practice(54)



五十四







「時間は,いい。通報者は彼なんだな?OK,じゃあその彼が伝えた『その時の状況』ってやつをもう一度言ってくれないか?」
  現着を伝える隊長は車両に内蔵されている無線機のスピーカーを引っ張って,開けっ放しの助手席のドアにタイピングの指使いを見せながらその事を聞いている。覚えているのか,検討をしているのか。そのまま報告書に仕上がりそうな勢いをみせて,でもそれは提出の日を見ない。どれだけ陽気にバーや駐車場で酒を酌み交わしても,隊長の考えていることは俺たちの目の前で捲られることはない。自室で捲られる手記よりも秘密だ。きっと革の表紙は皺だらけで,長い文章の古語で書かれている。
「ああ,そうでもない。」
 と答える隊長は指だけで俺たちに指示を出す。万端の装備も道具も整えて,俺たちは目の前の広場へと向かった。
 国立公園として作られたここには同じような広場がいくつかあって,どこも同じように中心に向かって下るような傾斜がついて舗装されいる。それは中心から見れば外へ放射状に広がっていく形に見えるだろう,だが円柱によって支えられたアナログの大時計がその真ん中にあるのはここを含めて公園の西側入口にあるだけで,あとは公衆トイレとともに気まぐれに足を運んだランナーが目に留めるかもしれない,ここだけだ。住宅地が特に近くにある訳でもなし,だから閑散としている広場のここで,彼らが待ち合わせをした理由は分からない。ある程度不健全な男女のカップルとして,長い付き合いをしてきたような落ち着きを見せている彼らのどちらにはおかしいところは見当たらない。大時計の円柱に凭れて待っていた彼女を,待ち合わせ時間に早めに来たりしなかった彼が見つけて手を取った,そんな青春の一ページな雰囲気。近づいている俺たちの足音に,二人して気付いていないのも夢中であるため。死線をくぐり抜けてきたヨハンソンにだってありそうな経験だ。取り立てて急な用事のない,神様だって邪魔をする必要はない。ハンバーガーのランチに,サラダボウルを積み上げる俺たちだって,そんなに無粋じゃない。
「動かないで!大丈夫,大丈夫だから。」
 先頭に立っていたリックが声をかけて,顔をこちらに向けようとしていた彼らを念のために制止した。遠目であっても彼の鼻筋や,彼女の頬のそばかすが特徴として識別出来る距離になって,彼らの間に流れている緊張感が手に取るように分かる。確かにそこに流れているのは俺たちが経験してきた現場に限りなく近いものだ。ここに来るまでに,隊に伝えられた情報を聞くだけでは何かのイタズラとしか思えていなかった。それは誰しもだ,隊一の慎重派を誇るフランクも俺と顔を見合わせて「まさか?」という仕草を見せていたのだから。しかしここに至って認識は一変した。確かにここには俺たちの仕事がある。
「確認するね。君が,◯◯君,通報をした子かい?」
 リックが彼に話しかける。彼はゆっくりと頷き,彼女の手を取っていないもう片方の手でセルラーフォンを見せた。今度はリックがそれを認めて頷き,彼女の方に「大丈夫かい?」と落ち着きを込めて言う。彼女はこちらを向かなかったが(というより事態の中心にあって,向くことが叶わないのかもしれない),大丈夫という返事をした。結果として,対面する彼にした横顔の頷きに俺たちはそれを確かめた。円柱の大時計は午後の四時を,三十一分と過ぎていた。
「待ち合わせには,遅れたのかな?」
 リックの質問に,彼と彼女の返事は食い違った。そして彼女が彼を睨み,彼は首を振ることを止めた。
「なるほど,これじゃ,彼は謝ってもいない?」
 とこれは円柱の大時計に背を凭れかけさせている彼女への確認。彼女は思わず勢いをつけてリックを見てしまい,縦に数度と頷いた。それで何も起きなかったことに,俺たちは内心安堵した。
「なにか,理由があったんじゃないの,彼は。」
 交渉役のようなものを引き受けて,リックは彼の弁解を彼女とともに聞き,彼女の反論を彼とともに聞いていた。その間,俺たちは辺りの様子を探り,下る傾斜の上に仕掛けに使ったと疑われる異物が何もないと判断をして,彼女と円柱の大型時計を見上げた。また一分と過ぎていた。
「浮気なんじゃないのか?」
 よく通る声で,俺たちの背後から,俺たちを跨いで,投げかけられたその疑惑は停めたバンから傾斜を下って,こちらに姿を見せる隊長よりも早く着いた。それで心当たりがあったのか,ここにいる誰よりもそれをしかと受け止めた彼女は目の前の彼をキッと睨み付け,そうなのかどうなのかと詰問を始めてしまった。「落ち着いて,落ち着いて!」とするリックが間に入ろうとするも彼ごと外に弾かれる。ことここに至って,悪化したとしか思えない事態の進展に嘆息をする俺たちを尻目に,ずんずんと隊長は円柱の側まで進みそれを誰よりも近くで確かめて,金属の手触りを確認し,戻って来て混ざった俺たちの間で,リックと二人を眺め始めた。一分はまた過ぎていった。
 俺は流石に隊長に言った。
「隊長,どうするんですか。これ,明らかに隊長のせいだと思いますが。」
「うーん?なに,リックがどうにかするさ。現に今も奴は頑張っている。」
 と肩を竦める隊長に,フランクも流石に進言する。
「いえ隊長,あれは取りつく島がないという状態にあると認識すべきだと思いますが。」
「それでいいんだよ。それで。」
「文字通り,丸投げですか?」
 ハッ,と鼻で故意に笑い,俺は隊長に続けて言った。
「隊長ともあろうものが,その被害を十分に認識しておられないと見える。」
 そう挑発して,俺は隊長の背中を見ていたが隊長は微動だにせず,彼に食ってかかろうとする彼女の背中を円柱に押さえつけるリックの努力を冷たく見続けていた。
「分析課の報告によるとな,ポイントは結局,円柱の大型時計にその身を接している彼女の感情,円柱の大時計と接着して固着してしまったそれになるそうだ。待ち合わせに遅れたのかどうかなんて知らん,しかし彼女はそう認識してそれをきっかけとした。彼への不満,彼への疑い。それはタイマーのスイッチのようで,しかしモノをこさえる材料のすべてでもある。それをここに形として表させなければ,我々は処理を進められない。勿論,振幅次第でことの成り行きが決まってしまう,お前が私の代わりに想定したことだってな。」
 そう言って隊長は横目で俺を見る。その皮肉は教えるようで,とても笑っていた。
「浮気の事実を適当に言いふらしてでもですか?」
 それでも,と最後の抵抗として皮肉屋のトマスが俺の後ろから隊長に言ったことはアイスキャンディーよりも簡単に当たったようで,隊長は一応侘びらしいものを俺たちに見せた。それが彼でなかったのは,彼がとても忙しかったからだろう。取り繕うような素振りは何も見せず,隊長は俺たちに言った。
「まあ,どうせ類を見ない新ケースで,簡単にはいかないんだ。最悪,彼らとここにいる我々の隊が取り敢えず吹っ飛ぶだけと割り切って,多少は無理してでもやるさ。」
 なあ?,と隊長は振り返った。歴戦の勇姿,奥さんに頭が上がらない事実はほんの片隅に置いて,俺たちはそれぞれの意思をイエッサー!と威勢良く示した。俺たちは俺たちの最善を尽くす。俺たちはプロフェッショナルなのだから。俺たちはそう一つになって,彼女に引っ掻かれも始めたリックの悪戦苦闘っぷりを優しく見つめ直した。
 時刻はたっぷり,五分を過ぎていた。
 それからの過程はどこにでもあるものだ。
 過去も過去から炙り出されていく彼らのエピソード,その裏に隠されていた彼女の思い。そのエピソードすらも覚えていない彼の生返事に,彼女の怒りは止まらない。事態は混迷を来たし,ボロボロのリックの精も魂も尽き果てる。恐らく隊長も含めて俺たちの誰もが覚悟を決めたとき,彼女に突き飛ばされたジャケットのポケットから一つの箱が,カコンと落ちた。
「お,イケるんじゃね?」
 いまどきの言葉で希望の兆しを簡単にまとめた新人のジョンが発したとおり,憤りの限りを尽くしていた彼女はその箱によって変わった。見るともなく見て,やっぱり見て,彼に「これは何?」と聞きたいけれど,これは何とも聞きたくない。淡い期待,公園内のどこかで高らかとクラリネットを練習する音が聞こえる。
「リック!」
 機会(チャンス)を逃すなと,リックに喝を入れた隊長の気迫に押されて,箱を拾い上げたリックは彼にそれを手渡し,大きく頷いた。彼はそれを手に取り,それを見つめて,リックを見つめて,それを見つめて,まるで意を決するための時間をたっぷりと過ごしたいと言わんばかりの逡巡を見せていた。
「実は浮気相手にあげるものだったりして。」
 と誰しもがちらっと思い始めたことを口にしたジョンに誰かが脇腹に肘鉄を食らわして,俺たちは彼を信じた。時間はない。刻一刻と,その時が迫る。隊長はああ言ったが,それでも強行的手段を検討していた俺は同じことを考えていたように,装備品の握り締めていたフランクと目配せをする。出来ることはやる,出来るうちに。それが俺たち,ここにいる隊員の仕事だ。
 しかし彼は握り締めた。それと同時に目の前の彼女に向かって,歩み出した。緊張しているのだろう,何もないところで躓きよろめきそうになった彼をエリックが支えた。ここでもう一度互いに頷き,大時計を支える円柱を離れられない彼女に向かって,行く。「こうなると,神父さんの仕事じゃないっすかね?」と後ろから聞くジョンは大いに無視をして,俺たちは待つ。彼は果たして,彼女の元にたどり着いた。
 そのささやきは数個の言葉,途切れ後切れで放たれる。そして一つの頷き。彼女は彼を引き寄せた。時刻はあと一分だった。
「さあ,野郎ども!仕事に取り掛かれ!!」
 サー,イエッサー!!と応じる俺たちは,円柱の大時計の処理に向かう。勝負はまさに時間との闘いだ。命がけ,だから失敗は許されない。慎重に,かつ大胆に。しかし迷うことなく,突き進む。
 ある意味で,試されるのは彼らの愛だ。それを啓示しているように公園のどこかを散歩している,犬から鳴いた。

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-01

Copyrighted
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