菜実ちゃんの楽しい一日
軽音楽部も出来てから一年。今日は卒業生を送る会。
このところ同じクラスの彼氏も出来て、楽しい毎日を過ごしている菜実ちゃんは
今日も朝からハッピーな気分です。
「おはよう」
目覚まし時計のベルを止め、鏡に映る自分にそう挨拶する。
肌寒い朝だけど、今日は大事な日だから、しっかりしなきゃ!
何を着て行こうか、ちょっとだけ迷ったけど、やっぱりこういう時って制服だよね。そう考えて制服に着替える。
きっと諸田さんなんかは
「なんだ、こんな日だもの、セーラー服だと思ったのに。」
とかって言うんだろうな。
そこはご期待に沿うわけにはいかない。あれはお祭りの時だけのスペシャルだ。
お母さんの作ってくれた朝ごはんを食べて、身支度を整えて、バス停に向かう。
いつもの時間のバスが来るまで三分。ちょうど良い時間だ。
バスのいつもの席には、相澤くんが座っている。後ろから三つ目の一人掛けの席だ。
私がその席のところまで行くと、当たり前のように席を立って、私を座らせてくれる。
「おはよう。」
そう言って席に座ると、相澤くんの鞄を受け取って私の鞄と一緒に膝に乗せる。
「今日は制服なんだな。」
「うん。今日はね、軽音の三年生を送る会なんだ。」
「そうか。バレー部はそんな事やらないんだけどな。」
「でも、なにか記念イベントとか有るんじゃないの?」
「うん。卒業生と在校生の対抗試合。ガチで対戦するんだけど、大抵は三年生にボコボコにされて終わるんだ。」
「やっぱり三年生にはかなわないの?」
「いや、ベストメンバーで当たれば、けっこういい勝負が出来ると思うんだけどね。特別ルールが有るんだ。」
「何?」
「どちらのチームも、全部のメンバーが必ずコートに出るっていうルールなんだ。三年生はほとんどがレギュラーメンバーだろう。それに対して、在校生は一年の補欠まで出さなきゃいけないから、そういう穴を突かれて、負けちゃうんだ。」
「そうか、そういうルールなら、人数が多い方が有利って話にもならないもんね。」
「そう。去年も、普段はほとんど球拾いしかしてない一年生が三年生のスパイクをダイレクトで顔面に受けて、その場でダウンして退場したなんてことも有ったよ。」
「なかなかハードな世代交代の儀式なのね。」
「まあ、体育系はみんなそんなものさ。」
そんなおしゃべりをしながら学校まで二人で登校する。
同じクラスだから、バスを降りてからも、教室まで一緒だ。
相澤くんとこんなふうになったのは、この前のクリスマス頃からだ。
一緒に居て、話が合うのでとっても楽しい。
同じクラスだったし、同じバスで通学してるのも知ってたんだけどね。
付き合うきっかけもバスの中での事だった。
相澤くんは、私の五つ先のバス停から乗って来る。その日のバスは年末のせいか混雑していた。
私はその日に限って、ベースを背負ってた。大野さんが、受験が終わるまで使わないからって言って、部室に置いて行ったベースを借りて、家でちょっと練習していて、学校に持って行った日だったんだ。
クリスマスに軽音で何かやろうっていう話が出た時に、普段やってないパートでバンドを組んでみようっていう、お遊び企画が有って、私はベースをやることになったから、家でもちょっと練習してたんだ。
鞄を右手に提げて、左肩にベースを背負って、ちょうど今座ってる席の前に立っていた。席には相澤くんが座ってた。
その時、バスが急ブレーキをかけて、私はバランスを崩して倒れそうになった。
そこをとっさに相澤くんが助けてくれた。倒れ掛かっている私の腕を引っ張って、転倒するのを止めてくれたんだ。
そしたら、私は勢い余って、相澤くんの膝の上に座っちゃった。
相澤くんに抱きしめられるみたいになって、膝に横向きに乗って、顔と顔が触れそうなくらいまで接近して、見つめ合ってしまった。
誰も知り合いが居なかったから良かったけど、誰かに見られてたらちょっとした校内の話題になっちゃいそうなシーンだったよ。
思わず二人とも赤面して目を逸らせたんだけど、その後で相澤くんは私に席を譲ってくれた。
その後はなんだか照れくさいような恥ずかしいような気分で、それっきり話もしないで、そのまま登校した。
そしたら、部活が終わった帰りのバスで、また相澤くんと一緒になっちゃったんだ。
「今朝はありがとうね。」
「ううん、たいした事してないし。引っ張りすぎちゃって、あんな事になっちゃってごめんな。」
「大丈夫、気にしないで。転ぶよりずっといいよ。膝に乗っちゃった方が。」
「そうか?気にしないでいいのか?俺なら気にしちゃうけどな。今日だってずっと気にかかってたのに。」
拗ねたような顔をして、そんな事を言う相澤くんを「可愛いな!」って思っちゃったんだ。
その後、二三日して、また登校が一緒のバスになった。その日はそんなに混んでいなかったんだけど、相澤くんはにっこり笑って、私に席を譲ってくれた。
そして、バスから降りて、一緒に教室まで行く間に、付き合ってくれって言われたのだ。
あの時、膝の上で急接近してから、ずっと気にかかってたんだって、言われた。
私だって、あの事を「気にしないで。」って言ったけど、やっぱり気にかかってたんだ。
それで、その場でOKの返事をしちゃった。
今までは相澤くんは、このバスか、一本遅いバスか、どちらかに乗ってたんだって。
一本遅いのだと、教室までダッシュしないと遅刻になっちゃう可能性があるから、私はいつも同じバスだったんだけど。
今では毎朝、同じバスで一緒に登校して、たいていは同じバスで帰る。時々、どこかに寄り道してお茶したり買い物したりもする。
クリスマスの時には、一緒に映画に行った。初詣も待ち合わせて一緒に行った。
ここのところ毎日が楽しい気分で過ごしている。三年になる時にクラス替えがあるのが、ちょっと心配なくらいだ。
クラスに入ると、その瞬間から私は女子の仲間の輪に加わり、相澤くんは仲の良い男の子の群れに合流する。
別に隠してるわけじゃないけど、ちょっと照れくさいから、クラスの誰にも話してはいない。
ばれたらばれたでも良いとは思ってるけど、みんなに交際宣言をしたわけじゃない。観鞠にだけは、何かの時に話しちゃったけどね。
学校での授業は眠気との戦いや、空想の中で過ぎてゆく。
最近では、どの授業でも
「もうすぐ最上級生なんだから。」
「一年後には受験本番。」
なんて話ばかり聞かされて、ちょっと飽きている。
クラスの中をこっそり見回すと、柳川くんも眠そうな顔をしてる。
相澤くんの方を見たら、彼もこっちを向いてて、目が合っちゃった。キャッ!
放課後は部室になっている科学実験室で、三年生を送る会を開く事になっている。
軽音は今年度から始まった部だから、初の卒業生を送り出す事になる。
四人の先輩は、学園祭のステージで大活躍してくれたから、感謝の気持ちをこめて送り出してあげなくちゃ。
部室にはもう春香ちゃんとのぞみちゃんが来ていた。
この二人は学園祭が終わってから入って来た新入部員で、まだ大して活動した事が無いんだけど、日頃の動きを見てると、有望株だ。
入部したきっかけは、のぞみちゃんが柳川くんに憧れて、お手紙を書いたところからなんだけど、入ってみたら春香ちゃんの方が積極的に活動する、良いキャラだったみたいだ。
もちろん、柳川くんとのぞみちゃんは、周囲の盛り上げもあって無事にお付き合いを始めた。
なにせ、軽音の中では私と観鞠が、すべてお膳立てして、諸田さんにまで情報提供して協力してもらったし、のぞみちゃんの方は、春香ちゃんが同じクラスで、ずっと一緒に行動して煽り立てていたのだ。
もちろん、柳川くんのクラスメイトには、私がすべて情報をリークしちゃいました。
そんないきさつから入部した二人だったけど、春香ちゃんは器用な子で、いろんな楽器を扱うようになった。
もともとピアノを習っていたから、鍵盤は弾けたのだけど、ギターやベースも持たせてみたら、それなりに上達が早い。ドラムも何となくいじっていて、基本のビートは叩けそうだから、ちょっと練習すれば出来るようになりそうだ。
何をやって、どこまで出来るようになるかは未知数だけど、期待が持てそうな人材だ。
のぞみちゃんも、それほど積極的ではないけど、春香ちゃんに引っ張られて、ギターを練習している。
女の子がたどたどしく弾いていれば、教えたがる男の子は多いが、柳川くんの彼女という立場も有るから、みんなに公平に教わっているようだ。
しばらくすると皆が集まって来る。
三年生の入試の日程とかを聞いて、今日にしたので、みんなもう発表を待つだけで余裕の表情だ。
先輩たちには教官室で待っていてもらって、パーティーらしい飾りをしたり、飲み物やお菓子を並べたり、楽器を出したりと準備を進める。
こんな時にも、いろんな子の性格が見えて面白い。自分はこれをやるって自分で決めて、てきぱきとそれをやる子。全体を眺めて、手が足りない処をさりげなくアシストする子。何をやれば良いのか判らず、まごまごしてる子。
新年度になれば、この中から部長やリーダーが選ばれるんだろう。男の子も女の子もそれなりに有望な人は居そうだ。
送る会はまず席を決めるくじ引きから始まった。
テーブルは四つに分かれていて、それぞれに三年生が一人ずつ座る。
そこに下級生がくじ引きで集まって、各チームを作る。
今日一日だけの急ごしらえのバンドになったり、チーム対抗でゲームをやったりするのだ。
軽音全員で十九人だから、ひとつのチームは五人で、どこか一ヶ所だけ四人になる。
Aチームは三年生が山崎さんで、そこに雨賀くん、高志くん、沙代子ちゃん、綾香ちゃん。
Bチームは大野さん、観鞠、葉子、聡くん、春香ちゃん。
Cチームは諸田さん、柳川くん、裕、隆二くん、そして私。
Dチームは林さん、由果ちゃん、栞ちゃん、のぞみちゃん。
というメンバーになった。
「なんだ、ここはドラムとベースが集まっちゃったな。」
「Dチームはレディスチームか。」
「これでバンドを組むって、誰が何をやればいいんだ?」
なんて、組み合わせが決まると、いろんな声が上がる。
まあ、お遊びなんだから、いいんだけどね。
最初はチーム対抗のクイズから始まった。
私と観鞠が司会で、各チームが話し合って正解を出す問題だ。
この問題は、私と観鞠が作ったものと、みんなから集めたものをミックスしてある。
「四津田先生が、学生時代に所属していたサークルを選べ。
1.軽音、2.ラグビー部、3.オーケストラ、4.合気道。」
なんていう問題から、
「ショパン・ハイドン・グリーク・ジョンレノン・ドヴォルザーク、を生まれた順に並べろ。」
「E#ディミニッシュっていうコードでルートのすぐ上の音は何?」
なんていう問題まである。
音楽関係だとやっぱり林さんが一番詳しいかな。コードなんて言われると、山崎さんや雨賀くんなんかは、困った顔だ。
「どこからこんな難しい問題を見つけて来るんだよ。」
なんて声も上がる。
「これね~。音楽検定に実際に出た問題なんだよ。」
「音楽検定なんて、そんなの有るの?」
「うん、一級から五級まで有って、ヒアリングと筆記の問題が出るんだよ。こんど誰か受けてみれば。」
「ヒアリングって音を聞いて譜面を書くとか?」
「そういうのも有るけど、この音楽は世界のどこの曲か?とか、今の曲はどういう楽器構成で出した音か?なんてのも有るよ。」
どうやら観鞠が林さんから、その検定の問題集をもらったみたいだ。
一番得点が低かったチームには罰ゲームが待っている。
一人ずつ、みんなの質問に答えるコーナーだ。
なんと、私のチームは最低点で、その罰ゲームになっちゃった。
「え~。私は出題者側なんだから、罰ゲームも無しじゃないの?」
「ダメダメ。チームのメンバーなんだから、リーダーも参加するんだよ。」
諸田さんにそう言われてしまった。
「この学校で一番苦手な先生は誰ですか?」
「今までのテストで取った最低点はいくつでした?」
なんていう、面白い答えを期待した質問が、いろんなところから飛び出す。
私がチームに合流したから、観鞠が一人で司会役だ。
あんまり危ない質問は司会者の権限でストップしてくれる。
私が質問を受ける番になったら、高志くんが質問してきた。
「お付き合いしてる彼氏はいますか? 居るとしたらどんなお付き合いしてますか?」
いきなりなんてこと聞くのよ。
そしたら観鞠もニコニコして、私の方に振る。
「そうね。リーダーの交際関係って興味あるでしょうね。なっちゃん、正直に答えてね。」
ええっ!そこは止めてくれないの?困ったな。まあいいか、言っちゃおう。
「付き合ってる彼氏はいます。放課後にお茶したり、映画に行ったり、初詣に行ったりしました。」
ちょっと赤くなっちゃった。みんなからも驚いた声が上がる。
「誰?この学校の人?」
なんて声も出る。
「チューとかムフフとかは?」
誰だよ、そんな事聞くのは。
さすがにそれは、観鞠が止めた。
「それ以上の質問はストップね。いい人が居るっていうだけで、いいでしょう。」
あ~ドキドキした。
次は柳川くんが質問を受ける番。
私の番で話がそちらの方に進んだので、そういう流れになる。
「お付き合いしてる彼女はいますか? 居るとしたらどんなお付き合いしてますか?」
春香ちゃんが、わざとらしく質問する。
それって私の時と、そっくり同じ質問じゃない。知ってるくせに!
柳川くんは
「はい。かわいい彼女と付き合ってます。」
って、はっきり答える。
みんなの視線がのぞみちゃんの方に集まって、のぞみちゃんは真っ赤になっている。
当然、その先の質問も出かかるが、そこは観鞠が止めた。
「はい、この件に関して、それ以上の質問はストップね。」
そしたら、諸田さんが手を挙げた。
「柳川くんが、生まれて初めて貰ったラヴレターは、二行しか書いてなかったっていう話ですけど、なんて書いてあったんですか?」
そんな話は初耳だ。きっと諸田さんは答えを知ってて質問してるんだろう。
さすがに、柳川くんものぞみちゃんも真っ赤になって、下を向いている。
観鞠はどうするかなって思ったら、けっこう平然と柳川くん方に質問を振る。
「どうなんですか? まさか、二行の文章を忘れちゃったなんて事、無いですよね。」
このやりとりで、春香ちゃんは笑いだしそうなのを、一生懸命こらえている。
なるほど、彼女も文面を知ってるんだね。
「罰ゲームなんだから、ごまかしたり嘘ついたりしちゃダメですよ。」
観鞠にそう言われて、柳川くんが答える。
「『大好きです。彼女にしてください。』って書いてありました。」
そういうとまた真っ赤になる。のぞみちゃんもうつむいたままだ。
「ストレートですね。じゃあ、これからも可愛い彼女を大切にしてくださいね。」
観鞠がそう言ってまとめる。
クイズの後は各チームでの演奏の時間だ。
それぞれチーム毎に別々の場所に別れる。作戦タイムと練習の時間が二十分あるんで、その間に何をやるか考えて、練習もするのだ。ルールは全員が参加するっていう事だけだ。
ウチのチームは、諸田さんと柳川くん、隆二くんがギターで、裕がキーボードだから、楽器は何とかなりそうだ。でも諸田さんはそれじゃ当り前で面白くないって言って、ベースを手に取る。
「ギターは柳川に任せるから、隆二はカホンを叩けよ。」
なんて言って、曲を選び始める。
「なるべく簡単なヤツがいいよな。これなんかどうだ?」
そう言って出したのは、観鞠が学園祭で唄った「青空」っていう曲だ。
「唄えるか?」
私に向かってそう聞く。
これなら大丈夫。よく覚えてる。
コードも四つくらいしか無いから、みんなその場で確認して、演奏もOKになる。ウチのチームが一番先に準備OKになった。
本番では、諸田さんのピック弾きのベースが柳川くんのギターよりも目立ってたかも知れない。柳川くんのリードの入る部分では、まるでツインリードみたいになっちゃったけど、裕のキーボードがしっかりコードを弾いてたから、演奏は面白かったんじゃないかな。
Aチームは沙代子ちゃんがベース、綾香ちゃんが鍵盤を弾いて、男性三人がヴォーカルをやった。ゴスペルみたいな曲だったけど、けっこう上手だった。
Bチームは大野さんがベース、聡くんがギター、春香ちゃんがドラムを叩いて、観鞠と葉子のツインヴォーカルだ。やったのは聡くんが作ったオリジナルの曲だ。
Dチームはなんと、女声四人でアカペラコーラスをやった。林さんがキーボードで最初の音を出した時には、林さんの伴奏で三人が唄うのかと思ったんだけど、音を取っただけで、アカペラで一曲歌ってしまった。曲は童謡、赤とんぼ。
合唱部のようにちゃんと二パートに別れたり、三パートがハミングで和音を作って、その上に旋律のパートが乗ったりした。よく短い時間で練習出来たものだと感心してしまった。
まあ、由果ちゃんの音程がちょっと怪しかったのはご愛敬かな。
最後は、みんなのリクエストタイムになった。
あの人の唄ったあの曲がもう一度聴きたい。あのチームにもう一度あれをやって欲しい。なんていうリクエストを、紙に書いてリクエストボックスに入れ、それを引いて出てきたリクエストに答えるのだ。
最初に出たリクエストは、Rスクイーズだった。
大野さんと諸田さん、柳川くん、雨賀くんが楽器の準備をする。曲のリクエストは無かったので、いきものがかりの「ありがとう」を演る。
「やっぱり学ランとセーラー服でないと、感じが出ないよな。」
なんて諸田さんは言う。
あれから半年ぶりで、かなり忘れかけてたけど、結構上手く出来たと思う。
次のリクエストを引いた瞬間、観鞠が噴き出す。リクエスト用紙には
「観鞠さん、鳩を出して!」って書いてあったのだ。
「あたしゃ手品師かい。今日は鳩はお休みだよ。」
なんて言いながらも、柳川くんにギターを弾いてもらって、「星のふるさと」を唄った。
その次は、千秋トリオのマイケル・ジャクソンが出た。
葉子はかなり歌詞を忘れてたみたいだけど、千秋さんの演奏は相変わらず上手だった。沙代子ちゃんは、あの頃よりベースの演奏にキレが有るようになったかな。山崎さんも、千秋さんとの呼吸は相変わらずだ。
そう言えば、二人とも東京の学校に進学が決まったという話だ。これからもお付き合いは続くのかな。
最後は先輩達からリクエストをもらう事にした。
先輩達四人で話をして出てきたのは、裕&綾香の「私の好きな街」だった。
キーボードが一台しか無いので、綾香ちゃんが伴奏を弾いて、裕はヴォーカルだけだ。
演奏が終わった後、大野さんが四人を代表して締める。
「今日は本当にありがとう。今の歌のようにこの街が好きです。
四月になれば四人ともこの街を離れるけど、ここで過ごした日、特に三年になって軽音に参加した一年間は、ほんとに楽しい日々でした。
また機会が有ったらちょくちょく帰って来て、ここにも顔を出したいと思ってます。それまで軽音をしっかり盛り上げて行ってください。」
他の三人もうなずいている。林さんは目が赤いかもしれない。
先輩に寄せ書きと花束を渡す。私と観鞠と葉子と裕が、それぞれ手渡した。
誰からともなく拍手が起こって、三年生を送る会も無事終了した。
三年生を送り出して、部室の片づけをしたら、もう外は暗い。
みんなに手を振って、私はバス停に向かう。
バス停のところに立ってるシルエットが見える。あれは相澤くんだ。
「けっこう遅くまでかかったんだね。」
「待っててくれたの。ありがとう。寒かったでしょう。」
「まあ、部室で時間つぶしてたから、さっき来たとこだよ。」
そう言うけど、腕なんかけっこう冷え切ってる様子だ。
私は思わず、その冷たい腕にすがりつくようにして体を寄せる。
「こうしてるとちょっとは暖かいかな。」
「うん、なんだかとっても暖かいよ。でも・・・」
「でも?なに?」
「でも、そんなに腕を抱え込まれると、肘が胸に当たって、やわらかくて気持ちいいんだけど・・・」
私は思わず、相澤くんの腕を離してしまう。
もう暗くなっていて良かった。明るいところだと真っ赤になってるのが判っちゃう。
相澤くんの手はそっと私の背中辺りに添えられる。バス停の前で寄り添って二人でバスを待つ。
こういう日々があと一年、そして、それからもずっと続くといいな。
私は、暖かい気持ちで、そう思っていた。
了
菜実ちゃんの楽しい一日
軽音楽部の発足から、「軽音総選挙!」、学園祭のステージまでの軽音メンバーの活躍を描いた「菜実と観鞠」
その後の、三年生引退後のある日を描いた「柳川くんの多忙な一日」
そしてそれに続く第三弾! シリーズの完結編は、菜実ちゃんが主役の、ベタ甘のストーリーです。
前作と合わせてお楽しみください。
http://slib.net/27860
「菜実と観鞠」
http://slib.net/28281
「柳川くんの多忙な一日」