痛いのか?」
「うん・・・・少しね。最近、寒くなってきたし。それより司、学校の方はどうなった?」
 蒼空があの時倒れてしまい、長期入院すると広まった為、彼の体の事は当然生徒達にバレただろう。そうなった後の皆の反応が気になって仕方なかった。
「あぁ、それなんだけどよ・・・凄い事になってるぞ。」
「それってどういう意味の凄いなんだよ?気になるから早く言ってよ。」
 その時廊下でバタバタと足音が聞こえたかと思うと、ノックもせずに入ってきた彩華が叫んだ。
「ごめんっ、蒼空!クラスの子達・・・ついてきちゃった。」
「ついてきちゃったって・・・・へ!?」
「蒼空くぅ~ん、入院したって聞いたけど大丈夫?」「凄い秘密持ってましたって感じでますますステキ!」「早く学校に戻ってきて下さいね。」「蒼空、早くまたドッチやろうぜ!」クラスの生徒達が口々に言う。
「ちょっと・・・・え!?」
 初めて目の当たりにする反応に、蒼空は戸惑っていた。
「まっ、こういう事さ。」
「ちょっと、そうじゃなくて・・・・どういう事だよっ!」


 あんまり大勢で面会に来ては他の患者さんに迷惑だとか、看護師さんに注意されてしまい、今ここにいるのはいつもの三人だけになった。
「クラスの奴はまぁあんな感じで、学校にいなくてもあらぬ噂が広まってたりして人気がハンパねぇ。」
「それにねっ、今そのブーム(?)のせいかね・・・・魅令君のまわりにあんまり女子がいなくて、人気ないみたいなの。」
「ぶはっ!なんだよソレ!面白すぎるだろっ。」
 久しぶりに二人に会えて話せた事が蒼空には嬉しくてたまらなかった。いつもと変わらない事が今ここにある。けれど・・・・変わってしまった事の方が————大きかった。
 あまりに面白くて笑い過ぎたせいなのか、少し呼吸が辛くなって咳き込んだ。
「いつも女子にあんなに囲まれてた奴が、そんな、・・・こッ————ツっ、ケホッ・・・ゲホッ!」
 突然の蒼空の変化に二人は驚いた顔をしていた。
「ちょっとっ、大丈夫、蒼空?」
「だい、じょ・・・ぶ。————ッ、ゲホッ・・・ゲホッ!」
「もしかして、風邪でも引いちゃったの?」
 彩華が心配そうにそう聞いてきたが、蒼空は首を横に振る。
「・・・ちがっ・・・・。————ゲホッ、ゲホッ・・・・ゴホッっ!」
「違う、風邪なんかじゃねぇっ。蒼空、落ち着け、深呼吸だ。」
 司がなれた様子で蒼空の背中をさすってやりながら、声をかける。
「・・・ゲホッ、ゲホッ・・・・ケホッ。————ハァ、ふぅ。」
 ようやく落ち着き、蒼空は言いかけていた言葉を口にする。
「違うんだ。風邪なんかじゃ、ないんだ。」
「・・・・また喘息が再発したんだろ?」
「うん、また昔に逆戻りしちゃったみたいだ・・・。」
 彩華の方はというと今まで以上にショックが大きかったらしく、何を言っていいのかわからずただ茫然としていた。
「彩華、大丈夫?聞いてる?」
 話しかけられて我に返り、曖昧な返事をしてしまう。
「えっ?あぁ、うん、大丈夫。ただびっくりしちゃって。再発って事は前にも?」
 小さい頃に発症した小児喘息は成長と共に軽快し完治する為それほど心配することもないが、まれに完治する事がなく成長と共に思春期喘息になってしまう事があった。つまり蒼空は今までそれを抱えて学校に通っていたという訳だ。薬を飲んでいる為、今まで大して大きい喘息の発作もなく過ごせていた。
「再発って言うより、また症状が酷くなったって事だよ。」
「じゃあ、今まで運動とかあんまりしなかったのは・・・。」
「そういう事。でも体がもともと普通の人より弱いってのもあるんだけど、ね。」
 蒼空は切なそうに、呟いた。


   ☆    ☆    ☆
藤岡の元に京哉が来ていた。話があると言われて仕事を休んでここに来たのだ。
「蒼空君なんですが・・・・喘息の症状が悪化してしまったので、退院は出来たとしても体力は以前よりないと思われるので、今までの生活は難しくなるかと。また、色々と制限がされるかと。」
「やはりか。でも先生、まさか妻のようになるなんて事は・・・。」
 心配そうな顔で京哉は言った。
「大丈夫とは言い切れませんが、そう心配する事はないと思います。奥さんの場合、心臓の病気も抱えてましたし。」
「あの子が可愛そうだ。せっかく学校にも行けるようになって、大切な存在も出来たというのに。また引きこもってしまわないか、心配だ。」
「そうですね。・・・・蒼空君の心の強さを信じましょう。」
   ☆    ☆    ☆



それから一週間ほどたち、蒼空の体力は少しずつ戻っていった。今はもう動き回れるくらいに戻って、いたって元気な様に見えた。今日も二人が面会に来ていて、病室内のテーブルを囲んで勉強会だ。入院している間にも授業はどんどん進んでいて、いざ登校出来るようになった時にわからないのは困るので、蒼空は二人から教わっていた。
「・・・・あ、ヤッベもうこんな時間じゃねぇか!悪りぃ蒼空、ちょっと用事あるから先帰るわ。」
 そう言うと司はいそいそと教科書やらノートを片付ける。
「そっか。今日はサンキュ、司。」
「あぁ、また来る。じゃあな蒼空、アヤちゃん。」
 ひらひらと手を振って、司は病室から出て行った。
「彩華はいいのか、帰らなくて?」
「まだ大丈夫だから、もう少しここにいるわ。」
 彼女の言葉を聞いて少しドキリとした。司が帰ってしまった今、この病室には彩華と二人きり。何か別の欲求が出ない訳がない。しかし彩華はそんな事に気づいてはいない。
「・・・じゃ、じゃあさ、ちょっと一休みしに行こう!」
 そんな事を考えてはいけないと、心からその事を消し去った。そういう欲求がどうとか考えたなんて、とても言えない。
 彩華は蒼空に手を引かれて、病室の外に出る。そして廊下を通り抜けずっと歩いて行く・・・。
「ねぇ、どこ行くの?」
 そして蒼空は階段の前まで来て立ち止まり、その上を指す。
「屋上。」
「屋上っ?ここ・・・登るの?」
「うん。」
 蒼空は即答すると階段を登りはじめる。彩華は体の事を心配して聞いたのに、彼は気にせず登っていく。仕方なく後を追うと、階段を登りきる一歩手前で立ち止まり、肩で大きく息をしていた。
「蒼空っ!?」
 慌てて駆け寄るが、彼は笑顔を見せると彩華の手を取り、屋上に出た。
彩華はその時、なんとなくわかってしまった。彼のソレが今、作り笑いだった事に。本当は少し無理してるんだろうって。

 屋上に広がるのは青々とした空だった。冬も近いせいか、雲一つないという訳ではないがとてもきれいな光景だ。少し冷たいけれど、気持ちいい風が吹いてくる。
「ねぇ、蒼空———。」
 ベンチに座ってボーっと空を見ていた彩華が言う。
「私・・・別に魅令君が近づいたからドキドキしたんじゃないから。」
「え?」
 突然の話に蒼空は首をかしげる。
「だから、その・・・。魅令君が初めて私のとこに来た時の事とかだよ。」
「え・・・。じゃあ、なんで?」
 彩華が顔を赤くして、ボソリと言ってくる。
「だって、ああいう状況になると蒼空とその・・・キ、スしたの思い出しちゃって仕方なくてっ。」
 彩華はあの時、別に大輝を意識してしまって赤くなった訳でも、一目惚れした訳でもなかった。顔が近くに来たというその状況が、蒼空とのソレを思い出させただけ。
蒼空は何も言わずにギュッと彩華を抱きしめる。
「・・・僕、バカだな。気にする事なんて、全然なかったのに。」
 彩華が自分の事を想ってくれていたのはちゃんとわかっていた筈なのに、あんな事が目の前で起こったら誰でもそう思ってしまうに違いない。
「じゃあ、私もバカかもね。」
「どうして・・・?」
「だって・・・蒼空の本当の姿が皆に知られちゃったのが、なんだか嫌だったんだもん。」
「知ってる。あの時の彩華、凄くわかりやすかったし。」
 蒼空はクスクスと笑いながら、頭を優しくなでた。
 その時の自分はそんなにわかりやすい顔をしていたのかと思うとはずかしくなり、彩華はそっぽを向く。
「そっち向かないでよ、彩華。こっち向いて。」
「イヤっ。だって・・・はずかしいものっ。」
 すると突然後ろから抱きしめられてドキリとした。
「はずかしい事じゃないよ。あの時の彩華・・・・可愛かった。」
 最後あたりの言葉が耳元で囁かれ、彩華をドキドキさせる。
「もぅ、何言ってるのよ。蒼空のばかっ。」
 蒼空は愛おしそうな顔を向けてきて・・・。
「好きだよ・・・・彩華。」
「うん。私も好きだよ・・・・蒼空。」
 優しく、今までと違う・・・深いキスをした。


   ☆    ☆    ☆
大輝は大河 蒼空の事を甘く見ていた。たとえ大切な存在がいたとしても、自分の体を危険にさらす様なマネはしないと思っていた。途中で降参してくるだろうと思い込んでいた。しかし彼の行動は自分の考えをはるかに超えていて、驚くしかなかった。あそこまでの勇気と覚悟は・・・自分には、ない。
———「いやぁぁぁ、あの人はどこっ!?あの子は!?」
 母親のいる病室に入ろうとしていた大輝は、慌てて中に入る。そこには暴れる母親の姿と、それを止めようとする医師と看護師の姿があった。三人がかりで足、手を押さえつけて医師の一人が鎮静剤を打とうとしている。あわてて傍に駆け寄り、声をかける。
「母さん!ボクならここにいるから!」
 少し動きがおさまり医師が鎮静剤を打った。すぐに薬が効いてきて母親はゆっくりと眠りに落ちていく。
「母さんは、どうなんですか先生。」
「ここに入院してきた時よりもこうなる事が増えてますね。慣れぬ土地にいるせいでそれがストレスになっているようですね。君のお母さんはやはり、地元の病院でゆっくり治療された方がいいかと。」
「そうですか・・・。」
 大切な存在の夫を失ってこんな風になってしまった母親。やはり大河 蒼空の行動は、大輝には理解できない。自分の家族でもない他人に、どうして彼はそこまでできる?心を開ける?愛せる?かつては自分にも恋人と呼べる人が一人だけいた。でも彼女は・・・・ある日突然、交通事故で死んだ。

———「大輝、ごめんね。私・・・あなたを一人にしちゃう。」

———「そんな事言うなっ!君が諦めてどうする!生きろよ・・・ボクの為に生きてくれよっ!」

———「ごめんね。・・・・大好きよ、大輝。」
 本当は自分もおかしくなってしまいそうだった。でも大切な家族の母親を放っておく事が出来ない。だから大輝は、他人を・・・人を愛する事をやめた。彼にとっての恋人は、彼女だけだから。
   ☆    ☆    ☆



「おはよう、蒼空君。」 「はよー、蒼空。」
 クラスの子達の変化に、蒼空はまだ戸惑っていた。
「お、おはようっ。」
 昔とは違う、皆の優しい言葉。
「今日は元気そうだね~。」 「今日は平気なの?」
「う、うん。まぁ・・・ね。」
 自分は今まで何を恐れていたんだろうと、そればかり思ってしまう。
「入院してた時以上だな、お前の人気は。」
 司がからかうようにケラケラと笑う。
「茶化すなよ、司。まだ信じられないんだからさ。」
 今までと同じ様に学校に通える生活に戻れた事が、蒼空は嬉しかった。けれど病院は退院した訳ではなく、今も入院中だ。体力が戻ってきたのでついこの前、藤岡に退院の許可をもらおうとしたがあっけなく却下された。そのかわりに病院から通うなら許可をしてもいいという事で、こうして通っている。
「そういや最近、魅令の奴見ねぇな。」
「そうだね~。あの人どうしちゃったんだろうね。」
 隣にいた彩華も、それに同意する。
 大輝は蒼空が学校に復帰する少し前から学校を休んでいた。担任の先生は家の事情で、との事らしい。でも蒼空にはその理由が何となくわかっていた。
「あぁ・・・。多分、病院にいる母親の所じゃないかな?この間、病院でアイツに会ったし。」
「えっ!?会ったのかよっ!何か言われなかったのか?」
「・・・・言われたよ。アイツの言ってる事は正しいから、僕は何も言い返せなかったけどね。」

———「おまえに・・・彩華ちゃんは幸せにできない。」

 それは本当に否定できる事ではなかった。自分がもし母親のように死ぬ様な事があれば、藤岡も父さんも司も、そして・・・彩華も悲しむだろう。そんな思いをさせてしまうくらいなら、消えてしまった方がいい・・・。
「ねぇ・・・そんなに嫌な事言われたの?」
 蒼空が顔をあげると、彩華が心配そうな顔をこちらに向けていた。
「今、凄く辛そうな顔してたよ?」
「大丈夫だよ。そんなにひどい事は・・・言われてないから。」
 そこで予鈴のチャイムが鳴り、一日が始まった。
登校は出来るようにはなったが以前とは状況が変わってしまい、少しなら大丈夫だった体育の授業も蒼空は制限されてしまった。今はその体育の時間で、蒼空はもちろんコートの外にいて皆がやる様子を見ているだけだ。男子はグラウンドでサッカー、女子は体育館でバレーらしい。
「司ぁ~、頑張れよ~!」
 ボールを受け取った司がゴールに向かって行くのを見て、蒼空がそう叫ぶ。
「おう!任しとけっ!」
 そう言ってこちらに笑顔を向ける司だが、その隙に相手チームにボールを取られてしまう。
「あぁ~、ダメじゃないか・・・。」
 本当だったら、以前だったら自分はあの中にいただろう。司のように走り回って攻めるのは無理でも、守る側・・・つまり、ゴールキーパーとしてならそこにいたかもしれない。
「蒼空っ!危ねぇ!」
 ふと司の叫ぶ声が聞こえて顔をあげると、目の前にサッカーボールが迫ってきていた。しかし蒼空は慌てる様子もなく手でそれを受け止める。
「何、やってんだ、よっ!」
 蒼空は司に向かってボールを蹴り飛ばした。
「ちょっ、おいっ!こっちよこすなって!」
 コートから出た事に変わりはないのでコーナーキックから試合を再開しなければならないのに、蒼空は蹴ってしまった。
「あ・・・ごめんっ!」
 コート内に入って以前のように出来なくなってしまったけれど、蒼空はそれでもよかった。


「いやぁ~今日のサッカーは熱戦だったなぁ。・・・それになんか飛び入りもいたし。」
 一日が終わりいつもの三人で帰り道を歩いていると、司が言った。
「飛び入りって、何?」
 その場にいなかった彩華が不思議そうに聞いてくる。
「あれは本当、ごめんってば!わかってたけど、気がついたら体が動いてたんだから仕方ないだろ?」
「えっ?もしかして蒼空・・・やったの?」
 今度は心配そうな顔をしてくる彩華に蒼空は首を振る。
「違うよっ。コートの外で見てたらボールが飛んできて、僕がそれを蹴り返しちゃったんだよ・・・。」
「まぁ、以前はゴールキーパーやってたしな・・・気持ちはわかるぜ!」
「えっ、何?蒼空ってゴールキーパーやってた事あったの?」
 今度はキラキラと目を輝かせて彩華が聞いてくる。コロコロと表情を変える姿に、蒼空は思わずドキドキした。
「さすがに司みたいに動き回るのは無理だったから、それくらいはやってたよ。」
「そうなんだぁ。それ、見たかったなぁ・・・。」
「まぁ・・・いずれ、ね。今は色々制限されてるから無理だけど、状態が落ち着けば許可出来るかもって藤岡先生が言ってたし。だから、今は我慢。ね?」
 蒼空は彩華の頭を優しくなでた。
「・・・・おい、蒼空。あれ・・・。」
 ふと司が立ち止まり、公園の中にあるベンチに座り込んでいる生徒の姿見つけ、言ってきた。
「あれって・・・・魅令・・・?」


 大輝は公園のベンチに座ってボッーとしていた。母親の状態を見ているのは本当に辛い、でも家族だから放って置けなくて。本当は誰かの心の支えが欲しかった。でもそんな存在はいなくて・・・唯一愛した彼女はもういなくて。
「ボクは、どうしたらいいかな・・・。やはり君がいないとダメみたいだ。」
 空を見上げると青い空は見えなくて、黒っぽい雲が空全体を覆っていた。
「・・・・魅令。」
 声をかけられてそちらの方へ顔を向けると、そこに同じクラスの蒼空が立っていた。
「何の用だ?ボクが一番会いたくなかったのは、君なんだけど。」
「僕だってお前なんかに会いたくなかったさ。でも聞きたい事があったからな。・・・・おまえ、なんで学校に来ないんだよ。」
 大輝は立ち上がると、やれやれとため息をつく。
「何かと思えば。本当に君を見ているとイライラさせられるよっ!他人の為に自分を犠牲にしてまで、その気持ちをつらぬこうとする真っ直ぐな君がねっ!」
 ゴロゴロと音がして・・・・空から何か冷たいものが降ってくる。何かが当たった感覚と、それが服にジワリと浸み込んでは消えていく。
「他人なんかじゃないからそう思えるんだっ!守りたいとそう思ったから、好きだからっ!それの何がいけないんだっ。」
 大輝は再びため息をつくと、蒼空の横を通り過ぎていく・・・。
「別に悪くはないさ。ただ・・・・残された者の悲しみは、誰が消すんだ?その気持ちをつらぬいて、あの子を不幸にするのは君だ。一度、思い知ればいい・・・。」
 冷たい言葉を言い残して、彼はそこから立ち去った。
「・・・・・・。」
 空から降る冷たいもの———雨が強くなっていく・・・。
「・・・・・・。」
 蒼空は服が雨を吸って重くなっても、うつむいたまま動かなかった。いや———動けなかった。大輝に言われた事は事実で、自分が一番、恐れている事だから・・・。
どれ位そうして立っていただろう。突然雨が当たらなくなった事に気がついて、蒼空は顔をあげる。
「ったく。雨降ってきたってのに、何やってんだよ。」
 そこには傘を手にした司が立っていた。
「魅令と話してくるって行ってから、いつまでたっても戻って来ねぇから・・・・心配したぜ。」
「・・・・ごめん。」
「おい、大丈夫か?アイツにまた、何か言われたのか?」
 蒼空がふるふると首を振った。
「・・・・わからない、もう何かなんだか。僕、どうしていいかわからないんだ。」
こうなってしまった自分の体が・・・・憎かった。今まではそこまで思った事はなかったのに、今の蒼空はそれだけで頭がいっぱいになっていた。この気持ちをつらぬこうとすれば、彩華を不幸にさせてしまう。たくさん迷惑をかけて、苦しめて・・・。
 彼女の前から消えたくない自分と、消えてしまいたい自分がいた。
「僕は・・・・どうすればいいんだよっ。僕は、ここにいちゃいけないのか・・・?」

10話 ココロとカラダ

10話~ココロとカラダ~



僕にとってあの子はとても大きくて・・・・大切な存在で。誰にも、渡したくないんだ。
だけど・・・・。
僕という存在がいる事で、あの子を悲しませてしまうのなら・・・・不幸にしてしまうのなら。

————。

————。

僕は、消えてもいい。



 びしょ濡れで病院に戻ってきた蒼空は、もちろん藤岡にも看護師にも怒られた。戻るなり体温やら血圧やらを見られたりした。今思えば、なんてバカな事をしたんだろうと思った。あんな事を言われたくらいで動揺して、動けなくなって。冷静に考えてみれば、後から辛い思いをするのは自分なのに・・・・。
 その日の夜、蒼空はなんだか寝苦しくなって、目を覚ました。
「・・・・ハァ、ちょっと・・・マズイ、かなっ・・・・。」
 蒼空は起き上がると、呼吸を整えようと何とか深呼吸を続けようとする。でも、どんどん苦しくなるばかりで呼吸がままならなくなっていく。
「・・・・ハァッ・・・。ハァッ・・・。———ッっ!」
 胸のあたりをギュッとつかんで、もう片方の手でナースコールに手を伸ばす。
「・・・・ハァ———ッ!ゲホッゲホ・・・ゴホッ。」
 病室の扉が開かれて、藤岡と看護師が入ってくる。
「・・・・せん、せ・・・ッ。ゲホッゲホッゴホッ————・・・ヒューヒュー、ゲホッゴホッ!!」
 喘息特有の呼吸音が聞こえてきた。これはもう完璧な喘息の発作だ。
「・・・・ぼ、く・・・ッ。ゴホッゴホッゴホッ————・・・ゼィゼィ、ゲホッゲホッ!!」
「いい、喋らなくてもいいから。これをするんだ。」
 藤岡が喘息の発作を鎮める筒状の形をした吸入器を出して、蒼空の口へとその中身を噴射する。
「ゲホッゴホッ・・・・ハァ、ハァ・・・。」
「大丈夫か、蒼空。」
「・・・・ケホンッ・・・大、丈夫です。」
 看護師から体温計を受け取り、藤岡が眉根を寄せた。
「38.7℃・・・高いな。全く、びしょ濡れで帰ってくるおまえが悪いんだぞ?」
「・・・・ごめ、んなさい。」
 起き上がっているのが辛くなって、蒼空は横になった。
「まぁ・・・今は休みなさい。点滴をすれば楽になるからな。」
 発作が治まってホッとしたのか、すぐに睡魔が襲ってきた。
「・・・・ほん、とに・・・・ごめん、・・・な、さい・・・。」

   ☆    ☆    ☆
また前の時と同じ、闇の空間にいた。
————キミガイテモ、アノコヲフコウニスルダケダヨ?
 目の前に現れた、顔のハッキリ見えない少年が言う。
————ココニイルッベキジャナインダヨ、キミハ。
「違う。別にここにいたっていいじゃないか・・・。」
————ヨクナンテナイヨ。コノママジャ、アノコヲウンメイハカワラナイ。キミガイルカラネ。
「・・・・違う。運命どうとかなんて、関係ないじゃないか。」
————アノコノタメヲオモウナラ、キミハキエルベキダヨ!
   ☆    ☆    ☆

 目が覚めてベットから飛び起き、キョロキョロとあたりを見回す。ここが自分の病室である事に気づいて少しホッとしたが、ここに今自分一人しかいない事にとても怖くなった。体がガタガタと震えてきて、それを静めようと体をギュっと押さえ込んだ。
 その時病室の扉が開かれ、誰かが入ってきた。
「蒼空、目が覚めたんだな。心配したぞ。」
 顔を上げてそれが誰なのかを認識すると、蒼空は抱きついた。
「・・・っ・・・・父、さん!」
「おっとと。・・・どうしたんだ蒼空、まるで子供みたいに。」
 そう言いながらも彼は我が息子を抱きしめて、頭をなでた。
「・・・ごめっ、何か・・・・怖くなって・・・。」
 落ち着いた蒼空は京哉からはなれると、顔を見られたくなくてそっぽを向いた。親に抱きつくなんてガキくさい事をした自分が恥ずかしかった。
「体は・・・・大丈夫か?」
「・・・うん。」
「何があったのかは知らないが、自分の気持ち・・・ちゃんと確認したらどうだ?」
 蒼空は驚いたような顔で京哉を見る。
「な・・・ん、で?」
「母さんも今のおまえみたいな顔してる時があったからな。なんとなくわかるさ。」
 息子の頭をなでながら、彼は言う。
「ちゃんと考えてみれば、自分がどうしたいのかわかるさ。・・・・ちゃんと考えてみなさい、蒼空。」
「・・・・ありがとう、父さん。」
 その時、また病室の扉が開かれた。
「失礼しま・・・おぉ!目ぇ覚めたんだな、蒼空!」
「司、ゴメンな。心配か————。」
「蒼空っ、よかった!何日も寝込んでたみたいだったから、心配したんだよ!」
 突然彩華が抱きついてきて、ポロポロと涙をこぼす。
「・・・・彩華。」
 蒼空は抱きしめてやりたかったけれど、それが出来なかった。大輝に言われた事が気になって、どうしていいか・・・わからない。
 いつもと違う事に気づいた彩華は、蒼空の顔を見つめて、そっと自分の顔を近づけた。
「・・・・ごめん。今は・・・。」
 蒼空は彩華から顔をそむけて、ボソリと言った。
「わ・・・私こそゴメン。やっと目が覚めたばかりなのに、こんな事っ!」
「・・・・。」
「・・・?蒼空、大丈夫?」
 声をかけられて蒼空は我に返った。
「あぁ、うん。・・・・彩華、今日はもう遅いから帰りなよ。ね?」
「でも・・・。」
「蒼空の言うとおり帰った方がいいだろう。これから検査もしなければならないしな。」
 そこへ藤岡が看護師を連れて入ってきた。蒼空の体に聴診器を当てて、診察を続けながらそう言った。
 藤岡の登場は蒼空にとってはナイスなタイミングだった。今彩華と一緒にいても、どう接していいかわからない。いつもはいて欲しいと思うのに・・・今は早く帰ってもらいたかった。
「・・・・そういう事だからさっ、帰れよっ!」
 言葉が自然と冷たい言葉になってしまう。
「何よぅ・・・そんな言い方しなくたって!」
「・・・いいからっ!今日は・・・・ケホッケホッ、帰ってくれっ!」
 声を荒げたせいか、息が少し乱れて、呼吸が辛くなってる。
「心配してるだけなのに、どうしてそんな————。」
 言いかけた彩華の言葉は、蒼空が咳き込みはじめてしまった為、途切れてしまった。
「ケホッ・・・・。ゲホッ、ゲホッ・・・。」
「落ち着くんだ蒼空。ほら、ゆっくり深呼吸だ。」
 京哉が蒼空の背中をさすりながら、そう声をかける。
「う、ん。ゲホッ、ゲホッ、・・・・ケホッ。」
「ごめんなさい・・・蒼空。」
 彩華はつい言い返してしまった事で発作を起こさせてしまった。その場にいるのが辛くなって、病室から逃げ出した。

   ☆    ☆    ☆
 この間のアレは結局は自分が悪かったと思い、彩華は彼にあやまりたかった。しかしここ最近、何度病室に行っても会ってくれなくなってしまった。病室にいないときも多いし、いるかと思えば「今日は調子悪いから」と言って中に入れてくれない。
「ねぇ、司。最近蒼空がね・・・病室に行っても会ってくれないんだけど、どうしてかな?」
「へ?そんな事ねぇだろ?オレ昨日もアイツの所行ってきたけど?」
「・・・・。」
 という事は彼は彩華だけをさけているという事になる。この間の事をまだ怒っているのだろうか?
「え・・・マジ?ったく、アイツ何考えてんだ?」
「気が変わったって事じゃないのかい?」
 後ろから声がして振り返ると、そこに大輝がいた。ここしばらく学校に来ていなかった為か、女子達がまたキャーキャーと黄色い声を上げている。
「おまえが来ると女子達がうるさくてかなわねぇな、魅令。」
「そんな事今はどうでもいい。・・・それより今の話は本当かい?大河の奴がどうしたんだい?」
「おまえには関係ねぇだろ。邪魔だから女子達の相手でもして————。」
 そう言う司を魅令はギロリと睨み付けてくる。
「いいから話せ、水谷。」
 司はやれやれとため息をつき、仕方なく話す。
「・・・・あぁ、そうだよ。オレは行けばすぐ会えんのに、アヤちゃんは何かさけられてるっぽいんだと。病室行っても会ってくれないらしい。」
「バカだね、アイツは。自分で守るとか言っていたくせに、自分からそれを放棄するのか。」
「・・・・魅令、おまえ蒼空に何か言ったんだろ?あの雨の日のアイツ、なんか変だったし。」
 今度は司が大輝を睨みつけた。大事な親友を傷つける奴は、許せない。
「君には関係ないね。・・・・それが事実なら大河は口先だけの奴って事だ。」
  ☆    ☆    ☆

 蒼空はボンヤリと窓の外を眺めていた。季節はもう冬に近づいているからか、外に見える庭の木々に葉はなくなんだか寂しげだ。
「・・・・ケホッ、コホンッ・・・。」
 外の空気が吸いたくて窓を開けていたが、今の季節の外の空気は白い息が出るほどの寒さだ。暖房であたたかくなっていた病室が冷えていく。その冷たい空気が蒼空の気管を刺激する。夏は夏で嫌いだけど、冬はもっと嫌いだった。生まれつきの病弱な体はこの時期、風邪はひきやすいし長引いてなかなか治らない。さらにいつもは安定していて滅多に出ない喘息の発作も出てくるオマケつき。でもそれは去年までの話で、今はオマケも何もあったものではない。
 少し咳き込みながら窓を閉めて、ふうっと息をつく。目の前のオーバーテーブルの上に広げていた教科書とノート、勉強をしていた筈なのにいつのまにかボーッとしていたらしい。シャープペンを手にして、勉強を再開しようとする。————。が。
「・・・・って!」
 顔に何かが当たって、手からシャープペンを取り落す。痛そうに当たった所をさすりながら、その原因を探す。ひざまでかけた布団の上に、一つのみかんが転がっていた。
「病み上がりな奴が、何ガリ勉してんだよっ。」
 いつのまにか来ていた司が、手にしていたみかんを投げてくる。
「そんな事言うなら、みかん投げるなっ。」
 今度は軽くキャッチして、息をつきながらそう言った。
「まだ熱ある奴が文句言うなっ。ちゃんと寝とけよ。」
 蒼空の額に手を当ててきて、司は彼の前にある勉強机と化したオーバーテーブルをどかす。
「・・・・いいんだ。何かしてる方が、考えなくてすむし。」
「蒼空、おまえさ・・・。アイツに何を言われたんだ?」
「・・・・。」
 蒼空は司から目をそらして、ギュッと手を握りしめた。
「言えないってのはナシだぜ?・・・言えよ、蒼空。」
「・・・・僕の存在は誰も、幸せになんて出来ないって。」

————『残された者の悲しみは、誰が消すんだ?』

————『その気持ちをつらぬいて、あの子を不幸にするのは君だ。』

 蒼空はアイツに・・・・魅令に言われた事を全て白状した。ずっとずっと心の中に引っかかって、取れないもの。そんな筈はないと否定できない、アイツの言葉。
 それを聞いた司は、ため息をついた。
「蒼空、おまえずっとそんな事考えてたのか?」
「なっ・・・・“そんな事”って、僕は真剣にっ。」
「考えるなとは言わないけどよ。先の事より・・・今はどうするんだ?あんな事してるおまえは、前と同じだな。どうなってしまうのかが怖くて人をさけてた時と一緒だ。」
 まるで邪魔者のように扱われ、体が弱いんだと自分に向けられる同情の視線。そうなるのが怖くて隠していた本当の自分の姿————逃げた自分。
「・・・・。」
「また逃げんのかおまえは?オレはそんなの嫌だね。ついこの前までの蒼空の方が・・・・オレは好きだぜ。」


 司がガツンと蒼空に言ってから、一週間が過ぎた。あれから何も進展はない・・・というか出来ないと言った方が正しい。あの後蒼空は高熱を出してしまい、司でさえも面会に行けなくなってしまった。しばらく会ってなくて、さけられている彩華の方はだいぶ参っていた。ただでさえ心配性な所があるのに、色々と考えすぎて何だか上の空だ。
「ねぇ、司。・・・・私、嫌われちゃったのかな?」
「そんな事ねぇよ。ホラ、今はオレだって会いに行けねぇんだぜ?」
「でも私よりいいじゃない。もう三週間だもの。」
 彩華の口からはため息ばかりがもれる。
「それはっ・・・具合が悪————。」
「だからやめておけばって言ったじゃないか。」
 そこへまた魅令が話に割り込んできた。
「今からでも遅くはない。あんな奴放っておけばいい。」
 大輝はそう言いながら、彩華に顔を近づけてくる。
「・・・・それは出来ないわ。だって————。」
 彩華は大輝からはなれると、悲しそうな顔で・・・笑う。
「蒼空が大好きだから・・・。」
 熱烈な告白を聞かされてしまった大輝は、フッと小さく笑う。
「強いね君は。そうじゃないのはアイツだけのようだ。・・・・全く、本当に君は僕の愛した人にソックリだね。」
 大輝はそう言い残して、教室を出ていった。


 熱も下がってやっと調子が戻ってきて退院の話も出ていたのに、また具合が悪くなってしまったせいでそれは却下されてしまった。面会も控えた方がいいと言われ、最近は司にも、自分が会うのをさけている彩華にも会っていない。来るのは父と藤岡先生と看護師だけだ。こうも二人に会っていないと、無性に会いたくなってしまう。特に彩華とは・・・随分会っていない。
「・・・・。」
 彩華には会いたい。でも・・・会いたくない。
  ガラッ・・・。
 その時病室の扉が開かれ、誰かが入ってきた。今は検温の時間でも藤岡が来る時間でもなかった。病室の外には面会謝絶の札がかけてあるし、父親は今仕事中だ。では一体誰だろう?と不思議に思い、蒼空はゆっくりとベットから体を起こそうとして————。
いきなり胸ぐらをつかまれ、無理やりに体を起こされた。
「大河・・・・いつまでウジウジと悩んでるんだよ!」
 そこには思いもよらない人物が————大輝がそこにいた。
「あの勝負の時のような強気な君は・・・一体どこに行ったんだ!?」
「・・・・おまえには関係ないだろ。さっさと帰れよ。」
 蒼空は大輝と目を合わせようとはせず、ただ俯いたままそう言った。
「関係大アリだね。勝負に負けたからあきらめたけど、あの子にあんな辛そうな顔をさせている君が・・・ボクは許せないね。」
「・・・・。」
「君はあの子の為ならと何かを決意したんじゃなかったのか!?」
 大輝がつかむ手に、力が入る。
「そうだよ。僕は彩華の為なら・・・・ケホッ、何でもしようって、守ろうって決めたんだ。でも————。」
「じゃあ何なんだよ今の君は!守るとかほざいてた奴があの子を苦しめるような事をしてもいいのかい!?一度そうと決めたのなら————その気持ち、つらぬいてみせろよっ!!バカヤロウッ!!」
「わかって、る。そんな事・・・・ケホッ、わかってるよっ!!」
 蒼空は大輝をギッと睨みつける。こんな奴にそんな事を言われた事に腹が立つ。
「おいっ!おまえ、病人に何をしている!!」
 そこへ藤岡が入ってきて、大輝の手をつかむ。蒼空の胸ぐらをつかんでいた手がはなされ、蒼空は少し咳き込んだ。
「・・・・ケホッゲホッ、コホンッ・・・。」
 大輝は舌打ちすると、藤岡の手を払いのけて病室から逃げていった。
「全く、何なんだアイツは。蒼空、大丈夫か?」
「な、なんとかっ。ケホッ・・・ケホッ。」
 大輝がこんな所まで来るなんて、蒼空は思ってもいなかった。この間の仕返しというのではなく、彼は“つらぬいてみせろ”と言っていた。いつも女子達にヘラヘラしてるのとは違う、真剣な顔で・・・。
「————どうやら、熱は下がったみたいだな。一安心だ。」
 藤岡の声で我に返り、蒼空は顔を上げる。
「しかし当分、退院も学校に行くのも無理だな。最悪、病院で年越し決定の可能性は充分ある。」
「大丈夫だよ藤岡先生、もうそんな無茶しない。・・・・ってか体がムリ、ダルすぎる。」
「症状が安定すればまた学校にも行けるだろう。とにかく今は休んでおきなさい。・・・・さて、おまえに客人だ。」
「客人?僕って面会禁止のはずじゃないんですか?」
 蒼空は不思議に思い、首を傾げた。
「毎日毎日病棟のナースステーションに来て『今日は面会できますか?』なんて聞いてくるんだ。そんな奴放っておけなくてね。それに・・・おまえ達二人、ちゃんと話していないんだろう?司から色々聞いたぞ?」
 病室の外を見ると開けられたままの扉の先に、ベンチに座るあの子の姿が見えた。久しぶりに見る彼女の姿は、蒼空をドキドキさせる。サラサラするピンクががった髪、キスの感触・・・色々な事が頭に浮かんできて、思い切り抱きしめたい衝動に駆られた。
「蒼空、あまり女の子を泣かせるもんじゃない。・・・ちゃんと自分の気持ち、言ってやりなさい。」
 藤岡は蒼空の頭を優しくなでると、病室から出ていき、彼女に何かを話しかけて去っていく。
「・・・・えっと、その。」
 病室の前でどうしていいかわからないでいる彼女に、蒼空は笑いかける。
「いいよ、彩華。入ってきても。」
 そう言われて入る彩華だったが、蒼空のいるベットまでは近づけないでいた。
「・・・・ごめん。僕が全部悪いんだ。————怖かったんだ。僕がもし死んでしまったら・・・・残された君はどうなるんだろうって。」
 蒼空は震えてくる体を自分の手でおさえこもうとして、力が入る。
「そう考えたらっ・・・・君にどんな顔で、どんな風に接すればいいかわからなくなってっ。ずっと悲しみ続けてしまうなら、僕は消えてもいいって自分がいて。でもっ、でも離れたくない、自分もいてっ!」
「・・・蒼空。」
 彩華は彼がずっと抱え込んでいた気持ちを知った。でもなんて言ってあげたらいいのか、わからない。
「でもっ・・・・離れたくないからってこのままずっと一緒にいたら、ますます君に迷惑をかけてしまう。」
 藤岡についこの間、自分がどうなっていくのかを聞いた時だ。

————『今までは起きても小さな発作ぐらいだったが、これから先・・・発作の回数、症状が大きくなる可能性が高い。そうならない為の生活などの制限は、覚悟しておいた方がいい。』

 もしも一緒に生活するような事になっても、毎日毎日自分の病気の事で彩華の頭がいっぱいになって欲しくなかった。
「・・・・っ。蒼空のバカっ!!」
 そんな彼の言葉を聞いた彩華は、叫んだ。
「ねぇ、蒼空。誰がいつ・・・・迷惑だなんて言ったの?私、今まで一度だってそんな事思った事ないよ!ただ力になりたかったっ。司みたいにどんな時も力になれる、助けられるようになりたかった!」
 蒼空がこんなにも好きなのに、いざという時に力になれない自分では、もういたくなかった。司のように・・・いやそれ以上に力になれたらいいのに。
「・・・・今以上に僕、具合悪くなるの多くなるから、病院に行く事増えるよ?」
「いいの。その時は私も一緒についてってあげるから。」
「僕・・・・死ぬかもしれないよ?」
「そんなのわからないじゃない。それに今生きてるって事が大事なんだよ?だから、先の事考えたって仕方ないじゃない。誰だって死を抱えてるのは一緒だよ。ねぇ、蒼空・・・・私がちゃんと傍にいるから、前に進もう。ねっ?」
 蒼空は彩華を抱きしめたい衝動にかられた。こんな風に思ってくれる彼女が、愛おしい。けれど今の自分の体に立って歩くほどの体力はなく、離れた所にいる彩華に・・・届かない。「・・・・っ・・・。」
でも、それでも蒼空はベットから立ち上がろうとする。しかし、足に力が入らずその場に膝をついてしまう。とっさにつかまろうとしたベット脇にあった小さな棚から、花瓶が落下する。
「蒼空っ、大丈夫!?」
 駆け寄ってきた彼女を蒼空はすっと抱き寄せ————。
「——————。」
 蒼空はそのまま彩華を押し倒して・・・・深い、キスをした。

11話 未来と想い

11話 未来と想い


僕は人に言われないとわからない、バカな奴なのかもしれない。
1人でずっと考えて考えて・・・・みんなに怒られてから気づくから。
僕の生きる道を変え、幼い頃からずっと傍にいてくれる———司。
本当の僕の姿をすぐに受け入れてくれて、守りたいと思わせてくれる———彩華。
いきなり現れてきてケンカを売ってきたけど、自分の道を思い出させてくれた———大輝。
みんながいたからこそ、今僕は・・・ここにいる。


『明けましておめでとうございまぁす。』
 蒼空はベットに横になりながら、ボーッとテレビを見ていた。今日は年明け、お正月。そう、藤岡の宣言通り蒼空は病院での年越しになってしまった。外は当然の真っ白な銀世界で、いくら暖房がついていても寒い時は寒く、蒼空の体はなかなか安定した状態にならず退院できずにいた。
「・・・・ケホッ、コホンッ・・・。」
 外が寒いせいでいくら暖房をつけてもなかなか温まらず、今だ残る冷気が蒼空の気管を刺激する。
「なぁ蒼空、正月のスペシャル番組にあのドラマが来るらしくてよ、もうドキドキだぜっ!」
 面会に来ていた司が楽しそうに話してくる。
「・・・・ケホッ、ケホッ。またかよ、ソレ。で?今度は何作目のヤツの再放送なわけ?」
「それが聞いて驚け!見て笑え!なんと今までの三作全部だっ!」
「スペシャルでくるんだ。じゃあ少し見てみようかなその日・・・いつやるの、司?」
 同じく面会に来ていた彩華が笑いながらそう言いつつ、蒼空が先ほどからしている小さな咳を気にする。
「明日から三夜連続で夜9時からだぜ!さらに新作の劇場版の情報が見れるオマケつきだぁぁぁ!」
 司が目を輝かせながら、彩華に力説する。
「・・・・ケホッ。彩華、やめといた方がいいって。多分女の子が見ても・・・ケホッ。面白くないよ?」
「そんな事ないよぉ。私の友達で見てる人いるしね!」
「おおっ!その友達にはぜひ会って、語り合いたいね!」
「ってか司、“見て笑え”って・・・・ゲホッ、ゲホッ、意味わかんな、いし・・・ゲホッ、ゲホッ。」
 蒼空の異変に気づき、楽しそうに話していた司と彩華から、笑顔が消えた。
「また発作が出てきた?大丈夫?」
「・・・・ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ———。」
 横になっていられなくなり、蒼空は起き上がるとひどく咳き込んだ。
「・・・・っ。ゲホッ、ゲホっ、ヒューヒュー、ゴホッ、ゴホッ。ハァ・・・ハァ。」
「発作がひどいな。先生呼ぶか?」
 司がナースコールに手を伸ばしてそう言った。
「ごめっ。・・・・ゲホッゲホッ、ゴホッ・・・司、頼むっ。ゴホッ、ヒューヒュー。」
  コンコン・・。
 そこへタイミングよく藤岡先生と看護師が入ってきた。
「お・・・っと。少し様子を見に来てみればこれか。」
「せん、せ・・・っ。ゲホッゲホッ、ゴホッ。ハァッ、ハァッ、苦しっ・・・・ゼィゼィ。」
 藤岡はすぐに筒状の吸入器を出して、蒼空の口内へとしてくれた。
「ゲホッゲホッ、ゴホッ・・・・ゴホッ・・・ケホッケホッ、コホン。ハァッ、ハァッ。ふぅ・・・。」
 蒼空は何度か深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻してから言ってきた。
「こんな状態じゃ、いつになったら学校に復帰出来るか・・・わかったもんじゃないや。」
「ついこの前より症状は安定してきてはいるが、今のようなひどい発作が時々起きるのは・・・心配だな。だがまぁ、吸入器の薬もすぐ効くし近々退院しても大丈夫とは思うがな。」
「本当ですか、藤岡先生。僕、家に帰れるんですか?」
「色々と制限はつくと思うが、可能だよ。」
 また彩華や司と学校に行けるかと思うと、蒼空は嬉しくなった。
「よかったね、蒼空。また前みたいに一緒に学校、いこっ。」
「さすがにそろそろ学校行かねぇと、頭のいいおまえでも留年すっかもな。」
 素直に喜ぶ彩華に対し、司はやはり、いつものように蒼空をからかった。
「ちょっ、司。ひど過ぎだろソレ。1年近くいなかったわけじゃないんだしさ。」
 まわりの状況は変わってしまったけど、少しずつ・・・前のような日常が戻ってきていた。


  ☆    ☆    ☆
いつもいつも母親の事で辛い思いをしていた大輝の生活に、変化の兆しが見えはじめていた。
「母さん、具合・・・どう?」
 今日も学校の帰りに母親の病室に来ていた大輝は、いつもと同じ会話がまたはじまると思いため息をついた。

———『あら大輝、今日も来てくれたのね?』

———『大丈夫よ。それより聞いてよ大輝、さっきね父さんが来てくれたのよ。』

「ねぇ大輝・・・・昨日ね、前に私が使っていた手帳から、写真が出てきたの。」
「・・・え?」
 母親が枕の下に入れていた写真を大輝に見せた。それは父親が体調を悪くして病院に入院する前に撮った、家族全員が映った・・・最後の写真。
「父さん、持病を持っていたけど会社を立ち上げて頑張っていたのにね・・・。」
「・・・母、さん?」
 いつもと違う母親の様子に、大輝は驚くしかなかった。いつも父親が生きてる世界にいて、いない事に気がつくと暴れたりしていたのに・・・。
「父さん、病気治るといいのにね。・・・ねぇ、大輝。」
「・・・そ、そうだね。ボクもそう思うよ。」
 止まっていた母親の時間が、少しづつ動き出した。
  ☆    ☆    ☆


 蒼空は学校の冬休みが終わって新学期が始はじまった頃、学校に復帰していた。もちろん以前の時以上に、極力運動は避けるとか登校は父親からの車の送迎など、多くの制限をされてしまい、まるで小さい頃に逆戻りだ。でも、それでも蒼空は嬉しかった。いつものような日常に戻れた事が嬉しかった。
「なぁ司、魅令のヤツ・・・僕が入院してた時は来てたんだろ?何でいないんだ?」
「さぁ・・・。また母親の所にでも言ってんじゃねぇのか?」
「やっぱりそうなのかなぁ・・・?」
 そう言いながら何となく窓から外を見て、突然椅子から立ち上がる。
「どうしたの、蒼空?」
「・・・・魅令。」
 窓の外に見える校門の前に誰かが立っているのを見つけて、蒼空は教室を飛び出した。

  ☆    ☆    ☆
 母親は結局前のいた病院に戻る事が決まり、大輝は母を連れて今日この街を出ていく。医師と看護師の計4名で病院の車で行く事になる。
「あの、ちょっと止まってもらってもいいですか?」
 大輝は学校の近くまで来て、運転手である医師に声をかける。
「あぁ、ここは君のいた学校だったね。少しなら構わないよ、行ってきなさい。」
「ありがとうございます。すぐ戻ります。」
 大輝は車を降りると、学校の校門の前で足を止めた。
「少しの間だったけど・・・アデュー、僕の恋人達。」
 半年ほどしかいなかったけれど、去るのは名残惜しい。でもそれとは別に気がかりな事があった。自分がケンカを売ったあの病弱バカの事だ。ついこの間、我慢できずに面会謝絶にもかかわらず病室に入り、文句を言ってきてしまった。
アイツは一体・・・・あの後どうしただろう?
 大輝は冬休みが終わる頃に、学校に転校届けを出してきていた。つまり、ここにはもう戻らない。
「・・・ボクが気にする事じゃない、か。」
 しばらく学校を見つめ、その場を去っていった。
  ☆    ☆    ☆

 窓から見えたアレは、確かに魅令だった。蒼空はアイツに言ってやりたい事があった。人にはつらぬけだの言ったくせに、また不登校になった彼が許せない。
「・・・・ハアッ・・・ハアッ・・・。」
 教室から走ってきた蒼空は、途中まで来た所で呼吸が乱れてきてその場で立ち止まってしまう。深呼吸を繰り返して落ち着かせ、彼はまた走り出す。
 校門の所まで来て、そこから去っていこうとする背中に、声をかける。
「・・・・まてっ、魅令・・・っ!ケホッ、ケホッ・・・。」
 振り返った彼が、驚いた顔をしていた。
「君は・・・大河?病院にいるはずの奴が、何でここにいるんだ?」
「・・・・ケホッ、ケホッ・・・ハアッ、ハアッ・・・。」
 また苦しくなってきて、蒼空は深呼吸を繰り返し落ち着ける。こんな体とこれから先付き合っていく以上、少しでも発作をコントロールできればいくらかマシになる。大きな発作は無理でも、小さな発作くらいなら吸入器も使う事なく、抑える事が出来るようになってきていた。
「おいおい・・・まさか病院抜け出してきた、とか言わないでくれよ?」
「・・・・ハアッ、ふぅっ。そんな事するかよ・・・ちゃんと退院してるよ。」
 よく見れば蒼空は制服を着ていた。上から白いカーディガンを着ているせいでよく見えなかった。
「ふぅん・・・。じゃあ学校には行ってるんだ。そんな体でも。」
「今までより不便だけど、仕方ない。・・・・って言うかおまえ、面会禁止なのに入って来るなんてありえないだろ。僕の先生、凄い怒ってた。————でも。」
 蒼空は一度言葉を切り、ゆっくりと続ける。
「おまえに怒られたのは、効いたよ。・・・・本当は言いたくもないけど、ありがとう大輝。」
「・・・・別に君を助けるためにしたわけじゃない。辛そうな顔してた、あの子のためだ。———さて、ボクはそろそろ行かせてもらうよ。」
「もうここには戻らないのか?」
 何かを察した蒼空は、大輝にそう言った。
「戻らない。前にいた所に母と帰るからね。アデュー、蒼空・・・。」
 大輝はそう言って、手をひらひらと振りながらその場を去っていった。



 大輝がいなくなってからの学校は、また以前のような姿に戻っていた。あのやかまし過ぎる黄色い声は減った。もちろん蒼空の人気は相変わらずで、女子からも男子からも人気者だ。それに最近では司の人気も密かに上がっているらしい。病弱な彼を守る姿がカッコイイとか、よくわからないが受けとか攻めとか・・・とにかく色々だ。
「なぁ蒼空、人気者になるって・・・こんなにいい事なんだなっ!」
 目をキラキラさせながら、手にラブレターとチョコを抱えて司は言う。
「嬉しそうに言うなよ、全く。その倍をもらってても先生に制限されてるから、僕はどうしたらいいかわからないっていうのにさ。」
「・・・・アヤちゃんがいるのに、か?」
「そ。“いるから”、だよ。時々痛い視線を感じるし、よく思ってない奴がまだいるみたいだ。」
 前のガラス事件は、その女子達の仕業に違いなかった。
「そういや蒼空、朝からアヤちゃん友達と話してばっかだな。・・・ってか本命からはもらったのかよ?」
 司は肘でどついて、蒼空をからかった。
「まだ。・・・・って言うか、これからかな?」
 蒼空は机の中から一枚の便箋を出して見せた。
「今日の昼休みに屋上で・・・らしい。」
 その紙の差出人は彩華で、ちゃんと蒼空宛てだ。

『今日の昼休み、屋上で待ってるから来てね。ちゃんと待ってるから、ゆっくり来てね!』

「ぷっ。手紙にもしっかり気ぃ使ってるってまるわかりだな。アヤちゃんらしいぜ。」
「まぁね。・・・・じゃあ僕、その為の体力温存しなきゃいけないから保健室行くね。」
「おい・・・大丈夫か?」
 蒼空が胸元を押さえているのに気がついた司は、心配そうにそう言った。
「だ、大丈夫だよ・・・。ちょっと動悸が、しただけ・・・・っ。」
 そんな様子に気づいたのは司だけじゃなかった。少し離れた場所で友達と話していた彩華も気づいていたらしく、すぐに駆け寄ってきた。
「何だよ、彩華まで。発作じゃないから大丈夫だって。・・・・お昼、屋上でな。」


 蒼空は保健室に来るなり、すぐベットに横になった。
「今日は調子悪そうだね。大丈夫?・・・熱は、ないみたいね。」
 保健室の先生が蒼空の額に手を当ててくる。
「大、丈夫です。ちょっと・・・・息苦しいだけなんで。少し休めば落ち着きます。」
 学校に復帰してからというもの、時々起きているのが辛くなってしまい、こうして保健室で休んでいた。少し横になれば良くなるので、蒼空はこうしていつも来ていた。
「まぁ、ゆっくり休みなさい。何かあれば呼んで頂戴。」
 先生はそう言って、カーテンを閉めてくれた。
「・・・・ツっ・・・。」
 また動悸が起きて、蒼空は胸元を、軽く押さえた。
(何だ・・・・いつもと違う。胸が・・・痛いっ・・・。)
「・・・・ケホッ、ケホッ、ケホッ。・・・ゴホッ、ゴホン。」
 痛みはすぐに治まったが、そのせいで軽い発作が起きてしまう。いつもと同じようにゆっくり呼吸を繰り返して、それを落ち着ける。
「・・・・ゴホッ、ゴホッ・・・。ハァッ、ふうっ・・・。」
 発作が治まると、蒼空はそのまま眠りに落ちていった。


「おーい。蒼空、時間だぞっ!」
 そう声をかけられて、蒼空は目を覚ました。
「あれ・・・・僕、いつの間に寝たんだろう?」
「ここに来て早々、少し発作起こして・・・その後かしらね。どう、調子は?」
「あ、はい。さっきよりは、いいです。・・・ありがとうございました。司、行こ。」
 蒼空はベットから出ると、司の手を引いてさっさと保健室を出た。
「さっき発作起こしたのか、おまえ。」
「うん、まぁ。・・・・すぐ治まったけど。」
 司にそう聞かれて、曖昧に返事をする。
「・・・・まだ何か、隠したりしてないよな?」
 わざと言わなかったのに、やはり司にカンづかれてしまった。でも今それを言ったら、司は病院に行こうと言うに決まっていた。彩華との約束を蒼空は破りたくなかった。だから蒼空は・・・嘘をついた。
「してないってば!気にしすぎだよ、司。発作はいつもの事だし、大丈夫だよ。」
「ならいいけどよ・・・。無理すんなよ、蒼空。」
「うん・・・わかってる。じゃあちょっと行ってくるね。」
 屋上に行くための階段まできた蒼空は、そう言ってゆっくり階段を登りはじめる。
「オレはここで待ってるから、しっかりチューして来いよっ。」
「何言ってんだよ、バカっ。————ツっ。」
 一歩一歩上を目指して行くが、またも動悸が起きてきて、少し胸が痛い。司に背を向けていた為、蒼空が胸元を押さえていたのは見えなかったらしい。
(もう・・・・何なんだよ、コレ・・・。)
 やっと登り切って屋上に出ると、フェンスを背に床に座る彩華がそこにいた。蒼空はふうっと息をつき、彩華の隣に座る。
「全く、僕に階段登らせるなよ・・・。」
「ごめん。だって・・・・人けのない所ってココしかないんだもん。だから書いておいたでしょ?ゆっくり来ていいよって。」
「わかってるから、あやまるなよ。・・・・で、何?」
 そう聞かれた彩華は少し顔を赤くして、小さな袋を差し出した。
「これ・・・っ。受け取ってくださいっ!」
「やっぱ、手作り・・・・?」
 受け取ったのは、今日ほかの女子達からもらったのと同じチョコだった。もちろん今は、チョコなんて制限があるせいで食べれない。だからもらっても今は困りものだ。
「手作りだけど、食べても大丈夫だよ!蒼空の先生に、食べても大丈夫な量とか色々聞いて作ったから。」
 やはり彩華は違った。他の誰より自分の事をわかってくれている。そんな細かい所まで考えて作ってくれる気持ちが嬉しかった。
 蒼空は早速包みを開けて、一口食べた。ピンポン玉くらいの大きさの小さなチョコが何個か入っている、甘さ控えめの手作りお菓子。久しぶりに口にする蒼空にとっては、充分甘かった。
「・・・・てっきり他の子達みたいに同じヤツかと思ってた。ありがと、彩華。」
 蒼空は彩華に軽く、キスをする。
「そんな事っ、するわけないでしょ!蒼空のばかっ。」
 いきなりのキスに彩華は顔を赤くして、そっぽを向いた。
  しかし———。
 そんな幸せの時間は・・・・長くは続かなかった。


  ☆    ☆    ☆
「————ツっ!!」
まただ・・・。胸が何かに圧迫されているみたいで、苦しい、痛い。発作とは違って、ただ痛みが治まるまで耐えるしかない。
「!?・・・・ちょっと、大丈夫?やっぱり私、マズイ事したかな。」
「・・・・ちが、う。ハアッ、彩華のせいじゃ・・・な————ツっ。」
僕は胸を押さえて痛みに耐えながら、そう言う彩華の言葉を否定する。
「でもっ・・・食べたらそうなったし。」
「・・・・朝からっ、調子悪かった、んだよ。ハアッ、ハアッ・・・彩華も、気づいてた、だろッ。」
でも話せば話すほど苦しくなってきて、呼吸が出来なくなっていく。
さすがにいつもと違う事に気づいて、僕はポケットからケータイを取り出して何とか言葉を口にする。
「・・・・ハアッ、ハアッ。あや・・・か・・・・びょう、いん————ッ。」
起きているのも辛くなってきた、僕は彩華にもたれかかって必死に呼吸を繰り返す。
「・・・・ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・。」
痛みも呼吸も一向に治まらない。さらに胸の痛みが強くなって、僕は咳き込んだ。
「・・・・ハアッ、ハアッ。————ツっ!?ゲホッ、ゲホッ・・・。」
「蒼空!大丈夫っ!?ねえっ・・・。」
彩華・・・頼むから、早く病院に行かせて。そう言ったつもりだったけど、呼吸するのに必死で言葉にする余裕はなかった。
「————ツ。ゲホッ、ゲホッ・・・・ヒューヒュー、ゴホッゴホッ。」
「蒼空、大丈夫か?今救急車呼んだから、それまで頑張れ。」
目の前に司の姿が見えて、僕はホッとした。近くで待っていてもらったのは正解だったらしい。きっと彩華が叫んだ声に気づいて、来てくれたんだろう。
「・・・・ハアッ、ハアッ。ゼイゼイ・・・つか、さ・・・ゲホッ、ゴホッ。」
「発作がひどいな。蒼空、コレ・・・しよう。」
 司はどこからか吸入器を出して、僕にそれをしてくれる。
「・・・・ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・ゲホッ、ゴホンッ。」
 少しはマシになったけど、完全には治まってはくれなかった。必死で呼吸していないと、尚更苦しくなる。
「まずいな・・・。こんなにひどいのはオレもはじめてだ。」
「蒼空っ、しっかり!救急車すぐ来るから。」
 心配そうに僕を見る二人の声がどんどん聞こえなくなっていく。自分の呼吸の音だけが強く聞こえてくる。
 僕の意識は、そこで————途切れた。
  ☆    ☆    ☆


 救急搬入口にストレッチャーで運ばれてきた蒼空を、藤岡は待っていた。
「状況は!?」
「心拍数が上昇、呼吸困難を起こしています。意識レベルも低いです。」
 救急隊員の1人が手動式の人工呼吸器を動かし、蒼空に酸素を吸入しながらそう言った。
「蒼空、私の声が聞こえるか!?わかるなら返事をしろっ!!」
「・・・・ハアッ、ハアッ、ハアッ・・・。」
 荒い呼吸を繰り返すばかりで、返答はない。
「出来ないなら手でもいいから返事をしろ!」
 そう言うと、蒼空の手が小さく動いた。
「よし。一体何があった!?急な発作か!今、痛い所はあるか!?」
「・・・・ハアッ、ハアッ、ハアッ。————ね、ハアッ、ハアッ。————むね・・・・いっ。」
 蒼空はうっすらと目を開けて、必死に伝えようとする。しかし、途切れ途切れに言うのが精一杯だ。
しかし藤岡にはそれで充分だった。彼が言いたい事はしっかりと伝わっていた。
「蒼空、いつもの様に深呼吸しろ。大丈夫だ!」
「・・・・ハアッ、ハアッ、ハアッ!!」
 だが症状は悪化する一方だった。唇が紫色に変色していく。

————僕、生き延びられるかな・・・。

「マズイな・・・・。チアノーゼが出てきたか。」
「・・・・ハアッ!ハアッ!ハアッ!」
 このまま呼吸困難が続けば、死に至る危険性もあった。喘息による発作で呼吸困難を起こし、死亡したケースは多い。つまり蒼空は、その危険な位置にいた。
「急いで処置室へ頼むっ!!」

————それとも僕、ここで終わっちゃうのかな・・・?


 運ばれた処置室で、心電図モニターの危険アラートが鳴り響いていた。
「蒼空っ!しっかりしろ!!」
 意識レベルはさらに低下し、いくら声をかけても反応はない。呼吸も弱く、心拍数も下がり、命の危険にさらされていく・・・。
「こんな所で終わってしまってもいいのか!蒼空っ!?」

————母さんと同じように、なっちゃうのかな・・・。

 先ほどとは違う危険アラートが鳴り響いた。————呼吸停止、心拍数のさらなる低下・・・。
「クソッ!!このままではっ・・・。おいっ、除細動器をチャージしろ!!」
 看護師が動いて、言われた物の準備をする。
「先生っ、チャージできました!」
「よしっ!作動させるぞ。離れてっ!!」
「ダメです!心拍数戻りませんっ!」
「クソッ!もう一度だっ!!」


————嫌だ。生きたい・・・・生きたいよ。

最終話 僕の選ぶ道

僕はあの時、何となくわかっていた。
生か死か————。
その道が決まる時だったんだろうって。
苦しむ中で、そんな事を考えていたんだ。
もち
ろん僕は・・・・。
生きる道を————選びたかった。


銀髪の小さな男の子が、部屋の中で元気に駆け回っていた。
「こらっ。あんまり家の中走り回っちゃダメでしょ?」
 少しピンクに色づいた髪をした女性が、その子に注意する。
「はぁい。ごめんなさい、ママ。」
「そんなに怒らなくたっていいんじゃないか?遊び盛りなんだからさ。」
 部屋にある机に向かって、パソコンをいじっている銀髪の男性が言う。
「・・・・だって。」
「心配しすぎなんだよ、彩華は。僕のが遺伝しなかったんだし、大丈夫だって。————ケホンッ。」
 先ほど怒られた事も忘れて、男の子がその男性に抱きついた。
「パパー!遊んでー!」
「おっ。元気でいいなぁ、勇太(ユウタ)は。でもな、パパこれから病院に行かなきゃいけないから今はダメかな。」
 それを聞いて残念な顔をするのかと思いきや、勇太は笑顔を見せる。
「そっかー。パパ、先生の所に行くんだね。じゃあ僕、準備するぅ。」
 そう言って自分の部屋に走っていく勇太が、何とも微笑ましい。
「全く、一体誰に似たんだろうね。————ケホッ。」
 こんな小さな時から、勇太は父親の体の事をしっかり理解していた。無理をさせてはいけない事も、病気の事も・・・。
「もうっ、あなたにでしょ?蒼空。・・・・優しくて、頭がいいし・・・カッコイイし。」
 蒼空はクスクスと笑って、彩華にキスをした。
「最後にボソボソ言ってたのは・・・誰の事?僕?それとも勇太?」
 わざとらしく言う彼に彩華の顔が赤くなる。
「言ってないもん、何も。・・・ほらっ、そろそろ準備しないと遅れるよっ!」
「はいはい・・・。」
   ~♪ ~♪
 その時玄関のチャイムが鳴った。蒼空はすぐに玄関に行き、扉を開けた。
「よっ!元気か、蒼空?」
「おー、司。久しぶりじゃないか。どうしたんだよ今日は?」
「急に休みがもらえたから会いに・・・・って出かけると事だったか?」
 蒼空の後ろに、準備万端の彩華と勇太がいた。
「うん、まあ・・・。これから定期検診に、先生の所に行くんだ。」
「じゃあオレの車に乗れよ。おまえらと話してぇし。」
「でも・・・・時間かかると思うよ、検査。————った!」
 司は蒼空の額にデコピンをかます。
「何言ってんだよ。親友のオレに遠慮すんな、バカ。」
「ありがと、司。」



病院に来た蒼空は一通りの検査を終えて、診察室へ呼ばれるのを待っていた。
「ねえ・・・蒼空?」
 彩華が眉根をよせて、蒼空をじっと見つめた。
「何・・・・?—————ケホンッ。」
「今日・・・やっぱり調子悪いでしょ?朝から時々、咳してたし。」
「うん、少しね・・・・。今日はさすがに、何か言われそうだな。————ケホッ、コホンッ。」
 ぴったりと蒼空にくっついていた勇太が、心配そうな顔をする。
「パパ・・・大丈夫?」
「大丈夫だよ、勇太。大した事ない。————ケホッ、ケホッ。」
 勇太の頭を蒼空は優しくなでる。
「蒼空、ちょっと測ってみて。」
 いつの間に借りてきていた体温計を、蒼空に差し出した。
「大丈夫だって。さっき検査で測ったけど、平熱だったし。」
「いいからっ!」
 蒼空は仕方なくソレを受け取り、体温を測る。少ししてピピピと音が鳴り、表示される数字を見つめた。
「・・・・げ。上がってるし。」
「37.7℃・・・・やっぱりね。なんかそんな気がしたんだよね。検査で疲れたんじゃない?蒼空、大丈夫?」
 本人も気づいていないのに、彩華はそんな変化も感じ取っていた。
「うん・・・・大丈夫。」
 一緒に暮らし始めてからの彩華は、何かあった時の頼りだった。心配をし過ぎてしまうけど、もしかしたら司よりも敏感になったのかもしれない。
「————大河さん、診察室へどうぞ。」
 看護師から名前を呼ばれて席を立つと、蒼空は勇太の頭をなでた。
「今日は司とここで待ってろよ、勇太。————ケホッ、コホッ。」
 勇太はコクリと頷き、司の隣に座る。たまに来てくれる司は、勇太のいい遊び相手だった。父である蒼空とは出来ない体を動かす遊びなんかは、彼がいつもしてくれていた。
「勇ちゃんは任せろ―。」
 司は当たり前のように勇太を引き受ける。
「おー。頼んだー。」
 蒼空は彩華と二人、診察室に入っていった。


「こんにちは、先生。今日はよろしくお願いします。」
 彩華がれいぎ正しくペコリと頭を下げる。
「・・・・ケホッ・・・ゴホッ、ゴホッ。」
 入ってきて早々咳をする蒼空に、藤岡は息をつく。
「ああ、こちらこそ。・・・やはり、調子が悪そうだな。思った通りだ。」
「あ、先生・・・さっき体温計をお借りして測ったら、上がってました。」
 彩華が先ほどの体温計を藤岡に渡した。
「・・・・さっきの検査の時より、上がってるな。」
 ふと、彩華が蒼空を見ると彼が胸元を押さえていたので、慌てた様子を見せた。
「蒼空!?大丈夫!?」
「・・・・ハアッ。大、丈夫だよ。ただの・・・動悸っ。」
 高校に通っていたあの時に起きた、大きな発作の時以来・・・蒼空は不整脈気味で、動悸を起こす事が増えてしまった。その他には大した変りもなく、今まで過ごしてきた。
 藤岡は聴診器を手に診察をはじめた。しばらくして、一通り終えた彼が言う。
「・・・・軽い風邪だな。早く家に帰って休めば大丈夫だろ。検査結果の数値も少し低いが、これくらいなら心配ない。」
「そっか・・・よかった。」
 蒼空はそれを聞いて、胸をなでおろした。一度大きな発作を起こした事があるからか、時々考えすぎたり、突然恐怖感が襲って来て、震えが止まらなったりする。
「今日はこれで終わりにしよう。いつもの薬と風邪薬を出しておくからな。じゃあ・・・また次回な。」


 診察室から出てくると、すぐさま勇太が蒼空にひっついてきた。
「パパっ、抱っこしてっ!」
「何だよ勇太。今日はずいぶん甘えんぼさんだな。」
 蒼空は勇太を軽々と抱き上げた。キャッキャと嬉しそうにしている息子の姿は、不安な気持ちを忘れさせてくれる。
「で?先生なんて言ってたんだ?アヤちゃん。」
「軽い風邪だって。蒼空、今日はもう家に帰ろう?」
「そうしてくれると助かる、かな。————ケホッ、ゴホッゴホッ。」
 頭が少しボンヤリしてきているし、咳も少し辛かった。
「ならオレ、先に行って車出してくるわ。おまえ達三人は正面入り口あたりにいてくれよ。」
 司はそうい言って、さっさと行ってしまう。
「勇太、パパ少し具合が悪いからこっちにいらっしゃい。」
 蒼空の体を気にして彩華はそう言うが、勇太は首を横に振った。
「ヤダッ。今日はパパがいいの!」
「ダメよ、勇太。ワガママ言わないの。」
「彩華、いいよこのままで。僕にはこういう事ぐらいしかしてやれないんだ。一緒の走ったりとかなんて、してやれないんだ。今も・・・これからも、ね。」
 蒼空は勇太の頭を優しくなでながら言った。
「でもっ・・・。」
「まだ・・・・大丈夫だから。ありがと、彩華。」
 彩華に唇が触れ合うだけの、軽いキスをした。
「蒼空ってば・・・こんな所でダメだよ。」
「本当はもっとしたいんだけど、ね。————愛してるよ、彩華。」
「うん。私も愛してるわ・・・蒼空。」


 家につくなり蒼空は、玄関でふらついてしまった。視界が歪んで見えて、倒れそうになる。
「・・・っ・・。」
「・・・っと、大丈夫か蒼空?」
 司が反射的に蒼空の手をつかんで、倒れそうになった彼を助けた。小さい頃から色々と助けたりしていた感覚は、大人になって離れてもいまだに健在だった。
「・・・うん。ありがと、司。」
 そんな様子の蒼空を心配性の彩華が放っておく訳もなく、「ベットで休んでて!」と言われ「大丈夫だよ」と言ってもダメで、蒼空は仕方なく寝室のベットに横になる。
「・・・・ふう。」
 実際起きているよりも、今こうして横になっている方が体が楽だった。自分じゃこれくらい平気だと思っていても、体の方は全然大丈夫じゃないのかもしれない。
 そこへ彩華が氷枕と体温計を手に入ってきて、蒼空に体温計を差し出した。
「何だよ、また測れって?大丈夫だって。」
「ダメ!ちゃんと測って。」
 なんだか今日の彩華はいつもと違って、怖いというかなんというかそんな感じで、逆らえない気がした。
「はいはい・・・。」
「ねえ、蒼空。昨日・・・夜中まで仕事してたでしょ?」
 ギクリと蒼空の肩が反応した。
「やっぱり。朝から少しだけ咳が出て熱出すのは、大体そういう時だもの。」
「・・・・・。」
 返す言葉がなかった。蒼空は父親がやっているコンピューター関係の仕事を手伝っていた。大体が自宅での仕事で仕事場でする事はほとんどなかった。今回もいつものごとく父から頼まれた仕事をしていて、昨日は没頭し過ぎたせいで寝るのが遅くなってしまった。気づかれていないと思っていたのに、やはり彩華にはバレバレだったらしい。
  ピピピ・・・。
 体温計が鳴って、蒼空はまた表示されたソレに驚かされてしまう。
「・・・・げっ。また上がってるし。———————ケホッ。」
 彩華が体温計を受け取り、ため息をつく。
「38.2℃。・・・氷枕決定だね、蒼空!ハイ。」
「『決定だね』って・・・・彩華、なんか朝からっ・・・ケホッ、怖いんですけど。」
「私怒ってるんだからねっ!無理するなっていつも言われてるのに無理するし!それで熱出して具合悪くなって・・・・。もうっ・・・心配させないでよぉっ。」
 彩華は怒った顔をしていたがどんどん顔をうつむかせて、それと共に声が小さくなっていく。
「・・・・またあんな事にっ、なって欲しくっ、ないよぉっ・・・。」
 高校の時に起きた彼の命の危機・・・・そんな事がまた起きてしまわないかと、彩華はそれがいつも怖かった。
 蒼空はそんな彩華を優しく抱きしめた。
「ごめん、彩華。でも・・・・これが僕の幸せなんだ。藤岡先生、父さん、司、勇太・・・そして君がいるだけで、僕はいいんだ。出来ない事が多い僕が出来る、数少ない事—————少し無理したっていいから、出来ることがしたいんだ。それが僕の・・・生きる道だから。」
「・・・・蒼空っ。」
 泣き過ぎてうるんだ眼をしている彩華の姿が、蒼空をドキドキさせた。何か別の欲求が・・・出てきてしまう。
「ねえ・・・彩華。僕っ、ダメかもっ・・・・。」
「・・・えっ?・・・・あっ!」
 蒼空はベットの上に彩華を押し倒して、彼女を見下ろした。
「可愛いよ、彩華・・・。」
「蒼空・・・ダメだってばっ。熱があるのにっ!」
 彩華は何とか逃れようとしたけど、押さえられた手はビクともしない。
「ダメだっ・・・・。」
「「—————。」」
 蒼空は・・・・優しく、深いキスをした。


僕はあの時、一度死にかけた。

 苦しくて、辛くて・・・・でも、必死で生きようとした。

 でも、もうダメかと思った時—————声が聞こえたんだ。

 『ダメよ。あなたは私みたいになってはいけないわ。生きるのよ————蒼空。』

 懐かしい声が、僕に生きる力をくれた。

 死んではいけないと、生きたいと・・・・強く願った。

 愛する人を・・・・ひとりぼっちに、したくなかったんだ。

Hearts~love first~

Hearts~love first~

大河 蒼空(タイガソラ)は運動神経も頭もいい普通の高校生。 しかし母親からの遺伝のせいか、小さい頃から身体が弱く、病院に通院せざるおえない生活。 そんな蒼空に訪れた、春野 彩華(ハルノ アヤカ)との・・・恋のお話。

  • 小説
  • 中編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2011-11-09

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND
  1. 1話  いつもの日常、出会い
  2. 2話 蒼空と彩華
  3. 3話 変わる二人、隠し事
  4. 4話 蒼空と司
  5. 5話 変わる蒼空、前兆
  6. 6話 日常の変化、心配
  7. 7話 蒼空と転校生
  8. 8話 決意と戦い
  9. 9話 蒼空と大輝
  10. 10話 ココロとカラダ
  11. 11話 未来と想い
  12. 最終話 僕の選ぶ道